…家に帰れば、そこにはいつもと変わらない…平凡で、ちょっとだけ幸せな暮らしが待っているはずだった。
その日は僕の誕生日。父さんと母さんは早めに仕事を切り上げて、ご馳走を用意して待っていると言っていた。寺子屋の授業を終えた僕は、逸る気持ちを抑えて家のドアを開けた。
「ただいま、父さん、母さん!」
しかし、帰宅すれば家にいるはずの父さんが居なかった。母親は僕の帰りを待っていたが、その顔は暗く沈み、今にも崩れそうなほど不安気だった。そう、待っていたのは…暗黒の淵と濁った結晶が映す、復讐の日々だった。
父さんは、里の留置所の中で何者かに惨殺されていた。数日前、父さんはひとりの男とハーレクインが怪しい薬物の取引をしている現場を目撃してしまう。ハーレクインはその場で逃亡し、残された男は父さんに襲い掛かった。必死の抵抗の末、父さんは男を誤まって殺してしまった。
しばらくして、警察に留置所へ連れていかれた父親は、例の男と取引をしていたハーレクインによって殺される。
それから僕は、殺人者の息子として罵られ、寺子屋で嫌がらせを受ける地獄のような日々を過ごした…。
「うおおおおお!!」
キヨヒロの背後に現れたケミカルロマンスは、手の平に作りだした結晶を弾丸のようにして正面へ射出した。しかし、それはハーレクインに避けられ、何もない空を通過していく。
「けけけけ、外れたァ!」
しかし、外れたかに見えた結晶の弾はその場で炸裂し、その衝撃と弾け飛んだ結晶の破片によってハーレクインはダメージを受ける。キヨヒロはさらに畳みかけるようにして、ケミカルロマンスを使って地面を殴り、その力を地面に伝えてハーレクインの足元から巨大な結晶の槍を生やして攻撃する。
…だが、僕は偶然にもケミカルロマンスと出会い、その力を思うままに使えるようになったことで僕の人生はようやく光が射す。
「お前は寺子屋で32回、僕を殴ったから僕も32回殴ってから殺す。それまでに死ぬなよ」
「お前は僕に50回暴言を吐いたから、50回分の薬を与えてやる。中毒で死ぬだろうがな」
僕は、僕をゴミのように扱った同級生たちを順番に確実に殺して回った。特にひどかったクズ共はこの手で直接嬲ってから殺し、見ているだけで何もしなかったカス共はケミカルロマンスの結晶から作れる麻薬を与えて破滅させて死なせた。
復讐なんてくだらない、過去は忘れて今を生きよう。それも一理ある。だが僕にとってそんなことはクソにも満たない愚かな言論だ。復讐と殺しに染まった生活に後悔したことなんてない。初めて同級生を殺した時、その時ようやく…僕の人生は始まったのだ。
「チィ!」
結晶の槍がハーレクインの行く手を塞ぎ、舌打ちをする。ケミカルロマンスは自分の掌を殴って先端が三つ又に分かれた薙刀のような武器を作り出す。それを高く持ち上げてから振り下ろし、その斬撃がハーレクインの肩を切り裂いた。
「痛ってぇ!今のは油断しちまった!」
ハーレクインは顎が外れるほど口を大きく開き、そのまま首の付け根まで口の端が裂けていく。。その喉奥から、先端に牙の生えた口がついている舌を長く伸ばし、それを鞭のように振り回してキヨヒロを狙う。キヨヒロはケミカルロマンスを使い、向かってくる舌を弾く。一度でも突き刺されれば、そこから肉ごと血を貪られてしまうだろう。
「何かしないと…私も助けないと!」
口を裂き、不気味な舌を振るい、血走ったギョロ目を動かしてさながら怪物のように変化したハーレクインを見た靄子は足を振るわせながらもなんとか立ち上がり、周りを見渡す。
「何してんだテメェ!」
が、それを目ざとく発見したハーレクインは舌を伸ばして靄子を狙う。
しかし、その間にキヨヒロが割り込んで舌を素手で掴んで止める。だが舌はぐっとキヨヒロを持ち上げてそのまま放り投げ、その先端がキヨヒロの胸へ突き刺さった。
「がっ…!」
胸の肉がかじり取られ、血が噴き出す。キヨヒロは地面に落ち、血だまりの中でもがいている。
「そうかァ、わかったぜキヨヒロォ。テメェその女を庇いながら戦ってんな。くくく…テメェは最強の人間だ、前に会った時とは見違えるほどだ、認めてやるよ…だが、そんなテメェがどうもトロいわけだぜェ!!」
ハーレクインはそう言いながらキヨヒロを蹴り飛ばす。
「え…?そうだったんですか…!?どうして私なんかを…」
靄子がキヨヒロに駆け寄りながらそう言った。
「ぐへははははは!!ソイツはウチに間接的に家族を殺されてるからなぁ!笑っちまうぜ、あの男の残された家族がどうなんのか気になって生かしてみたら、女房はおかしくなって自ら命を絶ち、ガキは勝手に苦しんで勝手に人を殺しまくったそうだってなァ」
「何を言ってるの…?キヨヒロのお父さんが死ななければ…キヨヒロはそんな事をしなかったはずなのに…。最低よあなた!!」
靄子は泣きながら大声で叫ぶ。しかし、ハーレクインは耳をほじりながらそれを聞き流す。その様子に、生まれて初めて心の底から湧き上がる怒りを感じた靄子は平手を構えながらハーレクインに向かって走り出す。
「バカなヤツだぜ、ウチをぶつのか?やってみろよ、どうせ当たらねぇがなァ」
武術や戦いの心得も全くない、素人同然の動作で平手打ちを繰り出そうと靄子が迫る。ハーレクインは思った…ギリギリまで引き付けてからそれを跳んでかわし、靄子の脳天から舌を突き刺し股下から真っすぐ飛び出させてやろう、と。
パン!
しかし、不思議な事が起こった。ハーレクインは何が起きたのか分からなかった。頬に強い衝撃を受け、上半身と顔を後ろへ背けてしまっている。
「なっ…何が起きた…?」
おかしいぞ…なんでウチがあんなカスの攻撃を喰らっているんだ…?ウチが実力を見誤ったか?そんな素振りは微塵も見られなかったが、まさかあの娘は相当な実力者だったのか!?
「もっと早く気付くべきだったな、ハーレクイン」
「ああ?なんつったテメェ」
いつの間にか立ち上がっていたキヨヒロの言葉を聞いて、ハーレクインは体勢を立て直す。
「ハーレクイン、その名の通りお前は馬鹿な道化だったって事だよ。僕が何も考えずにお前を追い回していただけだと思うか?僕が何年間もお前の出現を待っている間に、僕がただ強くなっただけだと思ったか?」
「なんだァ、何が言いてぇんだテメェ」
「お前は強い…僕も前に戦った時のお前くらいなら一撃でぶっ潰せるくらいに強くなったが、お前はさらにどうしようもないほど強くなっていた。だがな…何もお前より強くなる必要はなかったんだ…ただ、
ハーレクインは黙ったまま話を聞いている。
「僕は6年の歳月をかけてこの旧都に符呪をかけ続けた。この旧都はある種の呪われた地に変わった…生き物には何の害もないが、ここに満ちた霊力の磁場はお前の体を構成する精密機器を錆びらせ、情報伝達器官を切断し、さらに活動の要である永久エネルギー炉を蝕む…。最初に僕を一撃で倒せなかったときに気付くべきだったな、この地底世界には目いっぱいに巨大な術式と結界が張り巡らされているんだぜ!」
ハーレクインの脳である人工知能は判断速度を著しく低下させ、情報伝達器官が切断されたことで反射速度と駆動速度が落ち、永久エネルギー炉が蝕まれスタミナとエネルギーに底が生まれる。ハーレクインは自身の気付かぬ間に大幅に弱体化し、いくら油断していたとはいえ靄子の平手打ちを喰らってしまうほどに能力が下がっていた。
これも、キヨヒロが肉体の修行を行いながら霊力と札を使った符呪の研鑽に6年も費やした成果である。
「なるほど…確かに自覚できなかったぜ…。だがなァ、蟻と恐竜くらいの力の差があったのが、蟻とカエルくらいの差になっただけだろ!まだまだテメェはウチに勝てねぇんだよ!!」
ハーレクインの全身から溢れんばかりの緑色のエネルギーが迸る。永久エネルギー炉で作り出せる限界のエネルギーを一気に放出しているのだ。
「残り全部のエネルギーを使って、この都ごとテメェらふたりまとめて消し飛ばしてやるよ!その後でゆっくりと人間を喰いまくって回復すりゃあいい!!」
その直後、ハーレクインは渾身のエネルギー波をキヨヒロに向けて発射した。地面を捲り上げながら迫る波動を、キヨヒロはケミカルロマンスで受け止める。しかし、弾けるエネルギーがケミカルロマンスの手を傷つけ、ゆっくりと破壊していく。
「ひゃひゃひゃ、どこまで耐えられっかなぁそのボロボロな体でよォ!!」
ケミカルロマンスとキヨヒロはお互いのダメージを共有してしまう。これまでにキヨヒロが受けた傷はケミカルロマンスに反映されており、この攻撃を受け止めながらじりじりと削られるケミカルロマンスの体力はキヨヒロにも影響を与える。
だが、キヨヒロは覚悟を決めたように前を睨むと、ケミカルロマンスに正面へ向かって高速でパンチの連打を撃たせる。一瞬の間隔すらなく放たれる拳の壁はケミカルロマンスと共に一気に前進し、ハーレクインのエネルギー波をぐんぐんと押し返してゆく!
「ウ、ウチの攻撃が…押されて…!」
キヨヒロはケミカルロマンスに拳のラッシュを撃たせたまま、その背後から上へ跳躍し、弧を描きながら右腕を振り上げ、ハーレクインの頭上へ向かって生身の腕から拳を繰り出す。
(僕の家族と幸せを奪ったハーレクイン…!最後は僕の手でぶち壊してやる!)
しかし、ハーレクインは大口を開き、繰り出されるキヨヒロの腕に根元から噛みつき、そのまま噛み千切ってしまう。鮮血があたりに飛び散り、キヨヒロは苦痛に顔を歪めながら慌てて後ろへ飛びのいて地面を転がる。
「まずはここから喰わせてくれるのかよ、うめぇうめぇ!」
これ見よがしに下品に咀嚼してみせるハーレクイン。口から飛び出すように生えた牙の隙間から血が垂れ、顎を伝う。
「テメェの結晶を生やす能力とパンチは厄介だったなぁ!だがそれがどうした?腕はウチが喰ってやったぜ、ひゃひゃひゃひゃ!」
ハーレクインは血と肉だけを呑み込み、余った骨と皮の塊を吐き出した。その様子を見た靄子はへたり込み、震えている。
しかし、キヨヒロの口からは掠れるような小さな笑い声が出ていた。
「くっくっく…そこまで分かってるのに…なんで自分が置かれている状況が理解できないんだ…?」
「ああ?何抜かしてんだ!まだウチとやろうってのか?いいぜ!けどお前はもうお終いだろ!そのボロボロな体でどうする気なんだよ、なぁ!?」
「ハーレクイン、やっぱりお前はその名の通り馬鹿な道化だったという事さ」
「けっ…ここへきてついに頭がおかしくなったか…ん?」
その時、ハーレクインは顔色を変えた。キヨヒロの背後に再び姿を現したケミカルロマンスは、右腕を失っていた。今、自分はキヨヒロの右腕を食い千切り、そのほとんどが腹の中…同様に化身の右腕も食い千切られている…
「キッサマアアアアアアア!!」
「ようやく気付いたかよ、このマヌケ」
キヨヒロは心底愉快そうな笑みを浮かべ、ハーレクインを見返す。
「チックショオオオオオ死にたくねぇぇぇええ!!!」
ハーレクインは釘のような牙を剥きだした大口を開き、キヨヒロに飛びかかる。
(父さん、母さん、今こそ…!)
──懺ッッ──
ハーレクインが食べてしまったケミカルロマンスの腕は、ハーレクインの体内で巨大な結晶を作り出し、腹の中からせり上がって来た結晶の先端がハーレクインの口から飛び出す。その直後、ハーレクインは何をする暇もなく、体内から結晶の炸裂を受けた。凄まじい衝撃と共に結晶の破片が内側から体を突き破り、ハーレクインの上半身は木っ端みじんとなって砕け散った…。
(終わったよ…)
全てを終わらせた安堵感に包まれたキヨヒロはゆっくりと背中から倒れ込んでいく。ケミカルロマンスはその様子を見届けると、寂しそうな顔で小さく呟いた。
「さようなら、キヨヒロ」
そしてその身体が淡い青色に変わり、薄くなってついには消えてしまう。偶然にもキヨヒロと出会い、その新たな生活を支えてきたケミカルロマンスはいなくなったのだ。
キヨヒロは、消えていったケミカルロマンスを見つめ、その目で感謝を伝えた。
「キヨヒロ!」
だがその代わりに靄子が慌ててキヨヒロの上半身を抱え上げる。
「しっかりしてください、キヨヒロ…!」
キヨヒロは虚ろな目で辺りを見渡し、床に転がっている酒瓶を見つける。靄子以外の鬼たちがこの旧都を離れる際に落としてそのままにされているものだ。それに手を伸ばし、残されていた少量の酒を口に流し込む。
「お、お酒なんてダメですよ…!」
「いいのさ…毎日毎日、酒を飲んで嫌な事を追い出してきたからな…」
「何言ってるんですか、もう」
「ふう…旨いな…。でも、アイツもいれば…もっと旨いだろうな…」
キヨヒロはそう言いながらも、その目はゆっくりと閉じていく。
「キヨヒロ…さん…」
…
その日は僕の誕生日。父さんと母さんは早めに仕事を切り上げて、ご馳走を用意して待っていると言っていた。寺子屋の授業を終えた僕は、逸る気持ちを抑えて家のドアを開けた。
「ただいま、父さん、母さん!」
キヨヒロは自宅のドアを開く。その向こうにはいつものように、囲炉裏の火にあたりながら新聞を読む父親の姿があった。
「おお、おかえりキヨヒロ」
「あら、おかえりなさい」
仕事をしていた母親も部屋に顔だけ覗かせてそう言った。
…よかった。まるで悪い夢でも見ていたみたいだ。これからは何も苦しむ必要はない。僕の人生は、まだまだ始まったばかりなんだ。
「あなたは…自分の家に、帰ったんだね…」
靄子は安らかな顔で眠りについたキヨヒロを抱きしめ、静かにそう呟いた。
「ハーレクイン!!何故来ない!?ハーレクイイイイイイン!!!」
レイムは二度と来ないハーレクインの名を呼びながら、その叫びを虚しく幻想郷の空に轟かせ…結界に縛られたまま何もできずに西の方角へと引きずられてゆくのだった…。