独房の、剥き出しのコンクリートの灰色の床と壁は冷たかった。薄い囚人服を介して、背中と尻に冷気が伝わる。しかし、マイケルはそこを動こうとしなかった。ベッドに横たわる気にもならないどころか、立ち上がる気力も無かった。
あの後、マイケルは逮捕され、治外法権によりS=W=Eの法で裁かれ、除隊処分と十年間の懲役を言い渡され、青蘭島の周囲にある小島のひとつに築かれた青蘭刑務所に収監された。
以来、彼は抜け殻のようになった。労役にも身が入らず、独房に戻れば今のように隅で膝を抱えてうずくまった。アナベルは修復中だ。データのバックアップもあり、ボディのスペアもある。一週間もすれば戻ってくる。リーナに殺された子でさえも、データが残っていたので当時の成長段階からまた育てられる。しかし、だからといってリーナを許せはしなかった。
アナベルとの間に子供ができたと彼女に教えたのは、そうすることで彼女に「もはや人間とアンドロイドとの間に差は無い」と知ってもらいたかったからだった。アルフレッドは穏やかに受け入れたと見受けられたので、リーナも同じだろうと踏んでのことだった。これで、リーナにアンドロイドに対する敵対心を無くして欲しかった。しかし、結果として彼女のそれは増大した。
「あのような差別主義者を、俺は妹とは認めん。絶対に、絶対に、次に会う時はEGMAの名の下に殺してやる」
マイケルは、心にただひとつ残った怒りを燃やす。その呪詛は、独房の中を木霊したように思えた。
***
騒動の翌朝から、ソフィーナは魔女王ミルドレッドに呼び出されてD・Eに戻り、ミルドレッドの居城であり政治機関である黒柩城に訪れていた。そこで彼女が件の騒動の報告書の作成と提出をし終えたのが一日前で、今日は、その意見陳述をする日である。ソフィーナは最上階にある彼女の部屋のドアの前に立ち、ノックをする。
「鍵は空いている。入れ」
「失礼します」
ソフィーナは、一旦深呼吸をしてその部屋に入った。そこには、ミルドレッドだけでなく、ハイディやアルスメルをはじめとした、D・Eの政治の中枢を担う最高幹部、十二杖の面々がいた。
「来たな、ソフィーナ。話は聞いている。早速だが、今後の青蘭島との付き合いについて、お前の見解を聞かせてくれ」
ミルドレッドは中央のソファに不遜な態度で座ったままそう言った。ソフィーナは咳払いをすると、全員の顔を見渡しつつそれを述べる。
「私が思うに、最良の策は青蘭学園との国単位での付き合いを止め、異変の原因究明とその解決は、D・Eや他の黒の世界の国家で独自に行うことです。ウロボロスは黒の世界に侵入してきたら対処すればよろしいかと」
「意外ですわね。ソフィーナがそのように考えるなんて」
ハイディは軽く目を丸くして言った。小馬鹿にされたような気がして、ソフィーナはそれに少しだけ気を悪くしたので、語気を強めて答える。
「流石に、あんなの目の前で見せられたらそうも思いたくなります。公人としては、あんな悪意のある連中と、対して利益も無いのに付き合うのは、はっきり言って公費の無駄だと思います」
ソフィーナは、言葉を重ねるにつれてだんだんと感情が昂ぶっていった。それを見兼ねてか、ミルドレッドが彼女を強い視線で射抜いた。
「あ、失礼しました」
「愛国心が強いのはいいことじゃがな、ここは会議の場ぞ。感情は抑えよ。次期魔女王候補筆頭とあろう者が、これしきのことで気を乱すでない」
アルスメルが、厳しい調子で叱責する。ソフィーナはますます恥じ入って、口を開き辛くなってしまった。ややあって、ミルドレッドが堪え兼ねたようにため息をついて、眉を顰めて告げる。
「会議の場で意見を述べる側が黙るな馬鹿者。まあ、現状得ている情報を元に我々で出した意見も大体同じだから、これ以上議論することも無いがな。違うことと言えば、私たちがG・Sと中立条約を結ぼうと考えていることだが、お前も口には出さないだけで思ってるだろう」
ミルドレッドはソファに肘をつきながらそう言った。確かにその通りだとソフィーナが頷くと、彼女はのろのろと立ち上がり、テーブルの上にあった革の鞄を開けた。それから、彼女はそこから艶やかな黒髪を持ち、水晶のようにプリズムを纏ったドレスを着た、ソフィーナの身長の半分弱ほどの大きさの女性型の人形をひとつと、そのドレスと同じ材質で出来ている傘を取り出した。
「ほら、いつまでも寝てないでさっさと目覚めんか」
ミルドレッドはその人形の頰をぺちぺちと叩いた。やがてそれはゆっくりと眼を開き、赤と金のオッドアイを見せた。
「何です、魔女王。あたしの快眠を無理矢理妨げて」
「クルキアータ。大事な頼み事あるから、お前は今からしばらくソフィーナの奴隷だ。拒否権はない。許される返事は『はい』のみだ」
「奴隷て」
ソフィーナはボソッと突っ込んだ。恐らくクルキアータとやらと共同で何かをしろということを次に言われるのであろうが、もっと美しい言い方があるだろうと思った。彼女がそのように考えている間、クルキアータはソフィーナをじっと見ていた。そして数回頷くと、それはまたミルドレッドの方に顔を向けた。
「嫌ですわ。あんな三流魔術師の元につくなんて。それに、あたしの異能を使えば頼み事なんて一瞬でしょう」
ソフィーナはその言葉にカチンときたが、魔女王や十二杖の手前であるので、今すぐ消し炭にしたい気持ちをぐっとこらえた。一方でその不平に対し、ミルドレッドは嫌味な笑みを浮かべた。
「過程をすっ飛ばして結果を得る、それが私がお前に与えた能力だったな。じゃあやってみるがいい。私の頼みは、青蘭学園上層部の思惑と、T・R・Aが隠していることの調査だ」
「お安い御用ですわ」
クルキアータは胸を張ってそう答えるが、待っても何も起きなかった。もしかしたら目に見えていないだけかともソフィーナは思ったが、クルキアータも困惑していたため、どうやら本当に何も起きていないようだ。
「え、どういうことですの、これ」
「分からなければ教えてやろう。お前の異能が適用されうるのは、すっ飛ばす過程と出る結果がお前の知識で予測できる範囲内に収まっている時だけだ。つまり、未知のことに関しては全くの無力。分かったら黙って私の言うことに従うがいい」
ミルドレッドが意地の悪い笑顔でクルキアータに言う。それが悔しそうに押し黙ると、彼女はソフィーナの方に向き、真摯な表情に切り替えて告げる。
「新しい任務だ、ソフィーナ。お前は学園に戻ったら、このクルキアータをこき使って青蘭学園上層部とT・R・Aの思惑を探って来い。その情報によっては、断交を取りやめにするかもしれんし、戦争を仕掛けることもあるかもしれん。国の命運を左右する重大な任務だ。しっかり遂行せねばお前の首が飛ぶぞ」
ミルドレッドは、手刀で首を切り落とすようなジェスチャアをした。彼女は冗談めかしてはいたが、ソフィーナは裏で本気で言っていることを悟り、固く首を縦に振った。
「カチコチになりすぎているな。そんなだからクルキアータに三流と言われるんだぞ。もっと肩の力を抜け」
ミルドレッドは、呆れながらソフィーナの肩を叩いた。いきなりのことだったので、彼女は大きく体を震わせたが、すぐに落ち着いて、軽く深呼吸をして咳払いをした。
「よし、落ち着いたな。では学園に戻る前にひとつお使いだ。実はジュリアがこっちに戻ってきて、反EGMA派の戦士を一人匿っているらしい。学園が何か追求してきても我々は知らんぷりを突き通すから、安心して欲しいということを伝えてきてくれ」
ソフィーナは内心でその内容に驚いたものの、表には出さずに了承した。すると、クルキアータが傘を片手にとことこと寄ってきた。
「やっと話が終わりましたわね。さ、行きますわよ、ソフィーナ」
そのやたらと上から目線な態度に対し、ソフィーナは閉口した。そしてちらりとミルドレッドの方を見ると、彼女はソフィーナが何を言いたいのか察したように、どこか自慢げに言う。
「そいつがそんな性格なのは私の趣味だ。生意気な方がおちょくってて面白いからな。元はと言えば私が道楽で作った存在で、実用性は求めてないから仕方ないんだ。だから諦めてとっとと行け。会議の内容の続きなら後で議事録のコピーを送っといてやるから」
なんと傍迷惑なとソフィーナは心の中で思ったものだったが、やはりこれも口に出すわけにはいかず、渋々返事をして、クルキアータと共にその部屋から出て行った。
***
黒の世界の空には、深い紫と、赤く巨大な月のみがある。しかしその下でも、草木は青々と茂り、湖の水は深く澄んでいた。ジュリアの話によれば、黒の世界の空気には魔力が立ち込めており、これが青の世界で言うところの日光に当たる、黒の世界の生命の源とのことである。それでか、心なしか力がみなぎるような感覚を、リーナは常に覚えていた。
統合軍の軍医による手術のおかげで一命を取り留めたリーナは、D・Eの静かな湖畔にあるジュリアの家で匿われて療養している。地球やS=W=E、T・R・Aで療養するわけにもいかず、G・Sは現在情勢不安で、いくら軍とは協力関係にあるとはいえレジスタンスに目を付けられる可能性も十分に考えられたため、消去法でD・Eが選ばれ、また環境も適していたことから、ジュリアの家が選ばれた。
リーナは、目の前の湖の鏡に映る己の姿をぼんやりと眺めていた。病衣から包帯を巻かれた肌や顔を覗かせ、車椅子に座っている。空気に満ちた魔力のおかげで、傷の治りは地球上にいた時よりもかなり早く、統合軍の軍医の見立てでは、あと二、三日もすればギプスは外れ、包帯も取れるだろうとのことだった。D・Eの住人が皆長寿なのも、このおかげらしい。
しかし、傷は日々快方に向かえど、心の傷が癒えることはなかった。一度目を閉じれば、押し潰される恐怖に満ちたコクピットの中にいる感覚が蘇った。また、コクピットそのものに対しても、考えるだけでも身の毛がよだつほどの懼れを抱く有様であった。
(これを克服しないと、到底、戦線復帰なんて出来やしない)
リーナはそのように分かってはいても、そのための具体的な方法は全く思いつかなかった。彼女は今のように思考に行き詰まった時は、ジュリアの家と湖を挟んで反対側にある洞窟に行っていた。そこには、碧き巨神の残骸が静置されている。リーナは体を伸ばして、両の手の指先で巨神に触れた。
機械に触れているとは思えないほど、心の琴線に触れるような、暖かく、繊細で優しい感覚がリーナを包む。この感触を覚える度に、リーナの心は落ち着いた。これが何かのヒントになるなどということは無いが、絡まったリーナの思考を解いてくれた。
「やっぱり、やり過ぎだったのでしょうか。でも、アンドロイドが子供を産むのを放置するのは、EGMAの思惑を認めるということだ。私たちの悲願は人間による治世を白の世界で実現すること。EGMAに与する者の粛清を行わないと、到底実現なんてできやしない」
リーナは、カールとアイリスと対峙した時のことを思い出す。二回とも、二人は完全にリーナを殺す気でいた。しかし、リーナはそれが私情を押し殺したものであることは十分に分かっている。だが、リーナがアナベルと、その腹の子を破壊したのは、完全に私情であった。確固たる正義感のもとでそれを遂行していれば、マイケルが登場した時に動揺することもなく、また今のように怪我を負ったとしても、これ程まで思い悩むことは無かった。
「分かっている、分かっているけど。出来ませんよ、私には。この身を蝕む嫉みを押し殺すなんて」
リーナは底知れぬ悔しさを零した。その声が洞窟内で反響し、再びリーナの耳に入る。嘆いたところでどうにもならない。リーナは大きくため息をつくと、方向転換して洞窟を出た。それから、湖を横目に車椅子の車輪を回し、ジュリアの家に向かう。彼女の家は木造のログハウスで、地上一階が生活空間に、地下室が魔術実験室となっている。しかし、今彼女がD・Eにいるのはリーナの看護の為なので、その地下室は使われていない。
「ただいまです」
「お帰り、リーナ。ご飯はもうすぐでできるから、ちょっと待ってちょうだい」
リーナが帰ると、台所の方から、ジュリアの声が聞こえ、美味しそうな芳香が漂ってきた。そのおかげかリーナは急に空腹感を覚え、腹を鳴らしながら少しでも早く食事にありつこうと、テーブルについた。
「はい、今日の晩御飯はご飯に、ハンバーグにマカロニサラダ、それとコーンスープよ」
ジュリアは笑顔でテーブルに食事を並べる。体力のない今のリーナに合わせてか、量は少なめだ。また、これらはすべて地球製の食材を使っている。というのは、ジュリア曰く、黒の世界の食物は他の世界の人間が食べられるような代物では無いらしく、味は良いが間違いなく腹を壊し、最悪死に至るかららしい。これにも空気中に魔力が充満していることが関係しているのだとか。
「はい、あーん」
ジュリアもテーブルに着くと、早速箸で白米を掬い、リーナに突き出した。リーナはギプスのおかげで自分で食べられない為、仕方ないことなのだが、やはり何処と無く恥ずかしかった。しかし背に腹は代えられないので、観念して口を開けてそれにかぶりついた。
「ふふふ、可愛いわ」
ジュリアはリーナの口から箸を引き抜くと、頰に手を当て、うっとりした様子でそう言った。その様子を、リーナは不思議に思いながら眺めていた。リーナが意識不明の状態から目覚めてから今に至るまで、ジュリアはどういうわけか機嫌が良かった。リーナが無事だったから、などということではどうにも腑に落ちない。これまでは気にしないでおいたが、とうとうリーナは訊いてみることにした。
「ねえ、ジュリア。何でそんなに機嫌がいいんですか?」
リーナのその言葉で、ジュリアのハンバーグを切り分けていた手が止まった。その反応はリーナにとって意外だった。彼女は、いつもなら適当にあしらうのに、固まってしまうのは珍しい。
リーナが暫く待っていると、ジュリアは箸を一旦置き、いつになく真剣な表情でリーナと向き合った。それからも、何か言葉に迷っていた様子だったが、やがて吹っ切れたのか、リーナの目をまっすぐ見つめながら告げる。
「今から言うこと、まずは黙って聞いてほしいの。後は、何と言ってもらっても構わないから」
ただ事ではなさそうな雰囲気に、リーナは思わず唾を飲み込み、ゆっくりと頷いた。
「私に好きな人がいるのは、あなたも知っているでしょう? その彼と、結ばれたのよ」
その言葉を聞いて、リーナは思わず祝福の言葉をかけようとしたが、ジュリアの黙って聞いてくれ、という言葉を思い出し、思い留まった。代わりに、誰なのかを想像し始めた。状況からして、リーナを彼女が救出した時よりも後に結ばれたはずなので、きっと統合軍の将校の誰かだろうとリーナは考えた。そうこうしているうちに、ジュリアが重たげに、目を伏せて口を開いた。
「相手は、あなたのお父様、アルフレッドさんよ」
その言葉を聞いた瞬間、リーナは驚きで開いた口が塞がらなかった。嫌というわけでは無かったが、ただ思いもよらなかった組み合わせだったので、そうなってしまった。そうしているうちに、ジュリアは目を伏せたまま続けた。
「いくら奥様と死に別れているとはいえ、親友の親を好いて、なおかつ結ばれるなんて言語道断の所業なのは分かっているわ。何とでも言っていいわ」
「ああいや、大丈夫ですよ。びっくりしましたし、まだちょっと混乱してますけど、でも嫌じゃないです。末娘の私も、もう一端の人間ですから、父上が二人目のパートナーを作ることも、ジュリアが父上と結ばれることも、不満はありません。むしろ、心から祝福します。おめでとう、ジュリア」
ジュリアは、目を丸くし、そこから何も言わずに大粒の涙を流し始めた。その様を微笑ましく思いながら、リーナのこの言葉は全て本心からのものだ。マイケルがどう思うかは分からないが、少なくともリーナは、二人が幸せになれるのならと、これを歓迎した。母はリーナを産んですぐに死んでしまったため、リーナには母への愛着は微塵もない。ジュリアの告白をすっと受け入れられたのには、このようなこともあった。
「でも、これで父上とジュリアが結婚したら、私はジュリアを何と呼べば良いのでしょう。母上?」
泣き止まぬジュリアを見ていたらリーナは恥ずかしくなってきたので、そのように茶化して誤魔化そうとした。
「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ。今まで通りでいいわ」
ジュリアは涙を拭いながら言った。その語気は穏やかで、暖かなものだった。もう、彼女はだいぶ安心できたようであった。
「ねえジュリア。子供は何人作ります? 私、弟が欲しいです!」
リーナは、これまで散々おちょくられた仕返しのつもりで、元気いっぱいに言った。すると、ジュリアは顔を赤くして、リーナから少し目を逸らして言う。
「べ、別にいいじゃない、そんなこと気にしなくても。まだ結婚するとは決まったわけじゃないんだし」
「でも、したいんでしょう?」
「そりゃまあ、そうだけど」
「じゃあ今のうちに家族計画を考えましょうよー。前もって色々決めておけば後々楽ですよー」
リーナは、ジュリアに色々と言う度に、己の機嫌が良くなっていくのを自覚していた。これが現実逃避であることは、重々承知であった。しかし、だからといって止めることもできなかった。だらだらと思い悩むよりは、現実逃避でもこうして心の健康に良いことをしている方が有意義に思えたからだ。
しかし、ジュリアが真っ赤になって黙りこくっているうちに、ドアをノックする音が聞こえた。それで急に現実に引き戻され、ジュリアも表情を改めた。今日は、統合軍の軍医が来る日ではない。更に、それ以外の来客はこれまでになかったため、二人とも警戒を始めた。
ジュリアがそっと立ち上がり、リーナの周りに不可視化の結界を張ってから、彼女はドアを慎重に開けた。そこにいたのはソフィーナと、70センチメートルほどの身長の、傘を差した女性型の人形だった。
「警戒しなくていいわ、ジュリア。魔女王からの伝言を届けに来ただけだから」
ソフィーナは、比較的柔和な表情で告げた。その隣の人形は、ジュリアを見定めるように彼女を凝視していた。彼女はソフィーナの言葉を無視し、警戒したまま尋ねる。
「何かしら。伝言って」
「あなたがリーナを匿ってること、D・Eは出来る限り隠し通すことにしたとのことよ。だからと言ってあまり表に出られるのも困るけど、少しは安心してちょうだい」
「そういうことですわ。ミルドレッドの寛大さに感謝することね」
横の人形が、ソフィーナに続けてやけに偉そうな態度で発言した。ジュリアは眉を顰めてその人形を睨んで、不機嫌そうにソフィーナに訊く。
「こいつ何よ」
「魔女王が作った人形で、名前はクルキアータよ。暫く私とコンビ組んで任務を遂行することになってるわ」
「へえ、そうなの。喋らなけりゃ私のコレクションに加えたいくらい綺麗なのに」
そう言いながらジュリアはクルキアータを見つめ続けるが、それは突然ソフィーナの後ろに隠れてしまった。そして、そこから顔を半分だけ出して、怯えた様子で言う。
「あ、あなた、あたしの天敵ですわね!? なんだかあなたと目が合うと身の毛がよだつようですわ!」
「あなたの体に髪の毛とまつ毛以外の身の毛なんてないじゃないの」
「比喩ですわよ比喩! D・Eにこんなのいるなんて聞いてませんわ!」
ソフィーナが突っ込みを入れるが、クルキアータは依然として、慌てふためいて喚いていた。
「確かに私が得意とする魔術も、私の異能も人形を操るものだけれど、そんなに怖がるものかしら」
ジュリアは首を傾げて呟いた。その様子は、どこか残念に思っているようにも見えた。
「やっぱり天敵ですわよ! きっと私を操って一生の奴隷にする気ですわよ! ああ、あな恐ろしや!」
クルキアータは一人で舞い上がっていた。その様子を、ソフィーナも、ジュリアも、リーナも呆れた目で見守っていた。ここまでになると、クルキアータの初めの傲岸不遜な態度は全く気にならなくなって、もはや愉快で面白い存在と成り果てていた。
「ご主人、いい加減に落ち着きなさい! とりゃ!」
すると突然、クルキアータの傘が喋り出し、ひとりでに動いてその頭を殴った。クルキアータはそれで目から星が出たようになって、呻きながら仰向けに倒れた。
「ご主人がお騒がせしました! 普段はもっと落ち着いているのですが、あなた様に身の危険を感じてテンションがハイになっていたようです! しかしご安心を! 以後はこの私、ミステリオがあなたがたの質問にお答えします!」
ミステリオと名乗った傘は、立て板に水を流すような勢いで騒がしく言った。これはこれでまたテンションが高かった。ソフィーナは気を失っているクルキアータの首根っこを掴むと、ため息をついてジュリアに言う。
「じゃ、私もう学園に戻るから。ひとつ言っとくけど、D・Eは反EGMAと統合軍の行動を否定しないけど、黙殺するだけだからね。それだけは、覚えておいて」
「分かっているわ。そっちも上手くやりなさいよ」
「ええ。じゃあね」
ジュリアに見送られて、ソフィーナはクルキアータを抱え、ミステリオを放置して歩き出した。置き去りにされたミステリオは何やら喚きながらその後を追っていった。
「どういう風の吹き回しか知らないけど、ともあれ一安心ね」
ジュリアはリーナの周りに張った結界を解除して、安心したように一息ついた。
「さ、早く食事を再開しましょう。冷めちゃいけないからね」
ジュリアはそう言って、リーナの車椅子を押す。スープの湯気は、まだしっかりと立ち上っていた。
***
格納庫に立てこもり始めて、早三日が過ぎた。格納庫には食糧庫も併設してあったため、食べ物には困らない。そこにあるのは非常時のための備蓄用の食糧なので、学園生徒が普段の食事に困るということはない。寝袋も置いてあったため、寝るのに不便はない。不満があるとすれば、格納庫が広いとはいえ閉鎖的であること、攻撃されることもないので弛緩した雰囲気が漂っていることくらいだ。
しかし夏菜には、他にも居辛い理由がある。今の彼女の立場は、地球出身の一般生徒である。ブルーフォール失敗の一因を担ったという負い目もあるが故に、息苦しさを感じていた。今は反EGMA派を支援するという共通の目的があるので、あたかも統合軍の仲間のように扱われているが、裏切り者であるという事実は変わらない。それでもそのように扱われるのは、かつて土下座して回った誠意が認められてのことだろうとは思ったが、窮屈な感じは消えなかった。
「ねえ夏菜ー。麻雀しようよ麻雀。半荘ねー」
ある部屋の隅の方で膝を抱えていた夏菜に、ルルーナが楽しげに話しかけてきた。見れば、その中央のあたりに雀卓があり、そこには既にリーリヤとナイアがついていた。
「うん、いいよ。しようか」
夏菜は壁を支えにして立ち上がって、ルルーナと共に雀卓の方に向かった。何故青蘭学園の格納庫にそれがあったのか、夏菜は不思議でならなかったが、おかげで気を紛らせるような手段にはなるため、気にしないことにした。
サイコロを振った結果、ナイアが親になり、リーリヤが南、ルルーナが西、夏菜が北となった。無表情で配牌を確認するナイアとリーリヤに対し、ルルーナはやけにウキウキしていた。そして、ナイアが無表情のまま牌を山から取ると、おもむろに手牌を倒した。
「ツモ。發無し緑一色四暗刻単騎。あと天和だから。点数は……やめとくか」
ナイアは点数を言わなかった。その場には微妙な雰囲気が漂っていて、対局している夏菜たちはもちろん、観戦していたギャラリーも湧くことなく唖然としていた。雀卓は全自動だから、ナイアがイカサマをしたとは考え辛く、本当に偶然なのだろうが、それでも場の空気は白けてしまった。
「今のはノーカンにしよう。うん。仕切り直し仕切り直し」
「そう、そうだね。そうしよう」
ナイアに続いて、夏菜も便乗して言った。リーリヤとルルーナもそれに同意したので、一旦牌を混ぜ直して、配牌をやり直した。
今回は至極真っ当に進行した。時々倍満などが出たりして、ギャラリーの方からわっと歓声が上がる。その頻度が高いということが今回は無いため、夏菜も、ナイアたちも純粋に対局を楽しめた。
二巡目に差し掛かる頃には、ギャラリーも増えてきて、なかなかの賑わいを見せた。決して誰も口には出さないが、やはり、攻撃されるわけでもない立てこもり生活は退屈なようだ。
「これだけの人に囲まれて麻雀するの初めてだから、なんだか少し緊張しちゃうな。あ、それ槓ね」
夏菜はそのようなことを言いながら、リーリヤの打牌した牌を取って大明槓を作る。それから自摸り、その自摸牌をそのまま捨てた。
「ま、カジノだとギャラリーとか無かったしな。これもこれで楽しいが」
ナイアは、にこにこしてそう言った。どうやら、先ほどの気まずさはもうすっかり忘れているようであった。実際に、彼女の天和はもう誰も気にしていない様子だったので、彼女の態度に反感を抱く者は居なかった。
最後の局は、ルルーナが満面の笑みで上がった大三元で終わった。この対局では始めての役満で、かつそれまで最下位だったルルーナも一位になれたので、ギャラリーも大いに盛り上がった。
それからすぐに他の四人組に雀卓を譲ると、夏菜たちは今度はギャラリーに加わった。
「へへへ。逆転勝ちって気持ちいいねえ」
ルルーナは勝利の余韻に頭まで浸かっているようで、だらしなく頬を緩ませていた。それを、リーリヤが少し頬を膨らませて見つめる。彼女がルルーナの大三元に振り込んだので、悔しく思っていることは疑いようもなかった。
「なんか騒がしいと思ったら麻雀してたのねェ」
そのような妖艶な声と共に、スレイがぬっと現れた。その横にはランもいる。二人のおかげで、その場にいたナイアと夏菜を除いて、その場の雰囲気に急に緊迫感が満ちた。
「ああ、別に咎めに来たわけじゃないから。寧ろ気分悪いからさっきまでと同じように騒いでなさい」
スレイが眉を顰めて言うと、再び雀卓の周りがガヤガヤとしてきた。そこから離れて、ナイアはニヤニヤしながらスレイの脇腹を肘でつついた。
「ここに来たってこたあ、お前も麻雀やりたいのか?」
「酒があったらやってたわね。まあでも、昨夜に私とナタクとユウヒの三人でしたばかりだからそんなに気が進まないわ」
「あの二人とやってんだったらあたしも誘えよコノヤロウ。てか案外暇だなお前」
「しょうがないでしょ。一日に一回交渉に来るのを追い返す以外にやることないんだから」
スレイとナイアが話している間に、ランが夏菜の方に寄ってきた。夏菜は条件反射的に萎縮してしまったが、その肩に彼女はそっと手を置いて言う。
「あなたはここの人ですから、特別、私に敬意を払わなくてもいいんですよ。こんなことにも付き合わせてしまっていますし」
「殿下に敬意を払わないなんて出来ませんよ。それに、一緒に立てこもっているのは私の意志ですから。お気になさらないでください」
夏菜は首を横に振りながら答えた。当然、これは本心であるが、それと同時に己の立場を悪くしないための言い訳のようなものだった。下手に先ほどのランの言葉に同意してしまえば、夏菜の心にG・Sへの恭順の意が全く無いことを意味してしまう。少しでも評価が下がれば、今の安全とは言えない立場は崩れ去ってしまうのは目に見えている。ランが探りを入れているのかは定かではないが、迂闊なことは言えなかった。
「そうですか。それが夏菜さんの思いなのですね。ですが、もしかすると、私たちは学園の生徒と戦闘行為を行う必要が出て来るかもしれません。その時、例え相手があなたのお姉様でも、あなたは剣を振るえますか?」
これまた、安易には答えられない質問だった。ランが単純に覚悟を問うているのか、それとも本当に探りを入れているのか。そのどちらであるとしても、夏菜は適切な態度と言葉を選ぶ必要があった。夏菜は大きく息を吐き、わざと周囲の数人に聞こえる程度の声で、毅然と答える。
「振るえます。ですが、今の私の剣は、我が友リーナに捧げる剣です。決して、G・Sのために振るうものではありません」
言い切ってからも、夏菜は気を抜かずに胸を張り続けた。夏菜の心が未だG・Sにあるようなことを言ってしまえば、それはそれで裏切りのことを付け込まれる隙を晒すことになる。これが精一杯の回答だった。
ランは夏菜の真意を推し量るように凝視していたが、しばらくしてふっと表情を和らげた。
「夏菜さんの覚悟は伝わりました。不躾な質問でしたね。失礼しました」
ランは一礼してから、夏菜から離れてスレイの隣に戻っていった。その背中を見送る夏菜に、どっと疲労感がのしかかった。少なくともランには認めてもらえたため、夏菜の今の立場は一応安定したということになる。
(それにしても、殿下がわざわざ後半の質問をされた意味が分からないな。あの程度だったら他の人でも十分なはず。私を気遣ってのことなのか、それとも他に意図があってのことなのか)
夏菜は少し首を傾げた。ラン・S・グリューネという人物に、急に靄がかかっているような気がした。
***
夕日が差し込む生徒会室には、うなだれる美海と不機嫌なルビー、そして表情を固くするマユカ、アゲハ、そしてアインスとユニがいた。アインスとユニは、統合軍に詳しいことから、意見をもらおうと呼んだのだった。
例によって、「生徒間の諍いだから」と統合軍に対する対応は生徒会に丸投げされた。それで美海とルビーは交渉に赴いたのを軽く突っぱねられた直後で、精神的な疲労が大きかった。
ここの所、美海の精神の磨耗は限界に達していた。あまりにも理想と現実の乖離が激しすぎる。皆で力を合わせて世界の危機に立ち向かう——これが彼女の最低限の理想だった。しかし、今はそのスローガンとは全く正反対の状況だ。誰もが自分のイデオロギーをぶつけ合い、統率は大いに乱れ、学園の空気は常に重く、暗かった。しかも相談したい親友のひとりのソフィーナはD・Eに居り、ユーフィリアは相変わらず行方不明であった。
「今日も、ダメだったね」
「仕方がないでしょう。殿下に手を出した人たちとその一味を未だに放置しているんですから」
落ち込む美海に、マユカは辛辣な口調で指摘した。今日で格納庫の解放の交渉を始めて三日目だったが、統合軍の代表のスレイは「殿下の安全が保障されない限りは不可能」の一点張りで、まともに取り合おうとしなかった。
「でも停学処分にはしたわよ」
「停学処分程度で納得するならとっくに出てきているさ」
ルビーの反論を、ユニが一蹴した。そこからまた、全員が黙り込んだ。そのまま数十秒ほどが過ぎたとき、生徒会室のドアを開けて入って来る者がいた。それは、D・Eに行っていたソフィーナと、彼女の身の丈の半分くらいの背の女の人形であった。
「いやにシケた雰囲気ですわね。誰かお亡くなりにでもなったのですか?」
その人形がボソッと漏らした言葉に、その場の雰囲気が一気に険悪になる。ソフィーナはそれを悟ったようで、その人形の頭を鷲掴みにした。
「ちょっとは空気読みなさいよ、クルキアータ。そう言いたくなるのもわかるけどね」
ソフィーナは、美海とルビーを軽蔑するように眺めた。それに対し、美海はさらに落ち込むだけだった。一方でルビーは怒り心頭に発したようで、ソフィーナを睨み返した。
「何よその目は」
「そりゃこっちのセリフだわ。無能も揃うと滑稽なものね。どうせこの様子だと、統合軍との交渉まともに進んでないんでしょう?」
「そう言うってことは、あんたが中心になれば進められるって言うの?」
ソフィーナはルビーのその問いを鼻で笑い飛ばすと、彼女を小馬鹿にするような口調で返す。
「そんな質問が口から出てる時点でもう無能なのよ。確実に出来るだけ早く引きずり出すだけならやろうと思えばできるわ。でも、どれもリスクが大きすぎるわ。今取れる最良の手段は、とにかく媚び売りまくって宥めるか、完全放置することね」
「その、引きずり出す手段っていうの、一応でもいいから言ってみてよ」
自信満々で嘲るように言うソフィーナに、美海はむっとなって言った。それを受けて、彼女はどれも実行は難しいと前置きした上で、表情を引き締めて三つ指を立てて語り始めた。
「大きく分けて三種類ね。ひとつめは、統合軍を攻撃する。ただまあ、今の学生の士気じゃ勝つのは到底無理だし、軍隊にやってもらうにしてもブルーフォール以上の戦争になるわね。まだウロボロスの脅威も無くなったわけじゃないからこんなことはやらない方がいいわ」
ソフィーナは言い終えてから薬指を折り、表情はそのままに続ける。
「ふたつめは、ラン殿下に手を掛けようとしていたやつとその仲間、更には後ろで糸を引いていたのも全員含めて青蘭島から強制退去させて統合軍に詫びいれること。和解金は、多めに見積もって、地球の通貨で五億ドルくらいがいいかしらね。ま、一番いいのは強制退去じゃなくて暗殺してそいつらを梟首にするくらいのことでしょうけど。どちらにせよ、S=W=Eとの関係は悪化するわね」
そこから更に、彼女は中指を折った。暗殺や梟首といった言葉を淡々と話す彼女に美海は恐怖を覚えたが、そのような心中は知る由もないといった風に、彼女は続けた。
「みっつめは、これはさっきとかぶることが多いけど、私たちも反EGMA派の支援をすることね。明言はしていないようだけど、アルフレッド教諭を匿っているところを見ると、反EGMA派と統合軍に繋がりがあることは見て取れるわ。ま、そうすることになったらS=W=Eとの戦争が始まることは目に見えているけどね」
ソフィーナは最後の指を折った。彼女の言った手段の中では、美海にはふたつめのものが最も現実的に思えた。強制退去くらいなら書類ひとつで出来るし、五億ドルは掻き集めればなんとか用意できる。そうするわけにはいかないのかと訊こうとした彼女を、ソフィーナが鋭い目で射抜いた。
「ねえ美海。あなた、さっきふたつめなら出来そうとか思ったでしょ」
その言葉に、美海は心臓を鷲掴みにされたような気分になった。更に、喉があっという間に渇いてゆく気がした。声が出せず、口を半開きにしたまま固まってしまった。ソフィーナの近づいてくる靴音が嫌に高く響く。やがてそれが止むと、その手の平が美海の方に置かれた。
「ブルーフォールのこと、もう忘れてるでしょ。ふたつめみたいなことやってみなさいよ。関係者全員洗い出すなんて一朝一夕にできることじゃないし、渡した金は軍資金になるし、今の統合軍のヤクザ的な要求を飲んだということで、少なくとも地球各国の支援国家からの印象は悪くなるし、統合軍はこれを引き合いに出して無理難題ふっかけてくる可能性も十分に考えられるわ。目の前のことが解決されても、未来に大きな禍根を残すことになるわ。これを挽回できるくらいの素晴らしい方策が、あなたの頭にあれば別だけど」
ソフィーナに、美海は何も言い返せなかった。ルビーも、マユカも、ユニも、アインスも何も言わない。
「やれやれ、こんな無能集団には付き合ってらんないわね。とにかく今やることは連中を宥めることくらいね。それでも少しでも連中が今以上に実利を得てはいけないから、そこのところは頑張ることね。さ、行くわよクルキアータ」
ソフィーナがそう吐き捨てて、身を翻したその時であった。けたたましい警報音が、スピーカーを通じて学園中に鳴り響いた。
「これ、ウロボロス!? こんな時に来るなんて!」
「これから地獄ね。美海もルビーも、覚悟はできてる?」
ウロボロス出現の警報に動揺する二人に、ソフィーナは固い表情で問う。
「私たちのすべきことは、これまで通りにウロボロスを撃退することじゃないわ。これまでの主力だった統合軍戦力を欠いた状態で、尚且つ彼らを監視する兵力を用意した上で、ウロボロスを空中戦闘ができるプログレスだけで撃退しなきゃいけないわ。流石にプログレスだけで撃退しろとは今は言えないはずだから青蘭島に駐留してる国連軍も協力してくれるだろうけど、士気はこれまでで最低レベルでしょうね」
「え、統合軍は私たちを見殺しにするの?」
美海は、ソフィーナの語った内容が受け入れられず、唖然としながらそう訊いた。すると、ソフィーナはわざとらしく大きくため息をつき、直後に激昂した様子でその胸ぐらを掴んだ。
「現実を見ないのもいい加減にしなさいよ! 上はともかく、統合軍の兵士は誰一人としてブルーフォールを諦めていないわ! 今の状況で統合軍はウロボロス討伐に手を貸さないのは目に見えてるし、下手したら挟撃されて皆殺しにされて、青の世界水晶を奪われることだってあるわ!」
ソフィーナの剣幕に、美海はただ気圧されるばかりだった。更にソフィーナのみならず、マユカやアインス、ユニからも、呆れられたような目を向けられていた。やがて、ソフィーナは美海を乱暴に突き放して、背を向けて通信端末を取り出した。
「アウロラ? 早く指示出しなさいよ。——は? 今の状況に対応した編成表を作ってない? この馬鹿! 信じられない!」
ソフィーナは金切り声で電話の向こうに怒鳴りつけると、通信を切ったのち、思い切り壁を殴った。大きな音が響き、生徒会室全体が軽く揺れた。
「どうどう、どうどう。あんまりブチ切れてると血管切れますわよ」
「喧しいわね! ふざけたことぬかしてるとぶち壊すわよ!」
「ぐええ、苦しいからお止めになって」
からかうように言ったクルキアータの首を、ソフィーナは思い切り締めた。数秒ほど彼女はそうすると、クルキアータから手を離し、かなり大きな深呼吸をし、頭を荒々しく掻いた。それから、先程の癇癪とは打って変わって、落ち着いた声で言う。
「ユニ。今から統合軍を抑えながらウロボロスを相手にして、勝算はあると思う?」
「青蘭島に駐屯している、地球の国連軍を統合軍の監視に当たらせて、戦えるプログレス全員で迎撃に出ればなんとかなるだろう。ウロボロスのみの相手なら、連携せずとも一芸に秀でた者だけで倒せる。国連軍は対ウロボロス戦をほとんど経験していないこともある。我々がやるべきだろう。ただ、効率は悪いだろうし、取りこぼしもあり得る。今まで通りにはいかんだろう。しかし編成表が存在しないならこれしかない」
「それをやったら、指揮系統は崩壊したも同然ね。でもアウロラたちの指示は待ってられないし、それしかないか」
ユニの答えにそうこぼすと、ソフィーナは再び通信端末を手に取って、それを耳に当てた。
「D・E代表代行のソフィーナです。今すぐ学園に急行し、統合軍が占拠している格納庫の包囲と監視をお願いします。もし何か動きがあれば発砲しても構いません。現場での指揮はそちらに一任します」
ソフィーナはその通信を終えると、次に流れるように端末を操作して、もう一度口をそれに近づける。すると、校内放送で彼女の声が聞こえてきた。
「校内のプログレス全員に告げるわ。空戦ができて、死ぬ覚悟のあるプログレスは全員今すぐ出撃しなさい。司令部の指令なんか待ってる暇は無いわ。現場では暫く各自の判断で動きなさい。状況を見て私が指示を出すわ」
美海は、一連のソフィーナ行動を見て、呆気にとられていた。人の上に立つ能力の差を、まざまざと見せつけられた。ただ理想を引きずり、現実に翻弄されて狼狽していた己よりも、ソフィーナはずっと毅然としていて、立派であった。半年ほど前までは殆ど同じレベルだったのに、今では完全に追い越されている。
(ソフィーナちゃんには明確な将来のビジョンが見えていて、今何をすべきかを理解している。この違い、なのかな)
美海には、将来の明確な目標が無い。生徒会長に立候補したのは学園を良くしようという意図があったからであるが、それを将来にどう繋げるかについては、全く考えたことがなかった。
異変を解決したいというのは美海の願いではあるが、どのような立場でそれを行うのか、という点においては未だに曖昧なままであった。
(ちゃんと、考えなきゃな。でも今は、私が願いを成すために、この学園を守らないと)
美海はおもむろに立ち上がり、生徒会室から出ようとしていたソフィーナたちの背後まで小走りで行き、そこで歩く速度を緩めた。
「戦えるの? もう、あなたの理想が入り込める余地は無いわよ」
ソフィーナは、背を向けたまま美海に尋ねた。どこか突き放すようなその声は、この三日ほどで、彼女との距離が大きく開いたことを美海に悟らせた。しかし、それで挫けている場合ではない。
「分かってる。でも、今は理想云々以上に、ウロボロスを倒さないと」
「そう」
ソフィーナは短く答え、廊下の窓から飛び出していった。ユニたちもそれに続いて飛び出してゆく。残されたのは、美海と、表情を固くして佇むルビーであった。
「行こう、ルビーちゃん」
「ええ。言われなくても」
二人は互いに顔を見ずに言葉を交わすと、ソフィーナたちと同じ窓から飛び立った。ふと先を見ると、ソフィーナたちは、その姿が点のように見えるくらいに遠くを行っていた。
***
リーナがジュリアとささやかなティータイムを過ごしているところに、ドアをノックする音が聞こえた。しかし、昼のソフィーナの時のように、ジュリアは不可視化の結界を張らなかった。そうする間も無く、その音の主が入って来たからだった。
「コードΩ00、ユーフィリア」
リーナは息を呑んだ。ユーフィリアはアンドロイドだ。ここが割れたということは、EGMAにも露見した可能性が非常に大きい。
リーナを見つめるユーフィリアから彼女を庇うようにして、ジュリアが間に入った。それからは殺気は感じられないものの、アンドロイド故にそうなのかもしれないとも思えた。リーナも異能でジャッジメンティスを呼ぶ準備をしたが、それは両腕を上げて口を開いた。
「私は敵ではありません。ある事を伝えに来たんです」
「ある事?」
ジュリアは全く警戒を緩めない様子で訊いた。ユーフィリアは首を縦に振ると、そのまま続ける。
「青蘭島をウロボロスを襲っています。統合軍は学園生徒を見殺しにする気のようですが、残念ながら彼らの目論見は外れるでしょう」
「何故そのようなこと言えるのよ」
「EGMAも今まさに学園にウロボロスを送り込もうとしています。このままでは、『主』由来のウロボロス対EGMA由来のウロボロスとEGMA派の合同勢力、そして統合軍・反EGMA連合と、三つ巴の戦いになるでしょう。そうなればいかに精鋭揃いの統合軍といえど、ただでは済まないことは疑う余地もありません」
「そうだとしても、私たちが介入したところで、大した影響は与えられないでしょう。一国家ならまだしも、たったの二人ですよ」
リーナは単純な疑問を投げかけた。しかし、ユーフィリアはそう言われると分かっていたかのように、その直後に答える。
「いえ、単騎で状況を覆せる力を、あなた方は手に入れているはずです」
「何を言っているんですか。そんなもの——」
「碧き巨神。この近くにあるんでしょう?」
ユーフィリアはリーナの言葉に覆い被せるように言った。言葉を失ったリーナとジュリアに対し、それは淡々と更に言葉を重ねた。
「あの程度のことで巨神が使い物にならなくなるということはありません。今すぐ巨神の元に行きなさい。そうすれば、すべきことも分かるでしょう」
ユーフィリアはそれだけ言うと、踵を返そうとした。しかし、それだけでは足りない。リーナはまだ、それに対する疑いを捨て切れなかった。
「待ってください。半年前、あなたは五つの世界が一丸となって物事に当たらねばならないと言いました。しかし今は、特定の勢力に肩入れするような真似をしている。一体、何を企んでいるんですか?」
「色々なことを知ったんです。破滅の未来を齎した真の原因のひとつや、そのためには何をすべきかということを。そのためにはそのようなことは言ってられないですし、寧ろ一丸となるのは間違いなのです」
「そういうこと。だから、この子は信用していいよ、リーナ」
ユーフィリアの応答に言葉を付け足しながら、ある人物が入ってきた。若干体が成長して、短かった髪も腰まで長くなっており、更にトレードマークの白衣もかなりボロボロになっていたが、その声色と顔付きは、間違えようもなかった。
「メルティ。今まで、どこに」
「復活させてたんだよ。ほら、入って」
メルティは、戸の向こうに呼びかけた。それに応じて静かに現れたそれは、リーナとジュリアがまたもや言葉を失わせるのに十分だった。
「お久しぶりですわ、リーナさん」
それ、則ちシノンは、恭しく頭を下げた。それに対し、リーナは何を言えばいいのか分からなかった。その一挙手一投足は、リーナの知るコードΣ40シノンそのものだ。リーナの今の状況を作り出した、元凶とも言うべき存在。リーナの落ち度の方が大きいことは彼女も理解しているので怒りをぶつけるようなこともなかったが、かといって謝罪などをするような気にもならなかった。しかし修復が可能だったなら、このような状況には決して陥らなかったはずである。
「何も言わなくて構いません。私はアンドロイドですから。あの時のことに対して不満は何もありませんわ。それに、私にも非はあります。でもそれよりもむしろ、人間とアンドロイドの区別を無くそうとしている不届者をやっつけちゃってくださいまし」
リーナの困惑を悟ったらしく、シノンは穏やかな表情で言った。しかし、リーナはそのようなことを聞きたかったわけではない。
「スペアパーツが無くて、修復が不可能だったんじゃないんですか」
「ユーフィリアに頼んで、緩やかになった時の流れの中で、私が一から部品を作って直したんだよ。言ってなかったけれど、製作者はこの私だからね。シノンが身分を偽造して学園に居たってのはもう知ってるでしょ。だからそうでもしなきゃ、EGMAに捕捉されて、私もシノンもお終いだった。私もシノンも、新国家に必要な存在だから。終わるわけにはいかなかったんだ」
メルティは、決まりが悪そうにリーナに答えた。リーナは、どう必要なのかは分からなかったが、彼女の容貌の変化の理由は分かった。文字通り、人よりも長い時間を過ごした彼女の姿は、リーナには気兼ねなく付き合える友人には最早見えなかった。今相対している時も、彼女は自分よりも一回り大人びて見える。
「まあとにかく、詳しい話は後。リーナは碧き巨神のところに行って。それがすべきことを教えてくれるはずだから」
「ご武運を、リーナさん」
二人はそのように言うと、ユーフィリアと共に姿を消した。リーナとジュリアもすぐに家を出て、巨神のもとに向かう。車椅子のせいでを早く動けないのが、リーナには歯痒かった。
巨神のある洞窟に近づくにつれ、リーナは心臓の鼓動音のようなものが聞こえてきて、またそれが大きくなっていくのを感じた。初めは自分のものかと思ったが、それは明らかに脳に直接響いてきていて、それではないとすぐ悟った。
やがて洞窟が見えてくると、その中から淡い碧の光が漏れ出ているのが見えた。その光を、リーナは知っている。カールとアイリスが搭乗していた時の光と同じだ。無意識のうちに息を潜めてそこに入ると、案の定、巨神の残骸が、まるで何かを訴えるように、碧き輝きを放っていた。
リーナは先に着いていたジュリアの制止を無視して、惹かれるように巨神に手を伸ばし、それに触れた。その瞬間、リーナの脳裏に、記録映像のようなものが次々によぎった。
始めに流れたのは、見知らぬ男の半生だった。彼と碧き巨神は常に共にあった。男と巨神は、青々と茂る草木と野生動物が跳ね回る自然のままの場所から、人工物が立ち並ぶ大都市、そして戦火に飲まれた廃墟まで、世界中を何周も何周も旅してきた。そして、最後にその男は巨神の中で、満足げに果てた。
次の男は軍人であった。巨神は軍に鹵獲されたようだった。しかし、彼が操縦席に座った直後に絶叫してから、また次の男に映った。これが8回続いた。
10回目の男も軍人だった。しかし、彼はこれまでとは違って、脱走兵のようだった。今度は発狂死しなかった。彼は巨神を動かした。彼が目指した場所はどうやらかなり高い塔のようだった。しかし、彼が辿り着く前に、巨神は集中砲火を受けた。巨神は堕ちた。そして、隠れるように地中深くに埋もれた。その時には、脱走兵の彼は死んでいた。
それから気が遠くなるほどの長い年月が過ぎ、巨神が掘り起こされた時には、誰も搭乗することなく、その土地の神の偶像として崇められていた。やがて社会が発展し、巨神は次第に宗教的な意味を失い、再び埋もれた。
次に巨神が陽の目を見たのは、統合軍により掘り起こされた時であった。それは研究施設に運ばれた。数ヶ月ほどして、1組の男女が搭乗した。その男女こそ、カールとアイリスだった。
それからは、リーナの知る通りだった。リーナたちの第八機動小隊と戦闘し、次には世界水晶の大部屋でリーナのジャッジメンティスと戦い、その操縦席でリーナとカールでアイリスを交えて愛し合い、そして、銃声が響いた。
以上のことが、一瞬のうちにリーナの脳裏を掠めていった。困惑するリーナに、巨神が更に波動を与える。言葉ではなかったが、リーナはそれが何を指示したものか、はっきりと理解できた。
「ジャッジメンティスを呼べばよいのですね。分かりました。来なさい、ジャッジメンティス!」
リーナが叫び、半壊したジャッジメンティスが目の前に現れる。すると、巨神が一際強い輝きを放った。あまりの眩しさに、思わずリーナは目を覆った。それが止んでもう一度巨神のあった方を見ると、そこには完全な人型をした、碧玉のように輝く、見知らぬロボットが佇んでいた。
金属板を重ねていったような装甲を持ち、巨神のシルエットを細身にしたような姿をしている。固定武装のようなものは何もない。リーナは、これがジャッジメンティスと碧き巨神が融合したのだと、理由は分からないが瞬時に理解できた。
その神秘的な輝きに心を動かされ、リーナは思わず立ち上がろうとした。この時、リーナは体の怪我が全て治っていることに気がついた。巨神の光に当てられたからだろうか。とにかく好都合なことには変わりがない。一歩、また一歩と近づき、ちょうど胸部の真下に来た時、彼女の体を碧の光が包んだ。
気がつくと、リーナは操縦席と思しきところに座していた。そして、その時、始めの男の顔が脳裏に浮かび、何かを告げた。言葉は何も聞こえなかったが、直感的に何を言ったのかは明確に分かった。
「光輝くもの、セイリオス。それが、碧き巨神の真の名前。ならば、ジャッジメンティスと融合したこの機体は、ジャッジメンティス・セイリオスです!」
リーナの言葉がコクピット中に反響する。そのことがより一層、ジャッジメンティス・セイリオスという名前を飲み込むのに一役買った。
更に、リーナは、このコクピットという空間にいても平気であることに自ら驚いていた。一度は死にかけた空間なのに、むしろ居心地が良い。
(この心地よさ、いつかどこかで一度感じたような)
そう思えど、リーナはすぐにはそれを思い出せなかった。しかし、今は優先すべきことがある。いつまでもそのようなことを考えている暇はない。リーナはモニター越しに、唖然としているジュリアを見つけると、セイリオスを通じて、己の声を伝える。初めてのことだったが、どういうわけか、それが出来るということも、その方法もリーナは知っていた。
「ジュリア。私は先に行きます。あとで追いついてください!」
「ええ、分かったわ。行ってらっしゃい」
まるで側にいるかのように、明瞭にジュリアの声が聞こえた。リーナの無事を知ったおかげか、彼女は穏やかに微笑んでいた。また、彼女もセイリオスに安心感を得たのかもしれない。
(カールとアイリスが愛したこの機体、使いこなしてみせる)
リーナは首のチョーカーに手を当てた。カールの義眼をジャッジメンティスに埋め込んだ以上、今手元にある、二人との絆を思い出せる品はそれのみだ。
しばし瞑想したのち、リーナはチョーカーから手を離し、ゆっくりと息を吐いた。セイリオスのコクピットに操縦桿は無い。カールたちが使っていた時にあったのは、統合軍が構造を解析して取り付けたもので、本来は存在しない。だから、今セイリオスを動かすことができる力は超常の力、すなわち
「異能発動! リーナ=リナーシタ、ジャッジメンティス・セイリオス、行きます!」
直後、セイリオスは亜空間に突入した。目指すは青蘭学園。そこへ戻ることに、リーナは全く恐怖することも、怯えることもなかった。