謹慎が解かれる前日の夜、いつになく真剣な表情をしたナイアとラン、そして特務隊の高官であるスレイが、リーナたちの部屋に訪れた。
「これは、反EGMA派の盟主の、アーネスト=ホーク准将と幹部の方の承認は既に取り付けた話なのだけれど、あなたには直接伝える必要があると考えたから、言っておくわね」
スレイは、テーブルを挟んでリーナ、ジュリアと向かい合ってから、単刀直入にそのようなことを言い出した。殆ど秘密のはずの、アーネストの名前を反EGMA派の盟主として出されたことで、リーナの全身に緊張が走った。息を呑み、彼女の次の言葉を待つ。
「こないだの閣議で、G・Sは反EGMA派を支援することに決定したわ。さっきも言ったように、アーネスト准将やその他の幹部の承認は既に受けているわ。というわけだから、EGMAを潰しにいく時は、ここにいる第一大隊も一緒よ」
リーナは、スレイの告げた内容が俄かに信じられなかった。いくら考えても、統合軍が自分たちに力を貸す理由が見当たらなかった。しかし、その困惑は想定通りとばかりに、ナイアは書類の束をリーナに手渡した。
「特務隊総出で、この五日間EGMAに関する情報をかき集めたのと、夏菜とあたしで個人的に調査したのを纏めたものだ。それを読めば、統合軍が手を貸す理由も分かるだろ。ただ、その内容はまだ口外してくれるなよ。あくまでジュリアとか、反EGMA派の仲間うちに留めておいてくれ」
リーナはナイアの言葉を聞いて、恐る恐るそれらに目を通した。そこには、EGMAが人間からS=W=Eだけでなく、他の世界の社会を乗っ取ろうとしていることと、その段取りが事細かに書かれていた。しかし、リーナがその中で目を奪われてしまったのは、EGMAが「主」なる存在からウロボロスを借用して行動を起こそうとしていることよりも、人間との生殖で子供を残すアンドロイドが、既に社会に放たれていることであった。
「確かに、これは統合軍が支援するに足る理由ですね」
リーナは、なんとか平静を保ちながら呟いた。アンドロイドが人間との子を残せることには触れないでおいた。軍略的には、それよりも重要な情報が山ほどある。スレイたちの前で、それに言及するのは、戦略眼が無いと思われる恐れがあると考えてのことだった。
「しかし、私たちを支援するというのは、私たちがEGMA打倒後に立ち上げる予定の国家を支援するということにもなるでしょう。それは、具体的にどうなるんですか?」
リーナは資料をジュリアに手渡してから尋ねた。この問いには、ランが答えた。
「簡単に言うと、予定としては、
ランの説明を受けて、リーナは少しホッとした。彼女の言った、まさにその傀儡にされるか否かが、最も気掛かりなことであったからだ。
「それと、リーナ。お前が今バッシングを受けているのは、反EGMA派のアイドル的な存在に仕立てられようとしているお前を、学園の生徒という立場上暗殺できない代わりに蹴落とすためみたいだ。一応、その工作を行ってる奴も特定したが、なんせ全員が学園の生徒だ。こっちとしてもリーナにはよく働いてもらいたいからそいつらを抹殺したいところだが、今以上に学園との関係を拗らせるのは得策じゃない。済まんが、このことに関しては手を貸すことは難しい」
ナイアは、終始話づらそうだった。しかし、全く納得できないことではない。リーナは、バッシングの首謀者が誰かを特定するところまでやってくれただけでありがたい気持ちだった。
ランたち三人の用は以上だったようで、それから別れの挨拶を交わして、三人はリーナの部屋から退出していった。
「このEGMAの目論見、放って置けないけど、私個人はともかくD・Eとして兵を出すことはなさそうね」
資料に目を通し終わったらしいジュリアは、テーブルにそれを投げ捨てるように置いて、どこか呆れたように言った。リーナがその発言の理由を尋ねると、ジュリアはD・Eを小馬鹿にするような態度で答えた。
「何、簡単な理由よ。D・Eの連中って、殆どが力が全てみたいな考えで、自分の能力に過剰な自信を持ってるのよ。だから、もしこの資料を見ても、力で捩じ伏せればヘーキヘーキ、なんて思うに違いないわ」
「でも、みんながみんなそういう考えではないんじゃないですか?」
「そうだけど、でもそういうのはマイノリティよ。こういう時はマイノリティはマジョリティに殺されるのよ」
ジュリアは投げやり気味に返した。リーナとしてもそれ以上何かを言うことも無かったので、それで会話が止まってしまった。その状態が気持ち悪く感じたので、何かないかとリーナが話題を探していると、その間にジュリアが口を開いた。
「ねえ、リーナ。EGMAを倒したら、新国家を作るって言ってたわよね」
「ええ。今はその予定ですが」
「他の世界の人間の私でも、その国の住人になることは出来るかしら?」
その問いに、リーナは目を丸くした。元々ジュリアが国家への帰属意識が希薄であるとはいえ、他の国、まして異世界の住人になりたいと言い出すとは、思いもよらなかったからだ。
「大丈夫だと思いますが、でもなんでまた、そんなことを?」
「べ、別にいいじゃない。どんな理由だって。ただなんとなく、そう、なんとなくよ」
珍しく、ジュリアは狼狽していた。顔も赤らめている。なんとなく、というのは嘘に違いなかったが、彼女の真意そのものを悟ることは、リーナには出来なかった。
***
翌日は、黒い雲が漂い、時折雷の鳴る、湿気の高い日だった。謹慎処分の解けたリーナは、アルフレッドに呼び出されていた。一人で生徒指導室へ来い、とのことだった。何を言われるかと不安に思いながらも、リーナは朝の始業前の廊下を歩いていた。時折すれ違う生徒の目線が痛かった。彼らの目線の中には、完全に敵意が込められたものもあれば、単に珍しいものを見る目もあった。しかし、一週間の謹慎処分とバッシングの話は、リーナの神経を過敏にさせるには十分すぎた。後者の目線を向ける者に対してさえ、心のどこかでは自分を非難しているのではないかと疑ってしまっていた。それゆえに、生徒指導室の扉を開けた時は、不安はとうに消え失せ、視線に怯えることは無くなると、心底安心した。
「失礼します」
リーナはそう言いはしたものの、ノックするのも忘れてそこに入り、扉を閉めた。そうしてからノックをしなかったことを思い出したが、先に室内に佇んでいたアルフレッドは、気にしていない様子であった。
「リーナ。盗聴の危険は無いから、安心して答えてくれ。昨日、ラン・Sグリューネ殿下と、統合軍のスレイ・ティルダイン中佐にナイア・ラピュセア中尉がお前の部屋にいらっしゃったな?」
「ええ、そうですが」
「となれば話は聞いているはずだ。私とお前はEGMA打倒の際には最前線で戦うことになる。それに成功、特にお前がEGMAを破壊できれば、今流布しているお前の悪評などは、少なくとも白の世界の中では大したことはなくなるだろう」
アルフレッドのその言葉には、リーナは目を丸くした。それが意味するのは、彼も反EGMA派だったということだろうが、今の今まで、彼のイデオロギーに触れる機会は無かったし、マイケルがアナベルと婚姻関係を結んだ時も、特に不満を表に出すこともなかったため、彼がリーナと同じ立場とは思いもよらなかった。
リーナの困惑を悟ったのか、アルフレッドは申し訳なさそうに、視線を落として告げた。
「済まなかったな。今まで黙っていて。だが、お前とメルティ少佐を守るためにも、私は中立のふりをせねばならなかった。隊を率いる私までもが反EGMAの立場を取れば、第八機動小隊は反乱のための部隊ということとなり、即刻取り潰され、お前とメルティ少佐は国家反逆罪で処刑されていただろうからな」
「え、EGMAは、私とメルティの立場を把握しているんですか」
「当たり前だろう。あそこまで嫌悪感を見せておいて、把握できないはずがなかろう。それに、我が隊にはマイケルもいる。あいつはEGMA恭順派だ。情報は流されている恐れもあるし、最悪、対峙して殺し合いにもなりかねん」
アルフレッドが淡々と語ったそのことは、リーナは完全に失念していた。特にマイケルと戦わねばならぬ時が来るだろうということは、これまで無意識のうちに心の奥へ追いやっていた。抱く思想は違えど、ずっと兄として尊敬し、仲良くやってきた彼を、心の底から敵と思うことができなかったのだ。
「父上は、いつから反EGMA派に与したんですか?」
リーナは動揺を隠し、話題を逸らそうと、歯切れ悪く尋ねた。アルフレッドは少し考えてから、逡巡している様子を見せ、おもむろに口を開いた。
「EGMAに反逆しようと決意したのは、マイケルがアナベルを娶った時からだ。あの時は母さんを亡くしてから13年経っていたが、恥ずかしながらまだ私の中には母さんに対する未練が残っていた。そこに、あいつが妻としてアナベルを連れて来たんだ。人間だったら素直に祝福できたよ。だがあれはアンドロイドだ。永久に動き続けられるとは言わないが、少なくとも人間よりも遥かに長い時を生きられるし、壊れやすくもない。あの存在は、私の心の傷を抉るのに十分すぎた。だから、私はアンドロイドを人間と同じ社会に、同等の存在として捩じ込んだ元凶の、EGMAを打倒することを決意したのだ」
「そう、だったんですね」
静かに怒りを示す彼の姿が、今のリーナの心と重なった。リーナもまた、アンドロイドの、人間にあらずして人間たる性質に、愛する者を喪失した悲しみを肥大化させられたという点で、彼と同じだ。そして、その激情を自分のために今まで隠してくれていたことに、リーナは感謝の念を抱いた。
この少ないやり取りで、リーナは、子としても、別の個人としても、アルフレッドに対する理解が一歩進んだ気がした。これまでリーナが知っていた彼は、ただ厳格な父である、ということだけであった。小さな頃から士官学校にいて、更に早いうちからパイロットとしていくつかの部隊を転々としていた上、一緒の部隊に配属され、一緒に青蘭島へ行っても、彼との距離は常に遠かった。しかし今は、近い。数歩歩けば届く位置にいる。
「ち、父上」
リーナは恥じらいながらアルフレッドに声をかける。彼は、その言葉の続きを待ちつつ、リーナを見つめる。それで余計に恥ずかしさが増してしまったが、リーナは思い切って口にした。
「その、あの、今甘えても、いいですか? ずっと、父上とは遠かったものですから」
「もちろん。お安い御用だ」
アルフレッドは、優しい声色で答え、両腕を広げた。その体に、リーナは吸い込まれるように抱きついた。そこには、カールを抱いた時とは違うものの、確かに暖かな感覚があった。カールの体はリーナを興奮させたが、アルフレッドのそれは、リーナを安らいだ気持ちにさせてくれた。
それからしばらくして、アルフレッドはリーナの背中に手を回して、再び柔らかな声で言う。
「何年振りかな、リーナをこうして我が胸に抱いたのは」
「私が軍の学校に入ったのが六つの時ですから、少なくとも10年振りでしょうね。私には、それ以前の記憶が曖昧なので、よくわかりませんけど」
「そうか、10年か。もう、そんなに経ったのだな」
アルフレッドがリーナを見下ろす。その慈しみに満ちた目は間違いなく父親としてのもので、リーナの知る厳格な彼のものではない。しかし、嫌な気はしない。ずっと、いつまでもその目で見てくれたら、とさえ思えた。
「大きくなったな、リーナ。本当に、よく生まれてきてくれた」
アルフレッドの腕の力が強まった。親から受ける愛情表現としては最高峰のその言葉と抱擁に、リーナの胸に込み上げるものがあった。ずっとこのようにしていたい。リーナの頭はそれでいっぱいだった。しかし、時は無情だ。始業十五分前を示すチャイムが鳴ると、アルフレッドの腕の力が緩み、リーナも彼から離れた。それから彼は、ためらいがちに口を開いた。
「謹慎中、ジュリアの様子はどうだった?」
「ジュリアですか? 彼女なら、謹慎を楽しんでる節もありましたね。ただ、時折誰かに会いたがっていましたけど」
「そうか。分かった」
アルフレッドはそう短く言うと、リーナの肩を強く叩いて、先程とは打って変わって真摯な目でリーナを貫いた。リーナも息を飲んで次の言葉を待つ。
「リーナ。どれだけ敵が増えても、魂の味方はいつだっている。それを忘れるなよ」
「——はい!」
リーナは、ジュリアや夏菜たちの友人の顔を思い出しながら、はっきりとした声で返答した。それで、アルフレッドは満足げに笑みを浮かべる。
「では、また」
アルフレッドはそう言って、生徒指導室から退出した。リーナはその背中を見えなくなるまで見送ると、浮き足立った気持ちで歩き出した。生徒指導室のある棟とリーナの教室がある棟は別であるため、移動には時間がかかる。
その移動の間は、リーナはずっとアルフレッドの胸に抱かれた感触を思い出していた。暖かで心地が良く、不安を消し去ってくれたそれを思い出すと、生徒からの視線などは気にならなかった。しかし、その一方で自分が今、どこを歩いているのかも曖昧になっていた。
おやと気づいた時には、高等部の教室棟とはまるで違う所を歩いていた。慌てて時間を確認してみると、始業まであと五分しかなかった。だが、幸いなことにその窓から見える景色には見覚えがあった。風紀委員として校内の見回りをよくやっていたおかげで、ここの窓から飛び降りれば、高等部の教室棟への近道に入るのも容易い。
(全力で走れば、始業には間に合うはず!)
リーナはそう思い立つと、早速そこの廊下の窓から飛び降りた。その階は三階だったが、プログレスとしての身体能力をもってすれば、さほど大したことのない高さだ。リーナは大事をとって、受け身を取って着地すると、全力で駆け出した。ところが、走り出してから数十秒もしないうちに人とぶつかってしまった。リーナの方が相手よりも小柄で、しかも相手の体幹が強靭だったおかげで、リーナだけ弾かれて尻餅をついてしまった。その相手を見上げてみれば、そこにいたのはマイケルであった。かつて似たようにぶつかった時とは違い、リーナはどうしようかと戸惑ってしまった。
「やれやれ、またリーナか。ほれ」
マイケルは呆れながら、いつかのように、手を差し伸べた。だが、リーナはその手を見つめるだけで、素直に取れなかった。結局、リーナは自分で立ち上がり、軽く謝罪してすぐに高等部の教室棟に向かおうとした。
「ああ、おい、待ってくれよ。知らせたいことがあるんだ」
彼は、リーナの肩を掴んで呼び止めてきた。それでリーナが振り返ってみると、珍しく興奮して、早く話したそうにしていた。
「実は、お前の謹慎処分の間にな」
マイケルはそこで一旦一息つき、溜めてから満面の笑みで晴れやかに言う。
「アナベルがな、子を宿したんだ!」
その言葉は、リーナの心を真っ白にした。そして次に、その白を侵食するように沸き起こったのはどす黒い憤怒と憎悪だった。しかし、リーナはここではそれらを必死に抑え、マイケルから顔を背けて言う。
「そう、ですか。それはめでたいですね。ですが、今は急がねばなりませんから、失礼します」
リーナは、マイケルの反応を待たずに猛然と駆け出した。しかし、向かうのは教室棟ではない。寮の、マイケルとアナベルの部屋だ。今アナベルと顔を合わせたら、どのようになるかは、リーナ自身も分からなかった。しかし、それでも確かめねばならぬと思った。その思いつきに根拠は無いが、そのようなことは、激情に心を支配された今のリーナには、些細なことであった。
始業を告げるチャイムが鳴ろうともリーナは遮二無二走り続け、やがて、とうとうマイケルの部屋の前に辿り着いた。リーナはそのドアを蹴破ると、リビングのソファに腰掛ける、腹を大きく膨らませたアナベルがいた。妊娠してから数日しか経っていないはずのその腹が大きくなっているのは、アンドロイドだからだろうが、リーナはその妊娠している、という事実だけで、もう十分だった。
突然に荒々しく入って来たリーナに、アナベルは怯えたように凍りついていたが、そのような人間的な仕草が、リーナの、暴悪に燃え盛る怒りと憎しみ、そして嫉みの炎に油を滝のように注ぐばかりだった。
「下衆が……! 機械風情が、どこまでも、どこまでも私を愚弄して……!」
「り、リーナちゃん——」
「喋るなあッ!」
リーナはアナベルが口を開いた瞬間、それに一足飛びに掴みかかった。そして、リーナはそれを押し倒すてのしかかると、ホルスターから取り出した拳銃で、それが何か言う前にその眉間を撃ち抜いた。偶然にも雷鳴と銃声が重なったが、リーナは気にしなかった。さらに、そのまま激情のままに、その顔が原型を留めないくらいになるまで、何度も何度も銃弾を打ち込んだ。
「まだ、まだだ」
続いて、リーナは懐からナイフを取り出し、服ごとアナベルの下腹部を切り開いた。何かに突き動かされるようにしてその中から胎児を取り出す。その姿は人間の胎児そのものであった。しかし、その中身は違うと瞬間的に察すると、リーナはそれを首と胴に、力任せに引き裂いた。
そこまでやると、リーナは幾分か冷静になり、アナベルの残骸と、手に握るその胎児のスクラップを眺めた。破壊し尽くされたアナベルの頭部のあたりには、細かな部品が散乱し、血のように赤黒い液体が広がり、裂かれた腹の中を覗けば、まるで小さな工房のような子宮にあたると思しき空間があったが、やはり血のような液体が流れ出ていた。そして、胎児の方は、小さな頭から、機械的なチューブが出ており、それは胴の方と繋がっていた。
「機械のくせに、子なんか作るからです。人間の私がカールの子を孕めなかったのに! これも当然の報いですよ!」
リーナは感極まり、声高に叫んだ。しかしその直後、背後に人の気配を感じた。ハッとして振り返ると、そこには愕然として棒立ちになっているマイケルがいた。
「様子が変だったから追いかけてみれば、なんだよ、なんなんだよこれは。アンドロイドだからだなんて、それだけの理由かよ」
マイケルはうわ言のように呟く。リーナは何も言えず、ただ固まるばかりだった。彼からは、己の同じものが立ち上り始めるのを感じた。
「アンドロイドも、そのアンドロイドを愛した俺も、幸せになっちゃいけないっていうのかよ。俺は、俺は、ただ愛した相手がアンドロイドだったってだけなのに」
そこまで言うと、カールはおもむろに、リーナの方に顔を向けた。大粒の涙を流し、虚ろな目でリーナを見つめる彼の姿に、リーナは底知れぬ恐怖を覚えた。彼女が立ち上がり、後ずさりし始めた瞬間、その目に殺意の光が宿り、彼は拳銃を引き抜いた。
「リイィィィィナァァァァアッ! 絶対に、絶対に、殺してやるッ!」
彼はリーナに狙いをつけるや否や、その引き金を躊躇いなく引いた。リーナはその殺気を咄嗟に感じたために、それは辛うじて避けられたものの、この閉鎖空間ではいずれ殺されるに違いなかった。
(嫌、嫌だ! 死にたくない!)
リーナは意を決し、窓の方に駆け出した。幸いなことに鍵は外されており、割ることなくベランダに出られた。その過程で数発の銃弾を受けたものの、中に着込んでいたパイロットスーツのお陰で、どれも致命傷たりえずに済んだ。
リーナはベランダから飛び降りて着地すると、一心不乱に走った。どこをどう逃げているかは重要ではなかった。とにかく、彼から逃げ、生き延びられればそれで良かった。
だが、何か巨大なものがリーナに微かな影を落とした。恐る恐る振り返ると、そこにはリーナを見下すように聳え立つM型があった。
「ジャッジメンティスまで持ち出すなんて」
リーナは、思わず呆気にとられてしまった。だが、すぐに己が殺気を向けられていることを思い出し、再び駆け出した。するとそうするや否や、M型の胸部ガトリング砲の駆動音が聞こえた。
「死なないためには、私も呼ぶしかない。ジャッジメンティス!」
リーナは遠隔操作でL型改を呼び出すと、その腕に自分を庇わせつつ、コクピットに乗り込んだ。リーナは焦っていた。ただ彼から逃げることに執心し、これまでの一連の行動が、楔が打ち込まれていたリーナの評判を奈落に突き落とす決定打になるとかいうことは、全く考えていなかった。
(逃げなきゃ、逃げなきゃ。でも、どこに?)
ブースターを噴射させて飛翔し始めた時、リーナの心に迷いが生じた。そして次の瞬間、M型のビーム・スナイパーライフルの狙撃が、L型改の背部のメイン・スラスターを直撃した。
激しい衝撃と爆発音が、コクピットの中のリーナを襲う。そして、モニターに表示された「制御不能」の四文字が、彼女の心に絶望を宿らせた。ジュリアの異能や魔法と違って、リーナの異能では、思念で操作するものを現状以上の性能で動かすことができない。則ち、墜落は必至だった。リーナは無意味だと分かりながらも、生きている他のブースターを噴射させたが、焼け石に水であった。L型改は、リーナの抵抗むなしく、学生寮の建物に激突した。
***
アルフレッドは全速力で廊下を走っていた。向かうのは格納庫だ。二人を、物理的にも精神的にも止められるのは、父である己だけだと確信していた。このようにする前、職員室で二機のジャッジメンティスが出た瞬間に、隊長権限で持っていた端末でそれらの操作権を停止させるコードを何度も発信したのだが、どういうわけか二機の動きは全く止まらなかった。二人とは通信も繋がらなかった。自機のジャッジメンティスを、遠隔操作で呼び出すこともできなかった。
(なぜこのようになっているかは分からんが、とにかく急がねば!)
二人の対立する可能性は十分に考えていたが、よもやいきなりジャッジメンティスによる格闘戦をするとは思っていなかった。二人とも常識はあるはずだから、もっと段階を踏んでからそのようにするものだとばかり考えていたのだった。
(私の見えない所で対立が深化していたのか、それとも、その段階を一気に飛ばす何かがあったのだろうか。もし後者とすれば、十中八九アナベル絡みだろうな)
リーナはともかく、最近のマイケルのことはよく分からなかった。件の作戦が終わってから、彼からは一度も連絡が来なかった。とはいえ、彼はリーナと違って、自分を父と慕うことは、彼が大人になってからは殆ど無かった。当然、連絡を寄越すようなことも無かったため、アルフレッドも気にしていなかったのだが、今のような状況となっては、マイケル、そしてアナベルが一体何をしていたのか、はっきりさせたいと強く思った。
階段を駆け下りて四階から三階に降りると、アルフレッドはその踊り場から、生徒の騒ぐ声が聞こえてきた。彼らが廊下に出ているようなことはないようなので、とりあえずアルフレッドにとっては、邪魔されない分好都合だった。それで、アルフレッドは足を止めずに更に階下へ行く。階段を一段降りるごとに、彼の焦燥感は増していった。
***
ジュリアは、教室の窓から、リーナのジャッジメンティスが学生寮に落ちたのをはっきりと視認した。それから教室で待機しているように、との校内放送が入ったが、彼女は迷うことなくその窓から外に出ようとした。しかし、その手首を誰かに掴まれた。女性のものらしかった。
「邪魔ッ!」
ジュリアはその誰かを確認することなく、その手を振り払った。が、次の瞬間は首根っこを掴まれ、無理矢理に引き戻された。
「何をするのよ!」
「お前、リーナ=リナーシタと仲良いだろう」
そう聞いてきたのは、S=W=E出身の、ジュリアが名前を知らない女生徒であった。ジュリアは彼女がその質問をしてきたということで、先の言葉にどのような意図が含まれているのかを察した。彼女はジュリアが一瞬固まったのを見て、嗜虐的な笑みを浮かべると、ジュリアの背中を抑えて、その鳩尾を殴った。
「か、はっ」
いくらジュリアが優秀な魔術師といっても、魔法で強化していない時は、さほど体は丈夫ではない。その状態でプログレスの渾身の拳を食らったのだから、ダメージは甚大なものだった。無意識にうずくまりかけたジュリアに対し、そのS=W=E出身の生徒は、その頭を掴んで、後頭部をコンクリートの壁に打ち付けた。
その衝撃で、ジュリアの視界と意識に火花が飛び、意識が朦朧としかける。まだこの教室に教師は来ていなかった。そして、同学年で頼れる友のソフィーナと美海は、クラスがだいぶ離れている。このクラスには統合軍出身の者もいない。ここに味方は一人もいなかった。気がつけばクラスの人数がいくらか少なくなっていたが、おおかた、気弱な者が逃げ出してしまったのだろうと推測した。しかし、それらの考えは次に起こったことに吹き飛ばされてしまった。二人の、先のS=W=E出身の生徒の仲間と思しき者に、両腕を強く抑えられたのだった。
「気に食わなかったんだよなあ。いつもでかい態度とって、気持ち悪く、下級生、それもリーナ=リナーシタとべったりくっついて」
そういって、彼女はジュリアの口を手で無理矢理押さえると、空いている手でジュリアの制服を破り去り、下着を取り去って裸を露わにした。ジュリアは、何をされたのか理解できなかった。ふと気がつけば、周りは男子生徒ばかりで、彼らは飢えた獣のような目をジュリアに向けていた。そして、ジュリアは自分が次に何をされるか理解してしまった。しかし、抵抗しようとする心よりも、恐怖の方が打ち勝ってしまった。ただ涙を流して目を丸くして、抵抗もせず固まるしかできなかった。
そして、時を待たずして、男の手がジュリアの肌に直に触れた。
***
ランは、彼女の教室で、ジャッジメンティスが学生寮に落下したのを目撃した。すると次の瞬間、彼女の机を叩く者がいた。ランがそちらの方に目を向けると、そこにいたのはS=W=E出身の男子生徒であった。
「なんでしょうか」
「最近、反EGMA派の何人かと接触していたそうじゃないか。今の騒動もお前が噛んでいるんじゃないか?」
「さあ、存じ上げませんね。それに」
ランは彼の問いに涼しい顔で返すと、スレイやジュリアが人を煽る時の態度を思い出しながら、余裕のある笑みを浮かべた。その時、一瞬彼の眉がピクッと不愉快そうに動いた。その動きを、ランは見逃さなかった。彼が怒りやすい短気な性格であることを見抜くと、嫌味ったらしく、小声で言葉を続けた。
「いくら他国のとはいえ、王族への礼儀がなっていませんね。あ、もしかして、EGMAが指導しないから分からないのですか? 礼儀を蔑ろにするなんて、EGMAというのはとんだ欠陥品ですね」
「お前! EGMAを侮辱しやがったな!」
ランの予測通り、彼は激高し、ランの従者が割って入る間も無く裏拳でランの頬を殴った。すると、その彼を従者が突き飛ばし、ランを庇うように、彼女の前に立った。その裏で、ランはこっそりと通信端末の電源を入れる。
「貴様! 殿下を殴ったな! 殺されても文句は言えんぞ!」
「うるせえ! テロリストに協力する王族なんざどれだけ殴っても問題なんかねえだろ!」
彼は従者の言葉に怯むことなく、立ち上がって迫った。そうだそうだという野次が、他のS=W=E出身の生徒らから聞こえてきた。が、次の瞬間、教室のドアを蹴破って、ルルーナやリーリヤを筆頭とした、統合軍所属で二年生の面々と、加えて夏菜が乱入してきた。ランは、彼の会話を録音し、学園にいる統合軍人の殆どの通信端末にそれを流したのだった。
「殿下に何をしているんですか貴様らは! 早く離れなさい!」
リーリヤが怒鳴るが、ランを囲む彼らは鬱陶しそうに彼女を一瞥しただけで、寧ろ、彼女らを挑発するようにより一歩ランに近づいてきた。
「き、貴様ァ!」
リーリヤは堪忍袋の緒が切れたらしかった。彼女は己の召喚武器、巨大なランスのヴィヒター・リッタを召喚し、それをランを囲む塊の中に投擲した。そしてそれは、彼らが逃げるよりも早く、彼らのうちの一人の右肩に命中し、その部位を腕ごと抉り、更にそのまま槍の先が別の者のつま先に突き刺さった。それで、その二人は大きな悲鳴を上げ、他のS=W=Eの者らが静まり返った。するとすぐに、従者がヴィヒター・リッタを引き抜き、余った手でランの手を取って、包囲を突破した。
その後、ランはリーリヤたちと共に、教室から出て誘導されるままに廊下を駆けていった。当初は行くあても無くただ逃げるだけであったが、その途中で一団はスレイとユウヒに遭遇した。
「ああ、いたいた。今から格納庫に向かうわよ。三年生と大学部の子たちは先に制圧に向かっているわ。殿下、大変申し訳ございませんが、このまま共に向かって頂きますわ。我ら将兵に囲まれている方が、校内にいるよりは安全でしょう」
スレイが告げた内容に対して、反発する者はなかった。格納庫を押さえれば、学園の対ウロボロス兵器は封じたも同然だ。その上、学園が主戦力としている統合軍のほぼ全員が学園の敵につけば、対ウロボロス戦において、学園側の不利は確実だ。学園に対し、統合軍がかなり優位に立つことができる。しかも、王女が傷つけられたという大義名分もある。
もう一歩踏み込んでスレイの心情を読めば、第二次ブルーフォールの敗戦以前に勢力を持っていた派閥、乃ち今の穏健派が言うところの過激派の勢力を取り戻したいのだろう。統合軍人には、もし王族に危機が迫ったら、その現場の判断でその王族の安全を確保するための軍事行動を起こすことが認められている。これを利用したのだろう。
そのスレイのような若い純粋な思いは御しやすく、また隙をつきやすい。ランは密かにほくそ笑んだ。ここでスレイらとの結び付きを強めれば、近い将来、クーデターを起こすのは容易い。ランが影で抱く野望はブルーフォールの成就と、王家の政治介入であった。そのためには、今の軍事独裁政権を打倒し、自らが国王となるしかない。このために、なんとしても有力な軍人の協力のもとにクーデターを起こす必要がある。
しかし、ランがスレイらを利用しようとしているのは、スレイ当人やナイアのような鋭い者らには百も承知であろうと思われた。それゆえ、対等に互いに譲歩する必要がある。今はスレイたちがランに恩を売った形になる。ランは若い将兵が望んで止まない第三次ブルーフォールの遂行の確約と、ある程度大きな権限を軍人に与えればよい。
「ええ。それが一番でしょう。お願いします、ティルダイン中佐、それに、皆様も」
ランは真意を隠し、毅然とした態度でスレイや他の将校に答えた。その答えを確認すると、スレイに率いられて、一団は急ぎ格納庫へ向かった。
***
高等部一年生の、ナイアたちのクラスの教室は静まり返っていた。時折何人かがちらちらと周りの様子を伺うだけで、他の動きはない。吐息の音が聞こえるくらいだった。その様は、よもや学園で仲間同士の殺し合いが始まるとは思っていなかったとナイアを除いた全員が言っているようだった。
ナイアが、そのような教室でリーナを案じながら椅子に座っていると、ランから齎されたS=W=Eの生徒の彼女に対する暴言と、スレイからの指令をほぼ同時に受けていた。スレイからの指令の内容は、格納庫の占拠に早く向かえ、というものだった。
(殿下の保護って大義名分のもとじゃ、確かにそこまでしかできないな。第三次ブルーフォールまでは、今は持ってけないか)
そのようなことを思いながら、ナイアはおもむろに立ち上がった。すると、近くの席の紗夜が何か言いたげにしたが、彼女はすぐに視線を落とした。ナイアはその様を一瞥し、教室の後ろのドアに向かった。歩いている間、クラスメイトらの視線を一身に受けるが、ナイアは気にせず、堂々と歩いて教室を出た。そして、すぐ目の前の廊下の窓を開け、そこから飛び降りた。すると、いくつかの建物の向こうにM型の一部が見えた。
「ごめん、リーナ。見殺しにする形になるかもしれねえが、許してくれ」
そのように呟いた瞬間だった。端末に、スレイからの通信が入ったのだった。
「次はなんだよ」
「悪いけど、リナーシタを助けに行ってくれないかしら? 兵器庫の制圧があっさり終わっちゃったから。ルルーナも向かわせているから、撃破は無理でも撃退くらいはできるでしょ?」
「任せろ、お安い御用だ!」
ナイアは、その指令を待っていたとばかりにはっきりと答えた。そして、通信が終わったのを確認した直後、方向転換をしてリーナの方に全力で疾走する。
「前言撤回だ! 待っててくれ、リーナ!」
ナイアは精一杯の声で叫んだ。その時、雲の切れ間から、わずかに光が射した気がした。
***
リーナは、必死に操縦桿を動かしたりしてL型改を動かそうとしたが、全く反応はなかった。なまじモニターだけは生きているだけに、M型が一歩迫る度に、リーナの心に恐怖が刻まれた。
(ここにいたままじゃ、却って危険だ。早く脱出をしなくては)
リーナはそう思い立ち、脱出機構を働かせようとするが、全く反応はなかった。
「……あ」
気が付けば、リーナは涙を流していた。死はもう確定したようなものだった。しかし皮肉なことに、そう確信したがゆえに、生への執着はますます強まっていく。だが、体は恐怖心に抑え込まれて、全く動くことができなくなってしまっていた。
ふと気がつけば、M型はもう目と鼻の距離にあった。真っ直ぐに屹立するその姿からは、リーナがつい数分前まで抱いていたのと同じ、憎悪と憤怒の炎が立ち上っているように思われた。
「ただでは殺さない。お前にはアナベルが受けた苦しみを百倍にして与えても、飽き足らないからなァッ!」
耳に入ってきた、マイケルの怒りに震えた声。その刹那、M型が拳を組んで振り下ろした。その光景を見た直後、コクピットを激しい振動が襲い、モニターや電灯は全て消え、リーナの周りをただ一様な闇が覆った。エアバッグが膨らんだおかげで、リーナ自身にはそこまでダメージはなかった。しかし、恐怖は増した。エアバッグが萎むと、リーナは心のうちを絞り出すように呟く。
「いや、いや、いや。し、死にたく、死にたくない。死にたく——」
言い終えぬまま、2回目の衝撃が襲った。今度はエアバッグは無い。直に衝撃を受け、体の中身がかき回されるような感覚があった。パイロットスーツの衝撃吸収機能が、なぜか働いていない。その理由を考えることもできず、リーナは思わず後ずさるように体を動かし、体を抱いた。無意味とわかっていても、リーナの本能がそうさせたのだった。
リーナが冷静さを欠いて狼狽している間に、3回目の衝撃が、コクピットを激しく揺らした。もう、コクピットの衝撃を分散する機能も働かなくなったのか、今回の震動はこれまでで最も大きいものだった。跳ねようとする体をシートベルトが無理やり抑え込み、肌に強く食い込んだ。その揺れが収まらぬうちに、4回目が来た。モニターの液晶が割れ、更にはコクピットの中で小さな爆発が起こり、火災が発生した。
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ! まだ、私は何もしてないんだ! このまま死んじゃ、カールに合わせる顔がないままなんだ! だから動いて! 動けぇぇぇッ!」
リーナは声が裏返るくらいに叫び、操縦桿を我武者羅に動かしながら、異能でもL型改を動かそうと懸命になった。しかし、非情なことに、その巨体は少したりとも動かなかった。そうしている間に、5回目が来た。遂に耐久の限界が来たのか、シートベルトが千切れ、リーナの体がコクピット内を跳ね回った。至る所に体がぶつけられ、今まで以上に、リーナに自分の死を意識させた。
(死にたくない。死にたくないよ。誰でもいい。誰でもいいから、誰でもいいから! 誰でもいいから助けてェ!)
リーナの心は、ただ生きたいという思いで一杯になる。だが、それは全て恐怖に掻き消され、その心は真っ白になった。その瞬間、リーナはあらん限りの声で、狂ったように絶叫した。そしてその直後、もう一度衝撃が襲い、リーナの意識は糸が切れたように、こと切れた。
***
教室で待機しているようにとの放送が入って、およそ10分が経ったが、学園側から何か、リーナたちを止めるような行動を起こすことは無かった。その間にソフィーナらの教室からマユカを除いた統合軍の軍人たちはどこかへ行ってしまった。ソフィーナには、自分らが蚊帳の外に追いやられて、何か知らないことが進行している今の状況が、我慢ならなかった。
「もう我慢できないわ! 美海、あれを止めに行くわよ!」
「でも、ソフィーナちゃん。私たちじゃ、ジャッジメンティスに勝てないよ」
美海は、かつてないほどに弱気になっていた。その裏にある真意を悟ったソフィーナは、一瞬で怒りが頂点に達し、彼女の胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「ブルーフォールの時もウロボロスの時も勇敢だったくせに、なんでここで弱気になるの! どうせ助けるのがリーナだから、そうしたらみんなに嫌われるかもしれないとか、そんなこと思ってんじゃないの!? あんたの言うみんな仲良くってのは、逆らうのが憚れる連中の意見に従うってことじゃなかったでしょうが!」
ソフィーナの叱責に対し、美海は反駁しようとしたが、すぐに目を逸らした。その仕草は、ソフィーナの言葉を認めるという意思表示に他ならない。ソフィーナは美海から手を離すと、すぐそばの窓を開けてそこに足を掛けた。クラス中からいくらか敵意の混じった視線を向けられるが、彼女は気にせずに飛び立った。
「そういえば、ジュリアが飛び出してないのは不自然ね」
ソフィーナは宙に浮いてからすぐに、ふとそのように考えた。それで、まずは彼女の様子を見ようと、ジュリアのクラスの教室へと向かった。すると、その教室の窓から見えたのは、一糸まとわぬ姿で、多くの男に嬲られるジュリアの姿だった。
「何をやってるのよ、あんたたちはァッ!」
ソフィーナは反射的にその教室へ入って怒鳴り込んだ。すると、ジュリアに乱暴をしていた男たちや、それを指揮していたと思しき女生徒は、ゴミのようにジュリアを放って、蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げ出していった。
「ジュリア!」
ソフィーナはうずくまるジュリアに駆け寄り、制服の上着を掛けてやった。彼女は一言も発さずに、その制服の裾を弱々しく掴んで引き寄せた。彼女の肢体は全般的にどことなく薄汚れ、美しいブロンドの髪もくしゃくしゃになっていた。
「こんな綺麗な子に、なんて酷い」
ソフィーナは、思わず小声でそう呟いた。すると、ジュリアが、ソフィーナがこれまで聞いたことのないような、か細い涙声で話しはじめた。
「ねえ、ソフィーナ。私ね、全然、強い子なんかじゃないのよ。さっきも、あんな連中、本気を出して抵抗すれば簡単にやっつけられた。でも、恐怖で固まっちゃって、奴らのなすがままにされちゃったのよ。笑い者よね。リーナが大変なのに、自分のことしか考えられなくなって、その上、その自分すら守れなくて」
「気に病まなくていいわよ。あなたを誰も責めたりなんてしない。もしあなたを責める者がいたら、その時は私が矢面に立つわ」
ソフィーナはしゃがんで、ジュリアを抱き寄せて告げた。彼女が淡々と自虐するのが悲痛で、耐えられなかったのだ。
「優しいわね、ソフィーナは。あなたが友達で、良かったわ」
ジュリアは彼女の方からソフィーナの胸に顔を埋めた。その双眸から流れる涙が、ソフィーナの服を濡らす。ソフィーナは不謹慎にも、初めて感じる彼女の涙に嬉しく思った。ありのままの心をさらけ出してくれたのは、これが最初だった。初めて彼女に心の底から認められた気がして、喜ばずにはいられなかったのだ。
「ソフィーナ、今、どんな状況?」
ジュリアは、そのままの状態で尋ねた。ソフィーナが統合軍所属の生徒らがどこかへ行ったことを教えると、彼女は何かを悟ったような雰囲気で、ソフィーナから体を離して、魔術でいつもの私服を召喚し、纏った。その時の彼女の表情は、先程までとは違い、凛として堂々としていた。そのままの表情で、彼女はソフィーナを見ず、真っ直ぐ学生寮の方を見ながら訊く。
「これからどうするつもり?」
「リーナを助けるわ。あなたもそうなんでしょ?」
「ソフィーナ。理由の詳細は時間が無いから言えないけど、リーナを助けたらすぐ戻りなさい。じゃないと、下手したら学園そのものを敵に回すことになるわよ」
「分かったわ。そうする」
ソフィーナが頷くと、ジュリアは魔神鎧ひとつを外に召喚し、ソフィーナの手を引いてその肩に乗った。その直後、魔神鎧は大ジャンプをし、ある高さに来たところで、二人はM型がL型改を持ち上げ、校庭に放り投げたのを見た。
「リーナ!」
ジュリアは、悲痛な声でかの名を叫んだ。ソフィーナも、その光景に焦燥感を覚える。
「私の友達に、手を出すんじゃないわよ!」
ソフィーナは己に喝を入れるように声を張り上げると、ジュリアに目配せしてから魔神鎧の肩から飛び降りた。
「煉獄の業火を食らいなさい!」
ソフィーナは魔法陣から、巨大な青白い炎をM型に向けて射出した。それは紙一重で躱されてしまうが、その隙に死角に入り込んでいたジュリアの魔神鎧が、M型に体当たりを敢行した。そのまま、彼女は既に倒壊しつつあった学生寮にM型を叩きつけると、すぐに反転して、うつ伏せに倒れているL型改を魔神鎧で抱き上げた。その肩から、ジュリアが視線を送る。ソフィーナはそれに込められた意図を読み取って、早々に校舎に戻ろうとした。だが、飛び立とうとする魔神鎧を、いつのまにかM型が、学生寮に突っ込んだまま、ビーム・スナイパーライフルで狙いをつけていた。
「ジュリア!」
ソフィーナはそれを守りに入ろうとしたが、明らかに間に合いそうになかった。彼女が諦めかけたその時、二機の間に入る二人の人影に気がついた。ナイアとルルーナだった。ナイアは籠手型の召喚武器、アヴェンジェリアを装着し、ルルーナは盾型の召喚武器、シュッツ・リッタを装備している状態であった。
「ルルーナ! チャンスは一回だからな! 失敗したら承知しねえぞ!」
「わかってる!」
ナイアとルルーナがそのように掛け合って飛び上がった直後、ビーム・スナイパーライフルが放たれた。だが、それはルルーナの盾に阻まれて進行方向を変え、その先にはナイアがいた。そのビームが、全てナイアの籠手に吸収されていく。やがて照射が終わると、ナイアは籠手を嵌めた方の手をM型の方に突き出した。
「アヴェンジェリアの最大出力、食らいやがれぇッ!」
一瞬、籠手の前に魔法陣が展開されたかと思うと、そこからM型を軽々と覆ってしまえるほどの超巨大な青い光球が放たれた。それを避ける術は今のM型には無かったらしく、その直撃を受け、それから大きな爆発が起きた。その眩しさに思わず目を覆っていたソフィーナが次に見たのは、装甲が全て溶け落ちて内部機構を露出させて動けなくなったM型と、今度こそ木っ端微塵に消し飛んだ学生寮に、その後ろに続く、大きく抉られた、先の光球が通った跡であった。
「す、すごい」
既に、ジュリアたちの姿はそこになかった。校庭にたった一人佇みながら、ソフィーナは唖然としていた。だが、同時に恐怖してもいた。ジュリアの言葉を考えると、次にこの力が向けられるのは自分たちかもしれないのだ。
「D・Eの身の振り方、考えておいた方がいいかも」
ソフィーナは、青蘭学園の生徒としてではなく、D・Eの次期魔女王候補として、その言葉を呟いた。
ソフィーナは元々、高等部を卒業した後は将来に備えて青蘭大学で政治学と経済学を修めるつもりだったが、その学ぶ場を変えた方が良いかもしれないと考え始めた。
この頃の青蘭学園はどこかおかしい。先の騒動にしても、風紀委員会では力不足で手に負えない問題の解決を担当する執行部という組織が学園に存在するのに、仲裁することなくマイケルの好きにさせていた。更に、下手をしたら命を落とす危険のあるウロボロスとの戦いを生徒にさせるのも、相当に奇妙な話だ。そのように考えると、この島で学んでいたら何を刷り込まれるかと、ソフィーナは気が気でなかった。
校舎に戻りながら思考を巡らせていると、ソフィーナはだんだんと寒気がしてきた。D・Eが地球と断交するのもあり、いや、した方がD・Eのためなのではと逡巡しているうちに、ジュリアが以前言った一言を思い出した。
「事の本質を見失うな、よね」
ソフィーナ自身が合理的な判断をしたと思っていても、側から見たら感情的になっていると言われてしまうかもしれない。何にせよ、ソフィーナ一人で考えるのはここが限界だった。
(早いうちに一旦D・Eに戻って、魔女王に相談しよう)
彼女はそう結論づけて、ソフィーナは自分の教室のドアを開けた。クラスメートの視線の殆どがソフィーナに集まる。ソフィーナは、眉間に強く皺を寄せた。
***
結局、アルフレッドは間に合わなかった。彼が息を切らして格納庫に着いた頃には、事は終わってしまっていて、格納庫は統合軍に占拠されていた。アルフレッドは反EGMA派であるので、今、そこより他に青蘭島には居場所が無く、しばらくはそこで過ごすことにした。
リーナは全身に火傷を負い、両腕両脚の複雑骨折に、頭蓋は陥没するなどの重傷に加え、全身の打撲などの軽傷を負っていたため、今は統合軍の軍医による手術を受けている。
とはいえ、間に合ったとしてもアルフレッドが直接助けるのは叶わなかったことは確かだった。彼のジャッジメンティスそのものが、何者かのハッキングを受けており、起動することができない状態にあったからだ。
「兄妹間の拗れの深刻さを分からず、剰えこのような事態を招く結果になった。私は、父親失格だ」
今の格納庫のハンガーに誰もいないと思っていた彼は、悔いの涙を溜めながら、天に向かって嘆いた。だが、その直後、ハンガーと他のスペースを繋ぐ通路の方から、物音が聞こえた。その主はジュリアだった。彼女はアルフレッドと目を合わせると、すぐに駆け寄ってきた。
「どうか、自分を責めないでください。少なくとも、あの子は決して、あなたを非難したりはしませんから」
「だが、私は君と、リーナを導くと約束した。私にはとても、これでいいとは思えんのだ」
「まだ、巻き返しはききますわ。気を取り直してください」
「そう、だな」
アルフレッドは納得できなかったが、ジュリアにこれ以上心配をかけるわけにもいかないと思い、頷きを返した。
「それはそうと、今日の一連の流れは、学園側、いやEGMA側としても、統合軍としても、かなり強引でしたね。特にEGMA派は、この一日で、何かに決着をつけようとしていた節がありました」
「ああ、私もそう思う。リーナの悪評を利用して、敢えて傍若無人な振る舞いをし、学園にいる少数の反EGMA派を黙らせようとしたのだろう。他の場所でやっていたら愚かとしか言えない方法だが、中途半端な理想主義の多い青蘭学園なら効果は一定以上は見込めるだろうな」
ジュリアに言葉を返しつつ、アルフレッドは彼女が何かを堪えているのを察した。彼が話している間も、彼女はどこか上の空でいた。そっとしておこうかとも思ったが、彼女の目に涙が溜まり始めたのを見て、アルフレッドは意を決して訊くことにした。
「ジュリア。何か、あったのか?」
彼の言葉に対し、ジュリアは口を閉じてあちこちに視線を目まぐるしく向けていたりした。だが、やがて小さく息を吐くと、頭の小さな冠を床に置き、服のリボンを解いて下着姿になり、彼女はアルフレッドに縋り付いた。
「穢されたんです。処女はあなたに捧げたかったのに、無理矢理散らされて」
そのジュリアの涙ながらの告白に、アルフレッドはどのような言葉をかければ良いか分からず、ただ目を丸くすることしかできなかった。そうしているうちに、ジュリアが爪先立ちになって、彼の唇を奪った。
「お願いします。一度だけでいい。どうか、私を抱いてください。私に刻まれた穢れた傷を、どうか、あなたで忘れさせて……」
ジュリアは唇を離すと、再びアルフレッドに抱きついた。そのキスのおかげで一旦思考がリセットされた彼は、彼女の頭を撫でながら、彼女を抱くのが本当に正解なのかを考えた。後悔はしないか、先妻に後ろめたさを感じないかと。
(いや、何を迷うことがあろうか。私の中途半端な態度が二人の悲劇を呼んだ。せめてジュリアにだけは、幸せにしなければならん。彼女が望んでいるのだ。躊躇うことも馬鹿馬鹿しい)
アルフレッドは、小さく咳払いをすると、ジュリアの小さな背中に、自分の手を回した。そして、彼女の耳元に口を近づけ、強く決心して囁く。
「私は、できた人間ではない。深く知れば、君を幻滅させてしまうかもしれない。だが、君の幸せは、私の命を懸けて誓おう。これから、99の苦も気にならなくなるくらい、君を全身全霊で愛してみせる」
静寂が訪れた。二人の吐息と、鼓動の音が微かに響く。やがて、ジュリアのアルフレッドを抱く力が、少しだけ強まった。
「はい、お願いします、あなた」
玲瓏たる福音の響きが、アルフレッドの耳朶を打つ。彼が耳元から離れてジュリアの顔を見ると、そこには涙に濡れた、誰とも重ならない彼女だけの、絢爛華麗な笑顔があった。