□【獣神】マグロ
剣呑な話題から更にしばらくして。
あまり気の滅入る話をしても仕方ないとそこから互いの見知った情報や、旅事情などで花を咲かせ、ついでに夕飯も済ませてしまうことにした。
アフロさんはリアルからして腕がいいのか、【料理人】を下級職でしか習得していないとは思えないほど美味で、店の雰囲気もあってちょっとした穴場の名店といった感じだった。
お値段の方も半分道楽でやってるとのことからリーズナブルで、ポッポちゃんおすすめのオムライスを一緒に食べて、一息ついた頃には時刻はもう夜も更けて随分と経っていた。
そこでふと門限を思い出し、そろそろ戻らないといけない旨を切り出す。
中央区とその外では、治安上の理由からある時間帯以降の出入りが制限されており、その門限を越えてしまうと入場に面倒な手続きをしなければならないからだ。
別れを惜しんでくれるポッポちゃんには悪いが、クジラさんの厚意で部屋を借りてる以上利用しないわけにもいかない。
またいつか会うことを約束して、私は店からお暇することにした。
「お世話になりました。結局ご飯までご馳走になっちゃって……」
「いいってことよ、うちのが世話になった礼だ。お互い旅する身だからまたいつ会えるともしれねぇが……ま、機会があったら寄ってくれ。次はばっちりお代をいただくがな」
そう言ってニカッと笑うアフロさんの白い歯が光る。
風体は変わっているけれど、どこまでも親切な人だ。
いろいろと騒動の多いカルカランだけど、なぜだか人との巡り合わせだけは良い。
「ポッポちゃんもまたね。といってももう数日はここにいるけれど……」
「う~……ポッポたちのほうがいそがしーからあそべないな……ちょーザンネンな……」
一方でポッポちゃんはというと、いまだに袖を掴んで名残惜しそうだった。
いつの間にか随分と懐かれたものだ。なにが彼女の琴線に触れたのかは知れないけれど、こうも惜しまれて悪い気がするはずもない。
とはいえお互いに事情のある身。ぐずる彼女をあやすべく、またなんだかんだで世話になったお礼に、あるものをアイテムボックスから差し出した。
「? なになー?」
「レムの実をどうぞ。多分カルディナじゃあ珍しいと思うから」
王国の特産品である高級フルーツだ。
カトリ様のために買っておいたものだけど、今ばかりはカトリ様も許してくださるだろう。
冷蔵魔法の付与された長期保存用アイテムボックスから取り出したそれは、瑞々しさをそのままによく冷えている。
ポッポちゃんは差し出したそれをそのまま一口齧ると、幸せそうに笑顔を浮かべた。
「うまうまなー♪」
「なら、よかった。すみません、これくらいしかお礼できなくて」
「はっはっはっ、律儀だなぁ嬢ちゃん。……ありがとよ」
「いえいえ、こちらこそ。……それじゃあそろそろ戻らないといけないので、これで」
「おう。またいつでも遊びに来な、歓迎するぜ。ついでにこいつも喜ぶ」
「またなー!!」
手を振る彼らに私も手を振って返し、背を向けて歩き出した。
ここまで歓迎されたのも珍しく、すごく後ろ髪を引かれる思いだけど……旅をすると決めた以上、こうした一期一会は覚悟の上だ。
良い出会いがあったと確かな思い出を胸に、私はホテルへの帰路についた。
◇
「…………」
「考え事か、マグロよ」
ホテルへの帰路の途中、私はふと店で彼らと話したことを思い返していた。
街を挙げての祭りの裏で起きていた事件。それにより闇と欲望を増した支配階級の思惑。
この街の政治に首を突っ込むつもりは毛頭無いけれど、それらの渦中にふと紛れ込む名前だけがいやに気掛かりでならなかった。
「差し詰め、あの【歌姫】のことだろうが」
「……やっぱりわかりますか?」
「戯けめ。思考を読むまでもなく顔に出ておるわ。大方あれが件の殺人へ本当に関与しておるのか、そんな愚にも付かぬことを考えておるのだろう?」
図星だった。
彼女が市長殺害事件の唯一の容疑者であるとの言葉。
あのクジラさんに限ってまさか――そう思ってしまうのは、間違いだろうか。
会って間もないにも関わらずそう考えてしまうのは、それだけ彼女へ親しみを覚えてしまっている何よりの証拠。
振り回されながらも一緒に祭りを楽しみ、食事を共にして、極上の歌まで披露してもらった。
それを彼女の優しさ、というのはまた違うのかもしれないけれど。だけどそれを私へのお礼と言った彼女が、そんな血なまぐさい事件に関わっているなんて、とてもじゃないが考えられない。
率直に言って私から見た彼女は、別世界の住人という印象が強い。
それは地位や名声によって住む世界が違うという意味だけでなく、浮世離れしているというか……言ってしまえば、そう、天使のような人だというのが近い。
あるいは妖精のような、というべきか。俗世の穢れやしがらみとはまるで無縁の、壊れやすい宝物というのか。
あの歌声を聴いて以来、彼女へ抱く超然とした印象はますます強く、だからこそ誰かの死と彼女が結びつくなど考えられなかった。
「それに動機が無いんですよね?」
「ふむ?」
「アフロさんが言うには、彼女と市長が会ったのは事件直前が初めてだったらしいじゃないですか。それまでは縁もゆかりもない……いくらなんでも初対面同士で殺しが起こるなんて考えられませんよ」
「そうだな」
「それに……市長の死因は……」
市長の死因は、『胸部への大きな裂傷、及び出血多量によるショック死』。
彼の胸は外部からもその中身が見えるほど無惨に引き裂かれ、その奥に秘められた心臓すらもズタズタになっていたそうだ。
その表情もまた苦悶か悲哀か、およそこの世のものとは思えぬほど凄惨極まりないもので、とてもではないが正視に堪えるものではなかったらしい。
調査に臨んだ鑑識官も堪らず吐き気を催すほどに、その死に様は異様を極めていた。
もしこれが他殺だとしたら、一体どれほどの恨みを買えばこうなるのか。
何者かの依頼による暗殺だとしてもあまりに異様。
リアル以上に死が身近なこの世界と言えどあまりに残酷な死に様を、彼女が齎したのだとしたら……
「だからきっと、彼女は無関係ですよ。たまたま、タイミングが悪かっただけです」
あまりにかけ離れたイメージに、やはり彼女ではないと考えた。
あんなに素晴らしい歌を奏でられる彼女に限って――それだけを根拠に。
私には犯行の何もかもがわからない。だからこそ彼女へ抱いた好意だけを信じる。
「そ、それにほら……気になるなら直接聞けばいいじゃないですか! ちょっと失礼かもしれないですけど、本人の口から殺してないって聞ければわかるはずです! カトリ様も《真偽判定》、持ってましたよね!?」
「…………そうだな」
なぜか拭いきれない不安に声が震える。
まるで彼女への嫌疑が我がことのように思え、知らず語調は必死になってカトリ様へ訴えていた。
カトリ様は、なんの色も見せずただ一言。常と変わらぬ鷹揚さで、私を見据えるだけだった。
「か……カトリ様は信じてないんですか!?」
「余は何も信じておらぬし、疑っておらぬ。余はそなたにだけ味方するもの故」
カトリ様は、事件の是非についてなんの興味も無いようだった。
変わらず泰然自若として、私の守護者に徹するのみ。
いつもは何よりも頼もしいそれが、今ばかりはとても冷たく思えてならない。
「だが、そなたが求めるのならば見定めてくれよう」
「カトリ様ぁ……!」
「果たしてそれがそなたの望みに叶うものであるかは知らぬが、な……」
カトリ様はそう言うけれど、きっと大丈夫だ。
あんなに素晴らしい歌声の持ち主が、あんなに悍ましい真似をするはずがない。
だって彼女の歌声は、こんなにも
◇
「おう、今帰りか? 随分と遅かったな」
「あ……こんばんは、カイトさん……」
結局門限ギリギリになって中央区へ入りホテルへ到着すると、ラウンジにはカイトさんが一人でいた。
ソファに腰掛け新聞を広げる姿は大人っぽいのだけど、見た目が子供なせいで子供っぽさが拭いきれない。
これで見た目に反して低い声でなければ、本当にただの子供にしか見えないからこの世界の人達は不思議だ。
「はっ……こちとら見た目と態度が似合わないなんて言われ慣れちゃいるがな、そうジロジロと見るもんじゃねぇよ。別に構やしねぇけどよ」
「す、すみません……。……ところでクジラさんは?」
「アイツなら部屋で作曲中だよ。譜面を書くのもアイツの仕事なんでな」
それはすごい。所謂シンガーソングライターというやつだろうか。
昨夜彼女のステージを聴いたときもそうだけど、ますます
……私がクジラさんへ小さくない好意を抱いているのには、歌声も含めて雰囲気というか空気が
だからこそ、今日聞いてしまった彼女の不穏な噂が、不安となって暗澹として晴れないのだけど。
「どうした? 辛気臭い顔だな」
「その……例の事件について、噂で聞いてしまって……」
訝しむ彼にそう答えると、彼は苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。
彼としても本意では無いのだろう。謂れなき中傷への嫌悪が顔に表れる。
「それか……捜査の人間からも散々訊かれたがね、
「そう、ですよね……」
横目でちらりとカトリ様を窺う。
彼女は黙して語らず、彼の言葉を否定しない。
彼女が約束したことだ、間違いなく今《真偽判定》を発動しているのだろうが……
『嘘は言っておらぬな』
『!! よかったぁ……』
結果は白。
思わず安堵が胸を満たし、長い溜息を吐いた。
「なんだぁ? ひょっとして疑ってやがったのか?」
「そそ、そうではないんですけど……やっぱり、気になってて……。すみません、気分を害されましたよね……?」
「別にくだらねぇ噂如きで目くじら立てやしねぇよ。いちいち謝るな、鬱陶しい」
「あはは……」
言葉は荒いが、彼なりに私を気遣ってくれたのだろう。
彼の言う通り、くだらない噂だ。真偽もはっきりしている。
ほんの一瞬とはいえ、無責任な言葉に踊らされて彼らを疑ってしまったことを激しく後悔する。
アフロさんが悪いというのではないけれど、やっぱり彼らは無実だ。それがわかってただひたすら安堵した。
「一喜一憂するのはいいがな、この先もそんなじゃあ苦労するぜ? 嘘か真か、それぐらい自分で判断できねぇと足引っ張られるぞ。大体アンタ、俺が本当のこと言ったとも限らねぇだろうが」
「すみません、実は《真偽判定》を使ってました……本当にごめんなさい!」
「んなこったろうと思ったよ。アンタ、隠し事はできないタイプだな。表情でバレバレだ」
《真偽判定》まで使って彼らを疑っていたことを平謝りするけども、彼は笑い飛ばして言った。
本当に、馬鹿なことをしたと思う。ただの噂一つで、柄でもない疑念まで抱いてしまって。
それもすっごくお世話になってる恩人相手に。……ほんと今日の私はどうかしてるよ。
「ナンセンスだが、まぁ暇潰しにはなったぜ。ほれ、もうこんな時間だ」
「あっ……ほんとですね、もう日付も変わっちゃう。すみません、それじゃあ私はそろそろ部屋に戻りますね」
「おう、じゃあな。……いい夢見ろよ」
数々の非礼を詫びながら、逃げるようにしてラウンジを後にした。
そのまま部屋に戻るとベッドに倒れ込み、シャワーすら浴びる間もなくそのまま眠気に身を委ねる。
「ほんと……そんなはずあるわけないのに……」
疑念を振り切るようにして呟いた言葉。
だけどなぜだろう、心に巣食う暗雲は未だ晴れないままだった――。
◇◆◇
□■芸術都市カルカラン中央区――ホテル
マグロがラウンジを後にしてからしばらくして。
カイトも新聞をアイテムボックスに放り込むと、そのまま階上へ昇っていった。
目指すはクジラが篭もる最上階のスイートルーム。
すれ違う人々が【歌姫】の片割れたる自分に阿るのをぶっきらぼうに振り払いながら最上階に辿り着く。
ふと零した溜息。眉間に刻まれた皺を揉みほぐしながら角を曲がると、ふと何かにぶつかってたたらを踏む。
「……アンタか」
「如何にも」
己よりも頭二つ以上も背の高い、褐色をした艶めかしい女。
その姿では初対面なれど、既に幾度となく対面し言葉も交わしている彼女の正体を即座に察し、表情を消して見上げた。
「テスカトリポカさんよ、俺に何か用かい?」
「先に用件があったのはそちらではなかったかな? カイトとやら」
今頃は眠りについているだろうマグロの<エンブリオ>――テスカトリポカがメイデン体でカイトを待ち構えていた。
誰何と共に紡がれた彼女の言葉の意図を察し、彼はすぐに表情を戻した。
俄に流れる沈黙。
両者ともに口を閉ざしたまま、片方は足踏みしながら苦々しく見上げ、片方は腕組みしながら不遜に見下ろす。
どちらが切り出すとも知れない沈黙。
たっぷりと間を置いた末に先に口を開いたのは、見上げる小童の方だった。
「……アンタらは良いやつだ」
「ほう? これはこれは、賛辞の言葉痛み入るな。まさしく光栄の至り」
ぽつりと呟かれた独白。
それを誂うように大袈裟に答える女から、男は視線を切って続ける。
「アイツがああも楽しそうにしてるのは久々に見た。……ああ、本当に笑ってるのを見たのは随分と久しぶりだ」
「それについては、我がマスターも同じだと言っておこう。あれもまた、そなたの連れに懐いておるようだしな」
「そうかい、そりゃ光栄だ。……本当に感謝してるんだぜ? それこそ、アイツはアンタのご主人様を友達のようにすら思ってる」
カイトは、己が連れ合いの幸福を噛みしめるように。
心底からの敬意と感謝を口にして、――故にこそ、その絆を断ち切る言葉を紡ぐ。
「
「あれはそなたの連れのコンサートを楽しみにしているようだが?」
「クジラには俺から言っておくさ。悪いことは言わねぇ、最初で最後の忠告だ。
「…………で、あろうな」
意図を多分に含んだカイトの忠告。
その全てを察してテスカトリポカは瞑目し、彼の精一杯の信号を噛み締めて。
「あれには伝えよう。――――が、決断を下すのは、あれだ」
「…………そうかい。その理屈は……よくわかるぜ。俺はそういうものだし、アンタもそうなんだろ?」
「同情はせぬが、共感はしよう。……余もそなたも、難儀な
「それこそ今更さ。そういう
彼は髪を掻き乱し、彼女は踵を返して背を向けた。
互いに伝えることを伝え、その是非は主に委ねられたことを悟りながら。
最早言葉はなく、黙したまま正反対に歩き出す。
テスカトリポカが己が主の寝る部屋に消え、カイトも己の部屋の前へと辿り着いた。
彼の連れ合いは孤独を嫌う。周囲からその関係を邪推されながらも部屋を分けないのは、偏に彼女の意向があってのことだ。
カイトは形ばかりのノックをしてから、返事を待たずに扉を開けた。
途端、耳に届くたどたどしい旋律。クジラの口ずさむ鼻歌が、彼を誘うように響いていた。
「――――――――」
その歌のもとへと向かうと、彼女は羽ペンを片手に楽譜と向き合いながら一心不乱に書き込んでいた。
口ずさむ旋律は今まさに書き上げようとしている新譜のプロトタイプ。
即興で歌を奏でると同時に譜面に起こし、さらなる旋律を重ねて肉付けしていく。
およそ型の存在しない、一切の技巧を廃した天性の才覚に依る作曲風景。
しかし彼女にとっての作曲とはこれだ。ただ感情の赴くままを唇が紡ぎ、その音に踊るようにして跳ねる指と、それに番えたペンに全てを託す。
常軌を逸した尋常ならざる天賦の理屈。道理を無視して才気の発露。
それは<
「…………
「なぁに?
「そろそろ休め。根を詰め過ぎだ」
呼び掛けた名は、この世界のものではない女の名。
答えて出た名は、最早どの世界にも亡い男の名。
この世界が知るはずもない、全ては終わってしまった番の名だ。
その名を騙って彼女の名を案じる彼の顔は苦渋に満ちている。
しかしその表情を彼女は己を叱りつける予兆だと捉えて、いやいやと首を横に振った。
「でもいま、すごくいいところなの。さっきから歌が止まらなくて、書いちゃわないと消えちゃうわ……」
「それでも休め。
「それは、そうだけど……でも大丈夫だから……!」
「休めと言ったら休め。お前の大丈夫はアテにならんからな……ああそうだ」
彼は懐から小瓶を取り出すと、それを彼女に投げ渡した。
不思議がる彼女に一言「飲め」と命令して、それに従い彼女は中身を嚥下する。
飲み干された【HP回復ポーション】。
その効果で
残された血の痕をカイトは拭い、彼はそのままクジラをベッドへ誘った。
「…………ふぅ」
「そのまま寝ろ。シャワーも……明日でいいさ」
「……
「
「…………やぁ」
幼子のようにぐずるクジラに結局はされるがままになりながら。
やがて彼女が寝息を立てるまでを見届け、彼はこっそりと腕の中から抜け出す。
向かうはクジラが譜面を描いていたデスク。
机上に残された
(
書き記された赤い記号の数々。
その譜面が表す感情の色を察し、彼は長々と息を吐いて……虚空を仰いだ。
(――――恨むぜ惣次郎。……死人の願いなんて、呪いでしかないってのに)
否とは言えぬ御使いの己が身を彼は嘆いた。
To be continued
我ながらホラー書いてる気分になってきました。