【完結】二回目の世界とメアリー・スー   作:ネイムレス

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本来の予定では四月には終わって居る筈だったのですが、ままならない物ですね。
きっとスパロボのせいではないかと思われます。


第十五話

 アクセルの街はその日も、冷え込みの強い寒空であった。

 なけなしの稼ぎを使い暖炉に薪をくべてはみても、あっと言う間に燃え尽きて部屋全体を温めるには至らない。徐々に冷えて来た部屋の温度に、室内に景気の良いくしゃみが響き渡る。

「おやおや、風邪かい? 気を付けるんだよ?」

「カズマさんこそ、鼻声じゃない。早くこのジャージ、直してあげるわね」

 くしゃみをした青髪女神に、鼻の詰まった声で最弱職の少年が語り掛ける。首元にマフラーの様に羽衣を巻き付けた青髪女神は、少年の持ち物である緑のジャージをせっせと繕っていた。

「それ暖炉に入れて燃やしたの、お前だけどな?」

 ジャージには見事に焦げ跡が付いており、青髪女神はその部分を寄り合わせて穴を塞いでいる。少年の指摘に無反応な彼女の頭には、冗談みたいに大きなたんこぶが出来て赤々と腫れ上がっていた。

 そうこうしていると今度は、青髪女神のお腹がグーッと元気に鳴く。

「おやおや、お腹空いたのかい?」

「そう言えば、まだ朝ご飯食べて無かったわね」

「調子に乗って有り金全部酒代に使ったの、お前だけどな?」

 恐ろしい事にこの一連のやり取りは終始、笑顔でたおやかに執り行われていた。軽く狂気じみた光景である。そうで無ければ、底抜けに面妖な喜劇か。

 とりま、現在この屋敷が暖房もままなら無い程に素寒貧なのは、青髪女神の浪費が原因だと明らかになった訳だが、その張本人は指摘にプルプルと小刻みに震え――遂には泣き喚き出すのであった。

「だって、皆嬉しそうに飲んでたんだもん!! しょうがないじゃない!」

 それはどう見てもただの逆切れ。自らの行為を棚に上げて、非難してくる方が悪いとばかりに涙と罵声を撒き散らす。自分本位が青髪女神の信条である。

 それを見た少年は、地獄の底から滲み出る様な吐息と共に、一本の酒瓶を取り出して見せつけた。その酒瓶は、青髪女神が自室に隠していた最高級の逸品である。

「それ……、私がベッドの下に隠してた高級シュワシュワに見えるんだけど……」

「質屋ー……、開いてるよなー……」

 少年の取り出した酒瓶を見て戦慄する青髪女神。最弱職の少年は幽鬼もかくやな声で、街の質屋に売り飛ばす算段を口にする。それに反応して、青髪女神は少年に飛び掛かり酒瓶に手を伸ばした。

「返してぇ!! その子が最後の一本なの! 最後の希望なの!!」

「今すぐ金に換えて来てやる! じゃなかったら今すぐ飲んでやる! 少しはこの冷えた体も暖まるだろうよ!!」

「止めてぇ! 私その子を抱いてないと、眠れないの!!」

 そうして始まった何時もの喧騒。それは最弱職の少年が一方的に青髪女神を泣かせると言う物ではあるが、寒さとひもじさに耐える身には中々に辛い物があった。

「おいで、ちょむすけ……」

 二人の騒ぎを同じ部屋で見ていた魔法使いの少女は、己が愛猫を呼び寄せてその腕に抱く。寒々しい気温と目の前の光景に、暖かさが恋しくなったのだろうか。

「いやぁ、流石に稼いだ分だけ使われるとは思わなかったねぇ……」

「……油断大敵…………」

 その隣では召喚士がメイド娘と共に卓代わりの裏返した木箱に向かい、せっせせっせと内職の造花造りを執り行っていた。二人とも器用さが高いのか凄まじい速度でノルマを消化し、それが終われば今度は写本作成に取り掛かる。

 青髪女神が使い込んだ酒代もこうして地道に作られた物だったが、召喚士はニコニコしながら騒ぐ二人を眺めていた。メイド娘は何時も通り死んだ魚の様な眼をしているので、うんざりしているのか楽しんでいるのか判然としない。

「人のジャージ燃やしておいてよく言えたな!? じゃあその羽衣、ちょっと売って来い!」

「何言ってるの!? この羽衣は私の女神としてのアイデンティティーだから、売れるわけないじゃない。馬鹿なの? 何馬鹿言ってんの?」

 罵り合いはついに最高潮を迎え、互いの持ち物を売り飛ばすところまで行ってしまう。青髪女神はもちろん拒否するが、最弱職の少年は鼻で嘲笑ってから掌を差し向けた。

「ふん……、『スティール』ッ!」

「え……? わああーっ!! カズマ様ああーっ! 調子に乗った私が悪かったから、やめてやめて!!」

 そして、窃盗スキルを発動して幸運にも羽衣を奪い取る。泣き喚きながら女神が縋りついて来るが、羽衣と酒瓶を両手にした少年は一顧だにしない。

「うるさーい! 借金は減らないし、ダクネスも帰って来ないんだぞ! 少しは緊張感持てよ!」 

 要するにこれは、制裁でもあり八つ当たりでもあるのだ。

 多額な借金と浪費が直らない駄女神。加えて未だ帰ってこない、領主の元に行ったままの女騎士。最弱職の少年で無くとも、心労でストレスが溜まると言う物だ。

「せっかくこんな設計図まで用意したのに、カズマが解決したいのは借金返済じゃないんだよね……」

「うん? なんですそれは、カズマが書いた物なのですか?」

 あっと言う間に本の複製を作り上げて、召喚士が次に木箱の上に取り出したのは幾枚かの製図であった。それを見ると知的好奇心が刺激されたのか、魔法使いの少女が黒猫と共に横から覗き込んで来る。

「昨日カズマが書き出した草案を、幾つか製図に起こして実用レベルまでに設計し直した物だよ。カズマの故郷ではごくありふれた物らしいけど、こっちの方では王都にも無い珍しい物だから価値は出ると思う」

「ほう、これがカズマの故郷の……。ふむふむ、これは魔法を使わずに火起こしをする道具なのですね」

 知能が高い故か、図面とそこに添えられた注釈だけで魔法使いの少女には完成品が予想出来たらしい。興味深げに設計図を覗き込んでは、うむうむと頷いて発想の独特さに感心している。

「凄く簡単に言うと、蝋燭と火打石をくっ付けた物だね」

「この歯車の様な物を回すと火花が出るのですね。実に面白い道具だと思います。売れますよ、これは!」

 図面はほぼ完成し、召喚士による細かい修正も入って、後は実物を少年が作るだけと言った所。その矢先に女神の浪費が発覚した訳で、この諍いは必然的に苛烈な物となったのだ。

 設計図を確認し、軽く手直しや走り書きを加えた後に、召喚士はよっこいせと腰を上げる。いい加減にあの二人を止めないと、このままでは勢いに任せて貴重な神具を本当に売り払いかねない。

 二人の間に割って入る為に召喚士が近づこうして、それは屋敷に響いた大仰な声で妨害される。

「大変だ! 大変なんだ!!」

 居間のドアをドバーンと開け放ち、一人の女性が息せき切って飛び込んできた。

 その女性を見た瞬間、全員の視線が集まり、同時に頭の上に疑問符が浮かぶ。すなわち――

「「「……誰?」」」

「ンン!?」

 召喚士とメイド娘以外の三人から首を傾げられ、突入してきた女性は面食らってからぶるるっと全身を震えさせる。

彼女は何だか、驚きつつも少しだけ嬉しそうだった。

 召喚士だけが、ぷっと短く笑っている。

 

 

 闖入者の女性は冒険者ばかりのアクセルでも特に風変わりな、上等な生地で作られたドレスを身に着けていた。ドレスに着られる事も無く上品に着こなして見せ、更には金糸の様な見事な長い髪を三つ編みにして束ねて肩から下げている。頭の上にはドレスに合わせた鍔広の帽子が乗せられ、その姿はどこからどう見ても貴族のお嬢様であった。

 ドレスの女性は切羽詰まっていた事を思い出したのか、ハッとして今度は最弱職の少年に声を掛ける。

「カズマ、大変なんだ。実は――」

「あんた誰?」

「んんぅん!?」

 話し入りを挫かれる形で少年に疑問をぶつけられた女性は、今度は体を軽く反らせて歓喜に震えた。何故か顔を赤らめて悦ぶ女性の姿に、少年は怪訝な表情を浮かべるばかりだ。

「あれ、喜んでる……?」

「カズマ、そう言ったプレイは後にしてくれ!」

「あ、はい……。っ!? お前、ダクネスか!? 心配させやがって!」

 少年の知りうる知人の中で、プレイとか言う奴はそんなに居ない。そこまで来てようやくドレス姿の女性の正体に気が付いた少年は、仲間の帰還に声を喜色で弾ませた。ストレスを感じるほど心配していたのだ、その喜び様は当然であろう。

「ダクネスゥ! カズマが……かじゅまがぁ! 私を無理やり脱がせて、私の一番大切な物を売り飛ばそうと!!」

「んなっ!?」

「おおぉい、言い方!?」

 ドレスの女性が仲間の女騎士だと知るや否や、青髪女神が泣きながらその胸に飛び込み、豊満な谷間に顔を埋めて少年の暴挙を告げ口する。どう聴いても誤解する様なその言い草に、ドレスの女騎士は羨まし気に驚愕し、少年は誤解させるなと憤慨した。

「ダクネス……。おかえりなさい」

「ああ、ただいま。ん? その猫……」

 軽いコントの切れ目を突いて、黒猫を抱き上げた魔法使いの少女がドレスの女騎士に歩み寄る。女騎士は告げられた帰還への挨拶に言葉を返し、少女の腕の中の黒猫に気を引かれるが、けれども少女は悲しげに微笑んで言葉を続けた。

「何があったのかは聞きません。まずはゆっくりとお風呂にでも入って、心と体を癒してきてくださいね……」

「ん? いや、何を言っている……。というか私は、アクアの言っていた特殊プレイの方が……」

 言葉かける途中で、込み上げてくる物に耐え切れず、少女は涙ぐみ口元を手で覆ってしまう。それに対する女騎士はやや困惑し、そして直ぐにその興味は青髪女神の生んだ誤解へと移る。

 そこで名前を呼ばれた青髪女神が、視線を向けて来た女騎士の手を取り、身に纏うドレスの生地を撫でて確かめ始めた。憂い顔で労わる様に撫でながら、声に悲壮感をにじませてぽつりと呟く。

「間違いないわ……。高級品よ……」

「ぐすっ……、苦労を掛けたな……」

 そして耐え兼ねたかの様に顔を背ける物だから、少年も少女も遂には涙を堪え切れず、部屋に幾人もの嗚咽が響きだした。何だかんだ言って、皆仲間の境遇に胸を痛める感性の持ち主なのだ。

「何を勘違いしている! 私が領主に弄ばれているとでも思っていたのか!?」

 そんな悲しむ仲間達を真っ先に否定したのは、他ならぬドレスの女騎士であった。彼女は否定するのだが、少年はその言葉を『仲間を心配させまいとする優しい嘘』と受け取る。

 そして、ついには少年も女騎士に歩み寄り、その肩に手を置いて優しげに語りかけた。

「帰って来ただけでもよかった。ほら、暖かい風呂にでも入って、泣いて来ると良い……」

「違う! 領主も私相手にそこまでする度胸は無い!」

 流石はドM、優しくされるのは心外だとばかりに女騎士は少年の手を払い除ける。何より彼女にとっては、今はそれどころでは無い。

 ドレス姿の女騎士は、腕を払われて微妙な表情をする少年の眼前に、一枚の肖像画を突き付けて見せた。

「それよりも、これを見てくれ」

「ん、なんだこれ? おおー、何だこのイケメンは、むかつく」

 最弱職の少年は差し出された肖像画を受け取ると、見た瞬間に力を込めてそれを引き裂く。それを見て悲鳴を上げたのは渡した側の女騎士。悲鳴を上げられた少年は、自らの行いに茫然とした様子で答えていた。

「何をするんだ!?」

「おお? 手が無意識に……」

 何かとイケメンには良い思い出の無い最弱職の少年は、イケメンを見るとついやってしまうんだ。一連の流れに、傍観していた召喚士がついに笑いを堪え切れずに吹き出した。

「あのイケメンが、領主の息子ねぇ……」

「奴め、カズマへの猶予の代償として、息子との見合いを申し出て来た。このところ帰ってこなかったのは、この見合いをどうにか阻止しようと頑張っていたからなのだ」

 結局の所、女騎士が持ち帰ってきた大変な事とは、彼女自身のお見合い話だったのだ。お見合い相手は大領主の息子で、先の肖像画はお見合い写真だと言う。

 少年の手によって裂かれた肖像画は、ただいま青髪女神がご飯粒で鋭意修復中。その様子を、黒猫とメイド娘が興味深げに眺めている。

「私の父も、アルダープの息子は高く評価していてな。一番乗り気なのが父なのだ。頼む! 私と一緒に来て、父を説得してくれないか!?」

 憂い顔を浮かべてとつとつと零していた女騎士が、ついには仲間達へ協力を懇願する。今日になって帰って来たのも、最早独力ではどうにもならないと思えたからだろう。

 だからと言って一介の冒険者が権力者相手に何が出来るのか。話を聞いていた最弱職の少年と魔法使いの少女は、うーんと唸り声を上げて考え込んでしまう。

 と、そんな話し合いの場に、青髪女神が修復を終えた肖像画を持って現れた。

「はいこれ。どう、完璧でしょ?」

「お前……、こう言った事に掛けては本当に多芸だな……」

 肖像画を受け取った少年はその出来具合に感心しつつも呆れ、そしてそれを両手で持ったまま長考に入る。久し振りに顔を合わせた三色娘達は、そんな彼を蚊帳の外にしてワイワイと集まっていた。

「ありがとうアクア。危うく見合いを断る事が出来なくなってしまう所だった」

「この位の事、この私に掛かれば造作もないわ。繋ぎ目も見えない程の修復技術はまさに神技! もっと崇めても良いのよ?」

 見合い写真を送り返さねば見合いを断れないので、女騎士にとっては青髪女神の修復技術はとてもありがたかったのだろう。素直に褒められると、女神は褒められただけ胸を逸らして尊大に振る舞う。そしてそんな二人を魔法使いの少女が慈しみながら眺めて安堵する。ようやくと日常が帰って来た、そんな風景がそこにはあった。

「これだああああああああああああああっ!!!!」

「「「あああああああああっ!?」」」

 そして、そんな和やかな風景を吹き飛ばす様に少年が絶叫を上げ、手にしていた肖像画を今度こそ真っ二つに引き裂いた。三色娘達が各々驚愕しつつ、少年に向かって飛び出していく。

「……ああ、やっぱりこっちの方が日常って感じがするねぇ」

「なーお」

 木箱を卓にして召喚士とメイド娘が並んで座り、久々に喧々轟々とする仲間達を眺めている。メイド娘の膝の上で、黒猫が呆れた様に鳴き声を上げていた。

 

 

 居間ではその後ひと悶着あったが、話し合いの結果パーティは三つに分かれる事となった。

「では、私はゆんゆんとの約束があるので出掛けてきますが。カズマの考えとやらが、凄く嫌な予感しかしないのですが大丈夫ですよね? ……ダクネスの事は任せましたよ?」

 元々本日は同郷の幼馴染と約束事があったと言う魔法使いの少女が、後ろ髪引かれつつ何度も振り返りながら立ち去って行く。仲間の事は心配だが、ボッチな少女との約束を反故にするのもそれはそれで後が怖いとの事で、彼女は泣く泣く出掛けて行ったのだ。

 『きっとあの子は、雨が降ろうと雪が降ろうと約束の場所でいつまでも待ち続けるでしょうからね』とは、彼女を良く知る魔法使いの少女の談である。その事を容易に想像できてしまった仲間達は、少女を快く送り出すのだった。

 そしてもう一人。

「……ごめんねダクネス。僕も今日は行かなくちゃいけない場所があって、一緒には付いて行けないんだ。代わりにヘーちゃんを付けるから、何かあったらこの子越しに知らせてね?」

 非常に珍しい事に、召喚士もまた別行動をとる事になったのだ。引き留める間もなく召喚士は巨躯の狼に跨り、街の外に向けて駆け出して行った。後に残されたのは、呆然とする少年と女騎士。そして死んだ魚の様な眼のメイド娘と、引き裂かれた肖像画を持って泣きじゃくる青髪女神だけである。

「うううう……。せっかく……。せっかく元通りにしたのに……」

「……よしよし…………」

 大粒の涙をぼろぼろと零す青髪女神の頭を、メイド娘が背伸びしてよしよしと撫でて慰める。とりあえず女神の事はメイド娘に任せておくとして、少年と女騎士は気を取り直して今後の事を話し合う事にした。

「見送りも終わったので今一度聞こう、見合いを受けろと言うのはどういう事だ!」

 出掛けて行く仲間を見送る為に一度は落ち着いた女騎士だったが、少年の言いだした見合いを受けろと言う考えに再び瞬間的に熱くなる。

 それに対応する少年の方は、剣幕に及び腰ではあったがいたって冷静であった。

「落ち着けよ。見合いを断った所で、あの領主はより一層無理難題を吹っかけて来るに決まってる。だったら、見合いを受けたうえで、それをぶち壊す! もちろん、ダクネスの家の名が傷つかない程度にさ」

「それだ! それで行こう! 上手く行けば、もう見合い話が持ち上がるたびに一々父を張り倒しに行かなくて済む!」

「お、親父さん可哀想に……」

 口から先に生まれたかの様な少年の作戦を聞き、女騎士は存外簡単に乗り気になる。彼女の口から飛び出した父への扱いに、少年は心の中でまだ見ぬ彼女の父に深く同情した。

「なるほど、それは良いわね! 私、『手の掛かるのが一人嫁に行ってくれれば、その分新しいメンバー入れて、楽が出来るぜヒャッハー!』みたいに考えてるのかと思ったわ!」

 メイド娘の慰めにより復活した青髪女神が、突然割り込んで来て大声で賛同し始める。その発言に、最弱職の少年がビクリと反応してしまった。

 良い具合に丸め込まれそうだった女神と女騎士の視線が、挙動不審になった少年へと突き刺さる。

「ち、違うよ? ダクネスみたいな優秀なクルセイダーを、今更手放せるわけがないじゃないか? ……や、止めろよ前ら、そんな目で見るなよ、半分ぐらいは本気だから……」

 じりじりと距離を狭めて来る二人に気圧されて、少年はボーっとしているメイド娘の後ろに隠れるのであった。

 

 

 アクセルの街の中央通りに面した大きな屋敷。何とも貴族の屋敷然とした作りの豪奢なお屋敷に、最弱職の少年一行はお邪魔していた。今は屋敷の中の、応接間の様な一室に全員が集められている。

「ほ、本当に? 本当にいいのかララティーナ! 本当に、見合いを前向きに考えてくれるのか!?」

「本当ですお父様。ララティーナは、此度、このお見合いを受けようかと思いますわ」

 部屋の中ではドレス姿の女騎士と、彼女と同じ金髪碧眼の中年の貴族の男性が向かい合い言葉を交わしていた。彼こそが大貴族にして女騎士の父。王家の懐刀とまで言われるダスティネス家の当主、ダスティネス卿その人である。

 そして、女騎士の背後に付き従う様に居る最弱職の少年と青髪女神は、今猛烈に込み上げる笑いの衝動を堪える為に俯いて肩を震わせていた。

「ね、ねえカズマさんカズマさん、今、お父様って呼んだわよ」

「ば、ばっか、それよりお前、ララティーナだよ。自分の事をララティーナって言ったぞ」

 クツクツと声を押し殺しながら笑う二人に、顔を赤くしたドレス姿の女騎士の射殺す様な視線が突き刺さる。だが、笑ってしまうのも無理からぬ事だろう。普段は『うむ』とか『む』とか言ってる女騎士が、深窓の令嬢そのままに振る舞っているのだから。ギャップが凄いのでどうしても笑いを誘う。

 女騎士が後ろの連中を睨み付ければ、話し相手だった父君の視線もまた仲間達へと向かう。その視線は若干訝しげだ。

「ララティーナ、この三人は?」

「わたくしの冒険仲間です。今回の見合いに、臨時の執事とメイドとして同伴させようかと」

「ふむ……」

 娘に紹介された冒険仲間とやらを眺める父君の視線は鋭い。だがそれは、闖入者を見る様な敵対の視線では無く、思慮深い親と言う物の視線だった。それが、少年達を見定める為に向けられている。

 結果から言えば、少年達は見合いへの同伴を認められた。それどころか、見合いの成功を手伝って欲しいと依頼までされる次第だ。父君は余程、娘の将来を心配していると見える。

 屋敷の使用人に衣裳部屋へと連れられて、少年と青髪女神にはそれぞれ執事服とメイド服が支給された。流石は大貴族の屋敷に仕える使用人、二人の体にきっちりと合う物を見繕ってくれる。

「似合ってるじゃないか。ちゃんと一流の使いっぱしりに見えるぞ」

「カズマさんこそ、背伸びしてる執事見習いって感じで良いと思うわ」

「おっと、ここが貴族の屋敷じゃなかったらえらい目に合せていた所だぞ。なぁ、ララティーナお嬢様?」

「ら、ララティーナお嬢様は止めろぉ!!」

 着替え終わったお互いを悪意を込めて褒め合い、少年と女神が互いをけん制し合う。少年はそれに巻き込む形で、女騎士への弄りも忘れない。おかげでお嬢様呼ばわりされた彼女は、涙目で頬を膨らませそっぽを向いてしまった。存外、可愛らしい所もある様だ。そんなお嬢様はパーティ最年長。

 ちなみに、もともとメイド服で着替える必要の無かったメイド娘は、今は使用人の一人に捕まって髪型を弄られている。両側に髪を纏められてツインテールにされるのを、何時もの死んだ魚の様な目で受け入れていた。

 ともあれ準備は万端と言う事で、一同は屋敷の玄関ホールへと移動する事となる。女騎士もまたドレスをお色直しして、先程まで以上にお嬢様らしく着飾っていた。

「手筈は分かっているな、頼んだぞ?」

 堂々と先頭を歩みながら言って来るドレスのお嬢様は、二つの意味で見合いに挑む意気込みが違う。まるで決闘に赴く様に気合を入れていて、余程見合いを破談にさせたいらしい。

 玄関ホールの大階段前に当主とその娘が並び、その背後にずらりと使用人達が並ぶ。少年達も使用人の列に交じり、ドレスの女騎士の背後に待機している。

 見合い相手がまだ見えずとも、娘の結婚が近い事が嬉しいのか、当主である父君が娘に優しい声色で語り掛けた。

「お前が見合いを受けてくれて、本当に嬉しいよ……。幸せになるんだぞ、ララティーナ」

「いやですわお父様。ララティーナは、見合いを前向きに考えると言っただけです」

「なに……!?」

「うふ……。そして考えた結果、やはり嫁入りなどまだ早いとの結論に達しました」

 それに対して娘が涼しい顔して言ってのけたのは、肯定では無く明確な否定の言葉。当主の顔に戦慄が浮かび、娘の顔には歪んだ喜色が浮かび上がる。

「もう今更遅い! 見合いを受けはしたが、結婚するなどとは言ってはいない! ぶち壊してやる! 見合いなんぞぶち壊してやるぞぉい!! ひゃははは! うひゃはははは!! うひゃひゃひゃ!!」

「ら、ララティーナ……」

 狂った様に哂う己の娘の姿に、当主の顔に絶望がはっきりと広がる。嫁に行くと思っていた娘に裏切られたのももちろんあるだろうが、自分の身内がこんな風に笑って居たら誰だって絶望の一つもするだろう。

「はしたない言葉遣いはおやめください。先方に嫌われてしまいますよ」

 哄笑するお嬢様を止めたのは、冷静に執事としてふるまう最弱職の少年の言葉であった。一介の冒険者だったはずなのに、いきなり上品に振る舞うその姿に貴族の親子も、左右に居る青髪女神とメイド娘さえギョッと目を見張る。

「貴様裏切るのか!?」

「今の自分は、ダスティネス家の臨時執事。お嬢様の幸せが、自分の望みです」

「カズマ貴様ぁ!!」

 激昂して食い掛かる女騎士に対して、少年はあくまでも執事として徹してキリリと表情を引き締める。依頼通りに娘を窘めてくれている少年の振る舞いに、当主の父君は思わず感激してしまった程だ。

 裏切り者の少年に女騎士がステータスに任せて掴みかかっていると、屋敷の玄関口が厳かに開かれた。ついに見合い相手が到着した様で、一人の青年が従士を伴いゆっくりと屋敷の中に入って来る。少年が破り捨てた肖像画とそっくりのイケメンを見て、待ち望んでいた父君が歓喜の声を漏らした。

「おお、バルター殿……」

「よく来たな、貴様が私の見合い相手か!」

 見合い相手を確認した女騎士が、先制攻撃とばかりに飛び出して行く。モンスター相手でも見合い相手でも、とにかく飛び込んで行くのがこの女騎士なのだ。

「我が名はダスティネス・フォード・ララティーナ。私の事はダスティネス様と――」

「お嬢様、御足元にお気を付けて!!」

 そして、その突進を諌めるのも少年の何時もの仕事。ドレスの裾を豪快に踏みつけて、女騎士はつんのめって顔面から床に倒れ込んだ。

 父君も他の使用人も、もちろん見合い相手も愕然と口を開ける程の、見事な手際と顔からの着地であった。

 きっと自分の召喚主なら、空気を読まずに大爆笑しているだろう。そんな事を考えつつ、死んだ魚の様な目のメイド娘は、一人退屈そうに欠伸を噛み殺していた。

 彼女は子犬程寛容でも無く、大蛇よりは怠惰ではない。只管に観察するのが、自分の務めであると認識する。大事なのは、主人の代わりにこの騒ぎを目撃する事なのだから。

 

 

 お嬢様が不幸にも転んでしまった為に、その場は一度仕切り直しとなった。婚約者殿は父君が客間へと案内して、女騎士も化粧を直してからそこに向かっている。

 もちろん少年は女騎士に廊下で呼び止められ、一連の裏切りと妨害を問い質されていた。

「手助けをしてくれるのではなかったのか!」

「家の名前に傷をつけないって所を、すっかり忘れてるだろ」

 涙目になって迫って来る女騎士に、少年はしれっとうそぶいて見せる。自らの目的の為なら、幾らでも悪辣な手を使えるのがこの少年の強みだ。

 だが、女騎士は挫けなかった。むしろ、それがどうしたと威風堂々と告げる。

「悪評が立って嫁の行先が無くなれば、心置きなく冒険者家業が続けられる。勘当されるのも覚悟の上だ!!」

 彼女にとって冒険者とはそんなにも得難い物なのか、思わず押し黙った少年達に女騎士の独白は続く。

「それでも必死に生きようと無茶なクエストを受け続けた私は、力及ばず魔王軍の手先に捕らえられ、組み伏せられて……」

「……ん? それは魔王軍じゃないよ色魔だよ?」

「私はそんな人生を送りたい!」

「お前……、とうとう言い切ったな」

 決意表明の様な宣言が、だんだん趣味色に染まり始めた。少年と、ついでに青髪女神の表情までげんなりとした物に変わる。

 更に女騎士は、今回の見合い相手は好みではないと断言する。人柄が物凄く良く、誰に対しても怒ず努力家で、最年少で騎士に叙勲した程の腕も持つ。青髪女神が良い相手じゃないかと漏らす程の優良物件だ。

 対して女騎士は、貴族とはもっと貴族らしく、常に下卑た笑みを浮かべていて、女を見たら見境なくいやらしい視線を送る物だと豪語する。失敗したメイドに、お仕置きと称して悪戯するのは貴族の嗜みなのだそうだ。

 ドン引きする少年と女神を置いておき、女騎士は己の好みの男を熱く語り始める。そもそも自分の好みは、あのような出来る男とは正反対だと前置きして。

「外見はぱっとせず、体形はひょろくても良いし太っていても良い。私が一途に思っているのに、他の女に言い寄られれば鼻の下を伸ばす意志の弱いのが良いな。年中発情して、スケベそうなのは必須条件だ」

 何だかどこかで見た事がある様な人物像だが、その事にはドン引きしている少年も青髪女神も気が付いて居ない。女騎士の独白は、握り締められた拳が振るわれ更に熱が籠って行く。

「出来るだけ楽に人生送りたいと、人生舐めている駄目な奴が良い。借金があれば申し分ないな。そして働きもせずに酒ばかり飲んで、俺が駄目なのは世間が悪いと文句を言い。空の瓶を私に投げてこう言うのだ!」

 そこで一旦言葉を区切り、女騎士はわざわざ声色を変えつつ熱演して見せる。もうここまで来ると、彼女の格好も相まって演劇の様である。もちろん喜劇の。あるいは悲劇か。

「『おい、ダクネス。そのいやらしい身体を使って、ちょっと金を稼いで来い』……にゅふぅん!! ああっ、はあっはあっ! ああ……」

 ――ちくしょうこの女はもう駄目だ!!

 自分の妄想に感極まって体を震わせ、涎を零しながら荒い息を吐く女騎士の姿に、最弱職の少年は心の中でそう絶叫していた。

 これにはさしもの青髪女神も、傍観するメイド娘も声は無く。目の前の駄目な女の有り様に、ただ只管に戦慄するばかりである。

 これを真面目そうな貴族の青年に押し付けて良い物か、少年は少しだけ悩み始めてしまうのだった。

 

 

 いい加減に見合い相手を待たせておく事も出来なくなり、嫌がるお嬢様共々客間へと集められた一行。こうして父と娘、付き添いの少年と婚約者それぞれに思惑の異なるお見合いが開始された。

 まず口火を切ったのは婚約者の青年。まずは無難な所から自己紹介から始める様だ。

「では、自己紹介を。アレクセイ・バーネス・バルターです」

「わたくしはダスティネス・フォード・ララティーナ。当家の細かい紹介は省きますわね。成り上がり者の領主の息子でも知っていて――とうじぇええん!!」

 返答の最中に当たり前の様に不穏当な事を言い出したお嬢様が、その途中で突然とんでもない奇声を上げた。当然、父君も婚約者も目を見張るが、女騎士は取り繕って更に言葉を続ける。

「ど、どうしました……?」

「い、いえ……。バルター様のお顔を見ていたら気分が悪――きゅぅうん!!」

 続けようとしたがまたもや奇声を上げて、失言が食い止められる。ついには顔を赤くして、息も絶え絶えになってしまった。そんなお嬢様をフォローする為に、背後に控えていた少年がすかさず状況を説明する。

「お嬢様はバルター様にお会いできて、少々舞い上がっておられるのです」

 すまし顔で告げる少年の指先には、今しがた使った初級の冷却呪文の残滓が纏わり付いていた。見合いをぶち壊す為に行動する女騎士の耳元に、容赦無く冷気を吹き付けた証拠である。

「そう言えば顔が赤いですね。いやあ、お恥ずかしい……」

 人が良いのか少年が堂に入っていた為か、婚約者の青年はあっさりと少年の言葉を信じ込んだ。照れて頬を赤らめている所を見ると、本当に純真なのかも知れない。

「おい、お嬢様。これ以上要らん事言ったら、もっと強めに冷やすからな……」

「ご、ご褒美だ……」

 少年がお嬢様にだけ聞こえる様に潜めた声で囁きかけると、彼女は望む所だとばかりに口元を歪ませてくる。人前でこっそりと魔法攻撃される事さえ、彼女には快感になっているのだろう。

 当家のお嬢様は、何時だってぶれない――今は使用人の少年は、心の中でそう呟いていた。

「あはははは……、私が居てはお邪魔かな? どうだね、庭の散歩でもしてきては」

 唐突にそんな事を言い始める父君。これはお見合いで良くある、後は若い者同士でゆっくりと、と言う奴であろうか。

 幾らなんでも唐突過ぎると思った少年が父君の方を見ると、彼は少年に申し訳なさそうな、それでいてどこか助けを乞う様な視線を向けて居た。今のやり取りで何が起こったのかを察して、フォローを入れるつもりで場所を変える様に勧めたのだろう。

 どうせ手助けするなら、娘の性癖の方を何とかして欲しかった少年だが、ここはありがたくフォローを受け取っておくことにした。見合いの成功を望むのであれば、何度だって仕切り直したい物なのだから。

 少年は部屋を去る間際に、父君から一言『頼む』と告げられる。それは、色々な感情が籠った重い一言であった。 

 

 

 ダスティネス家の中庭は、真冬だと言うのに色取り取りの花に溢れていた。手入れもしっかりと行き届いており、大貴族の名に恥じぬ様相を見せている。

 庭園には大きな池も有しており、その中を錦鯉の様な魚が悠々と泳ぐ。池の縁に青髪女神が立って口笛を吹き、更には手をパンパンと叩いて鳴らすと、鯉達が続々と集まり女神に向けて口をパクパクさせる。

 更にはメイド娘が手を差し延ばして、くるりと円を描く様に腕を動かすと、集まっていた鯉の数匹が腕の動きに合わせて飛び上がる。着水して大きな水柱を立てるのを、女神とメイド娘は楽しそうに眺めていた。

 ――何あれ凄い。後で教えてもらおう。

 見合いそっちのけで、青髪女神とメイド娘の芸が気になる少年であった。誰だって変態のフォローより、イルカショー見たいな出し物の方に興味が引かれるのは致し方なし。

「……ご趣味は?」

「ゴブリン狩りを少々……――んぐっ!」

 少しを目を離していた隙に、見合いの定番である趣味の探り合いが始まっていた。令嬢にあるまじき趣味を語る女騎士に、少年の制裁の肘鉄が食い込む。

「んっ……。ずいぶんと、仲がよろしいですね」

 それを見咎めた婚約者の青年が、流石に距離が近い事に対して疑問を持った様だ。あからさまにやり過ぎただろうかと少年が冷や汗を流していると、それを見て女騎士がフヒッと哂う。フヒッてなんだよと、少年が訝しんでいると、女騎士は得意顔で語り始めた。

「……ええ、この執事とは常に一緒におりますの。食事やお風呂も一緒。も、もちろん夜寝る時も……。んくうぅぅ……」

 普段はとんでもない性癖の妄想を口にしているくせに、夜に一緒のベッドで同衾するのは恥ずかしいらしい。この変態の羞恥心の基準は何処にあるんだと少年が呆れていると、もじもじして俯いて居た女騎士は突然大声を上げだす。

「ええい!! こんな事、何時までもやって居られるか!!!」

 いい加減に我慢の限界だったのだろうか、少年にとっては聞き慣れた口調に戻りながら、女騎士は身に纏っていたドレスのスカートを力任せに引き裂いた。大胆にストッキングに包まれた足を曝け出し、それどころか下半身がほぼ丸出しになってしまう。

 最弱職の少年は露骨に、婚約者の青年は恥じらいつつも、女騎士のあられもない姿に視線が行ってしまった。

「おい、バルターとか言ったな。今から修練場に付き合ってもらおう。そこでお前の素質を見定めてやる!!」

 最早貞淑な令嬢の面などかなぐり捨てて、冷徹な声で告げながら女騎士は見合い相手に指先を突き付ける。まだるっこしい事を全て取っ払っての宣戦布告。脳筋らしい実に直情的な考え方であった。

「おい、ダクネス……ぅ……」

 流石に暴走し過ぎだとたしなめ様とした少年の語尾が、フリフリと揺れる女騎士の下半身に釣られて掠れて行く。女騎士はそんな欲望に忠実な少年に、注目せよとばかりに指を突き付ける。

「見ろ! 貴族たるもの、常日頃からこのカズマのいやらしい目つきを見習うが良い!!」

 ついにお嬢様は、先程語っていた不満を本人にぶちまけ始めた。文句の一つでも言ってやろうと少年が身構えるも、それに先んじて婚約者の青年が言葉を発する。

「ララティーナ様、僕は騎士です。女性に剣を向けるなど……」

 豹変した女騎士の態度に言及するでもなく、青年はただただ紳士に己の考えを述べた。騎士として、守るべき女人に向ける剣は無い。目を閉じて逸らされた顔には、確かな決意と矜持が現れていた。

 それを見た女騎士は激昂する。そして、またもや少年の方に指を突き付けて、これこそが男の見本だとばかりに力説するのだ。

「なんと言う腑抜けな! そこのカズマはな、自称男女平等主義者で、女相手にドロップキックを喰らわせられると豪語してる奴だぞ!!」

 青年がその言葉に視線を送ると、少年は気まずそうに俯きながら視線を逸らす。向けられる視線が、なんだかとても痛かった。

「実は……、ここには見合いを断る為に来たんです」

 意を決した様な表情の婚約者の青年が、唐突にそんな事を語り始めた。そんな予想外の告白に、少年も激昂していた女騎士も虚を突かれてぽかんとしてしまう。

「でも、貴女を見て気が変わった」

 呆けている二人を前にして、青年は更に己の胸中を言葉にして行く。それは、ある種の確認作業なのかもしれない。自分の気持ちを言葉にして、自分自身で確認して行く作業だ。

「豪放にして、それでいて可愛い一面もある。物事をはっきり言える清々しさに、執事に対しても同じ目線で接するその態度」

 再び目を見開いた時、青年は新たな決意を抱いた様に見えた。まるで、自分は今恋に落ちたのだと言わんばかりの清々しさで言葉を続ける。

「僕はあなたに興味が沸いた!」

 力強く宣言した青年の目には、強い希望の光が灯っていた。

 

 

「もう良いでしょう!? なぜ諦めないんですか、貴女は!?」

 狼狽えながら叫んだ青年の目には、強い困惑の色が浮かんでいた。

「どうした! 遠慮などせずもっとどんどん来い!! 徹底できる強さを見せろ!」

 中庭から屋敷の中の修練場に場所を移して、早くも三十分程が過ぎている。部屋の中央では木刀を持った女騎士と婚約者の青年が向かい合っているのだが、それはもう練習試合とはとても言えない様相を呈していた。

 青年が女騎士を一方的に攻めて叩き伏せる。こんな光景が三十分の間に幾度も繰り返されて、女騎士はその度に嬉しそうに何度も向かって行く。どんなに実力に差がある事を見せ付けても、お嬢様は諦める事を知らずに顔を赤らめてハアハアと息を荒げて悦んでいた。

「参りました……。技量では勝っていても、心の強さで負けました。これ以上貴方を打つ事は出来ません。……貴女は、とても強い人だ」

 お嬢様はまだまだやる気の様だが、婚約者の方はついに木刀を取り落として俯く。精神での敗北を認め、これ以上の攻撃を振るえぬ自分を恥じる彼は、やはり立派な騎士なのだろう。最後には、けっして挫けなかったお嬢様を称える様に、青年は朗らかに微笑んで見せた。

 一見すれば感動的な場面なのかもしれないが、そんな立派な騎士の相手はただのドMである。内情を知っている少年は素直に感動できず、非常に微妙な表情を浮かべていた。

「この腑抜けが! 良しカズマ、お前の容赦の無さと外道さをバルターに教えてやれ!!」

 ここで最弱職の少年にご指名が入る。女騎士が何を言っているのか理解したくない少年は、両腕を組んで全力で聞いてないふりをしていた。

「僕も見たいな。ララティーナ様が信頼を寄せる君が、どんな戦いをするのか」

 追撃の婚約者殿のインターセプトで、何だか戦わなくてはいけない雰囲気が出来てしまう。余計な事を言いやがってと思いつつ、最弱職の少年は落ちていた木刀を拾い上げた。

「どうせ見合いは失敗だしなぁ……。それに、アンタはお嬢様の悪い噂なんぞ流さないだろうし」

 しょうがねぇなぁと言わんばかりに、最弱職の少年は渋々と対戦する心積もりになった様だ。その姿に女騎士は顔を赤らめる程に興奮して声を張り上げる。

「よし、良いぞカズマ! 実は一度お前とやり合いたかったのだ! さあ、全力で掛かってくるが良い!」

「『クリエイト・ウォーター』ッッ!!」

 木刀を突き付けつつ勝負の開始を宣言する女騎士に、最弱職の少年が差し向けた掌から大量の水をぶちまけた。のぼせ上がった女騎士の顔面に正に冷や水。これにはずっと黙って見学していた青髪女神も、そして少年の近くに居た婚約者の青年も驚きの声を上げる。

「ん? どうかしたか?」

「木刀の試合で魔法は使わないだろうと……」

「……そう言う物なのか?」

 最弱職の少年はこの世界の常識に疎い。と言うよりも、騎士だの貴族だのの習わしやらしきたり等は、少年でなくとも冒険者や平民では知らぬ事だろう。

 全身ずぶ濡れになった事で女騎士のドレスは肌に張り付き、体の線をくっきりと浮き上がらせ、更には生地が透けてより扇情的な格好になる。露骨な少年の視線が向けられて、青年の方は頬を染めて顔を逸らしていた。

「はぁっ……くぅんっ!!」

「ひくわー……。流石はセクハラに掛けては並ぶ者が無いカズマさん、ホントにひくわー……」

 その事で女騎士の羞恥は高まり、身を苛む水の冷たさも相まってドM的には大好評だ。青髪女神は薄ら寒さを覚えたのか、自分の体を抱いて少年から距離を取る。

 メイド娘もこっそりとその背後に身を隠して、死んだ魚の様な目でじーっと少年を警戒して見つめていた。こう言うのが一番地味に傷つくから性質が悪い。

「そんな積りじゃ――」

「見ろバルター! この男のこう言う所をちゃんと見ておけ!!」

「あー! もうっ!!」

 弁明しようとしたら、絶好調の女騎士にそれすら遮られ、少年は頭を抱えて叫び声を上げる。どうしてこう、ややこしい方向にばかり事態が推移してしまうのか。

 そもそも、ルールが決められている訳でも無いと言うのに、それを卑怯だなんだと言われるのは心外である。少年にとって使える物を駆使する事は、勝負において当然の事であるだけだと言うのに。そんな思いが思わず口から飛び出した。

「全力で来いと言ったんだから、全力で行かせてもらうぜ! 『フリーズ』ッッ!!」

「っ!? にゅぅぅぅんっ!!!」

 叫びと共に少年の掌から冷気が迸り、水に濡れていた女騎士の全身に浴びせ掛けられる。肌を刺す様な冷たさに、彼女は思わず仰け反りながら嬉しそうな悲鳴を上げた。

「お、鬼だ……。真冬に水を掛けるだけでなく、まさかの氷結魔法!」

「まあ、伊達に世間でカスマさんだのクズマさんだの言われてませんし……」

 青年があまりの鬼畜さに戦慄し、それに便乗した青髪女神がここぞとばかりに悪評を伝えてくれる。少年はそんな外野の煩さに、口を引き結んで無視を決め込んだ。

「ふははははっ!! この容赦の無さ……、これが……良いぃぃぃぃっ!!」

 すると、暫し目を閉じて閉口していた女騎士が、またもや狂ったような顔で笑い出し、はあはあと息を荒げて行く。そしてそのまま謎の奇声を上げながら、木刀を捨てて最弱職の少年に向けて突進して行った。

「いいっ!? どぉっちょんぎいいいっ!!」

 突然の奇襲に驚いた少年は、思わず木刀を手放して女騎士を押し戻そうと手をの延ばす。女騎士の方は壮絶な笑顔でその手を握り、がっちり組み合って力比べの構えに持って行く。そんな二人の様子に、青髪女神がチアリーダーの様に小躍りしつつ、優位に立った女騎士に声援を送った。

「良いわダクネス! 組み合えば貧弱なカズマと貴女じゃ勝負にならないわ!」

 歯を食いしばりながら女騎士からの圧力に耐える少年は、心の中で青髪女神の羽衣を売っぱらってやると決意する。

 そんな事よりも今は、圧倒的に不利になった状況の打開が必要だ。少年はなけなしの腕力を絞り出しながら、必死に頭を巡らせて勝負に勝つ方法を模索する。

「私に力で勝てる気か? 舐められたものだ! クルセイダーの私と冒険者のお前では力の差が――んにゅぅぅっ!!」

 僅かながらに腕を押し返す少年を見て、女騎士は余裕の表情で高説を語る。語るその途中から、少年が発動させたスキルによってまたもや悲鳴を上げてしまった。紫色の輝きと共に、女騎士の体に脱力感が襲い掛かる。

「ん~ぬはははっ! 俺が真正面からやり合う訳ねぇだろう! 長い付き合いなんだから理解しろよ――痛ぁっ!?」

 スキルの発動で優位を奪い返した少年が勝ち誇った瞬間、女騎士に捕まれた掌を捻られてゴキリと嫌な音がした。あまりの痛みに少年が悲鳴を上げ、女騎士が押され気味だった体を何とか持ち直させる。

「ぬ、ぬふふ、くくくっ! ど、ドレインタッチか……。だが、私の体力を吸い尽す前に、お前の腕をへし折ってやる!!」 

「んぬぬぬ、や、やれるもんなら、いてぇ!? いたたたたたっ!?」

 女騎士の不敵な宣言に余裕を持って返そうとしたが、さらなる痛みが襲い掛かり少年が今度は押され気味になってしまう。このままでは、不死王に習ったスキルと言えど、底なしの体力を持つこの女騎士相手では分が悪い。何か対策を思いつかなければ、両手の骨が砕かれてのたうち回る事になるだろう。

「お、おい、ここは一つ賭けでもしないか? 勝った方が相手に何でも一つ、言う事を聞かせられるって条件でっ!」

「良いだろう。私が勝ったら貴様に土下座させてやる!」

 精一杯に強がって、不敵な笑みと共に出した提案を女騎士が快諾したのを見て、最弱職の少年は勝機を確信した。内心と表情が合致して、より一層不敵な笑みが壮絶な物となる。

「ホントだな……? 約束したぞ。俺が勝った後、泣いて謝ってもやめないからな」

「な、何を望む気だ……?」

 案の定、酷い目に合う事に興味津々な女騎士は、少年の物騒な物言いに引っかかった。ここは勝負を詰めに掛かる時。口から先に生まれた様な少年の、正に真骨頂が発揮される。

「お前が恥ずかしがって泣いて謝る事だよ、あははははっ! お前が必死に許しを請う姿が、目に浮かぶぜ。勘弁してくださぁい、許してくださぁい、って謝らせてやる。おっと、気が早いぞこの、ほ・し・が・り・め! お前が想像してる事よりも、凄い事命令してやるからなぁ!!」

 半ばもうやけくそになりつつも、つらつらと口を滑って脅し文句が飛び出して行く。そして、それを聞かされた女騎士はもう、なんと言うかとても駄目だった。

「なっ!? や、やめろー……。てっ、抵抗し様にも、ドレインタッチで力を吸われて……。あ……、ああ……、このままでは、負けてしまうー……」

 凄いワザとらしい演技でピンチを装い、勝手に力を抜いてなよなよと少年に組み伏せられそうになって行く。先程までの脳筋姿はどこへやら、荒く息を吐いて追い詰められる様に、婚約者の青年が食い入る様に見つめながら『凄い……』と呟いてしまった。何が凄いのだろうか。吐息の度に揺れるたわわな胸だろうか。

「気を失うまで体力を吸わせてもらうっ! 目が覚めた時、どんな凄い目に合うのか、楽しみにしておくんだなぁ!!」

 もう放っておいても勝手に負けを認めそうな状況だが、最弱職の少年は手を抜かない。これ見よがしに脅し付け、舌を長く伸ばしてレロレロと卑猥に動かして見せつける。

「くっ、たとえどんな辱めを受けても、私の心までは屈しは――はっ!? 凄い事……? 凄い……事……」

 くっころ寸前の女騎士の脳裏に、その時電流走る。

 思い返すのは、今日一日だけでも何度も繰り返されてきた少年からの酷い仕打ち。頭から冷水を掛けられ、更に氷結魔法で追撃されたり。スカートの裾を踏んづけて、顔面から床に転倒させられたり。見合いを断るのに必要な肖像画を、目の前で滅茶苦茶に破られたり。

 そんな彼女が最後に思いついた凄い事は、屋敷に帰ってから少年に掛けられた一言。

 『ほら、あったかい風呂にでも入って、泣いて来ると良い……』――彼女の中で繰り返されたその言葉を放つ少年は、何故だかやたらと美化されてキラキラ光り輝いていた。多分、彼女の中では改めて鬼畜さをブレンドした所、好みドストライクに映ったのかも知れない。

 当然、彼女の中で膨れ上がったその妄想は、彼女自身を完全にのぼせ上らせオーバーヒートさせた。

「かかかかか、かじゅま! わ、私が風呂に入った後の残り湯を、どうする気だぁ!!!」

「……は?」

 沸騰した頭から繰り出された意味の分からない言葉に、少年は演技も忘れて素で返してしまう。それでも女騎士は止まらない。煮え上がった頭が遂に許容を超えて、己が主人の体に牙を剥く。

「しゅっ……、しゅっ……、しゅごいことおおおおおおおおっ!!!!」

 呆然として見つめる周囲の視線の中で、女騎士は叫び声を上げて体を仰け反らせる。そしてびくんびくんと小刻みに全身を震えさせて、終いには背中から床に倒れ込み四肢を投げ出した。妄想で暴走した結果、嬉し過ぎて気を失った様だ。

「か、勝ったー……」

「クズマとは良く言ったものだ!」

「し、失礼な!」

 とりあえず倒した事は変わりないので少年が勝どきを上げる。それを横目に見て、婚約者の青年は戦慄と共に、妙に納得して囁いていた。そんな事で感心されたくも無いので、少年は一応抗議の声を上げておく。

 何にせよ、女騎士と最弱職の少年の対決は、一応の決着を見せたのだった。

 全身をずぶ濡れにされ、ドレスは無残にも破かれ、あられもなく肌を晒しながら頬を上気させて倒れ込む。やっていた事は馬鹿らしいいさかいなのに、事後の姿はまるで襲われた様にしか見えない。こんな現場、とてもでは無いが親には見せられない姿だろう。貴族の恨みを買えば、命が幾らあっても足りはしない。

 そんな事を考えていると、訓練場のドアを開け放ち、使用人を伴った父君がタイミング良く現れた。現実は非情である。

「ちょっとした飲み物の差し入れに――」

 恐らくは、値段はちょっとしたで済まないだろうワインのボトルが、父君の手から滑り落ちて砕け散った。その瞳が映すのは、無残な姿の自分の娘と、直ぐ近くに居る二人の男。

「……あの二人がやりました」

「…………ました……」

 青髪女神とメイド娘が二人して男二人を指さし、自分達は関係ないと主張する。それを聞いた父君は佇まいを直して、腕を払いながら短く告げた。

「良し、処刑しろ」

「「違うんです! 誤解です!!」」

 少年と青年が同時に叫んだ。初めてこの二人が心を合せた瞬間であり、その後も二人係りで父君を説得する事となった。命懸けになれば、わだかまり等捨て去れるのが真に強い人間なのだろう。 

 

 

 命懸けの説得で事無きを得た後に、一行は再び客間に集められていた。

 見合いが完全に失敗した事も有り、最弱職の少年は父君にその事の謝罪をした後に、婚約者の青年にも自分達の正体を明かす。

 もっとも青年は早い段階で、少年が執事ではないと見抜いていたし、父君も特に見合いの成否についてはとがめはしなかった。どうせこうなる事は、最初からある程度覚悟していたのだと言う。

 使用人達によって部屋着に着替えさせられた女騎士は、まだ気絶したままでソファーに横たえられていた。そんな女騎士を膝枕しながら、メイド娘が甲斐甲斐しく頭を撫でている。

 その娘を見ながら、大貴族の父君はとつとつと語り始める。その声色は、娘を思いやる深い滋味に溢れていた。

「娘は元々人付き合いが苦手で、クルセイダーになってもいつも一人きりでなぁ。毎日エリス様の教会に通い詰め、冒険仲間が出来ます様にと祈って居たら、ある日『初めて仲間が出来た、盗賊の女の子と友達になった』と喜んで帰って来たよ……」

 昔の思い出を、娘の笑顔を思い出してか楽しそうに語る父君。その思いは語る内に後悔の物へと変わり、肩を落としながら沈んだ表情を浮かべる様になる。

「うちは家内を早くに亡くして、男手で甘やかしながらも、とにかく自由に育てて来た。それが悪かったんだろうなぁ……」

 いや、あれは真性ですよ――思わず飛び出しそうになった言葉を、少年は寸での所で飲み込んだ。大貴族相手に喧嘩を売る様な度胸は、今の所持ち合せていない。

「ララティーナ様は素晴らしい女性だと思いますよ。カズマ君が居なければ、僕は本気で妻に貰いたいと思っています」

「すいません。ちょっと何言ってるか分かんないです」

 度胸は無いがプライドまで無いわけではない。何だか知らない間に女騎士が恋人みたいな扱いになっていたので、最弱職の少年は発言が理解できずに素で返した。

 そんな少年の様子に気が付いているのか否か、青年は目を閉じ顔を背けながら分かっているよと言った表情を浮かべる。そんな仕草も様になるイケメン具合だ。

「君の方が、ララティーナ様を幸せに出来るだろう……」

「お前ちょっと表に出ろ。領主の息子だろうが関係あるか!」

「ああっ! カズマさんやめて、私まで一緒に処刑されちゃう!!」

 青年の決めつけに少年が静かに激怒して、腕まくりしながら凄みを入れる。誰が相手だろうと、あんな変態を押し付け様だなんて言語道断だ。貴族相手に戸惑い無く喧嘩を売りに行くその姿に、狼狽した青髪女神が縋りついてがくがく揺さぶっていた。

「ふっ、ふははは、あははははっ!! カズマ君、これからも娘を宜しく頼むよ」

 貴族の娘をその親の前でも特別扱いせずに接する少年の姿に、父君は何を見たのだろうか。宜しく頼むと言われても、少年としては今回の見合いで是非とも青年に押し付けたかったのだが。

「これが馬鹿な事をしないよう、見張ってくれ。頼む……」

「うぇ……? あ……、はぁ……」

 言われずとも計画が失敗した以上は、少なくとも自分の生活の為に面倒を見なくてはならないだろう。何よりも、言葉と共に大貴族が庶民に頭を下げて来たのだ、戸惑いつつも最弱職の少年は、無碍に出来ずに了承の返事をしてしまった。

「うっ……、んん……」

「おお、目が覚めたか」

 そんなやり取りをしていると、ようやく女騎士が身じろぎをして目を覚ます。父君が嬉しそうに声を掛けるが、メイド娘の膝枕から起き上がった女騎士は、それよりもまず己の身に興味が行っていた。

「ん……? この状況は事後なのか……? はっ!? 意識を失っている間にいかがわしい事を!?」

「してねーよ! まだ何もしてねえよ! お前が寝てた間に、今微妙な空気になってんだよ!!」

 彼女の意識は完全に、勝負に負けた時の凄い事に傾倒している。その事に少年が思わず何時ものノリでツッコミを入れるが、少年を視界にとらえた女騎士は唐突に表情を歪ませフヒッと哂う。フヒッて何だよと再び訝しんでいると、女騎士はスクっと立ち上がって父親と婚約者に向き直った。

「お父様、バルター様、どうか今回の見合いは無かった事にしてください」

 唐突に語り始める女騎士は頭を下げてから、自らのお腹を愛おしげに撫でて頬赤らめる。そしてとんでもない事を言い放った。

「今まで隠してきましたが、私のお腹にはカズマの子が……」

「ごおっ!? オメー、童貞の俺に何言ってんだコラァ!!」

「ぷっ……、あっはっはっはっ!」

 女性経験も無いのに父親にされた少年は、当たり前の如く怒り心頭、怒髪天。そんな唐突な告白を聞かされた婚約者の青年は、意外にも快活に笑ってその事実を受け入れた。

「そうか、お腹にカズマ君の子が……。父には僕からお断りをしたと言っておきます。その方が都合が良いでしょうから」

 まるで、こちらの事情は全て察しているとでも言う様な配慮まで見せて、婚約者だった青年は少年にウインクしてから立ち去って行く。最後まで本当に、貴族では珍しいぐらいの人の好さであった。その部屋を出て行く背中を見送ってから、少年は心底あの青年に女騎士を押し付けられなかった事を悔やんでしまう。

 ちなみに、見合いが無事に破談になったので、女騎士はあからさまにフヒッと黒い笑顔を浮かべていた。

「孫……。初孫……。ここここ、このワシに可愛い孫が……っ!」

 そして、女騎士の発言を真に受けた父君が、嬉しさなのか悔しさなのかボロボロと落涙溢れる漢泣き。更には、もう一人話を信じてしまい、ワタワタと狼狽えながらも部屋の出口へ向かう者の姿が。

「はわ、はわわわ……。二人がいつの間にかそんな関係になってたなんて……。ひ、広めなくちゃ。早く、街の皆に広めなくちゃ! カズマとダクネスがあわわわわ……っ!!」

「何でお前まで信じてんだよ!!」

 街中に誤解をばら撒こうとする青髪女神に、最弱職の少年は壮絶な疲労感と共にツッコミの絶叫を上げた。この面子らしいドタバタしたオチに、ソファーに座ったままのメイド娘が気だるげにため息を吐くのであった。

 

 

 父君と青髪女神の誤解を解く為に少年と女騎士が説得を試みていると、ずかずかと廊下を乱暴に歩む音が聞こえて来た。その足音が客間の前で止まると、次の瞬間には両開きの扉が跳ね開けられる。そして響き渡るのは、最近ではお馴染みになってしまった良く通る凛々しい声。

「サトウカズマ! サトウカズマは居るかあああああ!!」

 部屋に居る全員、泣いていた父君までもが飛び込んで来た者達に目を丸くする。客間の中に飛び込んで来たのは、少年に最近付き纏っている女検察官と、友人と出かけた筈の魔法使いの少女であった。

 大貴族の屋敷にも関わらず突撃して来るとは、この女検察官は怖い物が無いのだろうか。そんな事を考えていると、一緒にやって来た黒猫を抱えた魔法使いの少女が慌てた様子で少年に駆け寄って来る。

 よく見ると扉の所には、一緒に出掛けたボッチ少女の姿もあった。彼女は開いた扉に寄りかかる様にして、さめざめと泣いて居る様に見えるのだが、一体全体何があったのか少年には全く予想が付かない。

「めぐみん? ゆんゆんも一緒みたいだけど一体どうしたんだ? って言うか、あの子泣いてないか?」

「そんな事は、今はどうでも良いのです! それよりもローが!」

「どうでも良い! どどど、どうでも良い……! わ、わああああーっ!」

 事情を聞こうとしたら、魔法使いの少女の言葉に反応してボッチ少女が更に泣き喚き始める。これでは話をするどころでは無いと判断したのか、魔法使いの少女は忌々し気に渋面を作った。

「ああっ! まったくもう、なんて面倒くさい……! すみませんカズマ、先にちょっとあの子と二人で話してきます」

「……では、事情は私の方から説明させていただきましょう」

 ボッチ少女を放置するのを諦めた魔法使いの少女が二人で扉の外に消え、代わりに屋敷の主である父君に挨拶と非礼への詫びを済ませた女検察官がずいと前に出て来た。相変わらず神経質そうな鋭い眼差して、敵意剥き出しに少年の事を睨み付けている。

「今度はなんだよ。何でもかんでも俺達のせいにされちゃ敵わないぞ」

「最近発生している奇妙なモンスターが、調査の結果キールのダンジョンから溢れている事が分かった。そして、そのダンジョンに最後に入ったのは、記録では貴様達と言う事になって居る」

 要するに、モンスターが大量に湧いているのはお前達がやったんだろう、と難癖を付けている訳だ。当然、少年達の仲間達は全員不満顔になる。少年だっていい加減ウンザリしてしまうと言う物である。

「そんな理不尽な事言われてもな。と言うか、今回は全く心当たりがないぞ。お前らも、そうだよな?」

 少年の確認にはコクコクとみんなが頷く。魔法使いの少女が今は扉の外だが、彼女が何かやらかすのは爆裂魔法絡みの時だけである。召喚士の代わりとしてなのか、メイド娘も死んだ魚の様な目で頷いていた。

「私も心当たりはないな。日頃からあまり問題は起こしていない筈だ」

「私も今回は何もしてないわよ。むしろあのダンジョンに関しては、むしろ私のおかげでモンスターは寄り付かない筈よ!」

 女騎士の日ごろから問題は起こしていないという発言にも突っ込みたかったが、少年には何よりも青髪女神が自信満々に言った言葉に引っかかりを覚えた。

「……ちょっとこっち来い」

 静かに告げながら、青髪女神を伴って女検察官から距離を取る。充分距離を取ってから、自分の手柄を自慢したい子供みたいに目を輝かせている青髪女神に話の続きを促した。

「……続けて?」

「でねでね、リッチーの居た部屋に作った魔法陣は本気も本気。今でもしっかり残ってて、邪悪な存在が立ち入れない様になって居る筈よ!」

 つまり、少年達が疑惑をもたれているダンジョンに、青髪女神お手製の魔方陣が今もしっかりと残っていると。魔法陣の効果は兎も角として、何か仕掛けを施した証拠がしっかりと残っていると……。

 念の為に、少年はもう一度確認を取る事にした。どうか聞き間違いであってくれと願う様に。

「……今お前なんつった?」

「な、何よ急に? 言った通りよ。あそこには私が本気で作った魔法陣が、今もモンスターを寄せ付けない様に――」

「――こんの……、馬鹿がああああああああああああああっ!!!!」

 聞き間違いでないと理解した時、少年はあらん限りの声で叫んでいた。部屋中の人間どころか、扉の外に居た魔法使いの少女までが驚いて部屋の中を覗いて来る程に。

 少年達のパーティのこの後の行動が、確定した瞬間であった。

 部屋の中に戻って来た魔法使いの少女が見たのは、頭に漫画みたいに巨大なたんこぶを作って頭を抱えて蹲る青髪女神の姿であった。

 ボッチ少女は一緒ではない。どうやら、無事に話し合いが終わって帰された様だ。

「屋敷中に響き渡る様な声でしたが、何かあったのですか?」

「気にするな、またアクアがやらかしただけだ。めぐみんの方こそ、あの子はもういいのか?」

「ゆんゆんは先に帰らせました。居ても面倒くさいだけですからね。そんな事よりも、大変なのです!」

 正直紅魔族二人の間に何があったのかの方が気になるが、ぐっと堪えて少年は少女の言葉を待つ。もう既に面倒事は起きているのだ。一つや二つ増えた所で変わりはあるまい。

「実は、ローがキールのダンジョンの方に向かったのを、守衛さんが見ていたらしくて……。ローが一人で、ダンジョンに入っているかもしれないのです。小突かれただけで倒れるあのローがですよ!?」

「そして、その召喚士がキールのダンジョンに向かったのと時を同じくして、ダンジョンから沸き出すモンスターの数が増加しました。それゆえに、私はあなた達がモンスター発生に関わっていると判断したのです」

 少女がもたらし、女検察官が後を継いだ説明を聞き、少年は話を聞いた事を後悔する。自分の幸運値が高いなんて、絶対に嘘だと強く思うのだった。

 

 

 キールのダンジョン。今はもう枯れ果てた、初心者も近づかない様な寂れたダンジョンである。

 少年と女神がかつて潜った際には暗闇ばかりが支配する空間であったが、今はほんのりと明るさを保って内部を見渡せるようになっていた。

 そして、そんなダンジョンの中を響き渡る爆音、爆音、また爆音。その静寂を打ち破る耳障りな音に、ダンジョンの最奥一歩手前で土を捏ねていた存在は意識を手元から通路の奥へと向ける。

「ほう、こんな所にまでやって来る者が居るとは、まだ準備も出来ていないというのに忙しない事だ……」

「……ありがとうフーちゃん。良く爆発から守りながら、ここまで走り抜けてくれたね。助かったよ」

 跨っていた巨躯の狼から降りて、その頭を撫でながら送還をするのは召喚士。その瞳は今は、ダンジョンの奥に座する存在へと向けられている。左右を白と黒で分けた奇妙な仮面を被る、燕尾服を纏ったこれまた奇妙な人物へと。

「ふーむ、これはまた珍妙な存在が現れた物だ。神でも無く、かと言って悪魔でも無い……。汝、まともな生まれでは無い様であるな。おっと、中々の苛立ちの悪感情。んー……、美味である」

「はじめまして、僕の懸念事項その二さん。凄く会いたくなかったよ」

 互いに互いの話をまともに聞くつもりは無く、言いたい事だけを言い合う様な言葉のぶつけ合い。召喚士はにんまりと口元を歪ませて、さっさと本題を切り出す事にした。

「さあ、僕と契約してもらおうか。仮面の悪魔さん?」

 それは丁度、最弱職の少年達がお見合い騒動を起こしていた頃のお話。

 少年達はまだ、この話を知る事は無い。

 

 




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