【完結】二回目の世界とメアリー・スー   作:ネイムレス
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第十話

 パチパチと音を立てて暖炉の中で炎が躍っていた。

 華美な装飾の施された大型の暖炉は、一番大きな部屋であるリビングの中を十分に温めてくれている。効率の悪い熱交換ではあるが、火を眺めるだけでも疲れが取れる様な、じんわりと癒される風情があった。

 そんな暖炉の一等近くにソファーを置いて、青髪女神がぬぼーっと炎を見つめている。もう既に日も高いというのにパジャマ姿のまま、完全にだらけ切ったくつろぎのスタイル。そこに女神の威厳など欠片も無い。

「おいアクア、ちょっと場所譲ってくれ。今から内職したいんだが、手がかじかんで上手く行かないから温めながらやりたいんだよ」

 そんな自称女神に最弱職の少年が近づいていく。何やら両手に荷物を抱えて、場所取りの交渉をしている様だ。話を聞いていると、借金返済の為にわざわざギルドから内職の依頼を取ってきたらしい。空いた時間でそれらをこなして小銭を手に入れる、そんな効率を求めるのは彼らしいと言うべきか。

「嫌よ。ここは、この私が自らソファーを運んできた特等席なのよ。それを無償で譲るなんて、とんでもない事だわ。譲ってほしければそうねぇ、まずは美味しいお酒を奉納する所から始めなさいな」

 はたして、そこは自分が可愛い女神様、当たり前の様に暖炉前の特等席を譲りはしない。素っ頓狂な場違いの発言に、ピキリと少年のこめかみが引き攣った。

 しかして、ここで怒っても仕方ないと自制する。そもそもこの自称女神に、まともな交渉など期待してはいけないのだ。これまでの経験も、そして謎の既視感もそう訴えている。

 なので無駄に口論するよりも、手っ取り早く実力行使に出る事にした。

「なによやる気なの? この暖炉前の聖域を守る為になら、私だって実力行使を――おおおおおおおお!?」

 無防備な首筋と背中に向けて、冷却の初級魔法を繰り出され青髪女神がソファーから転げ落ちる。持ち主の居なくなったソファーに少年は悠々と座り、手を温めながら内職を開始した。

「と言うか、お前手先が器用なんだから手伝ってくれ。その気がないなら、向こうでダクネスみたいにあの二人の対局でも眺めてこいよ」

 理不尽な物の言い方だが、今の少年の頭には借金返済しかないので致し方無い。冬越えの為の拠点を手に入れた今、もう一つの懸念は廃城の修理代として請求された莫大な借金のみ。これを解決したいと思うのは、少年にとっては当然の事であった。

「あ、あんた……、他にも色々言いたい事はあるけど、あれを観戦しろって本気で言ってるの?」

 青髪女神が冷気のダメージから復活しつつ、そんな事を言ってきたので思わず視線をリビングの中央へ移す。そこでは今、熾烈な戦いが行われていた。

 少年にとっては見慣れないこの世界の卓上遊戯。チェスや将棋に似たそれは、異世界らしく魔法などの特殊な要素も取り入れられており、少年が一度やった時にはキングを盤外へテレポートされた為に、二度とやらないと誓った程奇異な物である。

 その四角い盤を挟んで差し向かい、魔法使いの少女と召喚士が互いの駒を操っていた。だがその顔に遊戯を楽しむという余裕は無い。少女の方は眉間に皺を寄せて瞳を赤く光らせており、召喚士も常の余裕ぶった笑みを無くして無表情になっている。

 そして二人とも、無言のままに手を動かして、凄まじい速度で駒を獲ったり取られたりを繰り返しているのだ。鬼気迫るとはまさにコレである。

 少女も召喚士もステータスでは共に知力の高さが目立つ。それ故の高速思考、高速遊戯。観戦している女騎士はしきりに頷いているが、本当に理解しているのか怪しい物である。そもそもこの二人はこんなに緊迫して打ち合って、本当に楽しいのであろうか。

「……ごめん。俺でも、アレは眺めてても面白くないと思うわ。ほんと、ごめんな?」

「えっ? あ、うん、わたしもごめんね? じゃなくて! ちょっとこれ見なさいよ!」

 何だかいたたまれない気持ちが湧いてきて少年が素直に謝り、つられて青髪女神まで謝ってしまう。それからハッと我に返り、パジャマの胸元から首に下げていた冒険者カードを取り出し見せ付けて来た。

「レベルの欄を見なさい。私は今やこのパーティーで一番の高レベルなのよ。レベル二十にも満たない弱者が歯向かうなんて、おこがましいと思わないのかしら?」

 少年が目を凝らしてカードを見てみると、確かにレベルの欄には二十一と表記されている。レベルだけを見れば、最弱職の少年の何倍も上なのは確かだろう。魔王軍の幹部や、少し前でのダンジョンでのアンデッドの群れや、リッチー迄もを浄化しているので、このレベルアップの速さも頷ける。

 だが、少年の視線はステータスのある一点を注視して離れなかった。以前に見せてもらった時より、知力の欄が全く伸びていない事に気が付いたからである。

「なあ、アクア……。お前のステータスが全く伸びていない様に見えるんだが……」

「はぁ? なに馬鹿な事言ってんのよ。ステータスなんて最初からカンストしてるに決まってるじゃないの。この私は女神様なんだから、当たり前じゃない」

 薄々分かっていた事だったが、少年は女神の言葉に脅威的な事実を確信した。ステータスがカンストして居ると言う事は、もう伸びしろが無いという事であり、彼女のただでさえ低い知力はもう永遠に上がる事は無いのだ。

 全てを理解した少年の瞳からは涙が流れ始めた。絶望とか失望とかを超越して、ただただ悲しみだけが胸の内を支配している。今なら何もかもを許してしまえそうな位に。

「えっ、どうしていきなり泣き出しているの? どうして急に暖炉の前を譲ってくれたの? どうして優し気な仕草で肩を叩くの? 一体全体何が起こっているの!?」

 最早内職する気も消え失せて、少年は女神に場所を譲るとフラフラとリビングを出て行ってしまった。取り残された青髪女神は、ぽかーんと口を開けたままである。

「……チェック」

「ぐっ、テレポート!」

「テレポートでゴブリンアーチャーを移動。再度チェック」

 盤外に逃げ出したキングの駒を更に盤外まで追いかけ、そこで魔法使いの少女の万策が尽きた様だ。がっくりと項垂れて投了を示す。ようやくついた決着に、観戦していた女騎士はパチパチと諸手を打ち鳴らしていた。

「凄いぞ二人とも。こんな高度な接戦は初めて見た。どっちが勝ってもおかしくない対局だったな!」

「くっ、エクスプロージョンさえ使えていれば……」

 上級者同士の対局に興奮冷めやらぬ女騎士と、対照的に気落ちする魔法使いの少女。実はこの対局は三戦目で、勝敗は一勝一敗一分けである。

 初戦は魔法使いの少女が喜々として駒を動かし圧勝をしたのだが、二戦目には一戦目で得た知識を基に召喚士が逆に追い詰めた。あわや詰みかと思われた時に、魔法使いの少女は盤を引っ繰り返して勝負をうやむやに。ルールにも認められている、エクスプロージョンと言う少女の得意技である。

 そのまま勝ち逃げしようとした少女であったが、それを言葉巧みに召喚士が引き止め、あまつさえ挑発して三戦目に乗せてしまった。喧嘩っ早い少女の性格を利用したのである。

 エクスプロージョンは一日一回と、ルールに定められてい居る為にもう使用できない。そこで両者が本気を出して、先程の知力での殴り合いの様な試合を見せたのであった。

「はー……、もう暫くこのゲームはしたくないですね。頭が疲れました……」

「そうだな、お茶でも入れて少し休憩しようか。アクアも一緒に飲むだろう?」

 少女がテーブルに突っ伏してぐんにょりと伸び、その肩を軽く揉んでやりながら女騎士がお茶を提案する。声を掛けられた青髪女神も、ソファーに寝そべったまま気の抜けた返事をして賛同した。

 それを見た召喚士がおもむろにパチンと指を鳴らす。すると程なくして、メイド姿の娘がワゴンを押しながら部屋に入って来た。配膳ワゴンの上には簡単な焼き菓子と、人数分のティーセットが並んでいる。

「ああ、いつもすまないな。へーの淹れてくれるお茶は美味しいから、ありがたいよ」

「疲れた頭に甘い物はありがたいですね。お茶に入れるお砂糖は四個でお願いします」

 最早異種族のメイドの給仕には皆慣れたもので、青髪女神ですら手渡されたお茶を寝そべったままで受け取っていた。初めの内は半分アンデッドの娘の給仕なんて――と渋っていたが、三日ほどで順応し今では気の抜けた姿を晒している。美味しいお茶と料理には勝てなかったよ。

 お茶の用意は当然とばかりに少年の分もあったのだが、その本人は部屋を出てから音沙汰がない。呼んできた方が良いだろうかと女騎士が思案すると、それをメイドの娘が遮った。

「おと――……マスターのお気に入りの人は、さっき着替えて外に出かけて行った」

「む、カズマは出かけて居たのですか。一声ぐらいかけてくれればいいのに、薄情な人ですね」

 メイド娘からの情報で不在を知った面々は、少年の態度に少々ご不満の様子。それを女騎士がまあまあと窘めるが、話題は次第に少年の物へと変わって行った。

「そもそも、カズマは女性との集団生活だと言うのに、デリカシーと言う物に欠けているのです」

「そうねえ、ダクネスとかに向けてる視線とかが露骨よね。まあ童貞のヒキニートには、この麗しの美女達との生活は刺激が強すぎるんでしょうけど。プークスクス!」

「ん……。ま、まあ、あのねっとりした視線は、私は嫌いではないのだが……」

 各々の評価は極端に低かったり高かったりするが、やはり男性の視線と言う物は女性を過敏にさせる物なのだろうか。やいのやいのと騒ぎが続き、少年への愚痴の様な不満の様な品評会が続いていく。

 そんな女子会めいたお茶の席にしれっと参加している召喚士は、少年の分のお茶をメイド娘に飲ませつつご満悦であった。参加する事に意義がある――そんな雰囲気を纏わせて、いつも以上にニコニコ笑顔だ。

 そんな様子の召喚主を眺めて、メイド娘は死んだ魚の様な眼をしたまま、口元だけを緩く綻ばせるのであった。

 

 

 お茶もお話もだいぶん進んで茶菓子が無くなりかけた頃合いに、ソファーから皆の居るテーブルに移って居た青髪女神が唐突に声を上げた。

「そうだわ! このお屋敷に結界を張りましょう!」

 あまりにも唐突な言葉だったために、皆が暫しその意味が理解できずに思わず発言者の顔を注視する。それを自身の意見への賛同だと勘違いした青髪女神は、得意げな顔で話しを続けた。

「ふふん、この私の素晴らしい提案にみんな声も無いようね。そうよ! この女神様が住まうお屋敷なんですもの、対悪魔用の立派な結界が必要だと思わないかしら? 今日はこれからおっきな結界を張って、この私直々にこの屋敷全体を守ってあげるわ!」

 説明を受けてようやく全員が話の内容を理解した。

 ああ、これはまた自称女神が何か思い付きで張り切っているのだな――と。みんな仲良く、心の内で思う事が一つになった瞬間である。最近良くあるこの一体感。

「……じゃあ手伝おう」

 その話に最初に食いついたのは、なんと何時もは傍観者で居ようとする召喚士であった。その姿に女騎士や少女だけでなくメイド娘まで奇異な物を見る様な視線を向ける。

「良く言ったわ、ロー! やっぱり自分の住む所は、安心して暮らせる様にしなくっちゃ駄目よね!」

「んーむ。ローは何だか、アクアに甘い様な気がします。アクアにお金が無い時、アルバイトの手伝いまでしていましたよね」

 言われる召喚士はそれ以上応える事も無く、少女の指摘にもにやにやと笑うばかり。まともな返答は期待できないかとと悟り、少女は立ち上がって己も着いて行くと宣言した。

「アクアには爆裂散歩に付き合ってもらった恩もありますから、私もお付き合いしますよ」

「では、私はここの後片付けをしておこう。用意ばかりしてもらっては申し訳ないからな」

 そんなこんなで役割分担、召喚士と少女は青髪女神のお守りへと出かける。メイド娘は女騎士に付き添い、むしろ率先して後片付けに台所へと向かう。こころなしか、女騎士は自分で家事をするのが少し嬉しい様だ。二人は茶器を片付けて、連れ立って部屋を出て行った。

「よし、それじゃあ飛び切り強力な奴を設置しに行きましょう!」

 そんな事を宣って、青髪女神はパジャマ姿だと言うのに張り切って作業に向かう。少女と召喚士は顔を見合わせて苦笑し、元気の良い気分屋の後に続いて部屋を出るのであった。

 

 

 屋敷の廊下にしゃがみ込んで、カリカリと羽根ペンを走らせる。描き込まれるのはこの世界では見かけない幾何学的な模様で、それを興味深そうに魔法使いの少女と青髪女神が横から覗き込む。召喚士が文字を書き終わり立ち上がると、黙って見ていた少女が待ち切れないとばかりに言葉を掛けた。

「先程からアクアの指定した結界の起点に何やら書き込んでいますが、魔術に長けた紅魔族の里でもこんな文字は見た事がありません。この文字と行動には一体どんな意味があるのですか?」

 自分の知らない事が知れるかもしれないと言う、知的好奇心から来る期待と興奮に少女の瞳が赤々と燃える。興味があるのは青髪女神も同じな様で、彼女もまた少女の言葉にうんうんと頷いていた。

「これは力ある言葉。僕の故郷でのおまじないに使われてた物だね。一文字一文字に意味があって、その組み合わせでさらに複雑な意味を持たせられる。今書いていたのは、これから張られる結界を補助する為の言葉さ」

 説明が終わると召喚士は女神に、文字の描かれた場所へ結界の起点を作る様に指示をする。言われた女神は頼られたことが嬉しいのか、顔をにやけさせながら魔法を行使してみせた。

「ふっふーん。この私に掛れば、こんな魔法はちょちょいのチョイってね。ほーら、結界を維持する為の起点が――あら? こんなに力を込めたつもりは無いのに、何だかずいぶんと強力になってるわね」

「おお、文字が輝いています。本当に効果があるのかと思っていましたが、この光景を見るとなかなか信憑性がありますね。これで起点作りはお終いなのですか?」

 興奮した様子の少女の質問には、得意満面の青髪女神が答える。結界の起点は中心に一つと、出来ればその周囲に六つは欲しいとの事。その一つ一つにしっかりと力を籠めれば、大規模な結界でも半永久的に張っておけるのだと言う。実力だけならばやはり、この女神は超一級なのである。

「中心部はここで良いとして、後は私がなんとなく場所を指定して行くわ。さあ二人とも、この私にしっかりと付いて来なさい!」

 そして女神はしゃかりきに、大手を振るって屋敷内を練り歩き始めた。なんとなくとは言っていたが、おそらくは感覚的に必要な場所に起点を設置して行くのだろう。所謂、天才肌と言う物である。

 頼もしいんだか不安なんだか、張り切る女神の姿は信用しきれない。片や苦笑、片やにやけた笑みを浮かべつつ、残りの二人はその背中を追いかけた。

 そうして時折騒がしくしつつも、結界の起点は順調に設置されて行く。合計七つの設置が終わると、もう一度中央に戻りいよいよ結界を発動させる。青髪女神の詠唱に魔力が乗って、解き放てばその瞬間には屋敷の周囲を一瞬だけ半円のドームの様な物が覆い包んだ。そして、それも直ぐに見えなくなる。

「ふーっ……、これで良しっと! 屋敷の中の幽霊の女の子には影響はないけど、悪魔やそれに連なるモノは捕らえて動けなくする結界よ。ローの補助のおかけで、思ったよりも上質なのが貼れたわね」

 いい汗掻いたと言わんばかりに額を拭う青髪女神。実際は汗どころか、軽く散歩した程度の範囲しか動き回っていない。それでも彼女は満面の笑顔で誉めて誉めてと全身で語っていた。

 そんな青髪女神の頭に召喚士が手を置いて、ぐしぐしと撫でてやるとへへーんと腰に手を当てて胸を逸らした。

「うんうん、ローは女神様に対する労いって物を良くわかってるじゃないの。デリカシーと配慮の無いカズマと比べたら雲泥の差ね。もっともっと褒めて甘やかしてもいいのよ!」

「ローのしているのは労いと言うより、幼い子供をあやしている様にしか見えないのですが……」

 今までの扱いが余程不服だったのか、魔法使いの少女の呟きは黙殺された。

 そうして騒いでいると、にわかに屋敷の外が騒がしくなる。どうやら屋敷の正面に人が集まっている様だ。一体何事なのだろうと、その場の三人で顔を見合わせる。

「様子を見に行ってみましょう。もしかしたら出かけたカズマが、街で何かしでかしてしまったのかもしれません」

 魔法使いの少女の意見に賛同し、一行はとりあえず玄関まで向かう事になった。

 辿り着いた玄関先では、先に女騎士とメイド娘が来客を迎えており、大柄な体格の労働者達が幾つもの木箱を運び入れている。大の男二人がかりで運び入れるとは、一箱ずつがなかなかの重さの様だ。

 それを指揮する女騎士は何やら複雑そうな表情でいたが、三人に気が付くと笑顔を浮かべて出迎えてくれた。

「お前達も来たのか。すまないな、我が家の者が騒がせてしまった。今運んでいる荷物で最後の筈だから、直ぐに騒ぎも収まるだろう」

「その口振りから察すると、こちらの方々と荷物はダクネスのご実家からですか?」

 知力の高い魔法使いの少女が言葉から情報をくみ取り、女騎士へと確認の為の質問を返す。受ける側の女騎士は表情を引き締め、その質問に答えてくれた。

「ああ、引っ越し祝いとかで送り付けて来たようでな。家の者はもう既に帰してしまったが、私の事を宜しくして欲しいと言っていたぞ。まったく、余計な気を回しおって……」

 口では悪態をついているが、その表情はまんざらでもない。彼女もまた人の子と言う事であろう。たとえ真正のド変態だとしても。

 そんな女騎士を見る魔法使いの少女の顔にもまた、郷愁の色が現れ少し寂しそうになる。尊大な態度を取って見せても、やはり家族が恋しくなることもあるのだろう。

「ねえねえ、ダクネスの実家から送って来たものの中味が気になるんですけど。あんな大きな箱に一体何が詰まっているのかしら! 早速開けてみましょうよ!」

 だが、少女の寂しさを吹き飛ばす様に青髪女神が騒ぎ始める。こんな時だけには、彼女の能天気さがありがたい物である。無邪気にはしゃぐ様子を見て、女騎士と少女の顔に純粋な笑みが戻った。

「まったくアクアはしょうがないですね。あんまりはしゃぎすぎて、引っ繰り返したりしない様に気を付けるのですよ?」

「ふふっ、アクアはそそっかしい所があるからな。荷物はキッチンに運び込ませたから、一度様子を見に行くことにしようか」

「早く早く! もう気になって仕方ないの! ローもそんな所でニヤニヤしてないで、一緒に確認に行くわよ!」

 そんな事を言い合って、赤青黄の三色娘達は台所へと向かって行く。姦しいとはまさにコレだろう。

 作業を終えた労働者達を正門の外まで見送ったメイド娘が玄関の戸を閉めると、それを待っていた召喚士もまた台所へと向かう。

「ムードメーカーは大事だね。少しだけ昔を思い出したよ。三人で旅をしていた頃を……」

 何の話か分からないメイド娘は小首を傾げるが、召喚士はそんなメイドの頭をくしゃくしゃと撫でる。召喚士の表情には郷愁は浮かばず、少しだけ過去を思い出した事が忌々しそうであった。懐かしいはずの思い出が、今はとても苦々しい。そんな複雑な気持ちが現れている。

「ロー! 早く来てー! 早く来てー! 先に開けちゃうわよー!!」

「……ほら、ムードメーカーは大事だ」

 ああも呼ばれては、急がなければ仕方がない。郷愁の念を打ち払い、召喚士はメイド娘と連れ立って駆け出した。

 

 

 辿り着いた台所には四つ程の大きな木箱が並べられていた。通常の家の物よりも広い台所ではあるが、流石にこれだけの荷物があると手狭に感じてしまう。

 何が入っているのだろうかと言う好奇心には勝てずに、青髪女神と魔法使いの少女が早くも箱に張り付いていた。

「なにかしら、なにかしら? 早く開けてみましょうよ、ねえ、ほら!」

「むむ、なんだかひんやりしていますよこの箱。中に氷でも詰まっているのでは無いでしょうか」

 わちゃわちゃとやっている姿は正にお子様。これには召喚士も女騎士も苦笑いである。

 あまりにも二人がはしゃいでいるので、ようやく女騎士が動き始めて木箱の封を剥がし始める。それを見て各々が手分けして箱の封を剥がし始めた。まるでプレゼントの包装紙を破り開けるお子様の様に。

 そして、箱の中に詰まっていた物に、わっとその場が賑やかしくなる。

「こっ、こここここここれはもしや、超高級品と言われる霜降り赤ガニなのでは!? しかも箱にいっぱい! それも三箱分!」

「おお、これは見事な蟹だな。丸々太って食いでがありそうだ。おと――家の者はずいぶん奮発してくれたようだな。これは一度顔を見せに行かねばなんか……」

「見て見て! こっちの箱には、酒屋さんのバイトの時に見かけた超高級なシュワシュワがあったわ! しかもこんなにたくさん、ああ幸せえ……」

 四箱の内三つには、立派な大きさの蟹が手足を縛られて生きたまま入れられており、緩衝材のおがくずの中で泡を吹いていた。そして最後の一つにはやはり緩衝材の藁が敷き詰められて、その中に大瓶の高級酒がこれでもかと詰め込まれている。奮発どころか、これだけで軽く家でも建つのではないかと言う様な品々であった。

 だが、そんな輪から外れてぽつんとしている者が一人。召喚士だけは蟹をじーっと見つめるばかりで、何時もの様な薄笑いすらもしていない。

「見てみなさいよローも! 藁を掘り返したら八瓶も出て来たのよ! ……どうしたのロー? 滅多にお目に掛れない様な高級品ばっかりなのに、どうしてそんなに複雑そうな顔をしているの? お腹痛いの?」

「…………蟹って何? それ……、食べられるの?」 

 珍しく真顔で小首を傾げて見せる召喚士。その隣でメイド娘も首を傾げている。なんとこの二人の知識の中には、蟹と言う食べ物は存在して居なかったのだ。

「えっ、ローは蟹を食べた事が一度も無いのですか? 私も霜降り赤ガニは流石に食べた事はありませんが、川に居た蟹ならわりと良く食べていましたよ」

「そうか、ではこの機会に是非とも賞味してくれ。運ぶ時に魔道具を使って冷やしていたのだろう、鮮度も良いし味は保証するぞ」

 両手に蟹を持ってその味をお勧めしてくる二人に、召喚士はぽりぽりと頬を掻く。今までの食習慣にいきなり新風を迎え入れろとは、なかなか酷な事をおっしゃる娘さん方である。

 そんなこんなで、その日の夕食は蟹尽くしの豪華な物となる事が決定した。

「これだけあるとやはり鍋にするのが一番だろうな。とりあえず蟹は足を落として、野菜もたくさん切っておこうか」

「私も手伝います。甲殻類はまず綺麗に磨いてあげないと、出汁の味に雑味が出るのですよ」

 決まる事が決まれば、後は欲を満たす為に前準備に取り掛かる。こうなれば対応が速いのが、一部分だけ高スペックなこの一味。テキパキと役割分担を決めて、夜の豪勢な食事の為に動き始めた。

「ふふん、今日は特別にこの私もお手伝いしてあげるわ! あれ? ちょっとロー、どうして家の中でフーを呼んでいるの? どうして私の襟首を噛んで持ち上げているの? ちょっ、私今日は本当にお手伝い――」

 とんでもなく張り切って腕まくりし始めた青髪女神は、ちょっと大きめに召喚された巨大狼に連行され退出させられた。速やかな排除にぱちぱちと拍手が起こる。

「よし、ではへーも野菜を切るのを手伝ってくれ。まだ仕留めていない白菜があったはずだから、反撃されない様に気を付けるんだぞ」

「ローには食器の用意を任せても良いですか? 野菜に攻撃されて、一撃で動けなくなっても困りますからね」

 体力が生まれたての子猫並みの召喚士ならば、活きの良い野菜に再起不能にされる可能性は高いだろう。適材適所と言う事で、召喚士もメイド娘もコクリと頷き作業を手伝い始めた。

 がちゃがちゃと騒がしい宴の準備は、何時もの夕餉の時間に合わせて進められて行く。その頃合いになれば、出かけていた最弱職の少年も戻って来るだろう。

 蟹を味わう為に、仲間達は共同で作業に勤しむのであった。

 ちなみに青髪女神は暖炉の前に連行されて、巨大狼にじゃれつかれる内に遊ぶ事に夢中になり、その内遊び疲れて眠ってしまう。夕食の準備が終わるまで、実に平和な時が過ぎて行った。

 

 

 完成した料理を食器の並べられた食堂へと運び、見た目も気にしつつ配膳して行く。邪魔する者も居ないので、料理の数に反して作業は滞りなく進む。酒瓶もしっかりと配膳させて、これにて準備万端。

 後は人が集まるのを待つばかり。そして待機の時間はそう長くは続かない。

「ただまー……。帰ったぞー、ってウワッ! なんだこりゃ!?」

 帰って来て自室で着替えてから食堂に現れた最弱職の少年は、ジャージ姿で挨拶もそこそこに驚きの声を上げた。それは驚くであろう、今彼の目の前には大量の蟹料理が並んでいるのだから。

「あっ、お帰りなさいカズマ! やっと帰って来たわね! ごらんなさい、今日の夕食は蟹よ! 蟹! それからすんごい高級なシュワシュワまで、こんなにたくさん! 早くカズマも座りなさいよ!」

「私の実家から、引っ越し祝いにと送られてきてな。料理も丁度出そろう所だ。先に掛けて待って居てくれ」

 帰って来た少年を先に集まっていた面子が出迎え、料理が待ち切れないのか早く早くと促す。午睡から戻ってきた青髪女神は、もう既に酒瓶を抱えて頬擦りしている程である。

「はわわわわわ……、貧乏な冒険者生活でまさか、最高級の霜降り赤ガニが口に出来る日が来ようとは……。今日ほどこのパーティに入って、嬉しいと思った事はありません」

「なんだよ、そんなに美味しい蟹なのか?」

 魔法使いの少女が両手を頬に当ててうっとりとする姿に、最弱職の少年は興味を惹かれて話しかける。尋ねられた少女は何を言うのかと、オーバーアクション気味に熱弁を振るった。

「当たり前ですよ! この蟹を食べる為に爆裂魔法を我慢しろと言われたら、大喜びで我慢して、食べた後に爆裂魔法をぶっ放します! それ位に高級な蟹なのですよ!!」

「おーそりゃ凄――ん? お前今、最後なんて言った?」

 結局ぶっ放すって言いました。

 台所から人数分のグラスを召喚士が持ってきて、最後にグラグラと煮立った土鍋を女騎士が置く。これにて夕餉の準備が整った。

 余談だが、土鍋や小さめの七輪まで置いてある様子を見て、少年はまるで日本の旅館の夕食みたいだなと心の中でひとりごちる。これもまた異世界に来た日本人が、蟹料理はこうあるべしと伝えた文化なのかもしれない。

「口に合うと良いのだが、皆存分に食べてくれ」

 女騎士の音頭と共に、全員がいただきますの挨拶をするやいなや食事が始まった。

 真っ先に食らいついたのは、食欲旺盛な魔法使いの少女と青髪女神。立派な足をステータスに任せてパキリと折って、するりと取り出したピンク色の肉を酢に浸けてからパクリとやる。二人の顔が幸福に緩まり、うっとりと瞼を閉じて口の中の幸せを堪能していた。

 対面で見ていた少年の喉がごくりと鳴る。そして自分も蟹の足を気合を入れて割り折ると、現れた肉厚の身を一息に貪る。ソイッと折って貪る。ソイッと折って貪る。飽くなき食への衝動はまるで火力発電所だ。

「ウォン! と、止まらん……。これはあかーん!」

「カズマカズマ、これにちょっと火を頂戴。これからこのお酒の、本当に美味しい飲み方を教えてあげるわ!」

 もう両手に蟹を持って、口の中にひたすら蟹肉をほおり込む事に没頭する。そんな少年に、中にある蟹味噌を食べ尽くした甲羅を七輪に乗せた青髪女神が火着けを依頼した。

「ふぉら、『てぃんだー』」

 蟹の美味さの為に心が広くなっていた少年は、蟹を頬張ったままで初級魔法を唱えてやる。炭に火が付き直ぐに網の上の甲羅が炙られて行く。

 そこへすかさず注ぎ込まれる高級酒。クツクツと甲羅の中で酒が泳ぎ、味噌の風味が移った熱燗が出来上がる。

「そろそろね……。ん……、ほふう……」

 熱々の甲羅酒を胃の腑に落とし、青髪女神が満足のため息を吐く。もう既に女を捨てた様なオヤジ臭さではあるが、これは確かに美味いと言わざるを得ない飲み方であった。

 再びごくりと少年の喉が鳴る。ついでに魔法使いの少女と、女騎士までも喉を鳴らして興味を示す。

「お、俺も……! はっ!?」

 イソイソと七輪に同じ様に甲羅を乗せた所で、酒を注ぐ寸前に少年の動きが固まった。まるで、忘れていた大切な事を思い出したかの様に。

「どうした飲まないのか? それでは私が先に……」

 遂には両手を組んで悩み始めた少年の手から酒瓶を取り、女騎士が女神の真似をして甲羅酒を楽しむ。ほぉっと幸せを吐息に乗せて、女神の飲み方に称賛を送る。

「これは美味い! 確かにイケるな!」

「わ、私にもください! 今日くらい良いじゃないですか!」

「駄目だ。子供のころから飲むとパーになると言うぞ」

 遂には魔法使いの少女までお酒を求め出す。だがこれは、女騎士が飲酒はまだ早いと酒瓶を遠ざけてしまった。小柄な体格の少女は、女騎士にとっては幼く見えるのであろう。

「っぷはぁ!! じゃんじゃん飲むわよ! 気分良くなってきたから、初披露の宴会芸行くわ! 指芸で……、機動要塞デストロイヤー!!!」

「おおっ、その動き! 形! まさにデストロイヤーです!」

「あの姿形を指で再現するとは、見事だな!!」

 苦悩する少年を置いて、酒を飲みまくってぱっぱらぱーになった女神が指芸を披露する。わしゃわしゃ動く指の動きに魅了されて、女騎士と少女は思わず立ち上がるほどに大興奮だ。

「くっ……、だからデストロイヤーって何なんだよ……」

「ん……。どうしたカズマ、私の実家からの物は口に合わなかったか……?」

 外野の煩さに更に少年が苦悶し眉根に皺を寄せていると、それを心配した女騎士が悲しげな表情で声を掛けた。今日はもてなす側として、女騎士なりに気を使っているのだろう。

 問われた少年は慌てた様子で首を振る。

「いやあ、今日は昼間にダストとキース達と一緒にしこたま飲んで来てさ。もう飲めそうにないんだ。明日、明日また飲ませてもらうよ」

「そうか……。ならせめて、蟹だけでもたくさん食べてくれ。こっちは気に入ってもらえたみたいだしな」

 少年の弁解を聞きホッとした後に、にこりと微笑みを浮かべる女騎士。今日は何時もの鎧姿ではなくパジャマ姿でもあり、黙っていれば超絶な美人である為に、こうして微笑みを浮かべるだけで少年はドギマギされてしまう。

 その上に、謎の罪悪感で少年の胃がキリキリと刺激されていた。激しい苦悩と葛藤を重ねて、悩みの果てに遂には少年は無新で蟹を貪り始める。鬼気迫るとはまさにコレだ。

「そう言えばローはどうした? ずっと静かだが、蟹は食べても大丈夫だった……か……?」

 蟹初体験の召喚士に視線を向けた女騎士は、そこに異様な光景を見た。

 召喚士は蟹を相手に壮絶な戦いを繰り広げていたのだ。カニの殻を鋏や道具で割り開き、中に詰まった身を皿に取り出す。そこには既に山盛りになった蟹肉が鎮座していた。

 召喚士は無心になって作業を繰り返す。手先の器用さを生かしてひたすらに蟹を解体する。甲羅の中の蟹味噌は、深皿に取ってそちらもたっぷりと盛られていた。

 食べる訳でも無く、只管に、只管に、只管に、指を動かす。

「その……、楽しそうだな?」

「……楽しい」

 本人が楽しそうなので、そっとしておく事にした。

 そんなこんなで食が進むと、がたりと音を立てて少年が席を立つ。たっぷり蟹を食べた彼は、にこやかな笑顔になってごちそうさまを告げた。目だけが笑って居ない、どこか歪な笑顔を浮かべて。

「それじゃあ、ちょっと早いけど俺は寝るとするよ。……お前ら、おやすみ」

 告げるが早いか真顔になり、妙に早足になって少年は食堂を後にした。

 暫し呆然とその背中を見送った一同は、だが直ぐに目の前の蟹と酒に思考を戻す。あの少年が少し不思議な言動をするのは、とりわけ珍しい物ではない。妙な事を知っているのに常識は知らないというのが、このパーティの共通認識なのである。

「ふう、やり切った……」

 一連の流れを気にも留めずに解体作業に勤しんでいた召喚士が、ほぼ全ての蟹を解し終えて満足げに息を吐く。てんこ盛りになった蟹の肉は、魔法使いの少女がガツガツと口に放り込んでいる。相変わらずの食欲だ。

 そして、メイド娘も席に座って相伴に預かっていた。もぐもぐと口を動かして、死んだ魚の様な目のままだがどことなく嬉しそうにしている。

 その足元では、子犬状態の狼が山盛りの蟹肉を貰って、嬉しそうに尻尾をパタパタと振っていた。子犬とは言え体格は大型犬並で、もりもりと良く食べる。

 更にその隣では、首だけ魔法陣から出した大蛇が、蟹肉には目もくれずに蟹の甲羅をごくりと丸呑みに。どうやら甲羅に残った味噌の方が好みの様だ。蓋の開けられた高級酒の一升瓶を口に咥えて、ごくりと器用に飲んですらいる。蛇の癖にやたら渋い好みである。まさにうわばみ。

 すっかり満足した召喚士は、フォークに刺した蟹の足の肉をじーっと眺めながら、グラスに注がれた高級酒をちびちびとやっていた。メイド娘と違って、こちらは食べる勇気がまだ出ない様子だ。

「少し心配だったが、皆楽しんでくれて居る様で良かった。こう言う宴の様な夕食も、たまには良い物だな」

「相変わらず甘い男ねカズマ! この私が明日までお酒を残しておくと思っているのかしら! あ、ちょっと! ヨーにそんなに飲ませたら、私の分が無くなっちゃうでしょ!」

「もくもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ」

「ん……、はむ。……あ、これ悪くないな」

 騒がしいままに蟹の甲羅酒を楽しむ青髪女神。無言のままひたすら蟹肉を両手で口に突っ込む魔法使いの少女。恐る恐る口に蟹を入れて、初めての味を気に入る召喚士。

 賑やかしい食卓に憧れでも持って居たのか、女騎士はまた口角を上げて微笑んだ。用意した料理と酒が尽きるまで、がやがやと続くのであった。

 

 

 食器を全て洗い終え、残った酒を持って暖炉のある居間へと移る。流石に騒がしい宴会と言う訳でもなく、豪勢な食事の後の充足感に浸って一同は寛いでいた。召喚獣達は、巨大子犬以外は既に送還されて姿は無い。

「ふぅ……、良い酒だ。ここまで良い物には、氷や水を入れるのは無粋だな」

「ミードも良いけど、これも嫌いじゃないね。カズマにも、一本だけ残しておこうよ」

「くはー……。こんなに高級な物をお腹一杯に食べられるなんて、なんと言う幸せぇ……」

 歓談と共に酒を燻らせるのは如何にも大人の時間といった風情だが、今だけは魔法使いの少女は満腹で騒ぐ事も無い。むしろ食べすぎたのか幸せそうに絨毯の上に寝ころび、同じくたっぷり食べて寛ぐ巨大子犬を枕にして食休みしている。

「ん……。私はそろそろ湯あみに行って来る。めぐみんもアクアも、ここで寝ない様に気を付けろよ。ロー、すまないが見張っててやってくれ」

 女騎士と召喚士は暫し他愛も無い話を肴に晩酌と洒落ていたが、召喚士に後を任せて風呂場に向かって行った。

 寝るなとは言ったが、青髪女神は酒瓶を抱えてソファーで横になり既にまどろみ掛けである。魔法使いの少女も満腹感と子犬のモフモフにより、うつらうつらと既に意識は半分夢の中であろう。

「…………見張れとは言われたけど、具体的に対処しろとは言われてないよね」

 召喚士は酒を舐める作業に戻った。女の子二人をベッドに運ぶなんて体力が持たない。なにより、それをすべきなのは、今はここには居ない少年であるべきだろう。

 決して面倒臭い訳ではない。決して、面倒くさい訳では、ない。

 とりあえず、そうと心に決めたのならば、今はただ良い酒を楽しもう。再びグラスに口を着けて、香り高い液体を喉へと流し込み――

「ん? 何か引っかかったかな?」

 そんな事を呟いて、ふと天井を見上げる。

 それと同時にすかーっと寝息を立てていた青髪女神がカッと目を見開き、横たわっていたソファーから跳ね起きた。勢いに任せて抱えていた酒瓶を投げ捨てようとして、それが高級品なのを思い出してそっとソファーの上に寝かせる。

 そして、キッと虚空を睨み付けると、屋敷中に響き渡る様な声量で高らかに宣言した。

「皆、この屋敷に曲者よ! 出会え、出会えーい!!」

 その凄まじい声量に、微睡んでいた魔法使いの少女と子犬が跳ね起きる。青髪女神はそんな事には目もくれずに、本能のままに突き進みリビングを飛び出して行った。

 暫し、ぽかーんとして思考が停止する残された面子達。少女は子犬と視線を合わせてから、優雅に酒杯を傾ける召喚士にも視線を送る。

「えっと、アクアが今言っていたのは……」

「今日仕掛けた結界に、何か引っかかった感覚があったから、本当に曲者が居るんじゃないかな」

 そりゃあいかんじゃないかと、少女と子犬が連れ立って女神の後を追う。召喚士はしっかりグラスを飲み干してから、悠々とその後を追いかけるのであった。

 

 

 追いついてみれば、状況は実にシンプルである。曲者らしき人物を取り囲む二人と一匹。そして、力無く床に伏している曲者が一人。

 その曲者は、一見すれば少々扇情的な衣装の少女にしか見えない。短い銀髪に赤い瞳の端麗な容姿をしていた。されど、見た目は幼い容姿をしているが、邪悪なる者を拒む結界に反応したのであれば妖魔の類で間違いない。侵入者の銀髪から飛び出す一対の蝙蝠の羽は、おそらく髪飾りなどではない種族の特徴なのだろう。

 そんな者がどうやって侵入したのかと思えば、妖魔には翼を持つ物が少なくは無い。今いる場所は幾つも窓の並んだ二階の廊下なので、文字通り空を飛んで侵入したのだろう。まさか入って直ぐに、結界に捕縛されるとは思って居なかったのだろうが。

「ふっふっふっ、どうしてくれようかしら。ねえどうしてくれようかしら、この不届きな侵入者は!」

「その格好と結界に反応した状況を見るに、どうやらサキュバスの様ですね。大方、カズマの精気を狙って侵入したのでしょう。上級悪魔は何度か目にしましたが、流石にここまで扇情的な格好はしていませんでしたから」

 握った拳をボキボキと鳴らしつつ、とても女神とは思えない表情をしている青髪女神。その隣では魔法使いの少女が、冷静に相手の素性を推測している。

「ええ、この曲者は間違い無くサキュバスね。この女神様の神聖な領域に、土足で踏み込んで来るとは不届き千万!  全員揃ったら、この私の神聖魔法で魂まで消滅させてくれるわ!」

 もう青髪女神が魔王みたいな事を言い始めた。聞かされる曲者は大き目な瞳に涙を溜め、ガタガタと恐怖で震えているのでどちらが悪魔なのか分かった物ではない。

 召喚士はとりあえず、子犬の背に腰かけて状況を見守る事にした。なぜなら、こちらに近づいて来る足音を耳にしたから。見守った方が絶対に面白い事になるに違いない。

「おい、アクアー! アクアはどこだー!」

 廊下の端から現れて声を上げたのは、何故か全裸で腰にタオルを巻いただけの姿の最弱職の少年。それを視界に収めたので、召喚士は思わずぶふっと吹き出してしまった。

「あ、カズマ来たわね。ここに私の結界で身動き取れなくなった曲者が……。ここにも曲者が居た!?」

「だ、誰が曲者だ! ……あれ、何でサキュバスの子がそんな所に……?」

 喜々として己の活躍を報告しようとした自称女神であったが、少年のタオル一丁の姿にドン引きして言葉を止める。男性の裸を見てしまった魔法使いの少女など、両手で顔を覆って真っ赤になってしまった。普段の漢らしい言動とは裏腹に、意外と純情な所もある様だ。

 召喚士はしげしげと少年の体を眺めて感心していた。普段の軟弱そうなイメージとは異なり、それなりに筋肉が付いた体つきをしている。メイド娘が召喚されていれば、実に掛け算が進んだ事であろう。

「実はこの屋敷には結界貼ってあってね? 反応があって見に来たら、このサキュバスが身動き取れなくなっていたの。きっとカズマの精気を狙って現れたのよ! サクッと悪魔祓いしてあげるから、もう大丈夫だからね!」

「我等が前に現れたのが運の尽き。さあ、大人しく滅されるがいい!」

 気を取り直した青髪女神が状況を説明する。ここぞとばかりに、少年に自身の有用性を売り込む事も忘れていない。それに便乗して、魔法使いの少女もかっこいい台詞とポーズを披露していた。言われたサキュバスの子は、ヒッと息を飲んで慄いている。

 一連のやり取りを聞いていた少年は顔を俯かせて、何やら決意した様に歩み出す。その顔は何時に無く真剣で、纏わせる雰囲気が歴戦の勇士もかくやと精悍な物へと変わっている。

「観念するのね。今とびきり強力な対悪魔用の――えっ?」

 そして最弱職の少年は、両手を広げて女神達とサキュバスの子の間に立ち塞がった。まるでサキュバスを守る様に、その背後に庇いながら。

「なっ、なにやってんの!? そいつはあんたの精気を狙って現れたのよ!」

「正気ですか、カズマ?」

 少年は応えない。ただ、背後に庇うサキュバスに向けて、何やら小さく呟くのみ。それに対してサキュバスも涙をぬぐいながら微笑みかけるが、それでも少年は首を振って庇うのを止めはしない。

 そのやり取りが、女性陣の癇に障った。

「どういうつもり? 仮にも女神な私としては、その悪魔を見逃す訳にはいかないわよ。カズマ、袋叩きにされたくなければ、さっさとそこをどきなさいよ……」

「いくら可愛い姿をしていると言っても、その子は悪魔、モンスターなのですよ? 何とち狂ったんですか?」

 凶悪な面構えで脅しかける女神に、呆れつつも見下す様に突き放す少女。それでも少年は退きはしない。男には、退けない時があるのだとばかりに。

「っ……、今のカズマはそのサキュバスに魅了され、操られている! 先程からカズマの様子がおかしかったのだ! 夢がどうとか設定がこうとか口走っていたから間違いない! おのれサキュバス……、あんな辱めを……。ぶっ殺してやるっ!!」

 その膠着した状況を、駆け寄って来た女騎士が加速させた。何やら大変ご立腹して居る様で、叫ぶ声が後半裏返ってる程だ。

「どうやら、あんたとは一度決着を付けねばならない様ね。良いわ、掛かってらっしゃい! あんたをけちょんけちょんにしてから、そのサキュバスに引導を渡してやるわ!」

 赤青黄色の女性陣と、タオル一丁の少年が対峙し互いに構えを取る。その様は、か弱き乙女を護るタオル一丁の勇者と、凶悪な顔の三人の悪党だ。召喚士の笑いの耐久も天元突破で、子犬の上で蹲り腹筋にダメージが入る。

「ふー…………、行くぜ……」

 少年が呟き、体を小刻みに跳ねさせ始めた。ファイティングスタイルからのフットワークでリズムを刻む。三対一という絶望的な状況でも、彼の決意は不退転。裏切っては成らない物の為に、最弱職の少年は戦うのだ。

「掛かってこいやーーーー!! シャオオオオオオオオッ!!」

 女性陣に果敢にも飛び掛かり、少年は気勢を上げる。奇声も上げる。

 全員の注意がサキュバスから反れた所で、蹲りながら笑う召喚士がパチンと指を鳴らす。その瞬間、サキュバスを拘束していた結界が輝きを弱めフッと消失した。

 一瞬呆然としたサキュバスの子であったが、次の瞬間には窓を突き破って逃走を図る。そして、背中から翼を生やして飛び去って行った。あどけない容姿とは裏腹の、的確な行動力である。

 後に残されたのは、無残にもボッコボコにやられた少年だけであった。容赦など欠片も無い、顔面も体もベコベコになる程に攻められている。呻き声すら出せない徹底ぶりだ。

「サキュバスには逃げられましたね」

「塩撒いておくわ」

 少年を捨て置いてサキュバスの逃げ出した窓に集まった女性達は、その実あまり悔しそうではなかった。少年を袋叩きに出来たので、案外すっきりしてしまったのかもしれない。

 何処から取り出したのか清めの塩を窓の外に振りまいて、その夜の騒動は終息したのであった。

 

 

 翌日。召喚士はぼんやりと窓から屋敷の庭を見下ろしていた。

 視線の先には箒でお墓の周辺を掃く最弱職の少年と、その後ろで恨めし気に少年を睨み付ける私服姿の女騎士の姿がある。どうも二人は昨日の夜に何某かのいさかいがあったらしく、今もああして女騎士の無言の抗議が続いて居るのだ。起きてからかれこれ数時間はあのままなので、少年にはさぞうっとおしかろう。

「まったく、昨日はすっごい気分良くお酒が飲めていたのに、あのサキュバスのせいで台無しだったわ。今夜はしっかりと飲み直さないといけないわね」

「アクアたちばっかり、ズルいですよ。今度は私にも少しくらい分けてください。私だってお酒を楽しんでみたいのです」

 リビングの中では相変わらず、今日も仲間達が騒がしくしている。沢山のイベントがあり、たくさんの笑いを提供してくれる今の生活。召喚士は、口には出さないがこの生活がとても気に入っていた。

「何時までも、こんな生活が続けばいいのにね……」

 そのつぶやきは誰にも聞かれる事は無く、そして――叶う事も無い。

 視界の中でやっと和解して、何時もの様に女騎士が少年にからかわれる様子を見ていた所で、街中に轟く轟音でギルドの放送が流れ始めた。

「『デストロイヤー警報! デストロイヤー警報! 機動要塞デストロイヤーが、現在この街に接近中です! 冒険者の皆様は、装備を整えて冒険者ギルドへ! そして、街の住民の皆様は、直ちに避難してくださーいっ!!』」

 それは平穏を終わらせる警告。次のイベントへの招待状だ。拒否権の無いその招待に、召喚士は溜息を吐いて立ち上がる。面倒ではあるが、起きてしまったものは仕方がない。

 警報を聞いて、仲間達が慌てて自分の部屋に戻って行った。おそらくはデストロイヤーに対処する為に、荷造りを始めるのであろう。それがこの世界の常識なのだから。

 召喚士の大好きな少年は、この状況にどんな反応を示すのだろうか。常識を知らない彼ならば、どんな答えを出すのであろうか。それを確認する為に、動かなければならない。

「まあ、答えなんてわかり切っているんだけどね」

 それは信頼なのか、確信なのか。そこまでは召喚士は語らなかった。

 

 




すみません、一章ごとの投稿にしたかったのですが第二章はもう一話続きます。
残りは完成したらの投稿となります。


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