ミッドウェー海戦の3ヶ月前。
1942年3月4日、ハワイを爆撃したK作戦というものがある。
ウオッゼ島から出撃し、途中で潜水艦による長波照射による誘導を受け、フレンチフリゲート礁で潜水艦から給油。
その後、ハワイを夜間爆撃したという、二式大艇による空前の長距離爆撃作戦である。
一式陸攻や九七式重爆ではとても実現不可能な、二式大艇の長大な航続性能、および飛行艇の特性を生かした海上での燃料補給という、驚異的な作戦だったが、見るべき成果はほとんどゼロだ。
落とした爆弾は、2機x4発の250Kg爆弾
爆撃目標は、湾内の船舶やドック、燃料タンク等だったが、灯火管制のため戦果は何もない道路に穴を開けただけ。
何の見るべき成果もない。
米軍の警戒心を高めるだけだった。まあ、それが成果と言えなくもないが。
そして、ミッドウェー作戦の事前偵察にも、同じようにフレンチフリゲート礁で給油して、ハワイ方面を偵察する筈だった。
第2次K作戦である。
しかし、これは実施されなかった。
米軍に最初のK作戦で、フレンチフリゲート礁を給油ポイントとしたことがバレたのである。
そして、米軍はこの地点の利用を阻止するため軍艦を派遣した。
日本の給油用潜水艦は米軍の軍艦をみてスゴスゴと引き返すしかなかった。
もし、K作戦を実施せず、第2次K作戦だけを実施していたら、どうだろう?
フレンチフリゲート礁は無警戒の筈で、ハワイ方面の偵察は十分可能だったろう。
ハワイを出向する米空母は当然発見できた訳で、米空母ゼロと考えていた南雲中将の判断に、相当な影響を与えていた筈である。
例えば利根四号機による最初の米艦隊発見時に、報告に空母が含まれていなくても、攻撃命令を出したのでは?
素人の素朴な疑問である。
<事前偵察>
今回はミッドウェー海戦の事前偵察について触れたい。
何故、日本軍は肝心のミッドウェー北東部を事前偵察しなかったのだろう。
日本軍の最寄の基地であるウェ-キ島からみて、島の影になって空母を隠すには絶好の位置であることは明らかなのに・・・
二式大艇によるハワイ方面の偵察するK2作戦の未実施については、「第3章K作戦」にて述べた。
しかし、その計画とは別に二式大艇による事前偵察は、ミッドウェー方面の偵察もあって、これは実施されている。
ただし、肝心のミッドウェー北東部は除外された。帰投時刻が夜間となってしまい。実施困難と判断されたためである。
しかし、ここで二式大艇を使い捨て覚悟で偵察を実施していたら?
2ヶ月前の東京初空襲で米軍はB25を使い捨てしている。だが、そんな大胆な発想は日本軍にはなかった。
もっとも、陸上と違い誘導灯が使用できない海上での夜間着水は危険であり、機体が破損するだけではなく搭乗員も無事ではすまないかもしれない。
また、他に潜水艦による事前偵察も実施されている。
だが、手配が上手くいかず、海域への到着が遅れてしまった。
もし、計画通りなら予定海域で米空母を発見できたのでは?
蛇足となるが、素人考えの奇抜な案を一つ。
一式陸攻の爆弾層を燃料タンクに改造し、偵察型を作っておけばよかったのではないだろうか?
ウェ-キ島から飛ばせば、十分ミッドウェー北東部の偵察は可能だろうし、夜間着陸も問題ないだろう。
実際、大戦末期の特攻用赤とんぼなんかはドラム缶で急造した燃料タンクを増設している。
B29も偵察型のF13は燃料タンクを増設している。あながち荒唐無稽ではないと思うのだが・・・
素人の素朴な疑問である。