6月、見事に梅雨の時期に入った──
梅雨前線爆ぜやがれ、エクスプロージョ───なんて環境上よろしくないことを頭の中で考えつつ、俺はコンクリート製の坂道を傘を刺しながら歩いていた。
梅雨の季節が始まり偶にしとしと、時にザーザーと雨が降るこの時分に何故俺が鬱陶しい坂道を歩いているのか。それにはしっかりとした理由があるのだ。
真壁政宗が、熱を出した。
皆も良くやったのではないか?熱や病気で学校を休んだ友達に代わり、明日の持ち物や、連絡事項等を書いた紙などを渡すお邪魔します感満載のこのイベント。実は俺、それをやっている最中なのだ。偶偶俺と政宗が教室外のベランダで会話を弾ませているのを見た担任がそれを理由にして俺に任せた。仲がいい事を否定する訳ではあるまいし、寧ろウェルカムなのだが放課後に大雨が降ってきた事もあり今は好き好んでやった事とは言え二つ返事で安請け合いしたことに少し後悔していた。
次第に雨が強くなってくる。昨日のニュースによると今日の午後は雨のピークらしい。ソースは大学帰りの松華。こんな時に熱出して休むなんてちょっと羨ましいぞ政宗──なんて自分でも分かるくらい下劣な事を考えて歩いていると大きな武家屋敷が見える。
「おー...久しぶりだな、真壁家」
俺は目の前にある立派な家を見上げながらかつて世話になったこの家と暫く顔を見ていなかった『師匠』に思いを馳せていた。
※
「久し振りじゃのう、幸村」
その言葉は、居間の奥に座布団を敷いて鎮座している男から発せられた。
「ああ、久し振りだね爺さん」
そして、俺は爺さんの座っている向かい側に正座で座っていた。
真壁のお爺様──名前は伏せておく──は、かつての俺の師匠であり、勉学に勤しみ過ぎて貧弱に、更にはぼっちで暇人だった俺に思うところでもあったのか鬼のような強化メニューを俺に与え、俺を虚弱体質から一気に健康体のムキムキマッソーに変えた張本人である。
爺さんには、感謝してる。学業には前世の知識があるため困るというわけでは無かったのだが松姉さんのように生まれつき、発想と応用に優れた天才等ではない。夢のキャンパスライフ目前でおっ死んだ俺にとっては松姉さんのようなキャンパスライフを悠々と過ごす事に関して強い憧れがあった。そのため、幼少期。俺は親父の目を盗んでひたすらに難しい教本を読み漁り、少しでも良い大学に行こうと学校で覚えることを1からやり直した。今では教本を読んでいたところを松姉さんに見られてありえないものを見るかのような視線をされたのも良い思い出だ。
と、まあひたすら教本を読み漁った結果、学業に差し支えるようなことは全く無くなり前世の高校時代よりか随分と頭も良くなったのだが幼少期時代を殆ど親父の書斎で過ごして来た俺には体が虚弱体質になるという弱点が出来てしまったのだ。
それを見かねた松姉さんが真壁の爺さんに口添えをした。故に、俺は真壁の爺さんに2年間もの間、指導を受け、武者修行に武者修行を重ねた結果俺は虚弱体質を改善し、文武両道?な人間になった。
あれは地獄だった。体の線が細かった俺は兎に角食べて、走って、食べて、走ってという地獄絵図すら生温い特訓をエンドレスにやり込み、夜にはひっそり虹色に輝く何かをリバースするという珍行動を幾度と無く行った。今考えると良くあんな鬼特訓をやったな、と思う時もあるが、後悔はしていない。寧ろあのままガリガリだったら2回目の昇天をしてしまいそうになっていたかもしれないからやって良かったとも思っている。
「政宗と仲良くしてくれているようじゃな。毎日幸村の事を話してくれているよ」
感謝する、と真壁の爺さんは付け加える。
「何でそっちが感謝してんの。寧ろこっちが感謝だよ爺さん」
真壁の爺さんに鍛えてもらって、虚弱体質を改善してもらうだけに足らず、政宗という最高の友達まで出来た。
本当に俺は真壁家に縁がある様だ。
「感謝しているよ爺さん。もちろん政宗も」
あ、これ政宗にはオフレコで頼むな。と言うと真壁の爺さんは顔を綻ばせる。
「ほほほ、まさか昌幸と瓜二つの倅にそう言われるとは思っても見なかったわい」
「おい、あのゴルフ親父と似ている件について詳しく説明を願おうじゃあないか」
何処が似てるんだ。そう思い真壁の爺さんに食ってかかるとそれすら見越していたかのように爺さんが笑う。
「そうやってムキになる所とか若かりし昌幸にそっくりじゃ。子は親の背中を見て育つ...どうやら迷信では無かったらしいの」
具体的にそう言われてしまった俺は返す言葉が見当たらずそのまま引き下がる。ぐうの音も出ないとはこの事を言うのだろうか。
「それで、何か用があって来たんじゃろ?どうかしたのか?」
ああ、そうだった。肝心の本題を忘れていた。そう思い俺は脇に置いていた袋を机に差し出す。
「これ、明日の持ち物と手紙が入った袋な。特に明日は体育があるからな。体育着を持って来るように政宗にも宜しく伝えといてくれ」
体育は忘れたら見学だからな。楽しい楽しい体育(独りでやる体育が楽しいとは一言も言っていない)を見学なんて勿体ないだろう?
「おお、済まないの」
机に置いた袋を爺さんが確認するのを見届けながら俺は用意されていたお茶を啜る。
「...政宗、俺と同じ位の厳しさで指導してんの?」
それとなくそう呟くと、真壁の爺さんは首を横に振る。
「それ以上じゃ。お前さんと政宗の鍛え方は違う。幸村は元々余分な脂肪や贅肉が無かったから筋肉を付けて、健康に暮らすだけで健全な体を作ることが出来る。しかし、政宗は別じゃ。あやつの場合は先ず余分な脂肪を剃り落とさなければならない。そして、そこから筋肉を付け無ければならない」
そう言うと真壁の爺さんは1度話を区切る。
「あのままでは只のデブじゃ。せめて政宗には健康的な暮らしを送ってもらいたいのじゃが...」
そう言ってため息を吐き思案する真壁の爺さん。
爺さんは一見、厳格に見えるがその実人情に厚い人物でもある。政宗に対して厳しくしているのも孫を愛する子煩悩ぶりからだ。でなければ政宗は無視されていただろうし、そもそも体型についてとやかく言われることは無かった筈だ。
俺の時もいくらサボったり、ゴールに遅れても最後まで付き合ってくれた。政宗にも是非、この爺さんの厳しくも優しいこの心を知って欲しいものである。
「...なあ、爺さん。急に済まないが聞きたいことがある」
政宗は一体何をされたんだ?何故アイツはいじめっ子にすら持たなかった復讐心をとある少女Aに向けているんだ?
かつて政宗は言っていた。
『態々自分から突っかかろうとは思えない』と。詳しくは違うがそのようなニュアンスを孕んだ言葉を政宗は言っていた。
それと同時に政宗はこうも言っていた。
『あの憎ったらしい女に復讐しなければならない』と。あの温厚な政宗が、怒りを露にそう言ったのだ。余程の事をされたのか、何かが政宗の琴線に触れたのか。そう考えなければ俺の中でその問題は完結できそうも無かった。
「それを知って、幸村はどうしたいのじゃ?」
長い沈黙が辺りを襲った頃、爺さんはそう言った後更に続ける。
「真壁政宗──否、あやつが『早瀬政宗』だった頃の過去を知って、何か出来るのか?」
そう言って、真っ直ぐ俺を見つめる爺さん。その視線を俺は真っ直ぐに見返す。
「政宗は、どう思っているのか知らないけど俺は政宗の事を親友だと思っている」
奴は、この信州という土地で男友達が一人も居なかった俺に話しかけてくれた。そして、俺を認め友達になってくれた。話し相手になってくれた。俺のお掃除ロボのような生活を、変えてくれたんだ。
政宗には、限りない恩義を感じている。だからこそ、俺はその恩に報いたい。何かを売りっぱなしにするのは俺のポリシーに反するし、断じてそれだけは容認できない。
そして、仮に政宗が想像を超える行為をされていたのなら──
「俺は政宗を助けたい。あれだけ人に優しく自らの意思と目標に真摯な人間が虐げられる道理はないから」
この時の俺を後々になって思い返してみると、実に青臭いセリフを連発したな、と心底思う。
だが、その青臭いセリフを連発してでも、あの時の俺は多分、真壁政宗を助けたい、そして『真壁政宗を知りたい』と思ってしまったのだろう。
それでも、そんな発言をしたにも関わらず真壁の爺さんは俺の事を笑わずに真っ直ぐ、ただただ俺を見続けていた。そして、
「...とある、『少年』の話をしようかの」そう言うと真壁の爺さんは1度呼吸を整え、『とある少年』の話を始めた。
昔、日本のどこかに、両親の愛情を一心に受けた少年がいましたという。
その少年は太っていた。身長も低く、低俗な言葉で表現するのならば『ずんぐり』とした体型。そして、当時の少年はやや世間ズレしており自然と同年代の人間は、彼を虐めるようになったという。偶偶近付いてくる人間も少年が裕福な家庭という事実を知った上でのお溢れ狙いが全てだったらしい。
その日もまた少年は虐められていた。しかし、その日だけは違った。とある少女がいじめっ子達を言葉で撃退し、色々あってその少年と少女は顔を合わせる様になった。
その少女は彼を虐めるのではなく、罵った。『強くなれ』とそう言って。そして、事実その少女と共に政宗は強くなった。苦手だった犬も触れるようになったし、いじめっ子にも仕返し出来た。何より、親友にも近いその少女がいた事により、政宗は他者を考え、思いやれる人間になったという。
しかし、そんな彼の良心を元から崩壊させる出来事が起きた。
『あんたなんか好きにならないわよ。豚足』その少女の為に花を集め、渡そうとしたその時に窓際の長い髪の少女に言われたその言葉はいとも容易く、その少年の心を打ち砕いた。
心から信頼していた。尊敬の念すら持っていた少女に裏切られたその事実は重く、重くその少年にのしかかった。
結果、その少年は少女に2度と会えなくなった。夢にまでその時の出来事がフラッシュバックするようになった。
そして、その少年は傷心のまま信州へ
これが『とある少年』の過去の一端だったという。
「...これが政宗の過去じゃ」
そう言って最後に締めくくる爺さん。俺はその話を聞いて、心に曇りが出来たような感覚に陥った。
話を聞く限り、政宗はその少女を信頼していた。そして、少女も少年を信頼していた。それなのに、何故急に一方的に『豚足』と言われた?
話を聞く限り、政宗は何一つ悪い事をしていない。それなのに、政宗は一方的に罵られた訳であって『政宗側の主観点にスポットライトを当てるならば』明らかにその少女が悪い。
それでも、その少女が罵倒する理由が分からないし、何故突き放すかのような行為をしたのかも分からない。仮に『少女側の主観点にスポットライトを当てたなら』どうなのか?彼女に突き放さなければならない理由があったのなら?俺にはそこが分からなかった。
否、分からないのはそれだけではない。俺には本当の政宗と少女の関係や、その少女がどういう人間なのか、それすらも深く知ることが出来ない。本人に聞いて傷を抉るような行為をする事は出来ないし、俺だってそんな事したくない。
それでも、これだけは確実に言える。政宗は、暗い過去を背負い、それを覆すために努力を重ねている。そして、俺はそんな政宗の暗い過去の一端を知った。ならば、数少ない友達として俺が出来ることは──
「爺さん、俺は決めたよ」
友情の押し売りかもしれない。だけど俺は自分の良心に従って、アイツの手助けをしたい。どんな結末であれ政宗を助けたいんだ。
「...そうか、ありがとう幸村」
そう言うと、真壁の爺さんは安堵したような表情を見せる。その表情を見て、やっぱり真壁の爺さんは子煩悩な人なんだな、と改めて思った。
気がつけば、雨は止んで家の庭に日射しが差し込んでいた。その光は、今までが曇り空だったからか、やけに気持ちが良かった。
※
夜──俺は家に帰ったあと、何時ものようにシャワーを浴びて家族でメシを食べてそのままベッドに横たわっていた。
ようやく一人になれる、と安心した所で今日の出来事を回想する。
爺さんの家に行って、政宗について何気なく聞いた事によって、俺は今日、政宗が抱く復讐の重さを改めて知った。
普段、温厚を地で行く政宗が『復讐』という言葉を初めて使った時は驚いたものだったが今日の真壁の爺さんの話のお陰で政宗が復讐を敢行するまでに至った経緯を知ることが出来た。
そして、俺はそんな政宗を手助けすると真壁の爺さんに大見得を切った以上、俺は政宗の手助けについて何をしたらいいのかを本気で考える必要があった。
一緒に訓練を受ける、いいかもしれない。独りでは挫けてしまう時もあるだろう。そんな時に俺が一緒に政宗と壁を乗り越える。...どんな辛い出来事でも二人でやれば何とかなる。大丈夫だ、ホワイトニングさんだってサンスクリーンさんと一緒に頑張ったんだ、何とかなる。何とか...なるよな?
時々、遊びに連れていくのもいいかもしれない。甘い物とか食べ物は、食べ過ぎに注意すれば真壁の爺さんも許してくれるはずだ。そして、俺自身も政宗と色々なところに行ってみたい。食べ歩きとか憧れるよね!俺はぼっちだったから食べ歩きなんてした事も無い。...悲しくなんてないんだからな?
「ま、それらは後から考えれば良いか」
時間はまだまだ残っている。復讐を敢行するならするで時間をかけて対策をしっかり整えた方がいい。短絡的で中途半端にやるくらいならやらない方がマシだからな。
気が付くと、時計は10時を回っている。俺は政宗の未来に幸あるようにと願い、目を静かに閉じた。
この作品を執筆してから沢山のお気に入り登録や評価を頂き、誠に感謝の気持ちで一杯です。これからも鋭意執筆させて頂きますので今後ともこの作品を宜しくお願い致します。