その日は、満月でした。
「はい、お疲れ様」
それは、長い冬休みを終え新年を実家で過ごし───全寮制である清澄女学院へと向かう前夜。私はかかりつけ医である昌幸様と薫様に診断を受けてもらっていました。
昔に比べると、体調は随分と良くなりました。現代は著しく発達し、無理矢理食を摂らなくとも栄養素を摂ることは出来ます。ビタミン、エクオール、果てはマグネシウムまでサプリひとつあれば十分に摂取することが出来るのですから、現代はとても便利です。
尤も、過剰摂取は身体に毒ですし食が大切なのは分かっておりますが。京野菜、美味しいですわよね。
閑話休題───
「ありがとうございます、薫様」
私は、目の前で手間をかけさせて頂いた薫様───幸村様の実の母に御礼を言います。その声に反応した薫様はニコリと笑って一言。
「いえいえ、あの人のお手伝いをするのも私の仕事だから。それにしても、成長したね寧子ちゃん」
「身体......ですやろか?確かに最近は中学まで着ていた服が入らなくなってしまって───」
「違う違う。いや、確かにそっちもそうだけど───身体的な数値、だよ」
ふむ、誤解でしたか。
それでもその誤解を肯定されたことに喜べば良いのやら、恥ずべきことと感じるのかは私には分かりませんが確かなことは私が健康に向かって歩き出しているということ。
「血圧も、心配機能も安定してる。後は外的要因がどうしても心配な所だけど......日常生活を送る分には全く問題ないわよ」
「そうですか」
それでも、激しい運動は出来ない。その言葉を孕んだ目付きを薫様は向ける。それ即ち───
「この国では、これ以上が限界ね」
やはり、か。
その一言を飲み込んだ私は、既に私の心の中では確定している既定事項を薫様に告げるべく、口を開く。
「実は、前々から昌幸様から言われてはいました。『日本の現代医療では、お嬢さんの病気は治せない』───と」
「......出来ない訳でもないわ。けど、より高い可能性を求めるのなら───あの人の考えそうな事ね。変なところで人に気を遣う。それでも、あの人が扱っているのは生命なんだから、それが正しいのだろうけれど」
そこまで仰った薫様は私を見て、尋ねます。それは、かつての私が憧れた『強い意志』を孕んだ目付き。
上田家と関わり、前向きになることの出来た私の憧れの人でもあった、薫様の優しくも強い立ち姿。
「本当に、それで良いの?」
それらを前にしても、私の言うことは1つ。
「はい」
ニコリと、かつて人見知りだった私が懸命に鍛えた表情筋でそう言うと、何が滑稽だったのか薫様はクスリと笑って私を見ました。
「......何か、おかしかったでしょうか?」
「ううん、ごめんごめん。ちょっと私の求めてた答えとは違ったから」
「え」
「ユキと、このままで良いのかなー......って」
その瞬間、頭の奥が沸騰したかのような感触が私を襲う。それは、まるで火山の大爆発のような、そんな感触───
「あー、やっぱり。顔赤くしちゃって、可愛いなぁ寧子ちゃん」
「......松華様の性格は、親譲りだったのですね」
上田家の血筋は、無意識のうちに人の心を掻き乱す傾向がある。どうして、この状況で幸村様の話が出てくるのやら。私の頭では到底理解出来るものでは無いことから、上田家の性格の特殊さが滲み出ているような気もする。
ただ───それも悪くは無いと思ってしまうのは、この家との歓迎が懇意である所以なのでしょうか。
「くすくす、何時もはこうやってニコニコしてるだけだけど寧子ちゃんは可愛いから。どうしても私の親友と同じような対応をしてしまうのよね」
「親友......ですか?」
「うん、自分の気持ちを素直に表せなくて......それでも夢に向かって大胆不敵に飛び込むことの出来る女の子───性格はちょっと違うけど、大差はないよ」
さて、と薫様が仰ると私を再度見つめる。それは、先程のような目付きではなく、薫様のもう1つの笑み。周りの人を思わずほんわかにさせてしまうような、そんな笑み。
「手術はさ、焦らなくても良いんだよ。今の寧子ちゃんならこの先無理をしなければ大事が起こることはない。それよりも、大事なのは今のこの瞬間だよ」
「今───?」
「そう、今。ユキにも言ったんだけどさ。まだまだキミたちは将来の展望の事なんて気にする必要はないんだよ。後のことなんてどうにでもなる。けど、過去は取り返すことなんて出来ないんだから、さ」
過去は、取り返せない。
薫様のその言葉は、私の心をぐっと掴みました。確かに、過去は取り返す事の出来ないものであり、言っていることは間違ってはいない。
けど、それよりも私はやりたいことがある。
それは、身体的な問題を払拭しまだ知らない未知の世界に足を踏み入れてみたいという事。
平静を装ってはいた。けれど、私だって乗馬をしてみたい。プールで力一杯泳いでみたい。球技だって、やってみたい。
そして、あの時私を変えてくれたあの人と、色んな体験をしたい。
けど、それらを可とする為には身体を治さなければならない。そして、懸念していることは『持病』の手術が失敗してしまった場合。
お爺様の話では、手術成功率は7割という。成功すれば夢見た生活を送る事が出来る。けれど、失敗してしまえば最後。意識が戻らないかもしれない、最悪......『死』のリスクもある。
そうしてしまえば、私は自らの夢も、心に抱いている恋慕の情を伝えることも出来ない。その可能性を考え、二の足を踏んでいるのも確かだった。
「大切なのは、ここだよ寧子ちゃん」
そう言うと、薫様は自らの胸に手を添える。
「自分が何をしたいか、何を成したいか。自分の胸に聞いてご覧。今なら、自分の本音が聞けるから」
「......その根拠は、何処へ?」
「経験談、かな」
そう言った薫様の瞳は、少し物憂げなものと化す。しかし、その瞳も束の間。ニコリと笑った薫様は私を見て一言。
「ユキがここに居たら、なんて言うと思う?」
はて。
その質問に対しての答えを私は持ち合わせては居ないのだが、この問いには答えなければならないのだろうか。
「......」
もし、幸村様がここにいたのなら。そんな事は想像に難くはない。恐らく、笑って私の目を見てくれる。そして、病気の事を気にしてくれる。
『自分のやりたいことをやれ』
そんな事を言ってくれるのだろうか。
「......なんて、そんな事言われても分からないよね。何せ、あの幸村だもん。とあるお嬢様には変態紳士と呼ばれ、何時も私達に驚きをプレゼントしてくれる位だもの......何を言うかなんて、分からないよね」
「......そうですね」
確証なんてものは何処にもありません。更に言ってしまえば、人の発言に『絶対』なんてものはない。私がここでどれだけの事を空想した所で、その空想が当たるわけでもなし。そう考えたら、先程までの考えが阿呆らしくなってきました。
「......さて、あんまり長居するのも良くないよね。私は雇われのお医者さん。今は客人じゃあるまいし、せっせと帰宅させて頂きます、お嬢様♪」
その声に、私は顔を上げて薫様を見上げる。そして、不意に視界に入ったのは溢れるほどの暗闇に包まれた夜空。あの時、何度も何度も満点の夜空に祈っていた。政宗様と幸村様の仲が変わらぬように。そして、秘めた思いが何時か伝わるように。
「───くすっ」
私は大馬鹿や。
そんな事を祈ったところで何かが変わったやろか?
先程学んだばかりではないか。何を空想した所で空想は空想。それに留まるのみであり、テレパシーのように何かが伝わる訳でもない。
───否、万が一の事が起こったとしても噂レベルのくしゃみを幸村様が被る位であろう。空想で未来が変わるのなら今頃私の身体は健康体になっている。
「......薫様」
「?」
私は、薫様に告げる。満月を見ながらそう言う私に自然と薫様の目付きが私に集まる感覚が私を襲う。その感覚の刹那、振り絞るように言葉を続ける。
「私、恋がしとうございます」
後悔しない生き方をしたい。
誰にも負けない恋がしたい。
届け、届いての願望だけではきっとダメなのだ。
自分から、掴みにいかなければならない───
「......良いじゃん。それが本当の気持ちなら、思い切っていかなきゃ、ね」
「はい」
「私はその意思を尊重するよ。何かあったら遠慮なく、どうぞ」
そう一言、言い残して薫様は襖を開けて去っていく。その背中を見て、私は一言───
「ありがとうございます」
貴女のお陰で、本当にやりたいことを再認識することが出来ました。
指針がはっきりして、成すべきことも明確になりました。
感謝してもしきれぬ想い───返すのなら、感謝の言葉のみならず私の本望を叶え、酸いも甘いも噛み分けるであろうこれからのエピソードを土産話にするのが良いでしょう。
それだけの大恩を、私は薫様に感じているのですから。
あれから、1度幸村様と出会いました。
幸村様は相も変わらず鋭い目付きを浮かべていながら、心は幾らか温和になり、御学友にも恵まれて充実そうな暮らしをしていました。
それでも、彼には胸の内に秘めた大きな使命があります。
『でっど・おあ・らぶ作戦』と言いましたですやろか?
そのような作戦を政宗様と共に遂行中だとか。そして、私が幸村様と出会ったのはまさにその作戦の真っ最中。意図せずとも、私は彼等2人の作戦に巻き込まれてしまったのでしょう。
ファミレスで、政宗様と復讐対象の御方と話しているのを共に伊達眼鏡を掛けて、変装しながら観察しました。
ハダピュアの話とサッカーアニメの話に花を咲かせながら、服屋に入っていった政宗様と復讐対象の御方とのドタバタ劇を生暖かいであろう目付きで共に観察しました。
そして、その中で分かったことというのは。
やはり幸村様は政宗様との復讐を現時点では最優先に考えていて、それ以外の事はどうしても後回しになってしまうということ。
そして、そんな事を分かってはいても。幸村様と共に居たい、と考えてしまう私がいること───
『お前が前に進みたいと思って、行動し続けるのなら、どんな形であれ俺がその手を引く。俺が藤ノ宮を助けるよ』
そして、それでも幸村様は優しい人だから。どれだけの使命を背負い込んでも頼みを断らない。
ああ、ほんにいけずな御方や。
きっと貴方にとって、私という存在は友情の中の一欠片でしかなくて、貴方のそれに恋───なんて考えは全くもってないのでしょう。
それ故に、そんな事を言えるのでしょう?人の恋慕の情にも気付かずに、貴方は私に優しさで、接してくれている。そのような勇気が出てくる言葉を授けてくれる。
そんな事、分かってるのに。意識して言ってる訳じゃないのに。
その言葉に私は胸が痛いほど嬉しくなって、舞い上がって、笑ってしまうのです。
大変なのは、分かっているつもりだ。幸村様が政宗様との復讐を成す為に様々な趣向を凝らし、努力をしてきたのも話を聞いて、知っている。
そして、その復讐が途方もない程の道程になるやも分からないという事を、私は幸村様との追跡で知った。
幸村様の『政宗様への助力』という強く鋼のような想いに簡単に割り込めるだなんて、そんな事は何一つ感じていない。
けれど、何一つ動かずに待ちぼうけ───なんて、そんな事はしたくないのです。
必要なのは、『動き出す勇気』。『自分から訴えかけていく勇気』。
秘めた想いは必ず伝える。
けれども、ダメならすっぱり諦める。幸村様の弊害になるような事は行いたくないから。
その2つの真反対の想いを胸に、私は勇気を持って進んでいく。
待っているだけでは、ダメですから。
「寧子様、お車の準備が整いました」
その言葉に、私は頷き歩き出す。
慣れ親しんだこの地にも、暫しの別れを告げる日がやってきた。自らの望みを叶える為に両親の心配を他所に別れを告げる───というのも何やら薄情な気がしますが、そこは『恋の力』ということでひとつ。
「......良かったのですか?身体的にもこの土地を離れるのには負担もありましょう。望みを叶えるのなら手術を終えてからでも───」
「椎堂」
私の発した一言に、椎堂は言葉を止める。悪いことをしてしまったか、最後まで話を聞くべきだったのかもしれませんね。
ええ、分かっています。病状が悪化してしまう可能性もある以上、手術を終えてからの方が憂いもなく望みを叶える為の行動が出来るでしょう。
それが良いに決まってる。そうした方が良いと分かっている。けど───
「死んだ後じゃ、遅いですから」
その時の私が、どんな顔をしていたのかは分かりません。けれど、その時の椎堂がとても辛そうな顔をしていたのは確かで───
「『死ぬ』だなんて言わないで下さい。病は気から、寧子様がそのような心持ちでは根治出来るものも出来ませんよ」
「......ええ、そうですわね」
私が、暗い言葉を発していてはいけませんね。まさに、ここから始めようとしている私の新生活。暗い顔から始めるよりかは明るい顔で、誇らしく、優美に歩き出していきましょう。
ドアを開けてくれた椎堂の腕の下を通り、後部座席へと座る。何年も座って、慣れていたはずの藤ノ宮御用達の外車の座り心地は、何時もと変わりなくて心が落ち着く。
そんな気持ちのまま、私は運転席に座った椎堂を見て、言葉を紡ぐ。
「椎堂」
「はい」
「これから、迷惑をかけてしまうこともあると思います。いえ、既に迷惑はかけていますね......我儘に付き合って貰っているのですから」
5年前───恐らくそれ位前の年に、椎堂は私の付き人として、時として起こす私の奔放な行動に付いてきてくれた。本来なら、私の我儘は私で片付けてしまいたい。一般の人としては、人に振り回される───なんて生活が楽しい訳ないのだから。
それでも、椎堂は首を横に振りバックミラー越しに私を見る。
「お嬢様。私は藤ノ宮に雇われた人間であり、お嬢様の付き人という御役目があります。
……確かに、お嬢様の奔放ぶりには頭を悩ませる時もありましたが......今、こうしてお元気にいらしている事。そして、やりたい事を懸命にこなそうとしているお嬢様を見ていると、心のどこかで『嬉しい』と思える自分がいます」
「……椎堂」
「ですからどうか、私の事はお気になさらずに。私はお嬢様に願いを叶えて欲しいのですから。
──それに、あの御方とならば私個人としても安心ですし」
その言葉に、私の心拍数がぐっと跳ね上がった。顔は燃えるように熱くて、梅雨明け───冷房が少し効いている車内にも関わらず身体が火照りを知る。
「......興が過ぎてよ、椎堂」
「それは申し訳ございません。ですが御家族以外の方々の中で幸村様程お嬢様の身体状態を気にかけてくれる御方もいないというのが現状なのでは、と思いまして」
「確かに幸村様は気にかけてくれますけど......確かにそうですけどっ」
「特に見合いの話も聞いていませんし、ご心配なさらずに当たって下さいな。きっと、あの方真正面からぶつかってきてくれますよ」
「余計なお世話です......」
最近になって私の周りの人達が私を面白がる風潮が高まってきているような気がします。昔は、まるで人形のように、大切にされてきて。それこそ軽快な小噺なんてされる事も少なかったのに。
「......ですが、好きでしょう?」
その言葉に、身体の火照りは更に熱を増す。今なら、頭から湯気でも出てきそうな予感もする。
ええ、そうですとも。
好きですとも。
けど、それを口に出せるほど今の私の心は鋼鉄ではありません。恐らく、今『好き』だなんて言葉を発してしまったら本当に脳内がフリーズしてしまって。訳の分からない言葉を連発してしまう事でしょう。
故に、私は頭を下げて独り悶々とした時を過ごす。そうすることで、少しでも頭の中で展開されている煩悩を払おうとしたのですが。
「椎堂」
「なんでしょうか」
「煩悩、というものはどうしたら消えるのでしょうか」
「申し訳ありませんが私には分かりかねます」
誰のせいでこうなったと思ってはるのや。
時は過ぎて、春は過ぎてゆく。
時期的には、中途半端な時期である今日この頃。
私、藤ノ宮寧子は淡い恋心を胸に上京する───。
さて、この恋が『本当の意味で』実るかどうかは......
これからの努力次第、でしょうか。
幸村のラブコメ的には、ここからがプロローグかも。