「え?なにこれ」
八雲紫は、何かとてつもない不吉な気が幻想郷に出現したのを感じ取った。凝縮された、この世に存在する負の存在を全て固めたような気の持ち主が、幻想郷に居る。
そのオーラは巨大でこそないものの、まるで白い紙にポタリと黒いインクを垂らしたかのように、ハッキリと感じ取れた。
シロナは足を強く踏み込んで前へ飛び出し、一瞬でスカーに接近し、その腕から伸びたギザギザした鋸のような刃を首筋へ突きつけた。
「確かに…私の名前はシロナだ。だが…なぜお前が私の名前を知っている?なぁ、本物のスカールよ」
「な…!?何だって…?」
シロナからかけられた唐突な質問に、スカーは唖然として答えることができない。
「しらばっくれるな!」
シロナはスカーに突きつけていた鋸の腕を振り下ろす。スカーは間一髪、横に飛んでそれを回避する。だが、その攻撃の風圧だけで今までスカーが立っていた場所の地面が大きく削られた。
「一体、何だって言うんダ…」
確かに、目の前に現れたこの女はシロナで間違いない。最後に見た時から5年近く経っているせいか、見た目も異なっているがそれでもスカーには確信できた。
しかし、何故シロナがこれほどまでに煮凝りのような、淀んだ油のような嫌なオーラを纏っているのかは皆目わからなかった。
「おい、お前何やってんだ!」
と、そこへ先ほどまでスカーと袁鬼の戦いを見ていた里の住民たちが集まってくる。囲まれたシロナは小さな声でスカーに耳打ちする。
「場所を変える。ついてこい」
次の瞬間、シロナの姿がフッと消えた。慌てたスカーがなんとなく気配のする方を見ると、そこには既に遠くで小さくなっているシロナの姿があり、スカーは急いでそれを追いかけた。
シロナが止まった場所は、里から遠く離れた川原であった。スカーもシロナからやや離れた場所で止まった。すると、シロナはこちらに振り向くことなく言った。
「見てるんだろ?」
「あ…?」
スカーは困惑した。
「ずっと、私がここへ来た時から見てるんだろ?幻想郷の根源にも関わる強力なバケモノたちが。理由は…私のような得体の知れない危険を排除したいため?ふっ…だけど安心していいわよ、すぐに済むから」
シロナが幻想郷に立ち入った瞬間から、ずっと彼女を見ている存在達がいた。八雲紫や摩多羅隠岐奈、幻想郷での特に強大な力を誇る者たちである。紫たちは、その姿を視るまでこの地に現れた危険分子を、シロナだと気付くことができなかった。だから、彼女らは困惑している…何故これほどまでにシロナは怒りに満ちているのか、シロナに手を出すべきなのだろうか、と。
そんな思惑の渦中の中心にいるシロナは、スカーに向き直り、腕の鋸を向けながら歩いてくる。
「長い事、探して歩いた…死んでいった仲間たちの最後の願い。それをやっと…私は達成することができる…。人造人間の首魁、諸悪の根源…スカールの破壊!」
「おい、何を勘違いしてやがル!?オマエに何があったのカ知らないが、ワタシはスカールじゃなくてスカーだヨ!」
ドン
次の瞬間、シロナの掌底突きがスカーの腹を打ち抜いていた。
「カハ…!」
「スカー…だと…?そんなヤツ知らないよ」
シロナは冷酷に言い放つ。スカーは内臓組織を破壊され、その場で蹲る事しかできない。
「さぁ、最期の時だスカール…覚悟しろ。そして、仲間の無念は今晴らされる…」
「ケッケッケ…ケケッ…」
「何がおかしい?」
「何を…いいやがル…。何年経とうが…オマエは何一つ変わってないんだヨ」
「なに…?」
ゆっくりと上半身を持ち上げながら、スカーはそう言った。シロナは攻撃の構えを解き、スカーの話に耳を傾ける。
「ケッケッケ…オマエがどれだけ、仲間とやらの死を踏み越えてここへ来タのカ…。そして、それをどれだけ自分の責任として背負い込んでいるのカ…。クックック…オマエの仲間が無念の死を遂げた瞬間から、オマエの人生は死んだ。オマエのイノチはオマエのものじゃなくなったんだナ」
スカーの言葉を聞いたシロナの目元が、影で隠れる。スカーには見える…今、シロナが立っている場所は、幾多もの仲間の骸によって積み上げられてきた場所であると。
「…ケッケッケ…ハーッハッハッハッハッハ!!笑わせやがるゼ、アオっちょろいガキが、一丁前に調子乗って掴んじまった重荷に苦しんでやがルのかヨ!?」
「黙れぇぇぇぇぇぇ!!!」
シロナは怒りを露わにし、左腕の鋸に加え、右腕のカッター、左足の斧、右足の錐を出現させ、今まで黒色をしていた髪の毛の色が魔法使いの金色に変色する。
「お前に私の何がわかる!?」
「オマエのイノチはオマエのイノチだろうガ!誰のものでもネェ、そんな事も分からねぇクソガキにおとなしく壊されてやるホド、ワタシも優しくねェんでナァ!!」
次の瞬間、シロナの頭上から特大の落雷が降って来た。それはシロナに命中すると、分散することなくそのままシロナを球状に囲うようにして蓄積されていく。
「効かないなァ、そんな雷…」
が、シロナが少し気合を発するだけで雷は散らされ、消滅してしまう。それと同時にシロナは高速で前へ踏み出し、そのスピードに反応できなかったスカーをタックルで突き飛ばす。だがスカーもその場で何とか踏ん張り、左手に持った左腕による突きを放つ。シロナもそれを防ぐために、錐と化した足で蹴りを放ち、互いの攻撃はぶつかり合う。
「ふっ…」
しかし、それでもやはりシロナの方がずっと格上だった。力負けしたスカーの持つ左腕は手から離れて宙を舞い、離れた場所へ落ちる。
「しまっ…!」
その隙にシロナは再びスカーの懐に潜り込み、その首と胴体を同時に真っ二つに切断しようと思いかかる。スカーもここまでかと思い、ぎゅっと目をつぶった。
パシュン…
その瞬間、シロナの頭の中で何かがはじけた。まるで風船が割れるようだった…それの中から溢れた膨大な量の”何か”は頭の中を内側から破裂させるかの如く荒れ狂い、シロナは耐え難い頭痛に支配される。
「ぐああっ!お前、今何をした…!?」
シロナは苦悶の表情を浮かべ、頭を押さえながら後ずさる。
「アァ…?オマエこそどうしたんだヨ…」
スカーは警戒しながらもシロナに近寄る。そして、手を差し伸べようとするが…
「やめろ、寄るな!!」
だが、シロナはその手を振り払う。スカーは何も言い返さずに、困惑しながらシロナを見るほかなかった。
(あ、頭が割れるように痛い…!!)
シロナはその場にうずくまり、顔には血管の筋がいくつも浮き出る。そして、その頭の中には聞いたことのない言葉や自分が発した記憶のない言葉が繰り返されていた。
──お前はここで待ってな…必ず悪者を全員ぶっ倒して帰ってくる。その時にはお前はお姉ちゃんだ
──これからはずっと一緒よ、私とカカロット、シロナとサザンカ…4人で暮らしましょう
──そいつは大事にとっておくんだな…
「ぐぐ…なんだこれは…!知らない…私はこんなことを言われたことはない…」
──イノチって何だ?動けるってことか?
「クソ…なんだこれは…!ぐうううう…ッ…!」
驚くべきことに、シロナの体にみなぎっていた気が見る見るうちにどんどんと小さくなっていく。その様は、彼女をずっと見ていた強力な妖怪たちが、一時的に「今ならばこの危険因子を倒せる」と思わせてしまうほどの弱体ぶりだった。
結果として起こったことは、空一面に光る粒が出現し、それは紫色や赤色の矢となってシロナただ一人を目がけて降ってくる。
「んだコレ」
スカーはその光景を見て呟いた。シロナとスカーの距離はわずか数メートル…あの規模の攻撃が次々シロナに命中すれば、余波によってスカーもただでは済まないだろう。
しかし次の瞬間、別の方向から何者かが颯爽と現れ、苦しんでいるシロナを抱えて一気に離れた場所にまで跳んでいく。ミルだった。一瞬だけ、ミルとスカーの目が合い、シロナは目を充血させながら、遠くで小さくなる自分を唖然と見つめているスカーに対して叫んだ。
「次だ!次に会う時が…スカール、アンタの最期よ!!」
上空から迫っていた妖怪たちの一斉攻撃は途中で消滅して止められ、その後の辺りには何事もなかったかのような静寂だけが残された。
「ふん…ワタシの方こそ、次にオマエに会ったら聞いてやるヨ。”この5年間、いったいオマエに何があった?”ってナ」