生まれたことが消えない罪というなら、俺が背負ってやる   作:ルシエド

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夢の守り人

 警察の人間の大半はオルフェノクの存在を認識してもいないが、その裏では秘密機関がオルフェノクの全滅を目指し動いていることは、今更言うことでもない。

 だがそれでも、公権力は公権力。その組織力は絶大だ。

 照夫を守る者達は指名手配こそされていないものの、警察の目につけばすぐに厄介なことになってしまう。

 何せほぼ全員がオルフェノクだ。

 捕らえて実験材料に使ってしまえ、という組織内意見も少なくはなかった。

 

 だが一人、その例外が居る。

 異世界から来たために戸籍も無い、ブラックリスト入りもない、長瀬裕樹その人である。

 長瀬はスマートブレインにこそその存在を認識されていたものの、この世界にとって最大級の『部外者』であったため、大半の者には警戒もされていなかった。

 当然、買い出し役は長瀬の担当になる。

 

(あとはスポドリと、サトウのごはんと、小学生用学習ドリル?

 照夫あの状況で勉強もやってんのか。ったく、ガキってのは大変だね)

 

 スーパーで全員分の食料その他諸々を買い込むと、流石に袋が重い。

 会計を済ませてスーパーを出ようとしたところで、長瀬はふらつき、通りすがりの人に支えてもらって転倒をこらえた。

 

「おっとと」

 

「Oh」

 

 肌の黒い、体の大きな外国人の男であった。

 身長は180を少し超えた程度であったが、体格の良さと纏われた一流の雰囲気が、その体を一回り大きく見せていた。

 右腕には子犬を抱え、左手一本で転びかけた長瀬を支えてもピクリとさえ動かないその男は、不動の巨木を思わせた。

 

「悪ぃなガイジンさん。助かったぜ」

 

「大丈夫デス?」

 

「アンタのお陰でな」

 

 長瀬は礼を言って去ろうとするが、男がそのままスーパーに入ろうとするのを見て慌てて止めに入る。

 

「ちょっとちょっと待てや! 犬連れて店に入んのはマズいだろ!」

 

「アッ」

 

「首輪とリード持ってんだろ? どっか繋いどけばいいじゃねえか」

 

 男は首を横に振る。

 日本でも結構多い、犬に苦しい思いをさせないために、首輪とリードをあまり使わないタイプの飼い主であったようだ。

 一期一会。

 さっき助けてもらったのに、ここで見捨てるのはどうにも寝覚めが悪い。

 

「……ここで俺が預かっといてやるよ。さっさと行ってさっさと買って帰って来い」

 

「! アリガトウ」

 

 男からちっちゃい犬を預かった長瀬であったが、店の前で犬をちょこちょこ撫でていたところ、男はあっという間に戻って来た。

 愛犬が心配で急いだというのもあるだろうが、元より買う予定のものが一つしかなかったため、買い物自体がさっさと済むものであったようだ。

 

(ドッグフードか)

 

「改メテ、アリガトウ」

 

「大したことしてねえよ」

 

「チャコ。行コウ」

 

 長瀬は帰路につく。

 チャコという名前の犬を抱えた男も、帰路につく。

 二人の帰り道は別々で、長瀬は寒空の下を一人歩いて星を見上げる。

 

(こういうのも人助けってやつになるのかね)

 

 無償の人助け、というものには奇妙な違和感がある。

 長瀬は千翼と共に人食いの化物を狩っていた時期もあるが、怪物(アマゾン)狩りは人助けと言うには何か違うような気がした。

 長瀬には怪物をぶっ殺してやりたいという気持ちはあったが、世のため人のために何かをしたいという気持ちはほとんどなかったからだ。

 むしろ、自分よりも千翼の方が人を見捨てられない心を持っていた気がする……そんな風に、長瀬は過去の自分と、過去の仲間の思い出を振り返っていた。

 

 昔を思い出しながら歩いていれば、ほどなく新しい隠れ家が見えてきた。

 

「ただいま帰りましたっーす」

 

 そして目にする、喧嘩真っ最中の巧と草加。

 

「夢が無くて悪いかよ? 草加」

 

「悪いだなんて言った覚えはないな。

 無軌道で行き当たりばったりな乾巧らしいと思っただけだ」

 

 実家のような安心感であった。

 

「また煽り合いやってのか。ゲハみたいなことしてんなよ、草加も乾さんもよー」

 

「……ちっ」

「長瀬、君は余計なことを言わないでいい」

 

「おかえりヒロキー」

 

「おう、ただいま照夫。で、今度の喧嘩の原因は何だよ」

 

 海堂にポテチ、照夫にチョコ、草加にウェットティッシュと買ってきたものをポイポイ投げて、喧嘩の原因を問う。

 「やっぱ男のポテチ趣味はコンソメに還るんだよなー」と言ってる海堂も、一人部屋の中の掃除をしている木場も、巧と草加の喧嘩を止めようとすらしていなかった。

 

「最初は、ナオヤと乾さんが色々話してた」

 

「ふむふむ」

 

「そこに草加が茶々入れて、途中から『夢』の話になった。

 ヒロキー、次からはもっといっぱいチョコ買ってきてよ」

 

「成程。あと、チョコは歯磨きを時々サボるガキにはいっぱい与えらんねえな」

 

 夢。

 夢と来た。

 夢の無い巧と、夢の無いことしか言わない草加では、確かに煽り合いにしかなるまい。

 "最近流行りの夢の無い若者"タイプな長瀬は、夢がないからこそ適当に生きていたという自覚があって、元高校生ユーチューバーとして何とも言えない気持ちになってしまう。

 

「夢と言えば木場だよな」

 

「僕かい?」

 

「人間とオルフェノクの共存。

 こりゃ『目的』というよりは『理想』で『夢』なんじゃね?」

 

「夢……そうか。確かに、見方によってはこれも夢だね」

 

 長瀬に自分の理想を『夢』と言われて、木場がむず痒そうな顔をした。

 対し、息をするようにオルフェノクに嫌味を言うマンである草加は不愉快そうだ。

 

「夢なんてものはなくても、確たる目標があればいい。違うかな」

 

「草加」

 

「夢というものは、きちんとものを考えていればいつか目標になるものだ。

 過程を考え、手段を考え、実現する筋道を考えれば、夢は目標になる。

 俺には必ずスマートブレインをぶっ潰し、オルフェノクを打ち倒すという目標がある」

 

 夢と目標。この二つの間にある違いは、人によって違う答えが出て来ることだろう。

 ただ、前向きな熱量を孕んでいることが多い『夢』と違って、草加の『目標』はどこか陰気で粘着質なものを感じる。

 ソファーでポテチをかじる海堂が、そんな草加を笑った。

 

「はっはっはー、草加君。君のその目標は夢と終わっちまえばいいぞこの野郎と思うのだよ」

 

「……何?」

 

「夢なんてのはな、呪いと同じだ。

 呪いを解くには叶える以外にない。

 途中で挫折なんてした日にゃ、死ぬまでずっと呪われたままだ。

 ちゅうか、お前は人が悪いからな。必ずどっかで誰かに邪魔されて夢は叶わんだろう」

 

 夢破れろ、夢破れろ、と海堂が草加を軽薄に煽る。

 

「そういう意味でお前は駄目な子なのだな、うん」

 

「言ってくれるなぁ……お前の目は節穴だったと、その内お前はその身を持って知るかもな」

 

 海堂の煽りに、草加は遠回しなぶっ殺す発言で返した。

 "事が終わるまでは生かしておいてやるし、手も組んでやるが、事が終わればすぐ殺す"といった感じの思考をしながら誰かと共闘する。それもまた草加のスタンスである。

 スマートブレインを倒した後、あるいは人質を取り返した後が怖そうだ。

 

「いいか長瀬、照夫。

 夢なんてロクなもんじゃないぞ、うん。

 ちゅうか、いらん。

 一度持ったらずっと本気でやっていかないといけないもんだからな。

 持たん方がいいし、一度持ったら途中で放り投げるとか論外オブ論外なのだ」

 

 夢はできれば持つな、持ったら途中で投げ出すな。

 海堂が言っているのはそれだけだが、随分とひねくれている。

 長瀬としてはこのひねくれが照夫に受け継がれなければいいな、と願う他なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、長瀬はまた買い物に出た。

 今度の目的地はスーパーではなく薬局。連日の連戦のせいでとうとう医薬品が尽きていたことが発覚したのである。

 昨日の内に言っとけよ、と長瀬は思ったが、現在の彼の仲間に所持品の残量管理をしっかりとやるタイプの人間は多くなかった。

 包帯とガーゼを中心に買い、長瀬はぼんやり昨日の会話を思い出す。

 

(夢、夢か)

 

 夢は呪い。夢を解くには叶えるしかない。解けなければ呪われたまま。

 その言葉に何か思うところがあったのか、就寝前には巧がこうも言っていた。

 

―――夢を持つとな、時々すっごく切なくなるが、時々すっごく熱くなる……らしいぜ

 

 海堂、巧が夢を語り、木場は唯一夢を持ち、草加は夢とどこか似た目標を持っていた。

 長瀬は斜に構えて夢など抱かない若者であったが、夢と目標が似たものであるのなら、夢と似て非なるものを胸に抱いたことはある。

 千翼とイユの二人に……仲間に、生きて欲しいという願いだ。

 ある意味ではその想いも、『絶対に叶わない夢』の類であったと言えるだろう。

 

(時々すっごく切なくなるが、時々すっごく熱くなる、か)

 

 長瀬もその頃に、切なくなった覚えもある。熱くなった覚えもある。

 ただ、それを夢と表現するのは、正しいようで間違っているような気がした。

 彼らが死んで、生きて欲しいという長瀬の願いが打ち砕かれ、長瀬の心にかけられた呪いというものはある。

 

 悲しくも誇らしい呪いだ。

 長瀬はきっと、その呪いを墓の下まで持っていくことだろう。

 忘れてしまうくらいなら、彼らのことを、呪いとしてずっと覚えておきたかった。

 

(生きるのは、誰だって特に意識もせずにやってることだ。

 普段はわざわざ願うことでもねえ。

 だけど千翼は……周りが全部敵だったから、そいつだけが生きる目的になってた)

 

 生きたいという願いだけが、生きる目的になっているという、矛盾のようで矛盾でない理屈。

 それはもう夢と言ってもいいだろう。

 夢見るように千翼が見た、夢破れることが約束された夢。

 好きな女の子と一緒に、生きていきたいという夢だ。

 その夢は、切なくも熱く輝いて、千翼の命と共に終わった。

 

(千翼は呪われたまま死んだのか?

 死んで、ようやく苦しみから解放されて、呪いが解けたのか?)

 

 長瀬は少し考える。

 呪いを解くには夢を叶えるしかないというのなら、千翼は死んでも呪われているのだろうか。それとも死んで呪いから解放されたのだろうか。

 人間社会の中で生きたいと願う怪物は、生きている限り呪われるという宿命を持つ。

 オルフェノクが、まさにそうだ。

 人の心を失ったオルフェノクは、存在として発生したその時点から人間世界に呪われている。

 

 死んでくれ、という無力な人々の澄んだ願いが、そのまま化物に向けられる呪いだ。

 

(これが夢だ、って胸張れるようなものが、俺にもあればな……)

 

 生きたいという千翼(なかま)の夢。俺にも夢が出来ればその気持ちが少しは分かるんだろうか、と長瀬は特に根拠もなく考えた。

 そんな気がするだけで、そうなる保証はどこにもない。

 されど肯定的にそう考えられる、長瀬の夢の芽生えであった。

 

「あら、考え事? いけないわね、お店の中で長々と立ち止まっちゃ」

 

「!」

 

 聞き覚えのある声。『ロブスターオルフェノクの声』が耳元に囁かれ、長瀬は弾けるように振り返った。

 服の下に隠していた装着済みのデルタギアを起動しようとして、その手が止まる。

 長瀬は既に囲まれていた。

 振り返れば正面には影山冴子。

 右には昨日自分を助けてくれた、犬を抱える肌の黒い大男。

 そして左には琢磨逸郎が、手の平の上に不可思議な光球を浮かべ、それを長瀬の首に突きつけていた。

 動けば、おそらくその光球で首が深く抉られてしまう。

 

「武器を降ろしてください。ここで戦う気はありませんよ」

 

「テメエ、言ってることとやってることが違ェぞ」

 

「念のためですよ、念のため。

 上位のオルフェノクは生身のままでもオルフェノクの力を使えます。

 分かるでしょう? この場では僕が上位者だ。この姿勢からなら僕の方が早い」

 

 話し合いがしたい、という意志は琢磨からは感じられない。

 あるのは長瀬の生殺与奪を握っておきたいという小物の意志だ。

 小物、されど今なら長瀬をいつでも殺せることには変わりなく。

 長瀬は起動アイテムであるデルタフォンをポケットにしまった。

 指一本でも余計に動かせば、その時点で殺されかねない。

 

「いい子ね。私は影山冴子、この男はMr.J。琢磨君の紹介は要らないわね?」

 

「何の用だよ」

 

「お話しに来たのよ。別に戦いに拘らなくても、私達の目的の一つはそれで果たせるもの」

 

「お前らの目的だと?」

 

 冴子は妖艶に微笑んで、長瀬の耳元に添えた口から惑わすような口調で囁く。

 

「以前ね、私達は大きな作戦を邪魔されたの。

 ファイズ達と、別の世界のファイズのご同類にね。

 そのご同類はどうやら、別の世界から来ていたらしいわ」

 

 ご同類、と言われ長瀬が真っ先に思い出したのは、アマゾンアルファ・アマゾンオメガ・アマゾンネオの三体だった。

 アマゾンの力を仮面や装甲として形成するあの力は、ある種ファイズと同類と言えなくもない。

 それらの類似品が他世界に多くあることは、さほど不思議なことでもなかった。

 

「他の誰かの姿になれるライダーズギア。

 他の誰かを召喚できるライダーズギア。

 それがよその世界にはあったようだけど……

 肝心なのはね、長瀬裕樹君。()()()()()()()()()()()ということなの」

 

 だが、冴子は自分達の計画を邪魔した者にさほど興味を持っていないようだ。

 彼女が興味を示しているのは、他の世界という概念そのもの。

 

「人間とオルフェノク、文字通りに『別々の世界』に生きられたらって思わない?」

 

「なんだと?」

 

「人間からオルフェノクが生まれれば、オルフェノクの世界に送る。

 人間とオルフェノクの世界は触れ合うこと無く別々に続いていく。

 それなら……どんなオルフェノクも、どんな人間も、納得すると思わないかしら」

 

 それは、世界を渡る技術を使った隔離政策。

 地球上で幾度となく失敗してきた隔離政策の全てを凌駕する、世界ごと隔離するがゆえに破綻のしようがない、味方を変えれば人類最大規模にもなるであろう移民であった。

 

「だから、少しお話を聞きたいの。私はあなたの存在に、可能性を見たのだから」

 

「テメエらに話すことなんかねえよ」

 

「あら、残念。

 でも私が優しく言っている内に話した方がいいと思うわ。

 そうすれば良い目も見られるし……『乱暴な方法』は嫌でしょう?」

 

「二度も言わすな、テメエらの助けになることなんて言わねえ」

 

「ふふ、強情な男の子は嫌いじゃないわ」

 

 この冴子という女が、裏で何を企んでいるか分かったもんじゃない。

 長瀬は冴子から離れようとするが、囲まれていたせいでMr.Jの巨躯にぶつかってしまう。

 Jの顔を見上げ、長瀬はほんの一時でもこの男を"動物思いのいい男"だと思った自分を恥じた。

 

「あんたもこいつらの仲間かよ」

 

「YES」

 

 Jとその愛犬を睨む長瀬に、冴子が背後から囁いた。

 

「あなた、少し人間に失望してもいるでしょう。

 オルフェノクの友達でも人間に殺されたのかしら?」

 

「―――」

 

 影山冴子には人を見る目がある。

 細かな対応、細かな行動、細かな選択を見て、相対した人間の芯の強さや揺らぐ心を見通すのが彼女の強みだ。そのためか、彼女の配下には彼女に心酔するオルフェノクが多い。

 ただし、慢心して勧誘成功率が低そうな相手にも見境なしに声をかけていくのが玉に瑕。

 

「ねえ、そのデルタのベルトを使って、少しだけ余計な人間を世界から削ってみない?」

 

「失せろ。近寄るな。香水が臭え」

 

「あら、子供みたいなこと言っちゃって。

 でもこうは思わない?

 私利私欲、心の狭さ、臆病な心でオルフェノクを排除する人間を排除すれば、って」

 

「……」

 

「攻撃的な人間を排除してしまえば、後は話し合いで解決できるかもしれないわ」

 

 現在、警察の秘密機関はとてつもない過激派として機能している。

 合法どころか間違いなく違法で、オルフェノク関連法案も決まっていない現状で、照夫のような子供でもオルフェノクであれば容赦なく殺す。

 長瀬が過激派の人間を何人かデルタで殺せば、確かに一時的には照夫の敵が減るだろう。

 その後、どうなるかは分からない。

 だが冴子は長瀬の中に、化物は殺さなければならないという認識と一緒に、その化物を無情に殺す人間への敵意もあるということを、しかと見抜いていた。

 

 これが影山冴子の流儀だ。

 彼女は暴力を嫌っているわけではないが、他者を誘惑・勧誘する時、その他者が自分から望んでその道を選ぶように誘導する。

 彼女は大抵の場合、強いない。

 強いずに誘う。

 相手が冴子の誘いに乗らずとも、その誘いは揺さぶりとして十分な効果をもたらすのだ。

 

「和解を拒む殺害者は殺すしかないのなら、人間の方も殺すべきでしょう?」

 

 冴子は長瀬から情報を引き出すため、そこに繋がる譲歩を引き出すため、長瀬の心のどこをつつけばいいのか、それを探り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長瀬は冴子の問いにはほとんど応えなかった。

 彼に深謀があったわけではないが、情報を吐き出す前の長瀬を冴子はそれで殺せなくなった。

 暴力で追い詰める方法もあったが、それは冴子の流儀にそぐわない。

 長瀬は冴子の携帯の電話番号だけ貰って、無事帰ることを許された。

 

「……クソが!」

 

 これが草加だったなら、あらゆる事情を無視して殺された可能性はある。

 つまり長瀬は、『今ここで殺さなくとも、いつでも殺せる弱い人間』だと思われてもいるということだ。

 デルタのベルトも、長瀬が使用者ならいつでも戦闘で奪えると思われている。

 だから取られなかった。

 デルタギア持ちの長瀬を無傷で返すリスクが小さく見られていたために、冴子の流儀を通す余裕があると、そう見られてしまったのだ。

 

 屈辱だった。

 遊ばれている気分だった。

 長瀬は憤慨する。

 帰宅してすぐ、長瀬は黙っている理由も無いので、変な誤解を生まない内に皆に一から十まで打ち明けた。

 

 ラッキークローバーの接触は、彼らに小さくない波紋を生んだようだ。

 

「人間とオルフェノクの、世界ごとの隔離作戦か」

 

 巧は何とも言えない顔をする。

 

「ちゅうか、オルフェノクっぽい考え方だわな。

 殺すにしても、世界で別れて住むにしても、目障りな人間消えろーって話だろ?」

 

 海堂は深刻に受け止めていないが、本質をかする言葉を口にしていた。

 

「僕はあまり肯定的には受け取れないな。

 根本的には和解も共存もできていないし……

 人間とオルフェノクの対立が、二度と戻れないほどに大きくなってしまう気がする。

 その時人は、自分達の中から生まれて来たオルフェノクを、殺さずにいられるんだろか」

 

 木場はラッキークローバーの主張だからか、かなり怪しんで受け止めている様子。

 共存を望む者から見れば、この主張はメリットよりもデメリットの方が大きく見えるのかもしれない。

 

「……いいことなんじゃないの?」

 

 照夫は単純に受け止めて、いいことなんじゃないかと言う。

 

「明らかに罠だな。長瀬、何かを知っていても奴らには絶対に言うんじゃないぞ」

 

 だが草加は、裏の裏まで怪しんでいた。

 

「草加、頼むぜ。

 俺はもうあのクソフェノク達に見下されて頭煮えてんだ。

 わっるいこと考えるのはお前の得意技だろ、頼むよ」

 

「君は俺のことを褒めているのか? 馬鹿にしてるのか?

 ……まあいい。簡単な話だ、南アフリカのホームランドを思い浮かべればいいだろう」

 

 草加以外の全員が同時に首を傾げた。

 

「……小学生の照夫はいいとしよう。

 長瀬も別世界の人間だ、そういうこともある。

 だが君達はどういうことかなぁ?

 まあ仕方ない。大学も行ってなさそうな乾。

 途中で折れた音大生の海堂に、数年寝てる内に成人した木場だ。

 世の中のことに対して不勉強なのは仕方ないよなぁ……ああ、仕方ない」

 

「お前は嫌味を混じえないと呼吸できないのか? カジキマグロみたいな奴だな」

 

 何故こいつは他人に悪口を言ってるのにこんな笑みを浮かべてんだ、と長瀬は呆れた。

 嫌いなオルフェノクに嫌味を言えるというだけで、草加がウキウキしているのが手に取るように理解できる。

 

「いいからとっととホームランドの説明してくれよ、草加」

 

「いいだろう。ホームランドは、南アフリカの人種差別政策だ。

 白人はそれまで共に生きていた黒人の家を破壊し、土地を奪った。

 そして良い土地は白人で独占し、痩せ細った土地に黒人を追い込んだ。

 荒野に急造の適当な家を建て、黒人を押し込んだ土地……これをホームランドと言う」

 

「うわ、ひっで」

 

祖国(ホームランド)という名前だが、実際は収容所さ。

 更に白人は、このホームランドを名目だけでも国家として独立させようとした。

 都市から追い出され、ホームランドに住んでるとはいえ、黒人の職場は都市内だ。

 この状況でホームランドが独立すればどうなると思う?

 黒人は全員外国労働者扱いで、国は人権も給料も保証しなくてよくなるのさ」

 

「うへぇ」

 

「大学に行けば、こんな歴史なんていくらでも学べる。その上で言うぞ」

 

 草加が実例を挙げてくれたお陰で、よく分かった。

 オルフェノクは数さえ増えれば、人間をよその世界に押し込んでおくことができる。

 貧しい世界を人間の収容所として使うことができる。

 そうなれば、オルフェノクは収容所(べつせかい)の人間達の中に時々発生する同族を収穫し、自分達の世界に歓迎することもできるだろう。

 

 発想を逆転させれば、この世界の社会をひっくり返せるだけのオルフェノクが確保できるまで、別世界にオルフェノクを逃しておくことも可能だ。

 冴子が彼に目を付けた理由がよく分かる。

 ここではない世界から来た長瀬裕樹は、人類二度目の失楽園(パラダイスロスト)を引き起こす禁断の木の実に成り得る者なのだ。

 

 オルフェノクという生物がライダーズギアの作成を引き起こしたように、異世界人という生物が何かの誕生を引き起こす可能性は十分にある。

 

「オルフェノクは自分達が人間より優れた生物だと思っている。

 なら、繰り返されるのは人種差別の歴史の再現だ。

 何せオルフェノクってやつは、人間の心を捨てたくせに、人間の醜さは持ってるんだから」

 

 草加の語る理屈の根本は、いつだって単純だ。

 

 要は、『食うか食われるか』。

 

「長瀬、奴らは君に腹の中を絶対に見せない。

 奴らは君に綺麗な言葉をいくつも聞かせてくるだろう。

 だが、これだけは忘れるな。

 『新天地の発見』においては、いつだって強い者が得をする。弱者は虐げられるものだ」

 

 食われるくらいなら食ってやれと、草加の目が長瀬に対し言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の夜に、オルフェノクが人を襲った。

 それを知った巧と木場がオルフェノクを倒しに動き、長瀬もそれに同行した。

 鳥獣型のオルフェノクは動きが速く、アクセルファイズと疾走態ホースオルフェノクに長瀬のデルタはついて行けず、置いて行かれてしまった。

 

「ちっくしょはえー……あの二人あの速度で動く体を制御できるとか、どういう頭してんだ」

 

 長瀬の頭と目では、アクセルフォームを仮に使えても使いこなせはしないのかもしれない。

 

「人が寄って来ねえように何かすっかな」

 

 オルフェノクを追いながら、オルフェノクとの戦いに人が巻き込まれないようにする。

 そう考え、変身を解除してひとまず長瀬は走り出す。

 ドスン、と音が鳴った。

 長瀬の足がピタリと止まる。

 彼の進行方向に、『人間の死体』が三人分投げ出されたからだ。

 

「一晩経ったわ。協力するか否か、改めて答えを聞かせて欲しいのだけど」

 

「! 影山、冴子……」

 

 闇の中から、冴子の声がする。

 人間の死体が灰となり、闇夜の下で吹き上がる。

 この人間達は、何の意味もなく殺された。

 

 これは"下手な答えを出せばお前もこうなる"という冴子からのメッセージ。

 人間の長瀬を脅すために、人間の死体を用意したという以上の意味は無い。

 まるで、手紙を書くのに費やされるペンのインクだ。

 メッセージを形にするためだけに殺されたこの人間達の命は、冴子にとってペンのインク程度の価値しかなかったのだろう。

 

「イエスかノーかあなたが言う前に、これだけは忠告しておくわね。

 ノーと答えれば、私達もあまりスマートじゃない方法を選ぶしかなくなる。

 イエスと答えればあなたに得があり、ノーと答えてもあなたに得は無いわ」

 

「損得で動いた覚えはねーな。テメエらに協力する気もねえ」

 

「あらそう。じゃ、少し物騒な手段を取らせてもらうとするわ」

 

 当然、そんな女の要求を長瀬が飲めるはずもない。

 闇の中から冴子が現れる………そう思っていた長瀬は、現れた大男を見て身構えた。

 

「チャコ」

 

 男の手の中から犬が飛び出し、物陰に逃げ出していく。

 長瀬より高い身長と纏う筋肉、生身の戦闘ならば決して敵うまい。

 されど二人の男の手には、超常の武器と超常の力が握られている。

 

「テメエ」

 

C'mon(来い)

 

 男の姿が変わる。

 長瀬もまた、デルタギアを起動した。

 

「変身」

 

《 Standing by 》

 

 男の巨躯は、凶悪な形相のクロコダイルオルフェノクへと変わる。

 長瀬もまた、狂気と呼ばれたデルタの銀の姿へと変わる。

 

《 Complete 》

 

「上等だオラ、泣いて謝っても許さねーからな!」

 

 二人は変身を完了すると同時に、互いの顔面に拳を叩き込んでいた。

 

「がっ……!」

「ガッ……!」

 

 クロコダイルオルフェノクの身長は216cm。

 身長が180cmもない長瀬が変身したデルタでは当然リーチ負けするが、長瀬は腕の長さが足りない分深く踏み込み、受けるダメージを増やしながらも敵の顔へと拳を届かせた。

 更にもう一発、互いの腹をぶん殴る。

 至近距離からの同時腹殴りは、腕力に勝るデルタの競り勝ちという結果に終わった。

 

「オラァ!」

 

 デルタの攻勢が始まる。

 両者共にパワーファイターであるがために、足を止めて真っ向から打ち合った結果、地力で勝るデルタが押し始めるのは必然の流れであった。

 

(やれる!)

 

 ライダーズギアの基礎出力は五段階あり、ギアごとに一つ設定されている。

 デルタの基礎出力は上から二つ目の銀クラス。ファイズが1000倍加速のため10秒間だけ使えるエネルギーを、常時安定して使えることになる。

 当然だが、これと殴り合える者はそうそう居ない。

 ラッキークローバーでも北崎以外は容易に力押しでイケるだろう。

 

 クロコダイルオルフェノクのスペックは、おそらく一番下の赤クラス(ファイズ)か、下から二番目の黄(カイザ)相当。

 デルタと殴り合いの合奏を吟ずれば、押し込まれるのは当然のことだ。

 

(おっと)

 

 が、長瀬は戦闘中にうっかり変なステップを踏んでしまう。

 冴子が投げ込んで来た人間の残骸(はい)を踏まないよう、変に足を動かしてしまったのだ。

 その隙を見逃さず、"人間だった灰を踏み躙って"踏み込んだJが、デルタの脇腹を強烈に殴る。

 

「ぐあっ!?」

 

 更に一発、もう一発と、クロコダイルは長瀬をタコ殴りにしていくが、長瀬は逆ギレ気味に殴り返す。

 柔らかな笑顔で犬を撫でるJの姿と、人間だった灰を踏み躙るクロコダイルの悪しき所業が、交互に脳裏に蘇って離れてくれない。

 

「てめーは犬に優しくできんのに、何で人間には優しくできねえんだァ!」

 

 無口なJは、ただ一言をもってこう答えた。

 

「犬ハ、人間ジャナイ」

 

「―――」

 

 この男にとって犬は友達だ。

 それが害されることは許せない。

 この男にとっての人間は、ごく普通の人間にとっての犬と同じだ。

 彼は人間を積極的に殺そうとは思わないが、必要に応じて殺すことはするし、殺したところで何も思いはしないだろう。

 

 Jは人間を憎んではいない。敵意も持っていない。怒りもなければ嫌ってもいない。

 犬をいじめていればその個人への怒りで殺す。頼まれれば罪の無い者も殺す。仕事で課された必要な殺人も淡々と行う。

 犬に向ける愛情を見れば、Jが愛情豊かで優しい者であることはひと目で分かるというのに……その優しさが、人間に一切向けられていない。

 

 これがオルフェノク。

 これがラッキークローバー。

 人の心を失い、大した憎悪や理由もなく人を殺し、人間との共存が不可能になった者。

 道を示す王無きまま、自分達で進む道を決めた怪物達の成れの果て。

 

「うおらァ!」

 

 デルタが長瀬の心を揺さぶり、長瀬の闘争本能の発動対象を少し広げた。

 唾棄すべき親だけでなく、人間の尊厳を踏み躙る怪物へと過激な闘争本能が向かう。

 殴る。

 闘争本能が高まる。

 蹴る。

 闘争本能が高まる。

 手刀を首に叩き込む。

 闘争本能が高まる。

 デルタは長瀬の心へ無尽蔵に熱を注いで、その心を魔道へ落とそうとしていた。

 

「くたばれクソがぁッ! チェック!」

 

《 Exceed Charge 》

 

 長瀬の音声入力で、スーツが銃へのエネルギーチャージを開始する。

 チャージ中も長瀬は構わず殴り、殴る蹴るでJを転がし、地に転がったクロコダイルを縫い止めるようにマーカーを撃った。

 ポインティングマーカーが触れぬままに敵を居抜き、動きを止める。

 

「Shit……!」

 

「おぅらッ!」

 

 長瀬はそこから、地面に触れるか触れないかという高さを横切る、超低空飛び蹴りをマーカーへと叩き込んだ。

 光、熱、毒。

 蹴り込まれた三角錐のエネルギーが、全てを用いて敵を内部から灼き尽くした。

 デルタの紋章が輝き、クロコダイルは燃え灰と化し……ラッキークローバーの一角は、そうして命を灰と散らした。

 

「へっ、ラッキークローバーといっても大したことねえな……」

 

 そこで一瞬油断してしまうから凡人なのだ、と長瀬に言ってくれる人は居なくて。

 クロコダイルにトドメを刺した瞬間の気の緩みを突いて、琢磨ことセンチピードオルフェノクが棘付き鞭を叩き込む。

 デルタの装甲、背中部分が薄く削れた。

 

「うがっ!? テメエ、琢磨!」

 

「君とは縁があるようだね。僕からすれば……君のような人間は、本当に嫌いなんだけどな!」

 

 速い。

 デルタの走力は100m5.7秒、つまり時速約60km。

 センチピードは高速移動能力を持ちその走力は時速200kmにも到達する。

 移動しながらの中距離戦を行えば、センチピードは速さでデルタを追い込めた。

 

「あら、私のことを忘れていないかしら?」

 

 更に冴子ことロブスターオルフェノクがが前衛として加わってくる。

 ラッキークローバー二体が相手では、流石に防御で手一杯で勝ちの目がまるで見えてこない。

 

(二対一……いや、これならまだセーフ!

 隙を見て乾さん達と合流すっか、連絡を取れれば―――)

 

 そうして、冴子の策は成る。

 琢磨、冴子という増援の出現で長瀬は狙い通りの場所に移動するよう誘導され、冴子の狙い通りの場所で立ち止まる。

 そんなデルタの後頭部を、『死んたはずのクロコダイルオルフェノク』が、両手を組んだアームハンマーで打ち抜いた。

 

「がっ……あっ……なん、で……」

 

「Mr.Jは三つの命を持っているんですよ、長瀬裕樹。

 彼は殺されて灰にされてもそこから蘇る。

 星を砕くような一撃でも、彼は二回までなら平然と突破するということです」

 

 そう、これこそがクロコダイルオルフェノクだけの固有能力。

 Jはただ一人、三つの命を持つオルフェノクだ。

 二回までならノーリスクで蘇生が可能、蘇生する度に力を増し、最終的に二段階の強化を経た最終形態へと至る。

 長瀬は一度殺しただけだ。

 Jはあと二回殺すまでは消えることもなく、一度殺されたことで先程よりも更に強化された肉体を得た。

 

 クロコダイルオルフェノク・剛強態。

 Jは変身が解除された長瀬からベルトをむしり取り、デルタギアを冴子に投げ渡した。

 空いた手を振り、長瀬の首を掴んで持ち上げる。

 

「ぐ……う……離せ……」

 

「王さえいらっしゃれば、要らないのよ、人間は」

 

 クロコダイルの指は長瀬の首に食い込み、その豪腕は長瀬が抵抗しても全く揺らぐ様子がない。

 苦しむ長瀬に、冴子は優しく囁いた。

 

「動物を愛するオルフェノクが人間を踏み躙ることに怒っていたわね、あなた。

 でもそんな不思議なことじゃないのよ。

 『人間がオルフェノクの敵だから』で殺す人も居る。

 でもね、『動物と自然とオルフェノクの世界に人間は要らない』って思う人も居る。

 よく考えてみなさい。この世界に他の動物を絶滅させようとする生物がいくつ居るの?」

 

 首が締まる。ゆえに苦しい。

 耳元に声。冴子の声だけが優しい。

 これは原始の洗脳手段だ。

 苦しみを与え、優しさを与え、朦朧とした意識のそこに『その優しさ』への依存心を埋め込む、人間の精神構造を利用した洗脳。

 

 冴子の言葉が、優しく心に染みていく。

 優しい声色なだけの毒が染みていく。

 人間への悪感情は、優しく偽装されていた。

 

「意図的に他の動物を絶滅させようとする生物なんて、人間だけよ。

 でもオルフェノクになれば……そんな人間の心を捨てることもできる。

 王を迎えたオルフェノクという種族は、まさに完全無欠よ。

 他の何にも脅かされないからこそ、他の何も脅かす必要はない。

 自分のために他の動物を絶滅させる人間なんていう旧種族は、もう要らないの」

 

 人への悪感情、オルフェノクへの理解を染み込ませる。

 怪物への嫌悪を削り、人間への嫌悪を上乗せしていく。

 両極の天秤を揺らす言葉を優しく迂遠に囁いて、少年の凡庸な心を惑わし堕とす。

 

「あなたにはもう、それに付き合う義理はないのよ。

 デルタの力があるでしょう? それで弱く醜い人間を殺していけばいいだけよ。

 あなたはもう強い。

 誰も見捨てなくていい。

 救えないものなんていない。

 オルフェノクも人間も、守りたいように守って、殺したいように殺していいの」

 

 そっと、冴子は長瀬の頬に手を添えて。

 

「最後の誘いよ。私の手を取りなさい」

 

「自分の歳考えろよ、オバサン」

 

 長瀬は自分の中にある反抗期パワーを総動員し、ハートの中のひねくれ部分を全て使って、冴子の手を叩き落とした。

 長瀬裕樹という凡人が発した、最後の男の意地である。

 

「高校生を誘惑すんなら、若くなってから出直してこいや!」

 

「そう……なら、もういいわ」

 

 意識が朦朧とするまで追い込んで、優しい声色を染み込ませ、心を誘導する。独裁国家の類の洗脳手段として、歴史上何度も使われてきた手だ。

 冴子が何度も成功してきた手なのだろう。

 だが、だからこそ、それを跳ね除けた長瀬はたいそう癇に障ったらしい。

 

 冴子は暖かな微笑みを消し、冷たい殺意を顔に浮かべた。

 彼女の表情の変化に応じ、クロコダイルが長瀬の首を強く締める。

 息は止まり、脳に血液が行かなくなり、首の肉と骨が軋みをあげた。

 

(死に、たくねえ……いや、違う)

 

 首から伝う死の実感。

 絞首刑の際、人間が意識を失うまでの時間は10秒とない。

 5秒から8秒で大抵の者は意識を失う。

 その数秒が、人生を振り返る走馬灯によって長く長く引き伸ばされる。

 

 長瀬の記憶が、一つ一つ蘇っていく。

 自分を愛してくれない、生まれたことを祝福してくれない両親。

 怪物に心臓を食われる人間。

 千翼に殺される怪物。

 デルタになった自分の前で殺された千尋。

 千翼のせいで怪物になった親友と、それに食われるもう一人の親友、助けてという声。

 ゴミのように撒き散らされた人間の残骸。

 冬空の下、佇む水澤悠。

 手を繋ぐ、千翼とイユ。恋で繋がった少年少女。

 

 想い出の中の死が、長瀬の生死観のケツを蹴り上げる。

 

(『生きたい』。ここで終わりたくねえから、まだやりてえことがあるから……生きたい!)

 

 死に直面し、長瀬は理解した。

 死の際に追いつめられた人間が、死にたくないと思う領域を突破し、生きたいと思うようになる心境を。その境地を。

 千翼(なかま)の気持ちを、長瀬は今本当の意味で理解した。

 

(お前もこんな気持ちだったのかよ……千翼ぉ……!)

 

 死に瀕してようやく得られた共感と共に、長瀬はどこか納得して、そこにある死を認識し――

 

 

 

 

 

―――全部、俺のせいなんだ。母さんのことも、イユが怪物(アマゾン)になったのも……

 

―――ケンタとタクが……あんなことになったのも、全部……

 

―――それでも……俺は、腹が減るし、食べたいし、生きたいって思ってる

 

―――イユと、もっと一緒に居たいってっ……!

 

 

 

 

 

 ――千翼の言葉を、思い出した。

 

 諸悪の根源(だいじななかま)の嘆きを、思い出した。

 

「……お」

 

 意識の断絶? 心の拳で殴り飛ばした。

 迫る死? 心の足で蹴り飛ばした。

 気合い、気合いだ。全ては気合いで跳ね除ける。

 首を絞められ5秒で気絶しそうなところを、長瀬は倍の10秒にまで引き伸ばした。

 

「おおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 その五秒で、長瀬はクロコダイルの顔を掴み返す。

 

「生きるんだよ、俺はッ! あいつの分まで、あいつらの分までッ!」

 

 だが、足りない。彼の握力だけでは何もできない。彼はただの人間だから。

 

「生きたかった千翼の分まで! 生きたかったイユの分まで!

 生きたくても生きられなかったあいつらの分まで!

 イユに恋した千翼が、生きたいって望んで……でも、生きられなかったから、俺はッ!」

 

 されどその意志は、奇跡ではなく必然の事象を引き込んだ。

 

 クロコダイルの顔を掴んでいた長瀬の手から、赤雷が放たれた。

 密着状態からの赤雷はクロコダイルの顔面を焼き、眼球に通電させ、強烈な痛みを発生させる。

 

「デルタの、赤い雷!? デルタギアがアイツの肉体に適合し、雷の異能を……!?」

 

 ある程度の適合をすれば、デルタギアは持ち主がいかな凡人であろうと異能を与える。

 それはオルフェノクと比べれば微々たるものだが、どんな者でも得られる異能だ。

 長瀬に力を与える銀の魔具、その名はデルタギア。

 装着者の心に試練を与え、装着者の心を試す呪いのベルトである。

 

 長瀬は驚く冴子の心の隙を突き、その手の中からデルタギアを奪い返す。

 

「千翼も、イユも! ……俺の中で、まだ生きてる!

 俺の心の中にしか、もう生きてねえ!

 生きたいって願ったアイツを……ほんの少しでも、俺の中で生かしてやるために!

 俺は生きる! 少しでも長く生きる!

 何の役にも立たねえクソダッセエ俺が、ほんのちょっとでも、あいつの夢を叶えるんだよ!」

 

 何の夢も無くただなんとなく稼げるからと動画投稿者なんてものをやっていた、そんな長瀬が、生きたいという夢を見ていた千翼を見て抱いた夢。

 千翼の夢は、夢が覚めて彼の命と共に終わっても、未だ長瀬と共にある。

 

「あいつと同じで、生きることが―――俺の夢だぁッ!!」

 

 死を見て来たから、死にたくない。

 生きたかった奴の分まで、精一杯今を生きる。

 永遠には生きられなくても、全ての障害を越えて生き続けるのが彼の夢。

 

「俺が生きてる今日は、あいつらが生きたかった明日なんだッ!」

 

 笑ってしまいそうなくらいに頭の悪い、熱い罪悪感(ゆうじょう)の夢だった。

 

「頭が悪いわね。死にたくないのなら、この状況では頭を下げて命乞いをするべきよ」

 

「バカかよオバサン。

 俺は死にたくねえんじゃねえ、生きたいんだ。

 死なないための選択じゃなく、生きるための選択をしてきた千翼みたいにな」

 

「チヒロ……?」

 

 "死にたくない"の究極系が『何をしてでも死にたくない』であるならば、"生きたい"の究極系は『こういう風に生きていたい』だ。

 生きたいと決めた。

 なら、もう生き方を曲げることはない。

 

「来いやラッキークローバー。てめえらまとめて狩ってやる!」

 

「ふん、無様な虚勢ですね」

 

「あ? ビビってんのか琢磨? ん?」

 

「……その安い挑発、後悔させてあげましょう」

 

 歩み寄ってくる三人のラッキークローバー。

 彼らは死を与えることで、生きたいという長瀬の夢を折ろうとしている。

 長瀬がデルタギアを装着し、起動させようとしたその時、その両肩に手が乗せられた。

 

「お前の夢、確かに聞いたぜ」

 

 長瀬が首を右後ろに傾ける。そこには、乾巧が居た。

 長瀬が首を左後ろに傾ける。そこには、木場勇治が居た。

 

「そいつは、時々すっげえ切なくなるが、時々すっげえ熱くなるんだよな」

 

「夢は絶やせば呪いになる。彼らがやろうとしていることは、許せない」

 

「二人とも……」

 

 頼れる仲間が二人加わり、これで三対三の構図。

 加わったのは二人だけだが、長瀬にとっては二万人の味方が来てくれた以上に、心強い援軍だった。

 

「助かったぜ、乾さん」

 

「仲間の命くらい守ってやらねえと、何のために仲間やってんのか分からねえだろ?」

 

 巧の腰にファイズギアが巻かれる。

 

「君の夢を、僕達に守らせてくれ」

 

 木場の顔に、うっすらとオルフェノクの意匠が浮かぶ。

 

「……ああ!」

 

 二億人の援軍よりも、ずっとずっと心強かった。

 

「「 変身! 」」

 

 巧はファイズに。長瀬はデルタに。木場はホースオルフェノクに。

 それぞれ変わって、眼前の敵に殴りかかっていく。

 巧は冴子に。長瀬はJに。木場は琢磨に。

 戦いの組み合わせが、分かりやすく三つに分かたれた。

 

「……チャコヲ預カッテクレテ、Thank you. コレデ、因縁ハ終ワリ」

 

「それで終わりにできちまうんだよな、お前は!」

 

 デルタの拳が、クロコダイルを殴……ろうとして、届かず逆に殴り倒される。

 

「ぐあっ!」

 

 クロコダイルオルフェノクは、一度死んで進化した。

 剛強態となったクロコダイルは戦闘力が1.5倍に増強され、死ぬ前とは違い武器の生成能力を獲得している。

 ワニの口を模した奇形武器は一種の長物であり、デルタの拳を届かせないのだ。

 

(デルタの武装は銃しかねえ!)

 

 長瀬はデルタギアに触れ、歯噛みする。

 彼には与り知らぬことだが、デルタギアは最初期型のライダーズギアだ。

 そのため拡張性がなく、武装も少ない。

 ファイズやカイザのようにブレードユニットやパンチングユニットを備えていないため、こうした武器持ちとの接近戦がやや不利になってしまうのだ。

 

 長瀬は舌打ちし、後ろに跳んで銃を撃つ。

 デルタの高い火力はクロコダイルの身を削ったが、クロコダイルの硬い表皮はまるで死に至る様子がない。

 センチピードかロブスターなら、これで仕留められそうなものなのに。

 

「クソッ」

 

 銃撃の嵐をダメージ覚悟で突っ込んで来るクロコダイル。

 デルタは銃を収めて拳を構えるが、その時すっ飛んできたセンチピードの棘付き鞭が、クロコダイルの側頭部を強打した。

 

「グッ!?」

 

「!」

 

「す、すみませんMr.J! 木場、貴様!」

 

 琢磨が振るうセンチピードの鞭を、木場が剣で弾いてクロコダイルにぶつけたのだ。

 これはタイマンが三つある、という類の戦いではない。

 近くには仲間が居てくれる。

 ピンチには仲間が助けてくれる。

 そういう類の戦いなのだ。

 

「うおおおおおおおッ!!」

 

 助走をつけ、長瀬は胴体をぶち抜くつもりで全力の右ストレートを叩き込んだ。

 クロコダイルは武器を盾にして防いだが、強烈な一撃に手が痺れてしまう。

 長瀬は距離を取っての銃撃戦を性に合わないと切って捨て、武装数で不利になる近接戦をあえて選択。距離を詰めての拳のラッシュを選択した。

 

 デルタギアが、長瀬の闘争本能を引き上げていく。

 クロコダイルの反撃の痛みもあるはずなのに、長瀬は昂ぶる闘争心でそれを凌駕し、腰の引けた様子がまるでない。

 長瀬はデルタギアに闘争本能機能(デモンズ・スレート)を実装した開発者の意図を、今この瞬間に正しく体現していた。

 

 そも、闘争本能とは何か?

 多くの動物には何故そんなものが生まれつき備わっているのか?

 それは、戦うためだ。食うためだ。守るためだ。

 自分を食おうとする敵を倒し、生きるために敵を殺し食い、大切なものをあらゆるものから守るために、闘争本能は多くの生物に備わっている。

 

 デルタギアは、それを引き出す。

 ギアへの依存症、凶暴性の常態化、心への悪影響など心弱い者が起こす不具合に過ぎない。

 この機能が持つ真の価値は、獣の強さを人の理性が従えることが可能であるという一点にある。

 

(乾さんが、木場が来てくれたんだ。

 ダッセェ姿は見せられねえ。逆に守ってやるくらいの気概で行かなきゃ、届かねえ!)

 

 奇しくも長瀬の戦闘スタイルは、長瀬の世界で長瀬が幾度となく見て来た、獣の肉体を人の心で制御するというものに成り始めていた。

 千翼のスタイルを、彼は無自覚に真似していた。

 彼にその自覚が無いのは、千翼は剣を好んで使い銃は使わなかったが、デルタには剣がなく銃がメインウェポンだからだろう。

 

 長瀬がそう言った通り、千翼はまだ彼の中で生きている。生き続けている。

 長瀬の命が、続く限りは。

 

「ヅゥ」

 

「こいつで、トドメだ!」

 

 長瀬はミッションメモリーを銃に装填、クロコダイルを蹴り倒し、必殺技を使用可能になった銃口を向ける。

 殴って弱らせてから、隙のある必殺技を撃ってトドメ、となるはずだった。

 長瀬はそうしていると思っていた。

 

 だが、それは全て戦闘巧者の誘導でしかない。

 長瀬がエネルギーを充填した銃を前に向けた瞬間、クロコダイルが武器を投げた。

 そして投げたと同時に跳躍する。

 そう、クロコダイルは殴り合いの最中わざと弱ったふりをして、長瀬が迂闊に銃を構える瞬間を引き出したのだ。

 

(こいつ、まだ余力を―――!?)

 

 このままでは、クロコダイルの武器が銃に当たり、銃を取り落としてしまう。

 デルタの必殺技は銃にしかセットされていない。

 決め手を失えば、あとはデルタのエネルギーが切れるまでジリ貧だ。

 クロコダイルの武器が迫り、その後ろに迫り来るクロコダイルも見え、どうすると長瀬が思考した瞬間―――ファイズがぶん投げた剣が、横合いからクロコダイルの武器に衝突、叩き落とした。

 

「っ!」

 

 自分も冴子と戦っている最中だろうに。

 長瀬はそちらを見ることもなく感謝して、必殺のマーカーを発射する。

 

「サンキュー、助かった!」

 

 ファイズの横槍を予想もしていなかったクロコダイルの胸部を、マーカーと共にデルタの飛び蹴りがぶち抜いた。

 

「Oh……shit……!」

 

「悪いな、今日のところは……俺達の連携の勝ちってことに、しといてくれ!」

 

 クロコダイルオルフェノク、二度目の死。

 これで残るは最後の命ただ一つ。

 最終形態・凶暴態へと至ったクロコダイルオルフェノクが、デルタを睨んだ。

 

「Mr.J、琢磨君、撤退よ。これ以上の戦いは村上君が許さないわ」

 

 だが、先程の一発が閉幕の一撃となったらしい。

 流れが悪いと判断した冴子の指示で、ラッキークローバー達は闇夜に消えていく。

 冴子は冷たい殺意を長瀬に向け、Jは小さな犬を抱きかかえ愛おしそうにその頭を撫で、琢磨は長瀬を忌々しそうに睨み、姿を消していった。

 

「……」

 

 デルタの拳を握り、長瀬は冴子の言葉を思い出す。

 

―――意図的に他の動物を絶滅させる生物なんて、人間だけよ

 

 ああ、そうなのだろう。

 オルフェノクを絶滅させようと考えるのは人間だけで、人間を絶滅させるとすればオルフェノクしか居ないだろう。

 "アイツを滅ぼさないと俺達が滅ぼされる"という合意に似た理解がこの二種族間にある限り、もうその関係性はどうしようもない。

 

 長瀬とて、蚊を絶滅させたいと思ったことはある。

 草加は、叶うならオルフェノクを絶滅させたいと思っている。

 アマゾンという怪物もまた、人間の手で絶滅しかけたことがある。

 人間は、自分達を脅かす獣を絶滅させたいと、自然に思うものなのだろうか。

 

「……当たり前だろ、って言う奴、いっぱい居ると思うぜ」

 

 思うものなのだと、少なくとも長瀬は思っている。

 

 オルフェノクも、アマゾンも、どちらもどうしようもないくらい『怪物』で、『人間』で。

 

 人類を絶滅させかねない怪物にはどれほどの罪があるのかを、長瀬は自分の心に問いかけた。

 

 

 




 人食いの化物が、尊い人の命を脅かすからこそ罪深いとするならば、『尊い人の命』とやらが世界からなくなった時、その化物は罪深い存在ではなくなるのか
 人の命を尊いと言う人類が消え去った世界で、人の命は尊いという概念は世界に残るのか

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