今日もシロナは博麗神社へ訪れていた。週に一度の掃除や草むしりも終え、縁側に座ってぼーっと神社の敷地を眺めていた。
…そういえば、シロナにはずっと前から気になっていたものがある。それは、本殿の横にポツンと佇んでいるひとつの分社である。自分が小さいころからずっとあったし、母親の霊夢や紫もあの分社については特に何も言わなかったので自分も正体を知らないのである。
それでも、一応周りの草は取り除いてあるし綺麗にもしてあるのだが…。
「まあいっか」
シロナがそう呟いた瞬間だった。誰かがゆっくりと神社へ続く階段を上がってきている音を聞いた。
「お客さんだ」
恐らく、ここへ客が来るのはこの間の和正との一件以来である。
やがて現れたのは、やや緑色にも見える長い黒髪をもった女性だった。黒い羽織を纏ったその姿はどこか儚げな雰囲気を醸し出している。
「綺麗な人…」
シロナが思わずそう口に出してしまうと、その女性はシロナがいることに気付き、目が合った。女性は一瞬だけ目を見開き、驚いたような表情をするが、一言だけシロナに挨拶をすると例の分社の方へ歩いていく。
「どうも」
すると、その女性は持っていたカバンからノコギリを取り出し、それを使って分社の脚を切りはじめる。
「えっ、ちょっ、何してるんですか!」
それを見たシロナはおもわずそこへ駆け寄り、止めようとする。すると、その女性はすっと立ち上がり、シロナをじっと見渡した。
「私はこの分社を置いた者です。もう必要なくなったので回収しに来たんですよ。霊夢さんの子供でしょ、あなた…じゃあこんな邪魔のもの、いつまでも置いとく訳にいかないでしょう」
その時、この女性が少しだけ諦めたような、寂しそうな表情を見せた事に気付いた。
「あ…あなたは誰ですか?」
「私は…東風谷といいます。霊夢さんとは…古い知り合いでした。もうこの分社は本当に必要ないんですよ、だって私の神社に祭られていた神様は…とっくの前に消えているんですから」
「…なんで消えちゃったんですか?」
「ふ、巫女なのに分からないんですか…。神は信仰が無いと力を失い、存在を保っていられなくなる。私の守矢神社にいた二柱の神は外の世界で得られなくなった信仰を取り戻すためにこっちの幻想郷へ移住し、結果多くの信仰と力を取り戻しましたが…それから幻想郷では大きな出来事がたくさんありました。武道会、月の民の襲撃、そして宇宙人の侵略…それらからこの地を救ったのは、いずれも”神”ではなく”人間”でした。無意識のうちに、人々の心からは神の居場所がなくなっていたのでしょう」
東風谷はそれだけ言うと再び座り込み、分社の脚にノコギリを当てる。そして柄を引いて切り込みを入れようとした瞬間、東風谷は耳元で微かな囁き声を聞いた。
(───それを壊してはいけないよ)
「え?」
「どうしたんですか?」
後ろで見ていたシロナがそう尋ねる。
「いや…気のせいですね」
東風谷は再び鋸を引き、分社の脚を切断する。
すると、その瞬間───
ドォン! グググ…
どこかで揺れが発生した。震源はこの博麗神社から遠く離れた場所であったようなのでこの場は大した被害はなさそうだが…。
「今のは…どこだったんだろ?」
「…まさか、妖怪の山…私の神社の方!?」
東風谷は青ざめた表情で宙に浮かび上がり、そのまま妖怪の山が存在する北の方角へ向けて飛び去っていく。
それを見たシロナも追いかけて行こうとするが、今度はシロナは後ろから耳元で何かを囁かれた気がして思わず立ち止まる。
「誰!?」
(お前は当代の博麗の巫女か)
その声は、どうやら分社から聞こえてくるような気がした。
「あ、あなたは…!?」
「はあ…はあ…!」
東風谷は息を切らして、自分が巫女を務めている”守矢神社”まで帰って来た。
だが、そこで衝撃の光景を目撃していた。鳥居から本殿へと続く石畳のど真ん中の地中から得体の知れない不気味な物体が突き出している。幅で10メートル、高さにしてその3倍はありそうな半透明の青い卵のような物体だ。
卵の中には赤く光を放ちながら脈打つ球体が入っていて、それはゆっくりと卵の外側に移動しているように見える。
恐らく、先ほどの揺れはこの卵が地中から飛び出して来た時の衝撃によるものだろう。こんな巨大なものが神社の下に埋まっていたなど到底考えられないが…。
「一体、何が出てこようとしているの…!?」
東風谷が感じる限り、あの卵からは邪気のようなものは存在しない。かわりに、滅茶苦茶にのたうっているかのような膨大な神力が込められている。
そして次の瞬間、東風谷の見ている目の前で、卵が孵った。縦真っすぐに入った亀裂の中から透明なゼリーのような身体を持つ巨大な虫のような怪物が這い出てきたのだ。オレンジ色の複眼と6本の短い脚、細長い腹…そして胸部の中には心臓と思われる赤い器官が透けて見える。
巨大な蜻蛉のようにも見えるその生物は潰れた卵の上であたりを見渡している。よく見ると背中にはしわしわの翼が4枚生えており、これが渇いて固まるまでこの場を動けないようだ。
驚愕して動けない東風谷にも気付いているだろうが、特に意に介している様子はない。
「な、何なの…あれ…」
東風谷がそう呟いた時、遠くからまた別の何者かが近づいてきているのに気付く。振り返ると、そこには先ほど博麗神社で出会った少女…シロナがやって来ていた。
「やはり…生まれてしまったか」
だが、そう呟いたシロナからは普段の雰囲気を感じず、逆に東風谷にとって親しんだ者と同じ気配を感じられた。
「まさか…神奈子様!?」
時は、東風谷が急いで博麗神社を飛び立った直後の事。分社から聞こえる声を聴いて立ち止まったシロナは、その呼び声に従って分社に近寄った。
(博麗の巫女、こちらへ来い)
「あなたは誰?」
シロナは問いかける。
(私の名は八坂神奈子。本来は守矢神社にて祀られる神霊であるが、訳あって微かな意志のみここへ残されている。今、私の守矢神社にとてつもない脅威が鎌首を擡げて目覚めようとしている。どうだ、そこでお前に頼みがある。一時的に私をお前の身体に憑依させ、守矢神社まで連れて行ってほしいのだ)
「体に…憑依?」
(巫女であるならば神降ろしの素養があるはず。私はここから自力で移動するだけの力はない…向こうまで移動するだけの間でいいのだ、お前の身体を貸してほしい)
「よくわからないけど…いいよ、やってみる!」
(そう言ってもらえると助かる。では、参ろうぞ)
「ああ…当代の博麗の巫女の身を借りてここまでやって来た」
シロナの肉体に憑依している神奈子がそう言った。
「存在が消えてしまったとばかり思っていました…」
「ふ…全てはあの”羽黒蜻蛉”の成長を抑制するためだった。早苗よ…お前には何も説明なく諏訪子と共に姿を消したことは謝ろう。幻想郷に迷い込んだ羽黒蜻蛉の卵がこの神社の地下にあることに気付いた私は、ただでさえ信仰の少なさで減っていた神力を全て奪われる前に、自らで神力をほんの僅かだけ残して消し去った。羽黒蜻蛉の卵は我々の神力を吸収して育っていたからだ。成長をかなり抑制することはできたものの、羽黒蜻蛉はこの幻想郷そのものの養分を吸ってようやく孵化した…今はまだ身体も翼も渇いていないのでヤツはあまり動けない…しかし、ヤツの身体が固まり完全体となればこの幻想郷を脅かす脅威となるだろう。早いところなんとかしたいところだ」
「では、さっき博麗神社で私に声をかけたのは…神奈子様だったんですね」
「ああそうだ。あの時はお前に一言伝えるのが精いっぱいで、お前の力によって大分はっきりした意識を持てるようになった時にはお前はあそこを飛び出していたからなぁ」
「そ、それは申し訳ありません…」
「まあいい。私はこの時までかろうじて存在を保てていられたのは、当代の巫女…シロナと言ったか、こやつがずっと分社を綺麗にしてくれていたおかげだ。後で礼を言っておけよ」
「はい…!」
そう言うと、シロナの中の神奈子は憑依を解いた。シロナの表情から神奈子の色が消え、元に戻る。
「おっとっと…ほんとにここまで意識が無かった…!」
その途端、まだ飛行能力を持っていないシロナは地面に向かって落下し、スタッと着地する。それに気付いた羽黒蜻蛉は近くに現れたシロナを敵とみなし、唸り声を上げて威嚇する。
「さて…いっちょやりますか!」
シロナは構え、羽黒蜻蛉は上体を起こして鳴き声を上げる。
「おぎゃああああああ!!」
口から透明な揺らぎのようなブレスを吐き出し、シロナを狙う。シロナはジャンプでそれを躱し、空中で身を翻して羽黒蜻蛉の背後へ降り立つ。
が、羽黒蜻蛉はすかさず長い腹…いや、尻尾を振るい、石畳を捲れ上がらせその石を礫のように飛ばしてシロナを狙う。
「ウラウラウラウラ…!」
それを拳で破壊しながら接近し、そのまま拳による打撃を羽黒蜻蛉の胴体へ叩きつけた。衝撃を受けた巨体はバランスを崩し、その乾ききっていない柔らかそうな腕では立て直すことができずに転倒する。
「ぎゃあああ…!」
どこか人間の赤子の声にも聞こえる鳴き声が響き、起き上がろうともがいている。
近寄って追撃を与えようとするシロナだが、羽黒蜻蛉は首をありえない角度に回転させ、牙の並んだその口から透明な熱気のような波動を吐き出した。
「う…あっつ!」
両腕を顔の前でクロスさせて熱から身を守ろうとするシロナ。次の瞬間、羽黒蜻蛉の腕による殴打を受けて吹っ飛ばされる。
体勢を立て直して起き上がった羽黒蜻蛉は身を震わせ、徐々に乾いてきた翼を揺すった。
「大丈夫!?」
勢いよく吹っ飛ばされたシロナのもとへ早苗が駆け付け、何とか受け止めた。
「あ、ありがとうございます…!」
「あの化け物も強いですね…恐らく私も戦いに加わったところで無駄でしょうし…」
「大丈夫だよ…あれは私が何とかする」
と言いつつも、シロナではあの羽黒蜻蛉に決定的なダメージを与えることは難しいことは自分でよくわかっていた。もしも、シロナが怒り状態に変身を遂げたならば、もっと簡単に羽黒蜻蛉を倒し、鎮めることができるだろう。しかし、あの羽黒蜻蛉はたった今産まれたばかりで、善悪の概念すら理解していない。ただ産まれただけで、悪意も害意も全くと言っていいほど存在しない羽黒蜻蛉相手に、シロナは怒りを感じることができないのだった。
純粋無垢であるがゆえに、存在するだけで幻想郷にとっての脅威となされてしまう羽黒蜻蛉に対して、哀れみすら抱いてしまう。しかし、既に体が渇きつつある羽黒蜻蛉を放っておくわけにもいかない。
シロナは迷っていた。
今回のように、再投稿前にはなかった話もたまに入れるかもしれません。