第178話 「博麗の巫女シロナ」
その日、幻想郷は雷雨に見舞われていた。まだ夏の夕方だというのに真っ暗で、常に雷鳴が鳴り、雨は家屋の玄関先にまであふれてくる。
そんな中、空に走った亀裂のようなひとつの稲妻が「無縁塚」に落ちた。一体の人形と共に…。
「ギシャシャシャ…!!」
人間の腕を生やした巨大な蛇の様な怪物が、森の木々の間を縦横無尽に駆け回る。よく見ると、その怪物は目の前を走る小さな影を追いかけていた。
「はぁ…はぁ…!」
その小さな影は懸命に走りながらも、もう限界だった。ふらふらと力なく手を振りながら、汗の滴が顎を伝ってこぼれる。その間にも蛇は大口を開け、その影に食らいつこうと飛びかかる。影は反撃として手に持っていた何本かの長い針を投げ、蛇の頭部に突き刺すが、蛇は構わず向かってくる。
「うっ…!」
小さな影がもうダメかと思い両腕で顔を覆った。
「そこまで!」
とその時、透き通るようでありながら力強く制止する声が響くと、蛇の怪物は動きを止め、そそくさと林の中へと消えていく。
小さな影…いや、黒髪の少女は汗をかいた顔で地面を見つめたまま、荒く息をついている。
「今の針…霊力がこもっていなかったわね。いや、貴方は込めたつもりなのでしょうけど、ほとんど無いくらい弱かった…だから蛇に効かなかった」
「は、はい…」
蛇を止めた声の主、”八雲紫”は少女の前に突然現れると、そう優しく話した。
「でも、今回初めて戦う妖怪だったにしてはよく頑張ったと思うわ、シロナ」
紫はそばへ寄って来た蛇の怪物の首元に貼られた符を剥がすと、怪物はもとの普通の蛇に戻り、どこかへと消えてしまう。
シロナはゆっくりと立ち上がる。フリーザとの最終決戦から5年もの年月が流れているため10歳となり、当時よりもかなり成長した姿になっていた。その顔つきは霊夢にもカカロットにもどちらにも似ていて、面影がある。
「今日はどうもありがとうございました!」
「また明日、同じ時間にね」
紫がそう言うとシロナは返事をし、森の中を歩いて帰っていった。
すると、紫の背後から彼女に仕える式神である八雲藍が姿を現して紫に耳打ちした。
「紫様、シロナはやはり博麗の巫女には向いておられないようですが」
「そうね…歴代の巫女をこうして指南してきたから言えるけど、ハッキリと言ってシロナの力は歴代の中でも平均以下…あの歴代最強と呼ばれた紅蓮や霊夢には遠く及ばないわ」
「…それならば、どうされますか?今までの紫様であれば、早々にもう1人巫女を作らせておりましたが」
「今はこれまでと状況が違う…300年前、次の子供を作る前に紅蓮が封印されたおかげで、その代で巫女の血は一度途絶えてる。他に巫女は用意できないのよ」
それを聞いた藍は薄目で紫の背中を見る。藍は知っているのだ、この主人が歴代の博麗の巫女をどうやって育ててきたのかを。
まず、博麗の巫女という役職は基本的に1000年以上昔に生きていた初代巫女の直系の子孫である女児にのみ継承される。基本的に当代の巫女に子供が産まれ、子が十分な年齢になると母親の次代の巫女に任命される。博麗の巫女に男性との結婚は許されているが、ほとんどの巫女は婚約は結ばず、子を授かるために自分で選んだ男性と短期間のみ暮らす方法をとっていた。
もしも生まれた子供が男児だった場合、巫女は女児が生まれるまで子供を生まなければならない。巫女の能力を十分に発揮・習得できないという性質を持つ男児は外の世界に送られるという。また、巫女の子が姉妹だった場合、継承権はその中で最も優秀な者に与えられる。
そうして何代も博麗の巫女は続いてきたのだが、300年ほど前に事件が起こる。当時の博麗の巫女、博麗紅蓮は家族を妖怪に殺害されてしまう。本来ならばその時点で紅蓮は次なる子供を産まなければならなかったが、そうなる前に紅蓮は復讐に駆られ幻想郷の妖怪を見境なく殺し続け、地脈封印の刑に処されてしまう。
博麗の巫女の血筋が途絶えてしまい、困った賢者たちはある方法を取る。過去に外の世界へと送り込まれた、博麗の巫女の血を継ぐ男を幻想郷へと連れて来て、そこから博麗の血筋を復活させたのだ。
それから何代か経過し、博麗霊夢が生まれた。
(…歴代の巫女と比較してカカロットとふたりの子供をもうけた霊夢がいかに特殊な例だったか…。それに、私も紫様も覚悟はできている…いつの日か、その罪を清算するときがやってくると…)
「ただいまー!」
シロナは勢いよくドアを開け、靴を脱いで部屋の中に転がり込んだ。すると、椅子に座って編み物をしていた金髪の女性が顔を上げ、にっこりと笑ってこちらを見る。
「おお、シロナおかえり」
彼女は霧雨魔理沙、今年で31歳になる。5年前、霊夢がいなくなってから次の世代の博麗の巫女に抜擢されたシロナを、霊夢とカカロットの代わりに預かって共に生活している。シロナも魔理沙の事を実の母親のように慕っているようだ。
「巫女の修行は順調か?」
「うーんと…今日はちょっと上手くいかなかったけど…大丈夫だよ、必ずお母さんみたいに強くなるから!」
「そうか…頑張ってな」
そう言いながらシロナを抱きしめてやる魔理沙だが、本音を言えばシロナには博麗の巫女としての過酷で自由のない人生は送ってほしくないと考えている。霊夢みたいに強くなったりしなくてもいい、ただ世界の色んなものを見て、優しい心を持って育ってくれればいいと思っているのだ。
…そして、魔理沙とシロナは夕飯を用意し、食べ始める。
「ああそうだシロナ…明日の朝、香霖のとこへ行く用事があるんだが、お前も一緒に来るか?」
「うん、私も行きたいな」
「何も、面白いものが見つかったので是非見に来てほしいそうだよ」
「ふーん…あのおじちゃんも昔から、面白いもの集めてるの?」
「そうだな…昔から変わらないな」
翌日。
「よう香霖、来てやったぜ」
魔理沙とシロナは森近霖之助が経営する香霖堂に訪れた。カウンターの奥で小さなガラクタをいじくっていた香霖はそれを置き、こちらに歩いてくる。
「やあ魔理沙、シロナもこんにちは」
「んで、面白いものって何だよ?」
「ああ、それなんだが…ちょっと裏へ来てくれないか」
魔理沙とシロナは香霖に案内されるまま、香霖堂の裏側のガラクタ置き場に行かされる。
「これさ」
「こ、これは…?」
そこで見たものとは…全体の所々が焼け焦げた、等身大のからくり人形だった。だが人間と比べても全く差がなく見えるほど精巧に造られた顔と頭部や手足が見て確認できる。項垂れるようにして壁に寄りかかっていて、右腕は根元の辺から千切れて無くなっている。
「まさか…人形?」
「どうやらそのようだね。数日前にあった雷雨の夜の次の日に無縁塚に落ちてるのを発見したんだ」
人形の目はぽっかりと穴が開いていて、中は真っ暗。
「でも、よく見てほしいんだ。傷んだ箇所から見える内部には木製ハグルマや電気配線が詰まっていて、これはどう見ても自分で稼働し動くためのからくりなんだ。それに見てくれ、この人形は左手で片腕を掴んでいるだろう」
香霖が言う通り、この人形は左腕で根元から折れて切断された腕を握って持っていた。
「だがよく見ると、この腕は”左腕”なんだ。最初は自分の千切れた右腕を左手で持ってるのかと思ったが、こいつは”左手で他の何者かの左腕を持っている”んだ。妙だろう?じゃあコイツの右腕はどこへ行ったのか?コイツは一体だれの左腕を持っているのか?」
「確かに妙で気になるが…これを見せるために私たちを呼んだってのか?」
「そうだが?」
「はあ…帰ってもいいか?」
「でも、私は気になるなぁ…そういうオカルトっぽいっていうか、謎なものって好きだなぁ」
シロナがそう言うと、香霖も嬉しそうな笑顔で言った。
「あははは、そうだろうそうだろう。僕はこれからこの人形を詳しく調べてみるよ」
香霖は謎の人形を肩に担ぎ、店の裏口から中へと入っていった。
「ま、アイツのああいうとこはやっぱり昔と変わらないな…あとでまた様子を見に来よう。私もあれが何なのか、ちょっと気になってきた」
そう言いながら、魔理沙とシロナは一旦家へと帰るのだった。
だが、彼女らは全く知る由もなかった。突如幻想郷へ迷い込んだ、この動かない自動人形が、今存在するこの世界にとってどれほど重要なキーのような存在であるのか、など…。