「……使用人として?」
敷居をまたいで振り返ったルイズがおうむ返しに繰り返した。
不機嫌さを露わに、シエスタを睨みつけるように見る。
「あんた本気で言ってるの?」
「はい」
何を悪びれるでもなく、あっけらかんとシエスタは頷く。
「学院長がサイトさんを受け入れられないのは、早い話火種を持ちこみたくないからでしょう?」
平民で、どこの誰とも分からないサイトを客として受け入れる。
平民と貴族を一緒くたに纏めるのはどう考えても無理がある。
それが無理なら、無理な箇所を可能になる様に変更してやればいい。
この場合、平民であることはどうあがいても変えようがない。
変えるなら客の部分だ。
「だからお客様としてではなく、私たちと同じ使用人としてなら、最初から上下の関係がはっきりしていますし、争いが起こることもないのではないでしょうか?」
「ふむ……」
オスマンは顎鬚を擦った。
一考の価値ありと見なしたようだった。
しかし実際にどうしたいか、決めるのは自分ではないとルイズを見れば、当の彼女は眉を顰めて考え込んでいる。
「ミス・ヴァリエール。私は拝見していませんが、サイトさんの手紙には使用人としてではなく、きちんと客として扱うようにと書かれているのですか?」
「……書かれてないわ」
ルイズに届いた手紙には「しばらく学院で人を預かってほしい。よろしく」としか書かれていなかった。
それ以外の情報は全くなく、久方ぶりの安否を知らせる手紙がこれかとルイズは激高した。
加えてまさか平民の男の子が来るとは思っていなかったルイズは、サイトがそうだと知ったとき、にわかに信じられなかった。
手紙には客として扱えとは書かれていない。
だから使用人として扱ってしまえ、と。
客として扱うのが無理だと分かった今、妙案に思える。
だが果たしてそれでいいのかという不安と不満がルイズの胸中を渦巻いていた。
ルイズの家族へ良い顔をしたい感情が表に出ていた。
音信不通の兄であってもそうである。
10の要望を12で返す。
恩を売れる分、次に何かあった時いうことを聞かせやすい。
特に今回はあのエリィの頼みなのだ。
いつか再会した時のために、恩は出来る限り売っておきたかった。
いうことを聞かせるための材料を用意しておきたかった。
実家に戻らせるための材料を。
しかし事ここに至って、未だそれを望むのはあまりに業突く張りというものだ。
ルイズは三度敷居をまたぎ、オスマンの眼前へと歩み寄った。
「……オールド・オスマン」
「うむ」
オスマンはゆったりと顎鬚をさすっている。
何が言いたいかはわかっていると口元にほのかな微笑みすら浮かんでいた。
その動作がいやにルイズの神経を逆なでした。
「サイト・ヒラガを学園で雇っていただくことは可能でしょうか?」
その晩、サイトは学園にある小さな部屋で一人横になっていた。
シエスタに連れられて来たその部屋は使用人用の個部屋であった。
サイトは今ぼうっと天井を見つめて考え事をしている。
彼を照らす唯一の光は隙間風に揺らされて儚げに揺らめいた。
垂れた蝋が燭台に固まって白くこびりついている。
黒い煤で汚れきった燭台に蝋が対照的に際立っていた。
サイトは視線を動かした。
小さな部屋に、ベッドと机と椅子と箪笥。
それで一杯一杯の広さだ。
ただ一つの窓の向こう。
窓の外を覆う帳には細かな星々が装飾されている。
その星々の位置はサイトが知っている座標ではない。
何より月が二つある。
赤と緑の月々はサイトの知るそれよりはるかに大きく、ずっと明るい。
赤と緑の月々に照らされる風景は今まで見たことがないほど幻想的だった。
ここが日本ではないことを何よりも如実に証明している。
「母さん……」
不意に出た言葉に意味はない。
この世界にいないその人を呼んだ理由を、サイトはよく分かっていた。
「明日から執事だってさ。何すればいいのかはシエスタが教えてくれるって」
そこから先は言葉に詰まったように途切れた。
何も知らされずここまで来た。
何も言われずこの世界にやってきた。
エリィは今どこで何をしているのだろうか。
サイトは思い出す。
必ず元の世界に戻すと言っていた。
そのために世界を旅すると。
必ず帰る方法があるはずだと。
何かあてがあるらしかった。
サイトはエリィに着いて行くつもりだった。
待てと言っていた。お前はここで待てと。
けれどサイトは頑として首を縦に振らなかった。
危険だからと、無関係を装って待つことなど出来ようはずはなかった。
不用意に宙に浮かぶ鏡に手を突っ込んだ俺にも責任はあるとまで考えていた。
俺のことなんだから俺も行くと主張して、その言葉を最後まで貫き通した。
渋々、エリィも納得したはずだった。
それなのに……。
「なにやってんだよ……」
あいつは今どこにいるんだろう。
空に浮かぶ大陸を出てこの国に着いたとき、エリィは一度実家に戻ると言っていた。
何も言わずに出てきた。
間違いなく修羅場になるからお前は先に行っていろとサイトを一人馬車に乗せた。
トリステイン魔法学院の知り合いに話は通してある。その手紙を持って行けと。
結果、この現状である。
最初からエリィはサイトを連れていくつもりはなかった。
最初からサイトをここに残して行く算段だった。
「くそっ!」
反芻した事実に苛立ちが募って、サイトは起き上がった。
無造作に置かれていたエリィの手紙を掴み、力の限り床にたたきつけた。
「なんなんだよ、一体!!」
苛立ちは治まらない。
騙された。裏切られた。
抑えきれない悲しみはサイトの胸中を蝕んだ。
今、サイトは一人である。
その個室にサイト以外誰も居ない。
この世界に来て初めて孤独が襲ってきた。
サイトに親身になってくれた人は誰も居ない。
母も父も友人も。
エリィもあの子も。
誰も居ない。
サイトは布団にくるまって目を閉じた。
瞼の奥の暗闇はサイトを慰めるようににじり寄ってきて、その実、言い知れない悲しみが心を満たした。
「サイトさーん、起きてください」
ふわふわと浮かぶ意識はゆらゆらと心に安らぎを満たしている。
昨日、あれだけ恐怖した暗闇が揺り籠のようにサイトを優しく包み込んでいた。
自身を呼ぶ声は夜の幕の向こうから聞こえてくるようだった。
「サイトさん。……サイトさん!」
自分の身体が揺れている。
揺り籠が壊れ始めた。
徐々に徐々に意識は浮上し、あるいは地に足を付け始めた。
それでもなお、サイトは与えられる優しさを手放したくないと必死にそれにしがみついた。
やがて揺れは激しさを増し、ついには幕は上がってしまった。
「サイトさんっ! おきなさい!!」
ぐいっとひったくられた布団。
幕の向こうにはシエスタが立っていた。
ずっと自身を呼んでいたのはシエスタだった。
しかしすぐ近くに立っているにもかかわらずその表情は見えない。
夜のとばりはまだ完全に上がったわけではなかった。
サイトは言った。
「まだ暗いじゃないか……」
シーツを自分の身体に巻き巻き。
わずかに寒さが和らいだ気がする。
シエスタの呆れ声が上から聞こえた。
「サイトさーん。ご自分の立場わかってます?」
立場。
心の中で反芻し、サイトは薄目を開けてシエスタを見た。
やはり顔は見えない。
窓を見れば、夜空の境界はまだ遠く山の向こうだった。
「……使用人ってこんなに早いの?」
「当然です。私たちは常に先回りして行動しますから。……ま、今日はいつもより少し早いですが」
んー、と唸る。そうかこんなに早いのか。これは思っていたより大変だ。
どこか他人事のように思う。
それから、僅かに芋虫のように身体をくねらせた後、ついにサイトは観念して起き上がった。
その頭は寝癖で頭大爆発といった様相を呈していた。
シエスタは笑いを堪えて頬を痙攣させ、サイトの背中を押して外へと促した。
「さ、まずは顔を洗って身だしなみを整えませんと」
「んー。……洗面所は?」
「洗面所?」
あー……。
そう言えば、この世界に来て洗面所は見たことがない。
あの子の家でも水は汲んで使っていた。
風呂だけはなぜかあったが。
「さ、急がないと怒られちゃいますよ」
ぐいぐいと押されるがまま、サイトは部屋を出る。
部屋の外は極寒で、寝ぼけ眼を擦るまでもなく、一瞬でぱっちりと開眼した。
こりゃ、この世界の生活結構大変そうだと、やっぱりどこか他人事のようにサイトは思った。