「主様、わらわは少しお仕事をしてくるから、大人しく帰りを待っておるのじゃ!」
「…」
黙って俯いていると、目の前に足が思いっきり叩きつけられる。
畳がバキンッ!と、鳴ってはいけない音を鳴らした。
「返事を忘れてはおらんかの?」
「…わかった」
「うむ!すぐに帰ってくるからの!」
俺がいるのは、雪と二人で暮らす部屋だ。
脱出は幾度も試みた。だというのに、部屋を遮るふすまを開けても開けても同じ景色。
雪からいくら逃げても、雪の持つ「椿」というヤマトの国に伝わるらしき刀によってふすまは切り裂かれ、あっという間に追いつかれる。
そして翌朝には何事も無かったかのように、綺麗なふすまが並んでいる。
頭がおかしくなりそうだった。
彼女を怒らせると、俺は暴力を振るわれる。
それだけならば構わない。ニコラのときにどれだけ苦しんだことか。
彼女は、それに加えてある攻撃をしてくるのだ。
「わらわの目を見よ、声を聞くのじゃ、さすれば主様は段々とわらわの色に染まるのじゃからのう!」
彼女の言っていた言葉。
とても嘘とは思えなかった。
実際、彼女と目を合わせるたび胸が苦しくなる。
それは恋みたいな浮ついたものではない。俺の愛する魔王の姿が、心の中で悲鳴をあげるのだ。
「…」
ふすまを開ける。
今いる部屋と同じ景色。
さっき雪が出て行った時は、確かにこのふすまから廊下が見えたというのに。
「う…クソッ!こんな、こんな扉ッ!」
腹立ち紛れにふすまを蹴り飛ばす。
その先も、やはり同じ景色。
聞いたことがある。
「拙者の故郷に、キツネに化かされる、という言葉があるのでござるよ」
「キツネ?ふわふわした、あったかくて可愛いやつ?」
「うむ…ヤマトの国では、人を弄ぶ存在として忌み嫌われておるのだが…」
「え!?何それ!ヤマトの国はキツネの可愛さが分からないの!?ヘイジの錯覚じゃない?それ」
「化かされるって、どういうことだ?」
「うーむ…幻術のようなもので、主に言われるのは人を疲弊させる術でござるな」
「疲弊って言うと、魔物に襲われるとか?」
「いいや、もっと恐ろしい…森の中をぐるぐると同じ場所を延々歩かされたり、仲間の大怪我した姿を見せられたり…」
「キツネがそんな動物なわけないでしょ!」
「い、いや、言葉の話であって…」
「キツネ…?」
畳に座り込み、周囲を見渡す。
「久々だな…これをやるのも…」
魔王と暮らしていると、つい己の鍛錬を疎かにしてしまいがちだ。
しかし、魔王と過ごして、魔王に追いかけ回される内に、魔力の扱い方はうまくなった気がする。
「ふー…」
息を吐き、目を閉じ、神経の末端まで魔力を均等に行き渡らせる。
幻術というのは、実際にはない物をあるように感じさせるものだ。
俺がどれだけふすまを破っても、それは空振りのパンチに感覚を与えられただけなのだろう。
「…」
そこにないものを感じさせるには、精度のために術者はかける対象の近くにいることを要求される。
そこにいる術者。
つまり幻術の中に一つだけある本物は、魔力にムラがあるはずだ。
たとえ魔力を源に術を使っていなくても、魔力を使えばその反応から位置は割り出せる。
「…そこ、だっ!」
虚空を思い切り手刀で叩く。
何も感覚はない。
しかし。
「ぅ…ぁ…?」
どさり、と音が聞こえ、黒装束を纏った者が倒れていた。
ふすまを開ける。
そして、廊下に踏み出した。
「…じゃ」
「…しかし、…!」
雪の声が漏れる部屋の前を、そっと通る。
暗い廊下に、少しだけ開いたふすまから光の筋が漏れていた。
忍び足でその前を通る。
「…ッ!?」
俺は、見てしまった。
桜色の甲冑を纏った兵に囲まれて、そこに見慣れた人物が座っているのを。
声に耳を傾ける。
「ふむ…となれば、ゆぅりぃはわらわの婿にはならん、と言いたいのかの?」
「拙者は、旅の思い出話として勇者殿の話をしたまででござる、勇者殿は既に愛しい者のいる身、雪姫様に想いを寄せることは…」
「ふん、禁制であるとでも言いたいのか?わらわにとんだ口の聞き方をするようになったのう?貴様が城の門番だったころはもう少し節度を弁えた男であったと思うのじゃが」
「拙者は間違ったことは言ってはござらん、今や拙者が仕えるのは雪姫様ではなく、勇者殿でござる」
「ふむ…貴様はもうわらわの役には立たんのじゃな?」
椿が、その刀身を露わにする。
抜いたのを見ているだけで、俺は金縛りのように動けなくなった。
ヘイジは恐怖を隠そうと必死に睨んでいたが、それでも滲み出る感情はヘイジの体を強張らせていた。
「さ、選ぶがよいわ」
切っ先をヘイジの顔に向ける。
風も無いのに、灯が揺れた。
「ゆぅりぃをわらわのものとするのに協力するか、それともここで、命をわらわの手で消すか」
俺はふすまに手をかけた。
ヘイジが前者を選んでくれるように必死に願っている自分もいれば、この場を見捨てて逃げ出したい自分も確かにいた。
「拙者は…」
ヘイジはぐっしょりと汗をかいて目を床に落とした。
「拙者は、やはり勇者殿を裏切ることなど出来ぬ、ならばこの首、雪姫様に」
「ふ、貴様ならばそう言うであろうな」
答えを最後まで聞きもせず、赤く光る刀は振り下ろされた。
目を硬く閉じて、俯くヘイジに、俺は。
直後、鈍い音が響き、畳を血しぶきが汚した。
「…勇者殿?」
「主、様ッ!?」
腕が痺れて、ジワジワとした痛みが走る。
「…ヘイジを殺したら、俺は自ら命を絶つ、アンタのやり方は間違ってる、愛してるなら、もっとマトモな方法があるだろ?」
「く、医師を呼べ!はようせんか!さっさと来なければ首を落とすぞ!おい!」
「勇者殿!安静にするでござる、すぐに治療師が…」
「兵二!貴様は出て行け!主様が怪我をしたのも貴様のせいだぞ!」
「し、しかし姫様!」
「貴様の顔など見とうないわ!追放せい!」
「ッ!雪姫様!勇者殿はッ…!」
甲冑の兵士に腕を抱えられ、ヘイジが追い出された。
半狂乱になって医師を呼ぶ雪に憎まれ口を叩いてみせる。
「雪…俺を殺したいなら、一思いにやってみろよ」
「何を言っておるのだ、主様は私のものじゃ!私の命なくして命を落とすなどさせんわ!」
「俺はエメのもの…いや、俺自身がエメといることを望んだ、アンタに屈したりしない!」
「ぐッむ…!」
反射的に柄に手を置いたようだが、それでも止まらない俺の血を見て手を離した。
「…ふふ、ならばそれも良かろ、「儀式」を早めるだけの話じゃ」
「儀式?」
「気にすることはない、それと主様は、今のままでは少し危険じゃ、心配せずともわらわが治るまで付き添ってやろうぞ、感謝するがよいわ!」
医師の手当てを受ける感覚を覚えつつ、その笑い顔を見ている内に俺の意識は落ちた。
「さ、わらわの部屋に運べ、傷など付けたら、わらわの刀の錆にしてくれる、術を破られた者は…そうじゃの、3日ほど川晒しにしておけ!」
独裁者系ヤンデレ…イイ!
まだ少し話がつかめないかもですが、これから明らかになるのでお楽しみに!