戦車道の世界に魔王降臨 作:そばもんMK-Ⅱ
「――――」
息が詰まる。
喉が渇く。
突きつけられた最高に最悪な未来に対して、しかし私は何の反応も出来なかった。
反論や反駁をするか?――無理だ。
ならば逃避か?――出来ない。
いっそ彼の提案を受け入れるか?――嫌だ。
真っ白になった頭に浮かぶのはそんなマイナスの感情と現状からの逃避ばかり。
何一つこの場を乗り切る案は浮かばず、ただただ黙り込んでいた。
このままでは駄目だと分かっていても、私は下を向くばかり。
昔と何一つ変わらない自分の弱さに、いよいよ涙が零れた。
「――ごめんね」
謝罪の言葉は一体誰に向けてのものか、当の自分でさえ分からない。
「ごめんね……ごめんね……っ」
壊れたカセットテープのように、何度も何度も嗚咽が漏れた。
「ごめんね。ごめんね。ごめんね、ごめんね、ごめんね……っ!!」
何度も、何度も――何度でも。
どうしようもない現実という不条理を前にして、決して特別な存在ではない私が出来ることなど何もないのだ。
――いや、違う。
「……?」
ふと、両手に暖かい感覚。
目を開けて、顔を上げて、何だろうと見てみた視線の先には――
「――アキ、ミッコ」
――全てを捨てて逃げたこの場所で見つけた、大切な二人の笑顔があった。
「ちょっと待ってて」
ミッコが背後で佇む彼にはっきりとした口調でそう言い、アキが私の手を引いてキューポラを開けた。
「――大丈夫だよ、ミカ」
手を引かれるまま慣れ親しんだ車内へ入る。一番最後にミッコが入ってキューポラに腰をかければ、そこは紛れもなく私たちの世界。いつもと少し配置は違うけれど、私の大切な場所が戻ってきた。
「はい、これ」
置きっぱなしになっていたカンテレをアキが拾ってくれた。
私はそれを受け取り、胸に抱く。
「――大切なものでしょ。忘れちゃダメだよ?」
その言葉が、何故かどうしようもなく胸に響いた。
まるで子供のように誰かに許しを請うミカを、これ以上見ていられなかった。
ああ、だってそうだろう。
涙を流し、肩を震わせながら俯いて――そんなの、とても不自然じゃないか。
私が知っているミカは、いつだって静かに笑っていた。
あたしが見てきたミカは、いつだって楽しそうだった。
――それはひょっとしたら、私がまだ彼女を全然理解できていないだけかもしれない。
――それはひょっとしたら、あたしがまだ彼女の一部分しか知らないだけかもしれない。
けれど、そんな一面――ミカがこの場所で見せてくれた笑顔は紛れもなく本物だった。
自分が知っているのは彼女の一部分だけかもしれない。
部外者であるという彼の言葉も、間違ってはいないのかもしれない。
でも――
「それを、大切だと思うから」
「失くしたくないと思うから」
――ミカは友達だから。
そんな彼女が泣いている。理由など分からないけれど、そんなものはどうでもいい。
ただ、全然似合っていないと伝えたかった。
だから立ち上がろう。目の前のこの人はとても恐ろしいけど、そんなことはどうだっていい。
やるべきことは変わらない。
そうしてみれば、隣で全く同じタイミングで立ち上がる姿が見えた。
「行こう、アキ」
「うん」
短い会話を交わし、そして歩き出す。
今度は、何故か止められなかった。
「――ミカ」
アキが呼びかけるが、ミカは俯いたまま答えない。
だから二人は、そっとその手を握った。
「――アキ、ミッコ」
ようやく上がったその顔は、やっぱり全然似合っていなかった。
だから一刻も早くもとに戻ってほしいと、BTの中に彼女を誘った。
車内に置いたままになっていたカンテレを手渡せば、まるで縋るようにそれを抱きしめている。
いつもならば絶対に有り得ない。少なくとも、ミカがこのカンテレを持っていないのを見た記憶などない。
「――ミカ」
カンテレを拾ってきたアキが、そのままミカに寄り添うようにして隣に座りながら口を開いた。
「私は、ミカに何があったのかは知らない。どうして苦しんでいるのかも分からない。
――でも、だからこそそれが許せない。そんな似合わない顔をしてほしくないと、そう思うんだ」
自分が今、何をすべきかすらも分からない。それでも、大切な友達に寄り添ってあげることくらいは出来るし、そうすればきっと涙を止めてあげることくらいは出来ると信じている。
「ミカは一人じゃない。あたしがいて、アキがいる。全部全部一人で背負い込んでたら、今みたいに自分のことさえ分からなくなっちゃうよ」
自分たちはアキの言った通り、ミカがどうしてこんなにも泣いているのか分からないし、知らない。
「あたしもアキも、ミカのことをまだ全然知らない。だけど……ううん、だからこそ力になれる」
不完全であることは、即ちそこに可能性があるということ。
何も知らないし分からない端役だからこそ、その関わりの中に見えてくるものがある。そしてそれはおそらく、ミカにとっても自分たちにとっても大切なもの。
「自分と向き合うには、自分を知らない人と関わること。だから、ミカ。どうして泣いているのか教えて。
そうすれば見失った道も、隠れた本音も、きっと見つかるよ」
全部全部曝け出せなんてことは言わない。
ただ自分たちにも、ミカの痛みを背負わせてほしい。
そんな言葉に――
「……ありがとう、二人とも」
ようやっと、私は少しではあるが笑うことが出来た。
ああ、私はなんと恵まれているのだろう。
こんなにも素敵な友達がいる。支えてくれる仲間がいる。
「君たちは、私にとってどんな宝石よりも勝る――最高にきれいな宝石だよ」
それが本当に嬉しくて、だから私も決心がついた。
「ねえ、二人とも――”勝利”って、何だと思う?」
答えはない。当たり前だ。そんなに簡単に見つかるような答えならば、そもそも私はここまで迷わない。
それでも、私はただ聞いてもらえるだけで嬉しかった。
自分の弱さを人に見せることは辛くて、恥ずかしくて、恐ろしいものだ。
だから私は、傷を誰にも見せたことは無かった。つきまとう過去が恐ろしかった。本当の自分を知られるのが恐ろしかった。
そうすることで自分を守っていたけれど、そうすることで自分を傷つけていた。
隠し事はいつか必ずばれるものだ。
いつかは分からない、しかし必ず訪れる破滅の時。それに怯えて、けれど何も出来なかった。
だから、今こうして己を曝け出そうと話していること自体初めての経験で、これがどういう結果を齎すのかは分からない。
「――今から話すのは……そんな袋小路に迷い込んでしまった、旅人を気取った少女のお話だ」
己の傷を抉ることになる。きっと痛いし、苦しいだろう。
けれど、今の私は一人じゃない。
だから、と踏み込んでゆく。奥へ、奥へと。
「その子は、とある戦車道の名家に生まれた。一人目の娘だったから、生まれたその瞬間からその子は大きな期待を寄せられていたんだ。……家の跡取りとして、ね」
それを不幸と捉えるか、逆に幸福と捉えるかは人によって変わるだろう。
生まれた瞬間からレールの敷かれた人生とは、逆に言えばその上を進む限り安泰であることの裏返しなのだから。
「幸せだったか、と聞かれたらなら……そうだね。その子はきっと困った顔をして黙り込んでしまうと思う。ただ一つ確かなのは、その子はそんな家に生まれたからこそ戦車道というものに触れることが出来たんだ。
――そして、心からそれが好きになった。楽しかったんだ。何にも縛られず戦車に乗って、仲間と笑いあって、対戦相手と互いの健闘を称えあって。少なくともその時に限れば、幸せだったんだ」
どこか遠い所を見ているような目で、ミカは訥々と言葉を続けた。
「だけど、そんな幸せな時間は長くは続かなかった。大きくなるにつれて、その子を取り巻く戦車道は変わっていった。……簡潔に言えば、跡取りとしての責任がいよいよのしかかってきたんだ。日々の訓練は厳しくなって、何をやっても後継という肩書が先行するようになった。……この時点で、その子が好きになった戦車道は殆ど残っていなかった」
勝つためにはあらゆる手段が正当化された。
昨日まで笑いあっていた仲間が、突然壁を作ったような態度になった。
「全ては期待から。後継者ならば、あなたならばと……望んでもいないのに勝手にそんなことばかり言われて、果たさなければならない使命とか、責務とか、そんな重荷だけが増えていく。……知っているかい、二人とも。
有名になるとか、尊敬されるとか――そういう栄光というのは、同時に痛みも伴うんだ。時に敗北よりも辛く、苦しい痛みをね」
実力を発揮すればするほどに。努力すればするほどに。
現状を変えようとどれだけ頑張っても、逆にさらなる痛みが襲ってくる。
「そして、不幸なことにその子は”勝てる”側の人間だったらしい。その子自身はこれっぽっちも欲しいなんて思わないのに、望まぬ勝利を重ね続けた。厳しくなった訓練にも必死で食らいつき、いつも身をすり減らして勝ちを掴んだ。――これで最後だと自分を励まして、現状を変えようと勝利を願って……けれど、
むしろその逆――全く同じような事態が、さらなる難易度でやってくる。次の相手、次の課題、次の訓練、次の次の次の次の――それこそが、
それに耐えられるだけの精神を持っていればよかった。
あるいはいっそ、何の変哲もないごく普通の只人として生まれたならばよかった。
「それでも、その子がなんとか壊れずにいたのは……その子の妹の存在が大きかった。いつも後ろをついてきて、真っ直ぐな目で言うんだ。自分も姉のようになりたい、姉に負けない立派な戦車乗りになりたいってね。……それは確かに期待という重荷だったけれど、何故か痛くなかったんだ。
――だから、その子は妹が目指すに相応しい格好いい姉であろうと決めた。そして同時に、妹を決して自分のような苦しい目には遭わせたくないとも。だから、伝えたんだ。
”戦車道には、人生の大切なすべてのことが詰まっている”、とね」
黙って話を聞いていたアキとミッコが僅かに目を見開く。
ミカが一度、深く息を吐いた。
「まだ小さな妹には……いや、当の本人でさえその意味はよく分かっていなかったかもしれない。けれど、きっと二人ともその根底にある信念だけは分かっていた。
戦車道は戦争とは違う。勝つことはあくまでもその理念を実現するための通過点の一つに過ぎない。当時のその子がそんなところまで考えていたかは分からないけれど、それでもその子にとってその言葉は精一杯の反抗だった。抗えない激流の中で流木にしがみつくように、その子自身がその言葉と妹に縋っていたんだ」
どれだけ足掻いても現状が変わらないなら、せめてその中で自分だけは見失わないように。
そうすればこの蟻地獄の中でも耐えられると、そう思ったから。
「だけど、そうやって一つの試練を乗り越えた先に待っていたのは更なる試練。ちょうどその頃、妹が初めて大会に出場することが決まったんだ。その子の家が主催するもので、妹たちと同じ世代の子たちが出場する、どちらかと言えば親善試合と言った方が適切かな。勝ち負けよりも戦車道という競技の裾野を広げようとしたみたいだけど、そこに待っていたのは目を背けたくなる現実と、そしてこれからの末路の先触れとも言える事故だった」
見たくないものから目を逸らすように、ミカは開いたキューポラから覗く青空を見上げた。
しばらくの沈黙が車内に満ちる。
「……この前の全国大会決勝、覚えてるかい?」
再び口を開いたミカは、一見無関係に見えるそんな問いを投げた。
アキとミッコも、もちろんそれについては知っている。
首肯した二人を一瞥し、ミカは再び視線を空に向けた。
「風の噂によれば、今黒森峰と、そして西住流では
武道でもスポーツでも、その目的は健全な心身の育成にこそある。その中で死人が出ることも、ましてそれを隠蔽したり許容したりすることなど言語道断だろう。
だが、よりにもよってそれが起きた。
「戦車道は安全を期しているけれど、それは絶対じゃない。……運悪く、その子の妹の対戦相手の一輌に火災が起きてね。燃えているその車内に、乗員が残ったままになってしまったんだ。まだ子供ばかりで、そんな突然の事態に誰も動けなかった。救助が来るまでには時間が必要で、その間燃えている車輌が無事である保証なんかどこにもない。
――そんな時、その子の妹が動いた。その当時から戦車道に関わっていたのが役に立ったんだろう、すぐさま救助に行ったんだ。ちょうど、黒森峰の副隊長みたいにね。我が身も顧みず必死に、そして冷静に対処したおかげで死人は出なかった。軽い火傷で済んだけれど、言い換えればあの時妹が助けに行かなかったら……どうなっていたか分からない。かくして試合は無事に終わり、その子も妹の行動を誇らしく、そして嬉しく思った」
柔らかい笑みを浮かべていたミカだったが、すぐにその表情に影が宿る。
「――でも、話はこれだけじゃ終わらなかった。試合が終わって少し経ったある日、火傷を負った子の親が家に来たのをその子は見た。火傷がまだ完治していない娘を連れて、家元であるその子の母親に会いに来たんだ。詳しい事情とか、事後処理のことを聞きに来たのかと、その子はこっそり様子を窺うことにした。……でも、聞こえてきた会話の内容は全然違ったんだ。
――”うちの馬鹿娘が申し訳ありません”だって。……信じられるかい?怪我をした娘を馬鹿呼ばわりして、事態の対応力がどうこうと説教をして、強引に頭を下げさせていたんだよ。家元も家元で、口では謝罪の必要はないと言いながらこの事件を隠蔽した!なんだそれは、ふざけるなっ!」
声を荒げたミカに、二人が一瞬体を震わせた。
今まで見てきた彼女からは想像も出来ない、怒りと悲しみとやりきれなさが滅茶苦茶に混ざり合った声。
荒い息を整えながら、ミカが自らの胸に抱えたカンテレに目を落とした。
「――後になって、その子が戦車道を辞めたと聞いた。そしてその時悟ったんだ。……これが、戦車道の未来なんだって」
勝つためには犠牲も厭わない。
勝つためには手段を選ばない。
通過点から到達点へ。勝利のみを至上とした血みどろの競技。
それこそが戦車道という嗜みが辿る末路だと思った。
「さっきの彼が持ってきたプロリーグもその一環だ。競技として確立された戦車道では、戦車は単なる道具へと成り下がる。誰もが勝つために欠点を潰し、戦いは高度に理論化されて、強さのみが正義になる。そうして戦車は選ばれた一部の人間の所有物になって、弱い者はそれをただ見上げるだけになる。――私は、それが嫌だった」
単なる道具や手段となってしまえば、そこに楽しみなど最早見出せない。いいやむしろ、それによって生活が左右されるという重圧から、戦車のことを嫌いになってしまうかもしれない。
そんな可能性の未来を見てしまったから。
「耐えられなかったんだ。そんな辛い未来を見ることが。そして何よりも、私自身がそれを推し進めなければならない立場にあったことが。……だから、逃げたんだ。勝手にやってろ、ってね」
「
傷を抉られたくないから、私は旅人を気取った。自分の弱さや罪と向き合うのが怖いから、名前を捨てた」
それこそが名無しの真実。誰にも傷跡を見せないために。忘れ去りたい過去から少しでも離れるために。
「けれど、逃げ続けることなんか出来やしない。私が世の全てを忘れようとしても、世間は私のことを忘れてはくれない。……どこまでいっても、過去という鎖が私を捕まえて離さない。本当の意味で自由になることなんか、真実出来っこないんだよ。ちょうど今、
積み重ねた勝利ゆえ、私の心はこんなにも痛い。
「私の言っていることが、結局は弱者の論理だってことくらい分かっているさ。どんな武道でもスポーツでも、その根底にある理念を守り続けることなんか不可能だ。有名になればなるほどに、人気が出れば出るほどに、そこには多くの色が集まってくる。純粋な単色のままあり続けることは出来ないと、分かっているんだ」
利害、名声、策謀に権益。他ならぬその世界を愛する人間やその将来を憂う人間によって原初の荘厳はかき消されてゆく。
子供のように純粋に楽しむことが出来なくなって、誰もが必死に競技と化したそれをしなければならなくなる。
逆説的に言えば、そうしない限りその世界は衰退するのが自然な流れなのだ。
理想や理念とはあくまでも目標に過ぎないのであって、それを至高としてしまえばそもそも武道や競技として成り立たない。
例えば、大抵の学生スポーツの目的は教育とされている。
勝ち負けではなく、そのスポーツを通して礼儀や礼節といったものを学ぶ――誰しも一度くらいは耳にしたことがあるだろう。
では、それを額面通り受け取ってしまえばどうなる?勝利には何の価値もなく、そこに見出すものによって価値が決められるとは、一体どんなものか?
極論、勝負に勝ったにもかかわらず少々礼儀に欠けていた。理念に反している――などと言われて泥を塗られるような世界が生まれるだろう。
そんな世界で、一体誰が馬鹿正直に勝利を目指して努力するだろうか。いいやそもそも、そんな狂った世界には普通の感性を持っている人間ならば近寄ろうとさえしないのではないか。
「”勝利”は確かに素晴らしいものだよ。その価値が貶められるようなことは、それこそ絶対にあってはならない。だから人はそれを求めて、そう簡単には届かないからこそ希う。その
それこそが正道。それこそが王道。――それこそが、摂理。
「でも、それじゃあその流れについていけない人はどうすればいい?所詮お題目に過ぎないと言われる
……だから、私はずっと迷っているんだ」
”勝利”とは何なのか。
”栄光”とは何なのか。
それを得れば、人は本当に幸せになれるのか。
「……
”勝利”とは素晴らしいもの。
”栄光”とは誇るべきもの。
それを得るために研鑽を積み、努力してライバルたちとしのぎを削る。その果てがどんな結末であろうと、それこそが人間の輝きであり幸福である。
真っ直ぐ前を向いて進み続けることが出来る人間は、きっとこんな風に考えているのだろう。
けれど、そんな正論で全ての人間が納得するわけもない。
少なくとも私は、そんな
「……私は、どうするべきなのかな」
思考は再び回帰する。
出口の見えない森の中を、彷徨い続けている。
けれど、その森には火がついていて。
その場に留まっていれば破滅すると分かっているのに、私は出口を見つけることが出来ないのだ。
勝ち負けがあるなら勝ちたいと思うのは当たり前です。
しかし中には、純粋にその競技が好きな人もいるわけで。だけど大抵は勝つために色々言われて、好きだったはずのものがだんだん楽しくなくなって、最終的には苦痛に変わってしまうことがあると思います。
……これガルパンの話だよね?俺何書いてんの?(錯乱)