まるで自分の中から魂が抜けて、俯瞰視点で辺りを見渡していたように感じた。もしかして死んだのかとも思ったが、直ぐにそのふわふわした空間からは戻って来た。
頭痛がする、頭部の中でウニが暴れ回っているかと本気で思う程、寝起きの私は体調が悪かった。思いきり顔に出していたかもしれない、少なくとも年頃の女子がしていい顔をしていなかったと思う。ベッド横のパイプ椅子に腰かけている男は特に気にしていないようで、体を起こした私を見て安堵の溜息を漏らしていた。
サイドテーブルに置かれた電波時計に目をやると、覚えてる範囲からまだ一時間も経っていないみたいだ。
「夏凜」
あれ程酷かった頭痛は波が引いて行く様に収まり、視界が鮮明になって来る。其処で漸く自分がどうなったかを思い出してきた。
「過労から来る熱中症」
「……そっか、私」
意識が遠のいていく感覚は初めて体験したが、あれ程自分の意志とは無関係に刈り取られてしまうものなのか。倒れては不味いと思った時には、既に意識は無かった。
「……夏凜、もし俺があの場に居なかったら、どうしてたんだ」
あの場所は決して人通りが多い訳では無い。それに加え、通勤や通学が終わった平日の朝と来たもんだ、下手をすれば昼過ぎになっても人が通る事は無いかもしれない。つまり生島の言う通り、私一人だったのなら命の危機に晒されていたと言うことになる。
「別に……どうとでもなったでしょ」
此処で素直な言葉が出て来ないのは、我ながら偏屈な性格をしていると思う。それ位私は焦っていたし、余りの自分の不甲斐無さを認めるのが癪だった。
情けない、情けない。嗚呼、情けない――。
「余計なお世話――」
「夏凜ッ!」
ビクッと、心臓が大きく跳ねたのが分かる。喉奥が熱くなり、息が詰まる。とっくに冷えていたと思っていた頭からは血が引いていき、瞬きの回数が多くなる。
「――ごめん」
「いいか、お役目を実際にやるのは夏凜だ、周りの大人に出来る事はそれのサポートだけ。夏凜の事は夏凜にしか分からない」
「…………」
「だから自分をもっと大切にしろ。辛かったら頼れ、自分の事を一番分かってるのは自分だろ」
「……うん」
「まーと言っても、若いと無茶もするし、やりたい事をやりたくなる。だからそれを見守って、応援して、支えるのが大人の役目だ」
「……なんで」
「ん?」
「なんでアンタは其処まで私に構うの?」
これは嫌味では無い、只々疑問に思う事だ。それは中々不思議な関係じゃないか、本来歳の離れた生島と自分の接点なんて無いようなものだが、互いにお役目を遂行する身と言うヘンテコな共通点はあった。
「……俺の、まあ妹みたいなのが居てな、血は繋がってないけど。そいつも頑張り屋でな、少し頑張り過ぎたことがあった」
「…………」
「それがあいつの良い所だった。だけど、それが……まあ、運が悪かったのかな」
歯切れが悪い、此処まで来れば察してしまう。生島はその少女と自分を重ね合わせていたのだろうか。自分には兄が居るが、生島の事を兄が出来たみたいだと思ったことは無い、どちらかと言うと友人に近い関係だろうか。
「ごめん、嫌な事聞いちゃった」
「いやいいよ、これに懲りたら無理すんなって事。じゃっ、療養しろよ、大赦には俺が連絡しとくから」
パイプ椅子から腰を上げた生島は、数回私の頭を撫で踵を返す。その時、私は無意識に生島の事を呼び止めていた。
「ん?」
時が経てば言い辛くなる、こう言うのは直ぐに言っておかなければ。ドリフターズの島津豊久もそう言っていた。
「あ……ありが、と」
私の言葉を受けて、生島の顔が一層アホ面になっていく。頬を緩めだらしなく伸ばした鼻の下、トドメは人をイラつかせるニヤケ面。
「ッ――。早く出て行きなさいッ!」
「へいへーい。あ、自転車は病院の駐輪所に停めてあるからな」
生島が去った病室、私は起こしていた上半身を枕へと放り出し、両手を脱力させ天井を見上げた。
誰かに怒鳴られたのなんて何年振りだろうか。
「……自分を大切にか」
物心付いた時にはもう鍛錬に明け暮れていた。昔は兄貴の事を慕っていたが段々と話さなくなり、気が付けば心の許せる人間は居なかったと思う。勇者を決める選抜ではライバルばかり、普通の学校へ通っていない私には学友も居なかった。
「ありがと、進」
私の呟きを聞く人は居ないが、どうせ面と向かっては言えないからこれで良い。
「つー訳で夏凜は今日お休みだよ」
「ご迷惑をお掛けしました」
大赦に連絡すると言ったはいいものの、そう言えば夏凜に関係している大赦連中の連絡手段を持っていない事に気付いた。一応三好の連絡先は知っていたのだが、どうせ園子へ会いに行けば会えるのだ。俺が夏凜は勇者に選ばれていると確信を持ってから、それを三好は隠さなくなった。本当に掴み所の無い男だ、そのラインは何を基準にしているのかがさっぱり分からんが、やはりそれは天才と呼べる部類の人間の事なのだろう。
「無理し過ぎじゃないのか、夏凜は」
「ええ、困ったものです」
「……三好はさ、夏凜の事どう思ってるんだよ」
「大切な家族です。そして自慢の妹ですよ」
事務的な受け答えに飄々とした立ち振る舞い、特に何とも思いませんと返って来ても不思議では無かったが、確かにその一瞬だけは一人の兄としての答えな気がした。
「……そっか」
園子の居る部屋は相変わらず不気味で、相変わらず園子はぼーっとしていた。此方の存在に気付くと、目に見えて表情が変わる。普通の人が見ても全く気付かないかもしれないが、こう毎日顔を突き合わせていると表情の機微は読み取れてくる。
「おはよう」
「おはよ~。もうお昼だけどね」
「なあ、園子」
パイプ椅子に腰を降ろしながら、俺は昨夕あった結城友奈との邂逅について園子へ話しておく事を決めていた。
「昨日、鷲尾須美と会った。まあ今は東郷美森だったか……」
「わっしーと……元気だった?」
「ああ、結城友奈って子と仲良さそうにしてた」
「少し妬いちゃうな~」
「それで一つ気になった事があるんだけどさ」
「何かな~」
「世の為人の為、困ってる人を助ける部活をやってるみたいで、その名も勇者部」
「勇者、部……かぁ」
「どう思う?」
園子は目を細め、視線を俺から天井へと逸らすと少しの間唸りその重い口を開いた。
「私がこうなっちゃった後、大赦側は四国全体で勇者の適正検査を行った。だから勇者の適性がある子達を意図的に集めていても、不思議では無いよね」
「つまり、それに入ってる須美は――」
「……私達の時はあらかじめ分かってたけど、今度の御役目に選ばれるのは、その時になってみないと分からないんだよ~」
「つまり勇者部以外にも、勇者の適正で高い数値を出した子達が複数集められて準備してるって事か?」
「かな~。だからわっしー達の……勇者部が御役目に選ばれる可能性はかなり薄いんじゃないかな」
「だけど――」
もし、その勇者部がお役目に選ばれてしまえば、鷲尾須美は再び終わらない悪夢へその身を捧げる事になる。記憶が無いとはいえ何て後味の悪くなる話だ。戦線離脱していても、園子の様に日常生活が送れなくなるレベルまでその身を捧げなければ、お役目からは解放され――。
「なあ」
「ん~?」
「もしどうにもならなくなったら、園子も戦うのか」
「基本的に拒否してるけど、可能性も無くは無いかな」
俺は下唇を噛み締めパイプ椅子から腰を上げる。膝をベッドへ突くと体を乗り上げ、園子の頭を包帯の上から撫でる。本当に、俺にはこれしかしてやれる事が無い。眉間に皺が寄り、思い詰めた表情を浮かべていた俺に対し、何かを察した園子は優しく微笑むと、唯一の片目を閉じ口角を上げる。
「ありがとう、ごーさん」
「……ああ」
何時もより長居してしまったか、スマートフォンのディスプレイを眺めながら社の廊下を歩く。スニーカーへ足を突っ込むと音を立てながら踵を踏みならし、無理矢理足を押し込んでいく。まだ季節は夏だが、夕方は大分涼しくなってきた。日はまだ落ち切っていないが、学生は今頃家で夕食を待ち侘びている時間帯だろう。
「送ります」
「いや、いい」
三好の提案を蹴ると大赦の門を潜り、俺はとある事を考えながら家とは逆の方角へと歩みを進め始めた。讃州中学の場所は昨日の晩にリサーチ済みだ。と言っても部外者の俺が入れる訳では無いので、学校へ乗り込む訳では無い。今日も何処かで野外活動を行っている可能性が高い勇者部と再び顔を合わせる為だ。
邪な考えだと言われても否定は出来ない。しかし、俺は銀が命を賭してまで守りきった二人の親友、その一人をどうしても気にかけてやりたかった。
夏凜にも言われたが、余計なお世話かもしれない。だがこれは俺自身のやるべき事、やりたい事であり、これが俺のお役目だ。
さて、勇者部が何処に居るか。宛が無い訳では無い。勇者部がゴミ拾いを行っているのは昨日通った川原を見れば分かるのだが、問題は次に何処へ行くかだ。確か讃州中学の近くには田んぼがあった筈だ、無論学校の周りは優先してゴミが拾われているだろうが、川原に遠征していたと言う事は既にゴミを拾い終わった後と言う事になる。毎日ゴミ拾いをしている訳では無いだろうから、自然とゴミは増えてくる。ならその田んぼでまたゴミ拾いをしている可能性はある。
推理小説さながらの推理だと我ながら感心しながら歩いていたが、正直な話心の大部分ではそんなに上手く行く訳無いだろうと言う気持ちに占領されていた。
そりゃそうだろう、またバッタリ会う確率なんて――。
「全く、直ぐにゴミが増えるんだから!もう!」
「大変ですよね~。あ、風先輩!二十メートル前方!空き缶発見です!」
「でかした友奈隊員!援護に向かう!」
つくづく、俺は勇者と縁があるらしい。銀に園子、夏凜、そして目の前で奉仕活動を行っている勇者部。通常なら有り得ない確率で俺は勇者関係者と出会っている。
流石に須美は参加出来ない為か、砂利道に車椅子を停めメガホン片手に二人を指揮していた。昨日見た二人に加え、風先輩と呼ばれていた女の子。勇者部は三人と言っていたから、恐らくあの子が部長なのだろう。つまり、あの子が二人を集めた大赦の関係者と言う事になる。
「こんにちは、今日も勇者部の活動中?」
「あ、はい。こんにちは……貴方は昨日の――」
礼儀正しく背筋を伸ばし、頭を下げた須美につられ軽く会釈する。火バサミで空き缶を掴み、獲ったぞと雄叫びを上げている友奈を尻目に、どうやって会話を繋げていくかを考える。
「ここら辺田んぼが多いから、ゴミ拾い大変じゃない?」
「はい、ですが地道に続ければ何時か終わりは来ます……と言っても心無い人が居る限り、ゴミ拾いは終わりそうにないですね」
「そうだね……よし、火バサミは余ってる?」
「え?あ、はい。一応予備のがありますが……」
「貸してくれる?ゴミ袋と一緒に」
「そんな……悪いですよ。それに田んぼですから靴が汚れてしまいます」
「あー!昨日の人!」
軽い問答の最中、此方の存在に気付いた友奈は手を振りながら此方へ駆け寄って来る。
「こんにちは!」
「こんにちは、元気だね」
「はい!それが取り柄なもので!」
「何々東郷ぉ、先輩を差し置いて男を連れ込むなど言語道断よ!」
「違います、昨日の猫を見つけた人です」
「どうも、君が……部長さん?」
「はい、犬吠埼風と言います」
腰まで伸びた金髪を黒いシュシュで括った少女は、一目でしっかりしていそうだなと言う印象だった。讃州中学に在籍している時点で中学生なのは確定だろうが、ハッキリ言って同い年と言われても別に驚きはしない、無論口には出さないが。そりゃ身長が百六十センチを越えてて出るとこも出てるのだ、君実は二十歳なんじゃないのと質問しても許される要素は揃っている。ぶっ飛ばされそうだが。
「生島進です、良かったらゴミ拾い手伝うよ」
「え、良いんですか!?」
「うん、三人の方が早く進むだろうしね」
「じゃあ手伝って貰いましょうよ!風先輩!」
「そうねえ……本当に大丈夫ですか?」
「良いよ良いよ、どうせ帰ってもする事無いし」
「それならお言葉に甘えて……あ、でも溝付近は長靴を履いてるあたし達がやるんで、生島さんは砂利道に落ちてるゴミをお願い出来ます?」
「りょーかい」
須美が停めていた車椅子のポケットへ入っていたゴミ袋を一つ受け取ると、風から火バサミを手渡される。普段歩いているだけでは余り気にならないが、よくよく見てみると煙草の吸殻やガムの銀紙などが散見される。ゴミ拾いなんて何年振りだろうか、慣れない手付きでゴミを挟み込んで行く。
「そう言えば、鞄とかは持ってないんですか?」
「ん、ああ。全部会社に置いてるからね。置き勉みたいなもんだよ」
「いいですねぇ~。あたしも全部置いておきたいんですけど、樹……ああ、あたしの妹なんですが。『ちゃんと持って帰らないとダメだよ!』って口うるさく注意してくるんですよね~」
と言う割には凄く嬉しそうな風であった。妹の事が好きなんだろうな、そう言うオーラが滲み出ている。
「ま、学校に置きすぎて宿題出来ない事も多々あったから、そう言われても仕方ないよね」
「ありますあります!朝早く起きて学校で必死にやるハメに……」
「もう、共感する所がズレてますよ、お二人共」
須美はやれやれと溜息を吐きながらメガホンを振り上げ、落ち行く夕日へと振り下ろした。
「日がくれてしまいますよ!」
「……鬼監督」
「そこ!何か言いましたか!」
それから一時間程経っただろうか、周辺のゴミは粗方拾い終わり、各々のゴミ袋を一つに纏める。田んぼ近辺のゴミと言う事で水を含んだものが多く、友奈が行きますと意気込みながら両手で持ち上げようとするがビクともしない。
「ッ……はぇぇ……重い……」
「力仕事は男の仕事ってね」
そのゴミ袋を片手で持ち上げると、友奈は目を輝かせながら両手を合わせ此方を見上げて来る。そんなに尊敬の眼差しを向けられてもどうリアクションしていいか困るな。確かに女子中学生には厳しい重さだが、俺だって伊達に鍛えてはいない。
「おぉー!力持ち!」
「ふん!」
ついつい乗ってしまう。空いた左腕を曲げ、力瘤を作るとそれにつられ友奈も両腕を直角に曲げる。
「見よ!私の筋肉!」
試しに友奈の二の腕へ手を伸ばし触ってみるが、力瘤どころか平原が広がっていた。目を瞑りワザとらしく溜息を吐くと、今度は東郷が横槍を入れて来る。
「友奈ちゃんはそのままで居てね。それと生島さん!可憐な女子中学生の二の腕を掴むなど言!語!道!断!です!」
「ごめんごめん、ついつい」
「ほら~、イチャついて無いで早く行くわよ。お腹空いたぁ~……」
讃州中学まで歩いて行くと学校裏の焼却炉へ案内され、息を吐きながらよっこいせとゴミ袋を降ろす。固く結ばれた袋の口を何とか開け、空き缶の入った袋や燃えるゴミの入った袋を分けていく。ブロックで囲まれた所定の位置へゴミ袋を置くと、手を叩きながら腰を反らす。
「ああ……腰が痛い」
「お疲れ様です!今日はありがとうございました!」
「いやいや、これくらい」
「あ、そうだ。あたし達これからうどん食べに行くんですけど、一緒にどうですか?」
「うどん?良いね、行こうか」
血は争えんな。何を食べるとかとなれば真っ先にうどんが出てくる辺り、この地の人間の味覚が神樹によって書き換えられている説は強ち間違いでは無いらしい。それにしても、居心地が良かった。どうにもこの犬吠埼風は大赦から命令され、淡々と勇者候補を集めていたようには見えない。少なくとも人の為になる事をやりたいと言う気持ちは嘘では無いだろうし、他の二人も無理矢理やらされているようには到底見えなかった。
故に俺はその時点でとある事を危惧していた。が、その時の俺には危惧する事しか出来なかったし、それを回避する術もまた、持ち合わせていなかった。