これを書いたのは、秋のはじめでしたけど。
そして、もうスギ花粉が飛び始めてるけど。
鶏のもも肉を買う。
果物ナイフで切れ目を入れてから、皮をはいでいく。
はいだ皮を、小さく刻む。
大根を千六本というか、細切りに。
まあ、火が通りやすい大きさなら別にいちょう切りでも良し。
油揚げ。
軽く湯をくぐらせてから、これも小さく刻む。
鶏皮、大根、油揚げ。
大根は、大きなざるに山盛りで。
鶏皮と油揚げは、別の器に。
コタツの上には、カセットコンロ。
雰囲気を出したいなら、土鍋を。
まあ、普通の鍋でも良い。
鍋に薄目のダシをはり……大根を豪快に手づかみで放り込む。
そして、醤油、ポン酢、自分の好みで好きに食べろと言わんばかりに、コタツの上においておく。
放り込んだ白い大根が、透明になって煮えていく。
すくい上げて小鉢に取り、ふうふう言いながら食べる。
そしてまた、大根を放り込む。
鍋そのものの美味さと言うより、暖かさを味わう料理。
冷えた身体が、お腹から温まっていく。
人心地ついたら、油揚げと鶏皮の投入だ。
どちらも、煮えるまでにはそう時間はかからない。
それがわかっていながら、煮えるのを待つ。
その、待つ間に楽しむのが酒だ。
日本酒がいい。
焼酎も悪くない。
これを肴に、ウイスキーをたしなむ剛の者もいると聞く。
まあ、なにかと理由をつけるのが酒飲みの習性だ。
好きなようにヤればいいのだ、それが自由と言うものだろう……他人に迷惑をかけない範囲で。
鶏皮からぷくりと脂がにじみ出てくる。
もう煮えた。
それがわかっていながら、お玉ですくうのは大根だ。
……さっきの大根との味の違いを楽しみ、酒を一口。
ここからが本番だ。
遠慮なくすくい取る。
鶏皮と、油揚げと、大根。
鶏皮は、独特の食感と、旨みをダイレクトに伝えてくる。
油揚げは、たっぷりとダシを含んで複雑な旨みを。
大根は、するりとのどを通り抜け、暖かい味わいを。
大根を放り込む。
鶏皮を。
油揚げを。
それが煮えるのを待つ間に、ちびちびと酒をやる。
酒の合間に、言葉を交わす。
いや、言葉の合間に酒を飲むのか。
腹八分目が良いと、人は言う。
馬鹿な。
人がそんなに賢い生き物かよ。
食べ過ぎ、飲み過ぎは言うにおよばない。
素直にほめてやればいいところで余計な嫉妬が邪魔をしたり、ざらついた気持ちのままに罵声を飛ばしてしまったり。
人はいつだって、不足と過剰の間を行ったりきたりする生き物だ。
感情の赴くままにとは言わない。
ダシに一滴だけ垂らす醤油のように、心の片隅に戒めとして置いておけばいい。
その戒めが、いざと言うときのブレーキになる。
締めの雑炊だ。
皮をはいだ鶏のもも肉。
それを小さく刻んだもの。
そして、生米。
色んなやり方があるだろうが、鶏皮鍋の後のダシに生米と、刻んだもも肉を放り込む。
米を研ぐ際、米は水を吸うから糠のにおいが移らないように流水で洗う……などと、グルメっぽい話では当たり前のように語られるようになって久しい。
じゃあ、生米をダシ汁につけたら、ダシの旨みを吸うってことだ。
米に、旨みをたっぷりとすわせてやる。
ここで、生米の量が多いと……まあ、失敗する。
そもそも、鍋に残っているダシの量次第ともいえる。
とはいえ、ダシを足すのは野暮だ。
ありのままを受け入れ、ちょうど良さそうな量の米を使う。
それが、鍋の締めの雑炊にはふさわしいじゃないか。
ふたを閉じ、その時間を楽しむように酒を飲む。
今日は、いい日だ。
懐かしい思い出を肴に、酒を楽しめる。
特別の味。
鶏のもも肉が、煮える。
生米が、煮える。
今日は、知人の流儀に合わせよう。
溶き卵にダシ醤油。
火を止めた鍋の中に、優しくまわし入れ、またふたを閉じる。
蒸らしの時間。
知人の言葉を思い出す。
『嫁が鶏皮が嫌いやけんな、ひとり占めできるんがええわなあ』
鶏皮は好き嫌いが分かれる食品だが、わりと女性に『苦手』な人が多いような気がする。
……ただ、肉のカロリーが100グラム200~250キロカロリーで推移するのに対し、脂を多く含む鶏皮がおよそ500キロカロリーであることに注目だ。
まあ、料理に使う量が違うから、重量比較するのもどうかと思うが。
『別に、好きでも嫌いでもないんですけどね。やっぱりカロリー高いから、女としては敬遠しますわ。あの人の好物、私が苦手ゆうとけば、まるぅ収まりますやろ?』
知人が言うところの、鶏皮が苦手な嫁の言葉である。
転がしたつもりが、転がされている。
人間関係は、たぶんにそういう部分がある。
雑炊を食べる。
いや、食べると言うより、すする感じ。
するすると。
さらさらと。
鍋の中身を、胃へと流し込んでいき……用意した食材がキレイになくなる。
まるで、夢のように。
残るのは、洗い物と、知人との思い出。
疎遠になっていた知人の動向を、こんな形で知ることになるとは。
今日はいい日で、悲しい日だ。