戦車道の世界に魔王降臨 作:そばもんMK-Ⅱ
「さて。プラウダ高校次期隊長、カチューシャ殿とお見受けするが相違ないか?」
「……”次期”じゃなく”今期”よ。それと、さっきは助かったわ。カチューシャもあいつらにはムカついてたもの」
二杯目の紅茶を飲みながら、カチューシャはちらちらと隣に座っている偉丈夫を見やる。
皺ひとつ見当たらない仕立ての良いスーツ、真っ直ぐピンと伸びた背筋、そして紅茶を飲む際の細かなマナー。
そして何より、それらを一切無理することなく自然体で体現していること。
どれも些細なことではあるが、だからこそカチューシャは目の前の男のことがそれなりに気に入っていた。
礼儀。それは人が社会生活を営む際に必ず関わってくるものだ。
目上の人間には敬意を払う。相手を不快にさせない。何事にも真摯に取り組む。
どれも当たり前で、しかしカチューシャはそれがどうも苦手だった。とくに敬語などは苦手を通り越して壊滅的であり、だから誰に対してもきつい言葉遣いになってしまう。
それが許されるだけの能力を備えているという自負があるし、また誰よりも努力してきたと自負しているからこそ顧みる気は毛頭ないが、それはそれだ。
とにもかくにも、甘粕正彦に対するカチューシャの第一印象は”悪くない”の一言に尽きる。
少なくともこの男は、ついさっき見た不愉快な連中とは全く異なるタイプの人間であることは明白だった。
そして何より、カチューシャが気に入ったのは――
「既に新体制は始動しているわけか。では、月並みな言葉になるが賛辞を贈らせてくれ。まずは貴殿の隊長就任を寿ごう。更なる活躍を期待している」
――言葉に込められた”熱”だろう。先の啖呵でも、そして今の祝辞でも、甘粕正彦は紛れもなく本気だ。
それは先に述べた礼儀の基本。誰に対しても正面から堂々と向き合うこと。
単純ではあるが、カチューシャにとっては初対面の人間からそれを向けられることは悲しいかな少ない。
彼女は年齢に見合わず、まるで少女の如き見た目をしている。身長が低いことは彼女のコンプレックスであり、そして残念なことに初対面の人間は大抵の場合それを土足で踏み荒らすのだ。
――”迷子か”と
――ノンナと一緒にいるとき、”まるで親子のようだ”と言われたことがあった。
中傷や軽蔑といった悪意ならば、強くなって己の力を見せつけてやれば済む。
だが、何気ない日常の何気ない一言はどうしようもない。
”善意”による無自覚な攻撃から始まる出会いが殆どだったカチューシャにとっては、甘粕の態度は非常に新鮮だった。
「ありがとう。それにしても、初対面相手によくあそこまで言えるわね」
だからだろうか、カチューシャは珍しく素直に礼を以て返答していた。
「こう言っちゃ悪いけれど、貴方はカチューシャたちには何の関係もない人よね?どうしてあそこまで言ったの?」
そしてまた、だからこそ気になるのだ。
甘粕の言葉を信じるなら、彼は別にプラウダの関係者ではない。端的に言えば、カチューシャに味方する義理など欠片もないのだ。
にも関わらず、彼ははっきりと己の意見を発した。当事者であるカチューシャよりも早く。
「差し出がましい真似をしてしまったかな。だが、あれらの態度に我慢できなかったのだ。俺は、陰口というものが反吐が出るほど嫌いでな」
そんな問いに、甘粕は明確な怒りの感情を乗せた声で応えた。
「言葉には責任が伴うものだ。人を呪わば穴二つと言うが、他者への攻撃とは本来それだけの覚悟を持たねばならん。己自身が墓に入る覚悟をしてこそ、初めて人を呪えるのだよ」
本来の意味と異なる諺の用法は、甘粕流の諧謔か。
「だが、悲しいかな――人は堕落する。どこまでも無責任に、身勝手に、好き勝手な御託を並べ立てる。それが陰口――先の連中がしていたことだ。
おまえはどう思う?当事者の覚悟も、恐怖も、何も知らぬ第三者が匿名の安全性を利用して一方的に攻撃してくるのだ。まったくもって馬鹿馬鹿しいことこの上ないとは思わんか?」
「……」
「そして、そんな蒙昧どもはそれゆえ何の覚悟も自覚も持っておらん。我も人、彼も人――自分たちが身勝手な言葉をぶつけている相手は、まぎれもなく生きている人間だという大前提さえ忘れているのだ。先ほどの三人が良い例だな。殴れば殴り返されるかもしれない――そんな当たり前の道理さえ理解しておらんから、いざおまえが目の前に現れればすごすごと退散する始末だ。そしてこれもまた愚かしいことに、奴らは己の振る舞いを恥じることすらせんだろう」
喉元過ぎれば熱さを忘れる――人とはそんな悪性を元来有しているから。
だからこそ、その現実を聞かされたカチューシャは腸が煮えくり返る思いでいっぱいだった。
「……卑怯者は、一体どっちよ」
絞り出すように放たれた悲嘆と赫怒の声に、甘粕は首肯した。
「然り。おまえたちは勝ったのだ。王者黒森峰を相手に一歩も引かず、それどころか策に嵌め、正々堂々と戦い抜いた。一体どこに卑怯と罵られる謂れがあろうか。作戦立案は前の隊長殿であったかな。素晴らしい輝きだよ」
そして、沈黙。
甘粕は少し冷めた紅茶に口をつけ、カチューシャは俯いていた。
――半分ほど残った紅茶から立ち上る湯気が小さくなった頃、黙り込んでいたカチューシャが口を開く。
「もしも――」
いつもの上から目線ではなく、似つかわしくない弱い声で。
「――もしも、あの作戦を立てたのが隊長じゃなかったとしたら。本当は別の人が立てた作戦だとしたら。貴方は、どう思うかしら?」
けれど、自分の弱さを見られたくはなかったから。
こんな胡乱な言い回しになってしまった。
甘粕は、そんな彼女をしばし見つめて。
「ふむ。普通の試合ならば手柄の横取りだな。おまえの言葉が真実ならば、プラウダの前隊長は他人の功績をさも自分のもののように吹聴してまわる愚物という評価が相応しいだろう」
「だが、おまえが聞きたいのはこんな一般論などではあるまい。そも、今回に限っては状況が状況だ。それを踏まえて考えれば、彼女の行動の意味は全く違うものになる。
――そして、おまえはそれを知っているのではないか?」
「……ッ」
カチューシャから逃げ場を奪う、詰めの一手を打った。
そう。本当は最初から分かっていた。
不慮の事故とはいえ、相手の戦車を川へと叩き落としてしまったこと。
そしてその時、勝利という栄光を手にするために非情な判断を下したこと。
それらに伴う身勝手な論調から次期戦車道チームを守るため、隊長が汚れ役になったこと。
そんなことは全部、分かっていた。
「……じゃあ、隊長はどうして教えてくれなかったの?ううん、隊長だけじゃない。ノンナも、他の誰も――みんな教えてくれなかった。カチューシャだけ、何も知らずにいた。どうしてよ……ッ」
天上から全てを見透かしているような男の言葉に、カチューシャの声が震える。
自分はそこまで信頼されていないのか。どこまでいっても子ども扱いなのか。
普段ならば絶対に考えもしない負の感情が湧き上がる。
「それこそ、今更だろう」
対照的に、甘粕の声はどこまでも静謐に、そして確かな熱を持って響き渡る。
「そうだな……。カチューシャ。その”ノンナ”なる者はおまえにとって、一体なんだ?」
「単なる戦車道の仲間か?それとも学友か?違うだろう。そうでなければ、わざわざ一人だけ名前を出す理由などあるまい」
その言葉に、カチューシャは改めて大切な友人のことを想った。
いつも隣にいて、いつもいつも影ながら支えてくれた。
「――絶対に失くしたくない人。カチューシャにできた、初めての対等な友達。カチューシャが世界で一番大好きな、とても素敵な人よ」
だから、素直にそう答えていた。
その言葉に、甘粕は微笑した。
「ならば、それが答えだ。おまえにとってノンナという友人が唯一無二の存在であるのと同様に、彼女にとっても
「……じゃあ、ノンナはカチューシャの考えてる事も分かってて隠し事をしたってこと?カチューシャに、傷ついてほしくないから」
それが答え。それが全て。
全ては大切な
カチューシャが顔を上げたのを見て、甘粕は席を立った。
「おまえが迷い、悩んでいる限り周囲の評価は今のそれから変わることは有り得まい。たとえほとぼりが冷めようとも、たとえそれが真実とかけ離れた妄言であろうと、一度染みついた悪評が消えることはない。そしてそれこそ、おまえの仲間が最も恐れ避けようとしている結末に他ならん。
――俺が言えるのはここまでだ。どうやら、迎えが来たようだぞ?」
「え?」
瞬間、ドアベルの音と共に何者かが店内へと駆け込んできた。
「カチューシャ!もう、心配しましたよ?」
少し息を荒げながらカチューシャの手をとったのは、紛れもなく大切な友達。
「ノンナ……?どうして、ここが?それに今日は、訓練のはずじゃ」
「休みました。
いつもと変わらない、太陽のような優しい笑顔。
ブリザードと呼ばれる彼女の
「ふふ、ふふふふ――!サボりは永久凍土で穴掘り10ルーブルよ、ノンナ?」
「では一緒にやりましょう、カチューシャ。貴女と一緒なら、私はどこへでも行きますよ」
ああ、なんだ。
結局全部、最初からお見通しだったんだ。
ならば、
どうして隠し事をしたのかと、ノンナを、そして隊長や他の仲間たちを責めることか?
――違う。
本当に大事なことは、仲間の想いに応えること。
みんなが私に、強くあれと、気高くあれと願ってくれた。
ならば隊長として、それに応えるのが私の役目。
「行くわよ、ノンナ」
「はい。……でも、ちゃんとお代は払ってくださいね?」
「その必要はない。俺が持とう。なに、正しい作法を教わった礼だ」
そんな光を祝福するからこそ、甘粕正彦は二人分の代金を置き、静かにその場を去ろうとして――
「そう言えば、貴方は?」
その前に、ノンナが立ちふさがった。珍しく他者を見上げているその瞳は明らかな警戒の念を帯びている。
だがそれを制するようにして、カチューシャが割り込んで手を差し出した。身長差がありすぎてカチューシャはかなり上向きに手が伸びている。
「――ありがとう、
その行動と言葉に、ノンナはその鉄面皮を崩して驚愕した。
あのカチューシャが素直に、真っ直ぐに、愛称までつけて礼を述べた。
しかも、これだけの身長差がありながら自分の肩車を使おうともしていない。
それはすなわち、あのカチューシャが目の前の謎の男を対等だと認めている証左に他ならないのだ。
目の前ではカチューシャと”マサーシャ”が嬉しそうに握手を交わしている。
「ちょっとノンナ!そんなところに突っ立ってちゃダメじゃない!」
分からない。分からない。
この男は一体何者だ?
……こんなにも素敵なカチューシャの笑顔はそうそう見たことがない。その要因を作ったのが、どうして自分ではないのだ。
『なぜ、貴方なのですか』
半ば独り言のように、カチューシャや目の前の男には伝わらないように、ノンナはロシア語で呟いていた。
『大した理由などない。偶然、彼女に紅茶の作法を教わっただけだ』
そしてそれゆえに、男が平然とロシア語でそう返答してきたとき、今度こそノンナの心臓がどきりと音を立てた。
『俺は何もしておらんさ。彼女は強い。たとえ俺という異物がおらずとも、すぐに太陽のような輝きを取り戻しただろうよ。なぜなら彼女の道には、既におまえという仲間がいたからだ』
『……ロシア語を』
『古い友人に
「――ッ!」
顔が熱い。今の会話がロシア語で心底よかった。
もし日本語だったら、私も、そしてカチューシャも間違いなく顔から火が出ている。
カチューシャが私たちの間で、日本語で話せと言いながら飛び跳ねている。その姿がとても愛おしくて、とても嬉しくて。
「私はノンナ――カチューシャの友達です。名前を聞いても?」
いつものようにカチューシャを肩車しながら、私はそう聞いていた。
「甘粕正彦。おまえたちの道を心から応援する、ただの旅行者だよ」
彼はそう答え、扉を開けて出ていった。
後を追って店を出たが、その背中はどこにも見えなかった。
「雨、止んでるわね」
カチューシャにつられ、私も空を見上げる。
灰色の雲の切れ間から、暖かい太陽が顔を覗かせていた。
「――ノンナ。もう少しだけ、ゆっくりしていかない?ここの紅茶、結構おいしかったのよ」
すぐ上からの言葉は、太陽の光のように暖かくて心地良い。
このぬくもりを、失くしたくないと思ったから。
もう少しだけ、独占してもいいかと思ったから。
「――はい。どこまでも、お供します」
雨は上がり、太陽が顔を覗かせたプラウダ高校学園艦。
今後の天候は、地吹雪とブリザードが吹き荒れる
うらー。うらー。
ちなみに筆者はロシア語分かんないです。
今回カッス紅茶飲んでただけですな(ヨカッタヨカッタ)