何の話だ。
岩山のように膨れ上がった万引き少年を前にして、ノゾミは呆れかえっていた。
正直ここまでの"個性"だとは思いもよらなかったのだ。そもそもこれだけ凄い"個性"ならば尚更自制の術を身に付けなければならないというのが社会的な良識。それを真っ向から否定するこの展開は、流石に予想外である。
「……ああ、駄目だ。滅茶苦茶だよ。滅茶苦茶だよどうしてくれんだよ」
「えっと、とにかく落ち着いて……」
「落ち着けるわけぇあねぇだろうがよぉ!! もう誰も俺の言うこと聞いてくれねぇよ!! 逃げるしかないだろ! コレ!!」
(……あ、ヤバいです。完全にトんでます。微妙に会話成立してるっぽいけど論理的な思考が出来てない雰囲気です)
「打っちゃったらさぁ! 抑えられねぇよ!!」
(あーヒーローまだかなぁ。遅いなぁ。お客さんと店員さん、ちゃんと全員避難できてるかなー)
ノゾミはもはや諦めモード。やることはやった。なるようになれという気持ちである。
その時ポケットの中のスマートフォンが震えた。一応は緊急時、携帯機器のご使用は控えた方がいいかもしれないが、しかし電話をかけて来たのが避難した友人とくれば無視するわけにはいかない。
「すいません。電話が来たので失礼します」
とりあえず一声掛けてから電話に出る。
「あ、もしもし」
『――おお、やっと出たか! 今、大変なことになってるぞ!』
「知ってます。今こっちも結構大変です。それよりヒーローはまだですか?」
『……その様子だと
「……言われてみると、暑いし臭いしなんか燃えてるし色々溶けてる。スマホの調子も悪いです。電波切れそう」
『相変わらず鈍いなオイ! それと悪いニュースだ!! ガス吸ったせいで避難できてない奴が何人かいるっぽい! ガタノんが今いるフロアの店員も一人避難できてねぇ! 早く助けないと――』
「……!! ヨッチーごめんっ!」
ノゾミは電話を切り、即、駆けだす。
迂闊で間抜けで、自分が嫌になる。最初の爆発が起きたとき店員の一人はこの火山男と一緒にいたのだ。しかし自分は爆発に巻き込まれた彼が自力で逃げ出すのも運び出されるのも見ていない。つまりはまだバックヤードにいる可能性が高い。
ノゾミの急な突進に、火山男は反応できないでいる。ノゾミはその体の下を走り抜け、全力の突進でバックヤードとの仕切りの壁を
勢い余って一回転しつつも前転の要領で立ち上がり、意識を失っている店員の姿を発見する。滝のような汗に青白い顔色。一目で危険な状態だと分かった。
「蛇さん!」
蛇の一匹が店員の体を咥え込み軽々と持ち上げる。ノゾミの身体はこの年頃の女の子としては悲しいことに超重量級。人一人の重さなど誤差の範疇であった。
後はこのまま逃げるだけ ――。
「……!!」
背後から迫る気配に、ノゾミは咄嗟に身を屈める。
直後、岩のような巨大な腕が頭上を過ぎ去っていく。その隙を衝いてノゾミは広い売り場に飛び出した。とにかくあの熱源体から弱っている店員を遠ざけねばならない。
逃走する二人を恨めしそうに見つめる火山男、もとい万引き高校生。
「なんでそいつを助けるんだよ…! どう見たって助けが必要なの俺だろ! 人生詰みかけで大ピンチじゃん!!」
幸いにして火山男の足はあまり速くはないらしい。図体が大きすぎて直立できず、どうしても屈んだような動きになってしまう。
このままいけば逃げ切れる――。そう思ったノゾミの耳に、
ミシミシ。メキメキ。
(あ、コレって――)
これまで何度か自分の足元から耳にした、床が重量に耐えきれず上げる悲鳴の音。それが火山男の下から確かに響いている。
天井と床の間に突っ張っているその巨体を無理にでも起こそうとしているようだが、しかしこのままいけば天井を破るより先に床が突き抜けるだろう。そして本人はその事実に気付いていない。
「……ごめんなさい!」
一瞬だけ迷ったのち、ノゾミは運んでいた店員をなるべく遠くの熱くなさそうな床に転がす。そして火山男の方へ駆け戻り、蛇の腕を振るった。
「―― せぇい!!」
狙うのは火山男の両の足。
そうして強烈な蛇の殴打に打ち据えられた高校生は、いとも容易く転倒。体勢を崩した。
「なっ! なんだよぉ!! 何しやがる!!」
「床が抜けます! 暴れないでください!!」
ノゾミを突き動かしたのは、友人が言っていた『ガスを吸ったせいで避難できてない奴が何人かいる』というあの言葉。確か火山性のガスは空気より重い。その被害が大きいとすればここよりも下の階だろう。そんな状況で天井が崩れれば大惨事は免れない。
そう考えて威勢良く攻撃したノゾミだが、内心では初めて"個性"を使って人に攻撃した事実に冷や汗を流していた。
(大丈夫ですよね……? 緊急時ですし、内申とかに響きませんよね?)
まぁやってしまったことは仕方ないので毅然とした態度を貫く。
「逃げるのは無理です!! これ以上罪を重ねないでください! 自分のためにも!!」
「うゥゥるせぇえ!!」
再び立ち上がろうとする万引き高校生。床に走る亀裂が更に大きくなる。
―― 迷っている暇はない。毒を喰らわば皿までだ!!
「っさせないですよ!!」
再び蛇を伸ばす。だが今度は殴打ではなく拘束。両の蛇を火山男の身体に巻きつかせ、締め上げていく。
「んだよこのヘビ! 引き千切ってやる!!」
「……不可能ですよ。そんな脆弱な身体じゃ」
「――な、なんで千切れねぇ! なんで解けねぇ!!」
万引き高校生は必死になって蛇を引き剥がそうと抵抗するが、その拘束に微塵も緩む気配はない。寧ろ彼が抵抗し身じろぎする度に締め付けが強まり、束縛の隙間が無くなっていく。
「くっクソッ! だったらテメェごと焼き殺してやる!」
力による抵抗は無意味。そう悟った火山男は全力で熱による攻撃に切り替えた。赤黒かった岩肌の表面が赤熱化し、接触している床面からは煙が立ち昇る。生身の人間であれば近づくだけで喉が焼け、触れれば肉が焦げ落ちる超高温。
ノゾミの表情にも焦りの色が浮かぶ。
「ハッ……アハハハやっぱり熱いよなそうだよな! さっきからずっと平気だからおかしいと思ってたけどさぁ、痩せ我慢だったみたいだね!!」
(まだ避難できてない人がいるんです! これ以上熱くなったら大火事になっちゃいます!!)
ノゾミには高熱に耐える身体はあっても、消火したり熱を冷ましたりするような個性は無い。
(こうなったら、意識を奪うしか……!)
そう決断し更に絞める力を強くする。火山男の身体からミシミシ、バキバキと良からぬ音がするが手加減をしている余裕はなかった。人の命が懸かっているのだ。この際、骨の一本や二本、折れても構わないだろう。
「ぐ、グガァァア!!」
「抵抗は無駄です! 諦めてください!」
「諦めるかよぉぅ!! 俺は火山だ!! 火山は誰にも止められねぇ!!」
幾ら頑強な巨漢の持ち主であろうと失神は免れぬほどの拘束を受けながらも、火山男の熱量が下がる様子は無い。頸動脈を絞める、脳を揺らす、激痛を与える。意識を奪うための全ての手段が無効。肉体の変化が体表だけでなく身体の全てで発生しているために、その内に秘める溶岩の滾りが止まらない限り彼の意識は落ちようもないのだ。
ノゾミに与えられた選択肢は限られている。溶岩の流れが滞るほど岩山の身体を破壊するか、さもなくば生命活動そのものを弱らせるか。
だがそれは余りに危険な賭けであり、一介の女子中学生である彼女には到底下し得ぬ決断。
―― 万事休す、か。
ノゾミが折れそうになる、正にその瞬間だった。
「……もう放しても、大丈夫」
彼女の背後から語り掛ける、この場にそぐわない、異常なまでに落ち着き払った女性の声。熱とガスで近寄れない筈のこの場にいる第三者の言葉に、ノゾミは直感的に従った。そうすべきと、思ったのだ。
未だ怒りの冷めやらぬ火山男が拘束から解放され、再びその拳をノゾミに向け振り上げる。だがそれが彼女に届くことはなかった。
ノゾミの前に現れる黒い背中。そしてその彼女が作り出した透明な障壁により、巨大な拳はいとも容易く弾き返された。
「―― !! あ、あなたは……!?」
―― ピポポポポ。
特徴的な電子音を響かせながら、振り返る彼女は静かに、自らの名を名乗る。
「……ゼットン」
まるで苦難など何処にも存在しないかのように、悠然と、平然と。
その態度に違和感を覚える人もいるだろう。理解できないと不快感を訴える人もいるかもしれない。
しかしピンチに駆けつけ窮状を嘲笑うかのような立居振舞い。其れをして、追い詰められた心を守り、救う。その在り方は、紛れもなくヒーローである。
ゼットンさん登場。キャラクターとして物語的な役割は重要だけど、出番の量的には端役。俗に言う、セワシ君ポジションです。