目を覚ますと、知らない天井が拡がっていた。
(……何度目だろーか、この状況……)起きたばかりでまだ完全に覚醒しきっていない頭をブンブンと振りつつ、
??? と怪訝な表情を浮かべながらも、流砂は自分が目覚めたエリアの情報を即座に収拾し始めた。無駄に高級そうなシャンデリアに、無駄に高級そうな家具の数々。家具の位置とか部屋の装飾から察するに、ここはどうやらどこぞの高級ホテルのようだった。流砂も何度か使用したことがある『暗部御用達』のホテルとはまた違う、純粋な高級感漂うホテルだった。
自分はどうやらベッドの上で寝かされていたようで、ベッドの隣には流砂が愛用している黒のリュックサックがご丁寧に立て掛けられていた。恐る恐る中を見てみると、そこには彼の相棒とも呼べる土星の輪のようなゴーグルと無駄にゴツイ精密機械が収納されていた。良かった……盗まれちゃいなかったか――と流砂は安堵の息を零す。
そういえば、何故自分は気絶してしまったのだろうか。頭をどこかで強打してしまったのか、意識を失う前の記憶が判然としない。
確か流砂はファミレスに行き、店内が満員だったので仕方なく相席を了承し、確か――
「あぁ? やっと気が付いたのね。ったく……私のせいで気絶されちゃ、寝覚めが悪いっての」
――確か、この半袖コートの女性に恐怖して気絶したんじゃなかったか。
「………………」予想にもしていなかった人物に顔を覗きこまれ、流砂の身体の細胞が一瞬で行動を停止した。なにか能力を使われているわけではないのに――この威圧感。ハッキリ言って化物としか言いようがない。
そうだ。思い出した。確かファミレスで気絶しちまった原因は――この学園都市の第四位『
十月九日に『ゴーグルの少年』をブチコロス予定の第四位の超能力者。暗部組織『アイテム』のリーダーで、民間人だろうが味方だろうが自分の目的を達成するためだったら平気で切り捨てるバーサーカー。第三位の超能力者である『
括目せよ、これが俗にいう死亡フラグと言うヤツだ。
「おい、ちゃんと聞いてんのか? もしもーし?」
「――ハッ! あ、いやっ、大丈夫ッス! 全然問題ねーッスよ!?」
「まだビビってんのかよ、お前……」
「ビビってないッス! これが超普通の状態ッス!」
顔を真っ青にしてあからさまに挙動不審な流砂を見て、麦野は「はぁぁ」と溜め息を吐く。
全身の毛穴から汗がどっと噴き出すのを感じながら周囲を見渡してみるが、この部屋には流砂と麦野以外は誰もいないようだった。……つまり結局、自分の天敵と完全無欠に二人きりな状況な訳だ。
(ヤバイ……早くここから逃げ出さねーと殺される!)自分と等しい存在である『ゴーグルの少年』をぶっ殺す予定の第四位が首を傾げるのにすら恐怖しながら、流砂は必死に思考を廻らせる。何が何でもココから逃げて、死亡フラグを早急に叩き折らなければならない。欠陥品の大能力者である自分がバケモノな超能力者から逃げきれるとはとても思えないが、この命を護る為にはその不可能を可能にしなければならないのだ。
流砂が寝かされているベッドは部屋の窓際に位置していて、麦野はそのベッドに腰掛けている。位置的に言うと流砂よりも麦野の方が入口の近くにいるため、逃亡しようとしたら怪しまれて即捕獲されてしまうのは火を見るよりも明らかだ。逃げるためには彼女の意識を自分から逸らすか、彼女にこの部屋から出る許可を貰うかの二つだろう。
選択肢を誤れば、流砂を待ち受けているのは『死亡』の二文字のみ。なるべく早く完璧な選択肢をスマートに選ばないとならないだろう。
(えぇい、ままよ!)カッ! と思考の渦から脱した流砂が選択した逃げ道は――
「い、いやー。それにしてもお姉さん、美人ッスねー。スタイルもイイし、どっかのモデルさんだったりするんスか?」
「はぁ? いきなり何言ってんのよ、お前」
――まさかの褒め殺しルートだった。
☆☆☆
流砂は頭の中で想定していた二つの選択肢を放棄して『麦野を全力で褒め殺す』という難易度ルナティックな選択をし、麦野を必死に褒めちぎった。
まず最初に容姿を褒め、次に自分の自己紹介をする。そして麦野が自己紹介をしたところで麦野の名前を褒めちぎり、トドメとばかりに麦野の能力『
そんな努力が実ったのか――
「そ、そうかしら? ま、まぁ、私に欠点なんてものは存在しないのは当然の理だからね。あ、アンタがそうやって私を褒め殺したくなるのも、分からなくはないかなー?」
――麦野はデレた。
流砂の褒め方がよかったのか流砂の顔が整っていたことが良かったのか、はたまた流砂の年齢が麦野の好みと合致していたのか。どれが正解だったのかは流砂にはチンプンカンプンだったが、とりあえず自分が選択したルートは間違っていなかったんだと確信することができていた。このまま彼女にトドメとばかりに何か褒めるようなことを言えば、五体満足で家に帰ることができるかもしれない。
純粋な好意ではなくて打算的な思いによっての称賛で麦野の気を惹いている今の状況に罪悪感が無いわけではないが、こっちはこっちで命がけなのだ。自分を殺すことになるかもしれない奴の心配なんてしていられるか。
頬を染めてこちらの方をちらっちらっと見てきている麦野に思わずときめいてしまう流砂だったが、すぐに雑念を振り払って生きるための行動を開始する。
「あ、あのー、俺の好みどストライクなほどに美しい麦野さんにお願いなんスけど。そろそろ時間も遅いみてーッスし、俺はこれでお暇させてもらいたいなーみたいな……」
「あ、あぁ!? もうそんな時間か!? こりゃすまないわね、全然気づいてなかった。そ、そうね。そろそろ完全帰宅時間だもんな……」
明らかに挙動不審な麦野にいちいちビクビクと脅える流砂くン。もはや恐怖を通り越してアレルギー症状が出始めている感じになっているのだが、ここで焦ってはいけない。麦野に怪しまれないように平凡にこの部屋から出て、スタイリッシュに生き延びるのがベストな道だ。生き急いでは三流、生きるために待ち続けるのが一流と言うヤツなのだから。
「そ、それじゃー俺はこの辺で……」ビクビクおどおどキョロキョロと平静を装おうとして完全に裏目に出てしまっていることにも気づいていない様子の流砂はなるたけ足音を立てないように、部屋の唯一の逃走口へと移動していく。もう少し。あともう少しでこの死亡フラグを無事に回避できる――。
しかし、流砂の死亡フラグは意外と強度があるようで。
「そ、そうだ草壁! メアド教えなさいよメアド! もう知らない仲でもないんだし!」
――赤面顔の麦野の言葉に、流砂は逆らうなんてできるわけも無かった。
☆☆☆
結局、流砂は麦野から無事に逃亡することができた。
麦野のメアド要求に最初は「偽のメアドでこの場はやり過ごすか?」とか思っていたのだが、本当のメアドを教えて連絡をとれるようにすることで現在位置を把握し、少しでも彼女の行動を把握できた方が死亡する確率も減るんじゃないか? という結論に至り、流砂は自分の本物のメールアドレスを麦野に教えた。
逆に、自分が教えてもらった麦野のメアドが本物とは限らないが、別に麦野と連絡が取れないことで流砂にデメリットがあるわけでもないのであえて指摘することも無かった。問題なのは死亡フラグを回避するために何を優先すべきかということであり、前世と今世を合わせての人生で初めての異性のアドレスゲットに喜ぶことではないのだ。……いや、ぶっちゃけた話、結構嬉しかった。相手が天敵であることが残念だったが、それでも異性のアドレスが携帯電話に入っているということだけでなんかこう、リア充に一歩近づけた気がしたから。
「うーん……無難に『麦野沈利』で登録しとくか」慣れた手つきで黒塗りの携帯電話を操作し、本日ゲットした麦野のアドレス欄に名前を付ける。別に『第四位』とか『天敵』とかで登録しても良かったのだが、それだとなんか自分が無駄に怖れているようで負けた気がするから嫌なのだ。いや、実際怖れているのだけど。
携帯電話をジーンズのポケットに滑り込ませ、気怠そうな目で空を見上げる。学園都市の明かりのせいで星はあまり見えないが、それなりに綺麗な闇がそこには拡がっていた。――自分がいる闇とは違う、純粋な綺麗さを誇った闇が。
なんでこんなことになってしまったのだろう。自分はただ単純に生きたかっただけなのに、なんでこんな逃げ腰の人生を送る羽目になってしまったのだろう。
決められた『死』、乱立する死亡フラグ、自分を殺すことになる第四位との邂逅。どれもこれもが流砂の心を追い込んで、彼にどうしようもないほどの虚脱感を与えてしまう。
「麦野沈利。思ってたより、イイ奴だったな……」
原作知識からは予想もできないほどに、麦野沈利はどこにでもいるような普通の女の子だった。
ファミレスで仲間と楽しそうに駄弁り、愉快そうに笑う。流砂の褒め言葉に露骨に赤面し、動揺しながらもメールアドレスを交換してきた。――そんな、普通の女の子だった。
そんな普通の女の子に、一か月後には殺される。原作での描写が皆無だったから良く分からないが、『
――だが。
「……もしかしたら、運命を変えられるかもしれない。麦野との親密度を上げることで、見逃してはくれないにしろ、殺されることはなくなるかもしれない」
それは、一つの可能性。
原作において、『ゴーグルの少年』と『麦野沈利』が暗部抗争前に出会うことはなかった。故に二人は殺し合い、『ゴーグルの少年』は死亡した。
だが、流砂は暗部抗争前に麦野と邂逅した。原作とは異なる展開を、この身を持って体験した。――それは、自分の知っている原作が崩壊していく前兆なのかもしれない。
死亡フラグを回避する。そのためなら、どんなことでも達成してやる。人を殺すのはできるだけご遠慮願いたいが、それで死亡フラグを回避することができるのなら止むを得ない。流砂は覚悟を決めてその手を朱く染めるだろう。
だが、もし、人殺し以外の回避方法があるとしたら? 荒事ではない完全無欠に平和的な方法で、その死亡フラグを回避することができるとしたら?
そう、例えば――
「――デートして、麦野沈利をデレさせる」
恋愛を武器に戦うことで、死亡フラグを回避することができるかもしれない。
建前だけの気持ちでそれを行えば、作戦に綻びが生じてしまうかもしれない。自分が暗部であることがばれないように気を付けながら作戦を遂行し、麦野沈利を草壁流砂に惚れさせなければならない。
難しいか――いや、難しくてもやるしかない。
達成不可か――いや、なにがなんでも可能にするしかない。
殺し合いをしたくないなら、他の方法を行使すればいいだけのこと。幸い、その作戦を遂行できるだけの材料は手に入れてある。――麦野沈利のメールアドレス。これさえあれば、作戦を今すぐにでも開始することができる。
覚悟を決めろ。腹をくくれ。死にたくないなら足を踏み出せ。このまま迷っていたところで、どうせ一か月後には殺されるのだ。それならいっそ死ぬ気になって、自分の天敵を全力で攻略する方が百倍も二百倍マシだ。
流砂は拳をギュッと握り、不敵な笑みを浮かべる。
「オーケー、上等だ。こちとらまだ死ぬ気なんて毛頭ないんでね。生きるためならデートだってなんだってやってやる。俺はこれから死ぬ気になって――麦野沈利をデレさせる!」
死ぬことが決められている少年は、死ぬことを回避するために立ち上がる。
その方法は奇しくも、数ある選択肢の中で最も難易度が高いものであったのだが――ゴーグルの少年はまだその真実を知る由もない。
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