□■芸術都市カルカラン
泳ぐ、泳ぐ、ほしのさかなが夜空を泳ぐ。
人間の稚拙な可聴領域では到底理解しきれない異次元の歌を響かせ、その巨体で悠然と舞う。
中央区の大劇場を突き破って上空に躍り出たバテン・カイトスに、周囲の人間は皆一様に状況が飲み込めず、ただ唖然として昇りゆく白鯨を見送るしかできなかった。
今宵この場所にて世紀の歌姫がその魅惑の声を披露することは既に周知され、それ故に劇場の崩壊と未知の生命体の出現とか即座に結びつかず、冷静な推測を妨げた。
そうして立ち止まった彼らの耳に、奇怪な旋律が入り込む。
それは美しい歌声のようで、上空に舞う白鯨の鳴き声のようだったが……不可解なことに位置もまばらな人々の末端に至るまで、まったくの同質で響き渡っている。
遥か上空一〇〇〇メテル以上も彼方の白鯨。発生源と思しきそれとの遠近を問わず、誰も歌を聴き逃すことはない。
本来起こり得るべき音の拡散や消失、反響などによる変質が一切なく、遥か彼方の歌声が耳元で囁かれるように、
距離による到達のタイムラグすら無い絶世の歌に――しかし人々は最初、脅威を覚えなかった。
なぜならあまりにも美しかったから。
歌という概念を知る知性ならばおしなべて聴き惚れる程に、その
いっそこのまま身を委ねてしまうのが極上の幸福であると確信してしまう程のメロディに、多くがそのまま目を閉じようとして……続く絶叫に微睡みを妨げられる。
見れば至福に身を投じた聴衆の一人が刃を振り回し周囲を傷つけていた。その表情には歓喜の恍惚が浮かび上がり、どう見ても正気ではない。
ある種の禁薬による中毒患者さながらに、何を見ているのかも定かではない陶酔した目で猟奇の限りを繰り広げる。
その脅威に晒された有象無象が反撃にでる。
同じく刃を手に凶行止めやらぬ彼を返り討ちにし――何度も何度も、彼が死に絶えても止めることなく過剰に報復を繰り返す。
正当防衛にしてもあまりに過剰な酸鼻極まる残酷。その五体を切り刻み臓腑をぶちまけても尚止めやらぬ彼らの顔には、憤怒の凶相が浮かび上がっていた。
気づけば狂気はそこかしこに伝播していた。
あるものは喜んで自らの命を絶ち、あるものは嘆きながら親しい者の首を締め。
あるものは笑って惨殺を繰り返し、あるものは怒号を上げて殴り合う。
それは理性という箍が外れ、剥き出しの本能を無秩序に肥大させた畜生にすら劣る悪鬼の地獄。
それを絢爛に彩るは、それを天国と見紛わせる極上の調べ。
それはあまりに悍ましい、異次元の狂気の坩堝だった。
「状況は!? 正気を保っている者はいるか!」
「ダメです【獄長】! ティアンの人ら、みんなヤられちまってます!」
怒号を発したのは軍服姿に褐色の少女。
着飾ったエンブレムは<ケルベロス>。三頭目が一人【獄長】ヘルガ。
上層部からの依頼を受け、イベント期間中の中央区の警護を任されていた彼らは、突如として巻き起こった異常事態に部下を総動員し、事態の収拾にあたっていた。
「間違いなくあのクジラが原因かと。いつぞやのグランバロアの<SUBM>を思い出しますが……」
「それとは別口のようです。おそらくは<エンブリオ>、この規模からすると……」
「<超級>かッ……!! だがこのような手合いは情報に無い。ポッポに連絡を取れ!」
「もう既に! 生憎御嬢の【手配書】にも情報は無いようです」
「つまり新手か。敵が推定<超級>とあらば打つ手も乏しい……まずはティアンの保護に徹する! 続け!!」
「了解!」
「確保!」
「収容!」
「保護!」
ヘルガの指示を皮切りに、彼らは一斉に動き出す。
【罪狩】ポッポ率いるレフトヘッドが<ケルベロス>最強の戦闘部隊であるように、彼らライトヘッドは最優の制圧部隊。
普段はポッポ達戦闘班が捕縛した犯罪者を、然るべき司法の手へ引き渡すため護送するのが役目だ。
その性質上、構成メンバーはいずれも対人・制圧能力に秀でたジョブや<エンブリオ>を有し、有事の際にはティアンの隔離と保護をも担う。
「起きろウィッカーマン!」
ヘルガの紋章が輝き、巨大な人型を召喚する。
それは街のどの構造物よりも巨大な、一体の巨人。
金属の骨組みを露出させた一見してハリボテの如き身体は、よく見ればそれぞれが独立した無数の牢獄の集合体。
あるいは無数の巨大な鳥籠を鎖で繋ぎ合わせたような歪な人型、その檻の巨人の名は【牢人形 ウィッカーマン】。
TYPE:キャッスル・ガーディアン。数多の罪人を繋ぎ留め、裁きの場へ引き渡してきた動く牢獄である。
「全室開放! 総員収監せよ!!」
「イエス、マム!!」
ウィッカーマンが己の身体を構成する無数の牢獄を開け放つと、そこへ部下達が確保したティアン達を次々と放り込んでいく。
そしてそれぞれの牢獄が一杯になると獄は閉ざされ、収監された人々はいずれも力を失い無力化された。
ウィッカーマンと【獄長】、両者に共通する特性である収監者の弱体化の重ねがけによるものだ。
同格近い<マスター>であればまだ抵抗の余地は残されているが、無理矢理破って脱獄しようにもキャッスルとしての高耐久とガーディアンとしての高ステータスを併せ持つウィッカーマンの前には至難を極める。
その上で「監獄・牢獄に類する構造物の耐久を高める」【獄長】の特性と、第六形態に達した<エンブリオ>としての出力が合わされば、ウィッカーマンはまさに難攻不落の生けるアルカトラズ。
優秀な部下達の尽力もあり、次々とティアンを確保していくが……それでも尚、手が足りない。
行動する今も進行形で、被害は拡大の一途を辿っていく。
「チッ、この歌のせいか……レベルのおかげでレジストできているが、カルディナのティアンには毒でしかないな」
「大騒ぎしてるときでもずっと聞こえてきますね。そういう<エンブリオ>なんでしょうか」
「この手の精神系状態異常は歌唱系スキルの十八番だったと記憶しているが……この出力、まさか【歌姫】か!?」
「クジラの出処は大劇場でした。今日は【歌姫】のコンサートだったはずです」
その報告にヘルガは苦虫を噛み潰した。
状況と、かねての容疑から見て【歌姫】による犯行であることはほぼ確実。
しかし、これまでそうした犯罪とは無縁だった世界的有名人の突然の凶行には、彼女をして信じ難い思いもあった。
ヘルガもまた、熱心ではないが【歌姫】のファンであったがために。
裏切られたような思いが過るが、ヘルガは切り替えて思考を冷静にした。
もとより犯罪に至る動機など、ピンからキリまで彼女は見てきた。
時として理解の及ばない理由から凶行は起きることも彼女は知っていた。
故に何故を問うことはせず、努めて事態の沈静化を模索する。
「報告。白鯨の
「中央区外でも同様の混乱を確認。御嬢が事態の収拾にあたっているようです。……御嬢がフリーなら白鯨を狙う手もありましたが、この様子では手が足りませんな」
「加えて<レブナント・ネスト>の動きもあります。火事場泥棒はあいつらの十八番ですしね、そちらの対処も必要でしょう」
「……戦線が広すぎるな。ほとんど詰みの状況、か」
ヘルガは嘆息して空を仰いだ。
事ここに至り、最早白鯨が<超級エンブリオ>であることは疑いようがない。
《看破》の類が通用せず、これほどの大規模に致命的な影響を及ぼし得るのは、規格外の代名詞である<超級>くらいのものだと彼女はよくよく思い知っている。
【地神】や【殲滅王】といった大規模破壊の代名詞は、性質上彼ら<ケルベロス>もよく知るが故に。
この世界には見上げればキリが無いほどの上がいることをよく知る彼らは、未知なる<超級>との戦力差を既に察していた。
「敵の撃滅が望めぬ以上、ここは次善の策を採るしかあるまい。重要人物を可能な限り保護し、他都市か……議会へ応援を要請する必要がある。都市機能は放棄せざるを得ないだろうな」
「となれば、まずは効果圏内からの脱出ですな」
「ポッポに連絡を取り、確保した人間も収容していくぞ。……ウィッカーマンの腹が満たされるなど、あってほしくはなかったのだがな」
この状況、どう足掻いても全ての住民を救い出せるものではない。
中央区での救助活動も見切りをつけ、今すぐにでも脱出して応援を要請しなければこの惨禍は止まらない。
原因であろう白鯨がカルカラン上空に留まるとも限らないのだ。
あれがもし別の都市へ向けて遊泳を開始してしまえば、おそらくは歌の効果範囲もそれに合わせて動き被害を拡大させてしまうだろう。
最終的にはあの白鯨を滅ぼす必要があるが、現時点ではそれが可能な戦力が無い。遥か上空を泳ぐ白鯨に有効打を届かせられるものはおらず、唯一可能なポッポも現状では住民の確保と保護に徹さざるを得ない。
よしんば彼女が動けたとしても、<超級>相手では明らかに格が落ちる。相手に賞金がかけられていたならばまだしも、現時点で賞金首として手配されていない以上は、ポッポの戦力は大きく劣る。
「あるいは我々こそが既に
「ほ、報告! 大劇場跡から更に飛び立つ影アリ!」
「目標の向かう先は――空! 上空の白鯨を追っています!」
「白鯨への攻撃を確認! あれは……怪鳥種? ――怪鳥と白鯨が交戦に移りました!」
踵を返そうとした彼らが目撃したのは、崩れた大劇場跡の瓦礫を突き破って舞い上がる、一羽の怪鳥。
漆黒の空に瞬く星明りが映し出すのは、血のように赤い巨大な鳥。
既存の如何なる怪鳥種とも特徴を異にするそれは、真っ直ぐに上空の白鯨へと向かい、攻撃魔法と思しき光弾を射出してドッグファイトを描き出す。
「次から次へと……! 今度は一体なんだ!?」
「不明です! しかしこちらへの攻撃意志は無いようです」
「であれば暫定的にアレを味方と判断し、白鯨への対応を任せるぞ! 一体どこの大馬鹿者かは知らんが、この隙を精々利用させてもらう!」
「了解しました! 住民の保護を急ぎましょう!」
◇◆◇
『無事か、マスター』
「なんとか……! カトリ様が守ってくれたおかげです!」
クジラを乗せたバテン・カイトスを追ってテスカトリポカは空を飛ぶ。
AGIと魔法攻撃に秀でた赤き魔鳥の姿となって、その背に【神心騎英 ベレロープ】の手綱を取るマグロを乗せて。
亜音速で空を泳ぐバテン・カイトスを超音速で追う間にも、歌声は一切の変質無く二人の耳に届いていた。
明らかに物理法則を逸脱した現象。おそらくはそれこそが、先に相手が宣言した必殺スキルと思しき技の力であろうとテスカトリポカは判断した。
『マグロちゃん、ここまで来てくれるなんて……!』
「クジラさん……!」
同じ高度に達し、前方を泳ぐバテン・カイトスの背からクジラの声が届く。
数百メテルも離れた距離。吹き荒ぶ夜風はほんの数メテルの距離でも声をかき消すはずが、まるで耳元で囁かれたように明朗に響いた。
前方にいるはずなのに、一切の位置感を悟らせない不可思議な発声。
マグロとテスカトリポカは、心の共有で互いの耳元へまったく同じ声が届いていることを把握した。
『これがそなたらの力、というわけか』
『うふふ……わたしの声がどこまでも届きますように。そう……ここにはいない遠くへ逝った
祈るように両手を絡めたクジラの独白は、マグロのみならず街の人々全てに届いていた。
万人の耳に囁くように、まったく同じ声音ではっきりと伝わるのには、勿論理由がある。
TYPE:アポストルの特性、ドミネーター。
世界を部分的に掌握し、己に利する世界へと作り変えてしまう支配者の力。
生粋の【歌姫】たるクジラにとってのそれは、一切の瑕疵無く己が歌声が響き渡る領域に他ならない。
バテン・カイトスを中心とした半径二〇キロメテルの領域において、二人の歌は必ず届く。
たとえ轟音が飛び交う中でも、歌は厳かに響き渡る。
たとえ音を伝えぬ真空であろうが、空間そのものが音を伝え歌を響かせる。
遥かな地中深くに潜み、あるいは物陰に隠れて耳を塞ごうとも……クジラの歌は鳴り止まない。
即ちバテン・カイトスの支配する領域全てが、彼女の歌を演出する音響装置。
その歌を阻まんとするならば――――
それはかつて、どこまでも歌を広げることを願ったクジラの力。
歌で世界を羽ばたかんとし、今は遠い世界に眠る愛する人へと鎮魂歌を届けんがため。
されど悲しきかな、愛する者への鎮魂とかつて思い描いた願いは歪み、この世に生ける者全てを蝕む呪いとして君臨する。
『ねぇマグロちゃん、わたし今、なぜだかとっても嬉しいの。どうしてかわかるかしら?』
「そんなこと……! わかるわけ、ないじゃないですか!!」
今も眼下では地獄が広がり、バテン・カイトスの紡ぐ歌で人々が苦しんでいる。
歌手系統に代表される歌唱スキルが得意とする精神系状態異常。彼にとってはほんの余技でも、多くの無力なティアンにとっては致死の呪いに他ならない。
発狂、憎悪、憤怒、歓喜、悲嘆、愉悦……ありとあらゆる精神的疾患が聴衆から理性を奪い、悍ましい共食いへ差し向けていく。
そんな地獄を齎しながら、クジラの声音は女神のように美しく、天使のように純粋で――悪魔のように甘い。
この残酷をクジラが生み出していることにマグロは哀しみを堪え切れず、涙しながら訴え叫ぶ。
「私、クジラさんと仲良くできて、嬉しいと思ってたのに……なんで、こんな……!」
『そう……あなたは
「なにがですか!?」
『
「それが――」
『
クジラの囁きは寄り添うように聞こえ、故にその言葉にどれだけの想いが込められているのかがわかってしまう。
人同士の会話ではなく、歌として感情を曝け出した今のクジラからは、この世界へのただならぬ嫌悪と憎悪が向けられていた。
女神の美貌に天使の歌声。しかして悪魔の悪意は世界を脅かす。
今宵初めてその力を露わにした超越者は芸術の都を第一の生贄に、その歌で破滅への引き金を引いた。
『マスター、最早これ以上の問答は無用。早々にアレを仕留めるぞ!』
「カトリ様……、――――はいっ!」
テスカトリポカは、魔性に堕ちた歌姫は言葉では止められぬことを悟り、命を以て終止符を打つべく戦闘態勢に入った。
同時にバテン・カイトスも動きを変える。ここまで互いに本領を見せていなかったのは明白。
どちらかが問答を捨て去り、命を賭す覚悟を決めた瞬間こそ、今宵の行く末を決める頂上決戦。
すなわち<超級激突>。
今宵初めて衆目に晒される知られざる<超級>二人の、大喧嘩。
『わたしを止められるものなら、どうかわたしを止めて頂戴! あなたの手で止められるなら、わたしはようやく
「本当に――――甘ったれすぎですよクジラさんはぁ!!」
瞬間、絶世の大合唱が領域を駆け抜けた。
これまでの小手調べとは違う、本気になったテスカトリポカをしてレジストにリソースを割かねばならないほどの歌声。
【歌姫】固有のスキルレベルEXに達した《歌唱》による歌唱効果の一〇〇%強化、そして奥義《絶唱》によって極限強化された歌が、多重発声を可能とするバテン・カイトスの《合唱》や《輪唱》によって同時に歌われ、それらが不協和音になることなく極上のハーモニーとなって響き渡る。
無論、代償としてクジラのMPは継続して目減りしていくが……MPへのステータス補正に特化した【歌姫】であるために早々に途切れるものではない。
彼女の消耗を待つ持久戦を選べば、決着をつけるまでに周囲一帯の被害は最早取り返しのつかないレベルに陥るだろう。
故に二人は速攻をかけんと飛翔するが――――それを不可視の衝撃波が阻む。
数少ない攻撃系歌唱スキルである《ソニックヴォイス》、音の衝撃によって対象を破砕せしめるそれが【歌姫】の奥義とパッシブスキル、そして<超級エンブリオ>の大出力によって放たれれば、接触は即ち死を意味する。
同じ<超級エンブリオ>のガーディアンであるテスカトリポカですら大ダメージを免れず、そのために徹底した回避を取らざるを得ない。
しかし、本来であれば如何な大威力とはいえ所詮は音速止まり。
超音速で飛翔する赤き魔鳥と化したテスカトリポカなら回避は容易いはずだが、その優位をバテン・カイトスの必殺スキルが殺していた。
領域内全てにまったく同質の歌声を届ける必殺スキル。それは本来あるべき音の伝達速度限界を無視して任意の場所へ即座に音を発生させることが可能な、いわば擬似的な空間跳躍にも似た現象。
そのために超音速であっても回避困難な遠隔起爆となり、ラーニングしたスキルで《魔力視》が可能なテスカトリポカだからこそかろうじて回避ができている。
彼女でなければ衝撃波発生直前の僅かな兆候すら察知できず、同じく過去にラーニングした《魔力撃》による純粋魔力放出による相殺もできなかっただろう。
テスカトリポカでなければそれだけで決着をつけるにあまりある、不可避にして不可視の致命攻撃。
不幸中の幸いは、この攻撃が二人にだけ向けられていたことか。
もし無差別に音波爆撃を繰り出されていたら、バテン・カイトスの必殺スキルの性質上、カルカランは一瞬にして灰燼と化していただろう。
良くも悪くも今のクジラは二人しか見えていない。それが一筋の希望だった。
『……千日手だな。空中機動に関しては向こうに一日の長があるということか』
「この姿での動きをもっと練習する必要がありますね……そのためにもこの状況をなんとかしないと」
超音速で飛翔するテスカトリポカだが、その動きはお世辞にも洗練されているとは言い難い。
<超級エンブリオ>に達してまだ二週間も経っていない今、テスカトリポカは新たに獲得した肉体の制御をまだ習熟しきれてはいない。
歴戦の戦闘センスで不足を補ってはいるが、相手が格下であるならまだしも同格相手との戦闘では、僅かな不足は大きな不利となって重くのしかかる。
対するバテン・カイトスは飛翔を得意としていたのだろう。
テスカトリポカの付け焼き刃ではないその動きは、彼女の超音速機動に大きく劣る亜音速でありながら、巧みな位置取りによってテスカトリポカの攻勢を凌ぎ続けている。
その上でバテン・カイトスの攻撃は距離や位置を問わない即応起点指定であるがために、状況は一見してテスカトリポカの不利であった。
『加えてあやつら、衝撃波以外にも
初手から継続して歌い続けられる精神系状態異常を齎す歌。
直接的に二人を破壊せんとする音波衝撃。
それとは別に、前者二つとは趣を異にする歌声が、大合唱にまぎれて延々と紡がれている。
それは目に見える効果を齎さず、不気味なまでの静けさを以て今はまだ聴衆を魅了するに留まっていた。
「カトリ様、いつまで保ちますか?」
『切り詰めて半刻、といったところか。他の化身に変わればリソースは回復するが、あれが空を舞う以上この姿の他には打つ手はあるまいよ』
「クジラさんの方は多分私達よりも長く戦える……カトリ様、少しだけ時間稼ぎをお願いします!」
『承知した。なるべく早く
カルカランの上空を縦横無尽に泳ぎながら、マグロはメニューウィンドウを展開した。
表示されるのはテスカトリポカの詳細なステータス。各形態に振り分けられた無数のスキル群、発動中のものは文字列が発光し、未発動のものは暗く消灯している。
<超級エンブリオ>への進化後、暫定的に振り分けられたそれらスキルは無駄が多く、故にマグロは土壇場での最適化を試みた。
【獣神】はモンスタースキルに特化した超級職。
従属下のモンスターが習得するスキルへの干渉を得意とするその性質は、言い換えればスキル面からのモンスターの育成を可能とする。
元来【獣神】とはそうした手順によって従属モンスターを鍛え上げ、その種族の中でも最も優れた個体を創り上げることを本領とするジョブだ。
しかしマグロは己の<エンブリオ>の特性から、テスカトリポカ以外の従属モンスターを切り捨てている。
そして己すらも切り捨てて得た莫大なリソースを全てテスカトリポカに注ぎ込むことで、テスカトリポカをガードナーとして規格外の領域に押し上げている。
即ちラーニング能力によって無数のスキルを獲得する下地を得ながら、ステータス特化型にも匹敵する純粋高性能を両立させるという暴挙。
無論、真の意味で純粋ではないためにかの"怪獣女王"には後塵を拝するが……それは逆に言えば、かの"怪獣女王"に次ぐステータスを誇りながら、彼女には無い多彩さを駆使できるということでもある。
そしてテスカトリポカは、戦闘力においては無力を極めるマグロに変わって全ての闘争を代行してきた歴戦のガードナーであり……その戦闘経験は数あるガードナー・従属モンスターの中でも最上位に達する。
故にテスカトリポカは最優である。
マスターまでも犠牲にした究極の原石を【獣神】として磨き上げた結果、それは至上の宝石として君臨する。
世に覇を唱える"最強"達にも勝るとも劣らない、最も優れたガードナーとしての自負がテスカトリポカにはある。
その彼女が勝利を得るために、マグロに託した。
彼女の準備が整ったとき、そのときこそテスカトリポカがバテン・カイトスを仕留めるだろう。
だがそれをみすみす見逃すクジラ達でもない。
一見して優雅に歌い舞い泳ぐだけに思える所作は、その一つ一つが致死を振り撒く攻勢である。
音波衝撃はますます苛烈を極め、相殺するテスカトリポカにも消耗の色が浮かぶ。
精神を蝕む呪いの歌は、テスカトリポカにアジャストした状態異常耐性特化の特典武具と、【高純度覚醒剤】を継続投与する【オーバードーズ】によってレジストしているが、そうした手段の無い地上の人々は今も地獄を見ているだろう。
それを顧みる余裕など今の二人には無いが、しかしそうした中でも必死に避難の指揮を取る者達の動きを認め、テスカトリポカは彼らの尽力に地上を託すことを決意した。
(あれは<ケルベロス>の者達か。この状況では心強い。あれらの尽力に応えるためにも、一刻も早くあやつらを仕留めねばならぬ。――――だが、これが<超級>か)
テスカトリポカは心中で地上の人々の努力に喝采を送りながら、同時にたとえようのない高揚を覚えた。
世に一〇〇といない極一握りの超越者達、<超級>。
如何なる奇縁によるものかその頂上二組が今この場で対峙し、互いの命を喰み合う激戦に……テスカトリポカはどうしようもなく
不謹慎であることは百も承知だが、同じ<超級>として鎬を削る激戦に、普段は隠している戦闘狂としての側面が顔を覗かせていく。
しかしその一方でマスターたるマグロの心中も理解し、その凶猛を表に出すことを彼女は自省した。
『互いに捻くれた<マスター>を抱えたものよな、バテン・カイトス。……余もそなたらの歌は大いに気に入っておったゆえ、此度の争いが残念でならぬよ』
『俺は、マスターの願いを叶えるだけだ。……アンタのようなメイデンとは違う』
珍しくもテスカトリポカは、己の心中を戦場で吐露した。
同じ<超級>の頂に達した<エンブリオ>としての同族意識か。
はたまたかつて己がマスターの半生に彩りを与えた歌姫への敬意か。
テスカトリポカにとっては非常に珍しく、撃滅の意志以外を敵手へと向けた。
対するバテン・カイトスは、歌声を発したまま会話のための言葉を重ねて無機質に言い放つ。
テスカトリポカは、その答えに遣る瀬無いように表情を変えた。
『そうさな。……そなたはそういうモノであろうよ。余としたことが益体もないことを言った』
『俺はマスターと共に歌うだけだ。――――見ろ、さらなる聴衆がやってきたぞ』
『ぬ――――?』
感傷だけの会話。
しかしバテン・カイトスの言葉と同時に、戦場へ響く歌に変調が加わる。
音波衝撃と精神汚染の呪歌、それとは別に長らく響き渡っていた歌が、ここに至り大きく主張した。
それは既に効力を発揮していた二つの歌よりも尚広く、必殺スキルの効果範囲の限界まで駆け抜ける。
カルカランを越えて、その周囲に広がる砂漠の一帯へと。
そしてそこからにわかに砂嵐が巻き上がって、カルカランへ迫り来る。
その砂嵐の向こうに潜む影を、テスカトリポカの眼は詳らかに明かした。
『魔物の群れを引き寄せたか――――!!』
「そんな!? これじゃあ脱出することもできない……!」
それは【歌姫】の歌声に誘われ集まった、無数のモンスターの群れだった。
広大な砂漠に潜む無数の魔蟲種の群れ。地中深くに潜んで音を頼りに獲物を狙う数多の【ワーム】達が、【歌姫】が上空に坐すカルカランへと一直線に殺到する。
互いに身を押し合い、へし合い……押し潰されることすら厭わずに、一刻でも早く【歌姫】の元へ集わんと全速力で。
メジャーな歌唱スキルの一つである《魔物寄せ》。他系統のスキルにも同様のものが多く見られるスキル系統。
多くは効率的な狩りのために用いられ、パーティー内でも重宝されるその歌が、【歌姫】と【千篇万歌 バテン・カイトス】の手によって極限強化され……本来の性能を越えた凶悪効果を齎した。
惹き寄せられたモンスター達は、参集以外には一切の制限を課されてはいない。
歌声の発生源であるカルカランへと到達した後は、無差別に獲物を喰らい合うだろう。
共食いの性質を持つものは互いに喰らい合い……そうでないものは、街から逃げ出そうと密集した無力な人々を格好の獲物として、喜びながら貪り尽くすに違いなかった。
最早、人々に逃げ場無し。
彼らが集結した魔物の群れに食われ尽くす前に元凶たる【歌姫】を打倒する以外に、人々が助かる道は無い。
『うふふ……あはははは。アハハハハハハハッ――――!!
さぁマグロちゃん、わたしを止めて! 止めてみせて! 止めて頂戴!!
嗚呼……今夜はこんなにも月が綺麗だから、わたしの全身全霊で歌いきって魅せるわ!!』
「本当に……
地獄の釜の蓋が開き。
――――歌姫は破滅の歌を唄う
To be continued
◆《ほしのさかな》
バテン・カイトスの必殺スキル。
バテン・カイトスを中心とした半径二〇キロメテルの空間が対象。
領域内を己に利する音響装置へと改変して、音の限界を越えて常に理想的な状態で届けることを可能とする。
領域内ではどこにいようがクジラとバテン・カイトスの歌は必ず聞こえ、たとえ真空や爆風でも遮ることはできない。
またその歌声は領域内であれば位置を問わず同時に届くため、歌から逃げることもできない。
領域内で歌を遮るためには、改変された空間そのものを破壊か断絶する必要がある。
(・3・)<つまりどういうことかというと
(・3・)<クジラとバテン・カイトスの歌限定のシーン攻撃(識別可能)
(・3・)<MUGEN的に言えば全画面攻撃
掌握した世界をごく単純に改変するだけなので、アポストルの支配改変の中では条件が軽い。
サンダルフォンとは違って常にバテン・カイトスを中心とするので、バテン・カイトスが動けば領域もそれに合わせてズレる。
要は超高性能なマイクか劇場を擬似的に展開するだけのスキルだが、【歌姫】とのシナジーは推して知るべし。
(・3・)<これらの理由から
(・3・)<クジラの戦闘スタイルは広域殲滅と広域制圧のハイブリッドに分類されます