今回はバレンタインのお話を詰め込みました。いつもの2倍はありますよ
一月二十五日の事件以降、パラサイトの発見報告は一度もなかった。第一高校を襲撃という大事件を起こしたことで、十師族の包囲網が強くなったことも原因の一つだが、特に四葉を警戒しているという意図が透けて見える。
アメリカで行われたマイクロブラックホールの生成・蒸発実験により異界からデーモンが呼び出されたという事実が一般のニュース番組で報道されたことにより、世論は魔法に対して厳しい目を向けている。更には全世界で魔法師排斥運動が強まっており、どうしても魔法師は肩身の狭い思いを強いられていた。
「ちっ……またか」
紫音はタブレット端末を操作しながら舌打ちする。
今日は二月十三日。
世間の女子が全力でチョコレート作りに励む夜である。それは二十二世紀になろうとしている今も変わらない日本の固有文化として定着していた。尤も、男である紫音には関係のない話だが。
「
タブレット端末の画面に映されているのは、人間主義の活動をしたためた電子メディア紙である。他にも魔法師が引き起こした犯罪を引用し、徹底的に魔法師を批判する一種のヘイトスピーチとも捉われかねないコラムもあった。
これらは
「それにしても亜夜子……どこにいったんだ……?」
黒羽家の部下に連絡しても、亜夜子の居場所は教えて貰えなかった。紫音にも教えられないほど大切な任務をしているのだろうと納得したが、少し不安である。
今の紫音は、今日がバレンタイン前夜であることをすっかり忘れるほどに忙しかった。
◆◆◆
光井ほのかは張り切っていた。
敬愛する達也に最高のバレンタインチョコを渡すためである。この日のために材料を集め、美味しい作り方も勉強した。
「ハ、ハート型はやり過ぎかな……?」
しかし彼女は成型という予想外の部分で苦戦していた。
主に自分のこだわりの面で。
「でも丸型とか星型はありきたりだし……でも、チョコペンでメッセージを書き込めば」
だが、何をメッセージとして書くというのだろう。
彼女は自問自答していた。
◆◆◆
七草家のキッチンには三姉妹が揃っていた。
真由美、香澄、泉美の三人である。
「よし、できたぞ」
「私もできましたわ!」
双子の前にあるのは小さな小包が二つ。それぞれが作ったチョコレートである。
そして振り返れば、二人の姉が新しいチョコレートを湯煎で融かしていた。
「……ねぇねぇ泉美、お姉ちゃん、何していると思う?」
「チョコレートを作っている……のだと思いますけど」
「じゃあさ、あの含み笑いはなんだろうね……」
真由美は毒殺を企てる魔女のような笑みを浮かべている。到底、バレンタインチョコを作っているようには見えない。
「香澄ちゃん、あれってカカオ九十五パーセントのやつじゃ……」
「しかも糖質ゼロ。あ、エスプレッソパウダーも入れた」
「怨みでもあるんでしょうか」
「さぁ……」
チョコを作る真由美は実に楽しそうである。まるで普段の恨みを晴らすべく、毒薬を作っているかのような笑みだ。いや、間違いなく。
「お姉ちゃん、誰に渡すんだろうね」
「その殿方はお気の毒というべきか、お姉さまから渡されて幸運だと言うべきか、悩みますわ」
「いや、間違いなく不幸だろ」
双子はとばっちりを受けない内に、キッチンから去って行った。
◆◆◆
魔法科高校は未来の魔法師を養成する。その特徴から軍事的なイメージが定着しているのは間違いない。魔法師は軍事と直結しているからだ。
しかし、今日はバレンタイン。
この日ばかりは彼らも高校生としての青春を謳歌していた。
「あの、達也さん!」
ほのかは校門で達也を呼び止める。
今は深雪もいない。それは登校中、偶然にも達也と深雪に合流してしまった美月のせいだ。深雪はほのかの心情を察知し、さり気なく美月を連れて達也の側から離れたのである。
朝早くからキャビネットの停車駅で待ち続けていたほのかへの、小さな報酬だった。
駅から学校までは二人きり。
そして遂にほのかが勇気を出したのだ。
「少し……お時間を頂いてよろしいでしょうか!」
「ああ、いいよ」
達也は強い感情を失っているため、ドキドキやワクワクといった思いはない。しかし、鈍感というわけではないのだ。ほのかの目的は理解している。
ほのかは一校の密談スポットとして知られているロボ研ガレージ裏手の木陰へと達也を連れて行った。そして達也に向かって勢いよく、小さな包みを差し出す。
「あのっ、たちゅ……」
そして噛んだ。
しかし達也は空気の読める男だ。特にツッコミはしない。
何事もなかったかのように包みを受け取った。
「ありがとう、ほのか」
恥ずかしさと、高ぶる感情で身動きの取れないほのか。
そんな彼女に、達也は掌に収まるほどの小さな紙袋を持たせた。ほのかにとっての予想外が一時的に羞恥心を上回り、きょとんとして表情になる。
「あの、これは……?」
「取りあえず、お返し。来月分とは別口だから、そっちも期待して良いよ」
「た、達也さん……」
感極まって涙を浮かべ、慌てて拭う。
いちいち大げさだと思ってはいけない。これは光井家の特徴でもあるのだ。エレメンツという魔法師素体として研究された魔法研究初期に近い一族であり、国家に対して忠誠心が強くなるよう遺伝子コントロールされている。その影響から、ほのかも依存しやすい性格をしているのだ。
彼女の場合、達也に依存している。
そんな対象からプレゼントをもらったのだから、これは涙を流すほどの感激なのだ。
「あの、開けてもいいですか?」
「もちろん」
そうして袋から取り出してプレゼントを見つけ、ほのかは魂が抜かれたような目をしていた。
「そろそろ戻ろう」
達也はそう促す。
この場所は密談スポットとして有名なだけあり、他の男女がやってきてもおかしくない。この場を目撃されて困るわけではないが、おもしろくもない。
一応、達也の感覚ではこの場に近づく者も盗み聞きしている者もいない。
しかし、達也は
ロボ研ガレージの中で眠る、一体の人形。
試作アンドロイドP-94の中に眠るパラサイトは意識を得たのだ。ほのかの激情ともいうべき、想いの波動を受け取って。そして概念的なパスによって、ほのかとパラサイトは繋がった。
◆◆◆
紫音は四葉を名乗っている。
そのため、一校の中でも恐怖の象徴だ。故にチョコレートとは無縁である。ただ、この日になってようやくバレンタインであることに気付いた。そして亜夜子が自分にチョコレートを用意していたために、昨夜は見当たらなかったのだろうとも予測できた。
愛する妹からチョコレートを貰えるのだとすれば、この程度のことは無問題である。
「しかし魔法科高校がこのザマとはねぇ。バレンタインも偉くなったものだ」
「そう言うな紫音。彼らも高校生の青春を謳歌する権利はある」
「いや、達也も高校生で……ああ、お前はほのかに貰ったのか」
「何故知っている」
「勘」
風紀委員の先輩方から体よく放課後の巡回を言い渡された紫音と達也。二人はすっかり浮ついている放課後の一校を見回っていた。
高校生でありながら、既に許嫁のいる者も少なくない。親公認のカップルが堂々とチョコを渡している光景もよく見られた。
たとえば、弁当箱かと勘違いするような箱に大量の手作り粒チョコを詰めて渡す千代田とか、笑顔の圧力に屈してその場でチョコを食べ続ける五十里とか。
「紫音は貰えなかったのか?」
「帰ってから亜夜子に期待だな」
「なるほど」
そんな雑談を交わしつつ、二人はカフェテリアへと差し掛かる。そこで思いもよらない人物に声をかけられた。
「あら達也君に四葉君。今日は巡回かしら?」
「七草先輩ですか……それに……」
達也はカフェテリアのテーブルに座る二人組を無視するつもりだった。
一人は七草真由美。小悪魔的な女性であり、その眼には企みの光が垣間見える。とても関わりたいとは思えない。
なにより、彼女の前に座っていながらテーブルに突っ伏している服部。
控えめに言って苦しんでいるように見える。
そして服部は目を上げた。
「よ、四葉……いや司波でもいい。水を……」
はぁ、と溜息を吐いた紫音が水を取りに行く。
その間、達也は真由美に問いかけた。
「服部会頭は何故このような状態に? 校内で毒物事件ということもないでしょう?」
「いえ、まぁ……毒じゃないわよ?」
呻く服部に、困惑した表情の真由美。
あまりにも謎である。
そこに紫音が水を持ってきたので、服部は勢いよくそれを飲み干した。
「ふぅ……感謝する四葉」
「いえ、それよりも何が?」
「特に問題があったわけではない。ではこれで失礼します会長……いえ、七草先輩」
服部は一礼し、逃げるように去って行った。
キッチリと背を伸ばしていたが、何故か二人はそのように感じた。目を合わせて首を傾げる紫音と達也に対し、真由美は形容しがたい笑みを浮かべつつ勧める。
「じゃあ、二人とも座って」
何が『じゃあ』なのか。このまま座って良いのだろうか、と二人は考えてしまう。服部の様子を鑑みて、彼が苦しんでいた原因は真由美にあるように思える。だが、真由美は明らかにそれを誤魔化している。
しかし、二人に逆らうという選択肢はない。
『逃げるとか許さねぇから』とでも表現するべき圧力がそこにはあった。
仕方なく紫音と達也は着席する。すると、コーヒーのような強い匂いがした。
「……誰かがコーヒーをこぼしたんですかね?」
「確かに匂いがするな」
「気のせいじゃないかしら?」
誤魔化すというより、有無を言わさぬように、真由美は言葉を被せてくる。
ここまでくれば確信犯であることが見え見えだ。
「はい、これ」
真由美は二つの包みを取り出し、紫音と達也の前にそれぞれ置く。二人は同時に箱を手に取ったが、明らかに重かった。
そして強烈な匂いはこの箱から出ていることもすぐに分かった。
カカオ豆とコーヒーの匂いであることは明白である。
(なぁ達也)
(何も言うな紫音)
達也は紫音からのテレパシーを強制的に打ち切った。
今の真由美は実に楽しそうな笑みを浮かべ、ドキドキワクワクしている。
「ね、食べて」
「今ですか?」
「そうよ。感想を聞かせてくれないかしら?」
念のために紫音は聞き返したが、持ち帰って食べた振りをするという手段は無理そうだ。服部で実験済みだろうという言い返しは蛇足だろう。
それは完全に藪蛇だと紫音は確信していた。勿論、達也も。
ならばもう誤魔化すしかない。
紫音は真剣な表情になった。
「七草先輩。少し内密の話を宜しいですか?」
「……ここじゃない方がいいのね?」
「はい。達也も来てくれ」
「ああ。丁度、自分も先輩にご相談したいことがありますので」
ここで話があるということは、吸血鬼のことに他ならない。
真由美はすぐに察して携帯端末を操作し、部屋を確保した。普通の生徒にはできないが、真由美ならば簡単なことである。
三人は立ちあがり、部屋に向かう。
周囲から注目されたのだが、紫音も達也も気付かぬふりをした。これは相談と銘打った、危険なチョコ回避に過ぎないのだから。
◆◆◆
真由美が確保したのは父兄を含む外部者との面談に使う部屋だ。応接室ほどではないが、人を迎えるのに適した作りとなっている。ただの相談事に使うとすれば、少し大げさかもしれない。
「さ、座って。紅茶でいいかしら?」
「では頼みます。達也の分も」
達也が断ろうという雰囲気を見せたので、紫音が先に答えた。どうせ断ったところで、真由美は紅茶を用意しようとするだろう。尤も、この部屋にあるのは全自動サーバーの供給機。紙コップに自動で紅茶が注がれる。
そうして用意された紅茶が紫音と達也の前に置かれ、話し合いは始まった。
「話というのは吸血鬼のことよね? 一校に現れて以降、めっきり話を聞かなくなったけど」
「その代わりに反魔法師運動が活発化しました。まるでこちらの追跡から隠れるように」
「……ええ、そうね」
紫音がそうきりだしたことで、七草たる真由美も理解した。
この日本でメディアにも強い影響力を持つ十師族とは七草家である。真由美もある程度の進捗は父から聞いていた。
「父は対処をしているわけではないわ。そうね……ほぼ、放置かしら?」
「ほぼ、とは?」
「四葉のあなたなら分かるでしょうけど、今の魔法師界は微妙な立場に立たされているわ。下手に私たちがつつくと、おそらく……」
「余計に炎上するでしょうね」
それは紫音も理解している。だからこそ、手出しできないのだ。
紫音にできることと言えば、過激派の人物を暗殺すること。黒羽の部隊を使い、何人かは消している。特に海外から日本に来た人物は集中的に消した。しかし、それはあくまでも燃え上がった炎に油が注がれないようにする対処法に過ぎない。原因である可燃物を消さない限り、事態は収まらない。
そちらは七草家の得意分野のはずだった。
しかし、その七草ですら……
「ガス抜き、ですか」
「ええ」
騒がせるだけ騒がせる。今はそれしかない。膨れ上がった反魔法師の風潮を利用し、魔法師排斥派のガス抜きをしているのだ。
結局、十師族ができることは、手早く吸血鬼を仕留めることだけだ。日本の安全が確約された時、魔法師排斥の流れは小さくなるだろう。
紫音の話は終わった。
代わりに達也が次の話を持ち出す。
「パラサイトの追跡はどうなりましたか? 一見、一度撃退して沈静化したように見えますが」
「そうね。表面上は。でも彼らのやり口が巧妙化しているだけで、まだ被害者はいるの」
「隠れ方が上手いですね」
「ええ、まるで見つからないの」
達也は少し考える。
十師族は既に本気でパラサイトを追っている。そして四葉の分家である黒羽家も、スターズと協力しながら全力で追っているのだ。これで見つからない方がおかしい。
パラサイトの感知能力が異常に高いと見るべきだ。
「もしかすると、仲間同士で共知覚を持っているのかもしれません」
「共……何?」
「共有知覚感応能力の略です。一種の超能力ですね。一卵性双生児の間で稀に見られます。つまり、あらゆる感覚を共有することで広範囲に感知をカバーしているということです」
しかしこれも達也の憶測に過ぎない。ただ、パラサイトは精神という未知の領域で存在するため、どんなことがあっても不思議ではない。
パラサイトを消し去ることが一番の方法だが、そのパラサイトが見つからない。
まずは発見。
全てはそこからだ。
達也は真由美と打ち合わせ、そこに紫音も多少は口出しして話し合いを終えた。
「では、俺たちはここで失礼します」
「有意義な時間をありがとうございます」
しれっとした表情で立ち上がった紫音と達也だが、真由美は逃がさない。右手で紫音、左手で達也の腕を掴んだ。怪しくも企みを隠そうとしない笑みで、テーブルの上に置き去りにされようとしていた二つの箱へと視線を向ける。
「今からはティータイム、でしょ?」
苦悶する服部の姿を見た後だ。
箱の中身は聞くまでもなく予想できる。
「家で食べるという――」
「だ・め・よ。四葉君」
語尾に音符でも付きそうな声音である。
早く食べろと言わんばかりに目を輝かせていた。二人なら、無理矢理逃げることも可能。しかし、それをすれば余計に面倒なことになるだろう。大人しく食べた方が、後顧の憂いなくバレンタインを終えられる。
紫音には亜夜子、達也には深雪という、バレンタインという日を幸福に終わらせてくれる妹がいるのだ。
二人は大人しく座り、包みを開いた。
(これは……)
紫音は眩暈がした。
あまりにも強烈なカカオの香りに。これはチョコレートというより、薬物である。ちなみにカカオの成分には薬理作用も含まれているので、薬膳として扱うこともできる。尤も、限度はあるが。
達也も苦いものは気にならない。
そもそも特異魔法『再成』を発動するとき、対象者の苦痛を凝縮して味わうのだ。それに比べれば大したことはない。
二人は同時に強烈なチョコ(?)を口へと運んだ。
――真由美は満足気な表情をしていたとだけ言っておく。
◆◆◆
ほのかは生徒会の仕事で、ノートパソコンを抱え準備棟へと向かっていた。彼女の頭部には水晶の輝きがあった。達也が送ったプレゼントの髪ゴムである。
別にほのかは達也の恋人ではない。
だが、つきまとっても達也は拒絶していない。
それをいいことに、こうして曖昧な関係を続けているのだ。プレゼント一つで上機嫌になる自分は安い女だと感じている。しかし、今日はそんなネガティブな感情すら吹き飛んでいた。
「ほのか」
ウキウキとした気分で準備棟へと踏み込もうとした時、彼女は横合いから呼び止められた。
「あっ、エイミィ!」
深紅の髪が目立つ小柄な少女が、パタパタと駆け寄ってきた。
二人が会ったのはただの偶然。
ほのかは仕事でパソコンを運んでいただけであり、
「あれ? それって水晶?」
目敏くほのかの頭部の輝きを見つけた英美は、興味津々といった口調で聞く。
「あ、うん」
「へぇ~。凄いなぁ。司波君に貰ったんでしょ?」
「えへへ。チョコのお返しにって」
「あらかじめプレゼントを用意しておくなんて、司波君もやるね。見た目は不愛想だけど、そんな気配りもできるんだ」
確かに達也は不愛想で、近寄りがたい。しかし仕事はできる。そんなイメージだ。
しかしほのかは褒められて嬉しい。
敬愛する達也のいいところを他者に知って貰うことは、ほのかにとっても喜ばしいことだった。まさに幸せいっぱいといった笑顔である。
しかし、英美の次の一言で彼女の笑顔に影が差した。
「陰で人気ありそうだよね~。さっきも会長……あ、七草先輩がチョコを渡そうとしていたし。あたしたちも九校戦でお世話になった皆で義理チョコを渡しに行ったんだけど、四葉君もいて近づくの止めたんだよね。そのとき七草先輩が司波君と四葉君にチョコを渡していてさ」
「さ、七草先輩が」
「うん。まぁ、無理やり捕まえたって感じだったよ」
英美は正直な感想を見たままに言っただけだろう。
しかし、ほのかは心中穏やかではなかった。
七草真由美は血統、学問、魔法、美貌とあらゆる面でほのかを上回っている。ほのかが勝っている部分など、ほとんどないに違いない。いや、間違いなくない。
ほのか最大の敵は深雪だった。
しかし深雪には兄妹であるという制約がある。それがほのかにとっての狙い目だった。一方で真由美にはそれがない。寧ろ先輩でお姉さんであるというアドバンテージまである。達也が一歳や二歳の年上を気にしない質であることは分かっているため、包容力で勝る真由美に勝てる部分がない。
ほのかの心に
嵐のように荒れているわけではないが、それは静まることなく心中に留まった。
今朝のあの瞬間、ほのかの歓喜によって人形に宿るパラサイトとパスができあがった。そして今度はパスを通じてほのかの心が流れ込む。
嫉妬、憧れ、敬愛。
想念の波はパラサイトの微睡む意識を奮い立たせ、完全な覚醒へと至る。
◆◆◆
控えめに言って酷い目に遭った紫音は、未だに苦さの残る口の中を不快に思いながら帰宅した。
そして家には妹がいた。
「おかえりなさいお兄様」
「……お前が天使か」
「お兄様!?」
今日の亜夜子は白エプロン。そして手にはハート型の箱に入ったチョコレート。
控えめに言って天使であった。
「いや、ごめん。ちょっと辛いことがあってな」
「お兄様。そんなことは亜夜子のチョコで忘れてください」
「ああ、今この瞬間に忘れたよ」
紫音はチョコレートを受け取り、ギュッと抱きしめる。
それほどまでに真由美のチョコレートは苦痛だった。あれは一種の拷問である。服部が悶絶したのも頷けた。それほどの苦さとも酸っぱさとも辛みとも言える味覚の蹂躙により、『調律』が自動発動してしまったほどだ。
お蔭で悶絶することはなかったが、『調律』の発動で無表情になった。
真由美にはそれを笑われたのである。
「さぁ、是非とも食べてください」
「ああ、頂くよ」
「コーヒーを淹れましょうか?」
「いや、紅茶で頼む」
リビングのテーブルに着席した紫音は、早速とばかりに亜夜子のチョコレートを頂くことにする。少し遅いティータイムだ。
亜夜子のチョコはハート型のチョコレートケーキ。
「はい。紅茶ですわ」
「ありがとう。文弥と父さんにはもう渡したのか?」
「はい。文弥には午前中に、お父様には昨日の内に郵送しておきました」
「そうか……美味いな」
ケーキにフォークを入れた紫音はそれを口に運び、感嘆する。
それを聞いた亜夜子も嬉しそうだった。
「そう言えばお兄様。本家から荷物が届いていましたわ」
「本家から?」
「はい。当主様の名義で。しかも花菱さんに届けさせていましたから、よほどの重要物ではないかと」
「このタイミングで何を……? 分かった、俺の部屋か?」
「はい」
おそらくはネットワーク環境に晒すことのできない情報。
紫音はそのように予測した。
「それで、スターズとの連携はどうなっている?」
「本家とバランス大佐の繋がりを綿密にしつつあります。四葉は国防軍と仲が悪いですから、いざという時の手段としてUSNAに繋がりが得られたのは大きいです。パラサイトの捜索には進展がありません」
「やはりダメか」
パク、うめぇ……を繰り返しつつ紫音は思案する。
分かりやすく動き出すとすれば、それは十師族や警察による包囲網が薄くなった時である。スターズは本国での活動ではないため、それほど気にしないはずである。紫音としては、他の十師族や警察の動きが緩慢になった時が勝負と考えている。
スターズと組んでいる四葉が動く時だ。
最後の一口を楽しみ、紅茶を流し込む。
「美味しかったよ亜夜子。ありがとう」
紫音は立ちあがり、懐から小さな箱を取り出す。
そして亜夜子に握らせた。
「お礼だ。一月後も期待しててくれ」
「まぁ、嬉しいですわ。開けても?」
「ああ」
箱の中身はブローチ。
赤いガーネットのブローチである。深紅は亜夜子に似合う色だ。
「ありがとうございますお兄様。次のパーティにはこれを付けて行きますわ」
「ああ。プレゼントした甲斐がある。じゃあ、俺は部屋に行って本家からの荷物を確認する。亜夜子は……」
「私は夕食の用意をいたしますわ。今日は豪勢にしますわよ!」
「分かった。上で待つよ」
紫音は立ちあがり、二階の自室へと上がる。
扉を開くと、デスクの上に小包が置いてあった。両手で抱えるほどではない。持ち上げてみると、想定よりも重かった。
カッターナイフを手に持った紫音は、サクッと箱を開ける。
(これは……断熱素材?)
中には大量のドライアイスがあった。
そして一番上には封筒に入った手紙が乗っている。紫音が手紙を取ると、その下にはどこかで見たようなハート型の箱が見えた。
「マジですか当主様」
紫音は微かな希望を抱いて手紙を開き、確認した。
『首尾よく
母より』
いやちょっと待て、まさかチョコは手作り? という思いが紫音の中で駆け巡る。
まさかあの魔王とすら言われる四葉真夜がチョコレートを作っている姿など想像もできない。恐らくは使用人に用意させたのだろうと予想する。
間違っても真夜がキッチンに立ってチョコを作っている姿など想像したくない。
「……いただきます」
ハート型の蓋を開け、中身のチョコをかじる。
甘くてちょっぴり苦い、大人の味だった。
(後で当主様に電話しないとな……憂鬱だ)
同時に一月後のホワイトデーを思い、溜息を吐いた。
真夜様(ワクワク。紫音さん、食べてくれたかしら?)