一二月七日。
わっしー、わっしー。
もう彼は去った筈なのに、私はどれ程の時間襖を見つめていたのだろうか。孤独な時間に切り替わった瞬間、私の脳内はわっしーやミノさんとの想い出を追想し始める。
こうしてないと、ないと――。
仮にわっしーと会えたとして、何を話すのか。初めまして、こんにちは。でも、わっしーは何一つ私の事を覚えてはいない。病気や事故での記憶喪失の方がまだ希望はある、供物として捧げられた記憶は、断片すら戻る事は有り得ないからだ。私の体が現代の医療ではどうしようもないのがそのまま結論になっている。言わば赤の他人、目の前に現れていきなり彼女の名前を呼んでも、困惑して気を遣う。
もう、私の彼女を繋ぐものは何も無い。
それに、彼女にはもう仲の良い友達や仲間に囲まれているじゃないか。結城友奈ちゃん、犬吠埼風さん、ごーさんは本当に息の合った良い仲間だと言っていた。そんな仲間に出会えて、本当に――。
「良かったね~、わっ――」
『羨ましいんでしょ?』
誰だろう。いや、こんな事を思うのはおかしいか、だってそれは私の声、私の姿、私の気持ち。
「…………うん」
ピシッ――。
『なら会いにいきなよ、あなたなら出来るでしょ?』
「でも……やっぱり迷惑だよ~」
ピシッ――。
『あなたはそうやって、他人に気を遣うよね、昔から。普段は馴れ馴れしい癖に、肝心なところでは一歩身を退く』
「そう言う性格でして~」
ピシッ――。
『だから、私が生まれちゃったのに?』
「でも、貴方も私」
ピシッ――。
『なら、私はあなたなんだね』
パリンッ。
あ、嗚呼。割れてしまった。それが割れてしまったら、何が出てくるのだろうか。人の心が割れる瞬間に立ち会うのは初めてだ、その人間はどうなってしまうのだろうか。
『なんで、私は仲間に入れないの。みんな楽しそうなのに。私の事なんてみんな忘れてる。ミノさんは死んだ、わっしーも忘れてる。もうみんな、あなたのものにはならないんだよ?』
『嗚呼、成程。そのっち?自分を受け入れてくれる人がまだ居る事が、あなたを苦しませてるんだね。だったら私が綺麗にしてあげるよ』
『ごーさんとわっしー。あなたと深い繋がりがある人間が居なくなれば、孤独になっちゃうけど……もう、諦めもつくよね?』
成程、そういうモノが私の内側に居たのか。叶わぬのなら壊してしまえ。鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。
私が客観的に自分の事を認識し始めた時には既に、裏のモノと入れ替わってしまったのだろう。体の主導権を握られたような、と言っても体は大して動かないし、意志の主導権を握られたの方がしっくりくるかな。
こんな化物を作り上げてしまったのは自然の摂理だ、誰も悪くない。人が地震や津波で亡くなった時、恨む相手は居ない。ただ涙を流し心の空白を埋める。人によっては対策を練れたのではないかと無理矢理人に対して悪意を向ける人間も居るが、その本質は恨む相手が居ない逆恨み。
だから災害と同じ様に生まれたこの私が何をしようが、それは自然の摂理なのだから誰も悪くない。
私は内側から傍観する事にした。どうせ自分ではどうにもならないのだから。せめて、ごーさんやわっしーに危害が加わらない事を祈りながら。
あ、もう一人の私、何か始めるつもりだね~。
「三好春信さん~。少し、お話があるのだけど~」
冬至が近い事も関係しまだ夕方だと言うのに外は薄暗い。街灯は点灯し、食卓へ夕食を並べる為主婦はキッチンに明かりを灯し腕を奮っているだろう。
園子と別れたその日、俺は何時も通り勇者部が集まるうどん屋のかめやへと足を向けていた。流石に学校の部室へ行く訳にはいかないので、風の提案によりかめやに集合する事が決定していた。多分うどんが食べたいだけだろうが、女子中学生がカフェやファーストフードでは無くうどんを啜りながら駄弁るのは如何なものか。
綺麗に舗装されたコンクリートや壁から跳ね返る冬の寒気が顔面へ押し寄せてくる。鼻水が自分の意志とは関係無く零れ落ちそうになるのを何度も啜って耐え忍ぶ。
近道を選択しようと田んぼ道に足を踏み入れたが、遮蔽物が無く風がモロに体へ吹き付け体の体温が更に下がる。その事を後悔していたその時、少しの暖かさを求めてポケットへと突っ込んでいた手に振動が伝わり、少し出したくなかった右手を寒空の下へ晒しディスプレイに目を落とす。
「夏凜……?」
ディスプレイのリングをタップし、しもやけ寸前の右耳に受話器を当てる。
「夏凜?どうし――」
「今何処ッ!?」
開口一番尋常では無い様子で声を荒げる夏凜に、俺は少しだけ心当たりがあった。勇者部や夏凜の事ばかり目を向けて、園子に対する目が少し疎かになっていたのは認めるが、園子自身は全く心を表に出さない。感情の機微は分かるが、本質を他人に見せる事はしない少女だからだ。
「かめやに向かってる所だけど」
「じゃあかめやの前ッ!?」
「あー、近道通ってるから、かめや近くに抜ける道路の田んぼ道」
「かめや前の……二十秒で行くッ!動かないでッ!」
「は?」
一方的に電話を切った夏凜に、とりあえず冷えた手を温めようとスマートフォンごとポケットへと捻じ込む。二十秒で行くとはどう言う事なのだろうか、夏凜が何処に居たとしても道交法違反を振りかざした車でも使わない限り物理的に無理だろう。事情を話さないと言う事は何か事態が非常に逼迫していると言う事だが、一般人の俺には夏凜の言った通りその場へ立ち尽くす事しか出来ない。
十五秒が経過した所だろうか、田んぼ道の為視界は非常に開けていた為、小さな物体が此方へ接近していた事は直ぐに分かった。そして全身真っ赤なそれが自分のよく知った顔だと言う事も直ぐに理解した。
上から下まで赤一色、おまけに左胸に添えられていたサツキの花弁まで赤色な少女は、文字通り俺の眼前へ着地すると、ズカズカと詰め寄って来る。
「怪我は無いッ!?」
「え、ああ……何とも」
「良かった、とりあえず間に合ったか……」
完全に置いてけぼりだったが、赤色の少女夏凜が街中で見かければ変質者とも言える恰好をしている時点で、只事では無い事は分かっていた。恐らく、これが夏凜の勇者としての姿なのだろう。両手には物騒な獲物が二本握られ、その薄暗い空間でもそれが鋭利に光っており、それが本身だと言う事を自己主張していた。
おまけに夏凜の肩付近には謎の物体がぷかぷかと浮いている。これを形容するのは簡単だ、鎧武者と言ったところだろうか。これが園子の話に出て来た精霊、勇者を守り、勇者を縛る神樹の遣い。
間に合ったかと夏凜が安堵していた。恥ずかしがり屋の夏凜が人目憚らず勇者の力を使って俺の所まですっ飛んで来たのは、俺の身に何か起きる前に自分が辿り着いたと言う意味だろう。
「何かあったのか」
「あんた、私を見ても驚かないのね……」
話だけなら色々聞きすぎてしまっている。良く会う中学生の少女が、重力を無視した跳躍を繰り返しながら自分の眼前へと降り立ったなら、普通はその事情について尋ねるのが常だろう。
「まあ話が早くて助かるわ、よく聞いて」
夏凜は真剣な眼差しで目を合わせて来る、普段は恥ずかしがって中々目を合わせる事は無いのだが、余程余裕が無いのだろう。
「今、私に大赦から命令が下ったわ」
「バーテックス、って訳じゃなさそうだな」
「アンタ何でバーテックスの事を……まあいいわ、そう言う事なんでしょうね」
「…………?」
「私が命じられたのは東郷美森って子を守る事。アンタは……その、兄貴から個人的に頼まれたから」
「東郷を守る?誰から?」
「あんまりに急だから私も事情は全然知らないわ。だけど、アンタが関係している事は兄貴から聞いてる。兄貴の立場上余り私と話せなかったけど、それだけは聞いた」
「……名前は乃木園子」
「はぁ?誰――」
少しずつ、繋がってきた。夏凜が答えを出さずとも俺には見えている。にしても酷い話だ、大赦から正式に護衛を頼まれたのは東郷だけか。そりゃそうかと思いながらも、やはり俺の存在は厄介なのだと自覚しつつ三好に感謝する。
守れと言う事は何か脅威が迫っているのだろう。それがバーテックスでないのなら恐らく、いや確実にそれは自分がこの半年間一番接してきた少女だ。全く体が動かないと言うのは事実だが、それを覆せる可能性が一つだけある事もまた事実だった。
ならば何故、つい一時間前まで楽しそうに喋っていた少女がこうも豹変してしまったのだろうか。予兆はあった気もするが、それは気のせいに留められる程些細なものだった。此処で俺のせいだと悔やむ事は出来るが、そんな事をしていてもクソの役にも立たない。起こってしまったならば何か行動を起こさなければ。
「なあ」
「何!?どの道時間が無いわ。早くその東郷って子を――」
「俺のせいだったかもしれないな」
「いきなり……何よ」
「酷い話だけど、俺はあの子を見捨てられなかった。正しい選択肢は、あの時二度と会わないだった、か」
「ちょっと、何の話をしてるのよッ!」
「俺みたいな半端な存在が毒だったんだろうな。同情と、銀を知ってる馴染みで入れ込んだのがそもそも間違いだった」
「……大丈夫?アンタ――」
「だから」
夏凜が右手に握っていた赤色の柄に手を重ねると、借りると言い無理矢理引き剥がす。
「ちょ――」
「構えなよ、夏凜」
どんな言葉を投げかければ止まるのだろうか、彼女は今何を欲し、何を目的に動いているのだろうか。今はまだ雲を掴むような話だが、それは自身で確かめるしか無いようだ。此処で考え続けても、答えの無い式と睨めっこしているだけになる。
だから、聞くしかない。
「なあ、園子」
少し湿った砂利道の奥、薄暗がりから段々と姿を見せた少女に、夏凜は思わず空いた手に刀を召喚し強く握る。
そう言えば、包帯をしていない園子の姿を見るのは初めてだ。何時も寝たきりなので気付かなかったが、綺麗な金髪のロングヘアーは腰付近まで伸びており、巫女装束の様に真っ白な服には所々紫色で彩られ、その胸にはかつてプレゼントとして渡したバラのネックレスが垂れ下がっている。
体を動かせない園子がどうやって移動してきたのか。素人目で見ると、全自動松葉杖を突いてきた、と言った所だろうか。後光のように君臨していた背中に見える金色のリングからしなる四本の槍が伸び、地面に突き刺しながらまるで蜘蛛の様に体を進めている。
まだ会話出来る距離では無い、夏凜は何か起こる前に必要最低限の事を知っておきたいのか、俺に押し殺した声を投げかけて来る。
「あれ、アンタの知り合い?」
「ああ、乃木園子。かつての勇者、夏凜の一つ前のお役目に選ばれていた勇者」
「へぇ、先輩って訳ね。それで、なんであんな敵意剥き出しになってる訳?」
「それを今から聞くんだろ」
「……話し合いって雰囲気じゃなさそうなんだけど」
「だろうな」
「正直、私の勇者システムはまだ完成して無いわ。本当は実践データを得てから調整される予定だったんだけど、急ごしらえって事で何とか形にはなってる……だから戦いに耐えられるか分からないわ」
「夏凜、満開を繰り返せば勇者は強くなるって知ってるか?」
「馬鹿にしないでよッ!そんなの基礎中の基礎よッ!」
「あれは二十回満開を繰り返してる。まともにやっても絶対に勝てないぞ」
「にじゅう――ッ……ふんっ、そんなの関係無いわ!私は御役目を全うする、それだけよッ!」
まともにぶつかれば、文字通り蹴散らされて終いだ。東郷の下へ向かうのが目的の様だが、少なからず俺も関係しているだろう。ならば、少しでも乃木園子が残っているなら、会話を試みるのは有りかもしれない。
直に対面する。神の恩恵を一身に受け、猛り、破滅し、絶望し、渇望した少女と。
「ハロー、ごーさん」
何処かで聞いた言葉だな、シチュエーションもぴったりだ。俺の右手に握られている獲物は少し貧相だが。背筋に悪寒が走る。外気が冷えているからでは無い、体の奥底が警鐘を鳴らしているのだ、逃げろと。
「よう、久しぶりの外はどうだ」
「嬉しいよ~、ごーさん」
目が笑っていない。これ程便利で当てはまる言葉もあるだろうか。勇者システムで体の動きは補っているようだが、パッチリと開いた左目と違い右目の視力は回復して無いのか、半分だけ抉じ開けられ瞳孔が開きっぱなしだ。
距離は七メートル程だろうか、例えそれが百メートルだったとしても、脅威は変わらない気がする。
「散歩に行きたいならそう言えば何とかしたぞ」
「ありがとう、でも良いんだ~。もう」
もう、その先に言葉は無い。それが俺の恐怖心を駆り立てる。それに喋り方が何時もの園子なのが恐怖を増していた。間延びした喋り方をする園子だが、何か大切な話をする時、その話し方は身を潜め落ち着いた大人びた口調へ変貌する。
「勇者システムは大赦側に保管されてるんじゃないのか?」
「うん、だから返して貰ったんだ~。あなたのお兄さんに、ね?」
可愛らしくウィンクした園子は、もう一つの目で横に居る夏凜へ視線を向ける。
「ッ……!アンタ……兄貴に変な事してないでしょうね」
「別に~。ただお願いしただけだよ~」
「……私がそれを信じると思う?」
「別に信じて貰えなくても良いよ~。だって、私の目的は、ね?」
今度は俺に向かい左目を閉じ、可愛らしくウィンクして来る。
「不味ッ――」
運動するにしても、体のアップと言うのは必要になる。寒空で何もしないと筋肉は言う事を聞かなくなるし、咄嗟の事に反応出来ない。しかし、俺はその時人生で一番早く動いた自信があった。と言ってもそれは運に近かったし、次は無いだろう。
握っていた夏凜の太刀に左手を添え、園子の背後から伸びて来た槍を一点で受ける。まるで漫画のワンシーンのようだ、命が懸かっていたからだろうか、針の糸を通すような精度でその槍を受け抵抗する。
凄まじい衝撃が両手に掛かり、思わず太刀を落としそうになったが、親指に全身の力を込め歯を食い縛る。
「進ッ!」
私は両手に握っていた太刀を園子へ向かい放り投げると、次の瞬間には地面を蹴り上げ距離を詰める。体が不自由なのだろう、四本の槍の内、二本は体を支える為に使用している。ならば一本が進へ向かっている内に、一瞬でケリを付ける。
既に両手で握られていた二本の太刀を振り上げ、園子目掛け振り下ろす。
キンッ、と。虫もすっかり居なくなり、吹き抜ける風の音だけが支配していた田んぼ道に金属音が響き渡る。これで良い、最後の一本の槍で自身の攻撃を防がせ――。
などと都合良く展開を考えていたのは、やはり経験不足だからだろうか。慣れて来ると、上手くいった時、上手くいかなかった時、両方に考えを巡らせるものなのだろうが、今の私にはその経験値が圧倒的に足りていなかった。
「ッやば――」
ホームラン、弾き飛ばされた体は恐らく十メートル程吹き飛ばされただろうか、普通なら背面を打ち付け大ダメージとなるが、精霊がクッションとなり身を守ってくれた。防がせてからの展開を考えていたのだが、終わってみれば園子がそもそも防ぐと言う選択肢を取っていたのかすら怪しい。
園子はただ払っただけなのだ、まるで自分に寄り付く小バエを手で払いのけるかのように。
たった一度剣を交えただけだが、嫌程分からされた、あれは強い。と言うより勝負になっていない。体中の力を振り絞り振り下ろした一撃が、簡単に弾き飛ばされたのだ、弱気になるなと己を奮い立たせても、余りに非情な現実が自身の背後を付き纏ってくる。
「ッ――。進はッ!?」
顔を上げた瞬間、私を弾いたもう一本の槍が進の体へ一直線に伸びていた。両手の太刀で槍を受けている進の体はがら空きである、何もしなければ、その先の末路は火を見るより明らかだ。
かと言っても、槍のスピードに私が勝てる訳も無い。
だから、見ているしかなかった。
その槍が進の体に突き刺さる瞬間を。