5日後、コンディションに万全を期したシロナは、諸悪の根源たるスカールを破壊するための戦いに赴くために再び幻想郷へと足を踏み入れようとしていた。神の神殿の一室に保管された水瓶の中に足を突っ込み、その中へ入りこむことによって幻想郷へと移動できるのだ。
「シロナ、行ってらっしゃい」
ミルが見送りに来ていた。
「ええ…じゃあね」
幻想郷へと降り立ったシロナ。今日は分厚い雲が空を覆っており、冷たい風が吹き荒んでいる。しかしそれと同時に、シロナはある違和感に気付いた。
(何だ…?人々の気が弱まっているような)
里から感じられる人間たちの気が、この間と比べてかなり弱くなっている。
基本、人造人間に気は存在しないため、気を探って位置を特定することが難しい。それはあのスカーにも同じことで、シロナは仕方が無くスカーを探してひとまず人里へ足を運ぶことにした。
「…活気が無いわね」
その時、シロナは人通りが妙に少ない事に気が付いた。いや、少ないというよりも全く外に人が居ないのだ。わずかに弱まった気が家や店の中に感じられるだけ。
「どういうこと?」
「病、ですわ」
突然背後から声が聞こえ、シロナは振り返る。そこに居たのは、中華風のドレスに身を包んだ八雲紫だった。紫は扇子の隙間から目をのぞかせてじっとシロナを見据えている。
「アンタ誰?それに、病だって?」
「それはシロナ、貴女がここへ戻って来た5日前の夜、その朝の事。この人里で数名が体調の不良、関節の痛みを訴えた。やがてそれは一日と経たないうちに里中に広がり、ほとんどの人間が同じ症状に罹った…。調べれば、それは今まで幻想郷には存在しなかった未知の病原菌によるものだった」
「へぇ…お姉さんなら何とかできそうだけど」
「それが…そうもいかなかった。病原体は患者の体内組織と深く結び付き、どんな手を尽くしても滅ぼせなかった。そして…さらにこの病気には先があったのよ」
次の瞬間、シロナの周囲の空間から黒い妖気で作られた網のようなものが飛び出し、捕らえようと襲い掛かって来た。シロナは後ろへ飛んでそれを躱し、腕を振るって網を切断する。
「感染した人間は長くても二日以内に、苦しんだ表情のまま意識がなくなり体が石のように硬直する。既にそうなっている者が里の人間全体で8割もいる」
「だから何よ?」
シロナがイラつきを露わにしながら紫に問い返す。
「幻想郷のシステムそのものを覆しかねない病を持ちこんだ貴女を幻想郷から追放する。あわよくば、ここで倒すのも有りかしら」
紫がそう言う間にも、空から無数の矢のような光弾が降り注ぎ、シロナを狙う。だが、シロナはそれを振り払おうともせず、または紫たちに反撃するでもなく、素早くその場から逃げるように飛び出した。すると、どこからか現れた妖怪の集団がシロナを追っていく。
「どこにいたんだあんなに…!」
シロナは民家の屋根の上を次々と渡り移りながら撒こうとする。現在、シロナは完全に気を消しているので姿さえ隠してしまえば気配で位置を探られることはない。途中で窓が開け放たれている民家を発見すると、素早くその中へ飛び込んだ。
「きゃっ!何なの!?」
その中に居た女性が驚きながらそう言った。突然シロナのようなただならぬ雰囲気を纏った少女が窓から入ってくれば戸惑うのは無理もないだろう。
「しっ。ちょっとの間静かにしててください」
シロナはそう言うと、窓の外からは見えない位置に移動した。
その様子を見た家の女性は、何やら壁に張られていた紙とシロナを交互に見ると、机の上の湯呑を手にとった。
ガシャン!
「いっ…?」
突然湯呑をぶつけられたシロナは、驚いてその方へ顔を向ける。
「あなた、”石病”を持ってきたっていう女でしょ…!もう皆知ってるのよ…突然消えた博麗の巫女が、恐ろしい病気を持って帰って来たって…!」
シロナはその時初めて気が付いた。開いた襖の向こう側の部屋に敷かれた布団の上で、ひとりの男の子が寝ていることに。その男の子は苦し気な表情を浮かべながらも、その目に憎しみの色を孕んでシロナへと向けていた。紫の言っていた症状が本当なら、様子からして恐らくもうほとんど体が動かないレベルになってしまっているのだろうか。母親であるその女性も、既に発熱や関節痛の症状が出ているらしく、赤い顔で息を切らしているのがわかる。
さらに、シロナの脳裏にはかつての同じような光景が浮かび出す。それはAA財団の施設にてエースを倒した時、守ったと思ったはずの子供たちから恐怖の視線を向けられた時と同じだった。
「ああ、クソ…」
シロナはそう言いながら再び窓から飛び出し、屋根の上を移動する。それを発見した妖怪たちがシロナの追跡を再開した。
どうやらシロナが里にいるという話は、先ほどまでの短い間に広められていたらしく、病状の軽い者たちが窓をわずかに開けてシロナを見ていた。その目はやはり、シロナに対していいものを抱いてはいなかった。
「…ふ」
自嘲気味に笑うシロナは、人里を抜けて広い荒れ地に出たところで足を止める。その瞬間に、妖怪たちの一斉攻撃がシロナへ次々と命中した。
煙が晴れると、そこには全く防御をせずにそれらの攻撃を受けたシロナが立っていた。しかし、体はいくらか傷が出来ており、明らかに多少のダメージを受けている様子であった。身を隠すために全身の気を消していたので、防御ができなかったのだ。
「…あら、観念する気になった?」
と、そこへ紫が現れる。
「どうだろうね…」
「抵抗する気が無いのなら、ここで甘んじて死を受け入れるのも手でしてよ」
「やれるものならやってみなさいよ。もうアンタらごときに私をどうこうできるとは思えないけど」
「大した力もなく両親の威光のみが持つものだった人の子が、随分と言うようになったのね」
「なに…?」
キュン ドドドドド…
その時だった。シロナと紫たちの間に、大きな槍のようなものが次々と振って来た。その槍が纏う月光の如き輝きは互いに結びついて組み合わさり、鉄格子のようになる。それはまるで、シロナを守ろうとしているかのようだった。
「さっきから聞いてれば、せっかく生きて帰って来たシロナに対して…」
「ちょっと言い過ぎじゃない?」
2人分の…いや、よく見れば3人分の姿がシロナの前に現れる。
「あなたたち…」
紫が憎々しげに目を細める。
そこへ現れたのは、八意永琳と蓬莱山史奈、そして史奈と同化している藤原妹紅の3名だった。
「八雲紫、聞きなさい。”石病”について分かったことがあるわ。今までウイルスだと思っていたものは…」
しかし、永琳がそう言いかけたところで紫は話を遮る。
「どうでもいいわ。どちらにせよ、石病により人間が多く倒れれば幻想郷の均衡が崩れる。防ぐには感染源であるシロナを消すしかないのよ!」
「アナタ、ちょっとおかしいわよ。らしくないじゃない、何故そんなに短格的に考えるのかしら」
永琳はそう言いながら、背後の史奈に目配せする。意図を察した史奈は小さくうなづき、シロナに肩を貸しながら起き上がらせて一緒に走ってゆく。
「待ちなさい!」
紫は逃げるシロナへ向けて攻撃を放つが、永琳の放つ弓矢の一撃がそれを相殺する。
「やらせないわよ。アナタも知ってるはずよね?月の民がどれほど厄介かということを」
そう言われた紫は、かつての幾度にもわたる月の民との戦いを思い出す。月面戦争、そして月夜見王率いる月の客との戦い。
紫は一瞬顔をこわばらせるが、すぐに歯を噛み締め、永琳をにらみつける。
「ええそうね…かくなるうえは…」
次の瞬間、頭上に出現した巨大なスキマへの入口が、永琳を呑み込んだ。
…永琳と紫は互いに正面から向き合いながら無重力の中に立っていた。周囲に浮かぶ無数の目玉の全てが永琳に視線を向け、敵意を露わにしている。その当の紫は、普段の綺麗な女性の姿ではなく、その身体は紫色と赤色が混ざり合った雲のような色合いで、体内の骨格と内臓が透けて見えている。顔に目は無く、頬と唇も無く、ずらりと並んだ釘のような歯が剥き出しになっている。
「それがスキマ妖怪の真の姿?」
「パ」
次の瞬間、永琳の両腕が胴体から切り離された。しかし、不思議な事に永琳の着ていた長袖の服は一切傷ついておらず、腕だけが無重力空間を流されていく。続いて、紫は永琳の首を掴み、頭部すら胴体と別れさせた。
永琳は死ななかった。正確には、死んだが魂があの世へ消える前に再び肉体を作りだして蘇った。永琳は細身の剣を持って紫の背後から攻撃をしかける。
「ヨ」
紫が永琳に対して小指を向けると、永琳の肉体はざく切りにバラバラにされてしまう。
「モ」
瞬時に蘇るも、紫が静かに合掌した瞬間に永琳は雑巾を絞られるかのように捩じれて砕ける。
永琳は思った。この空間内においての紫の力は無限大。妖怪含めたすべての生命体は成すすべなく、彼女に敵意を向けられた瞬間に死ぬ。しかし、どこか違和感があると。
(私は永久に死なぬ蓬莱人の身…それが誰のどのような能力でも覆せない事くらい紫であれば当然知っているはず。それなのに、私を何度も”殺す”つもりで攻撃を仕掛けてきている)
永琳は左手を拳銃の形にし、人差し指を紫へ向ける。同時に紫も永琳へ対して中指を向ける。
「フルス」
紫が聞き取れない言語で何かを詠唱し、永琳は指先から目に見えない衝撃波を放つ。
「プモモモモモモ」
真正面から一撃を受けた紫は状態を大きく後ろへ逸らし、その後に今度はうつむいて血反吐を吐き出した。が、永琳の両腕も霧散するように末端から消え始めていた。
(私の体の体積が膨らんでいる。肉体の内と外の境界を広げられたか)
さすがにこのままでは成す術がないと思った永琳は、咄嗟に口を開く。
「”
すると、どこからともなく巨大で筋肉質な腕が出現した。拳だけで数メートルもありそうな腕は永琳の体を掴んで握った。その間にも紫は永琳に仕掛けた能力の効果を早めるために呪文を詠唱するが、その腕に遮られて不発に終わった。
そのまま永琳は天之手力男神の手によってスキマ空間内から脱出した。
「チッ…」
紫の背後から影のように現れた謎の女が、静かに舌打ちをした。