我は彼の奴隷なり   作:ふーじん

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憎悪の炎は地獄のように我が心に燃え

 ■ある女の半生

 

 入須いさなという女がいる。

 今や世界の歌姫と名高い女は、ある寂れた港町に生まれた。

 

 この時世に珍しく現代的な娯楽の少ない環境で、聴き拾った歌を口ずさみながら海を臨んで暮らす日々。

 漁業を営む男達の仕事唄を子守唄に育った彼女は、類稀なる歌の才を宿していた。

 幼い頃から浮世離れしていた風体で近しい人々の心配を買いながらも、そのまま生まれ故郷で一生を過ごせば世に知られず埋没していたその天稟。

 それを拾い上げたのは、たまたまその街を訪れていた一人の男だった。

 

 男の名を安住惣次郎といった。

 彼は芸能界の裏方に身を置く冴えない男で、うだつの上がらないままに日々をなんとなく生きていただけの人間だった。

 その彼がいさなの住む街を訪れたのはまったくの偶然だったが、その中でいさなの口ずさむ唄を聴き拾ったとき……彼はその旋律に天啓を得た。

 

 「この歌声を逃してしまえば、それは業界人として死んだも同然」――後にそう豪語した程の確信で、彼はいさなを誘った。

 当時齢一五でしかなかったいさなは当然徐に声をかけてきた不審な男を警戒したが、足繁く通っては頭を下げる彼の熱意にいつしか折れ、更に月日を重ねて両親の理解も得ると、生まれ故郷を離れて芸能界へ身を投じた。

 

 そこからの二人はまさに二人三脚。

 いさなの才を惣次郎は熱心に訴え、舞台を整え、これまでにない情熱を以て方々に働きかける。

 いさなもまたそんな惣次郎の熱意に応えるべく、己が才を磨き、溢れる情熱を歌に変えて……とある一曲を創り上げた。

 

 それこそが<ほしのさかな>。

 孤独なクジラの未知なる旅出を歌い上げた、入須いさなのデビューシングル。

 

 果たしてその反響は――――瞬く間に世を席巻した。

 ミリオンヒットを叩き出し、その独特の世界観とセンスから早くも"歌姫"の呼び名を得、さらなる活動を熱望された。

 惣次郎は己の確信が正しかったことに喝采し、いさなもまた故郷では味わえなかった極限の高揚に魅了され、より一層の活動を開始する。

 

 <さみしいしんかいぎょ>、<よるのうみ>、<すなのみみ>――数々の名曲を創り上げ、そのどれもが熱烈に支持され、いつしか国内のみならず海外までもその名声が響き渡るようになる。

 いさなは()()()()()としての地位を確固たるものとし、彼女をプロデュースしたことで大出世を果たした惣次郎もまたその地位に甘んじることなく、ひたすらにいさなの躍進がため腐心した。

 

 たどたどしい二人三脚はやがて比翼連理となり――いつしか想いをも重ねていた。

 親子ほどに齢の離れた二人だが、そうした差も厭うことなく、生涯唯一の伴侶と互いを想い、芸能界での活動の傍ら逢瀬を重ねる。

 デビューから既に十余年。その情熱は一時として冷めることなく、埋め火のように静かに燃えて、やがて結実を求めるに至った。

 

 恋人としての逢瀬を越えて、伴侶としての人生の共有を求めたいさなは、その想いを歌にした。

 長く、静かで。厳かにして貞淑な恋。その結実を求める一世一代のプロポーズ。

 溢れる感情は過去に無い熱となって楽譜を描き、やがて一つの曲となった。

 

 <くじらのうた>。

 孤独な旅の果てに安住の地を得た歓喜を唄ったその歌は、世の恋人達がこぞって真似歌う珠玉の恋歌として絶大な人気を得た。

 そしてその歌の真意を惣次郎が解せぬはずもなく、彼は先に告白させてしまったことを恥じながらも……喜んでその想いに応えた。

 

 入須いさなの幸福は、まさにその瞬間に絶頂を迎えた。

 彼女は想い通ったことに涙し、身内だけのささやかな式を挙げ、極少数の親しい人間から祝福を受けながら安住惣次郎と一つとなった。

 名を変え、居を変え、まさしく幸せそのものの新婚生活を過ごし、その幸福を活力にさらなる芸能活動に臨もうとした頃に、ある一報が世界を駆け抜けた。

 

 <Infinite Dendrogram>の登場である。

 「あなただけの新世界と可能性」を謳い文句に、当初は一握りの人間だけに注目された新型VRゲーム。

 誰もが半信半疑で受け止めたそのゲームに注目したのは、惣次郎だった。

 

「そういや新婚旅行がまだだったな……試しに買ってみるか」

 

 職業柄周囲の評判には耳聡い惣次郎は、謳い文句を信じて先行したプレイヤーの好評を聞き知っていた。

 従来の健康被害すら起こしかねない紛い物とは違う本物の世界。その評価を彼はひとまず信じてみることにしたのだ。

 なかなか取れないプライベートのせいで新婚旅行にもいけない彼女への負い目があり、せめて少ない時間で気分だけでも味わえるなら……と。そうした理由があった。

 

 いさなはゲームに興味はなかったが、惣次郎がそう言うのならと快く了承した。

 彼女にとってすれば結ばれて過ごすこの日々だけで充分すぎるほど幸せだったが、彼の夫としての意地や配慮を拒む理由も無い。

 もし本当に本物の世界で彼と二人、ただの夫婦として歩けたなら、それはきっと最高の思い出になるだろうから。

 

 そうして次のプライベートで、惣次郎は帰り道に<Infinite Dendrogram>を買ってくることをいさなに伝え、彼女は彼の帰宅を楽しみに待っていた。

 新婚旅行記念日を思いつき、豪勢な食事を用意して。彼とのディナーを楽しんだあと、件の新世界を共に歩くことに胸を踊らせて。

 

 ――そうして彼の帰りを待ち侘びる彼女の想いを、残酷な運命が裏切った。

 

 帰りが遅いな、と心配する彼女へ届いた一本の電話。

 見知らぬナンバーから掛けられたそれを訝しみながらも受話器を取った彼女が聞いたのは――――愛する夫の訃報。

 ゲームを買った帰り道、制御を離れ暴走したバイクに跳ねられて彼は命を喪っていた。

 

「――――――――――――――――」

 

 そのとき感じた想いを、彼女は今でも言い表す言葉を持たない。

 幸福の絶頂から奈落の底へと叩き落とされたとき、人は真の絶望を抱くことだけを彼女は知った。

 

 あるいはその瞬間からいさなは正気を失ってしまったのかもしれない。

 あまりのショックに言葉すら失って――それは夜が明けても戻らず、彼女は伴侶と共に歌声すらも喪った。

 ただ裡に滾る失意と絶望、そして憎悪が燃え上がり、彼女は誰が夫を殺したのか、殺意に漲る眼で続報を待った。

 温もりを失った夫の亡骸が眠る病院。彼の死に顔を見届けた後、ある一室で面会した加害者は、免許を取得したばかりの未成年だった。

 

 相手は保護者を引き連れ、代理人を伴いながら詫びていたが、いさなの耳にそんな言葉は届かなかった。

 ただ彼の命を奪った怨敵への憎悪と殺意が噴出し、その首を締め上げ――ようとしたところで取り押さえられる。

 常軌を逸した様子で彼の命を奪わんとするいさなを居合わせた者が必死に取り押さえ、加害者家族はその様子に後退りしながらも、事情が事情ゆえそれを咎められることはなかったが、その一件でいさなの立場は大きく不利となった。

 相手が未成年であることも踏まえ実質的な刑罰も望めず、多額の賠償金と保護観察で事が収まろうとしていることに、声なく慟哭するいさなは更に絶望した。

 

 いさなは現代社会の柵に復讐という手段すら奪われ、その感情の行き場を失った。

 愛する夫を喪い、彼と共に磨き上げた歌声を失い、復帰の見込みすらなくなった彼女は芸能界へ立ち戻ることも叶わず、世間的には諸事情による活動休止とだけ告知され、いさな自身はただただ塞ぎ込んだ。

 愛した彼と共に過ごした一軒家の一室で、噛み切り血の流れる指で楽譜を描きながら、そこへ刻まれた憎悪を歌い上げることもできず、ただ負の想念を募らせた楽譜ばかりを書き上げていく。

 そうして鬱屈した数日を過ごしていると、ある届け物が彼女のもとへ届いた。

 それは惣次郎の遺品の一つ。あの日の帰り道に彼が購入した、<Infinite Dendrogram>のハードだった。

 

 彼女はそれを見た瞬間、例えようのない憎悪を燃え上がらせた。

 あの日これを買わなければ、彼が死ぬことはなかったのだと。行き場の無い怒りをハードへ向けた。

 惣次郎といさなの分、二台届けられたハードの一つを彼女は傷つくことすら厭わず素手で破壊し、残るひとつをも叩き壊さんとしたとき、ふと脳裏に惣次郎の言葉を思い出した。

 

 ――――これで新婚旅行でもしてみないか

 

 あの日の夜、携帯端末からも再度言われた彼の言葉。

 今となっては最後の遺言となった言葉を思い返し、彼女はふと破壊の手を止めた。

 そして徐に箱からハードを取り出すと、それを装着して新世界へ旅立つ。

 それは偏に、ここでこれを壊しては彼の最期の言葉すら叶えられないという、ある種の使命感からの行動だった。

 

 出迎えたのは一見して猫のように見える不思議な生き物。

 管理AI13号を名乗ったそれのガイドをいさなは聞いてか聞かずか、曖昧な正気のまま言われるままにチュートリアルを終え、独り熱砂の街へと降り立った。

 

 そうして広がった新世界は――――狂気の淵にある彼女をして圧巻するほどのリアリティだった。

 活気に溢れた街並み。飛び交う人の声はいずれも本物と見紛うばかりで、聞きかじっていたゲーム知識のそれとは似ても似つかない。

 目に映る限りの命が真に迫って息づく光景に――――彼女の憎悪は再燃した。

 

 ――わたしの隣にはもうあの人はいないのに

 ――わたしがこんなにも苦しんでいるのに

 ――誰もが幸せそうに生きている

 ――その生命を謳歌しながら

 

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()――――

 

 

 当たり前の日常を誰もが生きる幸福に、いさなは嫉妬した。

 たとえようもない怒りが。狂おしいほどの憎悪が。

 ありとあらゆる負の感情が渦巻き、出口を求めて荒れ狂う。

 

 新たなる<マスター>――クジラが降り立ったのを目撃したティアンが誰何し。

 彼が知る由もない殺意を滾らせた彼女が、発作的に彼の命を奪わんとした瞬間。

 突如として左手の紋章が輝きを放ち、新たなる<エンブリオ>を孵化させた。

 

「俺はバテン・カイトス。

 <エンブリオ>、TYPE:アポストルwithガードナー。

 【千篇万歌 バテン・カイトス】。我が主の使命を果たすモノ。

 俺の全ては……()()()()、貴方の御意のままに――――」

 

 跪く天使のような少年は、愛しい彼の()をして忠誠を誓っていた。

 麗しい容貌は、いさなが夢見た二人の血を継ぐ空想の愛し子を具現化させたようだった。

 愛した夫と、夢見た子。二つの特徴を兼ね備えたクジラの<エンブリオ>は、共有する心でも絶対の忠誠を誓う。

 

「何なりとお命じを、マスター」

「…………惣次郎さん?」

 

 突き出た言葉は、愛しい彼の名だった。

 今は亡き彼の姿をバテン・カイトスに重ね、現実で失ったはずの声は新世界で愛しい彼の名を呼ぶ。

 その真意を察した忠実なしもべは、主の命に応え態度を変えて答えた。

 

「どうした、()()()?」

 

 それはかつて幾度となく聞いた、愛する彼そのものの振る舞いだった。

 一見してぶっきらぼうで、不器用で、しかしどこまでも彼女を案じる頼もしい姿。

 彼女はもしやと思って、さらなる願望を思い描いた。

 

「…………カイトくん」

「安直な名だな、()()()

 

 飛躍した思考が描いた、素直じゃなくなった年頃の子供の姿。

 浮世離れした母に呆れ、一見してぞんざいに振る舞いながらもその実どこまでも純粋に母を愛す子の姿。

 失われた可能性の果ての願望に、忠実なしもべは全霊で応える。

 

 いさなが思い描いた()()()()()を、バテン・カイトスは演じきってみせた。

 それが主の望みであるがゆえに。一切の異論や反論を挟むことなく、彼女が望む姿を演じる人形に徹して。

 

「……………………――――、♪」

「♪ ――――…………」

 

 ふといさなは、歌を紡いだ。

 失われたはずの歌声は、湧き出る想いをそのまま旋律を描く。

 その歌声に合わせてバテン・カイトスの男声が合唱し、やがて輪唱へ変調する。

 【千篇万歌 バテン・カイトス】は、彼女の全てである()に応えて産まれたが故、その調べは伴奏も無く極上の旋律を描き出した。

 

 ◆

 

 こうして後の【歌姫】と、<超級エンブリオ>【千篇万歌 バテン・カイトス】は産声を上げた。

 いさな――クジラの歌は瞬く間に<Infinite Dendrogram>を席巻し、一足飛びに【歌姫】という頂きへ彼女を導いた。

 そして【歌姫】としてクジラは想いを歌い上げるうち、バテン・カイトスはいつしか<超級エンブリオ>へと到達していた。

 後者はクジラが触れ回らぬ故余人の知るところではなかったが、それを抜きにしても隔絶した技量が彼女の【歌姫】としての名声を、歴代でも頂点に立つものとして誰もが認めた。

 

 クジラは感情が揺らめくままに歌い、唄い、詠い続け。

 数年も経ったある日、滞在していた"芸術都市"で市長からある願いを乞われた。

 

「おお、麗しき【歌姫】! どうかこの譜を私のために歌い上げていただきたい!」

 

 キザで自己陶酔がちな市長が差し出したのは、数枚の楽譜。

 それはただならぬ気配を放つ、【呪歌】を記した楽譜だった。

 

 世の【作詞家】や【作曲家】が創り上げる【楽譜】には、時として不思議な力が宿ることがある。

 それは一部の腕の立つ生産職が奇跡的に生み出す渾身の一作にも似て、いずれも通常の【楽譜】には無い効力を発揮する。

 歌手系統に就くものが扱う【楽譜】は、それを使用することで歌唱スキルを強化・変質させるものだが、その中でも特に強力なものは特別視され、それに描かれた譜は【呪歌】と呼ばれる。

 

 【呪歌】は、いずれも隔絶した効果を歌唱スキルで発動させることができる。

 それは超絶した【魅了】を齎したり、無双の剛力を仲間に与えたり、実に多種多様だ。

 【呪歌】が生まれる理由は定かではないが、一説にはそれが記された楽譜を作成した者の想念が密接に関係しているとも噂される。

 そしてその説を裏付けするように――――【呪歌】の多くはまた、禁忌の力を宿しもした。

 

 それは聴くものの精神を崩壊せしめるものであったり。

 あるいは飛ぶ鳥を墜とし、往く船を沈めるものであったり。

 【セイレーン】など一部のモンスターが行使するスキルにも似た害ある力だ。

 呪物や呪具にも似た性質から【呪歌】とも分類されたそれは、如何なる悪意によるものか、致命的なものほど巧妙にその性質を隠蔽することも多い。

 

 そして市長が差し出した楽譜はそうした【呪歌】の中でもとりわけ凶悪な……まさしく命そのものを危ぶませるそれであった。

 一方でそうした【呪歌】ほど極上の調べであることが多く、多芸に通ずる【蒐集王】でもある市長は、そのために半端にその楽譜が示す歌の素晴らしさを理解してしまい、歌い上げることを望んでしまった。

 よりにもよって歴代最高の【歌姫】にして、歌に特化した<超級エンブリオ>を持つクジラに。

 

 クジラは、己の歌を求める声を拒まない。

 かつて惣次郎が見出し、二人で磨き上げた歌声に絶対の自負を持つがゆえに。

 そして歌を唄うとき、加減するという発想もまた無い。

 彼女はいつだって全身全霊で、歌を紡ぎあげてきた。

 

 市長にとって不幸だったのは、差し出した楽譜が本物で、記された【呪歌】もまたそれに相応しい真性の()()であったことだろう。

 それはかつて動乱の時代に痛哭な別離を味わった誰かが、その想いのままに命と、死後の魂すら捧げて書き上げた哀歌。

 別離の苦しみを唄う旋律をひとたび聴けば、誰もが涙せずにはいられず、共感した【悲嘆】の果てに胸が張り裂けて死に至る絶望の歌。

 市長が自ら望み、彼のために歌われた【呪歌】は、クジラの技量も相俟って絶対不可避の絶望死を彼に齎した。

 

 クジラの歌によって死んだ市長。

 しかしそれは、彼女の主観にしてみれば殺人には値しない。

 彼女にとっては歌そのものが全てであり、それが齎す事象には一切の関心が無い。

 故にクジラの主観では「望み通りに歌った結果、()()()()()()()()()()()彼は死んでいた」という結果に行き着く。

 彼女は死んだ市長に一瞥すらくれることなく市長邸を去り、その後の取り調べも素直に答えた結果、意図せずして絶対的な容疑から逃れた。

 バテン・カイトスもまた、クジラの主観を絶対とするために、私心を持たないがために逃れている。

 

 そして、【呪歌】は。

 差し出された後、返す相手も無くクジラの手に渡ったそれは、歌い上げたクジラの心象を大きく揺さぶった。

 奇しくも痛哭の別離を唄ったその歌は、クジラの共感を強く招いた。

 共感し、揺り動かされた感情は【呪歌】の性質に沿って悲嘆へと収斂する。

 そして感情こそを歌の原動力とするクジラにとって、共感と影響の果て【悲嘆】に傾向した感情は、次に紡ぐ歌をその【呪歌】に定めてしまった。

 

 ――哀しい

 ――だから哀しい歌にしよう

 ――そういえば、次はステージで歌うのだっけ

 

 ――――()()()()()()()()――――

 

 それは常人にしてみればあまりに荒唐無稽な動機。

 しかし歌と、その源となる感情を基準とするクジラにとっては当然の結論。

 

 来るべき時に備え、クジラはカルカランでの数日を過ごした。

 その最中、気まぐれから独り出歩き、熱暑に耐え兼ね気を失っていたところをマグロに助けられたのはまったくの偶然だったが……その出会いが図らずもクジラから哀しみを一時忘れさせた。

 

 意識を取り戻したクジラがマグロを一目見て感じたのは、「背が高いな」という感想だった。

 奇しくも愛しい彼の背丈に酷似していたことから、クジラはマグロに惣次郎を重ね、それを理由に好意を抱いた。

 その後腕を組んで祭りを巡ったのは、かつて彼へそうしたように、彼の面影を見たマグロに甘えようとした無意識の行動。

 そして幸か不幸か、クジラにとって意外だったのは……そうした自分の我儘に困ったような、呆れたような様子を見せるマグロの反応がまた、如何なる奇縁か惣次郎に似ていたことだろう。

 性別も年齢も違えど、気がつけば小さなところに彼の面影を想わせるマグロに、クジラは過去になく関心を示した。

 彼女の住処を手配し、ディナーにまで誘ったのはそうした好意の延長線だった。

 まるで失われた時が舞い戻ってきたような高揚。しかし同時に、彼女は決して彼になり得ないという残酷な事実がギャップを生みもする。

 

 そしてその落差が、一時の正気をクジラに与えた。

 取り戻した、ではないのはそうと言うにはあまりに朧げな一過性の覚醒だからだ。

 そうして得た一時の正気で、クジラは哀しみと喜びに揺れる天秤に苦悩する。

 

 果たしてこの哀しみが真実なのか。

 それともこの喜びこそが事実なのか。

 

 クジラには決めかねる二律背反。

 鬩ぎ合う正負の感情が心に軋みをあげさせ、どうしようもなくクジラを追い詰める。

 追い詰められて――――クジラは。

 正気を再び奪われた彼女は、結論をマグロに委ねることにした。

 

 聴いてほしい――聴かないでほしい。

 逃げてほしい――逃げないでほしい。

 止めてほしい――止めないでほしい。

 

 二律背反の、どちらを彼女が選ぶのか。

 まったく道理に合わない選択肢を、クジラは一方的につきつけた。

 可能性の選択肢はカイトに代弁され、不確かな忠告となって彼女らへ届けられる。

 

 それを彼女が訝しみ、わたしのもとを立ち去るなら――――それでいい。

 だけどもし、その選択の意図を知るも知らずも、わたしを止めに来るならば――――それもいい。

 

 もし彼女が後者を選択し、己に終止符を打ってくれるなら。

 ひょっとしたらわたしは、初めて本当の()()をあげられるかもしれない――――!

 

 いつしか一方的な選択肢は己の去就を左右するものにまで飛躍し、当日を迎えた。

 そしてマグロの存在を知り、クジラは歓喜する。

 ようやく自分を止めてくれるかもしれない運命の好敵手に、敬意と好意と殺意と敵意を抱いて。

 この思いの丈を受け止めてくれるかもしれないという、都合のいい身勝手を期待して。

 

 聴衆は、そのための贄だ。

 贄という認識すら彼女にとっては希薄だろうが、この想いが如何なるものか、それを伝えるための舞台装置だ。

 歌い上げる悲嘆を乗り越え我が前に立ったならば、はじめてわたしは彼女を()よう!

 

 果たして彼女は、幾千の死を飛び越え躍り出た。

 黒き狂獣の背に乗って、死を贖いに終止符を打たんと。

 

「――――私達が、止めます!!」

 

 ああ、嗚呼。

 彼女はやはり素晴らしい。

 悲嘆ならざる哀しみに流れる涙を認めたのに、どうしてか歓喜が止めやらない。

 ようやく正視を得た世界は、激情を歌う決死の劇場だった。

 

 故に――――

 

 

「――――《ほしのさかな(バテン・カイトス)》」

 

 

 ――――空泳げよ<ほしのさかな>。

 

 今こそ断罪の時。

 正しき怒りに燃える者は立ち上がれ。

 そして――――度し難き我が身の罪を問うがいい。

 

 

 To be continued

 




(・3・)<某ゲームで例えるなら
(・3・)<ド天然天才系アイドルとパーフェクトコミュニケーションを成功させまくって
(・3・)<その末に完全無欠のハッピーエンドを迎えてシナリオクリアしたけれど
(・3・)<次回作か外伝作との間で超絶鬱シナリオを公式が採用しちゃって
(・3・)<再登場時には闇堕ち・悪堕ちしていたという誰得仕様
(・3・)<大炎上不可避

デンドロを憎むのは、他に直接怒りを向けられる対象がいないから。
そして遺言になってしまったデンドロ世界での新婚旅行の約束が唯一遺された生き甲斐になってしまって。
それを使命としてしまったがための、アポストルの孵化です。
……理由付けとして妥当か、今でもちょっと不安。

実はカイトとのやりとりも、クジラの願望をカイトが演じていただけの人形遊び。
カイトの本来の性質は、ぶっちゃけ無機質的なまでに滅私奉公なんだけど
それはそれとしてやっぱり生きてるので、長年人形遊びに付き合ってれば疲れもするという。
何話か前で惣次郎へ吐いた恨み節は、実は素。

……ようやく背景を描写できたとほっと一息。
次からは本格的にバトります。
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