生まれたことが消えない罪というなら、俺が背負ってやる   作:ルシエド

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 オルフェノクは書籍によっては
『星の外敵と戦うため生まれて来た者』
『地球の意志が人と競わせ、人を進化させるために生み出した』
『地球の動植物を記録した一種のノアの方舟』
 であると語られていたりします。
 じゃあ幻想にしか存在しないドラゴンを模したオルフェノクって、地球意志すら予想できなかったイレギュラーか、"人類の幻想をモデルにしたオルフェノク"かのどっちかなのかもしれないんですよね……


彷徨える魂

 世の中、程良く不真面目に生きている人間が最もタフだ。

 シビアな環境では大抵の場合、物事を真面目に考えすぎる人間より、そうでない人間の方がタフに生き残るものである。

 人間だオルフェノクだ、と苦悩する者も居れば、そうでない者も居る。

 

 案の定、オルフェノクの能力を金で売る集団が生まれ始めた。

 定職についていないオルフェノクの若者の集まりが警備事業を始めたり、紛争地帯でオルフェノクの仲間を抱える傭兵が名を売り始める、などのことが起き始めていた。

 オルフェノクの襲撃や犯罪は、オルフェノクの味方でしか防げない。

 商売になるのは当然の流れであった。

 他にも開き直ったオルフェノクがアメリカで銀行強盗を行い、良心からそれを止めたオルフェノクが居て、地元警察に感謝状を送られ……と、まあ、事例は枚挙に暇がない。

 

 世界は大きなうねりの中にあった。

 オルフェノクと人間の間には、対立に発展しうる緊張が生まれている。

 だがそれでも、オルフェノク達に統一された意志など、存在しようはずもなかった。

 協調の総意も敵対の総意も、彼らの中には無かったのである。

 

「オルフェノク、なんでこんなまとまりがねえんだろうな」

 

 長瀬はテレビでオルフェノクに関する良い話、悪い話、面白いニュースから嫌になるニュースまで色々と見て、朝飯を食べている巧に話を振った。

 巧は味噌汁をふーふーしている。

 "乾巧が猫舌だ"ということは、新参の長瀬ですら知っている周知の事実だ。

 そのためか、熱い味噌汁が出た朝飯を、まだ巧だけが食べきっていなかった。

 

「まとめる人間が居ないからだろ」

 

 よく冷ました味噌汁を巧がすする。

 巧は一匹狼気質のくせに――あるいは一匹狼気質だからか――今のオルフェノクが一丸となっていない、まとまりのない状況の理由を、なにがなしに理解していた。

 

「俺や木場からしてオルフェノクはこう、人間のコミュニティから微妙に浮いてるだろ?」

 

「まあ……そだな」

 

「結局『オルフェノク』って括りで引っ張っていく奴が居ない。

 リーダーが居ないからまとまりがない。普通の話だ。

 現にリーダーがあって組織があるスマートブレインはそれなりにまとまってんだろ」

 

「あ、確かに」

 

「組織ってのはな、最終的にリーダーシップに相応なもんになる。

 良いリーダーが所属している集団は勝手に膨らむ。

 デカい集団に悪いリーダーが就任すると組織は瓦解して、リーダーに相応の小ささになる」

 

「カリスマ無いリーダーには大勢がついて行かねえし、反乱も起こすしな。

 乾さんは知らねえ奴だが、俺の世界にも武装蜂起された路地裏不良ヘッドとか居たわ」

 

「お前絵に描いたような不良少年してんな……」

 

 人類史が何千年・何万年あったかは定かでないが、その間一度もオルフェノクは地上の覇権を取っていない。それはそのまま、"オルフェノクの王が現れたことがない"という証明になる。

 オルフェノクが一丸となって人類の駆逐に成功したことはまだ一度もない。

 一丸になれたことがそもそもない。

 今、人間を守るオルフェノクが一定数居ることからもそれは明白だろう。

 

 今のオルフェノク達は、王無き烏合の衆なのだ。

 

「あ、乾さん、昨日の木場がテレビ映ってるぜ」

 

「お、マジかよ。録画しようぜ録画」

 

「え? 臭いセリフ言ってたら記録しといて後で軽くからかおうって? 乾さんも人が悪ぃ……」

 

「そこまで言ってねえよ」

 

 準ハッタリヤンキーな二人がたくあんをかじりながら、二人きりでテレビ画面の木場を眺め始めた。

 

『皆様、これは現実の出来事です! ご覧ください!

 馬のオルフェノクが、一人で複数のオルフェノクを相手取っています!』

 

『皆逃げて! テレビの人も、早く! 俺一人じゃ、抑えきれないんだ!』

 

『ありがとう親切なお馬さん……!』

『クソ、近寄んなクソ馬!

 お前もどうせ油断させて人間襲おうとしてるんだろ!

 俺はてめえの演技なんかに騙されねえからな! ざまあみろ!』

『ハッ、まさかこの人が私が待ち望んでいた白馬の王子様……?』

 

 数体のオルフェノクを敵に回しても、木場は互角に戦えている。

 逃げ惑う市民、撮影に励むテレビの人間、その全てを守りながら、である。

 木場を罵る者、木場に感謝する者。

 木場を信じる者、木場を信じない者。

 木場に何の迷惑もかけない者から、この場を撮影のため動かない者、あるいは腰が抜けて動けずに木場に迷惑をかけてしまう者まで、多様な人間全てを、木場は守り抜いていた。

 

「木場、いいやつだな」

 

「俺も乾さんも、こう、赤の他人にこっ恥ずかしい善意のセリフ言うと照れ入るしな」

 

「あいつに照れはねえのか」

 

「心はあるんじゃね?

 乾さんと違って、ほら……木場は人間の悪いところ超嫌悪してるしさ」

 

 テレビ画面の中で、木場が自分を罵倒する人間を庇って敵の攻撃を受けてしまう。

 

『近寄るな馬の化物! お前になんか触られたくないんだよ!』

 

『……っ! あなたがオルフェノクである俺を嫌ってもいい。

 俺のことを恐れてもいい。でも、生きて欲しい。

 嫌いで嫌いで仕方なくても、今は俺の願いを聞いてくれ! 生きて欲しいんだ!』

 

『―――っ』

 

 言葉に詰まった木場に敵対的な人間を、テレビ局の人が無理やり手を引き、避難させていた。

 

「あれ素で言ってんだぜ、木場」

「あれを素で言えるから木場なんだと俺は思うんだよ、乾さん」

 

 巧は自分が他人を裏切ってしまうことを恐れる人間で、木場は他人が自分を裏切ることを恐れる人間である。

 だからこそ巧は一匹狼で、人と関わることを進んでしない性情になったのだが、木場はむしろそこから人に関わる自分を――人を守る自分を――選んだ。

 

 それは脆くとも尊い意志で、儚くも勇気のある決断だった。

 

「しかしアレだな、木場と草加が同じことで喜んでるの面白いと思わないか、長瀬」

 

「おいおい、そんなの同意するしかねえじゃねえか乾さん」

 

 テレビの中で木場が敵オルフェノクを撃退し、人々から賞賛と批判の両方を浴びせかけられる。 木場は人々の声から逃げるように駆け出し、そこで記録映像の放映は終わり、テレビ画面はスタジオに戻された。

 こういった光景がそこかしこにあるのが今の日本だ。

 現在の日本の形に対し、木場と草加は正反対の思考で、同様に喜びの感情を抱いていた。

 

 草加はこの流れで、人間が一丸となりオルフェノクの排除に動くと考えていた。

 草加は人間が排他的で、性格が悪く、自分よりも優れた生物種を許せず、オルフェノクの危険性を無視できないはずだと考えていたからだ。

 何故なら、自分がそういう人間だからである。

 

 木場はこの流れで、人間がオルフェノクを徐々に受け入れてくれると考えていた。

 木場は人間がある程度の寛容さを持ち、人とオルフェノクの差もいずれは受け入れられ、話し合うことで分かり合えると考えていたからだ。

 何故なら、自分がそういう人間だからである。

 

 だから、草加と木場は正反対の信念と目的を持っているくせに、このあやふやな世界情勢を同様に喜んでいた。

 

「ちょっと笑うな。真理と啓太郎が居たら変な顔しそうだ」

 

「俺の世界だったら『草加生えるわ』とか動画にコメントされてそうだ」

 

「ネットスラングか? 世界が違うんだから分かるように話せよ」

 

「悪ぃ」

 

 巧と長瀬がたくあんをかじる。

 今この隠れ家には巧・長瀬・照夫しか居ないが、草加と木場が居たらどうなっていたことやら。

 

「この流れでオルフェノクと人間の戦争が始まる、って草加は思ってる。

 オルフェノクと人間は和解できる、って木場は思ってる。

 だけどよ、なんか……

 人間と人間の戦い、オルフェノクとオルフェノクの戦いが同時に始まってる気がしねえか?」

 

「……かもしれねえけど、それも乾さんのただの予想だろ?」

 

「まあな」

 

 "何でオルフェノクの危険性が分からないんだ"と他の人間を憎んでいる人間が居る。

 "何故同じ人間であるのに寛容になれないんだ"と他の人間を憎んでいる人間が居る。

 "好き勝手生きて何が悪い"と人の心を失ったオルフェノクが言う。

 "人の心を失ったオルフェノクは殺す以外にない"と人の心持つオルフェノクが言う。

 

 皆が皆、主張はバラバラ、陣営もバラバラ。

 長瀬は個々人の主張を頭の中で整理している内に、ふと気付く。

 "ああ、こりゃスマートブレインが都合のいい流れ作ってんのかな?"と。

 少なくとも、オルフェノクの迫害はしばらく始まりそうになかった。

 

「お、メールだ。長瀬、こっち来い」

 

「どっすか皆の状況は」

 

「海堂は排気口から怪しい施設に侵入。

 草加は何か見つけたが夕方に帰ってから話するってよ。

 木場は……ちょっと暴れてるオルフェノクを見つけて、手間取っちまったらしい」

 

「妙なものを見つけた、って情報がいくつもの場所で見つかると厄介だよなー。

 俺達の最大の弱点は、片手で数えられるくらいしか仲間がいないってことだろうよ」

 

 数日前、長瀬の手元にテレビ局から情報が届いた。

 曰く、視聴者からの通報で、スマートブレインが一部施設に厳重に警備された何かを運び込み、深夜には警察と銃撃戦を行っていた、というのだ。

 それも関東の複数箇所で。

 

 何かが起きている、何かが起こされようとしている、そんな気配がある。

 けれどそれが何かが分からない。

 長瀬達は探りを入れることを決め、照夫の護衛担当と調査担当を分担し、調査担当の木場・草加・海堂がこっそりとスマートブレインの施設に探りを入れていた。

 

 人間の情報提供者がくれた情報には草加が対応。

 オルフェノクの情報提供者がくれた情報には木場が対応。

 匿名の情報提供者がくれた情報には、狭い場所に入ってこっそり確認できる海堂が対応。

 警察やスマートブレインの罠の可能性も考慮し、ちょっとでも何かを感じたら即時全員撤退という前提での行動である。

 

「長瀬、勘でいい。今回のこれはどういうことだと思う?」

 

「25%の確率で、俺らを施設に誘き寄せて叩く罠。

 25%の確率で、俺らを分断してから叩く罠。

 残る五割は本当に何かが始まってて、俺達が何も知れてないっていう可能性だな」

 

「そんなもんか」

 

 罠の可能性も考慮して、照夫の警護に付いていた長瀬と巧。

 巧は慣れた様子だが、長瀬は仲間が敵の罠にかかっていないか、仲間が少ないこのタイミングで敵が攻めて来ないか、色々と心配で気が気でない。

 長瀬が頭を掻いていると、寝ぼけまなこの照夫が遅めに起床してくる。

 その頃には巧も味噌汁を飲み終わっていた。

 

「おあよー……」

 

「寝坊助野郎め。お前今何時だと思ってんだ」

 

「うっさいばーか……ヒロキのばーか……」

 

「うわすっげえ眠そうな声。顔洗ってこい顔」

 

「そうする……」

 

 むにゃむにゃと、照夫がキッチンの水道で顔を洗い始める。

 巧はテレビを見ていたが、ふと顔を横に向け、席を立ち窓の外を覗き始めた。

 

「長瀬、お客さんだ」

 

「! スマートブレインか? 警察か?」

 

「……中学生の女の子に見えるな。同行者は、今のところ居ないように見える」

 

「女の子? それなら敵じゃない……いや、オルフェノクなら、子供でも脅威か」

 

 隠れ家に、女の子が近付いてくる。

 長瀬は女の子が隠れ家の入り口を視界に入れる前に、ドアを半開きにした。

 女の子は隠れ家のインターホンを鳴らし、ドアが半開きになっているのを見て、少し悩んだようだが意を決して恐る恐る家へと入る。

 

 長瀬はその子の背後から首を極め、耳元でデルタの雷撃をバチッと鳴らした。

 首という急所に腕を回され、耳元の電気音からスタンガンの類を連想したのか、女の子の姿勢が硬くなった。

 

「動くな」

 

「わひゃっ」

 

「何が目的だ? ここがどこだか分かってんのか?」

 

「分かってます、分かってますよ! オルフェノクの王様に会いに来たんです!」

 

 オルフェノクの王。

 それは、まだ一般には広く知られていないし、長瀬もテレビに教えていない存在だ。

 それを知っているという時点で、なんらかの警察組織かオルフェノクの関係者であることは、語るまでもなく明白である。

 

「私の父が警察の関係者で、王様の隠れてる地域候補のリストってのがあって!

 それを頼りに私が個人的に調べてたら、偶然見つかったんです! 本当です!」

 

「本当だな?」

 

「それにほら、私オルフェノクですから!

 王様って言うなら、オルフェノクの味方なんですよね!? 私も王様の味方ですよ!」

 

「……何?」

 

 自分がオルフェノクであることを名乗る?

 警察関係者の身内のくせにオルフェノク?

 いや、そもそもの話、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「私王様に、殺して欲しくてここに来たんです!」

 

 オルフェノクの王の敵ではなく、王を利用しようとする者でもなく、王の守護者でもなく。

 

 例えるならば、王に捧げられる人柱として、彼女は照夫の前に現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は、ショウリョウバッタのオルフェノクであった。名をエミリと言う。

 

「エミリ。エミリって呼んで。私の名前はそれだけ覚えてればいいよ、王様」

 

「う、うん」

 

「しかしちっちゃいね、王様」

 

「うっ……ば、バーカ!」

 

「うーん、外見的にも精神的にも小学生かぁ……いや私も二年前までは小学生だったけど」

 

 中学生女子が小学生男子の頭を撫でている光景は、なんというか微笑ましい。

 両方オルフェノクなのだが、まあそれは置いておこう。

 

 エミリは今難しい立ち位置に居る己の身の上を語った。

 彼女は警察の、それも話に聞く限りではオルフェノクに対応する機関のメンバーの娘である。

 現在、警察は全体の指針としては犯罪を犯したオルフェノクのみを攻撃している。オルフェノクに対する対応も、人間の犯罪者に対応するマニュアルの流用だ。

 だが、秘密機関の方は違う。

 こちらは真っ昼間から銃をぶっ放し、罪がなくともオルフェノクは確保し、法の範疇をぶっちぎってオルフェノクの人体実験を行っていた。

 

 半ば国や警察の制御を外れている過激派なのだ、この機関は。

 当然メンバーの娘がオルフェノクとなったなら、そこに問題が発生する。

 

(わたし)がオルフェノクだと発覚したら、すぐ大変な事になります。そういうルールなんです」

 

 メンバーである父が異動、免職になる程度なら良い。

 娘を実験材料として誘拐される程度ならまだ平均的。

 最悪、父を人質にして娘が逃げられないようにするくらいはするだろう。

 過激派は、そのくらいはする。

 彼らのオルフェノクに対する攻撃性は本物だ。

 

「その前に、私は死んでおかないと……

 お父さんに迷惑がかかるか、最悪お父さんが罪悪感で自殺しちゃう可能性だって……」

 

 で、あるからして、娘が死を選ぶのはさして変なことでもない。

 献身的で痛ましい慈愛の心、家族を愛する娘の心が、話を聞いていた彼らの胸を打つ。

 だが長瀬は、その言葉を額面通りには受け取れなかった。

 

「本当にそうか?」

 

「え?」

 

「人間がそんな簡単に死を選べるわけがねえ。

 適当に自分の命を捨てられるわけがねえ。

 死を選べたとしても、ちっとは不安や恐怖があるはずだ。

 お前はなんというか……死にたいから死のうとしてる、ように見える」

 

 長瀬に人並み以上の観察力があるから気付けたのか? いや、違う。

 "それだけを理由に生きることを諦められるわけがない"という決めつけ、"生はそんな簡単に諦められるものであって欲しくない"という願望。

 その二つが、長瀬にエミリの言葉を疑わせた。

 運が良いのか悪いのか、その洞察は正解だった。

 

「……うん。

 私、死んじゃいたいんだ。

 人の命は一個しかないから良いもので、蘇るのは何か、違うと思うんだ。それが私の命でも」

 

 エミリは語るつもりがなかった内心を、長瀬の追求によってついつい漏らしてしまう。

 

「私は生きていたくない。

 でもこのまま、何もなく、無為に死にたくなかった。何か意味が欲しかった」

 

「……お前、王に()()()()()()()のか。

 意味のある死が何か考えて、それで出した答えがそれか」

 

「意味のある生も要らない。意味のない死も要らない。

 ただ、ちゃんと終わりたいの。

 他のオルフェノクがどうか知らないけど、私はこの醜い延長戦をちゃんと終わらせたい」

 

 この少女にとって、オルフェノクとして生きている今の自分は、ゾンビにしか見えなかった。

 

「随分スレてるというか、達観してんな。第二の人生楽しんだっていいだろうに」

 

「『死んで』心がどこも壊れない人って、それだけで特別じゃないかな」

 

「……」

 

「私は特別じゃなかった。特別な存在で居たいとも思わない。嫌なの、今の自分の生が」

 

 少女は苦悩していない。

 少女は迷ってすらいない。

 一度確かな死を迎え、オルフェノクとして蘇った彼女は『それはない』と確固たる想いを抱き、今の自分の生を否定するようになった。

 そしてオルフェノクの王様に会うことで、何か意味のある死を求めたのだ。

 

 意味なく死にたくない。

 誰かの死を意味のないものにしたくない。

 皆の死が意味のあるものだと信じたい。

 そういう風に、『無価値な死』を否定したがる人間は一定数居る。

 巧や、長瀬や、エミリがまさにそれだった。

 

「生きていたくないのか」

 

「はい、私はそーです。

 どうしてもというなら、意味ある死の方は妥協して諦めます。

 でも生きてるのはやだな。私気分的には、老衰死直前の老人みたいなものだから」

 

「殺して欲しいのか?」

 

「できれば意味ある形でね」

 

 生きるか死ぬかを選ぶことはない。

 死ぬことだけはもう決めているから、彼女はどう死ぬかだけを選ぶのだ。

 照夫はそんな彼女の願いを、猛烈に拒絶した。

 

「……や、やだよ。僕は、オルフェノクなんて食べない。人間も殺さない」

 

「私は人間判定? オルフェノク判定?」

 

「どっちでも殺したりしない。

 僕は……人間の仲間も、オルフェノクの仲間も居るんだ」

 

 照夫は長瀬と巧の服の裾を掴んで、ぎゅっと握った。

 長瀬と巧が暖かな感情を顔に浮かべて、エミリは何故か嬉しそうな顔をする。

 "私達の王様が良い人でよかった"と、彼女の中のオルフェノクとしての部分が安堵する。

 

「照夫君は優しい子なんだね」

 

「ふぇ? い、いやいや! 僕が優しくなんてないよ!」

 

 照夫は中学生のお姉さんに頭を撫でられ、顔を赤くした。

 男子高校生・長瀬の非鈍感センサーが、何やら甘酸っぱいものをピキーンと察知する。

 鈍感フリーター主人公タイプの巧は何も気付かなかった。

 

(照夫に春が来たのか、これ? いや分からん、確証が持てない)

 

 もしそうなら、これが照夫の初恋になるのかもしれない。

 不謹慎ながらも、長瀬は他人の色恋事案にちょっとばかりワクワクしていた。

 

(だけど、そうだな。

 オルフェノクにだって誰かに恋をしたり、好きになったりする権利はある)

 

 人でないものが恋をして何が悪いのか。誰かを好きになって何が悪いのか。

 長瀬は"そういうもの"の肯定者でもある。

 怪物の恋も、異形の愛も、それが"死体だから愛せる"といったような歪んだものでも、長瀬は心情的に否定できない。否定することはないのだ。

 

「なあ、エミリって言ったかお前」

 

「はいな、私の名前はエミリで合ってます」

 

「お前さ―――」

 

 その瞬間。

 

 飛んで来た銃弾を長瀬が放った雷撃が叩き落とせた理由は、10%の幸運と90%の偶然だった。

 直感的に、何かが飛んで来たことを察知したがゆえの迎撃。

 おそらく長瀬の生涯で二回と見れない、偶然と幸運に恵まれたがための神業であった。

 

「!?」

 

「あっれー、当たらないなあ。やっぱこういうオモチャはつまんないや」

 

 銃を撃ったのは、エミリと同年代の少年だった。

 銃には正確に射撃するための姿勢というものがある。

 だがその少年は、そういった姿勢を一切取らず、銃は上下逆さまにして小指で引き金を引き、照準を合わせるという行為を一切していなかった。

 していなかったのに、銃弾は見事命中する軌道を通っていた。

 それこそが異常。

 異常な構えと撃ち方から正常な弾道が放たれたという異常だ。

 

 それすなわち、この少年が一切の理を用いず、感覚だけで銃弾を当てられたということを意味していた。

 少年は、何も持っていない手の平を長瀬達に向ける。

 

「避けろッ!」

 

 迫る死を、巧と長瀬だけが察知した。

 長瀬が照夫を、巧がエミリを抱えて跳ぶ。

 すると、彼らを狙って飛んだ『何か』が流れ弾として隠れ家へと衝突し、そのど真ん中を筒状に抉り、灰状に崩壊させていった。

 

 照夫とエミリが目を白黒させ、絶句する。

 少年が生身で放った今の物質は、『物質消滅化細胞』と名付けられていた。

 

「なにこれ!?」

 

「さ、本番開始だ。君達も早く変身するといいよ」

 

 攻撃してきた少年が、邪悪に笑う。

 加虐性に満ちた笑み。

 残虐性に満ちた笑み。

 攻撃性に満ちた笑み。

 少年の周囲に在った全ての命が身の危険を感じ、羽虫は飛び去り、アリは巣を捨て逃げ、鳥犬猫が一目散に逃げ出していく。

 

 少年の容姿が、ドラゴンオルフェノクへと変貌していた。

 

「ドラゴンオルフェノク……! なんでここが分かった!?」

 

 ゆったりと、ドラゴンオルフェノクが歩く。

 その足が踏みつけた地面が、ただそれだけで『即死』に至り、ドラゴンオルフェノクの足の形に灰化していた。

 ドラゴンオルフェノクは肩を竦める。

 

「今、スマートブレインは警察を手中に収めておきたいんだよね。

 だからほら、警察のアレな機関の人達の家族、皆さらって人質にしようって話があってさ」

 

 ねっとりとした話し方が、人の心に絶望と脅威の実感を塗り込めていく。

 

「でも、まさか君達が見つかるなんてね。

 僕は結構運が良いみたいだ。

 人さらいなんて面倒臭いことはやりたくなかったから、その子は殺すつもりだったし」

 

「……っ!」

 

 要はこのドラゴンオルフェノク、警察の家族を全員人質に取ってしまえというスマートブレインの大きな計画の過程で、偶然彼らを見つけてしまったということだ。

 なんという幸運か。

 生物的強者は豪運も備えているものだとは言うが、これは流石に度が過ぎている。

 無軌道に歩いているだけで敵を見つけられそうだ、と思えるレベルだ。

 

「変身!」

 

《 Standing by 》

 

《 Complete 》

 

 巧と長瀬の反応は早い。

 二人は素早く変身を終え、照夫とエミリを庇い立った。

 

「逃げろ! こいつはお前らを庇いながら守れる相手じゃない!」

 

「で、でも」

 

 ドラゴンオルフェノクに殴り掛かるデルタだが、ドラゴンは「軽いなぁ」の一言で拳を受け止めて、逆にデルタを殴り飛ばす。

 吹っ飛んだ長瀬(デルタ)が金属製のポールにぶつかり、ポールがひしゃげてその衝撃が地面を揺らした。

 

「ぐああっ! 逃げろ、照夫!」

 

 逃げろ、と言われてもどっちに逃げれば良いのかさえ分からない。

 右か? 左か? おろおろしている照夫の手を引き、走り出したのはエミリだった。

 

「走って照夫君!」

 

「う、うん!」

 

 もはや照夫の護衛に誰かを付ける、なんて余裕はない。

 アクセルフォームを上回るドラゴンオルフェノクに、皆で仲良く背中を見せれば、即追いつかれて全員まとめて八つ裂きだ。

 逃がす役と足止め役が居なければ、照夫を逃がすことさえ叶わない。

 

「逃さないよ。ファイズやデルタも悪くないけど……

 今日の僕は、王様と遊んでもらいたい気分なんだよね」

 

「長瀬、合わせろ!」

「ああ、行くぜ乾さん!」

 

 ドラゴンオルフェノクは重装甲と豪腕を活かし、ファイズとデルタの連携をものともせずに蹴散らしていく。

 その腕の一振りを例えるならば、戦闘機の速度で体当りする戦車の如し。

 

「くっ」

「ぐあっ!」

 

「警察だ! 動くなオルフェノク!」

「総員、銃構え!」

「腕の武装じみた箇所は避け、胴を狙え!」

 

 照夫達が逃げ、ドラゴンの力を振るう北崎がそれを追ったせいで、警察までもが戦いに介入を始めてくる。戦場は街の一角へと移行した。

 だが、ライダーズギアですら壁や路面にめり込まされているこの戦場で、通常兵器しか持たない人間に抗うすべなどない。

 

「撃てぇっ!」

 

「あーあ、萎える雑魚が出て来ちゃったなあ」

 

 ドラゴンオルフェノクの表皮に銃弾が当たり、それらが弾かれ、弾かれた直後に灰化する。

 警官達は目を剥いた。

 何故、金属が灰になる?

 これこそが、北崎の持つ無数の固有能力の中でも最も恐ろしいものだ。

 

 北崎に触れた物は灰化する。

 生物・物質問わず灰化する。

 北崎はあまりにも強すぎるため、この能力を自分で制御することができず、触れたものを片っ端から強制的に灰化してしまう。

 ラッキークローバーのような最上級オルフェノクであっても、これをレジストし無効化することは不可能。ライダーズギアでさえも完全無効は不可能という代物であった。

 

 北崎に触れれば、銃弾ですら灰になる。

 警官達の必死の迎撃も虚しく、北崎は銃弾の中を突っ切り、腕を振る。

 腕に触れた警官が5、6人まとめてぐちゃぐちゃのミンチに変わり、灰化した。

 

 北崎の怪物性に残りの警官も思わず怯む。

 更に北崎が目と鼻の先で『人間の姿』に戻ったことで、警官は全員呆けてしまった。

 予想できない北崎の行動に皆の動きが止まる。

 状況を理解しようとし、最適な行動を取ろうとする"当たり前の思考"が警官達にある限り、彼らは北崎に対応できない。

 

 北崎は、ただ気まぐれで、ただ最強である、それだけのオルフェノクなのだから。

 

「はい、終わり」

 

 北崎は人間の姿で警官隊に突っ込み、両の手を振るう。

 砂で出来た脆い城を、子供が笑いながらはたいて壊すように、北崎は数十人の警官を灰にした。無邪気に、無造作に、素手で叩いて、砕いて散らして灰にした。

 しゃらりと、路面に人間だった灰が積み上がる。

 残り数人の警官は、現実を受け入れられず自分の目を疑った。

 

「―――は?」

 

「もしかして、人間(きみたち)さ」

 

 北崎のような、『最も強い者』の一角に数えられるオルフェノクであれば。

 人間と違う姿を人に見せ付けなくてもいい。

 人間の姿のまま異能を行使すればいい。

 北崎ならば人間と同じ姿のまま、格の違いを見せつけられる。

 「これが人間と共存するなんて不可能だ」「だって、あまりにも強すぎる」「恐ろしい」と人間にひと目で理解させ、その心を折ることができる。

 

「僕を同種の延長線上に居ると思ってない? 僕と君達、絶対的に同格ではないんだけどな」

 

 電柱の根本に北崎が触れると、根本が灰化し電柱が倒れる。

 倒れた電柱に残りの警官数人も潰され、あえなく警官隊は全滅した。

 エミリに手を引かれ逃げる照夫の後を追い、再度変身したドラゴンオルフェノクはとうとう人が多く居る街の区画に入ってしまう。

 

「わあああああっ!」

「オルフェノクだ! 逃げろ!」

「あいつらやっぱ……化物で……ごぶっ、げほっ」

 

 殺戮、惨劇、虐殺、それら全ての表現が生温いほどの破壊が始まった。

 竜の角から雷が迸り、人も物も砕けていく。

 物理的に砕くのみならず、雷撃は物質を伝い、着弾点から離れた場所に居た者も感電死させる。

 物質消滅化細胞は壁や建物に隠れた人間も容易に撃ち抜く。

 どこに隠れようが、生き残ることなどできようもない。

 そして、追いつかれれば殴られる。

 殴られれば当然死に、撫でるように触れるだけでも、人は全て灰になった。

 

「ひっ……こ、来ないで、化物っ!」

 

 OLらしき成人女性にドラゴンオルフェノクが手を伸ばし、その手を満身創痍のデルタが銃撃にて弾く。

 

「やめろぉッ!」

 

 光弾はドラゴンの手を大して動かせもしなかったが、長瀬の叫びと合わせて北崎の気を引くことには成功したようだ。

 擦り傷だらけのデルタが、ドラゴンを止めるべくがむしゃらに引き金を引き、襲われていた女性は脇目もふらず駆け出し逃げた。

 

「テメエ、無意味に殺してんじゃねえ!」

 

「そうかなぁ? 大抵の場合、殺しに意味なんてないよ。

 カッとなって人間が人間が殺した時、その殺しに意味なんて無いじゃない?」

 

 北崎は笑う。

 殺害に意味はなく、死に意味はなく、自分以外の全ての命に意味がないとでも言わんばかりの声色で笑う。

 逃げる照夫は、その声を遠くに聞き、肌を泡立たせた。

 "お前は生まれてきたことが罪だ"と言われ慣れた照夫ですら、"君の命に意味は無い"という強烈な意志がこもった北崎の声は、とてつもなくおぞましく感じられてしまう。

 

 ドラゴンオルフェノクは瞬時に竜人態へと変わって高速移動でデルタに接近し、至近距離で豪腕の魔人態へと変わり、デルタの腹を殴り飛ばした。

 長瀬の胃の内容物が逆流しかける。

 

「うぐあっ!」

 

《 Start up 》

 

 長瀬が殴り倒されている間に、巧はファイズ・アクセルフォームで千倍加速の救助活動を実行していた。

 アクセルフォームの限界時間は10秒、千倍ならば単純計算で二時間半以上はある。

 時間加速ではないためにそこまで都合良くはいかないが、それでも巧一人だけで、この近辺の人間を全員避難させるには十分だった。

 

《 3 2 1 Time out 》

 

 フラフラと立ち上がるデルタへ追撃するドラゴンの魔爪を、割って入ったファイズが赤く輝く剣にて受け止めるものの、そこであえなく時間切れ。

 

《 Reformation 》

 

 ファイズの切り札たるアクセルフォームの残り時間は、露と消えてしまった。

 

「いいの? それ、連発できる力じゃないだろうに、僕を倒すのに使わないなんて」

 

「お前に山ほど殺されるよりはマシだ」

 

 巧がドラゴンの右脇へ切りかかり、それを囮として何者かが、反対側からドラゴンの左側頭部へと殴り掛かる。

 北崎は苦もなく、二方向からの攻撃を両方受け止めた。

 

「へえ、人型に変形するバイクか」

 

 ファイズが愛用するバイク・オートバジンは人型に変形可能なバリアブルビークルである。

 人型に変更すれば、自前のAIでファイズを守る鋼鉄の兵士と成るのだ。

 理論上、黄金に見えるほどに高められた最高質のフォトンブラッドを用いたライダーズギアをもってしても、オートバジンの腕力には敵わない。

 オートバジンはそういう風に作られている。

 その上で、ドラゴンオルフェノクの腕力には敵わない。

 

 ゆえに、ファイズは連携で攻めた。

 ファイズはバジンに殴らせつつ、バジンの巨体を影にして攻める。

 

(ふぅん)

 

 ファイズが右からバジンの背後に回れば、バジンが邪魔で北崎はファイズの姿を見失う。

 右から出るか? 左から出るか?

 巧は北崎に二択を強いて、時にバジンを飛び越えて上から、時にバジンの股下をくぐるようにして下から、ドラゴンオルフェノクを攻め立てた。

 

「乾さん!」

 

 更にそこにデルタの援護射撃が加わる。

 バジンがドラゴンの腕を掴み止め、デルタの光弾がドラゴンの顔面に当たり視界を塞いだその瞬間に、ファイズは既に北崎の背後を取っていた。

 

《 Exceed Charge 》

 

 ファイズの握るパンチングユニットが、炸裂と同時に火を吹いた。

 赤きフォトンブラッドが熱と毒にて竜の肌を焼く。

 狙うは、強力過ぎるために多くの格闘技で禁止されている、腎臓部位へ衝撃が伝わる背面打ち……すなわち、キドニーブローであった。

 

「ダメだなぁ、そんなんじゃ百回打ち込んでも僕は殺せないよ」

 

 だが、届かない。

 人間を超越し、オルフェノクさえ超越した、最上級オルフェノクでも持ち合わせていないであろう超反応。もはや異次元の存在という表現すらおこがましい。

 ドラゴンオルフェノクは、背中とファイズの攻撃の間に自分の腕を挟み込むだけの一動作にて、ファイズ必殺の攻撃を遮断していた。

 

「まだまだァ!」

 

 長瀬がまた引き金を連続で引き始めた頃、エミリは照夫の手を引き走っていた。

 目指す場所なんて無い。

 安全な目的なんて無い。

 ただひたすらに、ドラゴンオルフェノクから離れることだけを志向した逃走だ。

 

 風に乗って人だった灰、建造物だった灰が彼女らを追い越していく。

 直接死体は見えずとも、灰の量だけで『北崎がどれだけ破壊し、殺したのか』を察することは容易であった。

 

「信じらんない、何アイツ……!? 照夫君、走るのもっと頑張って!」

 

「わ、分かった!」

 

 走って、休憩して、走って、また休憩して。

 年齢一桁の照夫と小柄なエミリでは、いつまでも走り続けることなどできない。

 休み休み逃げ続け、北崎の姿を最後に見た時からもう一時間は経っただろうか。

 電気店の店頭ラジオが緊急ニュースを垂れ流し、ドラゴンオルフェノクの大暴れがまだ続いているということを教えてくれる。

 

「意味も無い殺戮、意味の無い死……なんて、酷い」

 

 エミリは意味のある死を求めて王に会いに来ただけあって、北崎の無意味な殺戮を、無意味な一般人の死を、耐え難い苦痛として受け止めているようだ。

 本気の同情が、本気の悲しみが、本気の義憤が垣間見える。

 だが照夫は、その義憤を否定した。

 

「違う。意味があったって殺すのは悪いことだよ。

 意味があっても無くても、死ぬのは悲しいことだよ」

 

「……そうかもね。うん、照夫君はいい子だ」

 

 意味の無い殺戮と死は悲劇。だがそうでなくとも、殺人と死は悲劇となるものだ。

 長瀬の考え方は、多少なりと照夫に伝わっているようだ。

 照夫が垣間見せた確固たる死生観に、エミリは思わず微笑んで、少年の頭を撫でる。

 

「ねえ、エミリ」

 

「なぁに?」

 

「なんで……僕に()()()()()()()の? それって、意味のある死なの?」

 

「そりゃもう、意味のある死よ。殺すんじゃなくて、食べるんだから」

 

 文明の発達と共に、人間が獲得し、喪失し、変性した価値観がある。

 それが、『捕食と殺害』だ。

 生き物が生き物を食らうのは自然の摂理だが、人間はいつしか殺人よりも被捕食を身近なものに感じなくなり、殺人よりも食人を忌避するようになった。

 意味の無い殺人はあっても、意味の無い捕食など無いというのに。

 

「私、ご飯の前にはちゃんと元になった動物や植物に感謝してる。君はしてないの?」

 

「いただきますは言ってるよ」

 

「よろしい。ま、普通に生きてる分にはそれで十分よ。

 生き物は皆食べたり食べられたりしながら生きてる。例外はほとんどナシ」

 

「うん」

 

「食べるっていうのは、生きるってこと。

 食べるっていうのは、他の命を犠牲にして自分の命を続けること。

 食べるっていうのは、食べられた命が、食べた命の一部になるっていうこと」

 

 食べるということは、命が繋がるということだ。それが、どんなにグロテスクでも。

 

「自分で首を吊るより、そういうサイクルの一つになった方が、意味のある死でしょ?」

 

「……エミリはそれでいいの? 怖くないの?」

 

「怖くないわけじゃないよ。

 でも私は、『こんな怪物(オルフェノク)』になって生きてる、今の自分の方が怖い。

 人の心なんて次の瞬間にはなくなっていそうで、気が付けば人を殺しそう」

 

「……!」

 

「私は意味もなく死にたくないけど……

 でも、私がオルフェノクになってしまったら……

 きっと、駄菓子を食べるように人を殺してしまう。

 それで殺された人はどうなるの? その死は、本当に無意味なんじゃないの?」

 

 快楽殺人の被害者の死に、何の意味があろうか。

 オルフェノクの殺害を生殖と解釈すればまだ意味のある死と取れなくもないが、それでもレイプの結果としての殺害と変わりはない。

 その解釈でも、オルフェノクの殺害は性欲の発散でしかないからだ。

 

 ただここでもまた、照夫はエミリとは違う価値観、違う解釈を持っていた。

 

「違う。オルフェノクに殺されたその人達も、きっと、意味もなく死んでなんてないよ」

 

「意味? 例えば私がオルフェノクとして誰かを衝動的に殺して、その死に意味はあるの?」

 

「意味はある。きっとそう言う人が居る。僕はその人の言葉を信じてる」

 

「それは、誰?」

 

「乾巧さん……ファイズだよ」

 

 照夫を守る者達の中で、最も『中心人物』という呼称が似合うのは誰だろうか?

 共存の理想を掲げる木場か?

 決別の目標を掲げる草加か?

 照夫に誰よりも慕われる海堂か?

 いいや、違う。

 巧だ。ファイズだ。いつからか、何故か、彼らはそういう集団になっていた。

 

 巧の周りに人間の仲間が集まり、文句を言いながら草加が加わり、紆余曲折を経て木場が巧の隣りに座って、木場の仲間がそれに続いて……いつの間にか、そうなっていた。

 

「意味のある死なんてわざわざ探さなくてもいいんだよ、きっと。

 どこかに、誰か……その死を、意味のあるものにしてくれる人が居る限り。

 乾さんが言ってたんだ。

 色んな人、色んなオルフェノクと出会って、何人も死んだ。

 でも、その人達の中に意味無く死んだ人なんて、居ないって。乾さんはそう信じてる」

 

 誰もが死ぬ。いつかは死ぬ。争いの中で死ぬ。乾巧の前で死ぬ。

 

「誰かが死ぬたび強く、強く、『次こそは必ず守ってみせる』って思うようになったんだって」

 

 乾巧は、死を越えるたびに強くなった。力ではなく、その心が。

 

「生き残った人が、その死を無意味にしないと誓うんだ。

 死んだ人に、"無意味にしない"って約束するんだ。

 残された方の人が、その死を無意味にしない生き方を選ぶんだ」

 

「……それは、死んだ人の心構えじゃなくて、生きる人の心構えね」

 

「うん。僕もそう考えられる男になれたらいいなって」

 

 エミリは照夫の言葉に、雰囲気に、意志に、年齢不相応の重みを感じる。

 照夫の小さな体の向こう側に、エミリは何人もの男達の影を見た。

 

 海堂の蛇のような柔軟さ。

 木場の目標に向け止まらず突っ走る馬のような真っ直ぐさ。

 草加の諦めの悪さと、揺らがない信念の頑強さ。

 巧の優しさ、万事を受け止めて進み続ける心の強さ。

 そして、長瀬が世界を越えて持ち込んだ『凄惨さを下地とする死生観』。

 

 照夫は多くを見て、多くを聞き、多くを学んだ。

 小さくとも確かな成長を重ねてきた。

 今の彼には、いつか『王』に相応しい男と成り得る者の片鱗がある。

 

「照夫君もそういう風に志して生きているの?」

 

「僕じゃまだ無理だよ。

 だって僕、まだ守られてるだけの子供で、乾さん達みたいになれない」

 

 でもいつかはなりたい、と照夫は言う。

 そういうかっこいい男になるんだ、と照夫は言う。

 照夫は少し照れた様子で、うっすら頬を赤くして、チラチラと――こっそりと――エミリの顔色を伺う。というか、反応を窺っていた。

 

 エミリは照夫の挙動から、照夫の内心に気付いてしまう。

 要するに、照夫は好きな女の子の前だからカッコつけてるのだ。

 カッコつけて、好ましく思っている男達の真似をして、自分をそう変えようとしている。

 "女の子の前でカッコつける"という一行為が、照夫の中にあった成長の断片を繋ぎ合わせ、照夫に新たな成長をもたらそうとしていた。

 なんとまあ、不純と言うべきか、子供らしいと言うべきか。

 

 だが、それもまた良し。

 女の子の前でカッコつけようとすることも、立派でかっこいい自分になろうとすることも、真っ当な男の成長の一つであるのだから。

 

「照夫君もそういう男になれたら、とっても分かりやすいよね。

 だってそうじゃない?

 女の子な私は、君達男の子とは全然違う考え方をしてるってことだもの」

 

「そうかな? えへへ」

 

「ね、照夫君」

 

 男の子の中でも希少な考えを持つ照夫に、女の子の中でも希少な考えを持つエミリが手を差し伸べる。

 

「私が君の前で死んだら、君は私のことをずっと忘れないでいてくれる?」

 

 エミリの手が、照夫の手を取る。

 

「私の死が、私の存在が、君の中に残ってくれたらいいな」

 

 握る強さが、そのままエミリの気持ち。

 

「死なないで」

 

 照夫もまた、エミリの手を握り返した。

 

「死ぬことは悲しいことだよ。

 僕が死んだら、ナオヤやヒロキはいっぱい悲しむ。

 だから僕は絶対死なない。エミリも死んじゃったら、僕が悲しいよ」

 

 握り返すその強さが、そのまま照夫の気持ち。

 

「私はね、生きていることが悲しいの。辛いの。人間として死んだ時からずっとね」

 

 握り返す強さは、年の差があるにもかかわらず、照夫の方がずっと強かった。

 なのに、照夫は手の力を弱めてしまう。

 エミリの手はかすかに震え、その指は細く、照夫の手をこの上ないほどに優しく握っていた。

 もう、ダメなのか。

 ダメなのかもしれない。

 彼女は、もう自分の生を否定している。諦めているのではなく、否定しているのだ。

 

 これでは、"生きることを諦めないで"と言うこともできない。

 

「オルフェノクとして、生きていたくなんてないの」

 

 そうして、生きていたくない彼女の気持ちを勝手に代行しに来たかのように、『それ』は彼らに追いついた。

 

「見ぃつけた」

 

 北崎の小さな呟きを聞き逃さなかったのは、照夫もエミリもオルフェノクだったからだろう。

 少年少女はもうロクに動かなくなってきた足に鞭打ち、なけなしの体力を全てつぎ込みまた走り出した。フラフラの照夫の手を、エミリが引いていく。

 

「走って照夫君! 頑張って、あと少しだけでいいから!」

 

 エミリは生きていたくない。

 ゆえにこそ、彼女が今逃げているのは、"死にたくないから"ではない。

 "死なせたくないから"だ。エミリは照夫を死なせないためだけに、彼の手を引き逃げている。

 オルフェノクとなったことで、エミリは自分の生にも、この世界の全てにも絶望したが、彼女はその上で『他人を守ろう』と思える人間だったのだ。

 

「エミリ! 照夫! 止まるな、そのまま走れ!」

 

 ドラゴンオルフェノクが照夫の後頭部を掴もうとした瞬間―――二人に届く大声と、その巨体を跳ね飛ばすバイクが現れた。

 巧だ。

 巧がオートバジン・バイクモードで横合いから体当りし、ドラゴンを跳ね飛ばしたのだ。

 

 だが、巧は全身傷だらけで血を流しており、変身も解除されてしまっている。

 おそらくは一度負けてしまったのだろう。

 巧はファイズギアをまたも身につけ、子供が逃げる時間を稼ぐべく立ち向かった。

 

「変身!」

 

 だが、一人で敵う相手でもない。

 ファイズがこの異次元レベルに強いドラゴンオルフェノクに勝つには……アクセルフォームでさえも、力不足なのだ。

 

「君さあ、弱いくせにしつこいよ」

 

「お前さっき、俺のこいつを『百回打ち込んでも殺せない』って言ったな」

 

 この敵相手に出し惜しみなどありえない。

 ファイズは右手にパンチングユニットを装着し、腕時計型コントロールデバイスを操作した。

 加速形態への変化が始まる。

 

《 Complete 》

 

「じゃあ、試してやるよ! 耐えてみやがれ!」

 

《 Start up 》

 

 ファイズは瞬時にマッハ50にまで加速。

 

《 Exceed Charge 》

 

 北崎の全身に、必殺技と化した拳を十回だろうと百回だろうと叩き込むつもりで、インパクトの瞬間巧は拳を握り込んだ。

 だが一瞬遅れて、北崎も竜人態となりマッハ50にまで加速。

 ファイズの必殺拳は残像を打ち、空振った拳を加速状態の北崎が掴み、北崎は竜人態から魔神態へと姿を戻した。

 北崎はそのままノータイムでファイズを空へと放り投げる。

 

「んなっ―――」

 

「いくら加速しようが、体は一つだ。そこが変わらないなら意味は無いんじゃない?」

 

 ファイズは小細工を弄せば落下速度を上げたように見せかけられるが、アクセルフォームは時間加速ではない。

 落下速度は変わらないのだ。

 空高く投げ上げられれば、10秒間のリミットはすぐに訪れてしまう。

 

 ドラゴンオルフェノクは、自分の竜人態の劣化版でしかないファイズの加速形態の弱点を、よく理解していた。

 そして北崎は、照夫に戦いを挑もうとして……照夫とエミリを抱えてバイクにて逃走する、長瀬の離れた背中を見た。

 舌打ちの後、北崎は飛翔しその後を追うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長瀬が乗っていたバイクは、ジェットスライガー。

 ファイズ、カイザ、デルタが共通で使用できる、スマートブレイン製の量産型アタッキングビークルだ。

 一人乗りのバイクだが、仕方なく長瀬デルタが二人を抱え、無理な姿勢にて疾走する。

 

「……くっ、ぐっ、づっ」

 

 だが、それにも限界が来た。

 ほどなくジェットスライガーは広場に停止し、照夫とエミリが落ちないよう抱えていたデルタが倒れ込み、変身が強制解除されてしまう。

 長瀬の手を離れた二人は、変身解除によってあらわになった長瀬の姿を視認し、その体があまりに傷だらけであったことに驚愕する。

 

「ヒロキ! その怪我っ」

 

「死ななきゃ軽いもんだ。人間の体は死ななけりゃその内治るようになってんだよ」

 

 長瀬は立ち上がろうとするが、力足らずにまた転ぶ。

 ドラゴンオルフェノクの規格外の力が、装甲越しに長瀬の体にダメージを蓄積させてしまったのだ。おそらく、この傷だらけの体は見かけ以上にダメージを受けているのだろう。

 

「だけどな……死んだら、終わりだ。

 照夫、まだ頑張れるな? カッコつけろ。

 エミリ、照夫を頼む。距離は稼いだが、まだ足止めが足りてねえ」

 

「ヒロキ!」

「お兄さんその体じゃ……」

 

「行け! あのドラゴン野郎はおそらくすぐ追いついてくる!

 道中で、何の意味もなく、暇潰しに見かけた人間を殺しながら……!」

 

 遠雷が空に光を走らせる。

 あれは自然現象ではない。

 ドラゴンオルフェノクが、もののついでで人と物を壊しているという証明だ。

 

 北崎は人間に対する攻撃本能が薄い。

 なので、北崎は人間の子供と遊ぶこともあれば、大人の男性に道を訊くこともある。

 されどそれは、彼の人間性を保証しない。

 単に、北崎は気が向けば何だって壊すだけだ。人も、物も、オルフェノクも。

 

 王を守るべきスマートブレインのオルフェノクであるはずなのに、王と戦うこと、王を殺すことが目的である北崎の意志は、照夫にもしかと伝わっていた。

 

「ヒロキ、あいつの狙いは僕なんだ。オルフェノクの王と戦いたがってる、だから」

 

「だからなんだ? 犠牲になります、だなんて言うつもりか?」

 

 長瀬はバイクに寄りかかりながら立ち上がり、親指でエミリを指し示す。

 

「こいつに影響されたのかもしれねえけどな。

 意味ある死だったら上等だ、なんて考えるなよ」

 

「でも……」

 

「誰かを助けたら意味のある死か?

 人のために犠牲になったら意味のある死か?

 王様に食べられたらそれで意味のある死か?」

 

 過去に誰かの死を見たことが、今の自分の心の強さとなっている者は、巧だけではない。

 長瀬もまた、その一人だ。

 

「俺もお前も、意味のある死を迎えたら、その死は悲しくなくなるのか?」

 

「―――」

 

「違うだろ。意味があっても死は悲しくて、辛くて、痛くて、苦しいもんだろ」

 

 長瀬は血混じりの唾を吐き捨てる。

 そして、不器用に表情を作って、照夫とエミリの肩を叩いた。

 

「エミリが死ねば照夫が悲しいだろ。

 照夫が死ねば俺が悲しいだろ。そこは何も変わってねえじゃねえか」

 

 長瀬の言葉はシンプルで、魂をねじり込んだかのような重みがあり、つい先程エミリが聞かされた照夫の言葉もあって、ようやく彼女の価値観を揺らし始めた。

 

―――エミリも死んじゃったら、僕が悲しいよ

 

「……私が死んだら、照夫君は悲しいんだっけ」

 

 エミリの問いかけに、照夫が頷く。

 

「……うん。悲しい。僕が死んでも、ナオヤ達は同じように、きっと悲しんで……」

 

 少年少女の『生きたい』という意志を確かめ、長瀬はようやく屈託なく笑った。

 生きたいのならそれでいい。

 その気持ちになら、長瀬は味方をしてやれる。

 

「諦めるなよ。逃げろ、照夫。逃げろ、エミリ。

 俺はいっつも、『逃げろ』しか言えねえけど……俺は俺なりに、全力尽くすからよ」

 

 逃げる照夫とエミリに背を向け、長瀬はデルタのベルトを巻いた。

 逃げろ、と誰かに言うのは、これで何回目だろうか。

 いつもこういうことしかできないな、と長瀬は自嘲するが、気分だけは誇らしい。

 

 雷が避雷針代わりの木々へと命中し、炎上する木々の中に北崎は降り立った。

 長瀬は変身し、銃を撃ち、光弾の合間を抜けてきた竜に向けて拳を振るう。

 彼の拳は既に北崎に見切られている。

 無駄な抵抗。

 そう思われた一瞬に、長瀬はイユのことを思い出した。

 

 ある悲劇に見舞われ、人食いの怪物となった父に食われて殺され、死後に死体を兵器に改造された少女。

 長瀬はイユの笑顔の記憶がある。記憶の中の笑顔が可愛かったことを覚えている。

 されど長瀬の記憶には、今となってはその笑顔よりも、死体兵器として戦わされていた時のイユのことの方が、強烈に残ってしまっている。

 

 記憶の中のイユの体捌きを思わず真似た長瀬の拳は、最良のフェイントとして、ドラゴンオルフェノクの顎に刺さった。

 

「おっ……今の動き、さっきの戦いでの動きとちょっと違うね。まだ引き出しはある?」

 

「悪いな、千翼とイユの二人分しかねーんだよ……!」

 

 想い出の中にしか居ない仲間の力を借りて、長瀬は僅かな時間を稼ぐ。

 長瀬の中で、長瀬の仲間の一部はまだ生きていた。

 

 エミリに手を引かれ、照夫もまたひた走る。

 長瀬を置いていくことの不安があった。

 長瀬なら大丈夫だという信頼があった。

 相反する気持ちが、照夫の胸を引き裂かんばかりに痛めていた。

 

 二人は走る。

 

「ねえ、照夫君、私食べたら照夫君が王としてちゃんと覚醒するとかないかな!」

 

「!? 食べないって、言ってるでしょうーが!」

 

「あはは、ホント頑固なんだから!」

 

 エミリは何やら吹っ切れたようだ。

 彼女の中の人生観、あるいは死生観に、変化が生じ始めている。

 今この瞬間まで彼女が選んでいなかった何らかの選択を、彼女が進んで選びそうになっているくらいには。

 

「でもさ、私食べたら照夫君が強くなって、どうにかならないかなって思ってるのは本当!」

 

 命とは変わるものだ。

 他者の生に触れ、他者の死に触れ、誰も彼もが変わってゆく。

 

「私、思い出したんだ! お釈迦様のウサギの話!」

 

「ウサギ? ウサギがどうかしたのっ?」

 

「お釈迦様が、昔ウサギに生まれ変わった時のお話。

 あるところに、自分が生きるために他の命を食べようとしない聖者が居たの。

 聖者は飢えて死にそうで、ウサギを見ても食べようとせず、むしろ助けようとした。

 ウサギはその聖者を生かすために、聖者の焚き火の中に身を投げたんだ。

 つまり、自己犠牲。

 他を生かすために自分の命を投げ出す慈愛。

 聖者はウサギのその愛に感嘆し、いたく感銘を受け、本物の聖者になったんだって」

 

 何故、エミリはその話を、今思い出したのだろうか。

 

「オルフェノクの王様も、そうだったら、面白そうじゃない?

 他のオルフェノクが愛で自分の身を捧げたなら、王様は聖者に。

 そうでなく、王様が愛なくパクパク食って覚醒したら、王様は悪者になるとか」

 

「えー、それで自分の心の形が決まっちゃうのは、なんかやだな……」

 

「そだね。照夫君ならきっと、どんな道を進んでも、良い王様になれるよね」

 

 エミリの手を握るたびに、照夫は顔を赤くする。

 少年のそんな可愛らしさが、少女にとっては何故か無性に愛おしかった。

 

「沢山の人を救える聖者にも、立派な王様にも、なれるはず。優しささえ、忘れなければ」

 

 だから、彼女は選択をする。

 王はいい子だった。

 王はいい男にいつかなれる少年だった。

 王は、エミリが尊敬するに値する、エミリが後を任せるに値する『人間』だった。

 オルフェノクの王に相応しいと思える、命の価値を知る者だった。

 

 エミリは照夫を通りがかった軽トラの荷台に投げ込み、自身は一人北崎へと立ち向かう。

 竜人態へと姿を変えた超加速のドラゴンは、おそらくあと数秒で接敵する。

 

「エミリ!?」

 

「行って! 生きて! 私がオルフェノクになった意味は、ここにあったんだ!」

 

 数秒。

 超加速した北崎はほんの数秒で彼らに追いつき、エミリの視界内に現れた。

 エミリもショウリョウバッタのオルフェノクへと姿を変え、軽トラに乗せられた照夫を北崎が完全に見失うまで、時間を稼ごうとし――

 

(ほんのちょっとでも、時間さえ稼げれば……!)

 

 ――ドラゴンオルフェノクの蹴り一発で、まるでダルマ落としのように、体のど真ん中を『蹴り飛ばされた』。文字通りに蹴り飛ばされた。

 少女の胴体だけが、蹴りの衝撃ですっ飛んでいき、胸から上と腰から下の部分だけが、その場にぼとりと落下した。

 

「―――え」

 

 照夫が絶叫し、怪我も恐れず軽トラから飛び降りる。

 

「弱いっていうのは、悲しいね」

 

 北崎は人に踏み潰されたアリに同情するかのような言葉を吐き出し、エミリを殺したことに何も感じ入るものはなかったようだ。

 

「エミリ! エミリ!」

 

「たはー……しくっちゃったよ照夫君……油断……じゃなくて思い上がりかなー……」

 

「ああ、おなかが、エミリのおなかが……!」

 

「あのおにーさん達が戦えてたから……オルフェノクの私でも戦えるかな、なんてさ……」

 

「もう喋らないで!」

 

 エミリにはもう胸から下が何も無い。

 どくどくと血が流れ、消し飛んだ胴はどこにも見当たらず、腰から下は既に青い炎による自壊を始めていた。

 時を数えるまでもなく、切り離されたエミリの一部は灰となる。

 青い顔で、エミリは最後の願いを口にした。

 

「あのさ……私が死ぬ前に、私のこと、食べてくれない?」

 

「―――!?」

 

 エミリはもう助からない。

 助からない命なら、王の覚醒のために使ってやりたい。

 そう思った彼女だが……案の定、照夫から返って来たのは、強烈なまでの拒絶だった。

 

「ダメだ!」

 

「なんで?」

 

「僕は……僕はエミリを、殺したくない!」

 

「殺すんじゃないよ。食べるんだよ」

 

「一緒だッ!」

 

「一緒じゃないよ。それは一緒にしちゃいけないの」

 

 エミリの胸下の断面から漏れた血、こぼれた内臓が、青い炎となって燃え始めた。

 オルフェノクとしての死が近い。

 

「食べられて、その人の中で生きるようになるんだよ。

 私が今まで食べてきたものも、輝夫君が今まで食べてきたものも、同じ」

 

「でも!」

 

「食べられて、その人の中で生きるって、そんなに悪いことかな」

 

「でも!」

 

「誰でも良いわけじゃないよ。照夫君ならいいかなって、そう思っただけ」

 

「でも!」

 

「君に食べられて、君の中で生きていたい。それじゃ、ダメかな?」

 

「でもっ……! 僕はっ……!」

 

 少女は諭す。

 少年はでもと繰り返す。

 少女は青い顔で、少年の反応に困った顔をした。

 

「男の『でも』は運命の反逆に使った方がいいでしょう。

 うん、それが一番だ。

 『それがお前の運命だ』に『俺はそれでも』と返すのはかっこいいって、私は思うよ」

 

 でも、と言おうとして、照夫はその言葉を飲み込んだ。

 言ってはいけないと思った。

 言ったら呆れられてしまうと思った。

 言うなと言われた言葉を、言ってくれた女の子の前で言ってしまうのは、とても格好悪いことだと思えたから。

 

 好きな女の子の前で、照夫はカッコつけた。

 

「でも、私はお願いすることしか出来ない。決めるのは照夫君だよ」

 

「エミ、リ……!」

 

「思い出したくもない悲劇の想い出にするか。

 自分を強くした、胸に秘める悲しい想い出にするか。

 何もせず見送った想い出にするか。

 私を食べた想い出にするか。

 ……他の誰のものでもない、君の人生だもん。君が、決めないと」

 

 お腹が空いたと、照夫は思った。恋のような空腹だった。愛のような飢餓だった。

 

「私、君の中で生きていたい。君とずっと一緒に居たい。それが、私の今の願い」

 

 食べたくない。殺したくない。そんな感情を、意志一つでねじ伏せる。

 食べたい。オルフェノクを食べて覚醒したい。そんな衝動を、意思一つでねじ伏せる。

 心一つで、エミリの覚悟に向き合ってゆく。

 

「だから、お願い」

 

 鈴木照夫は、彼女を食べた。彼女のフルネームすら知らないままに。

 

「優しい王様になってね。十年後も、二十年後も、皆に好かれて、皆を守れるような―――」

 

 生まれて初めて好きになった女の子の願いだったから。

 初恋の女の子の願いだったから。

 照夫はその願いを、叶えてやりたかったのだ。

 

 たとえ、自分が胸に秘めた『生きて欲しい』という願いを、自分自身で踏み躙ることになったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 涙があふれた。

 心がこぼれた。

 胸には外に繋がる穴が空いていないから、胸で膨らんだ気持ちは目から溢れ出る。

 照夫の足元に、透明な雫がぽたぽたと垂れて止まらない。

 

 エミリのオルフェノク体を捕食し終えた照夫のオルフェノク体が消失し、涙を流す照夫の前で、北崎は少しだけ残っていたエミリの死体の残骸を踏み砕いた。

 

「これはもう、食い残しのゴミでしょ」

 

「―――お前っ!」

 

 照夫は怒りのままに、ドラゴンオルフェノクに殴りかかった。

 それは生まれて初めてと言っていいほどに熱い、極大の熱量を孕んだ激情だった。

 生まれて初めての、全身全霊を込めた敵意だった。

 生まれて初めての、天地を砕かんばかりの殺意だった。

 照夫が『この敵を絶対に許さない』という確固たる意志で拳を振り上げ、敵の膝に叩きつけたのも、生まれて初めての"明確な攻撃"であったと言えよう。

 

 何もかもが初めてで、だからか威力は大して無くて。

 北崎はつまらなそうにして、撫でるように照夫の頬を張った。

 強烈に頬を叩かれた照夫は、地面に転がされてしまう。

 

「あぐっ!」

 

「ダメだなぁ……本当ダメだなぁ、それでも僕らの王様?」

 

 転がした照夫の首を掴み、北崎は無造作に持ち上げた。

 首を締める鈍い痛みが、照夫に悲鳴を上げさせる。

 北崎に触れられても灰にならないのは、流石オルフェノクの王といったところか。

 

 だが、ダメだ。

 王はまだ覚醒していない。

 原因は心の状態か、オルフェノクの生贄不足か、あるいは両方か。

 何にせよ、未覚醒の王では北崎を倒すことは敵わない。

 

 北崎が照夫とエミリの会話に何の茶々も入れなかったのは、照夫がエミリを捕食し、王として何らかの覚醒を見せるのを待っていたからだ。

 王と戦いたい。北崎の目的など、それだけだ。

 だからこそ、オルフェノクの精神性も、オルフェノクの姿も見せない、今の照夫に腹が立ってしまう。少年の頬を流れる涙など、目にするだけで反吐が出そうだった。

 

「ヤダなぁ、まだ手間をかけないと覚醒しそうにないなんて」

 

 北崎は自分のために、そして照夫のために、オルフェノクの心のレクチャーを始める。

 

「大事なのはイメージと、最初の心の持ちようだよ。

 僕のような姿に、オルフェノクに相応の心。

 一度志ざせば簡単だ。人間の心なんて簡単に捨てて、君は完全なオルフェノクになれる」

 

 さ、やってみて、と北崎は軽い口調で言った。

 北崎は照夫の心をまるで理解していない。人よりオルフェノクの方が上等だと思っている。だからこのレクチャーは、北崎にしては珍しく、僅かな善意が混じっていた。

 口調は軽く、ノリも軽く、北崎の言動には一切の重みが無い。

 

(ガキだ)

 

 照夫は思う。

 

(こいつは多分―――僕よりも、ガキなんだ)

 

 幼稚で、飽きっぽく、自分勝手で、全ての価値は自分の中にあり、弱い者いじめは好きだけど、人間もオルフェノクも等しく加虐する。

 自分を楽しませるものだけに興味を持ち、それ以外に何も興味を持たない。

 命の価値を知らない。

 守るものを持たない。

 死者から何も継承しない。

 生者から何も学ばない。

 

 照夫の目には、北崎が自分よりずっと幼く見えた。

 

「ならない」

 

「うん?」

 

「僕は、お前みたいには、ならない……!」

 

 "こんな風にはなりたくない"と、照夫は北崎を睨む。

 なりたい自分があった。エミリに見せたカッコつけの自分があった。エミリが肯定してくれた自分があった。なりたくない自分が、照夫の中で怪物として蠢いていた。

 だからこそ、照夫は心を失った怪物になることを否定する。

 

「お前に殺されるとしても、『でも』! お前の思い通りになんてなるか、バーカ!」

 

 今なら照夫にも分かる。

 オルフェノクは、どこか何かがおかしな生物だ。

 生まれて来てはならなかった生物、とまでは思わないが、どこか何かが変である。

 

 オルフェノクに殺された人間は灰になる。

 死んだオルフェノクも灰になる。

 よって死体が残らないために……()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 食うために殺し、殺した後に食うという自然の摂理が、絶対的に成立しない。

 

 食うか食われるか、という自然のルールから外れているのだ、オルフェノクは。

 人類の長い歴史の中で初めて、王である照夫はその事実に気付く。

 オルフェノクは何かが違う。

 この地球上で、オルフェノクだけが、通常の生物とは違う何かとして生み出されている。

 照夫は、オルフェノクの王が持つべき視点の一端に触れていた。

 

 だが、北崎からすればそんなことはどうでもいい。

 北崎は照夫が自分を見下していることに気付いていた。

 照夫の目が、自分をガキと見ていることに気付いていた。

 かすかな苛立ちを覚え、オルフェノクの姿にもならない照夫を、北崎は失望の目で見る。

 

 子供のようだった北崎の喋りが、ほんの数秒、低くドスの利いた声に変わった。

 

「そうか。じゃあもう死んでいいぞ」

 

 その瞬間、三つの人影が同時に動いた。

 北崎が照夫の首を折ろうと力を込める。

 照夫が諦めず、自分の首を掴んでいた竜の右手、その手首に肘を叩きつける。

 そして竜の右腕に、叩きつけられた赤い雷。

 

 雷が僅かに竜の握力を緩め、するりと落ちた照夫を、直下で長瀬が受け止めた。

 

「悪い、遅れた」

 

「……ヒロキ!」

 

 照夫は自分を受け止めた長瀬を見て、一瞬だけ喜んだが、すぐに顔を青くした。

 長瀬のシャツがびっしょり濡れている。水ではない。長瀬の血に染まっているのだ。

 黒いシャツであるためか、血はそこまで目立って見えないが、肌に張り付いたシャツを見れば出血量も窺える。

 これはもはや、致死量の二歩手前ほどの出血量に至っている。

 

 それが、照夫に長瀬の死を意識させ、エミリの死を再度認識させた。

 

「ヒロキ……エミリを……死にそうになってたエミリを、僕が、食べちゃった」

 

 後悔が滲み出る。

 百度あの場面を繰り返しても、照夫は百度彼女を食うだろう。

 だが、それでも、後悔が消えることはない。

 悔いているのだ。彼女を食べたことを。それは、照夫が望んで得た後悔でもあった。

 

「食べたくなかった……食べたくなかったんだ。

 でも、それしかなかった。

 僕が彼女にしてあげられることなんて、食べてあげることしかなくてっ……!」

 

 長瀬は青息吐息で、照夫を優しく抱きしめる。

 

「王様が居ないから、こうなってるのかな。

 僕がちゃんと王様してないから……

 だったら……僕がするべきことは……僕が生まれた意味は……」

 

 照夫は変わった。

 自分が生まれて来たことが罪、だなんてもう言いもしない。

 その代わりに、『自分が生まれてきた意味』について考えるようになった。

 長瀬にはそれが、なんだか嬉しく感じられた。

 

「辛かったな。よく頑張った。お前、男だよ」

 

 泣いている少年に、長瀬は言うべきことを言う。

 

「今は少し休んでろ。罪悪感で自分の未来を決めても、ロクなことねえぞ」

 

 未来を決める意志は、光のような意志であるべきだ。闇のような意志ではいけない。

 死にたくない、ではなく、生きたい、という気持ちを抱えて行くのであればなおさらに。

 

「したいように生きろ。なりたい自分になれ。

 俺もまだよく分かってねえけど、それが『生きる』ってことなんだ」

 

 長瀬は照夫を地面に降ろし、少年を守るように立つ。

 手にはデルタギア。

 所有者に"その闘争本能をどう扱うか"を問いかける、銀の力。

 

「俺もまだ、探してるんだ。あいつらの分まで生きる、最高にイカした生き方を」

 

 長瀬もまだ、旅の途中だ。彼もまた人生という旅の半ばで、生きていく道を探している。

 

 その横に、同じくまだ旅の途中である乾巧が、ファイズギアを手にして立った。

 

「ああ、見つけようぜ……長瀬、照夫。俺達の答えを、俺達の人生で」

 

 長瀬も巧も満身創痍。

 いや、限りなく瀕死に近いと言っていい。

 戦えるのはあと一回、攻勢に出るのもあと一回が限度だろう。

 血の着いた未起動のデルタギアとファイズギアを見やり、北崎は鼻で笑った。

 

「今日一日で何回僕に痛めつけられたか覚えてる?

 そんな体で僕に勝てるとでも思ってるのかな。だとしたら、すっごく馬鹿だけど」

 

「バカが負けるだなんて、誰が決めたんだ?」

 

 巧の挑発が、北崎の子供な癇に障る。

 

「何で勝てると思っちゃうかなあ。一番強い、この僕に」

 

「分からねえか? 分からねえよな。お前にはもう、人の心が無いんだもんな」

 

「要らないよ、そんなもの。そんなものがなくても僕は最強なんだ」

 

「なら、覚えとけ。お前が今要らないって言った『それ』が、今お前を倒してやる」

 

「それは楽しみだ。

 『それ』は強いのかな? 鋭いのかな? 鉄を砕く爪か牙は備えているのかな」

 

 これが正真正銘、この夜を飾る最後の一戦。

 

「鉄より強くて、爪より鋭く、牙よりかってえもんだ……覚えとけ!」

 

 二人は同時に、ライダーズギアを起動した。

 

「「 変身! 」」

 

 銀光と赤光、二つの光が夜を切り裂く。

 

 余計に動き回る体力は残っていない。

 無駄に撹乱に動いていけば出血で死ぬ。

 アタックチャンスは、長瀬と巧で合わせて一回。それが限界だった。

 

「策はあるのか? 長瀬」

 

「希望ならある。あいつ、ずっとオルフェノクの姿になったままだ」

 

「ああ、そうだな」

 

「俺達、警察、逃げる一般人。

 北崎の奴はその全部に攻撃してきた。

 対し、俺達は偶然とはいえ休み休み交代交代で戦った。

 あいつの疲労は、俺達が交代交代で積み重ねたダメージは、全部ちゃんと蓄積してる」

 

「なるほどな……そういや、北崎の奴は、今日の戦いで一回も休憩してねえのか」

 

「ああ。だからかあいつ、最初の時ほど切れ味のある動きをしてない」

 

 そして、付け入る隙もある。

 

「俺が動きを止める。乾さんは俺を巻き込むのを躊躇わず、最強の一撃を頼む」

 

「……わかった。死ぬなよ、長瀬」

 

「確実に決めてくれよ、乾さん!」

 

 ファイズにトドメを任せ、デルタが前に出る。

 長瀬の体はもう限界だ。

 走れば足の骨が軋みを上げ、方向転換に地面を踏んだだけで肉は痛み、心拍数が上がるだけで出血が再開される。開いた傷口は、デルタのスーツの内側を血で汚した。

 

「ヤダなぁ、熱くなっちゃって」

 

 デルタが正面から突っ込んで来たのを嘲笑い、それを真正面から粉砕しようとした慢心が、北崎の足元を掬った。

 

《 Jet Sliger Come Closer 》

 

 長瀬が密かにデルタフォンで呼び出していたバイク・ジェットスライガーが、時速1000km超でデルタの下に駆けつけんとし、その過程でドラゴンオルフェノクを跳ねた。

 

「!?」

 

 一回こっきりの大道芸。

 跳ね飛ばされた北崎は僅かな痛みを覚えるも、空中で姿勢を整え着地しようとする。

 が、そのタイミングで何故か左膝と右手が動かなくなった。

 語るまでもない。

 つい先程、照夫が殴った二つの部分が、そのまま機能不全を起こしていたのだ。

 

(手と足が石になったみたいだ……!)

 

 北崎は、エミリの残骸をゴミのように踏み躙った。

 注意深く見ていたなら、気付けたはずだ。エミリの死体が石化していたことに。

 オルフェノクの王に捕食されたオルフェノクは、灰化ではなく石化する。

 王は捕食対象のオルフェノクを石化させる能力を持っているのだ。

 

 北崎は未覚醒のその能力を受け、右手左足が擬似的に石化を始めていたのである。

 そんな状態を知ってか知らずか、長瀬は一気に距離を詰め、北崎の顔面に銃口を突きつけた。

 

「この距離なら! ファイア!」

 

《 Burst Mode 》

 

 至近距離からのフォトンブラッド十二連射。

 これを全て顔面に直撃させてなお、ドラゴンオルフェノクは倒れない。倒せない。

 だが、そんなことは長瀬も巧も百も承知だ。

 

「……っ」

 

「今だ乾さんッ!」

 

 顔を抑えた北崎の背後に、デルタが回って羽交い締めにする。

 それと同時、ファイズは右手のパンチングユニット、左手の加速コントロールユニットを操作していた。

 

《 Complete 》

《 Exceed Charge 》

《 Start up 》

 

 加速とパンチ。ファイズは力を二つに絞り、この二つだけに集中力の全てを注ぐ。

 

 十秒間の千倍速が始まった。そして長瀬が抑えている以上、ドラゴンは今加速できない。

 

「三度目の正直、だ」

 

 フォトンブラッドが充填されたパンチングユニットが、北崎のみぞおちに突き刺さる。

 一発? 十発? 百発? 否。その程度の数では収まらない。

 

「なっ、がっ、ガッ!」

 

 十秒間の千倍速は、巧の余力全てを吸い上げ、千を超える回数拳を叩き込む。

 

 そして一撃一撃が、純粋破壊力では測れないフォトンブラッドの威力上昇効果を得ていた。

 

「くッ―――ぎッ―――アッ―――!?」

 

 殴って、殴って、殴って。

 ファイズの拳が千回以上叩き込まれて。

 それ相応のフォトンブラッドも叩き込まれて。

 

 ―――先に倒れたのは、ライダーの方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北崎を羽交い締めにしていたデルタが倒れる。

 もはや長瀬は、北崎を捕まえておくこともできないほどにボロボロだった。

 巧がドラゴンオルフェノクを千度殴った衝撃が、ドラゴンオルフェノク越しに一部伝わり、それがトドメのダメージとなってしまったくらいに、ボロボロだった。

 

「長瀬!」

 

「くっ……は、ははっ……そっちの方が、先にダメになっちゃった、みたいだね……!」

 

《 Time out 》

 

 アクセルフォームも時間切れ。

 ドラゴンオルフェノクを倒しきれずに、加速形態の時間は終わる。

 北崎は勝利を確信し、倒れた長瀬をデルタのスーツごと踏み潰そうとし―――倒れる。

 

「あ……れ? おかしい、な」

 

「何もおかしくなんかねえよ」

 

 決着だ。

 ファイズは倒れず、ドラゴンオルフェノクはもう立てない。

 長瀬の気合の拘束と、巧の意地の連続拳打が、とうとう北崎から戦う力を奪い去っていた。

 

「長瀬は耐えたんだ。お前が負けるまで……俺達が、勝つまで」

 

「馬鹿な……そんな、馬鹿な!」

 

 北崎は倒れたまま、自分の横で変身解除して倒れたままの長瀬を睨む。

 立ち上がろうとしても立ち上がれない。

 照夫の怒り、長瀬の気合、巧の維持が、最強のオルフェノクの喉に牙を立てたのだ。

 

「こんな雑魚に、僕が……!」

 

「ザコで悪かったな、クズ野郎」

 

 長瀬は倒れたまま、北崎に中指おっ立てて挑発した。

 なんとまあ、その場のノリで生きている男だ。

 こんな挑発に意味は無いだろうに、やらずにはいられなかったのだろうか。

 

「……ん? ああ、思い出した。君……そうだ、社長の村上くんが言ってた……長瀬裕樹?」

 

「社長の村上? ……スマートブレインの社長か? テメエ、何の事言ってやがる」

 

「ふふ……ダメじゃないか。携帯電話の背面に、血の着いたプリクラなんか貼っちゃ」

 

「あ? そんなの俺の勝手だろうが。あいつらの血だ、汚いとか思わねえよ」

 

 何故それを知っているのか? 長瀬は嫌な予感を伴う疑問を持った。

 確かに長瀬の携帯電話の背面には、千翼とイユのツーショット写真が貼ってある。

 だが長瀬はこちらの世界で携帯電話を滅多に表に出さない。

 この世界では通話もインターネットも使えないからだ。

 だから、長瀬の携帯の存在を知っている者がそもそも多くない。

 

 いや、そもそも、何故スマートブレインの社長が、長瀬の携帯の話を北崎にしたのか?

 

「君さ、何で今生きてると思う? ()()()()()()()()()()

 

「―――!?」

 

「君はオルフェノクの記号を埋め込まれて蘇生したんだ。九死に一生を得たわけじゃない」

 

 オルフェノクの記号。

 それは、死んだ人間に手術で埋め込めば蘇生し、記号に適合すればその人間をオルフェノクへと変え、記号の相性次第ではオルフェノク専用のライダーズギアの使用も可能とするものだ。

 長瀬は"生き残った"のではない。

 長瀬は"生き返った"のだ。

 あの日琢磨に殺され、オルフェノクの記号を埋め込まれ、蘇生していたのである。

 

「君の携帯のプリクラさ、血が着いてたよね。

 血だから当然細胞も付着してた。

 ま、死んでたけど……村上君はそれを研究して、『溶原性細胞』って呼んでたね」

 

「……ま、さか」

 

「村上君言ってたよ。

 死んだ細胞に極小サイズのオルフェノクの記号を埋め込んだら、また動き出したって。

 細胞はオルフェノクの記号に適合して、()()()()()()()したんだって。

 凄いよねえ、細胞単位でオルフェノク化って。生きたいって欲求が細胞レベルで凄いんだね」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 長瀬が居た人とアマゾンの世界で、死者が生者と化すことはない。

 だがこの世界では、それがあり得る。

 

 溶原性細胞は、千翼という少年が保有していた細胞だ。

 これは僅かに水に混ざっただけで、その水を飲んだ人間を、人食いの怪物・アマゾンに変化させてしまう。

 その汚染力と影響力は、切断された腕を山の中に埋めただけで、山を水源とした天然水の全てが汚染されたほど。濾過も殺菌も完全無意味で、最終的に万単位の人間が人食いとなった。

 

 溶原性細胞は、人間の細胞を自分と同質の細胞へと変質させる。

 溶原性細胞が一つ二つ体内に侵入しただけで、人間の細胞数十兆個があっという間に変質、溶原性細胞の近似種になってしまうのだ。

 ならば。

 そのオリジナルである溶原性細胞が、オルフェノク化していたら、どうなるのか?

 

「お前ら……お前ら! それを、千翼の細胞を、どうするつもりだぁッ!」

 

「村上君はばら撒くって言ってたけど?」

 

「―――」

 

「面白そうだよね。

 だってこれ、"オルフェノクになる才能がない人"も、オルフェノクになるんでしょ?」

 

 仮に、人間を殺し生き残ればオルフェノクに変える毒があったとしよう。

 2003年の推定地球人口は60億。

 60億の内30億がこの毒を飲まされたとしても、オルフェノク化成功率を考えれば、まだまだ人間がオルフェノクに勝つ可能性はある。

 

 だがこの『オルフェノク溶原性細胞』がばら撒かれたとしよう。

 これは毒よりもずっと人間に飲ませやすい上、60億の内30億が飲まされた場合、即座に30億のオルフェノクが発生するため、その時点で人類は詰みだ。

 溶原性細胞は細胞ごと作り変える。

 オルフェノク化に失敗した人間が死ぬのは、急激な進化に体が耐えきれず、肉体の方が崩壊してしまうからだ。

 全ての細胞構造が変異するなら、その手の問題が発生することはない。

 

 長瀬はこの世界に希望を運んできた。

 巧達には仲間という希望を。

 照夫には人生の指針という希望を。

 そしてオルフェノク達には、世界を支配するチャンスという希望を。

 全員に等しく、彼は希望を運んでしまった。

 

「君のおかげで始まるんだよ、人間の失楽園(パラダイスロスト)が! はははははっ!」

 

「ふざけんなッ! あいつの細胞を、そんなことに利用されてたまるかッ!」

 

 長瀬はぶっ殺してやる、と言わんばかりの形相で北崎に突っかかるが、指一本動かせない。

 この夜、長瀬は精神が肉体を凌駕してからも戦い続け、もはや怒りで体を動かせる領域をとっくの昔に突破してしまっていたのだ。

 怒りに叫ぶのが関の山で、北崎に何を仕掛けることもできやしない。

 

「千翼はな、あいつはな、ようやく眠れたんだ!

 死んでようやく責められなくなったんだ! それを、それを……!」

 

 それでも、長瀬にとって、その企みは許せないことだった。

 

「まあ、僕らの知ったことじゃないですね」

 

「!」

 

 そんな長瀬と北崎の二人に、何かが巻き付き引き寄せた。

 巧と照夫が止めようとするが間に合うはずもない。

 棘が無かったがために気付くのが遅れたが、長瀬と北崎を捕縛して引き寄せたのは、センチピードオルフェノクの鞭だった。

 

「琢磨っ……!」

 

「みじめな格好ですねえ、長瀬裕樹。あ、違いますか。これからもっとみじめになるんでしたね」

 

 琢磨は先程の長瀬の叫びと、その怒りの意味を理解したのか、サディスティックな笑みを浮かべて長瀬を煽った。

 

「後はファイズギアと王を回収して……いやあ、楽な仕事でした」

 

 琢磨は北崎をスマートブレイン製の車に乗せ、長瀬を鞭で縛ったまま、新たに生成した鞭を振るった。

 狙うは巧の腰のファイズギア。

 ファイズギアを取り上げ、王を確保する鞭が、大気の中を翻り――

 

「無様だな、乾」

 

 ――割って入ったカイザの光剣により、巧を狙った鞭は一拍の内に両断された。

 

「草加雅人!」

「草加!」

 

「オルフェノクが大暴れしてると聞いて駆けつけてみれば、随分な有様だ」

 

「うるせえ」

 

 琢磨は舌打ちする。

 いつもこうだ。長瀬が来る前から、いつもこうだった。

 巧の背中は草加が守り、草加の背中は巧が守る。

 二人が両方揃っていると、いつでもどこでも何をやっても、確実に仕留め損なうのだ。

 

「全く、普段は仲が悪いというのに、ここぞという時にはいつもこうだ……」

 

 琢磨は巧と草加のコンビに、一種の恐怖のようなものを感じていた。

 北崎と一緒に長瀬も後部座席に放り込み、琢磨は逃げの一手を打つ。

 

「今日のところは北崎さんの負けということでいいです。ですが、それ以上は譲れません」

 

 草加は追うか追わないかを迷ったが、血まみれの巧が変身解除して倒れ込んだのを見て、追いかけることを諦めた。

 

「チッ」

 

 代わりに草加は舌打ちし、救急車を手配する。

 照夫は長瀬がさらわれた現実を理解するのが遅れたが、理解するなりすぐに叫んだ。

 

「ヒロキーっ!」

 

 叫んでも、仲間は戻って来ない。

 巧の口の中に苦い後味が残る。勝てた、だなんて口が裂けても言えない気分だ。

 何せ、また仲間がさらわれてしまったのだから。

 

「悪いな草加、助かった」

 

「そんなことを言ってる場合じゃない。厄介なことになったぞ、乾」

 

「? どうした、何があった」

 

「木場、海堂とはもう連絡を取った。俺達三人が見つけたものは同じだったらしい」

 

 情報の確度を上げるには、複数のルートから確認された情報を、すり合わせればいい。

 

「来月初めに、奴ら何かを世界規模で散布するようだ。

 信じられない規模の何かが蓄積されたタンクと、航空機が用意されていたぞ」

 

「……マジかよ」

 

 だが、この情報の確度は上がって欲しくなかっただろう。人なら誰しも、そうであるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長瀬は牢の中で目が覚めた。

 

 頭の中がはっきりするまでの数秒で、すっかり癖になった確認を行う。

 ここはどこか? 少なくとも、知っている場所ではない。牢だ。

 自分の腰にデルタギアがあるかを確認。無い。デルタギアは取り上げられたようだ。

 長瀬が目覚めたことに、同じ牢の中に放り込まれていた男が気付いたようだ。

 

「あ、目が覚めたんだ」

 

 男は若いが、どことなく頼りない雰囲気と、優しそうな物腰を併せ持つ青年だった。

 

「君、名前は?」

 

「長瀬裕樹だ。あんたは?」

 

「三原修二。君と同じく、スマートブレインに捕まってしまった人間だ」

 

 力を取り上げられ、長瀬はまた無力となり。

 

 捕まえられた牢の中で、新たな出会いと巡り合っていた。

 

 

 




 『エミリ』はバラアマゾンの恋人の名前を貰いました。多分誰も名前覚えてない系のキャラ

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