もし、全ての危機を予知できるとしたら、一体どれだけ多くの人の命を救うことができるだろう。
もし、全ての災厄を察知できるとしたら、一体どれだけ多くの人の命を救うことができるだろう。
それは過去から現在に掛けて様々な人が思い描いてきた理想であり、これから先の未来でも思い描かれ続けるであろう、世界平和の理想の形だ。
全ての危機を避け、全ての災厄を退け――全ての地獄を消し去る。
世界に苦しみがあるなんて馬鹿げているし、世界が苦しむなんて間違っている。全ての人間は等しく平等でなければならないし、全ての人間は平等の平和を享受しなければならない。
そのためには、一体何をするべきか。
もし、全ての危機を予知できる存在がいたとしたら、その存在を利用してやればいい。
もし、全ての災厄を察知できる存在がいたとしたら、その存在を駆使してやればいい。
一人の犠牲で全人類を救えるとしたら、その一人を迷わず切り捨てるべきだ。数の暴力と言われてしまうのかもしれないが、一人の犠牲で全人類が助かるのだ。これ以上の最善策等あるはずがない。
犠牲にすべき一人が見つかり、救うべき全人類が揃った。後はその一人を捕え、全ての準備を終わらせるだけだ。
『正義』を司る科学者は、己の『正義』を貫き通すために立ち上がる。
例えその『正義』が、一人の少女の人生を完全に狂わせるものだとしても――。
☆☆☆
シルフィ=アルトリアは雪の上をうろうろしていた。
最初は浜面仕上が運転する盗難車で雪原を走り回っていたのだが、途中でディグルヴと名乗る男と出会い、名前も知らない小さな集落へと連れてこられてしまったのだ。丸太でできた家が五十軒ほどあるだけの、とても小さな集落だった。
浜面達がこの集落に立ち寄った理由は、滝壺理后を医者に診せるため。学園都市よりも技術がかなり遅れている外国の、更に辺境にある小さな集落なんかに彼女の治せるような医者がいるとは思えないが、とにかく彼女を安静にさせられるだけの環境が必要だった。車のシートより、やわらかいベッドの方が百倍もマシだというのは明らかだった。
浜面は滝壺に同行しているようで、シルフィの周囲に姿はない。やはり恋人が苦しんでいるのを放っておくわけにはいかないようだ。幼いシルフィにはよく分からないが、それでも、彼女が『ゴーグルさん』と呼んでいる少年が滝壺のようになってしまった場合、シルフィは浜面と同じ行動をとるだろうと幼いながらに分かっていた。大切な人を放っておけないのは当たり前なのだから。
フリルのついたスカートが特徴の黒を基調とした服――俗に云うゴシックロリータスタイルのシルフィは防水性に優れた手袋を装着した手で雪を掻き上げる。物心ついたころから学園都市で暮らしているシルフィにとって、一面雪景色というのは凄く新鮮なものだった。シルフィは普通の子供より感情表現が苦手だが、それでも、彼女の顔には少しばかりの笑みが浮かんでいる。
そんなシルフィの傍には、一人の女の姿がある。
麦野沈利、という学園都市で四番目に怖ろしい
「…………たかが雪でよくそんなに盛り上がれるわね。空気中のホコリと水分が結晶になっただけだってのに」
「……しずりは面白みない。そんなんじゃ、ゴーグルさんに嫌われると思う」
「言ってろクソガキ。私と流砂の愛は、そんなことで崩れるほど軟じゃねえんだよ」
「……それ知ってる。『じいしきかじょー』って言うんだよね?」
「流砂と出会う前の私だったら瞬殺してるわよ、今の発言。ったく……なんで流砂はこんなクソ生意気なガキを助けたんだか」
「……生意気なのはお互い様、と思う」
炎と氷は相容れない存在だが、まさにこの二人はそんな関係であると言えるだろう。因みに、麦野が炎でシルフィが氷だ。性格的にも、内面的にも。
麦野は浜面に頼まれてこうしてシルフィのお守りをしているわけなのだが、これが如何せんちょうどいいぐらいにストレスが溜まってくる。ああ言えばこう返され、こう言えばああ返される。そんな感じで先ほどから会話が平行線なのだが、それでも別に麦野としては構わなかった。シルフィの好感度なんてどうでもいい。麦野が今最も気にしていることは、草壁流砂の行方だけだ。こんなケガを負っていなかったら、今すぐにでも流砂を捜しに行っていただろう。
因みに、麦野の右目には眼帯が、元は左腕が存在していた左肩の傷跡には包帯が巻いてある。滝壺が運ばれた医者の下で簡易的な治療を受けてきたわけなのだが、流石は学園都市の外、どうも体に馴染まない。先ほどから何度も眼帯を着けては外し着けては外しを繰り返しているわけだが、凍傷を避けるためにもここでこれを捨てるわけにはいかなかったりする。……そんなことを考えていたら、無性に浜面に腹が立ってきた。後で一発ぶん殴っとくか。
それにしても、このシルフィ=アルトリアという少女は一体何者なのだろう。滝壺の話によると、流砂と滝壺はテロリストに占拠されていた高層ビルでシルフィと出会ったらしい。何でそんなところに九歳の女の子がいるんだよ、と言いたくならないでもないが、滝壺曰く、『シルフィは誰かに追われていたらしい』らしい。なんか日本語的にもすごく違和感を感じるが、滝壺から情報を与えられた時点で伝言ゲームの状態だったのだ。噂的表現が二回続くのにも頷ける。
聞くだけ聞いてみるか、と麦野は雪で遊んでいたシルフィを片手で掴み上げる。「……なにするの?」と少し不機嫌そうな顔で言われたが、麦野はその発言を完璧にシカトし、真正面から質問をぶつけた。
「ねぇシルフィ。お前はなんで学園都市に狙われてるんだ?」
「……分からない。でも多分、私の能力が原因……と思う」
「能力?」
「……私の能力は、私の命を奪うほどの危険を察知する。『あの人』が言ってたのは、私は世界を救うカギになる、みたい。……私は、昔からそう言われてた」
「あの人、ってのは誰なの? お前の育ての親か? それとも――お前を研究していた研究者共か?」
「……けんきゅーしゃ、っていうのが誰かは分からないけど、名前なら分かる。『木原利分』って、凄く美人のおねーさんだった」
「木原利分……? 聞いたことないわね」
もしかして、あまり表には出てこない研究者なのだろうか? いや、研究者という人種自体があまり表には出てこないのだけれど、それでも少しは名が知れ渡っていたりするものだ。木原幻生然り、木原数多然り。
しかも、この『木原利分』という研究者、名前から予想するにあの『木原一族』出身の研究者なのだろう。学園都市の技術発展に大きく係わってきた一族であり、世界で最も歪んだ思想を持つ生粋のマッドサイエンティストの一族。この世に生を受けた瞬間から既に科学に関わっていて、思考能力の全てが科学に用いられるという狂人っぷり。立場的に麦野もある程度『木原』のことを知っているが、そのほとんどがあまりいい情報ではない。基本的に一族全てがマッドサイエンティストなので、噂話一つにつき必ず一人の人間の命は奪われてしまっている。
さらに厄介なことに、『木原一族』の研究者たちは思想こそ歪んでれど、その思想の先にあるのは『世界の科学技術の進歩』という全人類を救済することになる素晴らしい理想だ。詳しいことは分からないが、『木原一族』が存在しなかったら今のこの世界はない、という格言が世界中に知れ渡っているぐらい彼らは世界にとっては欠かすことのできない存在となっている。
そんな一族の一人に、シルフィが狙われている。『危機を察知する』というとても曖昧な能力故に、シルフィは学園都市に追われている……らしい。子供が言うことなのでどこまでが真相なのかが凄く微妙なのだが、それでもこの少女の性格的に嘘は言っていないと思われる。――まぁ、それでも完全に信用しているわけではないのだけど。
麦野としてはこの少女が学園都市に捕まること自体は別に構わないのだが、愛する少年から『守ってくれ』と頼まれている以上、麦野はシルフィを全力で護らなければならない。誠に不本意なのだが、流砂との約束を破るわけにはいかないのだ。
麦野はシルフィを肩車の要領で肩の上に座らせる。突然の麦野の奇行にシルフィは驚きの表情を浮かべるが、「あんまり離れるんじゃない」という麦野の言葉に「……うん。分かったよ、しずり」と素直にこくん、と首を縦に振って黙り込んだ。比較的頭が良いシルフィは、麦野の言葉の意味を完全に理解しているようだった。
そろそろ浜面達の元に戻らなければならない。そう思った麦野はシルフィを肩車しながら、集落の中央に向かって足を一歩踏み出す。
しかし、その足はシルフィの一言によってほぼ強制的に停止することとなる。
「……空から、たっくさんの小さなヒコーキが来てる」
「たくさんの小さな飛行機? それってまさか――戦闘機?」
シルフィの言葉に麦野は小さく首を傾げ、自分なりの答えを導き出す。
直後。
麦野とシルフィが立っていた地面のすぐ近くが――轟音と共に爆散した。
☆☆☆
途方もないほどに広大な雪原を大型トラックで移動していた流砂と絹旗は、エリザリーナ独立国同盟の内部にやってきていた。
今は第三次世界大戦中なので、学園都市の人間である流砂と絹旗がこんなところにやってくるのは凄く大きなリスクを伴う訳なのだが、流石は陸続きの国境と言ったところか、結構簡単に素通りすることに成功していた。
ハンドルを動かしながら周囲をキョロキョロと見回している流砂を訝しげな表情で見つつ、絹旗は尋ねる。
「なんで超いきなりエリザリーナ独立国同盟なんかに来たんですか? 流石に麦野たちがこんなところにいるとは超思えないんですが……」
「ンなコトは俺が誰よりも承知してるッスよ。ここに来たのは物資の補給のため。それと情報収集のためッスね。流石にお前もいつまでもそんな格好で歩き回るわけにゃいかんだろ?」
「それは超そうですが……」
微妙に納得していない表情の絹旗の頭を乱暴に撫で、「イイから、俺に任せとけって」と流砂は不器用ながらに微笑みを見せる。……さらに絹旗の表情が険しくなった。本当に意味が分からない。
流砂がこのエリザリーナ独立国同盟に来た理由は、実際のところ、
全ての悲劇を救済することができる、世界最強のヒーロー。科学と魔術が交錯した物語の、本当の意味での『主人公』である少年。――そして、異能のチカラならばすべてを打ち消す『
ただ、この国に来たということは、神の右席である右方のフィアンマとぶつかってしまうということ。――つまり、科学サイドである流砂と絹旗が、魔術サイドの魔術師と交戦してしまうということだ。フィアンマが来る前にトンズラすればいいのかもしれないが、流石にそこまで完璧なタイミングでのトンズラは不可能だろう。大きなリスクがある訪問だが、背に腹は代えられない。
それに、流砂としてはまず第一に情報が欲しかった。断片的にしか覚えていない原作知識による情報ではなく、第三次世界大戦中の十月三十日現在の最新情報が、今は何よりも必要だった。というか、もはや原作の知識なんてあてにならない。今必要なのは最新情報、これだけだ。
大型トラックを進ませていると、突然目の前に数人の武装した男たちが現れた。ロシア語を話せない流砂は彼らが何を言っているのかは分からないが、彼らがどういう集まりなのかは十分に把握することができている。おそらく、国境警備隊だろう。
ちょーどイイな、と流砂は少しだけ口を歪める。ここで彼らに事情を話せば、一気に軍事施設のところまで行けるかもしれない。そこで交渉をすれば、麦野たちの情報を得ることができるかもしれない。
「なー絹旗。お前、ロシア語とか話せるッスか?」
「はぁ、ロシア語ですか? 超一応は話せますけど……」
「そーか。そりゃよかった。ンじゃ、さ。そこでこっちに向かって銃向けてる仕事熱心な奴らにこー伝えてくれねーッスか?」
国境警備隊の男たちに見えるように両手を上げつつ、流砂は一切迷いのない口調で言い放つ。
「右方のフィアンマについての情報を持ってきた――ってな」
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