ある日の放課後。
「達也くん、達也くんちょっと待って」
帰り支度を済ませ深雪と帰宅しようとしていた達也にエリカが手を振りながら近づいてくる。手には何やら箱のようなものが見えた。
「どうした?エリカ」
「そうそうこれ見てよ。うちの倉庫漁ってたらなんか出てきたからさ。」
達也は目を見開いてそれを見る。過去の遺物がこんな身近なところからでてくるとは。箱には小倉百人一首と書かれていた。
「それは百人一首と呼ばれる和歌集だな。今から一五〇〇年程昔の頃の歌人と呼ばれる人たちが詠んだ秀逸な和歌を一〇〇首載せたものだ。まさかこんなところでお目にかかれるとは……」
……そう、《小倉百人一首》。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍したかの歌人藤原定家がえらんだ秀歌撰である。飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの一〇〇人の和歌が一首ずつ並んでいる光景は壮観だ。ちなみに"小倉"は定家が編纂していた場所が小倉山であったからだとされている……
感銘を受けたような表情で呟く達也。そこで深雪は疑問に思ったことを口にする。
「ところでお兄様、《和歌》とは何ですか?随分古い書物のようにお見受けしますが」
「そうだな、まずそこからだった。和歌というのは季節の移ろいや、人々の心などの趣を感じたものを五七五七七という字数に当てはめて綴る詩のことだよ。
昔の日本の貴族はこの和歌によって異性にアピールしていたからね、教養として必須のスキルだったんだ」
「つまりこれはラブレターってこと?」
にやつくエリカの死語に達也は苦笑する。しかしそれは早計というものだ。
「それだけでもないんだ。三十一字という決まった型により多くの意味を持たせるために技巧を凝らした見事なものもたくさんある。つい一〇〇年前まではカルタとしての競技まであったほどだ。」
饒舌な兄の姿を深雪は嬉しく思った。多くの感情が制限されているとはいえ兄は知的好奇心が昔から豊富だ。
そんな兄の姿をもっと見たいと言うささやかなわがままも今なら許されるだろうか。
「なんだか面白そうですね。百人一首についてご教授願えませんかお兄様?」
「いいねそれ!あたしにもおしえてよ」
美しいというより、可愛らしい笑顔を向けてくる最愛の妹の願いを達也が断るはずもない。ただ達也には懸念することがあった。情操教育の一環として古典が消えてから久しい。そこでひとつの問題が生じてくるのだ。
「教えるのは吝かではないが、一つ問題があってね。和歌についてはそれを解決しながらになる」
「問題とはなんでしょうか、お兄様?」
純粋にわからないと言った風に首を傾ける妹に達也は人の悪い笑みを浮かべた。昔の多くの高校生を苦しめたであろう単語を口にする。
「"助動詞"だ」
「「助動詞(ですか)?」」
怪訝そうな表情を浮かべる二人。それもそうだろう、ここは国立魔法科高校。いくら実技試験が優先だからといって筆記試験も優秀でなくては受からない。
まして助動詞など中等部ですでに履修済みだ。
「説明不足だったな。百人一首などの古典は全て古語が用いられている。文法自体は変わらないが、随分現代とは異なるものだ。慣れるまでは相応の時間がかかる。
百聞は一見に如かず。まあ見てくれ。」
達也は帰り支度していた鞄の中から端末をとりだすと、そこに何やら打ち込む。
液晶には短い二文が並んでいた。
花咲かなむ
花咲きなむ
「二人ともこの文の違いがわかるかな?」
「"か"と"き"の違いでしょ。」
「確かに《花咲》と《なむ》の部分は同じですね。となると難しいところとはこの違いになるのでしょうか?」
狙い通りの答えに達也は笑みを深める。古語に関しての知識がない二人には少し意地が悪かっただろうか。しかしもう少し教えれば、聡明な妹のことだ。すぐに理解するに違いない。
「一見するとそうだろう。ただ一番の違いは《なむ》の品詞なんだよ。二人とも中学で品詞の活用や接続について学んでいるはずだ。《咲く》は現代語では五段活用動詞だ。となると《咲か》は未然形、《咲き》は連用形となるのはわかるだろう。
そしてこの《なむ》は何に接続するかによって品詞の識別をすることができる。」
「先程お兄様が仰っていた問題とはこの文でいう"なむ"の識別のようなことなのですね。
品詞が変わるということは一方が助動詞でもう一方は助動詞以外となるのでしょうか」
「そういうことだ。古語において、接続は非常に重要な意味を担ってくる。そこで未然形に接続するもの、連用形に接続するもの、と言った風に区別して覚えておく必要がある。無論、助動詞一つ一つにも意味がある。"き"や"けり"という助動詞があるがこれはいずれも過去を表し《~~した》と訳す。」
「未然形接続の《なむ》は助動詞ですか?」
「いや、違うな。」
「でしたら………助詞…ですか?」
「いいことに気がついたね。そう、この未然形接続の《なむ》は助動詞ではなく終助詞と呼ばれる種類の助詞に分類される。意味は他に対する願望で《~してほしい》と訳す。そう考えると"花咲かなむ"の意味は何になる?」
「……"花が咲いてほしい"ですか?」
「正解だ、深雪。短い語それも二字でこれだけの意味を表現出来るのが古語の美しさであり、面白さだ。」
「はい、お兄様。深雪もそう思います。」
正解のご褒美に頭を撫でられている深雪を横目で見るとエリカは溜め息をもらす。自分が持ってきた資料で盛り上がりいちゃつく二人を見てうんざりすると共に内心では焦っていた。
(なんか古そうな資料だったから達也くんに聞いてみただけなのに、すごい授業っぽくなってるし、それに中学の内容なんて一夜漬けだから忘れてるわ!品詞って何なのよ、わかった前提とかふざけんな!それになんかあたし空気みたいになってるし、そもそも助動詞と助詞の違いってなんだっけ。考えれば考えるほど頭ん中こんがらがるし…ってそれあたしがバカみたいじゃない。あの筋肉バカでもあるまいし、そ、そうあの二人が異常なのよ)
自分から望んだこととはいえ、思ったより型にはまった説明であまり理解出来なかったらしい。この少女はどうやら古典が苦手のようだ。
━━━━━だから、《花咲きなむ》の《なむ》は強意の助動詞"ぬ"の未然形と"推量の助動詞"む"の終止形になる。ここまではいいか、二人とも?」
「ええぇ!?」「はいお兄様。」
筆記の学年主席と次席の理解のスピードは常人のものではない。エリカが内心毒付いている間に随分先に進んでいるようだ。
「じゃあエリカ、さっきまでの説明を踏まえて"花咲きなむ"の訳をしてもらおうか」
突然のふりに対応できるほどエリカの古語に対する知識は多くない。
「あの…ちょっとごめん、用事が出来たから…か、帰るね。バイバイっ」
そう言うとエリカは手を降りながら教室を駆け出ていった。解答者が消えた問いには深雪が答えることにする。
「"花はきっと咲くだろう"ですよね、お兄様」
「ああ正解だ。それにしてもエリカのやつどうしたんだろうな」
「お兄様……わかっていらっしゃるでしょう」
話の半ばから明らかに気まずそうにしていたことを気づいていたのに緩めるどころか畳み掛けるように口調を早めていった兄には間違いなく人が悪い。
「あれでは"花去りなむ"ですよ」
ジト目をむけるが逆に笑顔で見つめ返されて頬を赤く染めてしまう。不意打ちの笑顔は深雪にとって刺激が強すぎる。顔の熱さを誤魔化すように周囲に目をむけると、あれから結構時間が経っているようで教室には達也と深雪の二人だけとなっていた。
「お兄様お話ししながら帰りませんか?お話の続きが気になりますし。」
二人だけということもあって、いつもより少し近くに寄り添う深雪。妹のまっすぐで艶やかな黒髪を透きながらふと達也は思い付いたことを口にする。
「久しぶりに手を繋いで帰るか?」
「はいっ」
深雪が二つ返事で了承する。
窓ガラス越しの光は赤く霞み、自分たちの影はぼやけていた。時間が過ぎるのは早い。妹と一緒に過ごせる高校生活もあっという間に過ぎ去るだろう。しかしこの忙しない時間も悪くない。嬉しそうに微笑む妹の姿にそう思った。
━━━━司波家
「そういえばお兄様、百人一首について一切教わっていませんが…」
「それはまた今度にしよう。それより先に基礎から学んでいかないと、読みとくことなんて出来ないよ。」
「…わかりました…司波先生」
「!?」