カイワレ大根は、いわゆるスプラウト食材である。
スプラウトとは穀類や豆類、野菜の種子を発芽させた新芽のことで、発芽した芽と茎を食用とするのがスプラウト食材。
まあ、わかりやすく言うと、モヤシがそうだ。
カイワレ大根の歴史は長い。
平安時代には、既に食されていたらしいですが、そのあたりは専門家に任せます。
『宇津保物語』の『さわやけの汁』は、どうもカイワレ大根らしい……私たちの知るかいわれ大根とは種類が違うかもしれないが。
さて、カイワレ大根の歴史の長短などどうでも良いのが子供だ。
子供は、自分の家の食卓から世間の動きを知る。
ハンバーグやハム、ソーセージが食卓に並び始めた思い出の裏に、食品管理技術の向上と、アメリカによる牛肉輸出交渉の政治的駆け引きがある。
日本に牛肉を売りつけようとしたその裏には、アメリカ国内における『脱肥満』による食生活の変更があり……なんのとことはない、貿易不均衡是正の名を借りてアメリカ国内でダブついたぜい肉を日本に押しつけようとしただけだ。
まあ、食肉業者および、食品関係者が政治的に圧力をかけた結果、そういう動きが生まれただけだろう。
そして日本にデブが増えたのは言うまでもない。
あくまでも、個人的なジョークとして受け取ってください。
話を大きくしてうやむやにしたところでカイワレ大根の話に戻る。
私の認識としては、昭和50年代後半、一気にカイワレ大根は広まった。
少なくともうちの母親はそうだ。
たぶん、なんかのテレビ番組で紹介されて、馬鹿の一つ覚えよろしく……。
本棚を見ればその人がわかるというが、ダイエットに対する取り組みでも、その人がわかると思う。
こんにゃくステーキ。
豆腐ステーキ。
そりゃたまにならいいよ。
つーか、焼肉のたれぶっかけて、うまいもへったくれもない。
そして、父が『結構美味しいな』などと言ってしまうのだ。
母親の脳内では、『結構美味しい』は『毎日食べたい』に変換される模様。
自分のダイエットを、家族に押し付けるな!
と、言うわけでようやく本題にたどり着く。
まあ、文字数稼ぎだ。
言わせるなよ、恥ずかしい。
カイワレ大根の味噌汁である。
ただし、山盛り。
私見だが、カイワレ大根は添え物というか、口の中を爽やかにして新たな何かを食べるという役割だと思う。
それを味噌汁の中に大量にぶち込む。
味噌の香りが死んでいる。
味噌の風味と、カイワレ大根のそれが口の中で大乱闘する。
子供だった私としては、目をつぶってご飯と一緒に飲み込むしかない。
ちなみに、玉ねぎの味噌汁でもそうするのだ。
玉ねぎの甘みが、味噌の風味を大殺戮。
そして、お約束の『好き嫌い言うな』のお言葉。
いや、私が嫌いなのは玉ねぎじゃなくて……。
そんな言葉を飲み込みつつ、私は玉ねぎをご飯と一緒に飲み込み、甘ったるい味噌汁を口の中にいれ、お茶と一緒に飲み下したものだった。
しかし、いやしかしだ。
脳筋という言葉は、一般的に悪口として使われる。
私も、脳みそが筋肉で出来ているなどと言うつもりはないが、それでも、人の脳は筋肉と同じであると思う。
鍛えることで発達するという意味で。
これは、人の味覚についても同じ事が言える。
子供舌や、バカ舌という言葉が示すように、人の味覚は鍛えなければ発達しないのだ。
そう、つまり……。
あの頃感じていたなんともいえない不愉快な不味さは、大人になった今なら、今ならばもしかして……。
たぶん、気の迷いだったのだと思う。
母の健康面の不安が、私にそんなことを思わせたのだきっと。
自分で作ってみると、あらためて頭痛がした。
思えば、当時のスーパーではカイワレ大根3パックで100円……で売られていた気がする。
当然、3パックで購入だ。
それは別にいいのだが、カイワレ大根を使える料理はそれほど多くない。
ああ、ここぞとばかりに味噌汁にぶち込んだんだろうなあ……。
普通に、別のサラダとして作るとかいう発想はなかったのか……。
いや、待て。
味噌汁茶碗に眩しい緑色……そうか、味噌汁の色は大地、そしてカイワレ大根は生命の象徴なのか。
あれは、料理じゃなくて、芸術だったんだ!
冗談はさておき、味噌汁の表面に彩として2、3本、浮かせるぐらいが適量だろう。
大根の味噌汁と、カイワレ大根の味噌汁は別のものである。
もしかして、今日、麸の味噌汁だと思った?(笑)
朝、顔を洗って台所に向かう時の……匂いで分かってしまうのです。
ああ、今日玉ねぎの味噌汁だって。
ただ、覚悟を決める余裕があるだけまし。