ロクでもない魔術に光あれ 作:やのくちひろし
グレン先生がマナ欠乏症と戦闘のダメージによる出血多量で倒れてしまい、どうにかシスティと協力して医療室へ運ぶことができた。
今はシスティが[ライフ・アップ]でグレン先生の治療に当たっている。
俺は[ライフ・アップ]を発動することはできないので、いざという時のために医療室の扉の前で見張りをやっている。
少しするとグレン先生が意識を取り戻してシスティと会話していたようだが、俺はいつ来るかもわからない敵の襲撃に備えなければならないので聞く余裕はない。
それもすぐに終わってグレン先生は再び夢の中へと沈み、システィはそのまま魔力の続く限り[ライフ・アップ]をかけ続けた。
そんな時間がどれだけ経ったのか、医療室から昔の電話のコール音が鳴り響いていた。
確かこれはアルフォネア教授との連絡用の魔導具の音だったか。だが、グレン先生の意識は夢の中。もし緊急の連絡だったらすぐに出るべきか。
数瞬迷って俺はグレン先生の懐から連絡用の宝石を取り出し、なんとなくと魔力を流して見た。すると、宝石からこれが聞こえるようになった。
『グレンか!? 今どうしている!?』
「アルフォネア教授ですか?」
『……誰だ?』
「リョウです」
『……ああ、リョウ=アマチか……。グレンはどうした?』
いつものほほんとした態度で授業に出ていたアルフォネア教授にしては随分と慌てた様子で聞いてくる。
「さっきテロリストを……排除したところです。まだ顔も見てない人が残ってますけど」
『……そうか』
消沈したような声が聞こえてくる。グレン先生が何をしたのか察しがついているのだろう。
『まあいい……グレンが目を覚ましたら言っておいてほしい。奴に頼まれた件だが、点呼を取ってみたものの不自然に姿を消したような者はひとりもいなかった』
「裏切り者ってことですか?」
確かにそういった協力者がいればこの学院の結界を容易く突破できたのも頷ける。
「じゃあ、職員みんな白ってことですか?」
『いや、単純に結界の術式の情報を横流しして後は実行犯に任せるって手もある。まだ楽観視はできんな』
「そうですか……」
『それと、まだ時間はかかるだろうが、軍の奴らがようやく腰を上げてくれたよ。今宮廷魔導師団のそちらの支部が対テロ用の部隊を編成して向かわせてる。私もそっちへ行ければよかったのだが、やはり学院の法陣は潰されてたよ。全く、あれ相当の金と時間と素材が必要なんだぞ……』
アルフォネア教授が愚痴らしいことを言うが、テロリストに言っても無駄だとすぐに言葉を止める。
『ああ、それと妙なことがわかったんだが。帝都のモノリス型魔導演算機から魔力回線を通してそちらの結界を確認したんだが……』
「モ、モノリ……演算……?」
なんだか、妙にハイテクというか……ハイマジカルなものがあるんだなこの国……。
『まあ、とにかく遠くにいながら目的の建物の状態を見るためのものと思え。それで、今学院を覆ってる結界の話なんだが……外からは特別な術式を刻むなり呪文を唱えれば入れるが、内部から外には一切出られない仕様になっている』
「……え?」
アルフォネア教授の言葉が一瞬理解できなかった。
「えっと……それってつまり、入る事は出来ても脱出は不可ってことですか?」
『そうだ。学院の結界を弄ったところから相当空間系魔術に通じている奴だというのに、この欠陥だ。一体何を考えてるのやら……』
「つまり、今回のこれって自爆テロ……?」
『ゼロではないだろうが、それだったら人質を取る意味がない。内側から出られないのなら抵抗したところで無意味になるからな』
「ですよね……」
本当に今回のテロリストは何がしたいのかわからん。ひとりは如何にもな外道だが、いずれも相当の魔術の腕を誇ってるのに、こんなわけもわからん造りの結界を用意して閉じこもったり……。
今グレン先生が目を覚ましてくれてたら結界のことで何か気づいてくれるかもと期待していたんだが。
基本の魔術ですらまだ四苦八苦しているっつうのに、更に結界系の魔術の知識が必要になるとか、こんなことならあの人の授業もっと真面目に……待て。何だ? 今何かすげえ引っかかった。
「…………」
『どうした?』
「……アルフォネア教授。ひとつ聞いていいですか?」
『何だ?』
「あの人って……本当に学院を去っただけなんですか?」
『は?』
「本当に……
『待て、一体誰のことを……待て。お前まさか、奴を疑ってるのか?』
「どうなんですか!?」
『……それは生徒達に無用な心配をさせないための表向きの理由だ。実際は、理由不明の失踪だ』
「まさか……」
『いや、確かに奴はその手の専門家だが……』
「だったら法陣の件も! あの人ならそれを書き換えてそれを脱出手段にすることだって!」
『それこそまさかだ。いかに奴がその手の天才だとしてもそれを実行するのにどんなに周到にモノを用意しても半日はかかるぞ』
「俺達が通学する以前から進めてたんならもういつ半日経ったっておかしくないでしょう!」
俺は宝石をグレン先生目掛けて放り投げるとそのまま医療室を出て行く。宝石からアルフォネア教授の呼びかける声が聞こえるが、こうなった以上本気で悠長に待つだけはできない。
先も言ったように、今回の犯人もこれから実行しようとすることも俺の予想通りだったとしたらもう一刻の猶予もなしだ。
そのまま廊下を突っ切り、校庭を横切り、並木道へ入るとやけにバカでかい白亜の塔が見えた。適当に走ったけど、あそこはいかにもって感じだ。オマケに道の傍らにあるレンガの欠片みたいなものが集まりだして、それが巨人の群れに変わった。
恐らく、警備システムのような役目を持つゴーレムなのだろう。ご丁寧に俺の前に立ちはだかってここは通さんとでも言わんばかりに道を塞ぐ。
「でも、俺には関係ないね」
見た限り、ゴーレムは俺の進行を防ぐために横一列になってる。しかもまだこちらを警戒しているだけなのか、歩みがかなり遅い。ここで俺が何かしらのアクションを起こせばすぐに飛びかかりに来るんだろう。だが、その行動の遅さが今は幸いだ。
「《潺湲せよ・月魄の下・我が身に衣を》」
俺は[アクア・ヴェール]を起動して水を振るいながら駆ける。同時にゴーレムの群れが本格的に動きだした。
「でももう遅いよ! 《飛泉》っ!」
俺は水を足元に持っていき、それを吹きあがらせ、ゴーレムの群れを一気に飛び越えた。そして着地点に水を持っていき、衝撃を和らげた。
「ブハッ!」
まあ、怪我は特にないが、プールで飛び込み失敗した時みたいに身体が痛い。けど、本物の戦闘に比べれば大したことはないか。
大事なことをほとんどグレン先生ひとりに任せた無力感を思い出しながら白亜の塔へと足を踏み入れる。あそこからはもう大したトラップは置かれていないのか。
いや、目に見えないだけでどんな魔術的トラップがあるかもわからない。周囲に注意し且つ、急ぎ足で塔の階段を駆け上がっていく。そして最上階まで行くと扉があった。
一瞬開けるのを躊躇うが、今時間を無駄にするわけにもいかないのでヤケクソで扉を蹴飛ばして開けた。
「リ、リョウ君……?」
薄暗い広間の中心で膝をついて座っているルミアがいた。そして少し離れた所には柔らかい金髪の涼やかな表情をした青年。俺のよく知ってる人だった。
「まさかとは思ってたけど……本当にあんただったのかよ、ヒューイ先生」
「僕もまさか、君がここまで来れるとは思ってませんでしたよ」
ヒューイ先生、俺がこの学院に入る時と入ってからしばらくお世話になったグレン先生の前任の教師だ。まさか本当に予想的中するとはな。
「で? 何であなたはこんなことを?」
こうして普通に話しかけてるということはもうルミアをどうこうする準備は既に整ってるんだろう。下手に会話を長引かせず、直球に問う。
「まあ、単純に言えば来るべき時が来てしまったと言ったところでしょうか。僕はね、王族もしくは政府要人の身内などといった身分の方がこの学院に入学した時のための人間爆弾なんですよ」
「は……?」
わけがわからなかった。それからもヒューイ先生は淡々と俺に様々な言葉を押し付けて来る。やれ自分が自爆テロで要人を殺害するための人間だったり、今自分の足元にある魔法陣、白魔儀[サクリファイス]が発動すれば学院は木っ端微塵だとか……完全に俺の理解の範囲を超えていた。
「ダメだ、全然ついていけね……辛うじてわかるところから聞けば、あんたはそんな人間が来るかもわからない中で教師やってて、偶然にもルミアはどっかのとんでもお嬢さんだったのが発覚して今回のテロと?」
「ええ。ルミアさんが入学しなければ僕ももうしばらくは教師生活を楽しめたのですが」
少々もの寂しそうに呟く。だったら今すぐやめろと言いたいが、今はそんなことを言う気にもなれない。俺が気にしてるのはもっと別だからな。ヒューイ先生はそんな俺の考えがわかっているのか、ある部分を指差す。
そこには魔力による文字だろうか、カウント数みたいなのが浮かんでいた。それも徐々に減ってきている。俺の視線を察したのか、ヒューイ先生がわざわざ説明を入れてくれる。
「ここに見えているのがあなたに残された猶予時間です。見ての通り、もう三十分もない。あなたひとりではルミアさんに施した転送法陣を解呪することは不可能です。しかし、あなたひとりなら地下にある大迷宮まで逃げ込めば助かりますので僕としてはそちらをお勧めします」
ダメだ、もう詰んだ。もう少し時間があればグレン先生を無理やりにでも起こして少しでも知識を借りればワンチャンあるかと思ったが、もう呑気に戻ってる暇もない。
誰も死なせたくもないが、誰かひとりでも助けに入ろうとすれば自分も他の人間も結局死んでしまう。自分ひとりだけ生きるか、全員死ぬか……その二択だけ。
「……リョウ君……逃げて」
「は……?」
「みんなが死んじゃうなら……せめてあなたひとりだけでも、逃げて」
「ちょ……」
「ここで逃げたって、誰もあなたを責めないよ。こんなの、とても学生じゃ背負いきれないんだから。みんなもわかってくれるよ」
ルミアは子供を安心させるような笑みを向ける。
「待てよ、そんなことしたらお前はどうなる……?」
「私は……この法陣で別のところに連れて行かれるだけだから。大丈夫だよ」
嘘だ……。すぐにわかった。理由は未だ不明だが、目の前の少女は件の組織にとって何か重要なものをその身に秘めてるんだろう。そうでなければあんな手練れの魔術師を何人も捨て駒みたいに送るわけがない。あくまで俺の予想でしかないが。
そしてもうひとつ、ルミアは本心から逃げて生き延びて欲しいと思ってるだろう。こんな時にまで他人を気にかけるその優しさは素直にすごいと思う。
……本当に、まるでどこぞの聖女様みたいだよ。
「……《星降る夜・果てへ奔れ・宵を絶て》」
俺は右手に[フォトン・ブレード]を起動してルミアを囲う法陣に斬りかかる。
だが、法陣に触れる前に強い力で弾かれ、[フォトン・ブレード]が折れる。
「無駄ですよ。その法陣は転送用でもあると同時に強力な結界でもあるんです。無理矢理壊そうものならアルフォネア教授の神殺しの術でもない限り……」
「はぁ……学生に大人気ない仕様にしないでくださいよ」
「今はテロリストですよ、リョウ君」
「何やってるの! 私のことなんていいから速く逃げて! 間に合わなくなる!」
「……《光殼》、《炸雷》っ!」
ルミアの言葉に耳も貸さず、今度は[ウェポン・エンチャント]と[ショック・ボルト]の合わせ技で結界にブチ込むものの、やはり全く効果がない。
「速く逃げて! このままじゃあなたまで死んじゃうんだよ! 今は自分を大事にして!」
「ルミア……それさ、思いっきりブーメランなんだけど」
「私はいいんだよ! 元々私はここにいていい存在じゃなかったから! でも、リョウ君は違うんだよ!」
ここにいていい存在じゃない、ねぇ……。
「……それだったら、俺も似たようなもんだ」
「え……?」
「お前と違って、どこぞの坊ちゃんでもなければ特別な力が備わってるとかいうオチもないんだけどさ……俺も本来はこっちにいる筈のない存在なんだよね。しかも魔術なんて名前だけで実際は存在しないなんて言われてる場所。だからここに来て、魔術が実際にあって、しかも俺がそれを学ぶことになるんだから、そりゃ驚いたよ。んで、いざ学んでみればとんでもダークサイドな奴だったから妙につまんなくなって……で、後からグレン先生が来てから面白くなったかと思えば、こんな非日常だ。ラノベにありそうな展開……って言ってもわからないか」
「わ、わからないよ! リョウ君が言ってることも! なんでこんなことしてるのかも!」
「まあ、前半に関しちゃ仕方ないけど、後半は簡単だろ……」
俺は間に[アクア・ヴェール]の呪文を詠唱してから息を整えて言う。
「ただみんなで生きて帰って……面白い日常を過ごしたいだけだ!」
[アクア・ヴェール]を高圧縮してそれを法陣に叩きつけるが、やはりダメだ。しかし、俺はそれでも何度も叩き込む。
「なんで……もう、どうしようもないのに。ここで逃げたって、それは仕方のないことなんだよ。誰もリョウ君を責める人なんて──」
「ああ、誰もいないだろうな!」
俺が怒鳴ると、ルミアは顔を上げた。
「システィも! グレン先生も! カッシュ、リン、ギイブル……それにルミアもだ!」
俺は一旦下がると再び[アクア・ヴェール]を起動し、[ショック・ボルト]を組み合わせに入る。
「ようやく、魔術学院らしい日常を送れるかと思えば自爆テロでわけわかんなくて……そんでようやくこっちでできた友達もいなくなろうとして……そんでまたあんなつまらない日常に戻る──いや、もっと暗い人生送れってか……冗談じゃねえよ!」
攻撃を入れる毎に自分の中から一気に何かが失うような感覚に包まれながらそれでも魔術もやめず、口も閉ざさない。
「ようやく無意味な日々から抜け出せたと思って、期待していたものとはまるで逆の日々にまた興味が薄れて……今度こそなれるかもしれないとまた夢見たっていうのに、それをこんな形で終わらせたくなんてねえ!」
「夢……?」
「人間、誰もが……多分、こっちでも似たようなことはあるんじゃねえのか? 正義の味方になりたいってやつ……。俺の故郷じゃ戦隊や仮面の戦士、光の戦士なんてのが代表格かな……特に光の戦士が俺は好きでな。いや、いい作品だと小さい頃から思ってた……」
こんな時なのに、ふとそれを見た時のことを思い出す。
それを見た当時は幼稚園児で、ただなんとなくすごいとしか思えなかったけど、ふとある作品を見てからは特撮にハマって、気づけばただ眺めるだけだった。
ヒーローに憧れて、子供ながらに俺はあれこれと努力していたつもりだった。けれど、当時の俺は努力というものが全くわかっていなかった。
これといって知識もなく、才能なんてない……ヒーローどころか、ちょっとしたスポーツマンにすらあっさり負けてしまう自分ではただの憧れに留まってしまう。
だから自分はただ憧れて、遠くにいるその存在を応援するだけだった。自分には何もないと、そう言い聞かせ続けた。本当はそれこそ無意味だと気付かず。そして気づいた時にはもう随分と年月が経っていた。後悔先に立たずというのはこのことなんだろうか。
「だから……今度は、後悔したくない! 自分勝手で、ただの押し付けだってわかってるけど! 今ここで逃げたら……一生何も、変わらない! ただ、腐っていくのを待つばかりだ!」
法陣を叩きながら、吠える。
身体の内から何かが消失する……。外からは右手を起点に痛みが広がってゆく……。もう拳を握ってるかどうかもわからない……。耳もロクに聞こえない……。
「あ……」
俺の右手から傷が広がっていくのを見てルミアが声をあげようとする。
「それはお前だって同じだろ……ここで声を上げなきゃ、本当にみんなと別れるんだぞ」
「わ、私は……私のことなんてどう──」
「どうでもいいなんて言ってんじゃねえよ!」
ルミアの言葉に被せて激昂の言葉を投げる。
「自分のことをどうでもいいとか思ってるみたいだが……他のやつまで度外視してんじゃねえよ! お前がいなくなることを、俺やみんなが望んでるとでも思ってんのか!」
「みんな……」
「そもそもこんな騒ぎの中でシスティが恐いのも必死に押さえ込んで闘ってたのは何故だ? グレン先生が血だらけになってまで闘ってたのは何故だ? そんなの、お前にいなくなってほしくなんかないからに決まってんだろうが!」
「あ……」
「理由は知らないが、自分の境遇を言い訳にして自分を殺すなよ。誰かのために優しくなりたいってんなら、そいつらと生きることを望めよ」
ルミアの姿と言葉を見て、聞いてわかった。こいつは聖女や天使なんて男子達から評価されるのがよく理解できる。何故なら、この少女はそうなろうと務めてきたから。
自分に何かしらの後ろめたさというか、罪悪感があって、それを誤魔化すために優しい女の子であろうとずっと他人に愛想を振りまいていたのだろう。元の優しさもあるんだろうが、何がきっかけなのか、人に優しくしようという強迫観念のようなものが内に芽生えてしまったのだろう。
でも、そんな生き方は間違ってる。認めたくない。自分もその優しさに甘えておいて今更かもしれないが、もうそんな生き方はしてほしくない。
「それで、ここまで似合わない説教くれてやって聞くが……お前はどうしたいんだ?」
「私は……生きたいよ……」
「聞こえないぞ、もっと叫べ!」
「生きたい! システィともっと色んなこと見たい……グレン先生の授業をもっと聞きたい……みんなと一緒にいたいよ!」
「それでいいんだ!」
ルミアがようやく生きるという心からの言葉ところで俺も気合を入れ直したいところだが、もう俺の魔力も限界に近い。
「せっかくの感動のお話のところで申し訳ないですが、君にこの法陣を壊すことは不可能ですよ」
「知るか。あんたはそこで俺の今世紀最大の実験の過程を眺めてろ。今回の実験のお題は厄介な法陣を学生が如何にして壊すかだ」
「実験ですか……そういえば、その水の魔術は君が求めていたものでしたね。今は例の講師のおかげで形になっているようですが、私の監視の下での実験はどんな事が起こるかわからなくて冷や汗ものでしたよ」
「今度はそんなハラハラする暇もねえ。すぐにこれぶっ壊してあんたの涼しげな表情崩してやるよ」
「流石に今回の実験は結果を見るまでもないと思いますが……」
「そんなことは最後まで付き合ってから言え。だいたい、俺の限界を見定めた気になるのは早いよ。今その限界……飛び越えてやるよ!」
ふと、頭の中で何かが浮かんだ気がした。そして、気づけば口が勝手に動いていた。
「《──瀉出──・湧────碧水・潺湲──碧瀾──》」
自分でもどんな言葉を発しているかが満足に認識できない。
けれど、詠唱が終えたと同時に、視界が碧く染まった。そして水に飛び込んだような感覚が身体を包んだ。
というか、実際に水が俺の周りで渦巻いていた。
『────っ!?』
視界の隅っこでヒューイ先生が何か言ってるようだが、激流の音でかき消されてよく聞こえない。
いや、そんなことはいい。今はとにかく、ルミアを囲っている法陣をなんとかするんだ。
ここから先は我武者羅だ。よくはわからないが、この水が渦巻いてからいやに身体が軽くなっている。けど、同時に今まで以上に自分の身体から魔力が抜け出ていく。
恐らく[アクア・ヴェール]以上に燃費の悪いものなんだろう。となればコイツが続いている内にカタを付ける。
俺は右拳を構え、ただ一直線に法陣目掛けて叩きつける。右手を中心に螺旋の如く水が渦巻き、見えない壁から何かを削るような音が響く。
数秒の拮抗の後、見えない壁に亀裂が奔る。それを視界に収めると俺は右手に更に力を込める。そしてようやく第一層の突破に成功する。
続けて第二層。同じように削磨音が響き、拮抗する。
「──ぐっ!? ぐふっ!?」
だがその数秒後、喀血してしまう。同時に俺を包んでいた水も弾けて消えて、力も抜け、そのまま床に倒れこんでしまう。
「────っ!?」
本格的にマズイな……。聴覚も正常に働かないし、痛みすら感じなくなってる。
あんだけ大口叩いておいて結局は実験失敗だった。似合わない意地張って、似合わない行動して、どう転んでも結局待っているのは虚しい現実だった。
やっぱひとりで来るべきでなかったとか、大人しく逃げておけばよかったとか、色んな後悔が浮かんだが、やっぱり一番胸で渦巻いているのは誰かを助けることができなかったという無力感だった。
結局俺は、何かを成すことなどできなかったのか。そんな絶望を抱くと同時にふと、視界の端で何かが動いた気がした。
それからひとつの影が飛び込んできて俺の前で一旦停止するとしゃがみこむ。
顔は元から暗いのに加え、俺の意識も薄れてきてるのでまったくわからない。が、かろうじて見えるその影の口が動いていた。俺に何かを言ってるようだ。
「……んどう……よ。ま、こ……でよ……た。後は……いせ……せな」
聞こえたのはダルそうでありつつも真剣味の篭った、最近で随分馴染んだ覚えのある声だった。その声を最後に俺は意識を失った。
薄れる意識の中で……俺の胸の中で一瞬何かが輝いた気がした……。
「──で、気がつけば俺は病室でグレン先生と隣同士で寝過ごして、近衛兵らしい人からいきなり衝撃的な真実を聞かされて……相変わらず全然、ついていけねえ」
あの自爆テロ未遂事件から数日が経って目を覚ました俺。最初に目にしたのはルミアとシスティの顔。そしてそれを遠巻きに眺めるグレン先生だった。
ていうか、グレン先生……俺より遥かに重症だった筈なのに、何で俺より早く退院できてたんだろうか。
まあ、見舞いに来たルミアからは涙混じりの礼にシスティからも同様の礼プラス説教。グレン先生も何か言いたそうにしていたが、続けざまにカッシュやウェンディ、リンなど割と多くの生徒が押し寄せてきてごたごたになった。
リンには泣きつかれて、カッシュからは怪我人だというにも関わらずワンパン喰らわせてきてそれをセシルやテレサが止め、こうしてみると意外に自分も友好関係が多かったんだなとぼんやりと思った。
そして更に日が経つと、突然グレン先生とシスティ、その傍には見慣れない騎士らしい男が立っていた。俺は怪我をしていたので車椅子に乗せられて帝国政府の上層部へと呼び出され、あの自爆テロ未遂事件が如何にして起こったのか事の顛末を聞かされた。
「まさか、自分のクラスメートが元王女なんて誰が予想できるか……」
「いや、一応異能者ってのも含まれてんだが」
「そっちは別にどうでもいいんですけどね」
「おいおい……」
どうやらルミアがあのテロリスト達に狙われた理由は、ルミアがかつて流行病によって他界されたらしいエルミアナ王女その人だという。
そして流行病という形で存在を抹消された理由としては、彼女は異能のひとつである感応増幅者というものらしい。世間では異能者は悪魔の生まれ変わりだとかなんだとかでその存在を確認されては処刑されるなんていうものらしい。
「全く、悪魔の生まれ変わりだとか証拠も何もないのにそんな下らん理由で存在を抹消されなきゃとか嫌な世界だよ本当に……」
「そう言うんじゃねえよ。陛下だって苦悩の果てに決断した処遇なんだからよ」
「そう言われても俺はその陛下に会うどころか見たことすらないんですから。ほぼ半年から以前はこっちにいない故に戸籍もないんですから」
「…………」
「何です?」
「いや、お前サラッととんでもないこと言ったなって……ていうか随分あっさり白状すんだな」
「どうせアルフォネア教授辺りからでも聞いたんでしょ?」
一時期あの人からすごい視線を浴びたから。まあ、それもすぐになくなったから恐らく俺がどこぞのスパイかどうかでも疑ってたってとこかな。まあ、当然のようにそんなんじゃないしそんな訓練も受けてるわけじゃないので当たり前か。
「なら、遠慮なく聞くがお前……何で今回、あそこまで深く関わった?」
「……何が言いたいんですか?」
「別にお前の身の上はもう疑ってねえよ。ただ、お前の今回の件での行動……ただ友達を助けようにしては常軌を逸してる。それだけでここまで深く関わる義理なんかお前にはねえだろ」
「まあ、そうかもですけど……けど、とにかく助けたかったってのもありますよ。もちろん、流石に命かけようとした時は本気でどうしようかとも思いましたけど……一番の理由って言ったら、なりたいものに背を向けたくなかったから、かな」
「なりたいもの? 何だ、それは?」
「ああ……俺の年齢であまり言いたくはないんですけど、正義の味方ですね」
「…………」
「ただ、誰かを助けられるような存在になりたい。昔はとにかくそればっかり考えて生きていたんですよ。まあ、大した努力もしてない身で何言ってんだって思いますけど……やっぱり馬鹿みたいですか?」
「……ああ、そうだな。けど、どんな夢見ようがお前の自由だろ。……たく、白猫に続いてヤなもん思い出させやがって」
「先生?」
グレン先生の雰囲気が若干変わった気がした。
「いや、何でもねえよ。言っておくが、魔術の世界じゃお前の見てる夢はただの幻想としか言えねえぞ」
「それは今回の件で実感してますよ。でも、やっぱり正しい人だっているわけでしょ……後で聞いたんですが、俺が気失ってから先生が飛び込んでルミアを助けたんでしょ。それならやっぱりまだ諦めたくないって思うんですよね」
「ふ〜ん……ま、やりたけりゃそれでいいんじゃねえか。お前の人生はお前のもんだからな」
「はい。まあ、先生が去るのは惜しいですけど……今度こそちゃんとした努力はするつもりですよ」
「ん? いや、俺教師続けるよ」
「……え?」
「だから教師続けるって」
「や、でも……先生って一ヶ月だけの非常勤講師で……」
「続けることにしたんだよ。まあ、自分の金は自分で稼げってセリカがうるせえからな」
なんか別の本音がありそうな気がするけど、そういうことにしたいらしいな。
「……じゃあ、これからもよろしくお願いします、でいいんですかね」
「おう、厳しくしごいてやるから覚悟しろよ〜」
悪そうな顔して言うが、きっとまたグダグダな授業が多くなるんじゃないかと予想した。まあ、為になることは多いだろう。
そう思うと、病室のドアがノックされた。返事をする前に扉が開き、入ってきたのはルミアとシスティだった。
「あ、リョウ君。もう退院なんだよね?」
「ん……ああ、ようやくな」
「よかった。ああ、これ……リョウ君がいない間に取ったノート。結構な量で大変だろうから手伝おっか?」
「それは助かる。こっちで用意された本だけなのは退屈だったから……」
「じゃあ、リョウ君の家に戻ったら早速お勉強だね」
「……待て。まさか、俺ん家まで来るつもり?」
「だって病み上がりなんだから無理するわけにはいかないでしょ? しばらくは私がお世話してあげるから」
この人は何を言ってるんだ。いや、男からすればこれ以上にない甘美なご褒美なのだが……これはマズイだろ。
どうもあの一件からルミアの距離が近くなってる気がする。まさかまさかとは思ってるが……本当にアレか? いや、単に恩人だからこれも礼のひとつとも思えるけど。
「……?」
……ダメだ、いつも通り過ぎる笑顔の所為でルミアが何を考えてるかわからん。
「なあ、白猫。あれなんだが……」
「だから白猫じゃ……いえ、何を言いたいかはわかりますが」
「あの二人……」
「はい、怪しいと思います」
何か離れた二人がヒソヒソ話をしてるが、この状況見てるくらいなら助けてくれ。特に委員長気質のシスティ。
「じゃ、行こうか」
「え? いやちょっと、本当に? あの……マジで考え直してはくれませんかね?」
ルミアが本気で俺の家まで着いて行こうとするのを感じて本気で阻止するのに数十分もかかってしまった。
まあ、こんなどこぞのラブコメだって感じの光景だが……ようやく日常に戻れたということかな。
結局、俺の家の近くまで付いてきたことがクラス全体にバレて翌日に一部を除いた男子達に追われて怪我の完治が延びる事になるのをこの時の俺には予想できなかったけどな。