「魚?」
私は転んだ体勢のまま首を傾げてそれを見ていた。熊は魚の方に歩いて行き、地面に落ちた魚を食べているから一時的にではあるけど助かった。あの魚が無くなったら次は私だろうけど。
「善子ちゃん、生きてる~?」
「生きてるわー」
立ち上がって魚が飛んできた方を見ると、千歌が大声を出して手を振っていた。その足元には大きめのバケツもあった。ちなみに私と千歌との間には、十数メートルほどの距離がある。おそらくあそこから投げたみたいだった。まさか、千歌の特技の球技がここで生きてくるとは思わなかったわ。
あと、生きてるかの問いは縁起が悪いからやめてほしい。
『なんとか間に合ったかな?ほら、行っといで』
すると、千歌の隣に果南が来て何かを降ろすと、一直線にそれは私の方に走って来て、そのまま私の前を通り過ぎて熊のもとにたどり着いた。
「小熊?」
それは小熊で、この感覚にデジャブを感じた。
そもそも、果南と千歌の二人には野生動物が来た際に注意を引くために魚を取りに行ってもらっていたはず。それがさっきの魚だったのに、何をどうしたら小熊を拾って来ることになる訳?
熊は小熊を見ると、首元を噛んで自分の背に乗せて歩き出す。
熊は私に対する興味が失せたのかそのまま素通りし、
『はい。お魚あげるね。こんな人の多い所に降りてくるんじゃないよ~』
千歌はそんな熊に魚を上げると、熊はそれを貰って去って行った。
こうして、とりあえずの危機は去った。ちなみに現在時刻は三時半。ヨハネの言葉が正しいのなら、あと三時間半もこんなことが続くと思われる。
『とりあえず、一個目の危険は去ったってことでいいんだよね?』
「ええ。たぶんだけど」
『それよりも、熊を逃がしちゃいましたが平気なんですか?普通に考えて警察か自治体に届けるなりした方がいい気がしますが』
『平気じゃないの?あの熊、小熊を探してたっぽいし。今まで噂が立ってなかったってことは危害を加えたことは無いってことでしょ?』
「それと、熊のことは明日以降にしましょ?余計な面倒ごとに巻き込まれそうだし」
『それもそうだね』
ヨハネの言葉通りならば何かが起こるはずだから気持ちを切り替える。何も起こらなければ、それはそれでよかったってことになるだろうし。
ちなみに、二人が小熊を連れて来たのはちょうど戻ってくる途中で見かけたらしく、日記でも小熊が現れたら去って行ったことを書いてあったから、連れてきたらしかった。
その後も車が校庭に突っ込んできた。事前に車が来ていることを聞いていたから、その進路上から退いていたことで轢かれる事態は無かった。乗っていた人は、急に身体に激痛が走って、意識を失っていたようだった。だから、救急車を呼んで運ばれていった。車は後日回収してもらうってことで。
そんな事故を回避した後、急に雲が増えて雨が降って来たから、一時的に校舎に避難した。雲の色も黒かったから雷が落ちる恐れがあったし。私が避難したのは校舎と体育館を繋ぐ場所。屋根があるし、仮に崩壊しても、すぐに屋根の下から出ることが出来るからここを選んだ。それに、校舎に避難して校舎が崩壊なんてことになったら、明日以降いつも通りの学校生活ができなくなっちゃうからね。
そうしていると、校庭の方で雷が落ちた。この時ばかりはこっちに避難してよかったと思った。でも、雷は別の場所にも落ち、停電になった。前の時みたいに予備電源で普及させたものの、落ちた場所が電柱だったらしく、当分の間電気が使え無くなった。この通信はバッテリー式だから影響はなんだけど、予備電源が持つ間しかネットが使えないから、必要な時以外は電源を落しておくことになった。そう直接私のところに来た花丸に聞いた。
その結果、屋根が落ちた。私と花丸は慌てて外に飛び出し潰される事態は回避された。これで、私と一緒に居たら危険が迫るということも証明されてしまった。
雨は通り雨だったのか、すぐに止んで雲も無くなって日が差したことで、私は花丸と別れた。
ここまで目まぐるしいと、不安でしかないけど、この一週間で起きたことを考えると、もう何が普通なのかわからなくなってきた。
ちなみに、今五時半過ぎを示していた。
~☆~
『あれ?何か猛スピードでこっちに来てる』
雨が止んだ以上、屋内にいる意味もなくなったから、校庭に戻る。でも、もう校庭で起こりそうなことは一通り起こり切った気がする。飛行機はそもそも浦女上空を飛ばないらしいし、ヘリも今日は飛ぶ予定はないってマリーが言ってたし。
六時を回った頃、校門を見張っていたルビィがそんなことを言った。猛スピードで来るものと言うと、車以外思いつかない。
でも、車だったらルビィが「車が来ている」と言うはずだから、少し違和感を覚える。
『ルビィ、何が来ていますの?車ですか?』
『暗くなり始めたのと、遠くてまだよくわからないけど、そんなに大きくは……』
『ずらっ!』
「ちょっ、いきなりどうしたのよ」
ルビィの声を遮るように響いた花丸の声に聞くと、花丸は慌てた調子で何があったのか話す。
『ライオンずら!』
『「は?」』
私とダイヤの声がハモった。こんなところにライオンが出たなんて言われれば、そんな声が出たのも仕方ない。熊以上に出ないものだし。そもそも日本に野生のライオンなんていない訳だから、何処から来たのかもわからない。熊もこの辺にはいないから何処から来たのかわからないけど。
あっ、でもだいぶ前にライオンが私を襲ったこともあったから、現れる可能性は0では無かったか。
それよりも困ったことが一つ。
「ライオンにどう対抗しろって言うのよ。熊よりも俊敏だからすぐにやられるわよ」
『熊みたいに魚で引き付けられないかな?』
『たぶん無理だと思うよ。熊はどっちかと言えば小熊のおかげだったと思うし』
『うーん。猟友会に頼んでみる?』
「頼んでいるうちに私が死ぬわ」
『あっ、校門に入った!』
『なんで、動物たちは律儀に校門から入るんだろ?』
ライオンが敷地内に入ったと連絡が入り、気を引き締める。でもどうやって対処すればいいのかしら?
残念ながら熊が去った後に戻したバリケードは軽い身のこなしで飛び越えられてしまった。バリケード意味ないわね。
再び準備した松明をちらつかせてライオンを威嚇する。ライオンは火を警戒してやはり一定の距離を取ってそれ以上は近づいてこない。でも、熊と同じでいつかは襲ってくるはず。それまでに手を打つ必要がある。
『あのライオンってたぶんサファリパークだよね?』
『可能性で言えばそうでしょうね』
『じゃぁ、下手に怪我させたら問題になっちゃう?』
『逃げ出してる時点で向こうの過失だから多少ならいいんじゃないの?正当防衛ってことで』
イヤホンの向こうではそんな会話が繰り広げられている。でも、それよりも早くこの状況をどうにかする方法を考えて欲しい。
『落とし穴を作って落とそう』
『作ってる時間が無いよ。それに、出てこれないくらいの深さとなると相当厳しいよ』
『うーん。ライオンさんの子供を連れてくる?』
『こんな場所にいないでしょ?』
幾つか案は挙がるけど、どれも現実的ではない。そもそも、そう時間も残されていない。
ライオンが私の周りをグルグル回って隙を窺っているからそれに合わせて松明を向けて時間を稼ぐけど、いつまでもつことやら。そう考えていると、視界に茶色いそれが映った。
どうしてそこにいるのか。とりあえず分かることは、ただ一つ。あれを利用すれば私はまだ助かるかもしれない。
「小熊……」
熊に襲われかけた時に千歌がいた辺りにさっきの小熊が何故かいた。その場で何かしているってことは、そこに何かあるのだろう。
そして、私は小熊を囮にすればライオンから逃げることができる気がした。屋内に一時的に逃げ込めばライオンの脅威からは逃れられる。
私はライオンからじりじりと距離を取りながら小熊に近づく。ライオンが小熊に興味を持たなければ意味が無いある意味賭け。
そうして、小熊にだいぶ近づくと、ライオンが小熊の存在に気付いた。
火を持っている私と小熊。どっちが楽に狩れるかと言えば間違いなく小熊であり、ライオンは私から狙いを小熊に切り替える。
これで、とりあえずライオンに隙ができたから、私は逃げることができる。小熊には悪いけど、これ以外に私が生き延びる術はわからない。だから、申し訳ない気持ちで小熊を見て、小熊が何をしていたのか知ってしまった。小熊はのんびりと魚を食べていた。あの時千歌が落としていたらしいやつを。そして、ライオンが迫っていることに今更小熊が気付き、つぶらな瞳でライオンを見た後、私を見る。
「もう!」
その瞳で見られたことで、私は気持ちが揺らいでしまった。あんなに小さい小熊を囮にしようとした罪悪感で私は悪態をつくと小熊の前に出て松明をライオンに向ける。
ほんと、馬鹿なことしたわね。
心の中でそう呟くと、小熊の身体に触れて、後ろに押す。小熊は押されて少し歩き出し、じりじりと後退していく。
このまま昇降口まで逃げて、中に入ると同時に閉めれば問題ない。そこまで行ければ小熊を見殺しにする必要も無くなる。
「やばっ、忘れてた」
じりじりと交代していくもここで問題が発生した。
動物避けのバリケードのせいで校舎の方に逃げれない……。熊の時は倒して突入してきたけど、直した後はライオンが飛び越えた訳だから隙間が無い。崩しているうちに襲われるだろうし。
「ウゥ」
「グルルゥ」
「キュゥ」
小熊が私の前に飛び出して、ライオンに威嚇する。ライオンもそんな小熊に対して威嚇する。小熊が何故か私を護ろうとしてくれていることに驚く。私はこの仔を囮にしようと考えたのに。
でも、小熊の威嚇ではライオンは全く怯まない。というか小熊の方が怯んじゃってるし。
『善子、上手く避けなさい!』
すると、マリーのがイヤホンから響く。うまく避けるってなにを?そう思いながらマリーがいる屋上の方に一瞬目を向けると、屋上から何かが飛んできた。
もしかして、ライオンに対抗できる何か?
ガーンッ!
それはライオンの真横に落下して、大きな音と共にライオンが逆方向に飛びのく。そこには金属製のバケツが一つ。中はからっぽ。つまり。
『一瞬隙ができたから逃げて!』
「策無いのー?」
一時しのぎの方法らしかった。そもそもこのバリケードがあるせいで校舎の方に逃げれないっているのに。
仕方なくバリケードを迂回して、私よりも少し高いくらいの段差の前に行く。ちゃっかり小熊もついて来ていた。松明を私たちの前の地面に刺すと、小熊を段差の上に持ち上げる。せっかく私を護ろうとしてくれた訳だし、置いていくわけにもいかない。小熊を上に乗せると、段差に手をかけて頑張って登る。でも、雨で濡れていることで滑り、上手く登れない。そうこうしているうちにライオンが迫って来る。
さらに不運なことに掴んでいたブロックがスポッと抜け、私は地面に尻餅をつく。ライオンはもう私に逃げ場がないからと、勝ちを確信したのかゆっくりと近づいて来る。
ここまでこれたのなら、どうにかしたかったけど、流石にもう無理っぽかった。イヤホンの向こうからは私のもとに来ようとしているのか走っている音が聞こえる。でも、校舎からだと間に合う訳がないし、間に合ったところでどうにもならない。
「ウゥー」
小熊は段差の上から私の方を見て鳴いていた。それがどういう意味でやったのか私にはわからなかったけど、私の為に鳴いてくれている気がした。
そして、ライオンが私に向かって跳びかかって来る。首や頭、心臓をやられない限りはまだ生き延びることはできるからと、身を丸めて衝撃に備える。
きっと痛いんだろうなぁ、と思いながらその時を待ったけど、いつまで経っても何も起こらない。
恐る恐る丸めた体を起こしてライオンがいた方を見ると、ライオンの姿が見えなかった。正確に言えば、私の目の前にいた“それ”によって遮られているのだけど。向こうでライオンは気を失っているし。
段差の上にいた小熊はぴょんと跳んで、“それ”――いつの間にか現れた右手を高く振り上げた状態の熊の背にしがみ付き、ずるずると地面に降りる。
『Oh、見事なアッパーだったわ』
「どういう状況、これ?」
イヤホンからはマリーの感嘆の声が聞こえ、状況が理解できない私は首を傾げた。その間にも熊は前足を地面に降ろす。
『飛びかかったライオンに、段差の上から颯爽と善子の前に飛び降りて、見事なアッパーを決めたのよ。それでライオンは一発K.Oよ』
「なにそれ……」
半ば信じられない話ではあるけど、ライオンは倒れているし、熊もそこにいるからマリーの話が嘘でないことはなんとなくわかった。
でも、私を助けてくれた理由が分からなかった。
熊は私の方を見ていた。もしかして、私襲われる?小熊を囮にしようとしたわけだし。
「えーっと。ありがとう?」
とりあえず、助けられたわけだからお礼を言うと、熊は右手を上げてサムズアップして、去って行く。バリケードを倒して。
『これが母は強しね』
『微妙に違うと思うずら』
イヤホンの向こうではそんな会話がされていたけど、私はその会話には加わらなかった。ガチの命の危機の末生きていることに安堵する。
「どうして私を助けてくれたんだろ?」
『小熊をよっちゃんが助けようとしたからじゃないの?そのお礼ってことで』
「でも、私助けられなかったわよ?」
『でも、見捨てなかった。だから、助けてくれた。それでいいんじゃないの?』
熊が私を助けてくれたこと理由はわからないけど、そういうことにした。本当のところはわからないけど、結果的に助かった訳だしね。
そして、立ち上がり一歩を踏み出した瞬間視界が揺れた。てっきり私がふらついているのかと思ったけど、揺れているのは私じゃなかった。
地震が起きていた。感覚的には震度三か四くらいだと思う。それくらいなら校舎はびくともしないから心配はいらない。
でも私は自分の心配をする必要があった。
「きゃっ!」
いきなり私の足元が割れて、そのまま落下した。地割れだった。どうしてこんなところでと思うけど、今日一日に起きたことを考えればあり得ないこともありえてしまう。
落下自体は数メートルのところで底に着いたことで終わったけど、その際に腰を打ち付けてしまい痛みが走る。
立ち上がれないことは無いから、痛みをこらえて立ち上がる。
見た所は場に三メートルくらいの溝で、上を見れば四、五メートルはありそうだった。壁に手をつくも、雨の影響かぬかるんでいて登れそうになかった。ぬかるんだおかげで地面が柔らかくなっていてこの程度で済んだのが幸いだけど。頭から落ちていれば間違いなくアウトだっただろうし。
でも、最悪なことにイヤホンを落してしまった。そのせいでみんなと連絡が付かない。スマホもバッテリーが尽きて使えない。
地震のせいでみんな自分の身を護るために私から視線を外しただろうから、落ちた瞬間を見ていないはず。声はイヤホンが拾っただろうけど、あれが果たして落下の悲鳴だと分かるかどうか。地震で悲鳴を上げたと思われたらそれまで。待っていれば連絡が付かなくて探しに来るだろうけど。
それから十数分が経った。でも、誰も探しに来る気配が無い。
なんで誰も探しに来ないんだろ?連絡が付かないことは分かったはずだし、探しに来てもいいのに。それとも探しているところなのかな?
「うっ……」
そうして待っていると、唐突に胸に痛みが走る。この痛みがなんなのかわからなかったけど、すぐにわかった。
「……心臓発作」
思い当たるのはそれだけ。救急車を呼んで、その間に誰かが応急処置をする。それで、どうにかする予定ではあったけど、今はそれができない。停電になってるから電話が繋がらないだろうし、みんなと連絡が付かないから、応急処置もできない。つまり、このままだと間に合わなくなる。
大声を出そうにも、痛みで出ない。
もうすぐ七時になろうとしていたのに、最後の最後でこんなことになるなんて。
結局、変えることはできないんだ。私が死ぬ未来は変えられない。まぁ、みんなが死んじゃう未来は変えられたわけだから、全てが無駄だったわけじゃないか。
「あーあ。みんなと生きたかったなぁ」
壁に背を預けて呟く。もうすぐだと思ったのに、こんな仕打ち。神様がいるのならそうとう意地悪ね。
でも、もうどうにもならない。そもそも、みんなが私を見つけた所でここに降りてこられるとも思えない。
急だから二次被害になりかねないし、上まで連れて行くこともままならない。だから、私が助かるのは万に一つも無い。
「みんな、ごめん」
私はみんなに謝ると、意識が遠のいた。これが死なのか、痛みに対する防衛本能の結果なのかはわからなかった。そして、薄れゆく意識の中で誰かの声が響いた気がした。
「よっと。諦めないって決めたでしょ?」