そんな訳で今回は三分割です。
こんな長い物は読んでられなって方以外は、どうぞお楽しみくださいませ。
アクセルの街を離れた旅行三日目。水と温泉の街アルカンレティアで迎える二日目の朝。
最弱職の少年達一行は、宿の一階食堂に用意された朝食を堪能しつつ、本日の予定をどうするのか話し合っていた。
「この街の危険が危ないみたいなの!!」
「危険が危ないってなんだぁ……? 頭痛が痛い、みたいな言い方はやめろよ……」
そんな歓談の席で、食事を終えた青髪女神がテーブルに両手を着いて腰を浮かせて前のめりになり、突然そんなことを宣い始める。それを向かいの席で聞かされた最弱職の少年は、露骨に眉を顰めて言葉遣いの間違いを指摘した。
「……何か根拠があって、危機感を持っているんだよね?」
至極どうでも良さそうな少年に代わり、少年の隣に座る召喚士が青髪女神に確認を取れば、青髪女神は胸を張って己が考えを披露して行く。
「もちろんよ! 昨日私がアクシズ教の秘湯を浄化しちゃって、管理の人に追い出された時の話はしたわよね? その時温泉の浄化に凄く時間がかかったの。つまり、それだけ温泉の質が悪くなって、得体のしれない物に汚染されているって事なのよ!! これは恐らく、我が教団を危険視した魔王軍による破壊工作に違いないわ! アクシズ教団の財源である温泉を汚染させて、その収入源を断とうとしているの!!」
何処から込み上げて来るのか、自信満々に魔王軍の策略だと決めつける青髪女神。それを聞いた仲間達の反応は、一様に酷く簡素な物であった。召喚士以外の三人が異口同音に。
「「「そーなんだすごいね」」」
「信じてよぉ!!」
最弱職の少年は、最初から話を欠片も聞く気が無い。頬杖を突いてそっぽを向きながら、食後のコーヒーを堪能するのに忙しくしている。青髪女神が温泉の水質悪化は同時多発的であり、事件性があるのは間違いないと訴えても聞く耳も無しだ。
「そもそも、幾つかの温泉の質が悪くなったと言うだけで、どうして魔王軍が関与しているという話になるのだ?」
「まあ、アクシズ教団がドン引きされて疎まれているのは確かですが、そこまで回りくどい事をしますかね?」
女騎士も魔法使いの少女も、少年と同じく青髪女神の話を懐疑的に捉えていた。例え嫌われ者だと言っても、街一つを丸ごと汚染してまで打倒する様な物なのだろうかと。魔王軍であれば、そのまま襲撃してしまった方が余程魔王軍らしいと言う物であろう。
「まったく、昨日は一晩中泣いてたと思ったら……。しかし、あの時の混浴で聞いた話は……」
この時、最弱職の少年は一人だけそっぽを向きつつも微妙な表情をしていた。まるで、この話に心当たりでもあるかの様に、渋面を作りつつも周囲には聞こえない程度の声でぶつぶつと呟き、何やら思い悩んでいる様子である。だが、その時の周囲の仲間達は、彼のそんな表情に気が付く事は無かった。
「私はこの街を守るために立ち上がるわ!! と言う訳で、皆も協力してくれるわよね!? ……はっ!?」
そんな間にも青髪女神は話題を進め、自分一人だけでは不安なのか仲間の力を募ろうとする。だが彼女は見てしまった。仲間達のやる気のない表情の数々と、それに裏打ちされた非協力的な態度を。
「俺は街の散歩だとか、色々忙しいから」
「私もアクシズ教徒の恐ろしさは嫌と言う程知ったので、もう関わりたくありません……」
徹頭徹尾青髪女神の話を聞き流していた少年はもちろんの事、先日に恐怖のどん底まで突き落とされた魔法使いの少女も協力を断った。彼女の膝の上で両耳を弄ばれる黒猫も、同意するかの様に一声鳴き声を上げる。
「なんでよぉ! 散歩とかどうでも良いじゃないの!! めぐみんも、そんなにうちの子達を嫌わないでよ!!」
そっけなくされた青髪女神が机を両手でバンバン叩きながら抗議するも、やはり二人は取り合おうとはしない。彼女が次に縋る相手は、必然的にすぐ隣の女騎士と向かいの召喚士となってしまう。
「じゃ、じゃあダクネスとローは……?」
「う……、わ、私はその……。あ、アレだ……」
現在、青髪女神に一番距離の近い女騎士は言葉を濁す。アクシズ教徒に虐められるのは大歓迎な彼女ではあるが、与太話と思っている物に乗り気になる事が出来ないでいるのだろう。昨日とは違って見慣れた普段着姿の彼女は、気まずそうに両手で持つジュースのグラスに視線を落とす。
そして、そんな弱気な態度を見逃す程、青髪女神は大人しい女ではない。しな垂れかかるついでに女騎士の持つグラスに指を突っ込み、奇声を上げて泣き叫びながら高速でジュースを掻き混ぜ訴えるのだ。
「お願いよぉおおおお!! あうああああうああああああああ……っ!!」
「わ、分かった、付き合うから! 付き合うから私のグレープジュースを浄化しないでくれぇ!?」
こうして青髪女神は協力者を一人得る事となった。その協力者はジュースを水に変えられて涙目になっているが、上機嫌の青髪女神は欠片も気にしてはいない。
「ウィズならお前に甘いから、付き添ってくれるんじゃないか?」
一人目の哀れな犠牲者が決まった所で、それまで静観していた最弱職の少年が唐突に助言を投げ与えた。今は姿が見えないリッチー店主だが、確かに彼女であれば青髪女神の要求にどこまでも甲斐甲斐しく応えそうではある。
「ウィズなら、私が一晩中泣き付いてたら朝には消えかけちゃって、今は寝かせて上げてるわ」
「街より先にウィズを救えよ!?」
割と重大な事を、青髪女神は何でもない事の様にしれっと言う。少年はもたらされたリッチー店主の危機的現状に、思わず大声を上げていた。
実はこの女神、先日教会の秘湯を台無しにした際に、追い出された事で夜通し大泣きしていたのだ。自分はこの教会のご本尊なのにとか、ただ温泉に入ってただけなのにとか、それはもう盛大に。その際に溢れ出した神気や涙に触れたリッチー店主は、まるで聖水でも浴びたかの様に肌がピリピリすると訴えていたのである。
そんな彼女が倒れるまで涙を浴びせ続けるとは、青髪女神は無意識にでもアンデッドには苛烈なのかも知れない。仮にも自分を心配してくれた相手だと言うのに、本当に自分本位な性格なのであろう。最弱職の少年が、思わずツッコミを入れてしまうのも致し方無い事である。
「今回は僕もアクアを手伝う事にするよ。ダクネスと二人きりだと、とんでもない事になりそうな気もするし、ね?」
そして、暫く成り行きを見守っていた召喚士は、青髪女神達に同行すると宣言。それに青髪女神はぱっと表情を綻ばせ、逆に少年達は怪訝そうな顔を見せた。
「なんだよ、何時もはとんでもない事になったのを、離れた所で眺めて爆笑してるくせに。お前って、本当にアクアには甘いよな。こいつは甘くすると何処までも際限なく頭に乗って、挙句色々やらかすんだからあんまり甘やかすなよ」
「そうですね、何時もはカズマを優先するので少し意外です。ですが、ローがついて行ってくれるなら、そこまでひどい事にはならないでしょう。私はカズマの散歩にくっついて行きます」
結局、少年と少女は言いたい放題言ってから、本当に青髪女神を見捨てて散歩に行ってしまった。少女の方は普段の格好では無く、この日の為にあつらえたのか非常に可愛らしい服装になっていたので、純粋に観光を楽しみたかったのもあるのだろう。昨日のアクシズ教徒から受けた心の傷が、少年とのデートで少しでも癒されて欲しい物である。
そして残されたのは何やら無駄に意気込んでいる青髪女神と、水になったジュースをちびちびと舐める女騎士。それから、意味深に微笑む召喚士だけである。
「さあ、私達も早速出かけましょう! 深い事は特に考えてないけど、兎に角まずは行動を起こさないと! 心配はいらないわ、賢く麗しいこの私が直ぐにでも名案を思い浮かべる筈だから!!」
「その事なんだけど、アクア。少し行先について提案があるんだけど、聞いてもらっても良いかな?」
張り切る青髪女神が早速無軌道に動き始めようとした所で、召喚士があらかじめ備えていたかのように提案をする。召喚士らしからぬ行動的な言葉に、青髪女神も女騎士も面食らっていたがそれも最初だけ。青髪女神は頼もしさを覚えて顔を綻ばせ、女騎士は青髪女神の場当たり的な行動が無くなってホッと胸を撫で下ろす。
性癖を除けば真面目な女騎士に、操縦を誤らなければ優秀な青髪女神。この二人に、自分の楽しみの為には妥協しない召喚士が手を貸せば、何だかんだと言って相性は悪くないだろう。
強いて難点を上げるとすれば――
「……僕に良い考えがあるんだ。今回の事件解決への方針は任せてほしい」
「ああ、それ知ってるわ! フラグって奴よね!」
「なんだろう、そこはかとなく嫌な予感がするのだが……。ああ、でもどんな酷い目に遭わされるのか、少しドキドキしてしまうこの性癖が恨めしい……」
この空間には今、圧倒的にツッコミが足りなかった。
召喚士の提案した計画は実にシンプルだ。真っ正面から問題の発生している温泉宿や入浴施設に赴き、話を付けてから温泉の浄化を執り行うと言う事である。
「なんだか、交渉とか面倒そうなんですけど。ちゃちゃっと行って私が温泉に入れば、あっと言う間に浄化出来て簡単だと思うんですけど。それに、密やかに善行を行うなんてとっても女神っぽいじゃない!」
これには初め、隠れて善行を行いたがった青髪女神は難色を示した。だが、温泉を最終的にお湯にしてしまう事を考えれば、最初から正直にデメリットを説明した方が無用な誤解を防げると説得し、多少強引にだが納得してもらっている。
「……隠れて浄化をするのは確かに手っ取り早いけれど、やられた方にしてみれば商売道具に悪戯された様にしか見えないよ。助けようとした相手に怒られたり、賠償を迫られたりするのはアクアだって嫌だよね?」
「う……、確かに昨日秘湯の管理の人に怒られたけど……。わかったわよ。でもその代わり、きっちり私が浄化したって言うのは誉めてもらえる様にしてよね」
街の住民や自分の信徒に糾弾されるのは嫌かろうと言われれば、幾ら傲慢不遜な青髪女神と言えども納得せざるを得なかった。
そうして今は、三人で連れ立って浄化をさせてもらう施設を探している所である。
「……ん、この温泉の香りに混じる嫌な匂い……。間違いなくここの温泉がやられているね」
「私の女神としての直感も、この温泉が妖しいと訴えているわ! さあ、ドンドン浄化してちやほやされに行くわよ!!」
街中を練り歩いて、時々土産物屋に浮気して、更には女騎士がアクシズ教徒に唾を吐かれつつ探し求め。そしてようやく辿り着いたのは一軒の宿屋を兼業する公衆浴場。下手な屋敷よりも大きな宿泊施設と、入り口を同じくする露天風呂がもうもうと湯気を上げている。
「まあまあ、焦って行ってもまともに相手はされないと思うよ」
「はー? 交渉してから浄化しようって言ったのはローじゃないの。まさか適当に言っただけとか言わないわよね? だとしたら謝って! 女神様に無駄足踏ませてごめんなさいって謝って!」
直ぐにでも活躍しようと張り切る青髪女神だが、それを召喚士が暫し待とうと止めてしまう。当たり前の様に不満を顕わにする青髪女神に、召喚士は口元を歪めて問い掛けた。
「交渉する時に、事前に売っておいた方が良い物は何だと思う……?」
「ええ!? 急になぞなぞ? んー、そうね、交渉を有利にするんだから……。あっ! 喧嘩ね!? 喧嘩を売るんでしょう!?」
それを売るなんてとんでもない。
「ん……、恩を売る……か? 交渉事では地位や経験も重要だが、やはり相手に弱みや恩義があれば有益に進める事が出来るからな」
暫し思案していた女騎士が、顎に手を添えながらおずおずと言う。普段は脳筋思考だと言うのに、交渉の心得があるのはやはり彼女も一端の貴族なのだろう。
その答えに、召喚士は満足してにっこりと微笑む。
「……正解。この場合は顔を売るとかでも問題は無いけどね。この規模の温泉なら、もう何人かは湯に浸かっているだろう。商業施設から病人が出て、それを偶然通りかかったアークプリーストが治療する。その施設の経営者は、それはそれは恩義を感じてくれるんじゃあないかなぁ」
はたから聞けば非常にあくどい事を、実に鮮やかな笑みを浮かべて召喚士は言う。それには女騎士も思い至ったようで、若干顔を引き攣らせながら諌めて来る。
「そ、それは……。幾らなんでも悪辣すぎるのではないか?」
「なに言ってんのよダクネス! 人助けをするんだから、全然悪辣な事なんてないじゃない! さあ、もしかしたら私の信徒達が苦しんでるかもしれないし、今度こそ突入するわよ!!」
だが、そんな女騎士の苦言は、既にやる気を通り越して誉められる気満々の青髪女神が一刀両断。次の瞬間にはずんずんと突き進んで、施設の中へと乗りこんで行ってしまう。そしてそれを、召喚士は笑顔で見守るのであった。
女騎士は諦め悪く、狼狽しながら手を伸ばすも、青髪女神は既に髪の先すら見えない。
「ふふっ、もう賽は投げられてしまったよ。さあ、僕達も一緒に行かないと。アクアだけだと、追い返されちゃうかもしれないよ?」
そう言われてしまえば、もはや女騎士に抵抗する気力は無かった。項垂れる彼女の背中を両手で押しながら、召喚士は朗らかに宣言する。
「汚染の犯人に、喧嘩を売りに行こうじゃないか」
つまるところ、売れるものは何でも売ると言う事である。
結果から言えば、召喚士と青髪女神の企みは成功した。やはり規模の大きな温泉だった事もあり、汚染されていると思しき温泉の利用客には体調を崩した者が多かったのだ。
「うわっ、本当に具合悪くなってる人がいるじゃない! さあ、この私が来たからにはもう安心よ!! 今すぐ超強力な魔法でちょちょいっと解毒してあげるわ!!」
そこにさっそうと現れた素性の怪しい三人組に、最初こそ施設の人間は警戒を示したが、青髪女神が解毒魔法を使い具合の悪くなった客を治療し始めればその態度は一変した。
温泉の質が悪くなったことによる湯中りとたかをくくっていた物が解毒魔法で治療できてしまったという事は、いやがおうでも温泉が毒物で汚染されている事を証明してしまったのだ。
「御覧の通り、これは湯当たりでなく毒物による症状です。何者かは判明していませんが、ここ最近の温泉の質の低下は毒物による物だと我々は掴んでおります。どうでしょうか、こちらのアークプリーストは液体の浄化も短時間で行えます。その際のデメリットに関しては――」
これにより交渉の切っ掛けを得た召喚士は、畳みかける様に温泉の浄化を提案する。流石に温泉を一時的にとは言え水に変えられてしまう事には難色を示したが、そこは召喚士の口八丁が唸りを上げた。
このまま汚染された湯を取り除き、洗浄をしてから再度湯を張る等どれほど時間が掛かるか。多少の副作用はあれども、源泉さえ無事ならば湯を張り替えるだけで済むならば青髪女神の力は有用であると説き伏せたのだ。
「本当は私が温泉に入れば自動的に浄化されるんだけど、今は浄化魔法でぱぱっと綺麗にしてあげるわね。でもでも、この先幾つも温泉を浄化して行くなら、そのうちの幾つかは私も入って浄化しても良いと思うの。いいわよね、こんなに頑張ってるんだもの。少しくらいご褒美があっても良いんじゃないかしら?」
そして、実際に湯を浄化して見せれば、やはり経営側の態度は軟化した。実力のある聖職者はこの世界では尊敬を集める物であり、青髪女神の力は実際に尊敬に値するものであったので当然だろう。人格は別としても。
「大変ありがたい申し出なのですが、報酬は辞退させていただきます。その代わりと言っては何ですが、是非とも紹介状を用意していただきたいのです。この温泉の様に汚染された施設は数多くあり、我々はその全てを浄化してこの問題の犯人を追い詰めたい。なにとぞ、ご協力をお願いいたします」
あっと言う間に温泉を浄化して見せた一行に、宿の主人は大喜びで報酬を渡そうとしてきたが、召喚士はこれを丁寧に固辞し、代わりに一つだけ協力を取り付けた。他の温泉施設への顔繋ぎ、浄化作業を円滑に進める為の橋渡しを依頼したのだ。
「ありがとうございます。これで他の施設の方々にも、我々の行動を理解してもらいやすくなりました。あなたの協力で、更に事件解決に近づいた事でしょう」
突然現れた冒険者が浄化を申し出ても断られる確率の方が圧倒的に高い物ではあるが、ここまで大きな施設の主人の紹介があれば話は別であろう。商人同士の横の繋がりとは幅広く強固な物で、儲けている商人とは顔が広いと言うのが相場である。実際、次々と温泉を浄化して回る事が出来たのは、この紹介の力が不可欠であっただろう。
こうして商人の力を取り入れた事で、青髪女神は短時間で数々の温泉を浄化する事に成功していた。施設を回るたびに増える紹介状が、青髪女神の有用性を証明して行ったのもその一助であろう。
「な、なあ、これは本当に正しい事なんだよな? ローの説得を聞いて居たら、何だかアクシズ教の勧誘にも似た邪な事をしている気分になったのだが……」
そして今は、三人揃って犯人探しと言う名の街の散策を執り行っている。もちろん犯人に心当たりなど無いので、適当に街の中をぶらぶらしているだけなのだが。けっして観光をしている訳では無い。
「あーに言ってんのよ! 温泉の施設の人達も喜んでたし、具合悪くなった人達も皆ニコニコしてたじゃないの。人の為にした行動が邪なわけないじゃない! っていうか、ダクネスまでうちの子達を悪く言うのはやめてよ!!」
特に当てもなく、露店や土産物屋を冷やかしつつ歩いていたが、その足はいつの間にか街の飲料水を支える貯水湖へと延びていた。水と温泉の街と言われるだけあって、その湖は透明度も高く街の彩りとして優美な風景を描き出している。湖から吹いてくる風も涼やかで、ここも観光客には人気のあるスポットなのだろう。
「僕は何一つ嘘は言ってないよ。毒の浄化は終わったんだから、後は放っておいたって温泉は元に戻るさ。源泉さえ無事なら、ね……」
道中ずっと話し合っていた一行は、湖を囲む欄干に寄りかかり暫しの休息を取る。召喚士と青髪女神は勧誘の対象にはならず、エリス教の証を首から下げる女騎士はむしろ露骨に避けられるので静かに過ごせていた。
――その大声が聞こえるまでは。
「おおい! 湖で大量に魚が死んでるぞ!! 湖の色もおかしいみたいだ! 誰か人を呼んできてくれーー!!」
その言葉は誰の物だったのか。だが、それを確認する間も無く、周囲の人間達は一斉に湖の周囲へと殺到し人だかりを作ってしまった。この人垣の中では、身動きするのにも不自由してしまうだろう。ましてや、この中から犯人を捜すのは絶望的だ。
なによりも、一人張り切っているのが居るので犯人探しどころではない。
「ちょっとちょっとちょっと!!! この湖はこの街の生活水にも使ってるのよ! ダクネス、ロー! 私ちょっと行って来るから!! こうなったら、直接飛び込んで浄化魔法唱えて来るから!!」
「お、おおい、アクア!? せめて小舟を出して貰ってからでも――あちょっ、足を踏まれ、んひぃん! ひ、人混みの中でさりげなく攻撃されて――んきゅぅん!?」
青髪女神はざぶざぶと湖に突撃し、女騎士はそれを手伝おうとしたが何やら嫌がらせを受けて喜んで居る。こんな時にまでエリス教徒に嫌がらせを敢行するとは、流石アクシズ教徒の狂いっぷりは筋金入りだ。
「……これは陽動のつもりかな」
人のごった返す騒ぎの中で、召喚士だけは一人物静かに湖面を眺めていた。その視線は周囲を見回してから、諦めたかの様に湖を突き進む青髪女神へと移る。
「アクアの力ならあの規模の汚染でもすぐに浄化できる……。これだけ妨害を繰り返されたら、流石にちまちまと温泉を各個で狙う真似はしなくなるだろうね。問題なのはこの後か……」
召喚士が重苦しく溜息を吐くのと同時に、周囲の人垣から歓声が上がる。どうやらその身をずぶ濡れにしながらも、青髪女神が湖の浄化に成功したらしい。その光景を見守っていた住人達が、喜びと称賛にやんややんやと喝采を上げているのだ。
そして、それと時を同じくして、街の外から轟音が響いて来る。微かな振動とともに湖面が揺れて、音の聞こえてきた方向に紅蓮の爆炎がぱっと広がるのが見えた。
周囲の歓声が再びどよめきと悲鳴に変わり、住民達は蜘蛛の子を散らす様に三々五々と散って行く。
「おい、ロー、今のは爆裂魔法ではないか?」
「カズマとめぐみん達が、街の外に爆裂散歩にでも行ったんだろうね。そろそろ帰って来るだろうから、僕達も一度宿に戻ろうか」
群衆に紛れたアクシズ教徒の嫌がらせから解放された女騎士が声を掛けて来て、召喚士は気怠そうに頭を掻きながらそれに応えた。
別段女騎士に話しかけられるのが億劫なのではない。この後の事を考えると非常に面倒に思えてしまうからだ。
全身びしょ濡れで、しかし快活な笑顔で戻って来た青髪女神を伴って、召喚士と女騎士は宿泊している宿へと戻る事にした。その帰り道で、二人の背後を遅れて歩く召喚士はひとりごちる。
「そうか、めぐみんは爆裂魔法を使ってしまったか……。十中八九、相手は明日を待たずに次に取り掛かるだろうに、困ってしまうな……」
恩を売って、顔を売って、喧嘩を売って。そして、一日の終わりに仲間の一人が切り札を使い切る。最弱職の少年のパーティは、明日の朝まで大幅に戦力が低下してしまった。
散々計画を邪魔された犯人は、果たしてこのまま明日まで大人しくして居てくれるだろうか。
「……僕なら、今直ぐにでも、大本を断ちに行くだろうなぁ」
悪辣な者は悪辣な者を知る。毒を扱い無差別に人に仇為す様な者の思考は、召喚士には手に取るように分かるのだ。
「……犯人が今夜動かない事を、神様に祈りたくなっちゃうね」
まったく期待していない声色で、皮肉気な笑みを浮かべる召喚士は、まさに天を仰ぐばかりであった。
中編へ続く