皆さん、体調には気を付けていきましょう
二月十八日、午後二時。
この日は土曜日なので魔法科高校も午前で終了だ。紫音は黒羽家が用意した隠れ家で準備を進めていた。だがそこで真夜から電話がかかってきた。
携帯端末に映された『当主様』の文字に溜息を吐きつつ、通話をオンにする。
「紫音です」
『忙しいところをごめんなさいね』
「いえ」
『用件だけを手短に言うわ。国防情報部防諜課第三課が動いているわ』
「国防軍が動いているということですか?」
『七草家よ。先生がこちらに情報を渡してくださいました。弘一さんはどうやってもこちらに手を出したいようね』
紫音も七草家の介入は予想していた。
あの家は様々な伝手を有しており、九島家という味方を剥がしたところで何かしらの手段を取ってくる。正確には九島家というより九島烈個人との伝手だが、どちらにせよ紫音はそちらを抑えているので問題はない。
「随分とややこしい戦力図になりそうですね。四葉とスターズ、それに達也もお友達や独立魔装大隊と何か企んでいるようですし、加えて七草ですか」
『そうね。でも紫音さん、私たちの本当の目的は忘れていませんね?』
「
『分かっているならいいわ。私たち四葉は既にパラサイトへの対抗策を得ていますから、あの男を逃したところで問題にはなりません。寧ろ今後の布石になるでしょう』
「心得ています」
『朗報を期待しているわ』
通話が切れたことを確認し、紫音は端末を降ろす。
すると部屋に亜夜子が入ってきた。電話が終わった途端に入ってきたことから、部屋の前で待っていたのだろう。
「お兄様、当主様から何か?」
「七草の手の者が介入してくるらしい。カノープス少佐にも仮想敵戦力の追加を知らせてくれ。詳細は俺が後でまとめておく。父さんなら何か知っているだろうし、そっちに聞いてみるか……」
「分かりましたわ」
「それで亜夜子は何の用だったんだ?」
「文弥の部隊がノー・ヘッド・ドラゴンの動きを掴みましたの。念のため紙にまとめた資料をお持ちしましたわ」
「助かる」
紫音は見せても良い情報と見せたくない情報を巧みに使い分けていた。あまり紙による伝達ばかりをすると電子的情報の少なさから逆に怪しまれてしまうので、この辺りの匙加減が難しい。
「ノー・ヘッド・ドラゴンはヘリと船で逃げるつもりか……こっちで逃走経路は確保してやったか?」
「そちらも文弥に任せましたわ。あの子ったら張り切っちゃって」
「まぁあいつなら問題ないだろ。なんだかんだで優秀だからな。俺の代わりに黒羽を継ぐ可能性だって大いにあるわけだし」
「お兄様は四葉家次期当主最有力候補ですし、最近は文弥も色々頑張っているみたいですわ」
「よし、ならそっちは任せて俺たちも仕事をしないとな」
紫音は読んだ資料を破り、発火の魔法で処分する。
作戦開始予定時間は六時間後。時間はぎりぎりだ。二人はまた忙しく準備を始めたのだった。
◆◆◆
今夜にでもパラサイトの一団が脱走すると知らされた達也たちだが、こちらも準備を進めていた。吸血鬼事件の主犯をUSNA軍より先に始末するという名目から、独立魔装大隊の協力も得ている。ただ政治的配慮もあって軍が直接動くことはなく、あくまでも達也を助けるというものに留まっていた。
しかし達也からすれば縛られることなく恩恵だけを受けられるという点で悪くない。
そして何より、達也には切り札とも呼べるものがあった。
「ピクシー、反応は?」
『マスターの予測通り、こちらに向かっています』
「そうか」
それを聞いた達也はすぐにエリカや幹比古、そしてレオに連絡した。病み上がりであるはずのレオも、『リハビリ代わりだ』などと意気込んでいたので呼んでいる。
「お兄様、では……」
「これから一戦交えることになると思う。できるだけ逃したくはない。紫音は別の思惑で動いているみたいだが」
達也はチラリともう一人の同行者に目を向けつつ、言葉を濁した。
そのもう一人とは、光井ほのかである。彼女は達也と深雪が四葉とかかわりがあると知らない……いや知ってはいけない人間なので、言葉を濁すしかなかった。
一方でそんな配慮をされているとは知らないほのかは、首を傾げる。
「四葉君も何かしているんですか?」
「十師族だからね。七草家や十文字家も色々としていたと聞いているよ」
「あ、そうですよね」
達也に関しては疑うことを知らないというべきか、ほのかは実に素直だった。こうして余計な詮索をしないからこそ、達也も彼女を連れてきている。
だが、彼女を連れてきた最も大きな理由はピクシーにあった。
人型ロボットであるピクシーに宿ったパラサイトは、その根源がほのかと繋がっている。ピクシーの力を借りるにあたって、力の源であるほのかを連れてくるしかなかった。また安全の面も考えてのことである。
「俺たちはピクシーを利用してパラサイトをおびき寄せ、封印する。その関係上、ピクシーと繋がっているほのかにも危険が及ぶかもしれない。本当にいいんだな?」
「大丈夫です! 私、頑張りますから!」
「分かった」
もう三度目にもなる確認だったが、ほのかは激しく首を縦に振っている。やはり緊張しているのかもしれない。
『マスター、来ます』
ピクシーの警告から三秒後、一体のパラサイトが現れた。
◆◆◆
横浜の倉庫エリアに一台の車が停止する。
自動化された現代においては珍しく、運転手が自ら動かしていた。運転手はそそくさと外に出た後、すぐに後部座席のドアを開いた。
「こちらへ」
明かり一つない倉庫の一角は海に面しており、そこには一隻の船が停められている。後部座席から現れた浅黒い肌の男は、無言で船へと進んでいった。
だが次の瞬間、男二人は倒れる。
そして複数の影が倒れた男たちを囲んだ。黒で統一された彼らの中に、赤い髪を振り乱す女が一人。USNA軍が誇る戦略級魔法師にしてスターズ総隊長アンジー・シリウスである。
「カノープス少佐、確認を」
「はっ!」
シリウスの命令に従って、同行していたカノープスがまず浅黒い肌の男を調べる。僅かな月明りを頼りに麻酔銃による狙撃で気絶させた男二人を検分するも、カノープスはゆっくりと首を横に振った。
「偽物です」
「くっ……次です」
「はっ!」
スターズはパラサイト化した裏切り者フォーマルハウトを始末するため、辺り一帯の監視を強化していた。このために四葉の伝手は勿論、USNA本国に控える高官たちの伝手も使っている。スターズが堂々と活動することはないものの、こうして怪しげな作戦を実行中でも監視カメラなどを気にする必要がない。
しかしながら、ここまでしておきながら成果がないのは悔やまれる。
シリウスからは無言の苛立ちが感じられた。
(フレディの始末は必ず私たちが……いえ、私が)
彼らスターズが
脱走兵となってしまったアルフレッド・フォーマルハウトを始末することである。パラサイト化してしまったとはいえ、脱走兵の始末は総隊長たるシリウスの仕事だ。そのために太平洋を渡って日本にまで来た。
偽物だったなら、本物を見つけ出すまでのこと。
七賢人の言葉が正しいならば、ここに
◆◆◆
達也たちの前に現れたのはサングラスをかけた外国人の風貌の男だった。
彼の他に誰もいないことは精霊の眼のお蔭で分かっている。そのため奇襲の心配はない。ただし古式魔法の中には情報次元を欺くものもあり、
「お前は何者だ?」
「我々の名はフォーマルハウト。お前たちがパラサイトと呼ぶ者だ」
フォーマルハウトはうお座に属する恒星だ。
すなわち星の名称をコードネームとするスターズの関係者であることが分かる。そして恒星の名を持つスターズはエリート中のエリートだ。そんな人物にデーモンが憑りついているとすれば、まさしく警戒に値する。
人の形状でありながら人でない気配を発するという点においても違和感があった。
「我々はそこに囚われた同胞を解放するために来た」
「一つ質問だが、我々とはどういう意味だ?」
「君たちがパラサイトと呼ぶ我々は個々という概念を持たない。そこに囚われている同胞は個別の存在であると同時に同一の存在でもある。我々の一部を取り戻したいのだ」
「つまりピクシーを引き渡せ、ということか?」
「その通りだ。大人しく引き渡すならば、我々は日本に対して危害を加えるつもりはない。我々はこの国から出ていこう」
一見すると魅力的な提案だ。
パラサイトは日本の魔法師に対して大きな被害をもたらしている。実際、達也の身近な人間であるレオも被害に遭っているのだ。そのパラサイトがこれ以上の危害を加えないと約束してくれるならば、ピクシーを引き渡す価値があるかもしれない。
しかし、達也は根本的にパラサイトを信用していないし、またパラサイトに関する情報を得ていた。
「お前たちは元々この国から出ていく……いや、逃げ出すところなのだろう? どうしてそれが交渉になると考えた?」
「ならばここで破壊し、我々の同胞を取り戻すまでだ」
達也はフォーマルハウトから魔法の兆候を検知する。
パラサイトとなる前は発火念力の保有者だった。超能力に類する彼の能力は、視認した場所から発火させるというものである。それはパラサイト化によって強化されていた。またサングラスのお蔭で視線の先も分かりにくく、初見ならば対応は難しい。
しかし
即座に
「随分と急くじゃないか? 時間にでも追われているのか?」
フォーマルハウトも自身の魔法が消滅させられたことに気付いたのだろう。苦々しそうな表情を隠すこともしない。
そして達也の予想通り、彼には時間がないのだ。
四葉、スターズによる包囲網は彼らを確実に追い詰めていた。
そして追撃とばかりにピクシーは思念を発する。
『私の望みはマスターと共にあり、マスターの物であることです』
それはパラサイトとしてあるまじき願いだった。
願いの元になったほのかは達也の後ろで引きつった表情を浮かべているが、そんなことはお構いなしとばかりにピクシーは畳みかける。
『私の元々の存在がなんであろうと、願いの核がどこにあろうと、私は私です。私が私でなくなるのは嫌です!』
異界の精神に機械の体。
しかしピクシーは確実に一つの個を確立していた。
とはいえフォーマルハウトからすれば許せることではない。機械の身体がパラサイトとしての本能を奪い去り、ほのかの願いという表面的かつ最も強い精神を獲得してしまったのが今のピクシーだ。ならばその枷から解放することがフォーマルハウトの最優先事項となる。
「貴様!」
再びフォーマルハウトは発火念力を発動し、ピクシーを焼き尽くそうとする。パラサイトは肉体に依存する生命体ではなく、精神だけの存在だ。寄生している体が破壊された場合、新たな肉体を探し求めて彷徨うことになる。
精神体だけで存在を維持できる、間違いなく人を越えた悪魔のような生命体だ。
しかしやはり達也が魔法式を消去し、フォーマルハウトの超能力は掻き消されてしまう。更にここで達也たちの援軍が現れた。
「ぐっ! がっ!?」
死角からの激痛にフォーマルハウトは呻く。
しかし倒れている暇もない。追撃は気合の叫びと共にやってきた。
「うおおおおおおおおらあああああ!」
「ぐおっ!」
まるで車にでも撥ねられたかのような衝撃だった。
フォーマルハウトは人体とは思えない勢いで宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「へっ! しっかりと借りは返させてもらったぜ」
「あんたがやられたのはそいつじゃないでしょ?」
「うるせ」
奇襲を仕掛けたエリカは血糊を払いつつ折り畳み式の刃を再び構える。そして追撃役を見事に果たしたレオが腕に装着した武装一体型CADは硬化魔法をメインに登録している。フォーマルハウトを弾き飛ばしたのも硬化魔法による強化を施したタックルだった。
しかしこれでパラサイトを倒せるならば、一校を襲撃してきた時点で全て返り討ちにしている。
警戒すべきは人外じみた再生能力だ。
一校での事件を経験していなければここで油断していたことだろう。エリカとレオがいつもの言い合いに興じている間に、幹比古がしっかりと仕事していた。
(これは!)
起き上がろうとするフォーマルハウトは自身の周囲に浮かぶ複数の式を感知する。古式魔法の式とはいわゆる式神の類だ。つまり独立情報体である精霊を介する術式のことである。
この術式の利点は発動者の位置情報を誤魔化す術式を混ぜやすく、遠距離発動や遅延発動など応用もしやすい。
この場合、フォーマルハウトはいつのまにか術式に囲まれていたという状態になるのだ。
ただ幹比古が式神を紙を媒体に打っていたことがフォーマルハウトにとって幸運にはたらいた。発火によって次々と式神を排除し、悪霊払いの術式を破壊したのである。
(このままでは不味い)
このままではピクシーの内部に囚われた同胞のパラサイトを解放するという思惑が失敗するどころか、自分たちも囚われる可能性すらある。既に四葉家によって複数の同胞が囚われていることは
そこでフォーマルハウトも逃げに徹することを決める。
しかしそんなことを思った瞬間、強い冷気を感じた。二月ということを考慮しても不自然な冷たさであり、それが魔法による事象改変であることを知らしめてくれる。
「私が逃すと思いましたか?」
人ならざる者へと放たれるその魔法は『ニブルヘイム』。
空気すらも液体化させる高等魔法はフォーマルハウトを瞬時に冷凍させた。魔法の発動者である深雪は女王の気品すら感じさせる言葉を告げた。
「貴方に手加減は不要と思いましたので、全力で放ちました」
冷たい笑みを浮かべる深雪が目に映り、フォーマルハウトは動きを止めた。
◆◆◆
紫音はトラックに偽装した装甲車の中で待機しつつ、情報を集めていた。傍らでは亜夜子がキーボードをタイプしながら集めた情報を整理している。
「お兄様、横須賀外国人刑務所から例の二人が脱走したようですわ」
「手引きしたのは……まぁ
「得られた情報から死体爆弾を使われた可能性が浮上しましたので間違いありませんわ。追撃いたしますの?」
「横浜もそろそろ乱戦に突入するわけだし、
「御供しますわ!」
「頼む」
亜夜子の固有魔法である『極散』は存在を隠蔽する上で非常に有用だ。紫音も専用CAD黒薙を装備して装甲車の扉に手をかける。
「刑務所の件は情報隠蔽を進めておけ。メディアに露呈すると面倒だからな。それと脱走した
装甲車内で作業をしていた黒羽の部隊は紫音の命令通りに実働隊へと指示を出し始める。
それを確認して紫音と亜夜子は外に出た。