早々に食事を終えてから、私は鈴谷と熊野に宣言した通り鍛錬を行うために鍛錬室に向かっていた。
鍛錬室、とは言っても、単にトレーニング器具が置いてあったり、少し手合わせができる広さがある程度の場所だ。
これは、私がこの鎮守府に着任してからの2年間で、皆で着実に戦果を挙げ、所属する艦娘も増えてきた頃に鎮守府全体の増築の際に作らせたものだ。
基本、艦娘の強さというのは練度で決まるため、その体を鍛える、という行為自体に余り意味は無いのだが、一部の艦娘達の強い要望があり、ならばついでに作ってもらおう、という流れでできたものである。
元々私は軍人であり、机に座っての事務作業の連続の提督という立場では、身体が鈍ってしまうのではないか、とも危惧していたので、増築当初から有難く使わせてもらっている。
食堂から鍛錬室までは余り距離がないので、すぐに着いた。
室内を見渡してみるも、まだ誰もいない。
どうやら私が一番乗りだったらしい、鍛錬室は自由に運動をするためにかなり広く作ってもらったので、その空間に1人というのは、多少の孤独感を感じる、が、いつも誰かしらが私のそばに居たりするので、こういう一人の時間は貴重なのだ。
さて、何から始めようか…
まず最初に行うべきトレーニングについて私が決めあぐねていると、ふいに後ろから声をかけられた。
「こんばんわ、提督、鍛錬室に行くという話を聞いたので、頼みたいこともあり、伺いに参りました」
「赤城か、こんばんわ」
声をかけてきたのは、我が鎮守府で空母最強を誇る、赤城だ。
凛とした佇まいに落ち着いた話し方、強者としてそれ相応の態度も心得ている、何とも頼もしい娘だ。
ただ、残念なことに、彼女もたまに様子がおかしい時があるのだ。
これはつい数日前の出来事なのだが。
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その日の秘書艦は赤城で、いつも通り速やかに業務を終わらせようとしていた、そこに、その日の出撃から戻ってきたて、戦果報告をしに来た正規空母、翔鶴が顔を出したのである。
「ただいま帰りました、提督♪」
「む、翔鶴か、おかえり…何故そんなに上機嫌なのだ?」
ただ出撃から帰ってきただけだというのに、何があったのだろうか。
今ここで鼻歌でも歌いだしそうな程だ。
「ふふふっ、いえ、久しぶりに提督の顔を見れたものですから、嬉しくて♪」
「久しぶり…?何を言っている、たったの数時間前、朝に会ったじゃないか」
「正確には7時間36分50秒ほどですね、…でも、提督、『たったの』、とは、どう言う事ですか…?」
「……ん?」
理由はわからないが、翔鶴の様子が変わった、先程まで何も感じなかったのに、いまは、周囲に押しつぶされそうなほど重い、ドロドロとした空気が渦巻いている。
「私は貴方とお会いできない時間をこんなにも悲しく、寂しく過ごしていたというのに…私は、こんなにも貴方のことを思っているのに、貴方にとっての私とは所詮その程度の存在だったのですか?数いる艦娘の1人、私等、有象無象の1人だということですか?」
とても早口で、捲し立ててくる。
「ま、まて翔鶴、私はそのような事を、少しも言っていない、急にどうしたのだ?私が悪かったのなら謝る、だから、一度落ち着くんだ」
「…謝罪なんて要りません」
「…ならば私は、どうすれば許してもらえる?」
「証明してください」
「証明?何をだ」
「提督が、私のことを大切にしてくれているという証明です」
「…どうすればいい?」
「それはもちろん…」
そう言って言葉を切った翔鶴は、私が腰掛けている椅子の前までゆっくりと、妖艶に近づき、
「あなたのお情けを私に…」
ドガッ!
突然、何かを全力で殴りつけた様な音が響き、翔鶴の言葉を遮った。
音のした方を見ると、赤城が秘書艦用の机に拳を当てているのが見えた。
殴りつけた様な、ではなく、実際に殴りつけていたようだ。
「……あなたの事など心底どうでもいいので先程から黙って聞いていたのですが、もう我慢できません、あなた、今私の提督に何をしようとしているんですか?」
「私の、ですか?っふふ、おかしなことを言いますね赤城さん。提督は誰のものでもありませんよ?」
「…ええ、そうね、少なくともあなたの物では無いわね」
「だから今提督に私の物になってもらおうとしているんですよ、年増のババアは引っ込んでいてください、提督も年若い女子の方がお好きでしょうし?」
「黙りなさい、淫〇のメスガ〇が、あなたの様なビ〇チに提督が靡く訳がありません。ですよね、提督?」
「あら、提督もオバサンよりかは若い人の方が良いですよね?」
…流れるように口喧嘩が始まってしまい、止める暇もなかった。
今は口だけで済んでいるが、いつ手が出るかもわからない、2人ともに、私が武道を教えたので、殴り合いになったら私一人で止めるのは厳しいだろう、今のうちに穏便に抑えるしかないだろう。
「…2人とも、まずは落ち着…」
「私達は落ち着いています」
「それよりも、先程の質問に答えて頂けますか?」
それは、どちらを答えても私には不幸しか訪れない気がするのだが。
どちらにしろ、その質問について答えなければこの状況は終わらないようだ。
しかし、それをこの様子がおかしい娘達に教えるのは危険だと、本能が告げている。
…本格的に選択肢がない、正解のない問題に答えろ、ただし間違えたら罰がある、とでもいうような理不尽さだ。
などと、私がくだらないことを考えている間にも、2人からの圧力がどんどん強まってくる。
一体どうすれば……
「提督?突然大きな音がしたので様子を見にきたのですが…この状況は一体、どうしたのですか?」
切羽詰まった私に救いの手が伸ばされた。
執務室に入ってきた彼女、鳳翔は、この鎮守府の最古参の一人で、まだ未熟だった私の指揮の不手際で、大怪我を負ってしまい、前線を退いて、後方支援、そして空母系艦娘への指導に当たってもらっている人だ。
人として私よりも何段階も老成していて、鎮守府の母の様な存在である、この鎮守府に所属している艦娘の大半は、一度は鳳翔に恩を受けた事があるのではないだろうか。
当然、鳳翔に直接指導を受けている赤城と翔鶴は彼女に頭が上がらない。
「まぁ、なんにせよ先ずはそちらのお二人を止めるべきでしょうね。…赤城さん、翔鶴さん」
「「っ!!」
「そこに直りなさい」
「「は、はい!!」
おお、流石だ、あの二人をあそこまで簡単に黙らせるとは。鳳翔の指導はとても厳しいと聞くからな、訓練時代の癖だろうものが体に染み付いているみたいだな。
…私の話は全く聞いてくれなかったのだがな。
とにかく、鳳翔が来てくれたお陰で何とか穏便に収まった。
翔鶴には休むように伝え、もう執務も終わりに近かったので、赤城も業務終了の意を伝えて帰らせた。
無理矢理とはいえ、鳳翔が仲直りさせていたし、そこまで心配も無いだろう。
二人が帰り、静かになった執務室で鳳翔が私に
「もう、私が来なかったら一体どうなさっていたのですか、提督」
と聞いてきた。
確かに鳳翔が来なかったらどうなっていたのだろうか、想像もつかない。
「…どうにも出来なかっただろうな、本当に感謝する」
「…なら、貸し一、です」
「貸し…?まぁ、いいだろう」
「なら、今度、私の部屋に来てくれませんか?」
「部屋にか?まぁ断れる立場でもないので、行くことは約束しよう、だが、何故だ?」
「…一緒にお酒を飲みたいのです」
「酒?」
「はい、この間、鎮守府の外に出かけた時に日本酒を手に入れまして、出来れば二人で飲みたいのですが…」
「それだけで良いのか?積もる話もあるし私としては願ったり叶ったりなのだが」
「はい、それだけです、約束ですよ?」
「分かった、約束しよう」
「ふふっ、有難うございます♪」
鳳翔と二人で酒、か…ゆっくり話でもしながら、楽しい酒が飲めそうだ。
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…ということがあったのだ
そう言えば鳳翔との約束の件はどうなっているのだろうか。
実は私も楽しみなので、少し気になるのだが。
「それで、頼みたいこととはなんだ?」
「提督に、模擬戦をお願いしたいのです」
「模擬戦、か」
私は、望む娘には古流の武術を教えている。
軍の開催した総合体会では決勝まで残れたので、かなり強いほうだとは自負している。
決勝では負けてしまったのだが。
とにかく、人に教えて差し支えない実力はあるので、問題は無い。
最近は教え子達の成長が著しく、私も負けていられないと思っていたのだが。
「私の今の実力を測りたいのです、あなたという目標に、どこまで近づけたかを」
「…なるほど」
何だかんだで私が彼女達に武術を教え始めてから半年は経っている、自身もついてきたのだろうが…
「ああ、分かった、受けよう」
「ありがとうございます、提督」
その程度で私に勝てると思うなどと、甘い幻想を打ち砕いてやろう。
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お互い道着に着替えてから、構え合う。
始まりの声など無いので、構えた瞬間に試合は始まっている。
どちらが先に動くか、じり貧のなか、私は赤城が先に仕掛けてくるのをただ、待つ。
赤城は私と比べると小柄なので、内に入り込まれたらかなり不味いだろう。
しかし、私は動かず、時折仕掛けに行くようなフェイントを仕掛けて、赤城を焦らさせる。
そうしてお互いが構えてから数分、先に動いたのはやはり赤城であった。
自らの有利不利を理解しているため、先手必勝の腹積もりであろう。
だが、私はそれを理解しながら、あえて動かなかった。
その場を動かず、赤城の行おうとしている技に真正面から挑み、へし折る。
「っ!?う、動かせない…?」
やはり、まだまだ技の洗練が足りない、基礎技の「不動」すら崩せないとはな。
これなら何があっても私の負けはなさそうだな。
「はぁっ、はぁっ、んっ、ふっ…」
…しかし、先程から赤城の動きがどこかおかしい。
私を打ち倒そうとしていると言うよりは、自らの体を擦りつけているだけのような…
いや、気のせいだろう、そんなはずが無い。
それに、そんなことをしても彼女には何のいいこともないのだ、やる意味がそもそも無い。
…それにしても、柔らかいな、こう、体全体がやわやわとしていて、こんなに弱そうな娘に深海棲艦との戦いをさせていると思うと、正直、不安になってくる。
彼女達には偉大なる艦霊が宿っているとはいえ、それでも私達軍人がやるべき事を婦女子に任せるというのは不安が残る。
そのような事をいくら言っても我々には何も出来ず、意味もないのだがな。
「んっ…ふぅ、ふぅ、んんっ…!、…はぁっ、満足し…いえ、参りました、提督、まさか動かせすらしないなんて…」
「私はこれを20年はやっているのだ、半年習っただけの小娘が勝てるわけがないだろう」
「はい、少し増長しておりました、精進します」
「うむ、これからもミッチリ鍛えていくから、覚悟しておくように」
「はい!」
うむ、人に教えるというのは回り回って自分のためにもなるからな、私が現役の間は、生徒達に負けるつもりは無い。
「私はこれから基礎トレーニングを行おうとしているのだが…早速、一緒に練習しないか?」
「良いのですか?私がご一緒しても」
「あぁ、赤城の基礎習熟度も見てみたいしな」
「それでは、ご相伴に預からせて頂きますね、先生♪」
その後は加賀や飛龍などが鍛錬室に来て、私達のトレーニングに合流したのだが、特に揉め事もなく鍛錬が終了した。
「ふむ、このぐらいでいいか、私は風呂に行ってくるが、お前達はしっかり休憩しておきなさい」
…返事すらできないか、少々絞りすぎたかもしれんな。
しかしまぁ、あの程度でへばるのなら、それは鍛錬が足りないということだ。
しかし、加賀も飛龍も組み手の際には赤城と同じような行動をしてきたのだが…やはり気のせいだろう。
そうして私は久しぶりにかいた良い汗を流しに、浴場に向かった。
…しかし、何事もなくて良かった。