昼休み。
クラスメイトのたわいない話を背中越しに聞き流しつつ、私は持参したランチボックスを開き、昼食に舌鼓をうっていた。
我が八尺学園は給食制を採用していないため、生徒は弁当を持ち込むか、学食ないし購買を利用することを迫られる。
たまに学食を利用するのも嫌いじゃないが、アンナ手製のお弁当は悪くないし、クラスメイトから(弁当箱の中身に)注がれる羨望の視線も悪くない。
本日のメニューは、胡桃入りライ麦パンに、分厚いハムと燻製チーズ、玉ねぎの酢漬けを挟んだサンドイッチ。バターとマスタードが効かせてあって、パンの濃厚さに負けていないが、意外なほどしつこくない。付け合わせの白ヴルストやザウアークラウトもいい塩梅の出来である。
本来ならウナギの燻製やレバーヴルストの方がライ麦パンには合うのだが、匂いがきついので学校に持ち込む勇気はない。
持参した水筒からお茶を注いで一口すすり、私は一息ついた。自家製のハーブティーが、酢やマスタードに蹂躙された口内を洗い流した。
本当はビールかシュナップスが欲しい。我が家は飲酒に寛容で、私も七つの頃から嗜んでいるのだが、日本の法律も公共良俗とやらもそれを許さないのでは仕方ない。
「相変わらず、美味しそうだね。ウィンナ、一本ちょうだい」
そう言いながら、お箸を差し出してきたのは、隣の席の滝沢百恵。くりくりしたくせ毛と人懐こい笑顔が魅力の、一ノ宮にある宿屋の娘だ。
おそらく小さい頃から接客業を間近に見てきたせいだろう、帰化して一世紀も経つのに異人風の顔立ちを残しているせいで、なかなかクラスに溶け込めない私のような女にも、気さくに接してくれるのである。
「その揚げ物と交換でどう?」
「これ、中身は海老の真薯だけど、それでもいい?」
「海老のお団子、好き」
あーん、と開けた口に押し込まれた、枝豆入りの海老のすり身の揚げ物を咀嚼する。ほんのりと塩味のきいた上品なお味で、上にかかった葛餡がたまらない。流石、老舗旅館の娘。お弁当もレベルが高い。
代わりに私のバスケットから、茹で上げられた白ヴルストを一本差し出した。粗挽きマスタードを添えるのを忘れてはいけない。
「皮は厚くて硬いから、剥いて中身だけ食べてね」
「ん〜、ハンペンとか蒲鉾みたいでおいしいね」
むにゃむにゃと幸せそうな顔でヴルストを貪る娘のかわゆさよ。
百恵は人当たりが良く、クラスでも男女関係なく人気がある。放課後は実家の手伝いに駆り出されているため、茶道部に所属しながらあまり顔を出せていないそうだが、それでも週に一度のお茶会には出席しているので、完全な幽霊部員を決め込んでいる私と違って出来た子だ。
「よしよし、フレッシュチーズもお食べ。今日のジャムはラズベリーよ」
「わーい、礼ちゃん家のゆるふわチーズ大好き!」
目を輝かせた百恵のお弁当の蓋に、私はアンナ手製のチーズを取り分けた。
「わたしもそれ欲しいな」
横から割り込んできて、丸いタッパーに詰まったデザートチーズに物欲しそうな視線を向けているのは、水泳部の反町真琴だ。
「マコちゃんお帰り。食堂混んでた?」
「めっちゃ混みまくりだった。おまけに冷房の調子が悪いみたいでさ。蒸し暑くてたまらないから、ザバっと食べて出てきたよ」
真琴は汗でひたいに張り付いたベリーショートの髪をタオルで拭いつつ、主不在の空いた椅子に適当に足を組んで腰掛けた。…相変わらず男前だねえ。
ランチセットのデザートらしきプッチンプリンを持っているところからして、よほど急いで出てきたのだろう。
「プリン、一口くれたら、わけたげるわよ」
「オーケー、それで手を打とう」
彼女はサバサバした性格で、私にも物怖じすることなく対応する稀有な人物だ。実家の乾物屋は滝沢旅館が大のお得意様らしく、百恵とは幼い頃からの付き合いだそうだ。その縁で私ともそこそこ親しくさせて貰っている。
それに意外と事情通で、抜かりなく色々な情報を仕入れて教えてくれる。友達の少ない私が、周囲の話題に乗り遅れず、あまり浮かずに過ごせているのは、真琴のおかげだった。
「そういや、聞いた?今日から放課後の部活時間が短縮だってさ」
「え?知らないよ、本当?」
「マジだよ。さっき食堂で、山南部長が怒り交じりにぶち上げてたから」
「いつもの期末試験前の短縮とは違うの?」
ジャムを乗せたチーズをのほほんと食んでいた私がそう指摘すると、真琴は苦々しそうに、無期限短縮らしい、と告げた。
そして、声を潜める。
「…ここだけの話だけど、どうも二組の岩田が一昨日から家に帰ってなかったんだって。どうも帰宅中にいなくなったらしいよ」
それを聞くと、百恵がびっくりしたように目を瞬かせた。
「え〜、またなんだ。最近多いよね、これで何人めかな」
「一組の石橋に、三年生の久賀誠、高等部からも二人出てるから、合わせて五人」
「うわあ、いっぱいだ」
青春のうら若き衝動から窮屈な家を飛び出して放浪したい気持ちはよく分かるが、いくらなんでも夏休み前に五人というのは、多すぎる。
つまり、彼らは意図的に家を出たのではなく…
「それって、例の行方不明事件絡みってことかしら?」
「そう。おかげで職員会議が大荒れだとさ」
ふむ…昨日、山に埋めた死体の中には、同級生らしいのは、居なかったとは思うが?
「まあ、岩田はともかく、他の四人は部活帰りに行方知れずだからね。そのせいで放課後の部活時間は無期限短縮。高等部の先輩方もキレてるらしいよ。最後のインター前なのに、ってさ」
実際、スポーツを売りにしているこの学園で、この時期に部活動を制限するなんて尋常じゃないことだ。
「うちの佐々岡顧問と陸上部の寺田先生が最後まで抵抗したらしいけど、教頭に押し切られたって。たぶん、帰りのホームルームで正式に通達があるんじゃないかな」
…もしや、それであの女、機嫌が悪かったのか。
「マコちゃん、水泳部の強化合宿はどうなるの?前から楽しみにしてたよね?」
「それもわからないね。クッソ、今年は熱海の合宿所取れたから、楽しみだったのに!」
真琴は苛だたしそうにタッパーの蓋に乗せたチーズをプリンのスプーンでかきこんだ。
「あたしらはまだチャンスがあるから良いけどさ、三年の先輩方は哀れだよ。こんなんで練習に打ち込めなかったら、必ず悔いが残るね」
幽霊文化部員には縁のない考え方だが、私は真琴のそういう真っ直ぐなところを気に入っていた。
「…ねえ、真琴。お兄さんからは、何か聞いてないの?」
「おや、お嬢がこういう話に興味示すのは珍しいね」
真琴は悪戯っぽく笑った。小等部のときから私のことを「お嬢」と呼ぶのだけは何度も改めさせようとしているのだが直らず、今では半ば諦めている。
「茶化さないで。確か、念願の刑事になれたって、聞いた気がするけど?」
真琴のお兄さん、反町稲作氏は何を隠そう、県警の警官である。小さい頃に流行った刑事ドラマに憧れて警察学校の門を叩いたそうだが、実家の乾物屋を継ぐ継がないで父親と揉めに揉めて大喧嘩をしたらしい。
「アニキからは特に何にも聞いてないよ。ていうか、最近は署に泊まり込みでろくに帰って来ないんだ。行方不明事件のせいでさ」
真琴はお手上げとばかりに両手をあげた。
そちら方面の情報は期待しても無駄か。あるいは、父の方ですでに何か掴んでいるかもしれないが、あの狸がそうそう情報を出すわけもない。しかし、帰ったらダメ元でつついてみることにしよう。
数少ない友人の憂いを解決するのはやぶさかではないし、この街を預かるセカンドオーナー代行としての矜持もある。
ちょうどその時、予鈴が鳴った。
「全員、席につけ」
ほぼ同時に教室の扉がガラリと開き、数学担当の塩田先生がいつも通り陰鬱な顔で入ってきた。
「出席をとる。赤羽隼人」
「はい」
まるで温かみのない声だが、我が校に採用されるまでは予備校の臨時講師で糊口を凌いでいたらしく、これで教え方は抜群にうまい。
塩田先生は淡々と出席をとり、全員が出席していることを確認すると、授業を始めた。
「さて、期末テストが来週に迫っている。夏休み前の最後の正念場だ。今週はこれまでのおさらいをするつもりなので、復習をしっかりしておけ。特に重要箇所は板書に赤書きするから、残さず書き取るように」
期末テストに必ず出すと強調しながら、一次連立方程式の解法について、簡単に板書に要点を書き込むと、練習問題のプリントを配った。
「問題用紙は行き渡ったな。制限時間は5分。はじ・・・香山先生?」
時計を確認しながら開始の合図をしようとした、まさにその時だった。
「塩田先生、授業中に申し訳ございません。少しよろしいでしょうか」
教室の扉が音を立てて開き、我が2年3組担任の香山佐織が不意に入ってきた。何やら深刻な顔をして、塩田先生に耳打ちをしている。
そして、二人揃って私に視線を合わせた。
思わず、嫌な汗が、背筋に伝う。
「来栖君、下校の準備をして香山先生についていきなさい」
表情の乏しい塩田先生の顔が、わずかばかり悲壮感に歪んでいた。
「・・・わかりました」
私は通学鞄に手早く教科書やノートを放り込み、体育着の入ったスクールバックを手に取ると、香山先生の後に続いて教室を出る。
急ぎ足で構内を歩きながら香山先生は、父が交通事故にあったらしい、と告げた。
「詳しい状況は分からないのだけど、葉山の病院から連絡があったらしいの。来栖さんの家のお手伝いさんからも、学校に連絡があって、車ですぐに迎えに来るそうよ」
ガン、と頭を殴られたような衝撃が走った。
思わず、崩れ落ちそうになった体を、香山先生が支えてくれた。
「気をしっかり、来栖さん!私も病院まで付き添うわ」
…いや、それはまずい。
本当に、父の身に不測の事態が起きたのなら、やるべきことは、他にある。
魔術刻印がとうに私に譲渡されている今、優先されるべきは、父の安否などではない。
私は、来栖家の魔術師なのだから。
「…先生、それには及びません」
こちらを心配そうに見つめる香山先生に、眼鏡を外して視線をあわせる。
「Beat/鼓動せよ」
目から暗示を叩きつけると、すぐに眼鏡をかけ直した。
すでに先生の瞳は焦点を失っている。精神操作の魔術は苦手だが、流石に相手が一般人ならこの程度の芸当はできる。
「私は、大丈夫です。付き添いは、結構です。よろしいですね」
「…そ、そうね。わかったわ」
そのまま呆然と立ちすくむ先生を後に残すと、私は急ぎ足で校門に向かう。
下駄箱から靴を取り出すのすらもどかしく、かかとを踏みつけながら慌てて外に出ると、すでに校門前には、我が家の黒塗りのキャデラックが停まっていた。
「お急ぎ、ください。急行します」
運転席では、アンナが無表情にハンドルを握っていた。
「アンナ、急いで!」
座席のドアを乱暴に開け、飛び込むように乗り込むと同時に、アンナはアクセルを思い切り踏み込み、まっすぐに『自宅』へと急行した。
同時刻。
一ノ宮にある、とある雑居ビルの屋上。男がひとり、欄干に持たれるようにして、立ちすくんでいた。
男は外国人だった。浅黒い肌に細身の体、あご髭を蓄え、この辺りでは珍しい、中東系の面立ちをしている。
男は、八尺学園から法定速度を無視したスピードで突っ走り、来栖家の玄関に乗り付けたキャデラックから、黒いセーラー服を着た少女が吐き出されるのを見届けると、使い魔と共有していた視界を閉ざした。
「いや、ただの小娘かと思えば、案外、魔術師としては冷静だな」
素直に病院にかけつけてくれたら、待ち構えていた男の部下達によって、たやすく軟禁できただろう、
だが、自らの工房に引きこもられたとなると、引きずり出すのが手間だ。
昨日、男の仲間の一人が先走り、来栖礼子の誘拐を失敗したのには頭を抱えたものだが、結果的にはそれを奇貨として、逆に本命である来栖譲二の暗殺に成功したまでは良かった。
娘を狙われたために、案の定、来栖譲二はそちらの守りに厄介なホムンクルスどもを動員したのだ。
手薄になった譲二本人には、さほどの護衛も付いてはおらず、ノコノコ外出したところに、死者に変えて操った大型トラックのドライバーを数台連続して突っ込ませたら、あっさり片が付いた。
あるいは自らの魔術によほど自信があったのかは知らないが。まあ、それはいい。
後は協会が介入してきて土地を横からさらわれる前に、龍脈の起点や、来栖の研究成果を根こそぎ抑えてしまうのは、わけのない仕事だ。
そうすれば、男も自らの主人に対して大いに得点を稼ぐことができるだろう。
実際のところ、男が指示されていたのは、八坂市から西に遠く離れた、とある大霊地にて開催される魔術儀式に、主人が参加するための下準備だ。
数年後に迫る儀式に有利に介入できるよう、霊地の近くに拠点を設けることを命じられている。
しかし、あまり本命の霊地近くに堂々と拠点を設けては、彼の地の管理を協会に認められたセカンドオーナーを警戒させてしまう。また、あの土地には聖堂協会と呼ばれる組織も関心を持って注視しているらしく、彼らを刺激すると、なかなか動きにくくなる。
そこでワンクッションおくつもりで目をつけたのが、やや離れているこの八坂市だ。霊地としてはせいぜい二級だが、後方拠点としては悪くない。
それに、八坂市に狙いをつけたのには、男にも独自の思惑があった。
男は、とある魔術師の一門に連なる門派の人間だ。
もう何百年も前から、魔術的に有力な土地や魔術書、触媒などは既存の家に抑えられていて、新たに魔術を学ぶには、そういった先達の魔術師に取り入るしか術がない。
だが、魔術師は自らの魔術を他者に漏らすことを極端に嫌う。
故に、魔術師の一門に取り入ると、魔術を学ぶことを許される代わりに、子々孫々に渡って忠誠を捧げることを余儀なくされる。男もまた、そんな一族の人間だ。
だが、そろそろ一門の手に拠らない、独自の基盤を手に入れておきたかった。
そうすると、場所が極東の片田舎というのも、考えようによっては都合がいい。協会の監視がおざなりになりがちだし、男の主人も彼の魔術儀式さえ済んでしまえば、僻地の二級霊地に興味など持たないだろうから。
そのためには、あの来栖の小娘をどうにかする必要がある。
流石は魔術師の後継者と言うべきか、親の死に目に駆けつけるよりも、魔術工房の守りを優先するとは、思惑が少し狂ってしまったが、まあ、所詮は小娘ひとりだ。どうとでも料理できるだろう。
幸い、使える死者の準備は十分にある。いずれもこの近郊で調達したもだ。
男の一門が本来、研鑽しているのは、動物を生贄として魔力結晶を生み出すことを得意とする代償魔術だ。
だが、この魔術は修練にも生贄として多数の素材を必要とする。そこで、使用後の素材を二次利用するための余技として、死者を使役する死霊魔術に手を出したのだが、これが案外、男には適正があったらしく、今では何かと主人にも便利使いされている。
「…悪く思うなよ」
兵は拙速をなんとやら。今夜にでも改めて来栖亭に訪問するとしよう。
男の口元は、笑みの形に歪んでいた。
了