そろそろ全国の学生たちの夏休みの終わりが近づいてきた8月27日。まだ昨夜に食べたカレーの味が記憶に新しい中、俺は家を出た。
今日は午前中に黒澤家、午後は空き時間で深夜から明け方までコンビニというハードスケジュールだ。
と、いうことは午後の空き時間に睡眠を取らなければならない。夜勤はキツいってもんだ。慣れないウチは頭がおかしくなりそうだった。
そう思い返しながら自転車を走らせていると──今日はバスではなく自転車にした──ひとつの寺が見えてきた。
──そういえば最近あそこでお参りしてないな。
ちょっと早めに出たし、寄り道してもいいかも。
自転車を進めて、寺に到着。階段を上がり、境内に入る。
すると、人2人分の声。
「あれ?ルビィちゃん?それと……」
「え?冬夏さん?こんにちは」
「誰ずら?」
「ウチに来てくれてるお手伝いさんだよ、花丸ちゃん」
「花丸ちゃん?あー、君が──」
花丸ちゃんか。
黒澤家に行ったときにルビィちゃんがよく口にしていた女の子の名前。
「というかルビィちゃんはどうしてここに?」
「お昼から部活だからそれまで花丸ちゃんと遊んでたんだぁ」
「へ~」
よく、あのお母さんが許したね。
「……」
「えと……俺の顔に何かついてるかな?」
「あ、いや。何でもないずら」
「は、はぁ」
そんなに見つめられても困る。むしろ恥ずかしい。って、いやいや何考えてるんだ。相手は年下だぞ?でもなぁ……
そう頬を紅くしてポリポリと頭を掻いていると、ムッとした表情のルビィちゃんが俺を押し、境内から出るように仕向けた。
「えっ?ちょっ、俺、お参りに……」
「それはルビィがしておくから」
「い、いや……でも」
「冬夏さん?」
なんだろう。この少し闇を持った感じの微笑みは。ドS?いや……それだけはないと思うけどさ。
しかし、ルビィちゃんって可愛らしいイメージしか無かったけど。この暗黒微笑を見る限りは……
「──イメージの刷新をしないとな。そうだな、腹黒ルビィとか……」
あ。
「……冬夏さん」
小刻みに震えるルビィちゃん。両手で顔面を覆う俺。
──やってしまった。また、声に出てた。しかも今回は結構多めだ。
ハァと双方ともにため息をつき、俺は迫り来る恐怖を予感した。
「冬夏さんの──」
終わった。圧倒的自業自得。
「バカァァァぁぁぁぁ!!!」
◇
「痛ひ」
「どうしたんですの?頬を腫らして」
「ちょっと諸事情があってね」
黒澤家のリビングで拭き掃除を行っていた俺に質問の声。もちろん、ダイヤちゃんだ。
しかしまさか、金切り声だけじゃなく、頬までぶってくるとは。やはりルビィちゃんのイメージの刷新を……って、ダメだな。そんなことしたらダイヤちゃんをも敵に回しかねない。
「大丈夫ですか?」
「へっ?あ、だ、大丈夫」
「そうですか……。何かあったらすぐに言ってくださいね」
なんて優しいんだ。俺は笑顔で頷き返して仕事に没頭する。けれど、ルビィちゃんとどう仲直りをしようかということはしっかりと考えていたけどね。
拭き掃除を開始して30分。この家というか豪邸の広さに今更ながら呆れつつ──ダイヤちゃん曰く、鞠莉ちゃんの家はこれの比ではないらしい。おかしいと思うんですけど。──軋む腰を持ち上げ、今度は昼ご飯の準備をしようとしていると玄関で物音。
来客かな?一応、出てみよう。
「えーと、どなたで……あっ」
そこにいたのは長い茶髪を蓄えた少女。そう、花丸ちゃんだった。
「あ、アレ?さっきルビィちゃんと一緒にいたんじゃ……」
「冬夏さん……ですよね?」
「ま、まぁ。そうだけど。ルビィちゃんは?」
「ルビィちゃんは……今、お寺で座り込んで魂が抜けたかのように──」
「……え?えぇ!?」
焦るに決まっている。
「ちょ、ちょっ!ど、どういう──」
「冬夏さんにあんなこと言われて相当ショックだったそうです」
そういえばルビィちゃんって感受性の高い子だったよな?ってことはあの『イメージの刷新~』っていう言葉は……
──ルビィちゃんへ的確なダメージを与えていた……?
うわぁぁ!!ヤバイヤバイ!人間としても、バイトとしてもヤバイことになった!
ルビィちゃんを傷つけたということが明るみ出たら、女子高生をいじめた19歳無職は人間失格だし、黒澤家のお怒りを買ったということでバイト失格だし。
ってか、そんなことはどうでもいい!今はとりあえずルビィちゃんのことを考えるんだ!お前のことは後回しにしろ!俺!
「すっ、すぐ行くから!で、でもちょっと待ってて!──」
◇
自転車を必死で漕ぐ俺の後ろには花丸ちゃんが乗っていた。どうやら黒澤家まで走ってきたらしい。
だからあれだけ服がびしょ濡れだったのか。申し訳なさ過ぎて言葉も出ない。
こちらも汗を大量にかきながら、とうとう寺に戻った。花丸ちゃんが降りたことを確認すると、自転車のスタンドを立てることなく、境内へと駆け込んだ。
「ルビィちゃん!」
無人の境内に俺の声が響く。そして、石段の上に腰を下ろしてうなだれているルビィちゃんを発見した。
「ルビィちゃん!その!さ、さっきは俺も無神経だったっていうか……っつーか、俺がただ悪かったっていうかなんというか……」
「──冬夏さん」
「……はい」
「ルビィって……腹黒なの?」
「そ、そんなことない!ルビィちゃんはいつだって優しいし思いやりのある娘だしッ。だからさっきのは完全なる俺の判断ミスっていうか……」
焦って上手く舌が回らない。それでも、言い訳?弁明?……いや、謝罪の思いだ。それを伝える。
「その……ふ、冬夏さん。ルビィもね?さっきのこと……謝らないといけないんだ」
そう、ルビィちゃんが口にした瞬間、俺は弾かれたように下げていた頭を上げた。
「え…?」
「実はね?その……あの……」
みるみるうちに顔が髪の毛の色と同じくらい紅くなっていくルビィちゃん。
「ルビィ……悪い子なんだ。だって……冬夏さんに……イラッてしちゃったの」
「え──?」
やっぱし腹黒ルビィか?いや、そうじゃなくってだな。つまり、俺に対して腹が立ってたってこと?不快にさせるようなことをしてしまったのか?
「それで……冬夏さんを押しのけるように……」
「──そ、そうだったんだ!俺がいつの間にか変なことしてしまってたみたいだね。本当にゴメン。それに、年頃の女の子なんだから他人に腹が立つのは当然だよね」
俺も経験したから分かる。男の思春期だから、女の子のそれとはかなり異なることは承知の上だけど。
「え?」
「ゴメン!本当に!二度とルビィちゃんのことを悪く言ったり、不快にさせないから!精進します!そして……ね、願わくば……仕事の方に戻らせて頂けると……」
「んもぉ……行っていいよ。冬夏さん」
「うし!そ、それじゃあ──!」
◇
「ハァ」
「ルビィちゃん?」
「ふみゅぅ……疲れたぁ、花丸ちゃん」
「なんだか……物凄く忙しそうな人だったね。仕事のことっていうか……人のことばかり考えて」
「そうなんだぁ。だから……自分のことに関してはあんまり気付かなかったりするんだよ、あの人」
「へぇ──あんなあからさまにヤキモチ妬かれてたら普通気づくんだけどね」
「ホントだよ!せっかく花丸ちゃんに協力してもらってさりげなく気付いてもらおうと思ってたのに!冬夏さんのバカ!」
「本当は?」
「大好き!……あっ」
「本音が出てるずらー!」
「は、花丸ちゃんッ!!」
「うわぁ!珍しくルビィちゃんが激おこぷんぷん丸ずら!可愛いずらー!」
◇
「へっくしょん!」
「うわっ!う、うつさないで下さいね?」
「ご、ゴメンダイヤちゃん」
誰か俺の噂でも?って、そんなベタな話は無いよね。
「あ、ダイヤちゃん。ルビィちゃんの好きな食べ物って知ってる?今日の夕飯にしようと思って」
「……フライドポテトとスイートポテトですのよ?」
「あー……マジか。よしッ!じゃあ食後のデザートにスイートポテト!ってことにしよう」
「作ってくださるんですの?」
「手間だけどね。お金を貰ってる身なんだから、たまにはこういうことしないと」
「ふふ……そうですか。なら、お手伝い致しますわ」
「いやいや!それはダメだよ!」
「あら、雇い主側の言う事が聞けないバイトですの?」
──ンな理不尽な。
「じゃあ……お、お願いします」
「はい!」
女の子と楽しくお菓子作り。どこのラブコメだ。ま、悪い気なんて起こりそうもないんだけどね。
──さて、もうひとふんばり。頑張ろうかな。