戦車道の世界に魔王降臨 作:そばもんMK-Ⅱ
おい魔王、ちょっといい加減にしろ。
静かだ、とそんなことを考えながらミッコは周囲をきょろきょろと見渡した。
耳に届くのはBT-42が放つ駆動音と、時折吹いてくる風の音のみ。
いつもならば森の中から聞こえてきて当然の鳥や獣の鳴き声がしない。
魚の撥ねる音がしない。
まるで、森に生きる全てが死んでしまったようだと。
まるで――
そして、その元凶など――
「――ちょっと。いきなり出てきて何訳の分かんないこと言ってるわけ?」
目の前に立っている、この男しか有り得ない。
たった一人の人間を、生き物たちは恐れて逃げた。この静寂は、きっとそんな信じられない理由から生まれた非現実の結界。
そう。この男がただそこに在るというだけで、世界は驚くべき変化を見せている。
……常識的に考えれば有り得ないが、きっと
だから何かをかばうように――いいや、文字通り大切な人をかばうため。
同じく異常を察したアキとアイコンタクトを交わして一緒に戦車を降り、男の前に立った。
「ミカがあんなになるのなんか初めて見たよ。……あんた、ミカに一体何したの?」
「ミッコの言う通りです。……ここまで取り乱すミカは見たことがない。それにそもそも、貴方は一体誰ですか?」
思えばプラウダから帰ってきたその時から、ミカの様子がどこかおかしかった。
まず変だと感じたのは、いつもならば持って帰ってくる戦利品がなかったこと。
そして、なんとなくではあるが雰囲気が変わっていたこと。
どうしたのかと聞いてもいつものように言葉を濁されて具体的なことは分からなかったが、何かまずいことが彼女に起きたのではないかと、そんな漠然とした不安を抱えていた。
そして見てのとおり、悪い予想は当たっていた。
背後にいるであろうミカを肩越しに見やれば、普段の掴みどころのない態度は影も形もなく肩を抱いて小さく震えている。
ミッコとアキは男の言葉の意味など分からない。だけどそれが、ミカの根幹に関わる何かを強く揺さぶるものなのは理解できた。――それがミカにとって、きっと何よりも辛く苦しいことだということも。
だから、それが許せない。
そんな勇気を、しかし男は知らぬとばかりに踏み越える。
「――
「――ッ!?」
「ひっ……!?」
ただ一言。そこに込められた尋常ならざる熱量と、絶対零度の冷徹さ。
相反しながら決して矛盾しないそれらが、物理的な圧力を伴っているかのように二人の身に容赦なく叩きつけられる。
ごく普通の少女である二人が耐えられる代物では到底ない。
「俺は彼女と話をしに来たのだ。
そう告げるだけ告げて、甘粕は座り込んだ二人の間をすり抜けるようにして戦車へと――呆然とするミカのもとへと向かってゆく。
顔を上げたミッコは見た。喜悦一色に染まった男の顔を。
笑っている。嗤っている。心底愉快だと言わんばかりに。
(……何だってんだよ、畜生ッ……!!)
何も分からず、何も出来ず、二人は事の顛末を見つめるしかなかった。
「さて。再びこうして相見えたわけだが……存外悪くない場所だな、おまえの逃避先も」
世間話をするかのような口調で、甘粕は語りかける。
「改めて自己紹介をしよう。日本戦車道連盟副理事、甘粕正彦。おまえの未来に新たな光を齎さんと願う者だ」
その言葉に闇はない。真実の誠意と礼儀を以て、甘粕正彦は怯える少女の前に立っている。
「……そんなに偉いあなたが、こんな場所までわざわざ何の用だい?」
その熱に、ミカは応えることが出来ない。肌身に感じるのは悪意ではなく、正真正銘の誠意や期待。
どこまでも清廉で王道。人とは斯くあるべしという理想像のようだと感じた。
それに比べて自分のなんと情けないことだろうか。
相手の目を見ることすら恐ろしいから目を逸らす。
彼の言葉を聞きたくないと、頭の中で猥雑な思考が巡っている。
早く終わってくれと、ただひたすらに祈っている。
「そんなに己を卑下するなよ。俺はおまえの実力と才気を見込んでいるからこそ、ここまで足を運んだのだ。今の高校戦車道の世界で、おまえに匹敵する者などそうはおるまい」
それすらも見越しているのか、あるいは知らずか。
この人の言葉に宿っているのは本気の期待。おまえは大した人物であると、素晴らしいと心底からそう思っている。
アキとミッコが困惑した様子でこちらを見ている。普通に考えればそれも仕方のないことだろう。
どんな大悪党かと思っていたら、そいつの口から出てきたのは闇も曇りも一切ない心からの称賛と期待。
一般論で語れば喜ぶべきもので、恥じる必要などない。まして怯える必要などさらに輪をかけて皆無。
だけど、それは違うのだ。
期待、称賛、栄光に名誉――それらがどれだけ痛いものか、二人は知らない。
それでいいと思っていた。あんな苦しい世界を、どうしてわざわざ知る必要がある?
この場所で、ただ楽しく戦車道を出来ていればそれでよかった。
なのに――
「どうして、こうなるんだ」
”勝利”からは逃げられない。
どこまでいっても呪いのようにつきまとい、私を苛んで止むことがない。
そうやって私は、大切なものを失ってゆく。
まるで脱出不能の蟻地獄。
そして、そんな私の嘆きを彼は見逃さない。どこまでもどこまでも、私を追いつめてくる。
「勝利とはそういうものだろう。それを目指すがゆえに傷つき、それを得たがゆえに痛みを伴う。――もっとも、俺の考えで言えばそんなものは所詮抜作どもの戯言に過ぎん。
敗者からの妬みつらみ?馬鹿らしい。そんな連中の言葉など、所詮何の熱も魂も宿らぬ空虚な負け惜しみだろう。心を強く持つがいい。己は勝者であると、満天下に高らかに示すがいい。そうすれば、勝者の道が歪むことなど決してない」
これ以上ないほど真っ直ぐで、雄々しい正論。
それは確かに理想だが、それを実現できる
「そんなの――」
怒りが恐怖を忘却させる。
戦車を降りる。ようやく真正面から向き合い、初めてはっきりと彼の顔を見た。
笑っている。愉快だ素晴らしいと、そんな歓喜と称賛一色に染まった喜悦を以て、彼は私という敵対者を歓迎していた。
蒼穹のように澄みきった男の瞳が私を映す。その眼光ごと気迫で押し返そうと震える魂を燃焼させた。
「――そんなの、無理に決まってるだろう!」
……そう。そんなことは不可能だ。少なくともまともな精神を持っていては、無限に続く地獄に耐えられる道理などない。
「思い通りにならないことに囲まれて、心を日々削られて、それでも真っ直ぐ前を向いて進めだって?確かにそれは理想だろうさ素晴らしいよ。だけどそんな辛く険しい道を好き好んで歩めるほど、私は強い人間じゃない……っ!」
自分が普遍的な人間の精神を体現しているなどと、そんな自惚れは言わない。
だけど、人間ならばそうあるべきと高すぎる理想を語る彼が間違っていると言わなければならない。
「……分からんな」
そんな精一杯の反駁を、彼はやはり変わらぬ表情で受け止めて、一転静かな声色でそう言った。
「おまえならば逃避を選ぶと思っていたよ。逃げ場のない理論で崖の端まで追い込んでも、崖の下へと逃げるとな。……だが、おまえが選んだのは反論。ああ分からんな、
その言葉に、私の思考が一瞬停止した。
あの時?
私にとってのあの時とは、紛れもなく■■の家でのことで。
「それならば最初から逃げる必要などなかっただろう。……ああ全く、これでは
「――――」
真っ白になった思考のまま、気づけば彼の頬をはたいていた。
「――そう。その目だよ」
だというのに、彼は気にした様子もなく言葉を紡いだ。
「おまえは俺を見た時に、まず逃走という選択をとろうとしたな。だがそれは仲間二人が戦車を降りてしまったことで破綻した。そうして逃げ場がなくなったと見るや、今度はいきなり反論と、そして今の攻撃だ」
「ああ、勿論煽るような真似をした俺が悪いとも。だがそれにしても、おまえの方向転換は急すぎる。逃げの算段も現状への悲嘆もかなぐり捨てて、最も攻撃的な選択に至ったその要因は一体なんだ?」
…………。
「これ以上どこにも逃げられぬと悟ったから?否。それが出来る人間ならば、そもそも最初から逃げることなど選ぶまいよ。人の堕落には際限がない。一度道を外れれば、後は坂を転げ落ちるが如く破滅へと一直線。それこそが人の持つ拭いがたい宿痾であり、だからこそおまえの選択は不可解だ」
怠惰というものはどうしても甘美である。現実から逃避し偽りの快楽に身を任せることは楽で、この上ないほど幸福に破滅する。
だからこそ、かつてこの男はそれを無くそうとした。あらゆる人間から逃げ場を奪い、さすれば必ず立ち向かってくれると信じたがゆえに。
そう。誰よりも人間を見てきた甘粕正彦ですら認めたのだ。
人は、踏み外した道から己の意思のみを動力に帰還することは難しいと。
「それを指して自由に、好きなことをやっているとでも?それこそまさかだろう。決して終わらない正論と期待の連鎖――おまえはそれを苦痛に思い、あの場所を捨てたのだから」
土壇場で逃避を選ぶような人間であるならば有り得ないと、そんな矛盾を突きつける。
であれば、それはおそらく矛盾ではない。そもそもの前提が間違っているのではないかという問いだということに、ミカは気づいた。
「ゆえに問おう――おまえは一体何がしたいのだ?」
だからこそ甘粕正彦は言葉を投げかける。
おまえの歩む道とは一体何だと。それさえ分からぬようでは碌な結末にならないと。
「勝利か?敗北か?あるいは逃走か?
逃げるのならば荷物は幾つだ?何処を目指していつまでだ?――それを確と自覚するがいい。でなければおまえは何も得られず、そして何も守れないまま変わらない。
そして、俺は
今がその時だと伝えるために。
尻を蹴り上げて分からせるために。
そのために自分はやってきたのだと静かに語る。
「私は――」
ミカの言葉を遮り、甘粕は言葉を続ける。
「ゆえに、おまえに道を示そう。我々日本戦車道連盟が、現在日本国内におけるプロリーグの設立と国際大会の誘致に向けて動いているのは知っているな?俺はそれに向け、国際強化選手を選抜せねばならんのだが――」
既に数メートルに過ぎない距離をさらに詰める。
「――――」
そして一瞬視線を交わし、そのまますれ違って――
「――俺はおまえを推薦するつもりだ。継続高校の隊長殿。いやそれとも、■■■■と呼んだ方が良いかな?」
忘れられぬ過去とともに、最高に不名誉な栄光を叩き付けた。
「継続一家の扱い悪いんじゃボケ!」と気分を害された方がおられましたら申し訳ありません。
これも全部狩摩が悪い(暴論)