シロナは久しぶりに博麗神社へ帰ってきていた。定期的に…1週間に一度ほどは神社に立ち寄って掃除をし、両親が眠る墓にお参りをするようにしている。
「これでよし…と」
そろそろ太陽が真上に登りそうな時刻だ。シロナが神社を後にしようとしたその時…背後で何者かが階段を上ってくる音がした。妖気や邪悪な気配は感じない…どうやら普通の人間のようだ。
「誰だろ…?」
あの長い階段と獣道をわざわざ徒歩で登り切って博麗神社にまでやってきた物好きな人間…やや腰の曲がった丸い顔をした白髪の老人は少し息を切らしながら辺りを見渡し、シロナの顔を見た。
「おお…ここがあの博麗神社の境内…!そして、お嬢さんが今の博麗の巫女さんかな?」
「ええ、一応そうですが…」
シロナはそう返事をする。
「よかった…。私の名前は和正というのだが…今回は巫女さんに頼みたいことがあって、ここまでやってまいりました。ただ、今の巫女さんは神社にほとんどいないらしいので、いるのかどうか不安でしたが」
「あはは…私はシロナと言います、博麗の巫女になったばかりなのでまだまだ未熟ではありますが…できることなら何でもしますよ!」
「そうかい、それは有り難い…。ずばり、今回お願いしたいことは、私の護衛です」
「護衛…ですか…?」
「ええ、実は私は猟師を一時期やっていまして、引退したんですが久々に狩りがしたくなったんですよ。聞けば、近頃はクマが例年よりも多いようでして、それを狙いに行こうかと。ですがそこは危険な妖怪の目撃例が多い場所…私が猟をする間、妖怪が来ないように見張っていてほしいのです」
「もちろん、力になれるならなりますよ!!」
シロナは和正と名乗った男と共に、博麗神社の長い階段を降りていく。そして、その様子を鳥居の上に腰かけながら眺めていたスカーは、男をじろりと一瞥すると誰にも聞こえないようにつぶやいた。
「気を付けろよシロナ…そいつ、何か隠してるヨ…」
和正は猟師の正装に着替え、背中に猟銃を構えて準備をすると、シロナと共に妖怪の山の方面へ出発した。
ふたりは他愛のない世間話などの話題を繰り返し、笑い合いながら山道を登っていく。だが、ふたりがある場所に差し掛かると、和正は急に黙るようになり、ついには何もしゃべらずに黙々と歩くようになった。
「和正さん…?」
「…静かに。この近くに獲物がいる…熊だな、それも大きい。お嬢ちゃんはここで見張っていてくれ、私はこの先で撃つ」
和正はそう言うと、シロナをこの場において林の奥へと進んで行く。シロナは何故か頷く事しかできず、ここに残った。
「やっぱりプロの勘は凄いな…何が近くにいるのかわかるんだ」
しかし、数分待っても銃声はおろか獣の鳴き声すら聞こえない。聞こえるのは緑の葉が風に揺られる音と、虫の鳴き声だけだった。
(何かおかしい…?)
シロナが感じた違和感は、いつまでたっても発砲しない和正に対してではない。実際に凄腕のスナイパーは、24時間飲まず食わずで身動き一つせずに獲物の隙を観察し続けるという。原因は定かではないが、シロナの第六感が何かの不吉を感じ取っていたのだ。
「和正さん…!」
シロナは和正が向かった方向へ走っていく。すると、林の影に和正の姿が見えた…が、なんと彼は猟銃の砲身を自分の方へ向け、今にも発砲しようと引き金に木の枝をかけていたのだ。
「危ない!」
慌てて飛び出し、和正を突き飛ばす。幸いにも銃は発砲されず、地面を転がった。
「和正さん、一体何を…!」
シロナは和正の肩を掴んで揺らす。
「う…す、すまない…気がどうかしていた…」
「…何が、あったの?よかったら聞かせて…」
和正は少し目を瞑って何かを考えてから、シロナに全てを話した。
「私はこの頃、毎日夢を見るんだ。悪夢ではないが…そこには昔に死んだ私の師匠が出てくるんだ」
──もう40年も前になる。当時、現役の凄腕猟師だったタカノブさんという方がいて、その人の弟子として夢見ていた猟師になる道を選んだんだ。
何度か猟に同行させてもらって、タカノブさんの腕の良さを実感し、いろいろ教えてもらったよ。でもね、ある時に鹿を狩りに行ったんだが、そこへ巨大な熊が現れて襲われたんだ。
私もタカノブさんも必死に戦ったが、先にタカノブさんの銃弾が尽きた。あのひとはのしかかってきた熊を銃で抑えこみながら抵抗した。私は銃で熊の目か鼻の部分を狙って仕留めようと銃を構えたが…
「いいからお前は里へ下れ…!猟友会の仲間にこのことを知らせろ…人の味を覚えた危険な熊が出るぞと…」
心を恐怖で支配された私は銃を捨て、タカノブさんの言った通りにした。その後すぐに猟友会の猟師たち総出であの熊を倒したが、腹の中からはタカノブさんの衣服の破片や帽子が見つかった…。
「でも、私もあの時一緒に戦うべきだったんじゃないかと思う。それはそうだ、あの時私が撃っていれば、あるいはタカノブさんは助かったかもしれない。そして、夢の中に現れるタカノブさんは言う…」
『博麗の少女と一緒に、あの時のあの場所へ来なさい…』
「私はそれを、怖気づいて師をみすみす殺してしまった責任を取れという意味だと思った…君はいわば見届け人…万が一に死後亡霊となった私を成仏させるための…」
和正は話を終えると立ち上がり、猟銃を拾った。
「どうするの?」
「だが、どうやらそれは違うらしいと気付いた…。どうやればいいかわからないが、私の後悔の念を晴らすために私がしたかったことを成し遂げよう…」
和正は帽子をかぶり直し、決意を固めた目でシロナを見た。
「そうはさせるかァアア…」
その時だった。恐ろしい声があたりに響いたかと思うと、その瞬間に獣の咆哮が聞こえてきた。振り返ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
目の前ではひとりの男性が熊に襲われていて、その横で若い青年が銃を構えている。
「これは…あの時の…!まさかこれは、あの時の光景なのか!?」
その男性はタカノブ、横の青年は若かりし頃の和正本人であった。どういうことかは分からないが、ここで40年前の過去の出来事が繰り返されている。その光景に釘付けになる和正だが、その後ろにいるシロナはさらに別の何かに釘付けとなっていた。
「何なの…お前は…!」
目の前には、突如として現れた異形の妖怪がこちらに敵意をむき出しにしていた。大きな顔面に細長い手足が生えており、耳元まで裂けた大きな口を持っているが、その右目は仏像の顔の様になっており、その顔からもう一対の腕が生えている。
「おいらのくいもんを逃がそうとするやつはゆるさねェェエエエ!」
亡霊を喰らう妖怪の伝承は少なからず存在し、ここ幻想郷にも存在する。「コンガビト」、つまり「魂餓人」と呼ばれることもあり、死んだばかりの人間の魂が捕まってしまえば、そいつはほぼ永遠にコンガビトの餌としてあめ玉のように弄ばれながら何十年もかけて捕食される。
このコンガビトが出現した影響で、和正には過去の幻覚が見えているのだ。
「くうらええええい!」
コンガビトは大口から舌を伸ばし、シロナに攻撃を仕掛ける。鞭のようにしなる一撃であったが、シロナはそれを掴んで受け止め、握る力を込めて離さない。
「ぎゃあああ!」
「必死に生きた人の魂を捕らえ続けるなんて、許せない!」
シロナはそのまま舌を引っ張ってコンガビトを引き寄せ、その顔面に渾身の拳の一撃を叩きつけた。そのまま口の中に腕を突っ込み、手の平から霊力を放出し、その喉を貫いた。
「むぐああああ…そんなああああああ…!」
餌として捕らえていた魂たちを留めておくことができなくなったコンガビトは体内から魂たちに突き破られ、その体を朽ちさせていき、やがて砂となって消えていった。
一方、熊に向かって銃を構えた和正の視点が変わった。この視点は、忘れる筈がない…自分は若いあの時の自分に重なっている!ならば、やることはただひとつ…あの時できなかったことをやるのみ!
(やれ、当てるんだ!今だ!)
和正が引き金を引くと、放たれた銃弾は彼自身の覚悟を象徴するかのように何にさえぎられる事なく真っすぐに進んで行き、タカノブに噛みつこうとして開いた熊の口の中に入り込んだ。そのまま喉を貫通し、脳みそをぶち抜いて血しぶきが噴き出す。
「や、やった…私は、タカノブさんを助けることができた…」
その瞬間、その場は何事もなかったかのように元の時間に持った。熊の死骸もタカノブもいなければ、シロナが倒したコンガビトの亡骸の砂もない。だが、和正が確かに銃を撃った、という感覚だけは残されていた。
とその時、コンガビトに魂を開放された亡霊のタカノブが現れ、和正とシロナの前に立った。
「た、タカノブさん!私はずっと思ってきました…私があの時、もしも逃げないで銃を撃っていたらあなたは助かったのではないかと…!」
そう涙ながらに言葉をかける和正だが…タカノブはそんな彼の肩にそっと手を置き、にっこりと笑った。
「タカノブさん…私を許してくれるんですか…?」
タカノブは小さく頷くと、空へ向かって飛び上がる。
「ま、まってください!私もそのつもりでここへ来たんです、私も連れていってください!」
──和正、君は私の分の人生をこれからも存分に生きてくれ。そしてシロナという名の巫女…君のこれからの人生に幸福があらんことを…
タカノブは最期にそう言い残すと、その魂は天へ昇っていく。雲一つない晴れた大空は、後悔の念を打ち払ったひとりの男の心を現しているようにも見えた…。
【現在公開可能な情報】
幻想郷では、妖怪に襲われて死ぬ人間よりも獣に襲われて死ぬ人間の数の方が多いらしい。人を食べた獣はやがて年経ると妖怪と化してしまう事が多い。前回のあの猿もそうだったのだろうか。