その思いで只管書いてきた話の最終話。
どうぞお楽しみください。
その場所は、天界でも滅多に訪問する者が居ない、静かな場所だった。
長大な蛇がとぐろを巻きながら己の尾を食んで微睡み、巨大な銀狼がその頭を撫でられて目を細める。そんな異様な光景の中心に、それら異形の怪物の主とも言える存在が鎮座していた。
「…………おとーさん、またその人間を見ているの……?」
巨大な獣達に囲まれながら中空に浮かぶ映像を眺めていたその存在に、濃密な瘴気を足元から立ち上らせる黒いドレスの女性が話しかける。声を掛けられた父と呼ばれたその存在は、口元をにんまりと歪めてその金の瞳を好奇の色で輝かせていた。
この時、女神として冥界を治める役職に就くドレスの女性は、この場に来てしまった事を密かに後悔する。この目の前の己の父親がこんな笑顔を浮かべている時、それは決まって何か悪巧みを考えていると見て間違いないからだ。
ドレスの女性が死んだ魚の様な赤と青の瞳を更に濁らせていると、手招きをされて一緒に映像を見る様に促される。そこには一人の少年が、路地裏で蹲って泣き咽ぶ姿が映っていた。此処の所よく観察をされている、この父のお気に入りの少年である。
天界から女神を連れて転生を果たした少年。この父なる存在は、彼の菲才なれど知恵と悪運で強敵を倒す活躍をいたく気に入っていた。初めは女神の泣きっ面を拝むはずだったのだが、今ではもう少年を観察するのが日課になっている。
そんな少年が、今は映像の中でキョロキョロと周囲を窺っていた。まるで見えない何かに語り掛けられて、その声の主を探しているかのように。ドレスの女性の目には、何か良くない物に絡まれている様にしか見えなかった。
そして、少年はあれよと言う間にまばゆい光に包まれて、一冊の本へと姿を変えられてしまう。こんな現象が起きる原因に、ドレスの女性は心当たりがあった。天界でも噂になった、とある天使の不手際で生まれた魔神器の仕業に相違ないと瞬時に判断する。
その事を父親に伝えようと視線を向けてみれば、父は既に行動を起こしていた。掌に眩い光を生み出して、それを捏ね回す様にして手の中でいじくり回している。もちろん、そうしている間もずっと、悪巧みの笑みを浮かべ続けて。
「…………おとーさん、それは……?」
尋ねてみても答えは返らず、代わりに中空の映像に向けて掌の光が放たれる。すると、映像の中で光が天から降り注ぎ、少年が姿を変えた本に吸い込まれて行った。
それを見届けた父親は満足したのか、再び掌を狼の頭に置いて撫で擦るのを再開し始める。そして、死んだ魚の様な目で見つめ続けてくる己の娘に、朗々と己の立てた計画を説明し始めた。
それは、己の一部で作り上げた仮初の命を使い、魔神器に捕らわれた少年を手助けする為の計画。魔神器が少年を取り込む際に、魔神器を撃破できるだけの能力を与えると言う物。その為に、わざわざ転生者に渡される特典から、それを可能に出来る物を盗んで来たのだと言う。
「…………それ管理してるの、私の部下……」
ドレスの女性の抗議は黙殺された。そんな事を気にするようなら、悪神などとは呼ばれはしない。
それから、仮初の命が行うべき使命と、それを補佐する為に兄妹達が力を貸す必要がある事を説明される。その事には、ドレスの女性はもちろん、微睡む大蛇も撫でられる狼も否とは言わなかった。どうせこの父親相手に逆らっても、否応無しに手伝う様に誘導されるに決まっているからだ。
そして最後に、生み出した仮初の命の性別は、最初に性別を指定して来た者によって決められるとドヤ顔で言われた。その情報は必要なのだろうか、それはきっと父親にしかわからない。
何より、どうせ使い潰すはずの存在に、何故そんなにも凝った設定を与えるのだろうか。思い浮かんだ疑問を尋ねてみて、返ってきた答えは実にシンプルであった。
――その方が面白そうだから。
なるほど、これ以上無い程にこの父親らしい考えであろう。全ての行動は自らの愉悦の為に。それでこそ、悪神と言われるに相応しい精神であろう。
とりあえず、どんな無茶ぶりを要求されても良い様に、自分の仕事は先の物まで片付けておこう。そう強く思ったドレスの女性であった。
それはそうと、物語に介入する為に存在を上書きされた人物には、ドレスの女性は多少なりとも哀悼を覚える。居ても居なくても物語にほぼ影響も無く、魔神器の排除に必要な事とは言え、存在自体を物語から排除されるとは哀れな事だ。
荒くれ者の様な姿をした彼は確か、『ポチョムキン四世』と言う名の機織り職人であっただろうか。彼もまた、間違いなく神の傲慢の犠牲者であろう。
巨大な大蛇が埋め尽くしている以外は何も無い白い空間で、一人の少年がローブの人物を抱きかかえていた。非力な少年では小柄と言えど人一人は支えきれないので、屈み込んで上体を起こすだけに留まってはいるが、その表情には驚愕と困惑の入り混じった真剣な表情が浮かんでいる。
対して、抱き支えられる側は脱力し、瞳に涙こそ浮かべてはいるが、口元には楽しげな笑みが浮き上がっていた。
「それが本当の名前……? っていうか、殺される為にってどういう事だよ!?」
抱き支えている最弱職の少年が、自らの腕の中の召喚士に向かって問う。少年には召喚士が言った本当の名前がとても人の名前には思えず、それよりも自分が殺さねばならない等と言われれば、憤慨し問い質さずには居られなかった。
問われた方は瞳一杯の涙を浮かべながら、優しく微笑んでそれに応える。怒ってくれるのが少しだけ嬉しくて、頬が思わず緩んでしまうのだ。
「……言葉通りの意味だよ。僕は君に殺されて、スキルを獲得する為の経験値になる為に生まれたんだ。その為にわざわざ体力は最低値、HPが一で固定されて、特定の条件――君からのドレインタッチ以外で減らない様に作られたんだからね」
「なんだよそれ……。なんでそんな……」
答えを聞かされた少年は戸惑い、言葉が上手く出せずにいる。そんな戸惑う姿すら愛おしいとばかりに、脱力した召喚士は少年の頬に手を伸ばした。
「僕は僕を作った存在に、そうあれかしと命じられてこの世界に来た。この……、君が取り込まれた魔神器の世界に。君と言う物語が描かれた本の中に。二回目の世界で自分自身を演じる君を、陰ながら見守る為に送り込まれたんだ」
語る口調は弾む様に軽く、その表情は努めて明るく。しかし、ぐったりと脱力した体からは、今も大切な何かが零れ落ちて行く。触れ合う部分から少年へと熱が流れる様に、抱き留める体がとても冷たく感じられるのだ。
「でも、僕はその使命を全うせずに、ついにはこんな所まで来てしまった。本当は、君がドレインタッチを覚えるまで接触するつもりは無かったんだ。けれど、僕はね、声を掛けられてしまったんだ。出会ってしまったんだよ、君達と……。いや、君と……だね」
少年の事を見つめてにっこりと微笑めば、瞼に押されて溜まっていた涙が零れ落ちて行く。これが喜びの涙なのか、悲しみから来る涙なのか、抱き留める少年にはわからなかった。ただ、心の底から向けられる笑顔は、思わず見とれてしまう程に美しいと思ってしまう。作り物とは思えない、感情を強く感じさせる表情だ。
「あの日、あの時、君に声を掛けられて、僕の認識は変わってしまった。最初はただ、近くに居た方が都合が良いと思っただけ。ついでに、ずっと憧れていた君達の物語を、君の隣と言う『特等席』で見ていられると思ったのも間違いじゃない。そんな生活が、凄く楽しかったんだよ」
思い返す過去の楽しさが召喚士の笑みを深めさせる。そして、涙に濡れる瞳が楽し気な過去から、現在を見つめる様についと逸らされて、白い空間の何も無い空に向けられた。
召喚士の視線の先、大蛇に取り囲まれる空間の中心で、空間自体が騒めく様に揺らぎそこへモヤのような物が集まって行く。そのモヤの集まりは、次第にとある形を成して行った。
「そして……、そんな世界を、君を守りたくなってしまったんだよ。あの、忌々しい存在から……」
召喚士の言葉と共に、中空で形を定まらせていなかったモヤの塊が人型を作り出す。それはゆっくりと白の世界に降り立って、更に凝縮する様にして形状を詳細にして行く。
形が整い、色が生まれ、次第に見知ったモノに似た何かが産まれ出でる。
「アレが、魔神器メアリー・スーの今の姿……。本の外側と言う『特等席』で君の物語を読んで、君になり替わろうとしている、誰でもない誰かだよ……」
それは申し訳程度には人の形をしていた。緑を基調とした衣服の上に、丈の短い緑のマント。片側だけに付けた金属製の脛当てと籠手に、腰には長い鞘に納められた刀が吊り下げられている。
だが、それらを身に着けているのは、人の形に整えられただけの泥人形の様だった。ぼこぼこと沸き立つ様に内側から肉色の顔面が膨れ上がり、弾けてはまた新しい顔が露わになる。頭部と思わしき場所にはぼさぼさの頭髪が備わって、沸き立つ肉の間から真っ赤な光だけが眼光の様に灯っていた。
その存在を一言で表すのならば、『成り損ない』と言うのが一番適切だろう。化け物が、最弱職の少年のコスプレをしているのだ。
「『オオオオオオオオ!!!! 金! 女! チート!! ハーレム!! ハーレムゥ!! 好きなだけ暴れ回って、好きなだけ貪って、たっぷり異世界生活を満喫してやるぜえええええ!!! チート主人公様がこの世界を素晴らしい物にしてやるぞおおおおおお!!!』」
成り損ないの魔神器が、赤い瞳の下に亀裂の様な口を生み出して唐突に叫び声を上げる。老若男女、複数の人間の声を束ね合せた様な声色で、およそ理性があるとは言い難い言葉を放っていた。溶け掛けた泥の様な姿と相まって、より一層に気色悪さに拍車を掛ける。
放たれた言葉の内容よりも、その声に少年は心当たりがあった。あの、路地裏で語り掛けて来た、姿の無い声に相違無いと確信する。
問題はそんな事より、アレが自分になり替わろうとしているという点だろうと、最弱職の少年は思う。
「あ、あんな姿の癖に、俺になり替わろうってのか? つーか、幾らなんでも、あそこまで欲望に忠実じゃないぞ!?」
「成り損ないって言ったじゃないか。あれはもう人の意識を取り込み過ぎて、理性なんてとっくに崩壊しているんだよ。言うなれば、動物的欲望――イドの塊と言った所だね。チートを手に入れたカズマが、必ずしもああなるって訳じゃないよ」
少しピントのズレたツッコミを入れる少年に、死にかけているはずなのに楽しそうに説明している召喚士。そんな二人の方に成り損ないの魔神器は、赤の視線を向けてズンと重たげに足を踏み出した。
そんな二人を庇う様に間に立ち塞がるのは、先程まで敵対していた銀の巨狼にドレスの女性だった。少年と召喚士達を取り囲んでいた大蛇すらも、出現した成り損ないに対して口蓋を晒して威嚇音を響かせている。
「もう時間が無い。カズマ、良く聞いて……」
成り損ないが腰の刀を抜刀し、無造作に振るうとそれだけで離れた位置にあった大蛇の胴に亀裂が産まれた。痛みに大蛇がのた打ち回ると同時に、銀の巨狼が牙を剥いて成り損ないへと飛び掛かる。
「君にはもう、僕の召喚術は伝わっている。後は必要なスキルポイントがあれば習得できる。それは後で、冒険者カードを確認してね」
飛び掛かって行く巨狼を援護する為に、ドレスの女性が次々と上級魔法を撃ち放つ。轟雷、氷塊、爆炎が連続して成り損ないを襲い、重ね合わせる様に狼の鋭い牙が喉元目がけて繰り出される。
迎え撃つ成り損ないは、無数の攻撃魔法をまるでそよ風でも受ける様に棒立ちで浴びて、飛び掛かって来た巨狼を手にした刀で無造作に薙ぎ払う。巨狼の体があっけなく上下に分断され、光の粒となって死体すら残さず消え去った。
「スキルを覚えたら、僕と同じ事が出来る様になる。使い方は、もう知ってるよね。ずっと一緒に居て、一番近くで見て来たんだから」
老若男女の声がやたらと長い難しい言葉の羅列した詠唱の声を上げ、その突き出した掌から渦を巻く光の螺旋が放たれた。普段は怠惰な目をしていた大蛇が敵意を込めた目を向けながら、その大口から洪水の様な猛毒のブレスを撃ち放つ。光の螺旋とブレスがぶつかり合って拮抗するが、成り損ないがフンと鼻を鳴らして力を籠めれば、掌から放たれる螺旋が太さを増してブレスを押し返し始めた。
最後まで抵抗を続けた大蛇は、その頭を丸ごと吹き飛ばされて光となってその巨体を消滅させられてしまう。かつて雷神の渾身の一撃を、四度その身で受け止めた大蛇を一撃とは、呆れたチート具合と言う物だ。
「最初に呼び出すのは、君が一番多く傍に居た人だよ。本当なら人の身で召喚なんてもっての外だけれど、君なら絶対に呼び出せる。だって、あの子は君の『特典』なんだから。他のどんな存在よりも、繋がりが強いんだ」
最後に残ったドレスの女性が、無駄と分かってはいても上級魔法を連発する。それを避け様ともせずに、成り損ないは歩みを進めて行く。
そんな成り損ないの頭上から、光の尾を引きながら加速した軍馬が突撃した。
「あれは確かに、今まで取り込んだ物語の勇者や英雄の力を使って神すらも屠るだろう。でもね、今のアイツは同時にカズマでもあるんだ。だからこそ、君なら、君達なら絶対に勝てる」
軍馬の流星の様な突撃を受けた筈の成り損ないは、ヤレヤレと肩を竦めて健在を示して見せる。そして、鎧に包まれていたはずの軍馬の首を刀でひと撫でし、無造作に切り落として見せた。
光となって霧散する軍馬の体を突き抜けて、ドレスの女性がその両手に魔力で生み出した刃を纏わせて躍りかかる。身体強化の魔法も重ね掛けし、高位の前衛冒険者もかくやとばかりに両手の刃を振りかざす。
「僕は、見たかったんだ。君と言う物語の続きを。君と一緒に歩むよりも、その続きが描き出されるのを守りたいと思った。だから、だからね……」
両手の刃を振るう、振るう、振るう。踊る様に斬撃を繰り出して、相手の振るう攻撃はその全てを回避する。神技の様な攻防一体の動きだが、敵の体を幾ら切り付けようとも何の痛痒も無く直ぐ様に再生されていた。時間稼ぎにもならないと判断したドレスの女性は、ちらりと背後に庇う己の主人と最弱職の少年を見やる。
瞬間、その口元に己が主人の様な三日月の様な笑みを浮かべて、ドレスの女性は成り損ないに飛び付きそのまま力任せに押し返して行く。強引に主人達から距離を離させると、その間に唱えていた最強の呪文を解き放った。
「僕の命で、……勝ってね? 君達なら勝てるって、信じてる……」
至近距離での爆裂魔法。離れていたはずの少年達すら風圧で震わせる程のそれは、成り損ないの魔神器を流石に消耗させていた。爆心地で膝を突き、成り損ないは一時的にその行動を再生の為に止める。
だが、それだけだ。倒すまでには至らずに、呼び出された召喚獣達はその全てがこの場から消え去っていた。
再び白の世界に訪れた静寂の中で、召喚士は言いたい事を全て言い尽して深く溜息を吐く。
「はぁ……、時間稼ぎはお終い。僕の出来る事はもう全部お終いだよ」
満足気に笑いながら、もう体を動かす事も出来なくなって、少年の頬に添えていた腕が落ちて行く。その手を少年は思わず取ってしまい、一方的にぎゅっと強く握りしめていた。こうしていないと、今すぐにでも召喚士が消えてしまう様な気がしたから。あの、光になった召喚獣達の様に。
「あはは、嬉しいなぁ……。死ぬ時がカズマの一番近くだなんて……。めぐみんもダクネスも、きっと羨ましがるよ……」
今にも消えてしまいそうな、儚げな笑みを浮かべる召喚士を前にして、最弱職の少年は考えが纏まらないままに言葉を掛けようと声を張り上げた。言いたい事は死ぬほどある。伝えたい事だって、文句だって溢れるほどあるのだ。
「ロー、俺は!! 俺は!! ……っ!!」
思いが溢れて言葉にならず、形にならずに喘ぐばかりになる。それが焦りになって、頭の中も胸の内もぐるぐるとめぐる袋小路だ。
そうしている間に、召喚士の体を淡い光が包んで行く。召喚士は、ぽろぽろと涙をこぼしながら、少年に向けて何時も通りの笑みを浮かべて見せた。
「ねえ、カズマ知ってた? 実は僕、カズマの事がね、好――」
結局、お互いに言いたい事も言いきれずに、召喚士は少年の腕の中から消え去っていた。
霧散した光が白の空間には溶けずに、少年の体に纏わり付く様にして浸透していく。それはまるで、暖かさを分け与えられているようだと、最弱職の少年には感じられていた。別れを惜しむと言うよりも、励まされている様な暖かな光に感じられたのだ。
気が付けば、ずっと流れ続けていた涙は止まっていた。
後編へ続く。