桜の奇跡 作:海苔弁
その時、茂みから物音がした。出て来たのは、あの大鹿だった。
「鹿?」
『……あいつを倒したか』
「封印しただけ」
立ち上がり、大鹿の目を見ながら紫苑はそう言った。大鹿は彼女の目を見て、鼻で笑った。
「湖なら、私が蘇らせる」
「?!」
『だろうな。
そう言ってくれるのを、待っていた』
「皆少し離れて」
涸れた地面に大きな陣を描く紫苑。描き終えると、ポーチから青い瓶を出し、蓋を開けると中に入っていた液体を陣の上に垂らした。
液体は生きているかのようにして、陣の線に馴染んだ。
「悲しき水の精霊よ、我が失いし心の傷よ、古き契約に従いて、わが意に従い、嵐を運べ !!」
青く光り出す陣……紫苑は、水の入った瓶の蓋を取り、中身を出した。中身は球体となり、宙に浮いた。
「清らかなる水よ、それは天の恩恵なり、天より雨を降らし給え!」
球体は空へと上がると、雨雲を引き寄せた。雷を鳴らしながら広がる雨雲から、やがて雨が大量に降り出した。
「命の源、天の恩恵よ、我が手に集え!」
降り出した雨の一部が、天に上げた紫苑の手に集まった。集まると彼女は、集まった水を湖の跡地に叩き付けた。
空から落ちた水は、穴にスッポリと填まり反動で波が立った。
波は、枯れた木々に触れ、水に触れた木々達は次々に青々しくなっていった。
離れた場所で、その光景を見ていた秋羅達は驚きのあまり口を開けていた。すると、後ろで大人しくしていたエルが、緩んでいた幸人の手から離れ、そこから駆け出した。彼に続いて、紅蓮も駆け出し湖となった場所へ寄った。
水から顔を出した紫苑は、咳き込みながら泳ぎ岸へ上がった。上がった彼女の元へ、二匹は駆け寄り体を擦り寄せ、頬を舐めた。
「お疲れさん」
二匹の後についてきた秋羅は、座り込んでいる紫苑に手を差し出した。その手を彼女は、躊躇しながらも掴み彼の手を借りて立った。
「見違えるほど、戻ったな」
「森全体に雨降らせたから……」
「大手柄だ」
『流石だな』
歩み寄る大鹿は、仲間達を引き連れながらそう言った。
『やはり、あの者に似ている』
「あの者?」
「誰のことだ?」
『妖怪の総大将と言われている者……
全ての精霊を操り、妖怪と人の間に立ち妖怪の秩序を守っていた者だ』
「そいつ、今は?」
『とうの昔に亡くなった。
妖怪達が凶暴化したのも、それが原因だ』
「……」
「名前とかはあったの?」
『通り名としてはこう呼ばれていた……
魑魅魍魎の主……ぬらりひょんと』
ぬらりひょん……
その名を聞いた紫苑は、何気なく後ろを振り返った。何も変わらない風景……その様子に、紅蓮は寄り話し掛けた。
『どうした?』
「……何でも無い……大丈夫」
紅蓮の頭を撫でながら、紫苑はそう言った。
大鹿と別れた後、幸人達は森を出て行き柚人の家へと帰った。
数日後……
新しい家で、荷物を出す柚人達。幸人が父親と話をしている間、秋羅と紫苑は家の手伝いをしていた。
新しくなった菊乃の部屋に、物を飾っていく紫苑に菊乃は動かしていた手を止め、彼女に飛び付いた。
「手動かさないと、片付かないよ」
「紫苑がいるから平気!
ねぇ、紫苑の部屋はどこ?」
「ここには無いよ」
「え?」
「依頼が終われば、私は幸人達と帰るから」
「……嫌だ!!
紫苑、どっか行っちゃ駄目!」
そう怒鳴って、菊乃は紫苑に抱き着いた。彼女は持っていた籠を落として、その場に立ち尽くした。
「嫌だ嫌だ!!
ねぇ、また一緒に暮らそう!ねぇ!」
「……」
「エルも紅蓮も一緒にいていいから!ねぇ!
パパに言えば、紫苑のお部屋だって!」
「……気持ちは嬉しいよ」
「じゃあ!」
「でも、今は幸人達の傍にいたいの」
「……そこにいて、紫苑幸せ?」
「……うん」
嬉しそうに微笑みながら、紫苑は答えた。その笑みを見て、菊乃は彼女から離れ涙を拭いた。
「遊びに来てくれる?」
「うん……またいつか、ここへ来るよ」
「約束だよ?」
「うん、約束」
片付けが一段落付き、休憩しようと紫苑は外へ出た。
しばらく町を歩くと、噴水のある広場に着いた。紫苑は噴水の縁に座り、軽く息を吐いた。一緒に来ていた紅蓮は、縁に前足を置き噴水の水を飲んだ。
その時、自分に歩み寄ってきた柚人の姿が目に映った。彼の気配に紅蓮は、縁から足を下ろし紫苑の前に行くと唸り声を上げて、攻撃態勢に入った。
「紅蓮、大丈夫だから」
そう言いながら、紫苑は彼の頭を撫で後ろへ行かせた。
向かい合う柚人と紫苑……
「……凄いんだな」
「?」
「あれだけ、精霊を使いこなして……
妖怪を退治して……湖まで蘇らせて……凄えよ」
「……」
「前から思ったんだけど……
何で、そのブレスレット嵌めてんだ?」
「……大事な物だから」
「誰かから貰ったのか?」
「覚えてない……けど、そうだといいな」
そう言いながら、紫苑は笑った。その顔を見て、柚人は頬を少し赤く染めると、見られないようそっぽを向いた。
「……お前、笑うように……なったんだな」
「え?」
「な、何でも無い!
また、来てくれるか?この町に」
「依頼があればね」
「色々悪かった。
今回は、ありがとうな」
頭を下げ、そして手を差し出しながら柚人は言った。紫苑は、一瞬後ろにいる紅蓮を見ると、柚人の手を握り互いに握手を交わした。
夕方……
馬車を動かすエルの手綱を引く幸人とその隣に座る秋羅。
中では、座りながら眠る紅蓮と、彼の膝に頭を乗せた紫苑が眠っていた。
「よく眠ってるなぁ」
「色々あったから、疲れたんだろ。
今回は、結構働いたからな」
「紫苑様々だな」
「早く帰って、眠りたい」
「着いたら起こしてくれ。寝る」
「俺を寝かせろ!」