小学校低学年の時だっただろうか、詳しくは覚えていないが、九九ぐらいは覚えていた筈だ。
「なあ母さん!」
「なーに?」
「お役目って凄いの?」
「そうね、とても素晴らしいことよ」
「なら俺にも出来るかな?」
「うん、良い子にしてたらきっと出来るわよ」
「本当!?じゃあ特訓する!」
その時の俺は何処にでもいる小学生であり、特撮に憧れ、悪を薙ぎ倒す正義の味方に熱い胸の高鳴りを感じ、そんな風になりたいと本気で思っていた。後々考えてみればよくある話だ、親も頭から否定する訳でも無く、無難な受け売りで俺を諭す。秘密の特訓、無意味にそんな言葉へ憧れを感じた俺は、親の言葉を真に受け、祖父がかつて使っていた木刀を握り締めると、よく裏山を駆けまわっていた。
時代劇や映画を鑑賞しては、見様見真似で木刀を振る。子供が外で遊び回る事は決して悪いものではない、故に両親はそんな俺を止めなかったし、俺は俺で、本気でお役目をやってやると意気込みながら木刀を振っていた。架空の敵を作る為、土嚢を用意し、丸太を縄で括り付けたそれに打ち込んだり、それで壊れてしまった木刀の代わりを探す旅に出た事もある。
その内飽きてしまうだろうと思っていた両親の思惑は空回りし、高校生に上がってからも、俺は夕食が終われば裏山へ駆け出す生活を続けていた。友人との約束が無ければ木刀を振り、門限を破ったり夜に抜け出した事を何度親に叱られただろうか。木刀を取り上げられた事もあったが、それでも俺は山へ向かい、手頃な木の棒を探すとまだ見ぬ敵目掛けそれを振り下ろしていた。
この時には既に気付いていた、俺がお役目に就く事は絶対にないと。此処まで来れば惰性になりがちなものだったが、悔しさの方が勝っていた俺は意地になって木刀を振り続けた。
俺が銀と出会った日は今でも忘れない。茹だるような暑さが続いた高校三年生の夏。周りは皆大学受験の為に机へ張り付き、俺も最低限の親孝行をと、裏山へ行く時間を削り勉強に勤しんでいた。日曜日、学校の講義も無く、ある程度勉強に区切りがついた俺は木刀を握り締め、裏山へ歩き始めた。
その裏山には、地面が均された平らな空間があり、小さな公園程の大きさの拓けた場所が、俺の秘密の特訓場だった。遮蔽物などは何も無いが、何も無い分暴れ回りやすい。辺り一帯には俺が拵えてはバラバラにした架空の敵が散らばっており、それを足で払うとマメだらけの手で木刀を強く握る。
「…………ん」
ガサッ、と。落ち葉が擦れるような音が耳に届き、その方向に目を向けると、虫取り網に虫取り籠、麦わら帽子と白いワンピース、まさに虫取りへ来ましたと言わんばかりの恰好をした少女が其処に立っていた。驚かせてしまったか、逃げるか、と、色々その場で考えていた俺だったが、互いに見つめ合っていたその場の均衡を崩したのは、その少女からだった。
「カッコいい!」
「へ?」
何をしているのか、そう言う意味を含んだ言葉が最初に来ると思っていた俺は面を食らい少し戸惑った。パタパタと草履を鳴らしながら此方へ駆け寄ってきた少女は、かつて俺が浮かべていたであろう表情を俺に向け、キラキラとした瞳で俺を見上げる。
「カッコいい!」
「二回言うのね……。えっと……俺は生島進、君は?」
「アタシは三ノ輪銀!小学二年生!もしかしてお兄ちゃん、戦うの!?」
「あー、えー……」
改めてこれを人に見られるのは非常に恥ずかしい、それが小学二年生にだとしても、だ。
「そうだね、悪い敵と戦うための訓練、かな」
パァーと、まさに太陽のように輝いていく少女の表情に、少し引け目と羨ましさを感じつつ、その場へしゃがみ込むと目線を合わせる。出来る限り優しくと心の中で念仏のように唱えつつ、少女へ問い掛ける。
「一人で虫取りに来たの?」
「うん!でも全然見つからなかった……」
見た目通り快活な少女だ、一人でこんな辺鄙な所まで来るとは好奇心旺盛なのだろう。親は心配するだろうけど。
「それは残念だね。なら、ちょっと遊んでいく?」
「え!?いいの!?」
「いいよ」
「ならアタシもやりたい!戦うの!」
「んー……そうだね、やろうか」
流石の俺も、今まで相手が居なかったからと言って、手合せ出来る相手を求めた訳ではない。受験勉強のリラックスがてら子供と触れ合う、他意は無く、俺が手にしている木刀では大きすぎるなと、辺りを散策し、手頃な枯れ木を見つけ少女へ手渡す。
「わぁー!行くよー!」
「どんとこーい」
それが俺の人生観を変える事となった少女との出会いであり、悔恨の記憶でもある。
「へぇー、ミノさんらしいね~」
「……だな」
「すごくアクティブだもんね。それで、どうなったの?」
結論から言うと、銀はその後も俺によく会いに来た。初めて会った日は日が暮れる前に下山し、家へ送り届けた。その際にまた遊ぼうと約束したが、好奇心の行先がコロコロ変わる年頃だ、少し期間が空けば俺の事も忘れてしまうと思っていた。
「おっす!師匠!」
「いらっしゃい」
無論毎日とはいかなかったが、銀は空いた時間があれば俺の家を訪ね、秘密の特訓と称したチャンバラを繰り広げていた。木刀もどきは有り余っていた為、銀は多い方がカッコいいと言う理論で両手に木刀を握り、次こそ倒すと意気込みながら俺に挑み続けていた。
俺自身、最初は子供の遊びに付き合ってやるかと言う程度のものだったが、歳を重ねるに連れて成長していった銀は、手を抜いていては勝てない相手へ成りつつあった。それは無事志望した大学に受かり、だらだらと過ごしていた俺の生活に刺激を与えるものだ。一週間も来なければまだかまだかと自室の窓から軒下を覗き、親に恋煩いかと揶揄された事もある。
「いやー、師匠にはやっぱ勝てないなー」
大の字で地面へと寝転がった銀の横へ腰を降ろすと、強くなってるよと頭を撫でる。最初は素直に受け入れてくれたのだが、ハズいから止めてくれと、手を振り払おうともがき始める。そんな羞恥心含め、日に日に成長していく銀を見ているのは、まるで自分に妹が出来たような感覚であったし、銀も満更では無かったと思う。
銀が中学、高校と進んでいけばいずれこの関係も終わる。しかし、それまではいいんじゃないかと思っていた。
「後は知っての通りだ。そんな日は永遠に来なかった」
「……ミノさんよく言ってたよ。自分には頼もしい師匠がいるから、戦いなら任せてって。ごーさんの事だったんだね~」
「……銀から聞いたけど、お役目に選ばれる人間は決まってるんだったか」
「うん。だからその覚悟もあった……んだけどね~」
銀がお役目に奮起している間、俺の所へ来る回数は少なくなった。どうやらお役目で選ばれた二人の少女と仲良くやってるらしい。素直に結構な事じゃないかと思ったが、少し寂しくなったのも事実だ。とは言ってもデパートであるイネスへ行けば偶に出会い、醤油味のジェラートを奢ってやったし、時間があれば木刀を振り回していた。体に生傷が増えてきたことに大きな不安を覚えていたが、当人に聞いても大丈夫だの一点張りであり、親の心子知らずとはよく言ったものだ。
「なあ銀」
「ん?」
「将来の夢とかあんのか」
「将来の夢っすかー……まああるにはあるけど……」
「お、なんだよ」
「えー……めさん」
「え?」
「およめ……さん」
顔を真っ赤にしながら、消え入りそうな声でそう教えてくれた銀だったが、その掛け離れたイメージに俺は声を上げながら転げ回っていた。
「あ!折角教えたのに酷い!」
「悪い悪い」
「あーあー、銀さん拗ねちゃったよ。アタシが成長してボンっ!キュっ!ボンっ!な大人になっても、師匠のこと貰ってあげないから」
「ま、そんな大人になること、期待しといてやるよ」
「う~……期待してないな。師匠こそ、アタシが遠足へ行ってる間、寂しくて泣かないで下さいよー!」
「言ってろ」
遠足、まあ小学校に通ってれば誰でも経験はあるだろう。年相応にワクワクしていた銀を何時も通り送り出した俺は、溜まっていた大学の課題にでも手を付けるかと机に向かい合う。そこだけ切り取ってみれば、何てことは無い日常の風景だ。しかし、次のワンシーンを切り取ってみれば、それは無情で、非常で、残酷なシーンが映し出されていた。
合宿や旅行、何かイベントがあれば、嬉しそうな表情と思い出を俺に届けるために家へすっ飛んで来てくれたが、その日の内に銀が来ることは無かった。疲れて寝てしまったのだろうかと当たりを付けた俺は、特段気にせず布団へ入り、大学の課題をどう片付けようか考えていた。
だからそれを聞いたのは人づてになってしまった。翌日、大学から帰った俺に親は言った、銀がお役目で亡くなったと。その言葉を聞いた瞬間、喉の奥や目の奥が急に熱を帯びていくのを感じた。気を遣った親はそれ以上何も言わなかったが、どれ程の時間俺は立ち尽くしていたのだろうか。俺は我に返り踵を返すと靴に足を通し、アスファルトへ雨が強く打ちつけているのを歯牙にもかけず、その足を踏み出す。そんな大雨の中、傘も持たないで歩き回るとなると数秒で濡鼠だ。だが俺はその足を止めなかった、行先も無く。
「俺は銀の葬式には出てない」
「……そうなんだ」
「出たらそれを認めることになるってな、ただの現実逃避だよ」
「うん……」
銀の死後、俺は悩みに悩んだ。十年近く続けたこの日課をどうすべきかと。もはや銀の為に続けていたものだったが、それも水泡に帰した今、木刀を振る意味は無い。それを続ければ、銀の事を思い出してしまい、辛い思いをするだけだと。
「……なら、やめちゃったの?」
「いや、園子が言ったことが全てだったよ」
俺は選んだ、それを続けると言う道を。確かに木刀を振れば銀の事を思い出すが、逆に言えばそれを続ける限り銀の事を覚えていられると言う事だ。俺に出来るのはこれ位だが、不器用で精一杯な銀への手向け。
「……銀が死んだのは大赦のせいだと思ってない」
「…………」
年相応な少女ならば、此処で自分がもっとしっかりしていれば、銀は死ななかったかもしれないと言うだろうが、園子は言わなかった。それを言った所で進に否定されるのは目に見えていたし、誰のせいと言う話にしたくはない。
「誰でも無い、だからこそやりきれなかった」
「…………」
「これで終わりだ、後も先もない」
「うん、ありがとう……話してくれて」
「俺が話したいから話しただけだよ……それじゃあ、この辺でお暇するか」
ベッドから重い腰を上げた俺は踵を返し、再び園子へ向かい合うと、右手を伸ばしその左頬を撫でる。
「また来るよ、重い話は此処までだ。今度は何か面白い物持ってくるよ」
「待ってるよ~」
撫でていた右手を離した瞬間、物欲しそうな視線を送って来たが、また来るよと言い直し、その右手をそのままポケットへと突っ込む。障子を開け、その部屋を後にした先に待っていたのは、案の定大赦の連中だった。障子を閉め、廊下へ足を着けた俺へ一人の男が歩み寄って来る。
「生島進様、この事は――」
「誰にも言わねえよ。また来るぞ」
「はい、お待ちしております。ご自宅までお送り致しますので、此方へ」
その男の背中を追いかけている道中、別の大赦の男から取引染みたものを持ちかけられていた。それは社会人ならば喉から手が出るようなものなのだろうか。
「生島様」
「ん?」
「よろしければですが、今後も毎日足を運んでいただければ」
「……会社は?」
「子細ありません。私どもからご連絡申し上げておきますので」
俺は少し考えた。大赦にしてみれば、こんなに知り過ぎた一般人の男をどう扱うべきなのだろうか。大赦からすれば園子は引き留めておきたい存在なのは分かる。ならば、それを繋ぎとめておく存在も欲しい筈だ。現状は監視と言う形で抑え付けてはいるが、それは園子自身に不満を残す。現に俺を勝手に呼び出した所を見ても、相当鬱憤が溜まっていたのだろう。それより確かな方法がある。園子の御眼鏡に適い、無害な一般人を一人用意する事が出来れば、ローコストで園子を繋ぎとめておける。何の力も無い俺一人が秘密を知った所で問題はないだろうし、何なら消してしまえばいい。
つまり俺ほど園子の監視に向いている人間は居ないという事になる。共謀して何かを起こそうとしても、動けない園子の代わりに動くのは自分となる、そうなれば制圧は容易だろう。と言っても俺が死ぬようなことがあれば、今度こそ本当に園子が何をしでかすか分からない、余りリスクは負わない筈だ。
「……まあ、いいか。迎えは帰りだけで、行きは好きな時間に来る」
「承知致しました、では一つお願いが――」
「毎日欠かさず来る、それでいいか?」
「……はい、理解が早く助かります」
俺自身、園子を見捨てるつもりは無かったし、銀の話や、共に戦った鷲尾須美という少女の話も聞きたい。大赦の用意した車の後部座席にケツを押し込み、流れていく景色を見ながら物思いに耽っていた。園子に呼び出された場所は、案外自分の家から近く、頑張れば歩いて行けると言う距離だった。大赦の連中に地図でも貰おうかと考えていたが、これなら見知った景色も多く、何も見ずに来れるだろう。
太陽はすっかり山へと消えていき、日中帯にはあれ程こちらを苦しめていた日差しは失せ、世界は既に夜が支配していた。蒸し暑さをまだ感じるも、時折吹く風が体を涼ませてくれる。会社から帰った時にはもう夕方だったのだ、腹は減ったし正直眠い。十分程走っていた大赦の車を降り、ドアを勢い良く閉めた俺は、会釈無しに自宅があるアパートの敷地内へと足を踏み入れる。背後からは車のエンジン音が響き、それはやがて遠くなっていく。辺りは夏の虫が奏でるオーケストラで賑やかとなっており、時折同アパートの住人の喧騒が耳に届く。
「……帰るか」
戸締りもせずに出て来た事を少し危惧したが、部屋の中は俺の記憶と完全に一致している。何よりの空腹や、シャワーも浴びたいと、様々な思惑がグルグル頭の中を回っていたが、真っ先にベッドへうつ伏せで倒れ込んだ俺は、枕へ顔を埋めると、先ほど園子へ話した銀との思い出を再び回想で辿りながら、深い眠りに就いた。