プロローグ
□大陸南東海域・船上 【獣神】マグロ
「お、かかった」
曰く釣りとは辛抱こそが肝要であるとの助言に従い、船の中央に設けられた巨大釣り堀に向き合うこと小一時間。
くいくいとそこそこの引きに上下する浮きを捉え、私は咄嗟にリールを回した。
しなる竿から伝わる確かな感触。スキルの都合でほぼ初期値に等しい私のステータスですら対抗できる抵抗は、獲物が最下級の小物であることの証左だ。
釣り堀の店主からいただいたアドバイスを脳裏で繰り返しながら、どうにかこうにか釣り上げることに成功する。
「やたっ、初釣果!」
「おーう、おめでとさん。はっはっは、ようやくか!」
呆れたような、微笑ましいような祝辞をくれた店主に向かって釣果を見せた。
人の腕ほどの青魚だ。どこででも食べられるような大衆魚で、ティアンの子供ですら釣り上げられる程度の最下級モンスターだ。
それでも私にとっては大捕物に違いはなく、喜び勇んで魚を差し出すと、すかさず店主が仕留めてドロップ品に――《解体》のスキル効果でいくつかの食用部位へと変化した。
「ほらよ、持っていきな。またこいよ!」
「はい、どうも」
包んでもらった魚肉をアイテムボックスに仕舞いながら会釈する。
そうして周囲を見渡し――この果てしない大海原の真っ只中にいることの驚きを改めて実感した。
「まるで陸地とは違うなぁ……グランバロアは」
広い空。白い雲。蒼い海。
見渡す限りの大海原は、今は凪いで静寂を保っている。
四方全てを海に取り囲まれた大陸南東海域で私は、ここに至るまでの道程を思い返していた。
◇◇◇
カルディナでの一大事――今では<歌姫事変>として知られる騒動の後もしばらく砂漠を旅していた私達は、やがて最南部から連絡船に乗り、そのまま海洋国家グランバロアへと身柄を移した。
当初の予定ではそのまま地続きの黄河帝国へと渡るつもりだったのだが、たまたまグランバロアの連絡船が港へ寄っているとの情報を聞きつけたために急遽変更したのだ。
あらゆる面で他国とは事情を異にするグランバロアへ赴く絶好の機会であったし、なんと言っても砂漠の熱風に晒され続けたことへの辟易が私達を海へと差し向けたのは間違いない。
かくして噂の海洋国家へと足を踏み入れた私達を出迎えたのは、想像以上のスケールを誇る大船団だった。
船一つとっても他国の保有する船舶を優に上回る巨大船が、無数に連結して人造の大地を海上に形作るその威容。
潮風吹き抜ける甲板の街は、それが船であることが嘘のように堅牢そのもので、必要に応じて離脱と連結を繰り返す船団の陸は、さながら迷宮のように船上の風景を一変させていく。
堪らず口を開いて呆けていると、そうした外来の旅人はさして珍しいものでもないのか慣れた様子で案内を申し出た船員にリードされ、誇らしげに語られるグランバロアの歴史に耳を傾け、食い入るようにその光景を目に収めていった。
恐るべきはこれほどのスケールをして首都ではないという事実だろう。
確かにこの船団も南海の一大拠点として機能してはいるが、グランバロアの頭脳である首都はこれの比ではないという。
寄る辺無く四海を彷徨い続けることを強いられた不遇の国――そうも揶揄される噂とは裏腹に堂々とした国風は、成程七大国家に名を連ねるだけのことはあると感心しかなかった。
◇◇◇
そんなおのぼりさん丸出しのまま紹介された観光ツアーに乗っかり、あれよこれよと見回るうちに数日を経て、いくつかのクエストをこなしながら連絡船を乗り継いで南東海域へ流れ……今ではすっかり海上の人と化して今に至る。
今しがた楽しんでいた釣りも、初心者向けに比較的安全な水棲モンスターを収めた釣り堀を紹介されたからだ。
案内人曰く、やはりグランバロアに来たからには海釣りを楽しみたくなる客が多いのだが、しかしここグランバロアにとって海釣りとは即ち、命の危機に直結する難事である。
中途半端に《釣り》技能が高いと必要以上の
そうでなくとも前触れも無く海中から強力なモンスターや、時に<UBM>でさえ襲来してくるのが四海というのだから、そんな危険な真似なんてさせられるわけがないということだった。
いわんや南海の拠点から東に外れたこの船団では周辺の掃海が行き届いているわけもなく、腕に覚えがあるならともかく私のようにひ弱な人間はおとなしく用意された場所で楽しむのが分相応というわけだ。
とはいえそれは、あくまで私にとっての、という但し書きがつくものであり……腕に覚えがあるならば、この海はまさに宝の山というべき場所でもある。海だけど。
「うわ!? ……っとと」
不意に海面が揺れ、大波が船を揺らした。
各種機構により最小限まで揺れを抑え得るこの船団でそれほどの衝撃を与えるということは、つまりそれだけの大物が接近したことの証左。
瞬く間に緊張が周囲に奔り、船員が素早く連絡を取り合いソナーを睨み……暫くして【船長】の「よし」というアナウンスがかかる。
観測員が見上げたその先には、ひとつの巨大な影が陽光を遮っていた。
遠近感が狂うほどの巨体は容易く船団の一画を覆い隠し、それがそのまま落着したなら船団は大打撃を免れないだろう。
しかしそうした不安を他所に、影は落下する最中でみるみる規模を小さくし――やがて人間大のそれとなって甲板に降り立った。
事前に連絡があったとはいえ予想外に規模の大きい事態に周囲が見守る中、肉付きの良い褐色に水を滴らせ、水着よりも尚露出の多い装束で不遜に腕を組む絶世の美女。
我が頼もしき主人にして相棒、<超級エンブリオ>【四神獣妃 テスカトリポカ】は、事も無げに周囲を見遣ると、そのまま口を開き。
「周辺海域の掃討、恙無く完了したぞ、マグロ」
「お疲れ様です、カトリ様」
【クエスト【掃海任務―調査船団周辺海域】を達成しました】
一仕事を終えたカトリ様を労うと同時に、掃海依頼のクエスト達成通知が響いたのだった。
◇◇◇
南海拠点から東へ流れ、大陸南東海域にて拠点を構築した船団の旗艦【ズンドコフェスティバル号】――変な名前だけど船員さんは大真面目に呼んでいた――は、冒険船団が主導となって組織された調査船団だ。
別名開拓船団とも呼ばれる彼らの任務は、その名の通りグランバロア国民が入植可能な陸地を発見し、可能であればそれを開拓すること。
その橋頭堡として今回の船団を組織し、停留させた海域の掃討を私達が仰せつかったというわけだ。
本来であれば国内の<マスター>に依頼するところを折悪しく都合がつかず、代役を求めていたところに南海の拠点船団で活動中だった私達に目をつけクエストを依頼するに至ったという事情がある。
それというのもグランバロアで活動する中で、カトリ様にまた新たな発見があったことが原因だった。
カトリ様――【四神獣妃 テスカトリポカ】という<エンブリオ>は第七形態に達してまだ日が浅い。
進化によって四つの姿を得、それぞれに有用な力を模索する中で、とある形態が海中戦闘での相性が良好であることが発覚したのだ。
"青"のテスカトリポカと私達が呼ぶ巨人形態、全長五〇〇メートル級の超巨大生物体がそれだ。
物理攻撃力と耐久力に優れ、陸上で活動するには些か以上に過剰な巨体を誇るこの形態は、その大きさ故にこれまで満足に運用する機会が無かった。
なんと言っても加減が聞かず、至極大雑把であり、周辺地形への悪影響が著しい上にその他の形態と比較して効率性で劣り、若干持て余し気味だった現状。
しかしその巨大すぎる人型は、海中という環境においては制約の大半を無視できることにあるとき気付いた。人体と類似した構造が効率的な泳法を可能とし、莫大な自重を海水の浮力が助け、器用に動く手足が他の形態には無い対応力を発揮する。
なにより水棲モンスターというのは大型の個体が多い。一〇〇メートル単位の巨体がごろごろいるのだ。そうした連中相手なら五〇〇メートル級の巨体が無駄になることは少なく、結論として私達はこの形態を水中戦に長けた構築にすることを決めた。
そうと決まれば話は早く、カトリ様は日夜"青"で海に飛び込んでは、海域に棲まう無数の水棲モンスターを討伐しまくった。
海中という新環境に当初こそ翻弄されたものの、徐々に討伐数を重ねてドロップアイテムを稼ぎ、それを消費して得た水中活動に有用なスキルを昇華選別し、こちらの時間で一ヶ月も経つ頃には他の形態と遜色無い戦闘力を発揮するに至ったカトリ様は、瞬く間に周囲の注目を集めた。
派手に活動する中で<超級エンブリオ>であることも船団内で知れ渡り、フリーの<超級>が留まっていることを聞きつけた冒険船団によって依頼を委託されたというわけである。
こちらとしても別の海域で未知のモンスターを相手取ることにはメリットしかないために、一も二もなく飛びついた。カトリ様が乗り気だったということもある。
結果として数日をかけて調査船団周辺海域の掃討は果たされ、めでたくクエストクリアと相成った次第だった。
「クエスト達成ご苦労だった。素晴らしい手際だな、これで我々も調査に専念できるというものだ」
「恐縮です。まぁ私は待機してるだけでしたから……礼ならカトリ様にお願いします」
「無論、カトリ殿にも最大級の感謝を。……しかしなんだ、君達は随分と毛色が違うものだな」
クエスト達成の報告を船団の総指揮官である【提督】のランドルさんに上げると、そう労いの言葉と一緒に愉快げな表情を向けられた。
毛色が違う、というのは私とカトリ様の関係のことだろう。確かに自分の<エンブリオ>を主人と仰ぐなんて<マスター>はいないに違いない。けれどこれが私達にとっての当たり前で、さりとてそれを上手く伝える言葉も見当たらず、誤魔化すようにぺこぺこと頭を下げる。
そんな私にランドルさんは一枚の書類を取り出すと、それに押印して寄越した。クエスト達成の証明書だ、あとはこれを本拠のギルドに提出すれば報酬が振り込まれるというわけだ。
「明日には連絡船も到着する予定だ。それまではのんびりバカンスを楽しんでくれたまえ」
「調査船団というから実用一辺倒とばかり思ってたんですけど、酒場も商店街も釣り堀もありますよね」
「何を言う、まさしく実用的そのものだろう? 快適な居住性と娯楽あってこそ満足のいく働きができるというものだよ」
言われてみれば確かにその通りかもしれない。
わざわざ釣り堀なんていうニッチな娯楽を設けたのは不思議だけど……ああ、貴方の趣味なんですね。
執務室の壁に飾られた立派な釣り竿を見上げると、「下手の横好きだがね」とランドルさんが肩を竦める。
「だが誇らしき私のワースト記録も君の登場で塗り替えられた。ようやく肩の荷が下りるというものだな」
「ぐぬぬ……!」
お茶目たっぷりな皮肉に渋面を浮かべると、それを愉快げに笑う彼。
こんなことを言っているが記録としては本当に僅差である。むしろ海が本職であるはずの彼がぺーぺーの私と大差ないなら、それは私の勝ちと言ってもいいのではなかろうか?
まぁ楽しかったからいいんだけど。娯楽で重要なのは結果じゃない、過程だ!
「しかし流れの<超級>に助力してもらったのに額面通りの報酬というのも味気ないかもしれんな。しかも私と同じ横好き同士だ」
「そのうち私のほうが上手くなりますよ!」
「ははは、それは失敬! ……ふむ、そうだな」
釣りのおかげで随分と仲を深めていた私と彼だが、ここから先は彼も任務に本腰を入れる段階となり、これまでのように和気藹々とする余裕はない。
次の連絡船で私もこの船団を離れ南海拠点に戻るつもりだし、次にこの船団の人達と会えるようになるのは果たしていつになるやら。
そういう寂しさも含めてのじゃれ合いだったが、ふと思い立ったようにランドルさんが呟くと、懐から一枚の封筒を私に差し出した。
「餞別というわけではないが、これを君に譲ろう。生憎私では都合がつかないのでね」
「中身を拝見しても?」
了承を得て封筒の中身を検めると、そこには一枚の紙が入っていた。
見慣れた形式のそれは、かつては王国で私もよく観戦していた――
「近く南海拠点で行われる予定でね。せっかくならどうかね?」
「わぁ……! あ、ありがとうございます!!」
――しかしギデオンのそれとは決定的に違うグランバロア伝統の海上決闘、その特等チケットだった。
To be continued