ほのか、恥ずか死ぬの回です。どうぞ
暗闇の中で『それ』は微睡んでいた。
いや、『それ』には知覚能力がない。この物質世界を見渡すことも聞くこともできない。しかし、湧きあがる歓喜にも似た感情と使命感を思わせる衝動が『それ』に力を与えていた。
――あの方に
思考する。
どうすればこの歓喜を表せるのだろうか。
――会うために
更に思考する。
どうすればこの衝動を処理できるのかと。
――ああ、動く
そして確かめた。
指が、腕が、足が、肩が、首が……。
口すらも動く。
「アナタハ、ドコニ……」
深夜、第一高校ロボ研ガレージで機械的な音声が響いた。
◆◆◆
「ロボットが魔法を使った? 本当だったのか」
「紫音も手伝ってくれないか?」
「それは噂のロボットを調べるために、ということか?」
バレンタインの浮ついた空気も消えた二月十五日。
その昼休みに紫音は達也から呼び出されていた。その理由はロボ研ガレージで管理している家事手伝いロボット、通称3Hが魔法を使った反応があるというものだ。如何に魔法がブラックボックスに包まれた現象であるといっても、流石に無機物である機械が発動したというのは信じがたい。今朝から噂にはなっていたが、紫音は気にしていなかった。
(そういえばパラサイトがロボットに憑りつくイベントがあったような……確かピクシーだっけ?)
ほぼ強制的に達也に連れていかれる中、紫音はぼんやりとした前世の記憶から知識を引き出していた。言われてみれば、そのような話もあったと思い出せる。
P-94という試作型お手伝いロボットにパラサイトが憑りつき、達也の仲間になるイベントである。識別コードがP-94なので通称ピクシーというわけだ。
(一校にパラサイトが襲撃した時、達也が
どこかへと消えて行ったパラサイトは別の人間に寄生する可能性もあった。しかしパラサイトが現実世界に干渉するためのサイオン体が吹き飛ばされたことで一時的に弱体化した。結果として人間に寄生する程の力を取り戻せず、人に近い形状のピクシーへと宿ったのだ。
多少の歴史が変わっても原作と同じ奇跡が起こっていることに感心や呆れを抱いていると、いつの間にかロボ研に到着していた。そこには野次馬の他、五十里啓、千代田花音、中条あずさ、そして遠くを見れば服部刑部もいる。
「司波君、それに四葉君も来てくれたのか」
紫音と達也の姿を真っ先に見つけたのは五十里だった。
そしてどこかホッとした表情を浮かべる。
「五十里先輩、お疲れ様です。それに中条先輩もいらっしゃったのですね」
「は、はい! 多くの生徒が不安を感じているようなので……一応」
新生徒会長となったあずさだが、相変わらずおどおどとしていた。しかし、彼女が呼ばれた理由は生徒会長であるというだけではない。数少ない、機械に対する知識を有するためだ。
この魔法科高校は魔法に特化した者を集めているため、純粋な機械の知識を有する者は少ない。達也、五十里、あずさあたりが一番の有識者だろう。勿論、この中でも達也がやはり飛びぬけている。
ただ、あずさとしては関わりたい案件ではなかったらしい。
不安そうな態度は変わらなかった。
「ロボットが魔法となりますと、オカルトに近いですね。先生方は?」
「さっきまで
「つまり、本当に魔法を使った可能性があると?」
「現にサイオンレーダーには記録が残っているからね。それにサイオン波はP-94のボディパーツから発せられたみたいだよ」
「なるほど……」
答えを知る紫音は異能を発動させる。
つまり波動を観測する能力だ。それにより、P-94の内部を観察した。
達也は紫音が能力を使ったと察知し、問いかける。
「どうだ?」
「ああ、やっぱりいるな」
「いる、というのはパラサイトか?」
「そうだ」
「五十里先輩、確か胸部パーツの中は電子頭脳と燃料電池の格納容器ですよね。サイオンが観測されたのはどちらですか?」
「電子頭脳だよ」
「紫音」
「パラサイトがいるのも電子頭脳だ。種は割れたな」
紫音は風紀委員の特権で持ち歩いているCADを取り出した。フラッシュキャストでほとんどの魔法をCADなしで発動できる紫音にも、それができない魔法がある。たとえばパラサイトを完全に消滅させる新魔法『ディスインティグレーション』だ。
いつでも発動できるようにしつつ、紫音は近づいた。
達也も背後から張り付くように続く。
「俺が電子頭脳を調べる。紫音は何かあればパラサイトを滅してくれ」
「この位置から殺っておかなくていいのか?」
「機械が魔法を使ったというのは興味深い」
「まぁ、そうだな」
「それに調べるのは今じゃない。メンテナンスルームで詳細に調べる」
紫音が知る未来ではパラサイドールというパラサイトをアンドロイドに搭載した魔法兵器が実験運用されていた。つまり、それだけの可能性を秘めているということである。達也が興味を抱くのも仕方ない。
それに達也の目的を考えれば危険だからと捨て置けるものでもなかったのだろう。
また達也一人ならば、深雪の安全を考えて封印措置を取ったかもしれない。しかし、ここにはパラサイトを消滅させる魔法を習得した紫音がいる。そのため、達也も大胆な行動に出た。
「中条先輩、メンテナンスルームの使用許可申請をお願いします」
「分かりました……はい、四限目の終わりになります」
「あとはサイオンレコーダー、プシオンレコーダーによる監視を強化しておきましょう。それに生徒たちが近寄らないように通達をお願いします」
「あの、やっぱり危険なんですか?」
「ええ。爆発しないことが分かっている不発弾といったところでしょうか。無暗に触れて欲しいものではありませんね」
「わ、分かりました!」
あずさもそうだが、パラサイトについて知らない者はかなりいる。USNAが実験の失敗で異界から呼び出したデーモンの話はニュースになっているので大抵の生徒は知っていたが、一校をパラサイトが襲った事実を知る者は当事者以外にいない。
しかし不発弾を例に出されたことで、あずさも危険だと察したのだろう。
達也は無暗に盛ったり、脅したりする人間ではない。
(このままなら、原作どおりだな)
そんな中、紫音は一人だけ場違いなことを考えていた。
◆◆◆
メンテナンスルームはCADの設定や簡易改造を行える一校の設備だ。専門的な機械が揃っているだけに、使いこなせる生徒はほとんどいない。達也はそんな数少ない生徒の一人だった。
そして今回のチェックでは余計な野次馬は服部が排除している。
紫音と達也の他、深雪、五十里、あずさ、ほのか、エリカ、レオ、幹比古、美月だけが同行していた。ちなみに五十里やあずさ以外のメンバーも野次馬ではないかという点だが、それはそれという奴である。
「とりあえず、今朝あったことの詳細を教えてください」
メンテ室を見回した達也が五十里に尋ねる。
大きく頷いた五十里は簡潔に説明を始めた。
「うん。七時頃のことだね。P-94は自己診断プログラムを走らせていたんだ。そしてプログラム終了後は待機モードになる……はずだった」
「異変が起こったんですね?」
「それがネットワークにアクセスを開始したんだ。それも学内の、特に名簿に関する情報にね。マルチウェアに感染したと思ったみたいで、遠隔管制しているアプリケーションが強制停止コマンドを送った。でも、P-94はコマンドを無視して動き続けたんだ。最終的には学内ネットワークから無線を遮断してようやくアクセスが止まったんだけど……」
「普通ではあり得ませんね。軍用機でもない限り、強制停止コマンドに逆らえるはずもありません」
「そうなんだ。ソフトウェアが抵抗できるわけがない」
「なるほど。まさに魔法、ですね」
停止コマンドが受信されていたことは確認されている。つまり、ハードウェアとしてもソフトウェアとしても停止していなければおかしいのだ。しかし、それを無視して電子的に動き続けていた。
「まるで何かを待ち続けているような表情を浮かべていたよ」
「ピクシーには表情を変える機能を搭載していなかったと思いますが……」
「動画が残っているけど、見るかい?」
「あとで確認します。それよりも、電子的に停止しているハズのピクシーが稼働を続けたということは、外部から電子的にしろ魔法的にしろ、何かの影響を受けたと考えておられるわけですね?」
「流石だね司波君」
満足気に頷いた五十里。
彼は達也の能力を認めている一科生の一人だ。改めて達也の優秀さを確認したといった様子である。
事情を確認した達也は、紫音をチラリと見てからピクシーに指示を出した。
「ピクシー、サスペンドモードを解除。今朝七時以降の操作ログと通信ログを確認する。その台の上に仰向けに寝て、インスペクションモードに移行しろ」
「アドミニストレータ権限を確認します」
ピクシーは面倒なキーボード操作などをする必要はない。
AIが日本語を認識し、口頭での命令を受け付けてくれるのだ。ただし、誰の命令も受けるわけではない。命令権限を有する者だけを認識して、コマンドを受理する。
達也の場合、胸に認証を付けていた。
ピクシーは台車の上で達也を見つめる。だが、その視線は胸元ではなく顔に向けられていた。
「達也」
紫音は観測していたパラサイトの波動が瞬間的に活性化したことを知らせる。達也はすぐに回避行動に移った。
同時にピクシーも「ミツケタ」という音声を発し、達也へ飛びかかった。
先に動き始めていたので回避は簡単だ。
しかし達也が回避した場合、その直線上の背後にいる深雪へとピクシーが向かってしまう。
(回避、不可能)
達也はピクシーを受け止めた。
しかし、紫音は何もしない。『ディスインティグレーション』も使わない。何故なら、ピクシーは達也に抱き着いただけだった。
『……』
沈黙が支配する。
そんな中、予想外の人物によって沈黙が破られた。
「へぇ、司波君って、ロボットにもモテるんだ……」
それはメンテ室に入ってきて、一連の流れを知らない花音だった。
一気に部屋の温度が下がる。
達也は『ロボットにも』とはどういうことだなどと心の中で反論するが、それどころではない。
「お・に・い・さ・ま?」
「落ち着け深雪。話せばわかる」
そして室温を下げた犯人は深雪である。
まるで浮気現場を見られた男だった。
深雪だけでなく、ほのかも咎めるような視線を向けていた。
(参ったな……)
鈍感な男、達也の言い訳は止まらない。
「俺から抱き着いたわけじゃないことは深雪も見ていただろう?」
「お兄様なら回避できたはずです。まして紫音さんの合図があったのですから」
「俺が避けたら深雪にぶつかっていただろう?」
それを聞いてレオが感心する。
「あの一瞬でそこまで計算したのかよ。流石だな」
「それぐらい当然でしょ?」
一方でエリカは『当たり前』といった様子でレオにツッコむ。
そこまで言われ、深雪は萎れるように謝罪した。
「申し訳ございません。まさかそこまで考えてくださっていたなんて……」
ちなみに花音は何のことか分からないという表情を浮かべており、五十里から一連の流れを聞いて呆れていた。
そしてひと段落したところで達也はピクシーを引き剥がすことにする。
「紫音」
「問題はない」
「分かった……ピクシー、離れてくれ」
何故か名残惜しそうな表情を浮かべている気がしたが、命令通りにピクシーは離れた。それでいて熱っぽい視線を達也に注ぎ続ける。
達也はどうにもそれが気になった。
気のせいだと思えば、気のせいにも思えるが、パラサイトが宿っているだけに油断ならない。そこでパラサイトに対して感受性を有する紫音と美月に問いかけた。
「紫音と美月にはどう見える? 幹比古は美月を頼む」
幹比古は簡易的な結界を敷き、美月へのプシオン光による刺激を弱めた。
二人は感知した結果を告げる。
「このパラサイト、ほのかに繋がっているな」
「はい。間違いなくほのかさんのパターンです!」
紫音には分かっていたことだが、ピクシー内部のパラサイトとほのかは接続されている。しかし、ほのかにパラサイトが宿っているわけではない。ただ、情報次元的に結合しているだけだ。
ただ、勿論ほのかは驚愕した。
「え、ええええええっ!?」
どういうことだ、というのがこの場にいる全員の総意だった。
そこで紫音が詳細な説明をする。
「このパラサイトはほのかの思念の影響下にある。ただ、ほのかが操っているわけじゃない。そもそもパラサイトは単独での思考能力を持たず、寄生体の精神に由来した精神を獲得するわけだ。このパラサイトはアンドロイドに宿りつつ、ほのかの思念によって精神性を獲得した……というわけだ。ただ、その繋がりが生じた理由については不明だな。心当たりはあるか?」
「え……」
「そうです! そんな感じです! あれ? ということは、ほのかさんが強く思ったことがピクシーに焼き付いた……ということですか?」
よく見えている美月は紫音の説明に納得する。
一方でほのかは驚愕と混乱で言葉を発することができない。
顔を赤くし、両手で覆って恥ずかしそうにしていた。彼女にも心当たりがあるらしい。
『その通りです』
そして美月の疑問に答えたのは、ピクシーだった。とても機械とは思えない、流暢な声で話し始める。答え合わせのように、パラサイト本体から事情がもたらされた。
『私は彼に対する、彼女の想いを受けて覚醒しました』
彼、彼女とは言うまでもない。達也とほのかだ。
「テレパシー……なるほど。魔法ではなくサイキックだったのか」
「そのようですね五十里先輩……言語によるコミュニケーションは可能か?」
『はい』
「随分と流暢だが、どうやって言語を学んだ?」
『前の宿主より知識を引き継いでいます』
「ということはやはり、あの時のパラサイトか……」
達也は渋い表情を浮かべた。
つまり、このパラサイトは達也が『術式解体』で吹き飛ばしたパラサイトということだ。自分の魔法が原因で、ほのかに間接的なパラサイトの影響がもたらされた可能性がある。
まずはそれを確かめなければならない。
「まず、お前のことは何と呼べばいい?」
『この体の個体名称については、先ほどから貴方が呼んでいました』
「ではピクシー、お前は俺たちに敵対する存在か? そしてほのかに害を与える存在か?」
それは幾らなんでもストレート過ぎるだろう。紫音以外はそう思った。
しかし、達也は既に四葉家が解析したパラサイトの特徴をドキュメントにて理解している。パラサイトが人間よりも純粋であることを知っていた。それが特に、ほのかを基準にしたパラサイトなら尚更だ。
達也の予想通り、ピクシーは素直に返答した。
『私は貴方に従属します』
「何故?」
『貴方のものになりたい』
ピクシーは両手を胸の前に組み、そう告げる。
それは本当に人間的だった。
『私は個体名『光井ほのか』の残留思念を受けて覚醒しました』
ヒュゥッと鋭く息を呑む声が後ろから聞こえる。
勿論、ほのかの口から出されたものだ。達也と紫音が振り返ると、深雪とエリカが二人がかりでほのかの口を抑え込んでいた。
その間にもピクシーは続ける。
『貴方に尽くしたい』
ほのかは抵抗して暴れる。
『貴方の役に立ちたい』
背後の呻き声が激しくなった。
『貴方に仕えたい』
もはやなりふり構っていないが、流石に深雪とエリカの二人から逃れることはできなかったようだ。
『貴方のものになりたい。貴方に全てを捧げたい。それが私を目覚めさせた祈りです』
パタン、と背後で音がする。
紫音がチラリと目を向けると、力尽きたように膝を突くほのかの姿があった。
まさにこれは公開処刑。
精神的処刑である。
『私を突き動かすのはこのような欲求です。故に貴方に従属します』
それはトドメだった。
ほのかの思念と接続し、影響を受けているという事実は紫音と美月が証明してしまった。つまり、ピクシーの発言は、一字一句の間違いなくほのかの意思ということだ。
やっべ。
まじかよ。
ドン引きです。
口には出さないが、そう思われているようにほのかは感じた。
「興味深いな」
「達也、それはどちらの意味で?」
「聞かずとも紫音なら分かっていると思うが?」
「まぁ、情報的、あるいは学術的な意味だろう?」
「分かっているじゃないか」
どちらにせよ、ほのかはガックリと崩れ落ちた。