偽典アンジュ・ヴィエルジュ【刻】   作:黒井押切町

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 本編の前日譚になります。この話自体は一年以上前に書いていたのですが、諸事情で公開していませんでした。
 これを前提とした描写も多くあるため、ぜひお読みいただきたく思います。


ジュリアとリーナのオーバーチュア

 とある日の夕暮れ。ソフィーナは、青蘭学園の寮の一室のドアをノックした。すると、ゆっくりと歩くような足音がして、ドアが開いた。

 

「あらソフィーナ。今日も来たの?」

 

 ひょっこりとドアから姿を現したのは、雑にツインテールに束ねた金髪に王冠を乗せ、白を基調とした服を着た、まるで人形めいた美貌の少女だった。しかし、彼女は目の周りに大きな隈を作っていた。彼女の白い肌には、それはより一層目立っていた。ソフィーナがまだ黒の世界にいた時、魔術研究についてしのぎを削りあった、ジュリアの面影は見る影もない。

 

「ジュリア……。その隈、また学校にも行かずに、寝ずに自分の魔術の研究してたわけ? 毎日毎日プリント届けてる私がバカみたいだわ。昔のあなたの方が精力的だったわよ」

 

「あら、別に義務じゃないんだし、プリントくらい机の中やロッカーの中にでも突っ込んでおけばいいじゃない」

 

 ジュリアは優美に笑ってみせた。もっとも、それは隈が無かったらそうだろうということである。雑な髪に、隈や発言のおかげで、優美とは程遠く、寧ろ不気味な笑顔になっていた。

 

「私もそうしたいところだけどね、残念ながら机もロッカーも容量オーバーなのよ。というわけで、私に来られるのが嫌なら一度学校に来て荷物を持ち帰りなさい」

 

 ソフィーナは唇を尖らせてそう言った。すると、ジュリアは露骨に嫌そうな顔になった。

 

「嫌よ。何で今更分かり切ってることばかり教えられる所に行かなきゃいけないのよ。学校なんて、行く価値無いわ」

 

「学校は勉強するだけじゃないわよ。部屋に閉じこもってるだけじゃ、見えないことも多いわ。それに、あなたの部屋を訪ねた人、入学してからの一年間と少しで、私以外にいるの?」

 

 ジュリアは数秒考えると、わざとらしく大きなため息をついた。

 

「友達の人数じゃ、人の良し悪しは測れないわ」

 

「……分かったわ。私、学校行くときにあなたを迎えに行ってあげるから、ちゃんと明日学校に行くことね」

 

 ソフィーナはジュリアの返事を待たずに、手を振ってジュリアに別れを告げ、自分の寮の部屋に早足で向かっていった。

 

        ***

 

 ソフィーナの背中を見送ったジュリアは部屋に戻ると、電気も付けていない薄暗い中、魔法陣の描かれた床の上をよろよろと歩いて、ベッドに飛び込んだ。そこから、部屋の隅に整然と置かれた人形を眺めた。それは、決してジュリアが童女趣味であるから、という訳だけではない。ジュリアの得意とする魔術は、魂の宿らぬ物を意のままに動かすというものだ。人形は、その魔術の対象としてはうってつけなのだ。そして、ジュリアはこの研究を、世界接続の前から続けている。

 

(分からないこと、ねえ)

 

 かつてのソフィーナは、今のように社交的ではなかった。寧ろ、今のジュリアのように、外界との関わりを絶って、自分の世界で、自分の研究に没頭していた。ソフィーナが社交的になったのは青蘭学園に入学してからだ。

 

「私が、社交的になったらどうなるのかしら」

 

 ふと、興味が出てきた。部屋の外に出る億劫さよりも、ジュリアの好奇心が勝った瞬間だった。それに、まだ見ぬ強敵にも出会い、張り合いの無いこの生活から脱却できるかもしれない。そう考えると、ジュリアは興奮を抑えきれなかった。

 ジュリアはベッドから出ると、電気を付けてからクローゼットを開いた。中には私服の他に、青蘭学園の制服一式。殆ど着ていないためか、形が崩れていることはなかったが、埃は被っていた。

 

「一応、明日学校行くのだから、綺麗にしなきゃね」

 

 ジュリアは人形にブラシとアイロンを持って来させると、制服をブラッシングしてからアイロンをかけた。

 

「これでよし」

 

 ジュリアは綺麗になった制服を見て、満足してベッドに戻った。そしてそのまま、明日への期待を胸に、すぐ眠りについた。

 

        ***

 

 窓から差し込む朝日で目覚めたジュリアは、真っ先に時計を確認した。まだ七時前。寮から学校までは徒歩で十分もかからず、八時半にHRが始まるので、余裕をもって準備できると、ジュリアはほっと息をついた。

 ジュリアはのそのそと寝床から這い出た。普段なら、ここから魔術研究を始めるところだが、今日の彼女はまずシャワールームに向かった。体のついでに髪の毛も、いい香りのするシャンプーを用いて洗った。それから、シャワールームを出て髪を乾かした後、納豆ご飯を食べ、コップ一杯分の牛乳を飲んで朝食とした。

 いつもとは違い、髪をきちんと束ね、歯を磨き、制服に着替えたところでジュリアは時間を確認した。まだ八時にもなっていなかった。

 

(私、こんなにテキパキ行動できたのね)

 

 少し感心しながら、ジュリアは軽い足取りで鞄を取り、寮の部屋を出た。ソフィーナはまだ来ていないが、することも無いので、ドアの前で待っていることにした。

 

「あら、もう準備万端だなんて、驚いたわね」

 

 しばらくして迎えに来たソフィーナが、呆気にとられていた。ジュリアは彼女の隣に立つと、勝ち誇ったように微笑んだ。

 

「私だって、やるときはやるのよ。まあ、ソフィーナが誘わなきゃ、やる気にならなかったでしょうけど」

 

「あなたが外に興味を持ってくれたようで嬉しいわ。そうと決まれば早く行くわよ」

 

 ソフィーナは、早足気味に歩き出した。ジュリアも、彼女に追随する形で、一歩を踏み出した。これが新しい世界への一歩だという達成感に似た感覚も感じた。

 ところが。

 

「どうしたのよ、ジュリア。まだ学校に着いてもないのに不機嫌そうよ」

 

 通学路を歩き始めて数分、ジュリアは早くも帰りたくなっていた。その理由は、周囲からの視線(主に男子)に他ならなかった。

 

「さっきから男どもの視線しか感じないのよ。青蘭学園は女子の方が圧倒的に多いんじゃなかったの?」

 

「殆ど登校していなかったから、あなたの姿は他の皆にとって新鮮なのよ。男子の目線が多いのは、あなたが可愛いからじゃないかしら?」

 

「私はハーレムなんか作る気無いわよ」

 

「安心しなさい。どうせ殆どは視線を送るだけよ。まあでも、適当な男は見繕わないと、アルドラに困るわよ」

 

 ジュリアは、「アルドラ」なるものが何なのか、一瞬分からなかった。すぐ思い出したものの、首を横にぶんぶんと振った。

 

「無い無い。あり得ないわ。私は別にアルドラ無くても強いもの。今日それを証明したげるわ」

 

「普通の子だったら否定するとこだけど、あなただからやりかねないわね」

 

 ソフィーナは微笑しながら、肩を竦めた。気楽そうなソフィーナとは違い、ジュリアは今日という日が、不安で仕方なくなっていた。

 

        ***

 

 鼻歌を歌いながら隣を歩くソフィーナに対し、男子からの好奇の視線に慣れてしまうほど、晒されながら来たジュリアは、彼女のクラスの教室の前の時点で、もうすでに一日を終えたような疲労感を覚えていた。しかし、これからに期待する気持ちもある。意を決して、教室のドアを開けた。すると、一人のツインテールの女生徒がジュリアに気づくなり、突進するような勢いで走ってきた。

 

「ソフィーナちゃんの言った通りだ! 本当に来たんだね!」

 

 彼女はジュリアの両手を握って、ぶんぶんと縦に振った。当のジュリアは訳が分からず、ただ唖然としながら、手を振られるままにしているだけだった。

 

「君、ジュリアちゃん、だよね。私、日向美海っていうの! 美海って下の名前で呼んでくれると嬉しいな!」

 

 ジュリアは一方的に自己紹介された。日向美海と名乗った彼女の鼻息は荒かった。まるで目の前で布を揺らされた闘牛のように、ジュリアには見えた。

 

「やめなさいよ。ジュリア、困ってるじゃない」

 

 ソフィーナは呆れながら、美海の頭を軽く殴った。すると、美海は冷静になったのか、ばつが悪そうに後頭部を掻いた。

 

「ごめんね、ジュリアちゃん。ちょっと興奮しすぎた」

 

 ジュリアは少し驚いた。フランクな態度ながら、美海の謝罪から誠意は感じられたからだ。賑やかな子なだけで、実は良い子なのかもしれない。そう思った時、ジュリアは自然と笑みをこぼしていた。

 

「いいのよ。これからよろしくね、美海」

 

 すると、美海は目を輝かせて、大きく首を縦に振った。

 

「うん! よろしくね!」

 

 悪くない滑り出し。今後の、互いの態度によっては、友達になれるかもしれない人が出来た。ジュリアが外に出た収穫は一つ得られたと思ったとき、ジュリアの疲労感は既に消え去っていた。

 

        ***

 

「エクシードの授業は制服のままでもやれるのね。少し意外だわ」

 

 エクシードの実技の授業が始まる前の休み時間。ジュリアはソフィーナにそう話しかけた。

 

「ええ。まあフィールドのおかげで服が破れたりはしないし、この制服のポケットなんかにいろいろな物を詰め込んだり出来るからね」

 

 ソフィーナは淡々と言った。そして、急にハッとしてジュリアに詰め寄った。

 

「座学のように物議を醸すのはやめなさいよ。あのおかげで、あなた多方面に悪評が知れ渡っちゃってるんだから」

 

 物議を醸したというのは、先の座学の授業で、ジュリアが「こんな授業を聞く必要のある人はよっぽどのマヌケだ」と言って、授業を聞かずにそそくさと机の上で魔術実験を始めてしまったことである。

 

「学校に行かなくても、魔術研究の成果を出せばよかった黒の世界とは違うのよ。そこのところ注意してよね。悪評が立ってもいいことなんかひとつもないわよ」

 

「……そうね。気をつけるわ」

 

 ジュリアは、ソフィーナの注意をすんなりと受け入れた。ジュリアが学校に来た元来の目的のひとつは、己が社交的になれるか、なったらどうなるか、ということだ。悪評が立てば立つほど、その目的を果たすのは困難になる。同時に、彼女のしたことは、この場ではただの我が儘であったことに気づいて、ひどく恥ずかしくなっていた。

 

「何事にも、始めは失敗はつきものね。だからと言って私のやったことを正当化する気は無いけれど」

 

 気持ちを落ち着かせて、ジュリアは呟くように言った。それを受けて、ソフィーナが何かを言おうとしたが、

 

「ジュリアちゃん、ソフィーナちゃん」

 

 能天気な美海の声が聞こえて、会話は打ち切られた。美海は小走りで寄って来て、ジュリアとソフィーナの間に入った。

 

「次の授業、ブルーミングバトルの実技をやるからさ、ぜひジュリアちゃんとバトルしたいなって」

 

「ええ。良いわよ。そういえば、バトルは複数対複数で行うのよね。パートナーにはソフィーナを付けていいかしら」

 

 ジュリアは美海の申し入れを快諾すると、ソフィーナに視線を向けた。すると、ソフィーナは複雑な表情を浮かべた。

 

「いいけど、アルドラはどうすんのよ。一応プログレスとアルドラとの相性があるのよ。言っとくけど、私のアルドラがあなたと相性がいいかは分からないわ」

 

「朝の会話を忘れたの? アルドラ無しでも私の強さを見せつけるって」

 

 ジュリアは余裕だった。相方は旧友であり、黒の世界にいた頃の競合相手だったソフィーナだ。そして、ジュリア自身も才能があると自負していた。たとえ未知の者が相手でも、遅れを取る自分の姿を想像できなかった。しかし、未知なる者との闘いを楽しみにしているのも事実で、もし美海がジュリアを下せるほどの実力者なら、それはそれで学校に行く意味ができる。寧ろ後者の方が、ジュリアが学校に行く意味が深まるので、ジュリアは美海の実力に相当な期待をかけていた。

 

「楽しみにしてなさい。私の力、見せてあげるわ。その代わり、あなたも私を楽しませてね」

 

        ***

 

 そして、勝負の時間は来た。晴天の下、コロシアムのような闘技場の中央で、ジュリアたちは退治している。観客席のギャラリーは、専ら美海やソフィーナ、そして美海のパートナーであるセニアとかいうアンドロイドの応援ばかりだ。ジュリアには、彼女の力に対しての好奇の目や、教師をはじめとした、冷ややかな目が向けられた。

 ソフィーナのαドライバーは、少し身長の高い好青年だった。体格もがっしりしており、女生徒からの人気は高そうだ。実際、気持ち悪がられて女生徒から避けられているαドライバーも多い中、彼はかなり人気が高いらしく、言い寄られることも珍しくないとのことだ。その上、αドライバーとしての高い素質も有するので、その意味でも人気は高い。ジュリアに向けられた冷ややかな視線は、そういうことも含むだろう。

 しかし、ジュリアはそのようなことでなく、自分と彼の相性はいいのか、ということにしか関心が無かった。試合が始まる前に、試しにシンクロしてみたところ、彼曰くまあまあ、ということだった。

 

「まあまあの相性というのは残念ね。全く悪かったら、私の実力を存分に見せつけられたのに」

 

 バトルが始まる前に、ジュリアは微笑を浮かべながら、ソフィーナにそう言った。

 

「一応あんま大きな声で言わない方がいいわよ。あいつ、ああ見えて繊細だから、聞こえたら気悪くしちゃうかもしれないし」

 

 ソフィーナが口を尖らせたのを見て、ジュリアはソフィーナに体が密着するほど近づいて、耳元に囁いた。

 

「朝に私が同じこと言った時と反応が違うわよ? あなた、ひょっとして彼のこと――」

 

「わー! わー!」

 

 ソフィーナが喚いた。体もじたばたさせた。彼女の顔は真っ赤だった。ジュリアはふふんと鼻を鳴らすと、ソフィーナの肩を叩いて、審判役の教師を指差した。

 

「うんざりしてるっぽいわよ。遊んでる場合じゃなさそうね」

 

「誰のせいよ!」

 

 ソフィーナは憤慨しながら位置に戻った。

 

(しかしあのソフィーナが、ねえ。面白いこともあるものね)

 

 ジュリアもころころと笑いながらそれに続く。その道中で、一度深呼吸をして、顔を引き締めた。怪我をしないとはいえ、これは闘い。その前後はともかく、最中には気をぬくわけには行かなかった。

 程なくして、バトルが始まった。事前に聞いた通り、美海とセニアは突っ込んで来た。美海の方が前に来ている。彼女らのコンビの戦法は、風のエクシードを駆る美海のスピード感溢れる攻撃を、セニアのビットで援護していくというものと聞いた。強力だという話だったが、ジュリアにとっては、他愛のない攻撃にしか聞こえなかった。彼女らがセオリー通りではない動きをしたとしても、ジュリアにとっては些細なことだ。

 

(人形を使うまでもないわね)

 

 ジュリアは前に突っ込んだ。そして、適当なタイミングを見計らって、真上に跳躍した。その場の誰も、ソフィーナでさえも、呆気に取られていた。一応、ジュリアはこの動きをするために、人形魔法を応用させて自分に使っていたのだが、側からはエクシードもリンクも何も使わず、超人的な動きをしたようにしか見えなかったことだろう。

 ジュリアは美海が呆然としている隙に、本来は人形を操るための糸を美海に向かって伸ばし、美海の首に巻きつけ、糸をピンと張った。

 

「はあっ!」

 

 重力に任せて落下しながら、糸を強く引いた。美海の体が宙に浮く。そこから更に、糸を振り回して、美海の体をセニアに叩きつけようとした。しかし、体が動かなかった。それだけでなく、そこから重力で落ちることもなかった。それは美海も同じだった。そこで、ジュリアは美海のエクシードから、動きを封じているものが気流だと悟った。

 

(人形は使わない予定だったけれど、仕方ないわね)

 

 ジュリアは、ここぞとばかりに加えてきたセニアの攻撃を魔術障壁を用いて防御しつつ、人形を数体召喚する。そのうちの一体を美海の顔にへばりつかせた。そして二体を脇にしがみつかせ、一体をスカートの中に突っ込ませ、残りを脇腹や鳩尾に突進させるのを繰り返した。すると、案の定拘束が緩くなったので、予定通り美海をセニアに落とす。セニアの表情が焦燥感に染まる。そこで、慌てて回避を試みるセニアの隙をついて、ソフィーナが魔術的なエネルギーを纏わせた右手で、セニアの鳩尾を殴った。少し飛ばされるセニア。そしてその先で、美海の体が、セニアの頭頂部に直撃した。

 

「勝負あり!」

 

 審判の声が響く。ジュリアたちは拍手に包まれるが、ジュリアは物足りなく感じていた。一分もかかっていない。あまりにあっけない。

 

(高いエクシード能力を持っていると言っても、この程度なのね)

 

 ジュリアがため息をついたその時、彼女は好戦的な気を感じた。はっとして周りを見回すが、その時には、その気は失せていた。

 

(今のは、誰のなの?)

 

「ジュリア、何ぼうっとしてんのよ」

 

 ソフィーナに肩を叩かれ、ジュリアは我に返った。

 

「俺が指示する必要も、リンクも必要なかった。すごいな、君は」

 

 ソフィーナのαドライバーにそう賞賛されるも、ジュリアは空返事をするばかりで、先程感じた気のことが気になって仕方なかった。

 

        ***

 

 放課後、ジュリアは美海とソフィーナに誘われて、街に遊びに出ていた。はじめにショッピングをして、カラオケで日が暮れるまで歌った。ジュリアには一応幾つか好きな歌はあったため、カラオケはなんとかなったものの、ショッピングには興味が無かった。そのため、美海とソフィーナに様々な服を着せられたり、奢られて色々なものを食べさせられたりと、大変な思いをする羽目になった。しかし、嫌な気分では無かった。

 

「楽しかったねー。また遊ぼうね、ジュリアちゃん」

 

 寮への帰路の途中で買ったクレープを食べながら、美海は言った。街の光に照らされ、クレープを頬張りながら能天気に笑うその様は、ジュリアには眩しく見えた。

 

「そうね、楽しかったもの」

 

 この言葉は嘘偽りではない。本心からのものだった。しかし、ジュリアは満ち足りない何かを感じていた。新しい友達は出来たし、遊ぶことも覚え始めた。これらのことは、外に出なければ得られなかったものだ。少しは社交的になれた気もしたので、その意味では、ジュリアの目的は達成できたといえる。

 しかし、足りない。黒の世界にいた時の方が良かったとさえ思える。原因はすぐに思い至った。期待外れも甚だしいバトルに他ならない。二年生の中でもトップクラスと言われる美海であの体たらくなら、二年生の中では、到底競合相手になり得る者はいないだろう。

 ジュリアは、己の力に自信を持っているが、向上心も持ち合わせていた。そして、その向上心は非常に強かった。青蘭学園に入学したと直後から引きこもってしまっていたのはそのためで、その向上心を満たすにふさわしい場所とは思えなかったのだ。

 黒の世界にいた時は、ソフィーナをはじめとした競合相手が多くいた。互いに切磋琢磨しながら、自分なりの魔術研究を完成へと近づけていた。ジュリアは自己満足出来る性格ではなかったから、ライバルの存在がいることは素晴らしく感じた。競い合えて、己の力を試すことができて、幸せだった。

 しかし、今、ジュリアの知り得る限り、青蘭学園にジュリアがライバルと認められるのは、ソフィーナしかいない。せっかく社交的になったとしても、それでは大した意味を持たない。ジュリアは今、社交的な自分よりも、自分と同等か、それ以上の実力を持つ新たな敵を渇望していた。

 

「ジュリア?」

 

 気がつくと、ソフィーナが心配そうにジュリアの顔を覗き込んでいた。こんな顔も出来るようになったのかと、ジュリアはソフィーナの心配をよそに、感心していた。

 

「大丈夫よ。ちょっと考え事をしてただけだから」

 

 ジュリアは微笑んで見せた。すると、唐突に美海がジュリアの肩を叩いてきた。突飛なことだったので、思わず飛びのいてしまった。

 

「びっくりするじゃない」

 

「悩みがあるなら、いつでも相談してよ。ジュリアちゃんとは、気が置けない友達になりたいからさ」

 

 ジュリアは少し考えたが、結局「大したことじゃない」と答えた。相談してしまったら、美海は弱いと言ってしまうことになるので、美海自身が気にしなかったとしても、ジュリアの気分が悪かった。この話はここで打ち切りとなり、寮まで他愛のない会話を三人でかわした。

 

「じゃ、また明日ね」

 

 寮の部屋の前まで来てくれた美海とソフィーナに、ジュリアは自然とそう言っていた。

 

「うん、また明日」

 

「ちゃんと来るのよ」

 

 二人は笑ってそう返した。ドアが完全に閉まる間際まで二人の顔を見ながら、ジュリアは、少しだけ名残惜しさを感じていた。

 

        ***

 

「ジュリア先輩はいらっしゃいますか!」

 

 翌日の昼休みに、昼の教室の賑やかな空気を切り裂くような声が響き、ドアが勢いよく開かれた。教室の誰もがそちらを一瞥した。無論、ジュリアとて例外ではない。声の主は、低めの身長の、長い青髪を持つ少女だった。ジュリアを先輩と呼んだことから、中等部か、一年の者だと分かる。そして、ジュリアは昨日感じた気と同じものを、その少女から感じた。

 

「ジュリアは私よ」

 

 美海とソフィーナと、席を囲んでいたジュリアは立ち上がると、その少女へ歩み寄った。すると、少女は目を輝かせて、唾が飛ぶくらいの大声で、

 

「私と! バトルしてくださいませんか!」

 

 頭を下げられてしまった。周囲の視線もあり、こうしてしまった以上は、断りきれない。

 

「いいけど、あなた、なんていうの?」

 

「やや、これは失礼」

 

 少女は顔を上げ、彼女の制服の埃を落としたり、裾を整えたりしてから、一度咳払いをして告げた。

 

「私、青蘭学園高等部一年、リーナ=リナーシタと申します!」

 

 妙にはきはきした声で、恭しくリーナは言った。今の時世、こうした人はなかなかいない。リーナは引き気味になりながらも感心していた。

 

「昨日のバトル、拝見させていただきました。あのあなたの詰まらなさそうな顔! 私は物悲しくなりました。しかし、私ならあなたにあのような顔はさせません! ですから!」

 

 ジュリアは眉をひそめた。先に抱いた好感はとうに消え失せた。しかし、不快感を表すジュリアをよそに、先ほどまでの恭しさはどこへやら、リーナはかなりヒートアップしてジュリアに詰め寄った。

 

「私と! バトルしましょう! アルドラ抜きで!」

 

「分かったから。放課後でいいかしら?」

 

 ジュリアはぶっきらぼうに言った。しかし、当のリーナは、何も気にしていない様子で承諾すると、

 

「失礼いたしました!」

 

 入った時とは対照的に、静かにドアを閉めて去っていった。すると、教室は何事も無かったかのように賑わいを取り戻した。

 

「えらいのにバトル申し込まれちゃったわね」

 

 呆然とするジュリアに、ソフィーナはそう話しかけた。

 

「知ってるの?」

 

「名前はね。彼女、一年の実技負け無しで、成績はぶっちぎりでトップなのよ。二年でも、かなう子はいないんじゃないかっていうもっぱらの噂」

 

「へえ、そりゃあ楽しみねえ」

 

 ソフィーナは何かを言いかけたが、ため息をついてやめた。対し、ジュリアは自然と口角を釣り上げていた。ソフィーナの話しぶりからするに、昨日の美海のような期待外れではなさそうだ。黒の世界にいた時とはまた違った幸せを得られる――そう考えると、昨日以上に、ジュリアは授業が身に入らなさそうに思えた。

 

        ***

 

 放課後の空は赤かった。雲はなく、コロシアムの中央に立つジュリアとリーナの長い影が真っ直ぐに伸びている。ジュリアが北東で、やたらボディラインの強調が激しい、体に密着した衣装を着たリーナが南西に立っていた。観客席には、ソフィーナと美海だけが座っている。

 

「では、バトルスタートといきましょう!」

 

 リーナは早口気味に言うと、突然右手を高く掲げた。

 

「出ろおおおおッ! ジャッジメンティイイイイス!」

 

 リーナがそう叫び、掲げた右手で指を鳴らした。すると、遠くで大量の水が流れる音を聞いた。音の源はプールだった。そのプールに、謎の人型の巨大ロボットが出現していたのだ。ジュリアの心はわき踊った。彼女を相手することは、つまりそのロボットを相手することなのだ。なんという非常識。なんと素晴らしいことか。そのようなジュリアの興奮をよそに、それはジェット噴射をして飛び立ち、リーナの隣に降り立った。それは目測で十メートル弱だった。銀色のボディは夕日によって赤く輝いている。

 

「これが私の相棒、ジャッジメンティスです。不公平だと言うなら、これを使わなくても構いませんよ」

 

 リーナは余裕たっぷりに言った。なるほど、負け無しの理由はこういうことかと、ジュリアは納得した。そして、せせら笑うように鼻を鳴らして、

 

「巨大兵器なんて、あなたの特権じゃないのよ。まさか青蘭学園であれを使うとは思いもしなかったけどね」

 

「ジュリア、まさかあなた!」

 

 何を使う気なのか悟ったらしいソフィーナが、観客席からいきり立った。しかし、その時にはすでに、ジュリアはその周囲に巨大な魔法陣を描いていた。

 

「さあ出でよ! 魔神鎧(マジンガイ)!」

 

 ジュリアが召喚したのは、ジャッジメンティスと同じく人型の、金属でできたコウモリの羽のようなものを背中に付けた、ジャッジメンティスとほとんど大きさの変わらない巨大な黒鉄の鎧だった。ジュリアはその四肢に操るための糸を伸ばし、その肩に飛び乗った。

 

「これこそ魔神鎧。私の人形……と言えるか微妙だけど、その中じゃ最強クラス。同じ土俵に立ってあげたわけだし、あなたも思う存分暴れられるわね」

 

「ふっ、楽しくなりそうです!」

 

 リーナはジャッジメンティスのコックピットに乗り込むと、外部スピーカーを通じて告げた。

 

「改めて、いざ尋常に、勝負!」

 

 掛け声の瞬間、ジャッジメンティスが消えた。ジュリアは辺りを見回したが、ジャッジメンティスの姿はどこにも見えない。しかも魔神鎧が向いているのは、ちょうど太陽が正面から当たる方角だ。これでは、もし背後から来られたら、ジュリアは気付けない。そこで、ジュリアは空に浮かぶことを思いついた。それなら、どこにジャッジメンティスが来ても、気がつくことができる。

 

「飛ぶわよ魔神鎧!」

 

 ジュリアは魔神鎧を飛翔させ、地上約十五メートルのところまで上がった。するとその瞬間、目の前の空間が湾曲し、そこからジャッジメンティスが現れた。

 

(亜空間移動!?)

 

「ジャッジメント・ビィィィィイム!」

 

 リーナの掛け声で、ジャッジメンティスの、人間でいうところの額にエネルギーが集まり始めた。ジュリアは咄嗟の判断で、魔神鎧に、ジャッジメンティスの顎にアッパーカットを繰り出させた。ジャッジメンティスは回避を試みるが、完全には回避できず、拳がフェイスに掠った。そしてちょうどその時、ビームが発射された。拳完全には掠ったおかげで、向いていた方向がそれ、ビームはあらぬ方向にそれ、コロシアムを覆うブルーミングバトルフィールドを突き破り、空の彼方に飛んでいった。

 あんな攻撃を食らったら、いくらフィールドがあるといえたまったもんじゃない――そう思うなかで、ジュリアは興奮していた。その理由を考える暇は無かったが、ジュリアは楽しくなって、笑みすら浮かべていた。

 

「今度はこっちから行くわよ。アサルトナックル、行きなさい!」

 

 ジュリアの操作で、魔神鎧がその両腕をジャッジメンティスに向けて飛ばした。そして、その手の先で魔法陣を展開し、腕を小刻みに移動させながら、そこからエネルギー弾を発射させる。

 

「ちっ、オールレンジ攻撃ですか!」

 

 リーナの舌打ちが聞こえた。彼女は亜空間移動を再び使わなかった。二度も同じでは通じないと考えたのだろう。リーナがアサルトナックルの対処に気を取られている隙に、ジュリアは魔神鎧の前方に強固な結界を作った。そして、リーナに気取られぬようにしながらゆっくり近づいていき、息を殺して機を待った。

 

(もらった!)

 

 リーナがエネルギー弾を回避した直後、ジュリアは結界を張ったまま、魔神鎧をジャッジメンティスに突っ込ませた。いかにメカといえど、行動の直後に僅かに硬直する。その隙に高威力の攻撃を叩き込めば、いかにジャッジメンティスといえど、ひとたまりもないだろう。

 

「フッ、甘いですよ!」

 

 しかし、ジャッジメンティスは硬直したかに見えた瞬間、機敏な動きで魔神鎧の突撃を回避し、その背後に蹴りを加えた。ジュリアはすぐ魔神鎧の体勢を整えて、距離を取り、腕を戻した。

 

「私のエクシードでジャッジメンティスの遠隔操作ができるのです。私の素の操縦技術と、それだけではカバーしきれない隙を私のエクシードで埋める。この戦法は打ち破れませんよ」

 

「そりゃ厄介ね。じゃあ、そんなの関係無い、私の最強技を食らわせたげるわ。マジカルウェイブ!」

 

 ジュリアは一旦力を込めると、魔術的なエネルギーをジャッジメンティスに飛ばした。それはジャッジメンティスのボディに触れると、まとわりついてその動きを阻害した。そして、両手を組んで前に突き出し、その拳に結界を纏わせ、それを錐揉み回転させながら、ジャッジメンティスに飛ばした。

 

「そして、私自身が拳となる。これが魔神の鎧だということを、よく分からせてあげるわ」

 

 ジュリアは魔神鎧を変形させた――魔神鎧は、巨大な拳となったのだ。そしてその手の甲にあたる場所に立つと、拳の前に強靭な結界を張り、先程よりもかなり大きい加速で、ジャッジメンティスに突っ込んでいった。

 

「ふっ、いいでしょう。全身全霊で受けて立ちましょう!」

 

 リーナが気合を込めると、ジャッジメンティスの顔面の装甲が開き、人面のようなものが現れたかと思うと、縛っていた魔術エネルギーを弾いた。そして、ジャッジメンティスの右の掌に、青い閃光が走った。

 

「私の右手が青く閃く! あなたを倒せと轟き唸る! ひぃぃっさつ! ジャッジメント・パニッシャアアアアッ!」

 

 リーナは拳となった魔神鎧の正面に、青き閃光を纏わせた、ジャッジメンティスの右手を突き出した。魔神鎧とジャッジメンティスの右手が激突し、エネルギーの奔流が接触点を起点として発生した。力は互角。このままでは相打ちは必至だろう。

 しかしこの時、ジュリアはかつてない興奮と、歓喜を覚えていた。ジュリアが全力を出さざるを得ないだけの力を持つ者が、目の前にいるのだ。リーナこそ、自分の新しい競合相手にふさわしい。ジュリアがそう思えるだけの相手に、巡り会えたのだ。

 外に出て、本当に良かった。そう心の底から思えた時、ジュリアの頬を熱いものが伝った。

 

        ***

 

 結局、決着はつかなかった。あの拮抗の最中、フィールド発生装置への負荷がかかりすぎたため、駆けつけた教師に仲裁されたのだった。

 

「全く、余計な邪魔が入ったもんだわ」

 

「はい、私もあのような形で終わってしまったのは残念です」

 

 日没後の寮への帰路を、ジュリアはリーナと並んで歩いていた。後ろにはソフィーナと美海がいる。新たなライバルと友、そして旧友と歩くこの道が、いつもと違うものに思えてならなかった。

 

「お互い力を高めて、いつか再戦したいです」

 

「そうね、次は負けないわよ」

 

「私はやって欲しくないわ。あんな見ててハラハラするのは」

 

「まあまあソフィーナちゃん、そう言わずに。それにソフィーナちゃん、あまり関係無いじゃん」

 

「美海の言う通りよ、ソフィーナ。なんなら、あなたもリーナとやってみなさいよ。絶対何回もやりたくなるわ」

 

 ソフィーナは否定も肯定も出来ず、悔しそうな顔で押し黙った。その顔を、ジュリアはころころと笑いながら眺めていた。そして、ふっと表情を和らげて、談笑するリーナと美海を一瞥した後、ソフィーナに話し掛けた。

 

「ねえ、ソフィーナ」

 

「何よ」

 

「ありがとうね、外に出るきっかけを作ってくれて」

 

「急に畏っちゃって、どうしたのよ」

 

 ソフィーナは怪訝な顔をした。対し、ジュリアは表情を崩さず、微笑みを浮かべていた。

 

「あなたが外に出ることを提案してくれなかったら、きっと私は黒の世界にいた時よりも、つまらない生活を送り続けていたもの。外に出たおかげで、新しい友達と、ライバルが出来た。だから、私ね」

 

 自然とこぼれた満面の笑みで、ジュリアは告げる。

 

「今、幸せよ」

 

 頭上には燦然と輝く北極星。これから先も、きっと充実した、幸せな学校生活になる。その生活を想像すると、ジュリアは自然とにやけてしまっていた。

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