ロクでもない魔術に光あれ 作:やのくちひろし
ルミアが誘拐され、リィエルとの交戦後、どうにか敵対していた彼女と和解して組む事が出来たものの今回の事件を起こした黒幕のアジトへ来たが、そこは警備が厳重なために侵入が困難だと思っていた。
だが、俺にしか聞こえない声が俺を導いてアジトとは別の所へと向かわせていた。
白金魔導研究所の前の樹海を通り抜け、妙な扉が見えた。
「……ここに?」
「多分……なんとなくこっちから聞こえる気がする」
「ここから入るの?」
「いや、無理……」
どう見ても魔術的な仕掛けを施されてることだろう。そんなものを俺が解除出来るわけがない。
『必要ない……』
「ん……?」
『僕達が……やる』
瞬間、扉の表面が発光してパズルが移動するようなエフェクトが流れるとギギギ、と音を立てて扉が開いていく。
『もうすぐ……』
「……辿り着くってことか」
『……急いで。あいつらの目もいつまでも誤魔化せない』
「時間はないか……」
「……行くの?」
「ああ」
俺達は扉を潜って薄暗い通路を駆けていく。それからしばらくあの声の導きに従い、誰に見つかることもなく通路を通り抜け、広い空間へと出た。
「……何処? ここ」
「さぁ……」
ただあの声に従っただけだから、ここが何なのかなんてわからない。見えるのはあちこちに昼間見たような円筒が立っていた。
『やっと……来てくれた』
「ここが、目的の場所っぽいけど……君は何処に?」
『君の、すぐ前……』
「……え?」
言われて前を見ると、目の前の……緑の液体に満たされた円筒。曇ったガラスを手でふき取ると、そこには悍ましいものが浮かんでいた。
「っ……ゔっ、ぐ……っ!?」
一気に吐き気が襲って来た。円筒を満たす液体の中には脳髄が浮かんでいた。いや、ここだけじゃない。前後左右……あちこちに並んでいる円筒みんな同じように脳髄が浮かんで並んでいた。
所々肉体の残ってる者はいるが、まともに生きている者はここにはいなかった。
「な、なんだ……ここは……?」
『あいつの……バークスの、実験の成れの果てだよ……』
「実験……だって?」
『よく見て……みんなの足元』
足元……円筒の根本辺りを見ると、札のようなものがかけられていた。……『感応増幅者』。こっちは『発電能力』……『発火能力』に『氷結能力』……全て知りうる限り、異能の能力名なんだろう。
「こ、これは……まさか……」
『うん。みんな異能者……僕もね』
「君は……『思念送受信者』?」
『うん。これは文字通り、僕の意思を伝えたり、自分が思い描いたイメージを見せることが出来るし、その逆も。もっとも……あまり距離があるとこの研究所の結界の所為で聴こえなくなるんだけど……その所為で僕達の声は今まで届かなかった』
「……ちょっと待て。おかしい……結界があるなら何で俺には君の声が聞こえるんだ? 施設内に入った時に聞こえるならまだ距離が近いという理由で納得はできる。だが、君の声は外でも聞こえていた。しかも俺だけにだ。それは何故……」
『本当なら中に入っても普通の人には聞こえないよ。でも、お兄さんは僕の声に耳を傾けられる人だったから……』
「それって、どういう……」
『魔術師なら誰でも、ある程度知識を仕入れたら自分が何者なのかを知ろうとする。自分の魂の形を探るよね?』
「……
魔術師のみならず、この世界ではあらゆる生命が魂を持つ際、世界を構成するあらゆる『概念』のいずれかを内包した状態で出ずる。それが
それらはオリジナルを目指す魔術がまず最優先で確認するものであり、その先天的な音色が各々の魔術に影響を及ぼすものでもある。グレン先生のあの[愚者の世界]も魔術の乏しさもその魔術特性が深く関わったものなのだろう。
そして、肝心の俺の魔術特性だが……[器の変革・調節]。それが学院で検査を受けた俺の魂の在りようだった。
ハッキリ言って、これが魔術にどう関わってるのかはわからなかった。これだけでは俺の得意不得意がくっきり別れてる理由が不明だし、発動すらできない魔術があるのもわからない。だが、その魔術特性がここで作用して彼の声を聞くことが出来るようになってるみたいだ。
「……俺の魔術特性が関係したのはわかった。それで、俺をここに呼んだのは何でかな?」
『……僕達を…………殺して』
「…………え」
喉がうまく動かなかった。即答で拒否したいものだった……。でも、周囲の光景を見ると、最早助かることはないというのも嫌でも理解してしまう。
それでも、何故……どうしてそんな事にと、それしか考えられない。
『僕達も、もう限界なんだ……残った部分がじゃない。僕達の心がだ』
聞こえてくる声は震えるような、そして今にも消え入りそうなほど小さくなっていく。
「それって、どういう意味だ……?」
『……見せて──いや、伝えるよ。僕達が、どんな目にあったのか』
「何を──」
するつもりだと言葉を紡ぐこともできず、視界が暗転した。目の前の景色が渦巻き、身体の感覚もなくなり、妙な浮遊感に包まれる。
一瞬の暗闇の後、目に映ったのはのどかな草原だった。
その景色を見ながら歩いているように見えるが、自分の足で立って歩いている気がしない。なのに感覚だけはわかる。
妙な矛盾が俺の脳に刻まれている。伝えるというのはこういうことなのだろう。どんな仕組みかは知らないが、俺にこの景色を見せ、この景色を見ていた人の感覚を俺に伝えているのだろう。
そう考えてると、すぐに目の前の景色が一変した。
あれだけ緑に満ちていた景色が赤く、紅く、朱く、緋く変貌していた。草木が燃え、点々と建っていた家が炎によって崩れ落ち、あちこちで黒焦げになってしまった死体がころがっていた。
炎に焼かれずに済んだと思われた者も、炎の中を歩く奇妙な集団によって切り捨てられ、明暗の差はあれど、辺り一面は赤一色に染まっていた。
この景色を見た者も、炎の熱さが……濃密な死の臭いが……どうしようもなく苦しくて、救われたくて、だから……目の前にいる者達がこの事態の元凶だとわかっていながらもそれに縋り付くしかなかった。
だが、それはこれから始まる地獄の序章に過ぎなかった。
再び視界が暗転し、次に見えたのは何処かの檻だった。そこには歳の近い者同士で集められた場所のようだ。
白衣に身を包んだ者がひとり連れていき、その少し後で悲鳴らしい声が聞こえてくる。それが終わればまたひとり連れていかれ、同じように悲鳴が上がる。
それによって残された者達は恐怖によって震え上がらせ、自分の出番が来るのをただ待つ事しかできなかった。
何度も同じ光景が、同じ悲鳴が繰り返し、遂にこの景色を見ている者が連れて行かれる。
白衣の者に引っ張られ、歩いて行った先には緑の液体に満ちた円筒の並んだ空間だった。
『づっ──!』
首筋に痛みが走る。何かの薬だろうか、身体に力が入らなくなり、倒れる。それを白衣の者が拾い上げ、硬い寝台の上に寝かされ、手足を拘束する。
次に見えるのは同じような格好をして顔をマスクで覆った者達と……狂気に表情を歪ませたバークスの顔だった。
それからは痛みの嵐だった……。
『あ、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
手足を切りつけられる感覚が──
『ぐ、うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
体内に異物が入り込んでいく感覚が──
『あぁ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
色を、音を、味をしるために大事な部分が次々と激しい痛みと共に喪われていく……。
それらを失っても尚この痛みは収まりなく、怒涛のようにこの身に刻みつけて来る。既に声を出す部分は喪われたため、叫ぶ事も出来ない。
それが何時間……何日……何年も続いていき、痛みの怒涛はなりを潜めるも失った故の痛みは永遠に続いていく。
世界を知るための器官は無くしても、魂は円筒の中に縛り付けられ、痛みと恐怖はずっと脳を焦がし続けて行く。それは自分達を攫った者が自分達を用済みと判断するまで延々と刻まれて行く。
「……っ! ぐ……っ!」
「リョウッ!?」
視界が戻り、声を出せずにいた反動が現実世界で発生した。
身体に傷こそないものの、あの炎の熱と血生臭さ……身体のあちこちを削り取られる感覚が脳に焼き付けられていた。
どっちが現実で、どっちが幻なのか曖昧な気持ち悪さに嘔吐してしまう。
あれが、彼の──いや、ここにいる者皆がアレをずっとその身──いや、脳に焼き付け続けられたのか……。
『わかった? 僕達がアイツから何を受けたのか……』
わかった……というより、自分がアレを受けてた気分だ。あんな残虐な、とても人間のすることとは思えないものをバークスはずっとこの子達に浴びせていたのか。
『だから、もう終わらせてほしい……せめて君の手で、終わらせてほしい』
「それ、は……」
言ってる事は否応なしにも理解してしまう。あの子達がどんな痛みを与えられ、そしてそれが今も尚続いているのも。
でも、それをするのをまだ躊躇ってる──いや、自分の手でそれをするのを嫌がってるという、浅はかなものだ。
「…………」
「待て……」
リィエルが両手に大剣を持って歩み出ようとするのを止める。
「……リョウがしたくないなら、私がやる。リョウが苦しむのは見たくない」
「…………っ!」
自分を恥じた……。自分の浅はかさを呪った……。自分が手を汚したくないばかりにリィエルに汚れ役を押し付けて安心してる自分に憤りを感じた。
リィエルは俺の内心を察して自らこの子らを終わらせようとしてるのだろう。
「…………リィエル、ここは俺がやる」
「……でも、リョウ……」
「俺が……終わらせてやりたい」
この子達が求めたのは俺だ。それを聞いた俺がこの子達を送ってやるべきだ。
「…………ん」
リィエルは顔を俯かせて一歩下がる。
「……『清澗たる水よ・玉輪を穿て・巌を断て・刃を持ちて』」
目の前の円筒を、周囲の円筒を……透明な刃が一閃した。多分、苦しみもないと思う。
光の通った後には円筒を照らしていた照明の光を反射して煌めいた雫が飛び散っていた。
今使った魔術の名は[ウォーター・カッター]。地球でも、ウォータージェットと呼ばれるもので、水を高圧縮し、極細の噴出口から秒速五百から八百──ものによってはマッハ3程の速度で放水する事でダイヤモンドや金属の加工が可能になるほどの技術を魔術的に応用したものだ。
これだけの魔術……規模こそ小さいが恐らく[ライトニング・ピアス]並の軍用魔術と言っていいだろう。正直、水の魔術を考え始めてから真っ先に思いついたもので今の俺でも十分に可能な魔術だというのは前から知っていた。
だが、金属を斬れる程のものなのだから人なんてそれこそ紙のように切れてしまうだろう。だから人には向けるべきでないと思っていたが……既に死に体同然とはいえ、人の命を終わらせるために使ってしまった。
でも、[ウォーター・カッター]を放つ寸前……あの子が、『ありがとう』と、礼を言ってた気がした。
「…………なんで、礼なんだよ」
どうせなら恨み言の方がここまで胸を締め付けることはなかったかもしれない。むしろ自分が死んだ方がいい気さえしてしまう。
「……おい、こりゃどういう事だ?」
ふいに、後ろから聞き慣れた声が掛かった。
「……グレン先生? それに、アルベルトさん……?」
「……グレン」
黒いコートに身を包んだ疲弊しきった顔のグレン先生とアルベルトさんがツカツカと歩み寄って来る。
「リョウ=アマチか……何故お前がこの場にいるかはさておき、まさかリィエルまでもがいたとはな」
アルベルトさんが鋭い眼光を向けるとリィエルはバツが悪そうに目を逸らす。理由は知らないが、アルベルトさんはリィエルが裏切りとも言える行為をしたのを知ってるのだろう。
「待て、アルベルト。リィエル……ひとつだけ聞くぞ。お前は今、味方なのか?」
「…………うん。ルミアを助ける……システィにも、グレンにも謝りたい」
「……そうかよ」
ふぅ、とため息混じりに目を閉じたと思うと──
「ふんっ!」
「ゔっ!?」
リィエルの頭頂部に中立の拳骨を落とした。いくら頑丈でもあれは相当痛いだろう。
「う……グレン?」
「俺の腹に風穴空けた分はこれでチャラにしてやる。ルミアと白猫については後回しにする。今は俺達に協力しろ……いいな?」
「……うん」
とりあえず、この二人に限って言えば一件落着か……。
「さて、リョウ……この有様を説明してくれ。これ、どういう状況なんだ?」
「……『思念送受信』」
「あ?」
「『感応増幅』、『発電能力』、『発火能力』、『凍結能力』……あの子達の能力名です」
「っ!? まさか、ここらにいたのは、全部……」
「……調べでバークスが典型的な異能差別主義者だったのは知っていたが、想定以上に腐っていたようだな」
ここにいた者達の事を知り、グレン先生は怒りに拳を握り、アルベルトさんはこの場にいないバークスに軽蔑の意思を向ける。
「それで、その中の……『思念送受信』の子が、『終わらせてくれ』と。それで……」
斬ったと言う前に、グレン先生が俺の頭に手を置く。
「もういい。すまねぇ、嫌な役やらせちまって……辛かったろう」
辛い……。それもだが、何よりこの子達をこんな風にしたバークスに、こんな程度でしか『救い』を与えられなかった自分の程度が許せなかった。
「貴様ら……なんて事をしてくれたのだ!?」
嫌な空気の中、場違いな怒号と台詞が静寂な空間内に響いた。出口らしい通路から憤怒に表情を歪ませたバークスが躍り出る。
「貴様ら、そのサンプルが如何に貴重なものか、そんなことも理解出来ん程の愚鈍か!?」
「……サンプル?」
聞き捨てならない言葉が飛び出て、知らずのうちに手を握る力が強くなる。
「……ひとつ聞くぞ」
「何だ、ガキが?」
「この異能者達を攫う時、彼等の家族だけじゃなく、何の関係もない人達まで殺したようだが……異能を手に入れるためにそこまでする必要があったのか?」
俺の言葉にグレン先生とアルベルトさんが鋭い眼光をバークスに向けて放つ。対してバークスは一瞬呆気に取られたような表情をした。
「何を抜かす……私の偉大な魔術研究の礎となるのだぞ。普通なら悪魔と罵られ、殺されようというところをこのバークスが助けようとしたというに、あの馬鹿共は愚かにも私に牙を向け、逃げ出そうとした。全くふざけた話だ……少しは感謝してもらいたいものを」
「っ……けんな……っ!」
「それでも苦労をかけてやっとそれなりの実験材料を手に入れたと思えばこの有様だ! 魔術の崇高さも理解できん愚か者共がっ!」
「ふっざけんじゃねぇ! 何が崇高だっ! 結局はただの外道じゃねえか! いや、道だとかそんなもんじゃねぇ……テメェは人の皮被った正真正銘の悪魔だっ!」
心底頭に来た……っ! 今すぐにでもこいつの口を閉ざしたかった。
「待て、リョウ=アマチ」
「ぐ……何ですか、コイツは──」
「この男の相手は俺がやる。お前達は先へ進め」
俺の肩を掴み、先へ行けと促す。
「っ……何故ですか? あなたがいつからいたのかはわかりませんが、多分ここが怪しかったからかルミアの護衛ですよね。だったらこのクズは俺が──」
「この場に偶然居合わせたとはいえ、お前は本来この件とは無関係だ。だが、今は見ての通りグレンは満身創痍だ。学生とはいえ、お前の助けでもなければただの足手纏いだ」
「お前、本人目の前に喧嘩売ってんのか……」
「ここから先にルミア嬢がいる。だが、そこで何が行われてるのかわからん以上手は多いに越した事はない」
「だったら尚更あなたが行くべきでしょ。闘いの数もですが、罠に飛び込む状況なんてもっと経験がないんですよ。やっぱりここは俺が──」
「くどいぞ」
先程からバークスに向けていた冷ややかな鋭い目が今度は俺に向けられる。これ以上長引かせるならお前を先にと言わんばかりに。
「この男は俺が始末をつける……それが俺の任務だからだ。だが、貴様が今すべきはこのクズの血で己の手を汚すことか? 異能者の何を聞いて感情移入しているかは知らんが、彼等はもう既に死んでいる。今貴様が優先すべきは生者であるルミア嬢の救出だ。このまま時間をかければ彼女もあのような姿に変えられるぞ」
「……っ!」
そうだ……ルミアも異能者であり、アイツに攫われた以上、ああなるのも時間の問題だ。
「まあ、そういうわけだ。悪いが、真面目に時間もねえ……急ぐぞ」
「…………はい」
「……つうわけだ。リィエル、お前は殿だ。アルベルト、援護頼む」
「ん、わかった」
「行け」
アルベルトさんの合図のもと、グレン先生が駆け出し、それに続いて俺とリィエルも床を蹴る。
「馬鹿が! 格好の的だ! 《猛き雷槍──」
「《気高く・吠えよ炎獅子》!」
バークスが呪文を唱えようとする前にアルベルトさんが広大な炎を撃ち放つ。このままでは炎の波に呑まれると思ったが……。
「止まるな! そのまま走れ!」
グレン先生の一喝で足を速めると、炎が不自然にうねり、バークスのみに向かって蛇のように襲いかかる。
それを通り過ぎていき、次なる通路へと出る。
「いやぁ……本来無差別に辺りを焼き尽くす魔術を一節改変加えただけで軌道変更と集中放火とかマジ敵に回したくねぇなアイツ……」
通路を駆けながらグレン先生が先程の魔術の説明をしていた。しばらく不規則なリズムの足音が通路に響くとグレン先生が沈黙を破る。
「お前が異能者達から何を聞いたのかは知らないが……アルベルトの言う通り、お前は本来こっち側には来ちゃいけねえんだ。確かにお前が残って俺達で先進んだ方がルミアを助けられるかもしれねぇが、それが異能者達のためになるのか?」
「…………」
「そもそもアルベルトがあんな提案持ち出したこと自体驚いたわ。何より任務優先、確率厨な奴が護衛対象そっちのけで先に行かせた。口ではああ言ったが、あいつもお前の手を血で汚させたくねえんだよ」
「…………」
「……余計なお世話だって言いたそうだな。そりゃ、あいつらを失った辛さがわからんわけじゃねえ。もっと他に方法があったんじゃねえかとか、バークスをブッ飛ばして少しでも異能者達の手向けが出来ねえかとか色々考えてんだろうけどさ」
まるで俺の心を見透かすようにスラスラと俺が考えていた事を口にする。
「けど、異能者達のことばっか考えて後悔や憎しみに囚われて大義を忘れるな。前にも言ったろ……お前が進もうとしてるのはこういう事なんだ」
以前、病室で言ってたあれか……。今になって思い出すと、俺はこういう所を進もうとしていたんだな。血みどろの戦いになること自体はわかっていたつもりが……あんなものを見せられて今やらなくちゃいけないことを忘れてた。
「今はルミアを助ける事だけ考えろ。あの異能者達の事については……終わった後でじっくり考えろ。で、忘れるなよ……多分、今のお前が必要なのは──っと、見えたぞ」
最後まで続かず、通路の先に分厚い扉が見えた。
「よし、何があるかわからねえ。リィエル、お前から先に開けて入れ」
「うん」
ドゴオオォォォォン! と、轟音を立てて扉が粉砕され、ドーム状の空間に出た。
「お前、入れって言って何故壊す?」
「開けてって言ったから」
「いや、開けたっていうか……ああ、もういいや。なんかこれ見てるとお前が帰って来たんだなって謎の安心感が出てくる辺り、俺も随分毒されてきたな……」
溜め息ひとつついてからグレン先生は部屋の奥にいるリィエルの兄を名乗った青髪の青年と、ボロボロに服が破れてほとんど肌を隠す機能を崩した装いのルミアを見た。
「おい、ウチの生徒に随分と趣味のいいコーディネートしてくれてんじゃねぇか?」
「う……」
普段のグレン先生から想像もつかない鋭い目つきで青年は萎縮して一歩後退する。
「何故だ……バークスとエレノアは、足止めしてたんじゃなかったのか!? まさかあの二人に限ってやられたのか!?」
「あん?」
バークスの他に別の名前が出た。確か、競技祭で女王陛下を呪い殺そうとしていた首謀者であの人のお付きのメイドを装った天の智慧研究会のスパイだって言ってた。
バークスと一緒にはいなかった……。見捨てたのか……本来の用件がもう済んだのか。
「リ、リィエル……何故君がグレン=レーダスのもとにいるんだい? 君は兄さんの味方じゃないのかい?」
「それは……」
青年の懇願するような言葉にリィエルが戸惑いを見せる。
「兄さんの事は助けたい……でも、ルミアも助けたい。謝りたい事があるから……」
「リィエル……」
「何を言うんだ……唯一無二の兄だぞ! お前がいなくなれば僕は──」
「テメェ、いい加減にしろよ」
今までとは比較にならない程の怒気の孕んだ低い声を発したグレン先生が青年を睨みつける。
「さっきから兄兄と……ベラベラ法螺吹いてんじゃねえよ、このニセモンがっ!」
「な、何を言ってる……僕は正真正銘リィエルの──」
「そもそもコイツの事をずっとリィエルなんて言ってる時点でテメェは真っ赤な偽物なんだよ。テメェの面、そして後ろの術式……もう全部わかってんだよ。それは『Project Revive Life』……通称『
「なっ!?」
「「え……?」」
グレン先生の言葉に青年と、ルミアとリィエルの驚きの声がだだっ広い空間に響く。
「……まさかとは思ってたけど……やっぱりアイツは偽物で、リィエルは……」
「……お前、知ってたのか?」
「昼間の話で薄々は……」
グレン先生があの話に割って入った事を考えると、本当はリィエルには聞かせたくなかった事だったんだろう。でも、ここでそれを言うということはもうこの戦いでその話は避けられないということか。
「何で……私の名前が……?」
「シオン」
「え……?」
「シオン……それが、お前の兄だと思ってた……稀代の錬金術師の名前だ」
「っ!?」
戸惑うリィエルに彼女の兄らしい者の名前を出した途端、彼女の身体が仰け反るようにガクつき、地面にヘタレ込んだ。
「リィエルっ!?」
「落ち着け。そいつは今思い出してるだけだ……あの偽物に封印された記憶をな」
「封じられた……?」
「イルシア……イルシアって? 何で、兄さんもみんなも私をイルシアって……? 誰なの、それ……?」
意識が戻ったのか、リィエルが蒼い顔で聞き慣れない名前を口にしながらグレン先生に問う。
「シオンとその妹、イルシア……もう一人の仲間を含めた三人は天の智慧研究会の末端で件の計画を進行していた。その最中、シオンが組織を抜け出し、帝国に亡命する事を条件に内通者を担った。だが、天の智慧研究会の運営する研究所支部を強襲したところ、突然連絡が取れなくなり、捜索の末にイレッセの大雪林で血まみれになって倒れたイルシアを発見。イルシアは発見後間も無く息を引き取り、その直前に得た情報を基に研究所支部を捜索した結果、シオンの遺体と奴の行った研究……『Project Revive Life』の成功素体を発見」
「あ……」
「その成功素体が目を覚まし、自分をリィエルと名乗った」
「それって……」
「お前は、世界初の『Project Revive Life』の成功例。シオンの妹、イルシアの『ジーン・コード』から、錬金術的に錬成された身体を持ち、イルシアの記憶情報……『アストラル・コード』を引き継いだだけの魔造人間……シオンの妹とは別人だ。そもそも、お前には本当の意味で家族がいない」
「う……ぇ…………」
リィエルの身体が震え出し、普段の人形みたいな無表情が剥がれて今にも崩れてしまいそうなほどに弱々しくふらふらとよろめく。
「で、でも……兄さんは目の前に…………兄さんが誰かに殺されたアレは、何かの間違いで……」
リィエルは藁をも掴もうとしてるように青年に歩み寄ろうとする。
「…………やっぱさ、俺の最大の失敗は安直にシオンを殺したことだな」
「え……」
さっきまでとは違う口調で、邪な笑みを浮かべながら語り出す。
「俺が構想していたプロジェクトの術式が、あいつの手でいつの間にかシオンのオリジナルと化していたんだ。それに気づいたのはあいつを殺した後だったから……知った時は肝が冷えたよ」
「に、兄さん……?」
「まったく、『アストラル・コード』を弄って考える力を弱めたものの、人の記憶っていうのは思いの外複雑でな。自分の記憶と少し食い違ったり、封印した筈の記憶を刺激するものに会っちゃうと、途端に人の認識が変わっちまう……だから口調をアイツに似せたり、髪の色はリィエルとお揃いにしたっつうのに、ちっともうまくいかないもんだな」
「な、何なの……」
「いや、だってお前イルシアの人格と記憶を受け継いだコピー人間だろ。シオンを殺した時の記憶をどうにかしないとお前、言うこと聞いてくれないだろ。だから白魔術の記憶操作術式系の『キーワード封印』を使って『シオン』というワードを設定。もう少し時間をかければお前にとっての兄が完全に俺にすり替わって、俺にとっての都合の悪い記憶は消えて完全に妹として俺の手駒になるはずだったのに……もう少しのところで、お前が邪魔をした。グレン=レーダス! お前が俺のリィエルを勝手に持ち帰った!」
青年が忌々しげにグレン先生を睨む。
「なるほど……やっぱりお前はライネルだったのか」
どうやらあのニセ兄の名はライネルというらしい。
「二年前のあの作戦で外法研究所をアルベルトとぶっ潰してシオンとイルシア、そしてもう一人の研究仲間であるお前を連れ出すというのがシオンとたてた計画だったんだが……予想外な事にあの兄妹が殺された。だが、その中でもう一人の研究仲間であるライネルが行方不明になったままあの事件は終わったと思ったんだが……」
「やれやれ……もう全部お見通しというわけか。流石に元とはいえ、宮廷魔導士か」
「わかりやす過ぎんだよ。リィエルが兄の事を思い出そうとすると頭痛を起こしたり、コイツの事をロクでもないプロジェクトの頭文字で呼んだり……俺じゃなくてもちょっと考えれば素人でもわかるほどだ」
グレン先生が俺を指差しながら言う。
「はぁ……まったく、二年前に初めてそのガラクタと接触した時でさえ、そいつの『アストラル・コード』の掌握に時間がかかってあの時点である程度記憶の改変と封印が終わってたから再会したらすぐこっちに引き抜けるかと思ったところに……グレン、お前が現れた時は正直肝が冷えたよ」
「ガラクタ、だと……?」
ライネルの発言に拳に力が入り、グレン先生も懐から古いモデルの銃を掴む。
「おいおい、そう睨まないでくれよ。先生はともかく、学生のする顔じゃないでしょ?」
「うそ……だよね、兄さん……。だって、兄さんは私の……兄さんで、昔からずっと私を……」
グレン先生の話が本当ならシオンの名を聞いた時点であいつの事を含めて全て思い出した筈だが、それでも自分の内に秘められた現実を認めたくないのか、ヨロヨロと普段から重い大剣を振ってるとは思えない程手が弱々しく伸ばされていく。
「うん、もちろんだ。君は大切な妹……だったよ」
そんなリィエルとライネルは兄を名乗った時と同じ表情と口調で言い捨てる。
「けど、もう要らないよ。この子達が──」
「《いい加減に・しやがれよ・お前ぇ》!」
これ以上コイツの言葉は聞くに耐えなかった。俺は呪文改変で[アクア・ヴェール]を纏って鞭のように撓らせ、ライネルを叩きつけようとする。それと同時にグレン先生が取り出した銃の引き金をひき、轟音が広い空間に響く。
だが、それが届く事がなかった。突如ライネルの前に新たな影が三つも飛来してきたから。
「な……っ!?」
「嘘、だろ……っ!」
俺とグレン先生は目を見開いて喫驚し、リィエルはそれ以上に顔面蒼白でその光景を見て震駭していた。
ライネルの前には三人とも同じ顔の……リィエルが大剣を手に持って構えていた。
「ど、どう言う事だ!? 『Project Revive Life』はシオンの固有魔術だぞ! 一体どうやって!?」
「どうせ俺にはシオンみたいな事は出来ないと思ってたか? バカが!」
グレン先生の反応を見て愉快そうにライネルが叫ぶ。
「もう『Project Revive Life』はシオンだけのものじゃない! このルミアとかいう部品のおかげで! 俺はもういくらでもリィエルを作り出せるんだ!」
「……っ!」
最初からわかってたが、コイツも……バークスと同じ、人を人とも思わない屑だ。
「今回のリィエル達は完璧だ! 『アストラル・コード』から余計な人格や感情は予め徹底的に抜いたから僕の言葉に忠実に従う! 記憶の改変やら調整やら七面倒な真似などしなくても俺はリィエルの凄まじい戦闘技能だけを受け継いだ人形を生み出せる!」
「い、や…………」
「もう兄だなんだ演じるのも煩瑣だったからな! 余計な感情を持って右往左往されるくらいなら最初から余計な心なんて無くして俺の思い通りに動く人形を作れればそんなガラクタなんていらないんだよ!」
「あ、ああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
リィエルにとって最後の繋がりとも言えた兄の存在もこの男の暴戻によって無惨に打ち砕かれ、リィエルは悲痛の叫びを上げた。