ルイズはしばし我を失っていた。
目の前の光景が信じられず、茫然と虚空を見つめていた。
サイトもマルトーも突然現れたルイズを見つめてピクリとも動かない。
静かな時間が過ぎる。
「ルイズ―?」
ドアの向こうから、ルイズを呼ぶ声をが聞こえてくる。
キュルケである。
ぎゃーぎゃーとうるさい騒音を注意しに行ったルイズが、なぜだか扉の前で固まってしまったので不思議に思ったのだ。
ルイズはその声に復活し、慌てて扉を閉めた。
それから大きく息を吸って、吐いて、もう一度サイトたちを見る。
何も変わらない。
中年親父のキス顔は吐き気を催すほどの恐ろしさだった。
「……」
何を言えばいいのか、注意しに来たというのになぜ自分が圧倒されているのか。
ルイズはこめかみをもみほぐして言うべき言葉を考えた。
そうして出てきたのは、何とも当たり障りのない言葉だった。
「あんたたちうるさい」
声に覇気がない。
思いもがけない光景に、勢いは完全に削がれてしまった。
自分で言ってて違和感を覚えた。いっそ自分が間違っている気すらする。
「あんたは……」
マルトーが呟く。
もう随分長いこと学院でコック長をやっているマルト―は、ルイズがここに通う貴族であることにもちろん気づいていた。
制服を着ているし、そのピンク色の髪には見覚えがあった。
珍しいその髪色。高貴な貴族。何年か前に、同じ髪色の生徒がいた。
彼のことを思い出し、マルトーは遠い眼をする。
その隙に、サイトはマルトーの下から脱出した。
息荒く、唇を守れたことに安堵する。
ただでさえただでさえなのに、セカンドまで奪われたくはない。
良かった……守れてよかった。
その余韻に浸ることもなく、ルイズに耳を引っ張られた。
「なんちゅうもん見せてくれてんのよ……!!」
冤罪です。
俺も被害者です。
いたいいたい。
「はあ?」とルイズは不審そうにしながら、より強く耳を引っ張る。
いたいいたい。
そうして、サイトが抵抗していたことをその口から聞かされて、ルイズはようやく耳を放し、マルトーに向き直った。
「あんたここのコックでしょう」
「ああ……?」
どことなく放心していたマルトーは、目の前の子供が貴族であることを思い出した。
誤魔化す様に咳払いをした後、改めて返事をした。
「そうですが?」
「こいつ、私の客なの。わかる?」
マルトーは自分の頬が引き攣るのを自覚した。
貴族って言うのはどいつもこいつもこんな感じだ。
貴族の強権を傘に着て、自分の思い通りになるよう物事を進めたがる。
こいつもそう言う輩だ。
貴族大っ嫌いなマルトーは、ついつい喧嘩腰になりそうな自分を律して何とか平静を装う。
「それで、優遇しろと?」
「誰もそんな事は言ってないわ」
ルイズは凛と述べる。
「普通に接しなさい。普通に仕事を教えて、普通に仕事を任せて、普通の給金を与えなさい。それで、あんたの、その……おかしな性癖に巻き込むのはやめなさい」
男同士の濃厚なキス。
場面を想像したルイズは頬を染める。
それを聞いたマルトーは、一瞬何を言われたのか分からず間をあけて、すぐさま反論した。
「いやいやいやいや、俺にそんな気はない! なんだってそんな……」
言いながら、マルトーは先ほどサイトにキスをしそうになったことを思い出す。
男同士、酒が入った時にはキスぐらい日常茶飯事なのだが、さっきは完全に素面で、サイトに憐れんだゆえ我を忘れての凶行だった。
考えてみれば、出会って間もなく酒も飲んでないサイトにはさぞや身の毛のよだつ行動だったに違いない。
「あー……、悪ふざけが過ぎた。悪かったな新入り」
サイトはほっとした。
よかった。ホモじゃなかった。
もしホモだったらこれから先ずっと警戒して暮らさなきゃいけなかった。
「気にすんなよおっさん。俺も少しびっくりしただけだし」
懐深く、心優しいサイトはもうキスされそうになったことは気にしていない。
どうせファーストキスはとっくに奪われている。
今更セカンドだサードだと女々しく守るつもりはない。
もちろん男は別としてだ。
なにはともあれ一件落着。
サイトとマルトーは互いに和解し、握手までした。
笑い合う二人。
騒動を経て何だかんだ仲の深まった二人の間で、ルイズは半眼で二人を睨んだ。
「…………」
怒気が膨れ上がるのを感じる。
サイトとマルトーは身をすくませ、恐る恐るルイズを見た。
「……まあいいわ」
ルイズはため息交じりに言った。
ほっと息を吐く。
そんなことより、とルイズはサイトの指さしてマルトーに告げた。
「昼、こいつ借りるから」
「へ?」
サイトは馬鹿っぽく声を出した。
「いや、俺仕事があるから」と逃れようとしたが、言い終わる前にマルトーがどうぞどうぞと快諾した。
「へ?」
「そ。じゃ、そういうことで」
ルイズは扉の向こうへ帰っていった。
貸出予定を組み込まれたサイトは、唖然とその後ろ姿を見送る。
ぽんっと肩に手を置かれて振り向くと、マルトーが親指を突き出して笑っていた。
声がなくともわかる。
幸運を祈ってるぜとかそんな感じだ。
守ってくれるんじゃなかったんすか、マルトーさん……。
昼。
午前の授業が終わり、広間でティータイムと洒落込む生徒たち。
各々、召喚したばかりの使い魔を連れ、友人やあるいは恋人と優雅なひと時を楽しんでいた。
サイトはそんな彼らを尻目に、ケーキや紅茶を運ぶ仕事をこなしていた。
黙々と注文された品をテーブルに運ぶ。
給仕くん。給仕くんとあっちこっちから呼ぶ声がする。これこれこの品を持ってきてくれと頼まれるのだ。
それに応じて、サイトは広間をあっちからこっちへ。こっちからあっちへ。忙しなく駆け巡った。
「新人かね給仕くん」
「はあ……」
金髪でキザっぽい、なぜか薔薇を咥えている生徒にそんなことを言われた。
隣にはブロンドの女の子を連れている。それだけでサイトの敵愾心はメラメラ燃えた。
「僕が頼んだのはチーズケーキだよ。チョコケーキじゃないんだ」
「すみませんした」
「いや、怒ってるわけじゃないよ。ただ、次からは気を付けてくれたまえ」
髪を掻き上げた気障野郎は、フォークでケーキを突き食べ始める。食うのかよ。
「気をつけないさいよ」と恋人っぽい女の子が便乗っぽく付け足した。サイトは一礼してその場をさがる。べーと心の中で舌をだした。
あちらこちらを走りまわる。
その後も何度か注文ミスをして、何度か転びそうになったが、数をこなすうちにかなり慣れてきた。
「今度はちゃんと出来たね」
「はあ」
「これからも頑張ってくれたまえ」
何とかと言う銘柄の紅茶を気障野郎の所に持って行ったら薄っぺらい激励を貰った。なんで薔薇加えてんの?
聞きたかったが、貴族に向かっておいそれと声をかけるのは憚られる。
サイトは給仕に戻ろうとして、突然巨大な威圧感を感じた。覚えのあるそれにはっとする。
「さ~い~と~」
――――鬼がいた。
桃色ブロンドの小さな鬼である。
背中にオーラを纏ってゆらりゆらりと近づいてくる。
「昼は用があるって言ったじゃない……なんでこんな所で働いてんのよ……探すの手こずったじゃない……!!」
「ぁ……ご、ごめ……」
「なんか言いなさいよ、さ~い~と~!」
「すみませんしたわすれてましたゆるしてくださいなんでもしますから」
「言ったわね?」
「え……?」
「なんでもって言ったわね?」
「あ、いや……」
「ならキリキリ話してもらうわよお兄さまのこと、家に報告しなきゃいけないんだから」
首根っこを掴まれ引きずられる。
背はサイトの方が高い。力だってサイトの方があるだろう。なのに抵抗できない。すでに心が屈していた。鬼は恐ろしい。
取って食われようとされるサイトのことを、その場の貴族たちは見て見ぬふりをした。
目の前のケーキや紅茶やワインに舌鼓を打つ。だが冷や汗をかいていた。触らぬ神に祟りなし。
その時ばかりは貴族庶民の区別なく、皆が心の中でサイトの安息をお祈りしていた。