40話
うっすらと目を開ける。体は疲れ果てて動く気がしない。
死んだ気がしたが、何処か見覚えのある天井がそれを否定した。どうやら、まだ生きているらしい。周りにあの黒い陰陽師のような敵もいないのでガーネットを使用して回復する必要もない。
すると、何処かから声がした。
「起きたな」
どうやら、看病してくれた人がいたらしい。助けてもらったのならば、礼を言わねばならない。
「助けてくれて…ありがとうございます」
「なに、問題ない。それにしてもまた貴様か。今度は女を引き連れて何がしたいのだ?別に地獄めぐりなどしたい訳でもなかろう」
この誠実そうでハキハキした声は獄角さんのものだ。本当にこの人にはお世話になってしまった。何か贈り物とかそういうお礼をしたいが、さて受け取ってくれるか。
ところで、女とは誰なのだろう。俺は情けなくも彼女を救うことに失敗した。それは自分なんかには身に余ることだが、それでも成し遂げたかった。
まだコンクリートで固められるくらい硬くなった身体を動かして右方を見ると、そこにはボロボロになりながらもまだ息をしている武蔵ちゃんが穏やかな顔で寝ていた。
「むさっ、し」
疲れすぎてなんだか変なところで切れてしまった。
しかし、何故彼女がここにいるのだろうか。確かに俺は到達出来なかった。最後にがむしゃらに『生』を手繰り寄せて……まさか。
まさか生きるために
いや、身体は動かないから震えないか。
そうではなくて、つまり、彼女は俺にとってそれ程にも重要なものになってしまったのだろうか。いや、彼女は俺の師匠なのだから当たり前かもしれないが、こんなのは明らかに重い人である。
そして、驚くべきことがもう一つある。獄角さんが武蔵ちゃんを見れているということだ。何故か彼女はこの地獄では俺以外の存在から認識されていなかった。俺たちが離れ離れになって地獄に戻って結果ここで寝ているのはそのせいである。
「もう少し寝てたらどうだ?あれだけ疲弊していたのだ。まだ寝たいだろう」
眠気が思考を妨げてきた。確かにまだ身体は休養を欲している。今にでも動かそうとしたらストライキを起こされるくらいに。
「お言葉に…甘え、ます」
俺は重い瞼に押されてまた目を閉じた。
そういえば、あの夢を見なくなった。世界の悲鳴や歓声の夢だ。
世界の美点と汚点を鮮烈に示すその夢はもうこの網膜には映らない。
そういえば、あの夢のお陰で世界線達の感情に押しつぶされずに済んだ。毎日あんな夢を見させられたが、そこに限っては有難いと、そう思った。ー
その後は悪夢にうなされずぐっすりと熟睡できた。
次に目を開けた時は寝すぎで身体が動かない程だ。それでも、頑張れば起こせるのでしっかりと起こして辺りを見回す。
どうやら、まだ武蔵ちゃんは目を覚ましていないらしく、俺の横でぐっすり寝ていた。でも、しっかりと『鎧』の繋がりが確認できるので命に支障はないだろう。
ここは前に地獄に来た時に泊まった部屋だろうか。獄角さんはどこかに出かけていているのかここにはいない。
壁際には『鎧』以外の全ての宝石の入ったアタッシュケースと珥加理刀があるし、ポケットの中には残りのガーネット5個がしっかりある。
俺はスイッチを切り替え、思い身体に鞭打って布団から飛び起きた。
そんな感じで元気に起きたとしても、やる事がないことに気付いてその元気が無くなった。武蔵ちゃんが地獄で負っているはずの火傷などは完全に治っているようだし、特に何もする事がない。
さて、そんな時こそ読書である。別に誰かと話したいからという訳でなく、ただ暇を潰したいだけなので彼女が起きても何か言われることはないだろう。
数分後、獄角さんが帰ってきた。
「起きたか。身体の方は大丈夫か」
「はい。大丈夫です。あの、俺の師匠はまだ一度も起きてませんか?」
金髪の鬼は一度顔をしかめて、首を傾げて一考すると、何か閃いたように口を開いた。
「ああ、その女か。私が見ている限りは一度も起きてないぞ」
「そうですか…」
「まさか師匠だとはな。驚いた」
「ええ、どんなにお金や酒にだらしなくて我が道のみ征く人でも、俺にとっては一生かけて目指す目標なんです」
「それは良い事だな。…話は変わるが聞きたい事が沢山ある」
「なんでしょう?」
獄角さんは顔の色を変える。
決して殺気を放っているわけではないのだが、また別の冷たい空気がこの部屋を包みこんで凍えさせる。
「まず、今回お前はどうやってこの地獄来た?」
「六道珍皇寺の井戸です。確か、前にも誰かそこから来ているみたいですよ」
「ああ、記録は残っている。それと、他に誰か見たか?」
その問いを問う時、獄角さんは一層その目を冷たくした。
「…はい。黒装束の陰陽師です。戦闘もしました」
「ほう、何か言ってたか?」
「いえ、特に何も」
確か、「脆いな」などと言っていたが、それは俺の使い魔についてだろう。
それにしても、この俺が異性にも普通に話せるようになっている。これはどうしても赤の他人に話しかけなければならない『旅』というものの恩恵だろう。
「何があったんですか?」
「ああ、そうだな…」
「う〜ん」
獄角さんが話そうとしたその時、武蔵ちゃんは目を覚ました。
呑気に身体を起すと、獄角さんに気付いて時が止まったかのように動きを止める。
彼女はまだ自分は認識されていないと思っているらしい。
数秒間、彼女らは目と目を合わせると獄角さんから口を開いた。
「どうした女」
「まさか見えてるの!」
「見えているに決まって「わぁい!」
武蔵ちゃんは認識されたのが嬉しかったのか、それとも目の前に美しい鬼がいるのか獄角さんに飛びついた。
頰を指でつついたり、頭を撫でたり、セクハラしたりしている。
「やめんか」
「あひゅん」
獄角さんは嫌がって武蔵ちゃんをつまんで放り投げた。
人体をつまめるほどのパワーを持っているあたり彼女はやはり正真正銘の鬼である。
武蔵ちゃんは変な悲鳴をあげて倒れている。なにやら、ブツブツとあーだこーだ可愛いやら言っているが聞いてないことにしておこう。
「もしかして、現世に怨念が漏れていることと関係ありますか?」
俺が雪の中幾度と戦ってきたあれらは地獄の怨念の集合体と性質が似ていた。
もしかしたら、同じ存在なのかもしれないという予想は頭の中にあった。
「ああ、あちらの世界の
「俺たちは協力できませんか?」
この世界は史実とは乖離している。
抑止力も発動せずに地獄という近しい
俺が送り込まれたということはこの線は本来とは違う滅びを迎えようとしているに違いない。そんな勝手な義務感を抱きながら、この件に首を突っ込むべきだと判断した。
「まず貴様らの事について話してからだ。信用に足るかどうか、話を聞いてから判断しよう」
「分かりました」
俺は自分達の旅の話を語り始める。
どこかで恥ずかしがりながらも、その『語る』という行為はとても楽しい。
何というか、自分の自己承認欲求が満たされる感覚になるのだ。ああ、ネットやらで自慢している人の心理はこういうものなのか。真似したくなどないが分からなくもない感情だ。
「こんな、感じです」
「そうか」
些か、いや殆ど、というか絶対信じもらえていないだろうが、俺たちの旅路を出来るだけ簡潔にまとめて話した。
「その…一つお願いがある…あり、ます。お願い、です、から」
突然、獄角さんは畏まり始めた。たどたどしく敬語を使い始めたのだ。
その仕草はあまりにも意外だったので思わず目が飛び出そうになった。
そうまでして金髪の鬼の少女が頼んだ事は、
「何かに夢中になって目を輝かしている美少女っていいと思う!」
「武蔵ちゃんの場合はどんな状態の美少女でもワクワクしてるだろ」
「えへへ、まぁね。やっぱり純真無垢って素晴らしいわ」
武蔵ちゃんは優しい笑顔で見守っていた。
この煩悩まみれの純真無垢からは遠い剣豪さんは大丈夫ですかね。
いや、俺も一切人のことを言える口ではない。この捻くれた性格は純真無垢からは程遠いだろう。
獄角さんはクリスマスプレゼントを貰った子供のように深山家の13の宝石やガーネットを至近距離で眺めている。あの威厳のあった鬼が宝石の光の反射を楽しんだり、肌触りを確認したり、ともはや威厳は失われてしまった。
昔話などではよく鬼が人の村から財宝を盗んだりしているが、やはり金目の物に目がないのだろうか。
今更あの真面目モードに移っても何だか『だけど、こんな一面もあるんだよね』と微笑みがこぼれてしまうだろう。
といっても、家宝の宝石達を譲る気は微塵もわかない俺なのだった。
俺たちはその後もしばらくの間、子供の様な鬼を眺めてほっこりしていた。
しかし、鬼は自分が恥ずかしいことをしていると自覚した途端、綺麗に宝石らを元の場所に戻すと何事もなかったかの様にいつもの冷たい顔に戻ってしまった。
きっと、ここで恥ずかしがっていたらうちの師匠がまた飛びついていただろう。
「よし、閻魔大王様に相談しておこう」
淡々とその言葉は発せられた。
しかし、俺たちは決して見逃さなかった。
獄角さんが頬が緩みかけているのを必死で我慢していることを。