合間合間でデンドロを読み直してたら辛抱堪らず書いてしまいました。
身内でデンドロ話で華を咲かせて疼きまくったんです、ごめんなさい。
現在も<小説家になろう>で連載中、かつ単行本を刊行中の削皮の二次創作です。
原作への愛と敬意を忘れず、最大限世界観へ迎合するよう、思いつき次第書いて不定期投稿したいと思います。
第一話
□2043年某月某日
その日私は、例えようのない興奮――或いは期待――を裡に秘めながら新世界へ降り立とうとしていた。
ありきたりなヘルメット型ゲーム機。価格にして1万円前後という破格にすぎる値段設定はしかし、広告通りならば到底正気の沙汰ではないオーパーツらしからぬ価値を与えられている。
まるで宝石を路傍の石も同然に投げ捨てるような、暴挙的すぎて違和感しかない一品。
「でも、これでもしどうしようもなかったら……」
思い浮かべるのは数ある広告の一つ。
痛覚を含めた五感の完璧な再現――その一文こそが私をこの胡散臭げな機器へ導いた文句だった。
私、羽鳥霞はある疾患を抱えている。
先天性無痛無汗症を発端とする、ある種の奇病だ。
読んで字の如く痛みを感じず汗もかかない――のみならず、それに付随してその他の雑多な感覚を察知できない状態に生まれつきある。
満足に機能する感覚は視覚と聴覚のふたつだけで、それゆえに私の半生は私を主観とした映画のようなものにすぎなかった。
加減を知らず、痛みを知らず、危険を知らず、防衛も知らない。
歩行はただの視点移動で、食事は温冷の区別も無い栄養補給。会話はいたずらに舌を傷つけ、一般的な活動が絶えず生傷を刻む。
そんなだから普通の人と上手く付き合えず、社会にも適合できない私は、これまで介護を受けながら無味乾燥な暮らしを続けてきた。
……幸福だったのは、我が家が大いに裕福な家庭であったことだろう。
資産家にして実業家の父はこんな私を大いに憐れみ、また愛してくれて、高価な映像機器などを並べて数々の映像作品をいつでも見られるように環境を整えてくれた。
だからそれらで描写される"美味しい"、"いい匂い"などの概念はかろうじて把握している。実感と共感は伴わないが。
ともあれ、そこへ嵐のように現れたのがこれ、<Infinite Dendrogram>だった。
先にも挙げた通り、宣伝広告の一つに"五感の完璧な再現"を謳うこのゲームは、私にとって青天の霹靂と言えた。
今もって原因の判らない奇病を患う私でも、このゲームの中でならば――もしかしたら、普通の人と同じ感覚を得られるのかもしれない。
そうした期待が湧き上がるのを、どうしても抑えきれなかったのだ。
だから私は今日、このヘルメットを被る。
未知なる<Infinite Dendrogram>の世界へと入門する。
もし私が期待するほどのものでなかったなら、そのときは――――
暗い考えを振り払い、機器を取り付ける。
お手伝いさんのアシストを受け、安静を維持しつつ頭へすっぽりと。
まぁ、感覚は無いのだけれどね。
だけどこの意気込みだけは本物だ。
「…………いじゃ!」
呂律が回らなかった。
どうやらまた舌を噛んだらしい。
◇
「おっといらっしゃーい、新しいプレイヤーさんかなー?」
意を決してゲームを起動した私の前に広がっていたのは、書斎のように見える一室だった。
如何にも温かな……私が言うとまるで薄っぺらいな。映画的に言うと温かいというべきなのだろう内装で、これまたセンスの良い木製の安楽椅子に腰掛けた猫の歓待を受ける。
……猫かぁ、いかにもゲームらしい光景だ。妙に語尾を伸ばしたなんともいえない口調で、流暢な日本語を話す彼は、一体何者なのだろうか。
「えっ、あっ、こっ、こっ」
「なーにー?」
「こにゃ!!」
……失敗した。
当たり障りなくこんにちはと言おうとしたのに、また噛んでしまったらしい。
おかげで意味不明な奇声になってしまった。目の前のファンタジー猫も目をぱちくりしている。
「ご、ごめんなざっ……う、うまくじだまわらなぐて……」
「あ、あーあーあー、なるほどねー? これまた難儀なお客さんだー、大丈夫ー?」
「はい、すみません……」
「いいよいいよ、気にしないでー。なるほどねー、キミの目的も大体察せたよー。大丈夫、キミの望みは間違いなく叶うさー」
「そ、それって……」
それは、もしかしなくても。
そういうこと……なのだろうか?
戸惑う私の不安を見透したように彼は笑みを浮かべ、間延びした声で自己紹介を始める。
「名乗り遅れちゃったね、僕は<Infinite Dendrogram>の管理AI13号のチェシャっていうんだー。よろしくねー」
「はひ!」
「うんうん、落ち着いて、焦らないでねー。ここは入り口で、ここでいろんな設定を決めてから<Infinite Dendrogram>に入ってもらうんだー。そのためにも、最初から一緒に設定していこうねー」
「た、たちゅかりまひゅ……」
まさか!
まさかこの猫がAIだなんて!
いや、見るからに猫だから見た目人間じゃないのはわかってたけども、それでもきっと中の人がいるんだろうと思っていたのだけど……まさか完全自動?のAIだなんて。
受け答えだとか、スムーズな進行だとか、細やかな気配りだとか、とてもじゃないけど私では及ばない高度なコミュニケーション能力……早くも<Infinite Dendrogram>の凄まじさに打ちひしがれる思いだ。
「それじゃあまず、描画選択から決めよっかー。現実視、3DCG、アニメ風の三つから選んでねー。今からサンプル映像流すよー」
そういって彼が目の前に流したのは、それぞれ三種で描写された、同一の光景だった。
同じ風景でも描画が違うだけで印象が全く異なる。特に現実視と3DCGの違いは、両者ともに立体映像なだけに、却って決定的な差異を感じた。
私が選択するのは、当然決まっている。私の目的を考えるならば、一択でしかない。
私はたどたどしく舌を回しながら現実視を指差した。
「うんうん、やっぱりキミならそれを選ぶと思っていたよー。それじゃあ次はプレイヤーネームを決めようねー」
「マグロで」
「……うん?」
「マグロどぇ」
「え、えー……それでいいのー?」
「はい」
名前は、実は事前に決めていた。
ちなみに自虐100%である。チェシャさんがマジかよって感じに一瞬チラ見したけど、マジです。
……我ながら、ひねくれすぎたかなぁ。
「ま、まぁ本人がいいなら、それで登録するよー。それじゃあマグロちゃん、次は容姿を設定するよー」
「容姿……ですか?」
「うん、キミが<Infinite Dendrogram>で活動する上でのプレイヤー……アバターだねー。老若男女を問わず、なんなら動物型でも全然アリだよー」
「ひ、人型じゃなくてもいいんですか……それは、すごいですね」
「でしょー? なにせ自由がウリのゲームだからねー、じゃんじゃん好きにカスタマイズしちゃってー。時間はいくらでもあるからー」
「なるほど……」
時間はいくらでもある、か。
私もたまの通院以外は引き篭もるばかりなので時間は有り余っている。
なのでそのへんの事情や都合はどうとでもなる、考慮の必要はない。
むしろ私の期待に応えられるだけのゲームならば。
仮想と現実は容易に逆転してしまえるというのが私というものだ。
ならばここは、全力でキャラメイクに取り組むべきだろう。
そうなると動物型はまず除外、かな。
性別を変えるのも、私としてリアルを追求するという目的にはやや沿わないだろうから、これも除外。
年齢も同様だ。そうなると自ずと本来の私に近づくわけだが……
「あの……」
「どしたのー?」
「現実の私、を、投影することってできますか?」
「もちろんできるよー。……ほい、これでどうかなー?」
「おお……」
「現実の姿をベースにするプレイヤーは一定数いるからねー。ただ、現実そのままってのはあまりおすすめしないかなー。最低限細かいとこだけでも変えといたほうがいいよー」
「わかりました……」
だんだん受け答えがまともに戻ってきた。
……こうして同一の人物と長時間会話をするってのも、いつぶりかなぁ。
早くも私の中でチェシャさんへの好感度が上がっている気がする。ちょろいな私!
さてさて、チェシャさんのアドバイスも踏まえてキャラメイクだ。
私のパーソナリティは、通院する都度に毎回計測しているので大まかには把握できている。
身長189cm、体重75kg。髪色は黒、瞳は焦げ茶。肌色はやや悪く、肌質は大いに悪し。全身に生傷の痕あり……こうして客観的に見ると、お世辞にも女らしいとは言えない身体だ。
第一からして身長がおかしいね? スポーツ女子もびっくりの恵体だよ、持病のせいでまともに運用したことはないけど、これで健康体だったならどれだけ……と、何度羨んだことやら。
ちなみに顔には自信アリ。完全に持ち腐れの死に設定だけどね。
カスタマイズは、私の目的も踏まえて最低限にしておこうか。
顔つき、体格などはそのままに、見栄えの悪い生傷の類だけ消して、あとは肌質も改善しとこう。
髪色や肌色、瞳の色なんかも現実にはあり得ないカラーリングにできるようだけど、それらの部分は外見を判断する上で極めて重要な部位だ。そこを大きく変えてしまうのは
結果として出来上がったのは、細部を小奇麗に整えただけの、もしも健康な自分だったら――を体現したような私だ。
客観的に見て、この図体だと前衛向きに思える。予定では、そうするつもりだけども。
「うんうん、決まったようだねー。それじゃあどんどん進めていくよー」
「はい!」
その後も私はチュートリアルを進め、各種の項目を設定していった。
初心者装備一式と初期費用を受け取り、初期装備にはオーソドックスなナイフを選び、<エンブリオ>を移植する。
<エンブリオ>。
これこそがこの<Infinite Dendrogram>における最大の特徴に他ならない。
プレイヤーの趣味嗜好、プレイスタイル、バイタル・メンタルその他諸々から学習し、そのプレイヤーだけのオンリーワンを生み出す"可能性の卵"だ。
私の。私だけの。私が生み出す私の可能性。私だけのモノ。左手の甲に輝く移植された卵型の宝石に目を落とし、意識して右手を動かし撫でる。
一切の感触は無いが、何故か自然と心が暖まる気がした。
「<エンブリオ>の説明はいるかなー?」
「……いえ、あえて何も聞かずに行こうと思います」
「そっか。それもいいと思うよー。キミだけの<エンブリオ>、大事に育ててねー」
「はい、必ず」
私がそう答えると、彼はなにが琴線に触れたのか、これまでで一番の笑みを浮かべて機嫌を良くしたようだった。
上機嫌に地図のようなものを展開したチェシャさんは、弾む声で私に言う。
「それじゃあ最後に所属する国を決めるよー。光の柱があるでしょー? そこがそれぞれの国の首都の様子だから、じっくり眺めて決めてねー」
「どれどれ……」
示された国は、全部で七カ国あるようだった。
それぞれに際立った特徴があり、如何にもファンタジーらしい極端に区別された特色があるが……私が選んだのは、白亜の城が眩しい正統派中世ファンタジーな国、『アルター王国』だった。
王国を選んだ理由に大きなものは特に無い。ただ単純に、奇を衒わずファンタジーを謳歌してみたいと、そう思っただけだ。
「アルター王国だねー、それじゃあ王都アルテアにごあんないー――の、ま・え・に」
「……まえに?」
「特別チュートリアルをやろっかー」
「?」
状況を察せず疑問符を浮かべる私に、ぬふりと笑んだ彼は肉球付きの手を振る。
すると、どうしたことだろうか。
「――――っ!? !!??!?!?」
私の全身に突き刺さるこれまで感じたことのない"ナニカ"。
苦しい――のでもない。
心地よい――のでもない。
否、それら全てであって、全てでない。ありとあらゆる"刺激"が私の脳髄を駆け巡る。
これは、これはこれはこれは――――ひょっとして!
「すこーしずつ、すこしずつ慣れていってねー。だんだん落ち着いていくからー」
「あっ、あのっ、あのっ! これって、もしかして! チェシャしゃん!」
「勿論、キミが――マグロちゃんが期待してたものだよー。いきなり放り出すとびっくりしちゃうだろうから、あらかじめここで慣らしておかないとって思ったんだー」
チェシャさんの気遣いを、私はまともに受け取れないでいた。
待ち望んだ"刺激"。私がこのゲームに求めていた五感の一端を全身で受け取ったせいで、腰砕けになってしまったから。
普通の人なら当たり前に感じているこの刺激……彼の口振りからすると、これでも相当抑えているのであろう感覚の覚醒と奔流に、私の全身は制御が利かなくなってしまっている。
緩む頬、崩れる表情すら抑えきれない。否、そうした感覚を受信することにすら例えようのない快感を覚える私は、きっと傍目にはこの上なく無様に映るだろう。
崩れる私を、しかし彼は優しく見守り。
過呼吸を――ああ、空気ってこんな"味"がするんだ――繰り返す私は、彼の声に合わせて呼吸を落ち着かせ、全身の昂りをどうにか逃す。
それでも人心地着いたときに――ああ、きっと私は相当酷い表情をしているだろう。顔面にへばりつく奇妙な感覚を両手で隠し、恥じ入るように彼へ問うた。
「……ごめんなさい、鏡ありますか」
「ハンカチもどうぞー。大丈夫、ゆっくりしていってねー」
彼は私へ五感を授けたときと同じように鏡を取り出し、綺麗なハンカチも差し出してくれた。
その厚意に甘えてハンカチで――これが肌触りか!――顔を拭き、初めて味わう涙や鼻水の味と感触を拭い取ってから、鏡を見て紅潮する表情をなんとか平生に整える。
そうして鏡面に映っていたのは、現実で幾度となく見た生気の失せたマグロのような顔ではなく――今まさに魂で"実感"を堪能している、無様な女の姿だった。
「あり、ありがとうございまひゅ……」
「どういたしましてー。キミほど重篤なプレイヤーは稀だけど、やっぱり居ないわけじゃないからねー。なんにせよ、キミの望みが叶ってよかったよー」
彼曰く、やはり私以外にも現実で何らかの疾患を抱えた人間は多いのだそうだ。
言われてみればそれもそうか。なにせこの<Infinite Dendrogram>は世界的に売れている、今最も流行しているゲームと言っても過言ではない。
母数が大きければその分引っかかるマイノリティも相当数に昇るだろう。中には寝たきりの半植物人間なプレイヤーや、極めて重篤な心臓病を抱える者もいるのだという。
そんな彼らが今なお問題なくゲームを遊び続けているのだと言うのだから、最早この点において一切の心配は無用となった。
「ほんとうに……このゲームを信じてよかったでず……」
「泣かないでー! そんなのまだ序の口だから、この世界にはまだまだいろーんな刺激が盛り沢山なんだからー。美味しい料理とかー、いい香りのする花畑とかー、いろいろねー」
なんてこった、ここはパラダイスか!
彼の言葉ひとつひとつが私を魅了してやまない麻薬のようだ……これホンマ絶頂モンやでぇ。
まだ見ぬ世界とあらゆる刺激を夢想し、じわりと汗ばむ拳を握る。
ああ、この感触すらも愛おしい……これが生きてるってことなのか!
そしてこれですらまだまだ一端にすぎないのであれば、この先に待ち受ける刺激はどれほどのものか……!!
「チェシャさん」
「?」
「私、頑張ります! 生き尽くします!!」
「……ふふふ、その意気だよー」
断言しよう。
最早私にとって、
「さて、それじゃあ旅立ちの時だねー」
「ついに……!」
チェシャさんの言葉に、自然と総身が震え出す。
そんな私を見て、彼は最後の言葉を私に贈った。
「マグロちゃん。ここから先、キミは自由だ。何をしたっていい、何をしなくてもいい。この世界で生きるのも、この世界を去るのも自由だ。キミはキミの思う通りに生きることができる――
「~~~~~ッ、はい゛っ!!」
「それじゃあ、キミの旅路に無限の可能性がありますよーにー」
そう言うと彼は、いや、私以外の全ては夢か幻かのように掻き消え。
私は直下に王都を臨む高空へと投げ出されていた。
……成程、自由落下ですね。
この身体の中身が浮き上がるような感覚、ほぼイキかけました。
主人公がリアルで抱える症状についてですが、現実にそれらの症状を抱える方々を貶める意図は一切ありません。
あくまでも主人公の動機づけとして採用した設定であり、事実的根拠は一切存在しない、無知な作者の脳内設定によるものです。
ですので、リアリティさんを持ち出すのはどうかご遠慮願います。m(_ _)m
PS.
この作品をご覧いただいてる方には言うまでもないでしょうが。
「小説家になろう」にて<Infinite Dendrogram>絶際連載中です!
書籍化も漫画化もしてるよ! きっとそのうち絶対アニメ化もするよ!!(願望)
もうほんと最高に面白いのでみんなも読もう!!