アグロヴァルの襲撃から一夜明けた午後。
《七星剣武祭≫もいよいよベスト4決定戦と大詰めの局面を迎え、熱狂の空気が高まりつつある大阪。
その熱狂の坩堝の中で、多々良 幽衣と白雪の姉妹は雑踏に紛れ込んでいた。
「───姉様、大丈夫?ぼーっとしてるけど。熱中症じゃないよね?聞こえてる?」
「……アァ。ちっとばかり考えごとしてただけだってェの。あと白雪うるせェ、離れろ」
幽衣の視界いっぱいに少女の顔が映る。元々しかめっ面の顔を更にしかめながら、幽衣は白雪の頭を掴んで横へと押しやった。
今二人がいるのは、≪七星剣武祭≫会場から程近い商店街の一角。多くの店が居並び、無数の人で賑わう喧騒の中である。
(全く、すっかり元気になりやがって)
小さく舌打ちしながら幽衣は長蛇の列からゆっくりと近付きつつある暖簾構えの店を眺める。
店の外観は見てくれこそボロ……いや古くはあるが、どこか威厳を感じられるものであり、時折『一番星』の文字が描かれた暖簾を分けて人が行き来をする度にソースの香ばしい匂いが漂ってくる。
「こんなトコに寄り道して本当に平気なのか?」
「木を隠すなら森の中、ってね。その為にメイクして、服装も変えたんだからさ」
今の二人の服装はいつもの防寒具を纏ったものではなく、一般人がよく着るようなカジュアルな衣装。それもこれも、全て《KORT》の暗殺者アグロヴァルの目を掻い潜るためのものである。
だが白雪が要らぬ力を入れた故か、あるいは二人の素質が元々高かった故か、二人の姿は控えめに見ても美しいものだった。
背後から降りかかってくる視線や密やかな声を感じとりながら、幽衣はやれやれとため息を吐いた。
「注目されてンじゃねェかよ、おい」
「姉様が美しすぎるからね、しょうがないよ。あー辛いなー。ボクだけが知ってた姉様の可愛さが皆に知られちゃって辛いなー」
いつもと何ら変わらない白雪の様子に思わず頭を抱えたくなる。あの時重傷の白雪を必死に看病していた自分が馬鹿に思えてくるぐらいだ。
まあ、あの時の幽衣には見捨てるという選択肢は
そんな下らないことをしている間に二人は店の中に漸く入り、案内されたテーブル席に向かい合って座る。
「……しかし、やけにこの店だけ行列が出来てやがったな。席の案内に来たガキだって仕事のし過ぎか声が枯れて小さかったしよ」
「そりゃ、どの旅行雑誌にも絶対行くべきって書かれてるもの。行列が出来て当然だよ」
それに混雑してた方が相手も迂闊に動けないし、とメニューを開きながら白雪は付け加える。
その言葉に心の中で同意を返しながら幽衣は先日襲撃してきたアグロヴァルの姿を思い浮かべる。
今思い出しても、何ら特筆する所のない、平凡な青年であった。潜入してきた技量は確かではあるが、幽衣に易々と撤退を行わせた時点で到底暗殺のプロとは呼べたものではない。
そんな感想を抱きながら、店員の少女に白雪が注文を終えた所を見計らって幽衣は口を開く。
「白雪。テメェ、アグロヴァルって奴について何か知ってるか?」
対する返答はたった一言、『何も』というものだった。
「アグロヴァル兄さん……姉さんなのかな。まあどちらでも良いけど……その正体は先生以外誰も知らないんだ。同じ《KORT》の人間ですらね」
「だが暗殺の依頼はこなしてンだろ?特徴の一つや二つバレたっておかしくはねェぞ」
「それが逆に
白雪の説明を聞きながら幽衣はアグロヴァルの能力に思考を巡らせる。様々な推理が浮かんでは消えていき、やがて幽衣の考えに残ったのは────。
「……分かるかこんなもん!!つーかなんだよ、《認識阻害》かと思ったけど殺しのやり方も複数の異能でやってるしよ!!」
「本当にねぇ。真夏に凍死とかだけならわかるけど、なら陸の上で溺死とかどうやったんだって話だし。こちらが立てばあちらが立たずって奴だよ」
全ての暗殺からアグロヴァルという個人を推定することは不可能であった。考えれば考えるほど二人の思考は袋小路に嵌まっていく。
そんな二人の空気を打ち破るように、どん、とお好み焼きの豚玉が二皿テーブルの上に並べられる。
「なんや二人とも頭抱えおってからに。なんか悩み事でもあるんやったらワイにでも相談したらどうや?」
次いでかけられたどこか聞き覚えのある声に二人は顔を上げ、
「あっ」「げっ!!」
幽衣が嫌なものを見たとばかりに声を上げる。
声の主は180を超す身長に、バンダナの似合う偉丈夫。何よりも二人はその獣染みた鋭い眼を知っていた。
「立食パーティー以来やな。元気にしとったか?」
黒鉄 一輝と死闘を繰り広げた前《七星剣王》……
◎
「なーるほどな。ワイが知らない間にそっちも色々あったんやなぁ」
かくかくしかじかと白雪達のかいつまんだ事情を聞きながら休憩に入った諸星が頭を掻きながら大きく笑う。
「とゆーか、ありすぎやお前ら!!聞いてるだけで腹一杯になるわ!!」
「おい、白雪ィ……なんでここにアイツが居やがるんだよ」
隣に座られた幽衣は立食パーティーでの経験をまだ引きずっているのか、どこかしおれた様子で白雪に話しかける。
が、その問いに答えたのは諸星の方であった。
「だってここ、ワイの実家やで」
「実ッ……!?待てよ、白雪まさかテメェ……知っててこの店選びやがったな!?」
返答はない。ただ、いたずらがバレた子供のように微笑を浮かべる白雪の顔は雄弁に答えを語っていた。
「ブッ殺す。《地擦り蜈蚣》」
「待った待った!!しょうがなかったんだよ、協力を仰げる人が絶対居るっていうのが分かっててなおかつ奇襲を防げそうなのがここだけだったんだからさ!!」
チェーンソーを顕現しようとする姉を慌てて制止する白雪。
暫く白雪を睨み付けていた幽衣だったが、横に座っている諸星の視線に気付き渋々座り直す。
「んで、お前らが悩んでたのがアグロヴァルだかいう特徴の掴めない暗殺者の話やったっけか。複数人が『アグロヴァル』を名乗ってるっつーことはないんか?」
「それはねェ。暗殺ってのはごく少数でやる仕事だ。無闇に人数を多くすることはリスクにしかならねェよ」
一人数が増えても難航する推理。煮詰まりつつある思考の中、白雪の脳裏から古い記憶が呼び起こされる。
いつだったか、アグロヴァルについて正体を知るエムリスに直接聞いたことがあるのだが。
『彼の情報を選択してはいけません。全ての要素が、アグロヴァルという存在の正体を指し示しているのですよ』
そんな箸にも棒にも引っ掛からないような答えが返されて、分からず仕舞いのままに終わったのである。
(全ての要素が、正体を指し示している……か)
訳の分からない言葉────果たして本当にそうだったのだろうか?
白雪はまさかとは思いながらも、アグロヴァルという存在が持つ全ての要素をエムリスの言葉に従って俯瞰する。
雑多にして矛盾だらけ。故にこそ真実がそこにある。
考え、推理し、そして……か細い推論の糸は繋がった。
「分かった……分かったけど、そういうことか……あり得ないでしょ……」
可能性の話とはいえ、白雪がたどり着いた結論は余りに理解し難いものだった。
怪訝そうな顔でこちらを見る幽衣と諸星に対して、白雪はゆっくりと口を開く。
「アグロヴァルの正体、掴めたかも」
「はァ!?矛盾だらけの存在だぞ!?」
「ワイもない頭絞ったけど全然やわ。で、何や正体って」
その前に、と白雪は結論を急かす二人に一つだけ、とある《前提条件》について問いかける。
「二人共、《異能は一人につき一つ》しかないことは知ってるよね?」
「当たり前の話やな。《
「そう。ボク達はその前提を元に正体を探って、混乱していた」
じゃあ、もしその
「前提が成り立たねェって、つまりどういう訳だよ」
「余りに盲点で、希少すぎて分からなかったんだ。誰も正体にたどり着けない訳だよ、アグロヴァルが……
その余りに意外な結論に、二人は思わず唖然とならざるを得なかった。
「んなアホなことがあるかい!?誰にも正体が知られない暗殺者が多重人格なんて、誰が信じるんや!?」
「じゃあキミは見たことあるの?多重人格の《
その問いに、ぐっと諸星は答えに詰まる。幽衣も同じように、納得出来ずにいるが黙ったままだ。
そもそも《
「なら、複数の異能を扱えるのはどうなる?姿だって全て違うのをどう説明すンだよ!?」
「説明出来るよ。《
そして、それは実質複数の異能を持っているということになる、と白雪は結論付けた。
「こうなると姿なんてただの《ガワ》でしかない。《認識阻害》で変えるとか……あとは《分身》の異能を使用した時にもよるね」
「あー……聞きたくはねェけど。どうなるんだ?」
げっそりしたような幽衣の言葉に対し、想像もしたくないけど、と前置きをしてから白雪は再び語り始める。
「別の人格が《分身》として出てきたらもう手に負えない。人格の自己認識によって姿が変わるかもしれないし、分身は分身で本体とは別の異能を持ってるからそこから更に《分身》するかもしれないし」
「あかんやんけそれ!!とゆーか考えれば考えるほど隙がないやんけ!!」
諸星の言う通りである。複数の異能を持つ《
「……まあ、あくまでも推論だから。ひょっとしたら別のアプローチで情報を撹乱してるかもだし」
「いや、今のところテメェの推論が一番信憑性が高ェ。アタイとしてはその想定でいった方がまだマシだ」
「そうなると気ィ付けんとあかんのが奇襲やないか?気付いたら周り分身で囲まれてましたじゃどうしようもあらへんぞ」
馬鹿にしてもらいたくはないね、と白雪は幽衣の方を見ながら目を細めて笑いかける。
「ボク達は暗殺者だよ?そういう殺意の機微は感じ取れるし、《
笑顔を向けられた幽衣はじろりと鋭い視線を返すが何も言わずに暫し見詰め合った後、諦めたように───あるいは照れたようにそっぽを向いた。
「とにかくさ。こっちの問題はこっちで解決するけど、寧音先生の話みたいなことがあるかもしれないから気を付けてよ」
「お前に心配されるほどワイは弱かないわ、アホたれ。そもそも頼まれんでもそんな事やらかす奴はこっちからシバきに行くに決まっとるやろ。ここにゃワイの大事なものが一杯あるんでな」
牙剥くような、それでいて快活な笑みを浮かべて胸を張る諸星の姿に白雪はどこか安心感を覚えた。
威圧感を感じる雰囲気を纏った男だと思っていたが、間近で話すと威圧感のみではなく包容力と器の広さを感じさせられる。
正しく、傑物と呼ぶべき男であろう。
(≪七星剣武祭≫でこいつとかち合わなくて良かった。ひょっとしたら負けてたかもしれない)
仮にもステラ・ヴァーミリオンに深手を負わせた白雪にそう思わせる程に、諸星という男は強かった。
そんな男を敵に回すようなことにならずに済んでよかったと、心の中で安堵の息を吐きながら白雪は席を立つ。
「そろそろ行かなきゃね。ご馳走さま」
「おう、またな。いつでも来てええで」
死んでなかったらね、と軽口で返しながら幽衣を伴って白雪が会計に向かう途中で、それまで辺り一帯に満ちていた喧騒を追い出すように困惑のどよめきが湧き出した。
「……うるっせェな。黙ってメシを食えねェのかよ、ここの連中は」
元々人が集まるような場所や喧騒を嫌っている幽衣の顔に青筋が走る。しかしどよめきの原因であるテレビの画面を見て、白雪は真剣な面持ちで黙していた。
『試合中の事故か? 試合後に黒鉄 一輝選手、心肺停止に』
速報として画面の上部に表示された突然の凶報。
このニュースこそが、後に《大阪七星動乱》と呼ばれる事件の発端になることを、まだ誰も知ることはなかった。
時間かかった理由の一つはアグロヴァルの正体をどうしようかって迷ったこと。
プロットなしで書いてるからねこれ。
だからといって長期エタは許されない。
本当にすいませんでした。